お父さんのエッセィ

『多忙につき天下御免』(1997/07/13)


『多忙につき天下御免』


 この2ヶ月、多忙を極め、エッセーの筆は停滞していた。寝る暇を惜しめば、キーボードに向かう時間はつくれるが、肝腎の思考が停止いていたのである。

 大学での研究生活といえば聞こえはいいが、先にも書いた雑事その他、環境の変化というやつは、精神のゆとりを奪うものらしい。日常の生活行為と、日常診療の思考は、よほど特殊でないかぎり条件反射的に、すなわちストレスを感じることなく行いうる。しかし、この2カ月はそうではなかったということだ。わが恩師のひとりはそんなとき、不整脈になるのだが、私の場合は日常以上の負荷の中で、日常以外の思考が出来なくなる余裕のない状態が多忙ということらしい。

 先日、とある高校生から、ある時事問題に関してのアンケートが、e-mailでおくられてきた。丁寧に答えてあげたかったのはやまやまだが、4コマ漫画以外の新聞記事は見出しもうる覚えだった私には為すすべもなかった。たとえて言えば、戦に疲れた明智光秀が、転戦のすきに土着民に刺されたような、不意のパンチだった。
 ただただ多忙だったのだ。無為無策にして無関心というわけではない。せめて、アンケートの集計で、社会的無関心層に(いっぱひとからげに)分類されるのは自尊心が許さなかったので、もっと上等の質問を用意するように釘を差す内容の返信をしてしまった。高校生には酷だったかもしれない。もしも、君がこのページを読むことがあったら、この場を借りて理由の説明としたい。(直接e-mailすればよいのだが、根が素直でないもので、、、)

 世の中には、ほんとに多忙な人もいるのだ。

 病院当直で、例えば3ヶ月前から腰が痛かった患者さんが夜間時間外に外来に見えたとき、手を抜かず診察はするが、時間外では満足な検査はできず、診断が推測の域を出ないことがある。そんなとき、昼間の診療と同じ対応を求める患者さんには閉口する。私は内心『何で、3カ月前からの症状で時間外に病院に来るのか』と憤る。
 ビジネスだから働くことに不満はないが、時間外の保険料の一部は私の税金に由来していること憤るのだ。
 たとえ、治療費を100%負担する人だとしても、満足な検査が出来、時間外加算のない、平日の日中に来院するのが、お互いのためだろうに。
 持論は曲げないが、
 世の中には、ほんとに多忙な人もいるのだ。


(1997/07/13記す)