お父さんのエッセィ

『夏休みの風景1』(1997/09/07)



『夏休みの風景1』

 どんよりとした月曜日、勝手知ったる田舎の出張病院の当直明け、私はそのままお盆休みに突入した。旭川には戻らず、隣町のJR駅で妻子と待ち合わせそのまま小旅行に出ることにしていた。小雨の道を東に向かって車を走らせた。

 それにしても、ひどい7月だった。泥沼のような手術の中で死の淵に沈みかけたある男性患者を、死の淵から引き上げるために、ほぼ1ヶ月エネルギーをつぎ込んだのだった。夜も日もなく治療を施し、反応をモニターし、さらにそれをフィードバックし次の手をうっていく。それでも、ある時は肺炎に、ある時は出血に悩まされ、一進一退の繰り返しの中で死神から譲歩を勝ち取ろうという作業だった。
 わたしたち主治医団のみななず、患者さん本人、家族、ICUのスタッフ、レントゲン技師、検査技師、輸血部スタッフ、血液センタースタッフなど、関係した多数の人間のたゆまぬ努力にも関わらず、生命崩壊のプロセスはある日突然制止できないものとなり、結果として大学の高度先進医療は敗北した。家族と主治医団の虚脱した表情だけが、今も私の印象の大部分を占めている。

 列車が到着するまでの小一時間のあいだ、そんな7月を振り返りながら、田舎のガソリンスタンドの片隅で、私は愛車の掃除を行った。こんな天気に洗車する酔狂な人は他にはいそうもなかった。

 私は、いつもベストを心がける。それに、例えて言えば、力つき行き倒れるときには、後ろに大の字にひっくり返るのではなく、前向きに突っ伏して倒れたいと思っている。だが、我が師の一人は『自分のベスト=世界のベスト』とは限らないことをいつも私に諭す。
 今回のことをすべて結果だけで評価するなら、それはむなしい一ヶ月としかいいようがない。自分の中でそんな形で総括するだけのクールさは持ち合わせていないし、まだ時の沈澱作用は評価の時期をむかえていないと思うことにした。

 洗車を終えガソリンを補給し駅舎に向かった。建物の内外を歩いて、妻子を待った。いつしか小雨はあがっっていた。お盆直前というのに肌寒い。自転車で北海道を回っているらしいおじさんの明るい声が耳に入る。これから置戸方向へいくという。随分な距離だ。

 生後2カ月の長女を抱いて、長男にエスコートされた妻が視界に飛び込んできた。

 私はこれからの旅行のことに気持ちを切り替えた。
(1997/09/07記す)