お父さんのエッセィ

『自転車通勤』(1997/10/31)


『自転車通勤』


この夏、晴れた日には自転車で大学病院に通勤していた。
手術日と出張日は自家用車通勤だったからたいした日数にはならなかったが
運動不足・高脂血症のわが身を憂いてのささやかな運動負荷であった。

大学病院への道は片道2kmほどの直線だが大学は丘の上にあり、
くわえて途中には高低差を持った橋もあり自転車通勤の行程は結構しんどい。

坂道をあえぎあえぎこぎながら、ふっと思ったことがある。
それは、自転車通勤は思っていたより孤独だということだ。

話せば他愛のないことだが、、、
丘の上には大学の他、高校が2校ある。
だから、車通勤の時には坂道をこぎのぼる学生諸君を多数横目に見ることになる。
(女子高生ももちろんたくさんいる。)
そんなとき、
実は自分も自転車に乗る仲間なのだが、、、
と考えてみたりする。
ところが、実際に自転車に乗ってその仲間にはいると、
多数の学生諸君を追い越すようなことはなく、
悪くすれば、上り坂の途中でママチャリの女子高生に追い越されそうになって
あわててペダルに力を込めなおしたりする羽目になる。
全く年はとりたくないもので、、、息は切れるし膝は笑う。

おっと脱線。。
とにかく、実際に自転車に乗ってみると、
多数の学生さんを追い越すことはなく、、、
(ママチャリさえもそんなに追い越せない)
黙々と地面と前方を見つつ、
マウンテンバイクの細いサドルによる会陰部の痛さをこらえつつペダルを踏み続けることになるわけである。
(当初、あの痛さは、自分が特別に太っているためのものかと思っていた。それで
格好つけてマウンテンバイクを購入した自分のミーハーさを悔いたりもしたが、
自転車愛好家の友人に訊いてみたら、会陰部の痛さは細いサドルの競技自転車の宿命で、
マジにのれば、『出血する』こともあるのだそうな、男でも??、、、)

また脱線。。
とにかく、『聞くと見るとは大違い』ならぬ『見るとするとは大違い』というわけで、
立場の違いによる認識の大きな違いを哲学的に考察した夏であった。


(1997/10/31記す)