お父さんのエッセィ

『甍の波』(1997/12/06)


『甍の波』

今日のお題は『甍の波』です。
『甍の波』なる言葉の表面には季節などないはずですが、常識的には5月のイメージです。
季節外れですが、今日の話はいろんな意味でのイメージへの疑問符の話でもあります。

北海道には瓦屋根からなる甍の波はほとんど存在しません。
それでも、端午の節句には、『甍の波』を唱和し鯉のぼりを仰ぎ見ます。
それはTVニュースで語られる四季や二十四節気のなかの代表的な風物詩でもあります。
しかし、考えてみれば風物詩の一体どれだけのものがいまも生活に根付いているのか、、、

たとえば五節句を思い出してみよう。
人日の七草は、野に摘まずスーパーで手に入れ、
上巳・桃の節句には『明かりをつけましょ100ワット』。
端午の節句には、ベランダに鯉のぼりをくくりつけたり、『高く泳ぐ』はずの鯉のぼりを見おろす家庭があり、
七夕は飾り付けはしても、天の川を実際に見上げようとする人、さらに実際に見ることが出来る空の下に住んでいる人は日本の人口のうちの何パーセントぐらいなのか。
そして重陽の節句にはTVで菊人形を見るという、

ざっと挙げた節句の行事でさえ、本来的意味の一部は形而上学的なものになりつつあるような印象を拭えない。
(だいたい、貴兄は五節句を正確に列挙できますか?わたしは辞書を見ながら書きました。)
古来、風物の輪廻は日本人に季節感を与え、『サザエさん』にお題を提供してきた(?)がその一部は確実にイメージの中の虚構に変容しつつあるのだ。忙しすぎる三十路の私たちはそうした日常の消化におわれて、生活に直結しない季節感を切り捨てざるをえなくなっているといってもよい。『衣食足りて礼節を、否、時間足りて季節を知る。』

さて、話を『甍の波』にもどそう。
北海道の家屋は積雪のためその多くはトタン屋根であり、 私は物心が付くまでTV以外で瓦屋根を見たことがなかった。
(物心の付く前のことは当然覚えていない。)
TVで瓦屋根といえば、それはほぼイコール『水戸黄門』や『大岡越前』といった時代劇の中のことであった。
わたしが日本に瓦屋根文化がまだ現役で残っていることを認識したのはなんと高校2年の修学旅行で新幹線に乗ったときだった。

車窓から富士山なぞを眺めようとしたときにおぼえた不思議な違和感。
私は慎重に原因を確かめようとした。
『なんだ、この光景は、、、』
この認識は、一種のカルチャーショックだった。
そのとき、わたしは江戸時代にタイムスリップしたような感覚にとらわれたのを今でもよく覚えている。
『《内地》じゃ屋根に《ちょんまげ》をのせている。』
そんなイメージだった。
車窓からの『現代一戸建て建築の甍の波』の光景は、 『背広にちょんまげ』を連想させた。
ひょっとして内地人はいまでも、刀を腰に差しているのではないか??
(瓦屋根の実利的なことは今回の主題ではありません。)
それに比べれば、 数年前に訪れたボストンのニューイングランド風建築の方が はるかに、違和感なく馴染める。

馬鹿な奴だと笑わないでほしい。
エスキモーにとっての屋根が氷であるのと同じように、 私にとっての屋根はトタン屋根なのだ。
それが、私の生活圏での正当なイメージであり文化なのだ。
甍の波は、外地の私には形而上学的な代物なのだ。


(1997/12/06記す)