お父さんのエッセィ

『年越しの大学病院は小カタストロフィ』(1998/01/03)


『年越しの大学病院は小カタストロフィ』

この年末年始、私は主に大学病院の病棟業務と市中病院の当直応援で過ごしている。
御年始まわりや年賀状の整理の時間はとれそうもないが
それでも最低限の家族サービスや自宅雪かきなどはこなした。
まあ、新年早々悪口雑言をならべたてるのも品がない。
今日はちょっとした幸せのことを書きたい。

私が、大学病院の診療システムが大嫌いであることは何度か書いた。
それは、底辺の医師にとっては働く環境がひどすぎると言う意味だったと記憶している。
その認識は今でもかわらないし、それなりに奮戦しているexcuseも変わっていない。
そこに、この数日異変が生じたのだ。
あのにっくきオーダリングシステム(患者管理およびレセプト連動コンピューターシステム)が停止したのである。
彼ら(?)の名誉のためにいっておきますが、それは故障ではなくシステムの全面更新(今度はウインドウズ95ベースになるのだそうです。なんでMACでないんだ?)のためとのこと。

我々は末端オペレーターとしての束縛から解放されたのだ。
これは私にとっては思いもかけぬ快適な世界の出現だった。
患者さんに関する指示は、指示箋や伝票に書き込むだけ(!!)でよいのだ。
なんと原始的な、と思われるだろうが、その原始的なのがよいのだ。
この指示作業に費やす時間は、私の場合、普段の数分の一にまで短縮できるからだ。
ふだん、仕事用コンピューターにしばられることに嫌悪している私にとっては
それはそれは、し・あ・わ・せ・なことなのだ。

-----パソコンはわたしの体と精神の一部となって同化しているが、
パーソナルではないコンピューターってのはなんであんなに憎たらしいのか、、、-----

宿敵の仕事用コンピューターに縛られず自由に指示を出すというのは、
普段それらに抑圧されている私にとっては、実に快適で溜飲の下がる心地のものなのだ。
かわいそうなのは、伝票をとりまとめるリーダーさん(病棟では有能な看護婦さんが持ち回りで担当している)と、たぶん休み明けに出勤してくる事務方さんだ。
なんせ、僕らが請け負わされていた端末入力作業は事務方の省力化のためのものであり、
僕らが解放されたそれらdutyは彼らのところに帰っていったわけだから。
(薮入りみたい、、)
かわいそうだとは思うが、
かれら(誰のことでしょ?)は、
これまで僕らに何を押しつけたかを再認識することだろう。
(私の刺のある性格は変わりそうにない、、、)

-----数日限りのささやかな幸せだ。
さらに私は、人の不幸を思いやる余裕さえ見せているではないか??-----

休みがあけ当直病院から大学にもどる日には
宿敵はウインドウズ95に進化しているという。
ポケモンもびっくりのNEC系モンスターってか、、、
立ち上がったばかりのシステムがハングアップもせずに機能するとは思っていない。
敵がまともに機能するようになるまで2週間ぐらいは戦闘は控えてあげよう。
敵に塩を送る余裕を見せる年頭の私であった???フッフッフ。
その間に私も経験値をアップしようーっと。

ところで、ポケモンは2回進化するんでしたよね??


(1998/01/03記す)