お父さんのエッセィ

『サンダルはおたふく印、靴はリーボック』(1998/03/05)


『サンダルはおたふく印、靴はリーボック』


医局所属の医者は大学病院の医療の一端を担っていることは何度か書いてきた。
その一方で彼らはジッツ病院のブレインあるいはマッスルとして、
定期・不定期に人事異動のタマとなる。

*(ジッツ病院:市中のある病院がある診療科の人事を該当診療科を標榜するある医局に差し出すことがある。平たく言えば医者を派遣してもらうと言うこと。その場合、その病院をその医局にとってのジッツ病院という。多くの場合、その人事に病院側は口を挟めない。)
*(ブレイン:サッカーで言うところの司令塔か。)
*(マッスル:ブレインの指令に従って手足となって労働する人間のこと。)
*(タマ:やくざ用語で鉄砲玉のタマ。将棋の駒ともいう。)

話は6年ほど前にさかのぼる。
当時、私は医局所属のマッスルであった。
仕事の内容は病棟の日常医療の運営、学生や新人医師の教育、手術の助手や術前術後管理などなど。(考えてみれば、今と同じである。)
例えてみれば、登山で言うシェルパ頭、軍隊で言えばプラトーンの軍曹といったところか。

それでだ。
当時あくまで当時の話だが、、、
当時の職場は、ひどい硬直状態にあった。組織が巨大すぎ、また最小限以上の仕事をしたがらない文部技官という名の一部の公務員のために仕事が面白くなさすぎたのだ。
そこで、鬼軍曹は武者修行を志し(外科医としての腕を磨くために)、
第一線の市中病院への転属を願い出たのだ。

思いのほか転属はスムーズだった。
鬼軍曹にとって、その病院はまさに願ってもない戦闘空間だった。
硬直していない病院、そこでは、信頼出来る外科スタッフ、有能な病棟ナース、そして高度なプロ意識に磨かれた手術部スタッフを中核に、患者さんを適時適切に治療するためのシステムが機能していた。水をえた魚というのはおこがましいですが、私は思う存分に育てていただいたと実感している。
私にチャンスをくれた当時の医局長に感謝。
そして、その懐かしい戦友たちに感謝。

さてである。
わたしは毎日毎日手術室に出撃し朝から晩まで戦闘に明け暮れていた。
言ってみれば、『癌最前線』の一種でもあった。
(仕事の内容はやはり今と同じだが、硬直した某職場でのようなくだらない雑用がなかったので、階級としては小ブレイン、少尉殿といったところだろうか)
手術し、手術し、手術した2年間だった。
外科手術は基本的に立ち仕事であり、患者さんの横にじっと立っての仕事である。
それゆえに、外来診察担当日以外は、足がむくむことになる。
特に朝から夜にまでかかる手術の日には、足を引きずるように夜道を帰るのが常だった。

その苦しい(苦しいけど心地よいのだ)戦闘の小休止に
私は足を休めるすべを思いめぐらした。
なにか、足からくる疲労を軽減する方法はないものか、、、
たどりついた結論の一つが
手術室における『健康サンダル』の導入であった。
いわゆる、磁石つきイボイボサンダルだ。なかでも『お多福』印のものがいい。
あれはいい、本当にいい。
最初はこそばゆくて歩きにくいのだが、
慣れれば快感になる???
痛いのは最初だけってなもので、
当初、泌尿器科の某女医先生と二人で旗揚げした『おたふく』教が
口コミで信者を拡げていったことは言うまでもない。
戦友達も皆疲れていたのだ。

そしてある日、少尉殿たる私は
ちょっと出世した気分のささやかな贅沢として、
よれよれになったスニーカーを
ぴかぴかのリーボックに買い換えた。
何気ない休日の何気ない選択であった。
ちょっと値は張ったが、、、

つぎの大戦闘の後の帰りの夜道、私は驚愕した。
むくみ、疼痛さえ感じる両足がリーボックの中で休まっているではないか。
心地よいフィット感が足の悲鳴を吸収してくれていたのだ。
高価な靴だったが値段だけのことはあると感心した。

車は走ればよく、靴は歩ければよいと思っていた私だが、
体のために機能を追求することも悪くはないと得心した。
そこで、
サンダルはおたふく印、靴はリーボックというわけだ。

ちなみにお多福健康サンダルには一つだけ欠点がある。
手術室では裸足だが、日常場面でソックスと併用すると
異常に早くソックスに穴があくのだ。
穴に気づかずに走り回っていたら、
退院のお礼の品に、ソックスがやたら多くなったものでした。
(1998/03/05記す)