お父さんのエッセィ

『外科医なるもの(その1)』(1998/04/19)


外科医なるもの(その1)
『外科医はチームの生き物』


先日友人からのメールに以下のような話があった。

>>この間 一緒に処置をして どうする?という展開になったとき
>>「いく?」「合点だい! やってまいまひょ」って 
>>目で語って 仕事したときは久しぶりの快感でした。
>>最近 そういうノリはなかったので すごく気持ちよかった。
>>これって 誰とでもできる感覚ではないのに
>>出会って10日しかたたない彼女とできるとは・・・
>>彼女の 観察力と勘のよさに ほれてしまいました。

目でわかりあえる同僚がいるひとは幸せだ。
うらやましい。

ちょっとずれる話題かもしれないけど、
それは私にとっては、かつて
いっしょに働いていた頃のS先生が近い意味の存在だった。
(向こうがどう思っているかは別だが)

手術中の雑談など、
話の流れがすっ飛んでも、話についてゆけたし、
ついてきていただけていた。
おなじように
手術手順や操作そのものにしても、ある程度思考が読めた。
次に何をやりたいとか、今何を逡巡しているかとか。
思考回路が似ていると言うことなのだろうか、、、
私のレベルに合わせた思考の組立をしていて下さっていたのか。
とにかく気の置けないといった雰囲気の中で
いい仕事をさせてもらっていた。

私にとっては、彼は敬愛する師の一人である。
(もっとも、彼はそういう言い方を敬遠するが、、、)
いまでも、ときどき方針決定に悩むとS先生ならどの様にするだろうか
などという考え方をするときがある。

仕事の上で重要なのは、そういう心地よいチームが組める、
そういうチームが存在するということだ。
それゆえに
私の『外科医認識』のひとつは
『外科医はチームの生き物』ってことになる。

この場合のチームというのは、信頼しあう医者同士という最小のカテゴリーから
ナース、薬剤師、診療放射線技師、検査技師、栄養士ーーまだまだ患者さんを支える多様な職種があるのだが、そうしたすべてを含めたカテゴリーまでをチームといっても良い。
そうしたチームのなかで、彼我の力を100%引き出しあい、
さらにそれを120%に高めていく。
それが、患者さんの治癒に力を貸し、患者さんを幸福にする。
翻ってそれは我々の自身の幸福にもなる。
逆に彼我の力を100%未満に相殺しあうチームは、チームとは言えず
best conditionの医療を享受できない患者さんは不幸だし、
摩擦の中で悩み疲れはてる我々も不幸となる。

良いチームは、うらやましい。
ある意味で
ぼくらはそうしたチームにたどり着くために
彷徨しているのかもしれない。


(1998/04/19記す)