お父さんのエッセィ

『外科医なるもの(その2)』(1998/04/19)


外科医なるもの(その2)
『外科医、元気で暇がいい』


4週とか2週の出張続きでエアポケットのような時間をもちえた。
仕事は山ほど抱えており
けっして『暇』ということではないが、
仕事場や医局のデスクや書斎から隔絶されると、
忙しさにかまけてキーボードと疎遠だった
このふた月ほどを振り返る余裕を持ち得たということだ。

短期派遣医は、長期的視野でもって患者さんに関わることが難しいから
常勤の院長先生としては、必然的に
そうした範疇にない患者さんの診療を私たちに託すわけだ。
(それは医療として質が落ちるという意味ではない。適材適所と考えてもらいたい)
そうして『暇な外科医』が誕生するわけだ。

だが、ここで言う『外科医、元気で暇がいい』は
そうした意味もあるが、むしろ
『亭主元気で留守が良い(タンスにゴン)』
と同じ様な意味あい??で解釈してもらえたら良い。
太平の世の軍隊が暇であるように、
外科医が暇だと言うことは、患者さんが少ないということだし
いいかえれば、皆が元気だと言うことだ。
また、そうして暇で鋭気を養っている外科医は
いざというときに十二分に力を発揮できるわけで、
結局それは患者さんのためになるのだ。
そうした二通りの意味を込めて
『暇がいい』わけなのだ。

我が師の一人はさらに論を進めて
『医者はハッピーでなければ、不幸な患者さんを治療など出来ようはずもない』
としている。
自分の幸福を明確に定義しきれていないのが私の不幸だが、
この際それはおいておいて
健康・疾病と快癒・家族・生死などに対して
ある程度しっかりした(普遍性のある?)考え方をバックボーンにしていないと
医師はつらい。
その医師にかかる患者さんもつらいだろう。
技術論をよけて、極論すれば
医師と患者で考え方の相違があれば、
その医師は時には『やぶ』のレッテルを貼られるし、
考え方が合えばその医師は『名医』ということになる。
悪い意味ではなく、ブラックな言い方をすれば
『鰯の頭も信心』
ということになる。

さてさて、ことほど左様に
私の『外科医認識』のひとつは
『外科医、元気で暇がいい』ってことになる。

(本日は敢えて用語の定義を致しませんでした。
定義しだすと、哲学書が書けてしまいますのでご容赦下さい。)


(1998/04/19記す)