お父さんのエッセィ

『わたしをインターネットに魂を売り渡した男と呼ばないでいただきたい!』(1998/04/25)


『わたしをインターネットに魂を売り渡した男と呼ばないでいただきたい!』


『宮仕え』の宿命か、
正確には『宮仕えの(人たちの)こまづかい』の渡世の義理として
(細かく言葉を定義すると、角が立つのでうやむやに筆をすすめることにする)
今月は2週間の地域医療応援を拝命した。

社会的使命のみならず生活費捻出という生業としての要求も切実だし、、。
私は飄々とビジネスに赴いた。
旭川から車で45分、北に向かって走ると
都市近郊と言うよりは
むしろ誇りを持って第一次産業型集落といえるその町が拡がっている。
かりにW町としよう。

旭川との間にはエレキバンで有名な比布町があるだけの距離だが、
なぜか山一つ越えるとロシアの国境を越えたように?寂しいのは
多分単なるロシアへの偏見のせいだろう。
だいたい富良野なら寂しくなくて、W町は寂しいなんて
どう考えても偏見だ。
町の中央を走る国道は最北端の町への大動脈として往来も激しいが、
そこからみちを一本町内に入ると
昼なお無人の舗装道路で街路樹とペットボトル風車だけが
少なくとも空気だけは動いていることを知らせてくれている。
診察室の窓からの風景で
すべてを見通したように判断してしまうような書き方も多分偏見だろう。
た、ぶ、ん、、、。
ま、なにはともあれ、ビジネスだ。

寂しい町と言えば、
PC98小僧だった私がMACに手を染めたのも
旭川から東に険しい峠を越えた町で地域医療に燃えていたころだった。
かりにM町としよう、、、、、、
話が長くなるのでM町の話題は割愛させていただきますが、
寂しさのつれづれに(本当はPowerPCの出現を虎視眈々と狙っていたのだが)、
私は初代PowerPC7100/66AVに手をそめ、
その後、
パソコン小僧お定まりのネットワーカーへの人生を
坂道を転げ落ちるように歩んだのでした。

ちょー長い前振りでしたが
今や大学ではLANにただ乗りし、書斎は新旧パソコンの陳列館と化し
出張においては
ビンテージもののPB180と外づけモデムと延長コードを携帯し、
着任と同時に医局や当直室の床を這いずり廻り
電源コンセントとモジュラージャックを探索する。
ネット接続ができては悦に入り、
ネット接続がかなわないと、陰鬱で不安な気持ちに襲われて
文明開化していないその病院の見識のなさに悲嘆する。
近頃、自分でもちょっとジャンキーがかってきたかなって感じはじめている。
(この文章にたどり着いている大兄には、きっとうなづいてもらえると思いますが、 ネットには精神的ならびに身体的依存の副作用がある。)

最近になって携帯電話もポケットに入れるようになりましたが、
計画性と資本の無さが災いして
ビンテージ君と携帯君は有機的機能結合を果たせないままでいまして、
(パソコン雑誌のように華麗にはいかない。)
お世辞にもモバイルとは呼べる構成でないが、
しかして果敢にもネットワーカーの端くれを名乗る
ある種違った意味での市井のパワーユーザーが私です。
(パソコンの『コン』は根性の『根』かも、、)

魂と人格の一部をネットワークというルシファーに売り渡した
身になって思うことは・・・
電力と電話会社とモバイルグッズという三種の神器さえあれば
いまや情報僻地は日本には存在しない・・・ということだ。
妻子を省みなければ何処にだって出張にいけてしまう。
どこにいったって寂しくない(これってオタク??)。
例えば最新の医療情報とも繋がっていられる。

ネットワーカーとしては
趣味として、パソ通や
インターネットの○×画像なんかにもアクセスしますが、
実益として、
アメリカの医療情報にアクセスしたり
デジカメやスキャナーをもちだして
レントゲン画像を知り合いの整形外科医や先輩外科医に
インターネットメールで画像添付しちゃったりもしている。
ちゃんと大義名分も考えてあるってわけだ。

やがて衛星携帯電話なぞが整備されれば
三種の神器さえあれば、
シベリア出張だって、月面基地ムーンベースにだって
いけてしまうだろう。
それが、魂を売り渡した人間の真骨頂だったりして。
計画性と資本があればの話だけど、あくまでも。

<<著者注>>
私は、W町のことはとても気に入ってます。
本文でW町のことは決してけなしてはいません。
ちょっとおちょくった、否、親愛の情を表しただけです、あくまでも。


(1998/04/25記す)