4日半の夏休みをもらった。
残業は当たり前、そして出張のオンパレードの毎日なので
夏休みはフルに家族サービスに費やすことにした。
そういう気持ちを子供達は理解してくれていないようだが、、、
突然決めた休みで、準備期間もなかったので
旅行会社に行って手当たり次第にツアーを漁った。
結局ソウルに行くことになった。
一晩でハングル語の読み方を覚えたが、
数字すら数えられない状態での見切り出国だった。
近頃おなごの間で人気の垢すりエステなるもの、
おとこの私もしてみむとて、すなり。
その日は、朝から午後3時までを遊園地で子供の時間として過ごし、
それ以降を大人の時間とした。
疲れた体をツアー会社のワゴンに押し込め、何処をどう走ったのか、、
1000万都市ソウルのとある街角で私は単身車から降ろされた。
(説明一切なしだった。)
妻と子とガイドさんは女性エステの店に行ってしまった。
(あとで知ったのだが、女性エステの店は車で30分以上も離れたところでした。)
エステと言っても男女はまったく別の店、別のコースというわけだ。
濡れ落ち葉というわけにもいくまい。
(通訳たるガイドさんが妻と行ってしまったのは、ちょっと痛かった、、)
日本語の通用しないその街角に、
愛想も格幅も良いおばちゃんが立ってて、私を待っていてくれた。
ま、高級ツアーだし、人の良さそうなガイドさんの紹介だ、
とって喰われることもあるまい。。。
わたしは、おばちゃんに連れられて、すぐそばの地下銭湯に入った。
(正確には、銭湯と分かったのはフリチンになってからだ。
説明一切なしだし、言葉も一切通じない世界である、、、)
受け付けのオヤジがロッカーの鍵らしきものをよこして、奥を指さした。
ロッカーはあっちなのだろう。靴を脱いで、ロッカーに向かう。
脱衣場には数人のお客(慣れている様子、、地元民であろう)がいた。
すばやく周囲を観察した。
ここでは、どうらや前を隠す習慣はないようだった。
周囲に習って、前を隠さず堂々としていないと軽く見られかねない。
『郷に入っては郷に従え』である。
私は堂々(?)とフリチンでオヤジの前にもどり、
次は何処に行けばよいのか目でたずねた。
奥の浴場に通され、隅っこで垢すりをやっているオジサンに紹介された。
先客がいるようで、サウナと湯船を指さされた。
体洗って待ってろということらしい。
現地の入浴の作法が分からないので、
まずはフィンランドサウナとかかれた部屋にこもって
外の様子をうかがった。
前を隠さない以外は大して違いはない様子だった。
しいていえば、
現地の人は、お互いに垢すりをするようで、
三助のオジサンを頼んだりはしないようだった。
(垢する人とすられる人で上下関係はあるのかもしれないが、詳しくは分からなかった)
それから、現地人はみんな体がしまっていた。
たまたまだろうか?
私は、『さすが兵役のある国ではみんな鍛えられているなーー』と感心してみた。
おあつらえ向きに、私は残業続きで腹の贅肉が減っていた。
よし、これならいける??(なにが?)
私は(堂々と?しつこい?)サウナ室を出て、
シャワーで汗を落とし、湯船に浸かってさらに観察を続けた。
日本ではロッカーの鍵は手に巻くものだと思っていたが、
ここではみんな足首に巻いていた。
(左右で未婚とか既婚とかの意味はないようだったが、正確なところは分からない)
私も湯船の隅で鍵を足に巻き変えた。
三助のオジサンは、垢すり後のマッサージをベチベチと大音響を立てながらやっていた。
湯船で私がいい加減のぼせはじめた頃、オジサンがこっちにやってきて
韓国語と片言の英語で何か言いはじめた。
やっと自分の番かと思ったが、そうではなく、先客も日本人だと言っているようだった。
孤軍奮闘を気取っていた私はちょっと興ざめしたが
それはオジサンのささやかな親切というものだったろう。
先客とはとくに会話しなかった。
一人分の仕事をこなしたオジサンが水風呂に飛び込んで気合いを入れ直した。
ようやく私の番である。
((つづく))
(1998/08/19記す) |