第3章;アルハンブラの野良ねこ君
アルハンブラ宮は、シエラ・ネバダのふもと赤茶けた大地の一角の丘にある。
そこだけは糸杉の緑と花々に恵まれ、噴水とせせらぎの水音がしずかで、
訪れる者に清冽な印象をあたえる。
われわれは午後いっぱい、城塞と王宮とヘネラリフェ(別荘とのこと)を見学した。
風景といわく因縁の詳細は解説書に譲ることにする。
それでも、圧倒的な迫力と緻密なディテールはカメラのフレームに収まるものではない、
というのが率直な印象だ。是非にも、訪ねるべき価値がある。
さて、うだるような暑さの中、半ズボン、スニーカー、アロハシャツ、ナイキキャップにサングラスというアメリカナイズされた?野良猫のような私と、普通の格好のH先輩は、見学の合い間に、その日の宿を探すことにした。当地を訪れた旧友によれば、宮の敷地内にパラドール(国営の高級宿泊施設)があるという。グラナダのパラドールは人気があるため通常は予約が必要だが、野良猫の私はダイナーズカード(身分証明がわり:水戸黄門の印篭のように使用する)を握りしめてフロントにかけ合った。
『部屋ありますか?(H先輩が英語の言い方をコーチしてくれた)』、、、
印篭を出すまでもなく(使ってみたかったのに!残念??)、意外にも一部屋(二人用)空いているという。
ラッキー!!
部屋を見せてもらってさっそく泊まることにした。四ツ星のパラドールである。マドリッドでも四ツ星オテルに泊まったがここのほうがずっと豪華だった。めちゃんこ、ラッキーだった。
宿泊客の得点は、宮の中にとまるリッチな気分と、宮の敷地中に車を乗り入れれることだろう。乗り入れ許可証をもらってから、車の移動に赴いた。参詣?のおばさん達(アメリカ人観光客とみた)が息を切らしながら登っていく坂道を、われわれは青い小型フォードで軽快に登るのだ。
『世の中、金じゃ!』
ではないが、この特権は実にいい気分だった。
その日のdinnerは、パラドールのレストランでいただいた。ドレスアップにはネコ柄のネクタイ(略してネコタイ)しめて、学会用のスーツでのぞんだ。それでも末席に案内されるのは品性が足りないせいだろうか?(クレジットカードを額に貼ってみたら、品性でるかな?)?スペイン語のメニューでは相変わらず料理の内容は予測不可能な状態だったが、肉と魚の区別とワインや食後酒の注文はなんとかクリアした。
食事のあとは腹ごなしに夜の幻想的な宮殿見学としゃれ込んだ。控えめにライトアップされ、日中の庭園と違う趣だ。H先輩には悪いが、野郎とではなく、女性と訪れるべき場所だ、絶対。
しかし、よく歩いた。
この日、日本から連れてきたポケットピカチュウは2万歩の瞬間最大風速?を記録した。
第4章:アンダルシアの青い彗星
グラナダから、南に50Kmいけば、そこは地中海=憧れのコスタ・デル・ソルである。
空も海も青い。海岸ではトップレスの人たちが普通に日光浴している。老後はこんなところで過ごしたいものなどとバカを言いながら、日本人のいないネルハの洞窟を探検し、ヨーロッパのバルコニーという岬を散策した。
そういえば、日本政府の老人輸出計画は厚生省の岡光逮捕以降どうなっちまったのか??(なんのこっちゃ)
昼食のレストランを探しながら、海岸から山に分け入り、白い村フリヒリアナをも訪れた。坂の町小樽も真っ青の??山の上の村だ。膝の悪い太った高齢者は絶対に住めないような村をさまよい歩くこと小一時間。偶然にも村の頂上に英語の通じるレストランをみつけた。このとき私は、『地球の歩き方』の守備範囲を突破し未知の空間にいることに感動した。地ものの名もないワインを一瓶お土産にしてわれわれはコスタ・デル・ソルを後にした。そのとき午後2時頃だったろうか。。。
わたしは、満腹のお腹をかかえ軽い眩暈におそわれた。シエスタではありません。隠していましたが、実を言いますと、本日の目的地はトレドなのでした。道のりにしてまだ400Km以上ありました。車の床とアクセルはお友達となり、われわれの小型フォードのまえでは、BMWもベンツも敵ではなくなった。われわれはアンダルシアの青い彗星となり道を急いだ。コンスエグラの白い風車を夕日のなかにやり過ごし無事にトレドの旧市街(城塞のような街)に入城したのは確か午後7時をまわったころでした。
本日の宿は、旧市街=観光地のど真ん中、大要塞アルカサルのたもとのカルロス5世オテル路地から見るカテドラルは威風を放っていました。
有名観光地での観光は意外に簡単です。ガイド付きの団体ツアー(日本人ツアーなら上等です)を見つけて、皆といっしょに?ガイドさんの説明に聞き入っていればいいのです。日本人ツアーの場合、現地係員は、東洋人の区別が付かないらしく、われわれにもツアー客並に親切でした??
この旧市街は8世紀以来の石作りの家々と石畳の街だ。家々は平均3ー4階建てだから、家の石壁の迫る狭い道は暗く圧迫感さえある。しかも道は迷路となり、道幅も車と同じくらいしかない。狭い道に散策する観光客、それでも地元民は平気で車を走らせます。当初、道に不案内で律速段階の私でしたが、あおられクラクションを鳴らされてキレました。ようござんしょ!そんなにせかすんなら、遅れずに私についてきなさい!!一度入ったら容易には抜け出せないラビリンスの城内で、どこをどう暴走したのか、、われわれは15分ほどで無事に迷宮を抜け出せた。ミラーもバンパーもこすってません。後続車がなかったのは、私の腕前のせいだろうか?それとも、みんな、もっといい道を知っていたせいだろうか?今となっては永遠の謎である。私はアンダルシアの高速のみならず、ラマンチャの迷宮でも青い彗星となったわけです。
つづく
(1998/10/14記す) |