1999年の年始です。
今年も、やはり日本中の下々の勤務医の一人として休日医療を支えています。
そんな中でも年末には、ちょっとしたのfree timeをひねり出して、
小樽郊外のオーベルジュ・セ・ラ・セゾンというフランス料理のホテルに行って来ました。
高速を銭函でおりて更に小樽方向へ5分ほど走ったところにそのホテルはあった。
瀟洒な洋館できれいにライトアップされており、夜ならたどり着くのは簡単だろう。
夜景はその一軒だが日中は石狩湾を眺望する風景も綺麗なことだろう。。。
白川夜舟の乳飲み子を抱えたかみさんが空いた片手でチェックインのサインをすます。
私は両手に一家の荷物を抱え二階に上がる。
私たちは豪華な客間(5部屋しかないのだそうな)に案内された。
どうやら、ディナーのラストオーダーの時間には間にあった様子。
一家ともども手早く着替え、階下のレストランへむかった。
----フランス料理は、小学生や乳飲み子と食べるものではない、、のだろうか??----
品のいいおじさん(後で判ったのだが、社長さんだった)が
ウエイティング・ソファーに案内してくれた。
ゆったりとしたスペースに10卓ほどのテーブルがしつらえてある。
子連れの予約だったので他のテーブルと離れた静かな一席に案内してくれた。
一夜の豪華なディナーを楽しむカップルが数組談笑している。
コースの予約なのでメニューは出てこなかった。
前菜を食べにかかるとすぐに、1歳の長女が母親の膝の上でむずがり始めた。
カップル達の雰囲気を壊しては大ひんしゅく。
しかたなく、私がベビー係を引き受けた。
左の膝に娘をのせ、パンをちぎって与えつつ、
右手一本でフルコースを平らげることとなった。
ボーイ長も見ていれば、ソムリエも見ているなか、マナーもへったくれも無い。
冷やあせものであった。
若きソムリエがワインを勧めてくれた。
とりあえずリストをみるがちんぷんかんぷん。
何かお勧めはないかと、とりあえずの希望を話した。
赤。甘すぎず。1988年(結婚した年)もの。。。などなど
CHATEAU MONBRISON CRU BOURGECIS 1988を出してくれた。
豊穣な年の逸品。
空気と混ぜながら味わう。少し土臭いがフルーティで香りのいいワインだ。
ソムリエほどの舌はないが、
わたしは過去に二度同じワインを飲んだことがあった。
それを勧めてくれた旭川のソムリエの話などをして、スタッフ達との会話は弾んだ。
メインディッシュになるまえに、娘が再びむずがりだした。
限界らしい。
何を隠そう準備周到の私は、
粉ミルク入りのほ乳ビンをディナー・テーブルに飾っていた。
(勘のいい読者はもう判りましたよね。。。)
いたしかたあるまい!
どーしてこの場面でそばにいるのがソムリエなのか、、、
私は天を恨みつつ毅然とした態度でソムリエにほ乳ビンを差し出し、お湯を要求した。
「すみません、このほ乳ビンにお湯をください。」
何故か、正装したフランス料理の店では、こういう要求は毅然として処理される様子。
(しかしソムリエにお湯を頼む客はそうは居るまい。)
程なくして、200CCの線までお湯の入ったほ乳ビンが届けられた。
ソムリエはちょっと怪訝そうな顔をして、妻にそれを手渡した。
何故毅然としていないのダ、彼は???
妻は外キャップ付きのビンを勢いよくふって粉を溶かそうとして、、、
あたりにミルクを撒いた。
ソムリエ氏は、外キャップの中にゴム製の乳首が入っていなかったことを忠告しようと戸惑っていたのだった。
用意のいいはずの私は間抜けだった。
話せば長い話だが
粉だけ入れて、乳首で内キャップするのを忘れて外キャップだけとしてしまったのだ。
妻とソムリエ氏は床を拭き、私はひきつった顔で子供をあやした。
ミルクにありついた長女は天使のようだった。。。。
づつきもある、
妻はソムリエにワインのラベル剥がしまで頼んだ。
敵もさるもの、ひっかくもの、そして剥がすもの。
一分ほどでラミネート加工されたラベルがうやうやしくプレゼントされた。
(こういう頼み事は日常茶飯なのかしら??)
この日の話は、実はまだまだあるのですが、
聞きたい人は、
私にワインを飲ませてからにしていただきますか。。。
(1999/01/01記す) |