お父さんのエッセィ

『使用上の注意』(1999/03/26)


『使用上の注意』


エッセーにPL法が適応されるなんていう話は聞いたことがありませんが、
今回は本エッセー集の使用上の注意です。
まずは、本エッセーは食用ではありません。
プリントしても乳幼児の手の届かないところに保管し、
決して食べさせないで下さい。
本エッセーを使用した事により発生したいかなる損害も
筆者は責任を負いません。

ことばは、誤解されることを前提として発しなければならない。
この教訓を教えてくれたのは前々回のエッセーにクレームを寄せて下さった某氏です(多謝)が、、、、。
ある雑誌でマーシャル・マクルーハンという人の興味深い言葉が紹介されていました。

『メディアはメッセージである。』

メッセージならば、それは発信者の意志の産物であるわけで、なかには出鱈目な情報や誤解を招く情報もあることを前提として受信者は情報に接しなければならないでしょう。HPは受信者が読みに来るという意味では能動的な姿勢を要求する媒体です。受信者は眉に唾してから情報に接して下さい。とくに、エッセーは読み物です、読み物として楽しんで下されば幸いです。また一方で、『私の考え』と『世の中の事実』言い換えれば『伝聞』と『客観的事実』を区別するのは能動的受信者の側の責任であることを忘れないでいただきたい。忌憚無く言えば、私としても、受信者側の判断責任におんぶして他者への憤懣を書くこともあるわけで、、、、エッセーに客観性や公共性を求めないでいただきたい。私は私の専門分野(医学に関する)に関するHPや私信にのみ私の言葉に責任を持ちます。(これも、各々の責任の範囲を明示するようにこころがけていますが、、、)
同じ事は、INET以外の世界でも同様です。たとえば、
医学においては成書さえも時にはうたがってかかるという態度が常識です。人の書くものだから間違いもあるだろうし、情報の鮮度もある。また印刷段階での手違いだってありうる(単なる事実です。印刷屋さんに悪意はありません、念のため)。
書いてあることが現実と符合しなければ、思考の前提から疑ってかからなければ真理には到達できないという意味にもなります。
そうした態度は、そうした成書を(能動的に)手にした側の責任なわけです。

活字やtext=公共性とか真実という図式は、はるかコペルニクスの昔から
絵空事にすぎないことを、能動的受信者はわきまえるべきでしょう。

(1999/03/26記す)