お父さんのエッセィ

『雪解けを待つある日のこと』(1999/03/31)


『雪解けを待つある日のこと』


山道を登りながらこうかんがえた。(JR車中の北見峠ですが)

無給の医員としての医局生活は言ってみれば派遣会社の登録社員のようなものだ。
以前はやくざの鉄砲玉だと思っていたが、そんなやくざな言い方は必ずしも正鵠を得ていなかろう。だいいち我々雑用係を、組にとって要となる仕事をこなそうという鉄砲玉さんと比較しては、あちら様に失礼だろう。
(派遣会社の人に対しての悪意はありません。ここはむしろ、鉄砲玉よりもあか抜けているというニュアンスも加味されていることを理解して下さい。筆者注)

智に働けば角が立つ。(最近、うちの教授がこのエッセーみて怒っているらしいです。)

薄っぺらな情報誌(内容がさわりの部分しかないという意味)を手に、
滞りがちな社会情報の収集にいそしむ。派遣が続くと新聞も読めない。
(定住地で新聞を定期購読しているので、駅で買う習慣がないためだが、、、)
お医者さんの1年生なぞ、TVを見れないので、流行歌を知らないのは当然として、
毒入りカレー事件を年末になってはじめて知る有り様。推して知るべし。
いつのまにか、国籍不明の?工作船を我が海上自衛隊が追いかけていたりする。
私に断りもなく。。。。

情に棹させば流される。(前段落は平成10年度も忙しかったと言いたいだけです。)

ヒリヒリするくらい心にしみる中島みゆきに、
それでも涙しなくなったのはいつからだろう。
先代の愛ネコ(グレース)でさえ、時に感じては
ベランダにたたずんで夕日を眺め哲学していた。
あたしなぞ、最近の情動と言ったら
『ラットのしっぽは蛇に似ていて気持ち悪いなー。
1匹ならまだ良いけど、10匹の無毛のしっぽは気持ち悪いなーー。』
ぐらいなものである。

とかくにこの世は住みにくい。(お後がよろしいようで。。。)


(1999/03/31記す)