お父さんのエッセィ

『米国旅行雑記1。。。ベビーカーは安心の表示』(1999/11/26)


『米国旅行雑記1。。。ベビーカーは安心の表示』


家族で米国を旅した。
娘は2才なので気の向いたときしか歩かない。
で、折り畳み式ベビーカーを携帯しての旅だ。

ダラスでは、朝な夕なに買い出しや観光をした。時にベビーカーをおして。
摩天楼のふもとのこきたない、コンビニでは
窓に鉄格子がはまっており、外には物乞いのお兄さんが居たりして、、
今にも強盗が入ってきやしないかと気が気ではなかった。
そうしたオフィス街の片隅を早朝や夕方に歩いているのは、
ヒスパニック系やアフリカ系のブラザー達が多いように思われた。
(金持ちはオフィス街のはずれを徒歩で移動したりしないのか、、、。)
ベビーカーを押しているときには、
そうした通行人が強盗に早変わりしたらどうしようなどと考えながら足早に歩いたものだ。
あらぬ嫌疑をかけられる彼らには申し訳ないが、こっちも真剣だった。
でも、髭ぼうぼうのこきたないモンゴロイドも十分に不気味だったことでしょう。
(妻の方針で、私的な場面ではこきたない格好で旅してます。)

そんな中で、ほっとする場面もたくさんあった。
ベビーカーを押して周囲の安全に気を配りながら、びくびく歩いていると、
ブラザーたちの多くは、ベビーカーをのぞき込み、にっこり笑って道を譲ってくれたり、
便宜を図る視線を送ってくれるのだ。
そう言えば、アメリカは子供を大切にする国だったっけ。
我が子が、客観的に可愛くみえる、という親ばか的発想はやめておいて、、、
(アメリカ人には、モンゴロイドの幼児が人形のように見える、というのは本当のことらしいですが、、)
考えてみると、
ベビーカーを押している親父は、他の通行人にとっては、強盗に豹変する可能性の少ない『安全パイ』に見えるはずで、
髭ぼうぼうのこきたないモンゴロイドでも、ブラザー達は私たち一家を『無害』と判定するのでしょう。

ある日の早朝、子供達の朝食を買いに入ったコンビニで、ブラザーのひとりに声をかけられた。
『あんちゃん、どっからきたの?』
『日本からだよ、ブラザー』
『ほー、それはたいへんだねー、ま、がんばれよ。』
てな、激励をいただいた。
わたしは、家族分のホットドックとジュースの紙袋を手に握りしめていた。
(私はそのときは子連れではなかったが、苦労人に見えたのだろうか、、、)
エネルギッシュにその日の仕事に邁進する目的意識が彼のオーラだった。
私は彼に認められた気がして、暖かい連帯感にひたった。


(1999/11/26記す)