1:Memory of Gentle Daddy
ボストン郊外の近しい知人を約5年ぶりに訪ねた。
かつて妻が世話になった優しい老夫婦の街だ。
妻は彼らをMammy, Daddyと呼んでいた。
そのDaddyがこの春亡くなり、遅まきながらの弔問を兼ねていた。
5年前に訪ねたとき彼は、我が息子を本当の孫のように可愛がり、
家族として認めてくれ、記念の品をくれたものだった。
昨日の事のように鮮明で暖かい想い出だ。
その後に誕生した我が娘は、結局彼に抱いてもらう機会をもてなかった。
彼が写真でしか知らない我が娘を愛していてくれたことは判っているが、
娘を彼の膝に座らせることは結局かなわなかった。
娘が生まれてからの2年で何故1週間の旅行の時間が作れなかったのか。
自らの不甲斐なさが悔やまれる。痛恨の極みと感じている。
私は彼の墓碑に詫びた。
彼の冥福を祈り、そして我が娘にも彼の祝福をと願った。
それは晩秋の肌寒い朝だった。
青い空に一筋の飛行機雲が寂しかった。
2:任天堂その後
前回の訪問で、『任天堂は世界の言葉』だったことは以前に書いた。
その後の、いわゆるファミコン(家庭用テレビゲーム)の更なる普及や
メーカー間のシェアの変化は彼我で変わるところはないように見受けられた。
時代はファミコンからプレステに移っているようだった。
ところで、
今回圧巻だったのは、『POWKEMAN=ポウケマン』旋風だった。
Do you know POWKEMAN ?
何人かの老人に、質問をうけた。最初は意味が判らなかった。
シチュエーションは、、、
現地の老人が発する、久しぶりに会う日本人への挨拶代わりの質問。。。
Do you know POWKEMAN ?
????
話の流れから想像つきますように、それは『ポケモン』。
任天堂は健在だったわけです。
子供の間で大ブレークしているので、親にもジジババにもお馴染みだったらしいのです。
我が息子は今回の訪米にゲームボーイとともにポケモンカードを携帯していた。
トランプのようなカードだが52枚ではなく百数十枚は持っていったようだった。
漫画のカードを束ねてリュックに詰めて飛行機に乗り込む姿は、
親の目には、荷物を増やすだけの愚行にすぎなかった。
しかしそれは彼の先見の明だったのかもしれない。
小学校3年生のデービット君と再会の挨拶を交わすやいなや
ポケモンカードの見せやっこをはじめ、
一部を彼にプレゼントしていた。
英語版カードは現地では2週間待ちだそうだし
日本語のカードは現地ではレアアイテムだからだ。
その日の夕方、息子とデービット君は仲良くポケモンの現地版テレビ番組を見ていた。
(ピカチュウは英語で喋っていた。)
二人の間では相変わらず、言葉は通じていない様子だが、、、。
附記
帰国後、ポケモンカードに関する子供同士の傷害事件が報道されていたが、
あれは、現地の事情を忠実に反映した事件だと思う。ちなみに
デービット君はポケモンがmade in Japanとは知らなかった。
現地でしっかり子供に浸透しているということだろう。
(1999/12/04記す) |