板倉ダイエットに挑戦

平成9年と16年、二度にわたるDIETの
挑戦記録です

DIET開始50日目(平成9年2月25日)で7s減り69s台を達成
痩せたい人はこれを読んで下さい
絶対に痩せられます
本気で取り組んで下さい

その後残念ながら大きくリバウンドしてしまいました
そこで

平成16年7月再度挑戦
3ヶ月で79キロから72キロまで減量成功
この二回目のダイエットの記録を追加しました
 

板倉ダイエットに挑戦

平成9年1月10日現在私は、47歳、身長175センチ、体重76.0キロだった。
長年、体重は72キロ程度で安定していたので、かなり太ったことになる。

太った原因

 原因の第一は何と言っても、2年半前の禁煙だと思われる。喫煙は胃腸の働きを弱めるのだろう。と同時に、禁煙で口寂しいとき、つい何か食べてしまうことも原因と考えられる。
 よく言われることではあるが、禁煙後の体重コントロールは難しい。これで糖尿病にでもなったら、何のための禁煙だったかということになるだろう。何しろ二十年以上続いた悪い習慣を止めるのだから、その影響は大きい。体重コントロールに成功して始めて、禁煙に成功したと言えるのではないか。
 禁煙後、体重との戦いは結構やってきたつもりであるが、昨年末になり、4キロ肥えたことが判明した。これはいかんとその時は食事はそのまま、ひたすら歩くことで減量に挑戦した。それまで乗っていたタクシーは出来るだけ乗らないようにし、最寄りの駅より手前で下りて歩いたり、歩数が足りない日は、勤務先から家の方に向かって歩き、目標歩数を超えたところで、電車に乗ったり、タクシーを利用したりした。

 これで何とか2キロ程も減量する事が出来たが、毎日というわけにもいかず、増えたり減ったりでなかなか安定しなかった。徒歩だけで痩せるのはかなり難しいという感想を持った。しかし酒やラーメンやかき揚げどんぶりを止めてまで、つまり、食事を減らしてまでの減量はその時には考えつかなかった。
 そうしている内に、転勤になった。今度は職住接近でほとんど歩かなくなってしまった。これで太ることはあっても痩せることがなくなった。

 原因の第二は、単身赴任したことである。

 単身赴任の食生活は悲惨の一語である。朝は食べたり食べなかったり、昼は外食、夜は酒とつまみか肉系統の高カロリー食。おまけに、時間が全く不規則。

 これで太らない方が不思議である。例えばこんな日もあった。どうしてもカレーが食べたくなり、肉がたっぷり入った、油ぎとぎとのカレーを作った。土曜の夜これを腹一杯食べる。それでもまだたくさん残っている。翌日曜は、朝からカレー、昼もカレー、ついでに夜もカレー。

 超高カロリーで有名なカレーをこれだけ食べれば、やっぱ太るね。それに栄養も偏っている。こんな生活を二年も三年もやっていたら、確実に寿命を縮めると、今なら思う。

 しかしやっているときは、全くそんなことは思いもしなかった。いや、と言うよりは、「今日だけだから」と自分を騙していたといった方が正解だろう。

 さらに、以前なら、一切れですんだ果物も、どうせ食べるなら、とか少し残しても面倒くさいだけというような気持ちで、リンゴも梨も桃も一個まるまる食べる癖がついてしまったことも悪かった。特に、食べたくなるのが夜の遅く、夜食のような感覚だったのが、肥満には良くなかった。そんなことで、体重はじわじわと増加した。

 原因の第三はパソコンが趣味になったことである。

 つまり、太りやすい条件の中で、たまたま外で体を動かすよりは家の中でじっとディスプレーを見るという静的な趣味に変わってしまったのである。

 それ以前はゴルフがほとんど唯一の趣味で週末には最低一回は練習場に行くほど熱中していた。それが20年間続いていた。趣味の本妻はゴルフだったのだ。

 それが40を過ぎて、突然浮気が始まり、浮気どころか本気になりつつある。パソコンには何か人を夢中にさせるものがあるようだ。秋葉原を歩いていると、パソコンに魅入られたと思われる人たちがぞろぞろ歩いている。

 私ぐらいの年の人は少ないが、私もその一員である。最初にはまったときは、約一年はまりっぱなしだった。家族との対話も減った。恐ろしい趣味である。
 その地獄を救ってくれたのは「手打ちそば」である。きっかけを語ればまた長くなるので省略するが、ともかくはまる対象がそばに変わったことで、完全にパソコンから足を洗うことが出来た。

 ところがwindows95の発売が、昔の彼女を思い出させ、焼けぼっくいに再点火することになってしまった。発売当初は無視していた。しばらくして電気店に行ったとき、「いずれはこれにしなきゃな」という気持ちで、つい衝動買いしてしまった。その後も一ヶ月ほどは机の上に放りっぱなしにしていた。しかしちょっと暇なある日、パッケージが目に入ってしまった。万事休す。古い98へのインストールが始まった。少し苦労したが何とかインストールできた。動かす。遅い。やっぱり486のCPUでは完全な力不足である。

 何をしようというわけではないのだが、そこは一度はまった道である。単純に「遅い」ということが気にくわない。新しいパソコンを買おうという結論になるまでにそう時間はかからなかった。
 問題はここからである。単にいい機械を買ってきたのであれば、またすぐに飽きたかもしれない。金銭的にも圧倒的に得だった。しかし不幸なことに、新しいマシンを買いに行った秋葉原で、とんでもない物を見つけてしまった。「あなたにもできる!!自作パソコンのすすめ」という本がそれである。題につられてついこの本を手にしたことから私の人生は大きく変わる。早くも翌日にはパーツを求めて秋葉原をうろつく男の姿を見つけることが出来た。はまりやすい男なのだ。
 
 平成8年は振り返れば、やっぱりパソコンと蕎麦の年になる。パソコン自作という新しい趣味を得た私は、これに没頭。使用目的不明のまま、三台を自作。一台は嫁入り、後の二台は自宅で出番を待っている。その間,LANで繋ぐなど意味不明のことをして喜んでいる。こんなことで、自宅でじっとしている時間が圧倒的に長かったことがご理解頂けたと思う。

 パソコンの趣味は、自作からインターネットへ、そして蕎麦と融合して、蕎麦のホームページの開設へと発展していくことになる。 ともかく、そんな訳で、完全な運動不足状態となった。 /BODY>

 第四は、アメリカ出張である。アメリカ出張自体が悪いわけではないが、4日間のロス滞在中に、せっかく来たからとステーキを食べまくったことがいけなかった。しかもわざわざ「BIG」なステーキと注文するのだからたまったもんではない。皿からはみ出そうなBIGなやつを持ってきたウエートレス嬢は、だいたい決まって、ニヤっとしながらそれをテーブルに置く。柔な日本人にこれが食えるか、といっているように感じる。これと全く同じ経験をしたことをふっと思い出した。
 
 それは東京の本格的インドカレーの店だった。一緒に行った友人についつられて、「HOTにして」と言ってしまったのである。その時のウエーターの表情は残念ながら見ていない。今想像すると「この生意気な」というような顔をしていたのではないかと思う。出してきたカレーがとびきり辛かったことは当然である。一口食べて、インド人にHOTなんて言うんじゃなかったと後悔したが、先に立たないのが後悔である。

 しかし自分も日本男児、負けてなるかと全部平らげた。まるで我慢大会である。帰りにお金を払おうとキャッシャーに行ったら、「いかがでしたか」と店のインド人が声を掛けてきた。ニヤっとしながら。別に意地悪で特に辛くしたわけではないと思うが、民族の誇り?にちょっかいを出したことになるのであろうか。日本の寿司屋さんが外人に、「さび効かして」といわれたらどうするだろうか。自分なら「コンニヤロー」とばかりに、思いっきりべっとりと入れて、涙をこぼしながら辛いと言えずにそのまま飲み込む姿を見て、溜飲を下げるだろう。この程度のことであれば、お主なかなかやるな、という程度で笑い話で済みそうである。私と同じ経験をしてみたいと思う方は、一度同じように注文してみられたらどうだろうか。

 10月の末のこの出張が安定していた私の体重を上方に押し上げるきっかけになったことは間違いない。中国旅行では、行く度に若干ではあるが痩せて帰ってくるのが普通である。水が合わないというのか行く度に初日から下痢になってしまう。せっかくの中華料理も楽しむどころではない。おかげで帰国する頃には頬が少しこけてくる。元々おなかが敏感すぎる私である。肥満にはアジアがよいということか。アメリカ方面は鬼門である。行ったらまたBIGなステーキを食ってしまいそうな予感がする。

減量を決意するに至った動機

 なにしろ、食べたいものを、食べたいときに、食べたいだけ食べ、飲みたいものを、飲みたいときに、飲みたいだけ飲んでいた私である。その私が減量を決意するまでには、様々なことがあった。減量を決意するに至った気持ちを整理すれば次のようになる。

 その一、病気になりたくなかった。

 一言で言えば、早死にしたくないということ。父が糖尿病が原因で亡くなったのが、65歳の時。40代に発病。糖尿病は遺伝性の体質と言われているので、30代から気にはなっていたが、具体的な対応は何もしていなかった。糖尿病には肥満が大敵と聞いている。にもかかわらず、体重が増加を始めたので、早晩何とかしなければならないと思っていた。人間ドッグでも、最近、負荷血糖値が高めとの指摘を受けていた。

 また、高校時代に痛めた腰が今でも時々痛む。腰痛にも肥満が敵である。さらに、数年前から検査の度に、脂肪肝ですよ、酒の飲み過ぎですよといわれ続けており、これも抜本的な対策を求めていた。三十代ならともかく人間五十を目前にすると強がりは言っていられないのである。

 その二、が入らなくなった

 禁煙する二年前までは、十年間以上もほとんど体型が変わらなかったので、背広もワイシャツもほとんど同じサイズであった。これが全部着られなくなったのだから被害は甚大である。ベルトも穴二つは太めになった。ワイシャツの首周りが窮屈になるのは本当にいやなものである。苦しいのですぐボタンを外したくなる。ついでに、ネクタイも緩める。だらしない格好になってしまう。それもこれも体に合わないワイシャツのおかげである。

 余談だが、痩せてきて昔の服が着られそうになってきたので、留守宅の妻に「古い服も着られそうだよ」と電話したところ、「あら、全部バザーに出しちゃったわよ」とのことであった。まさか減量に成功するなんて、家族も信じていなかったわけだ。

 その三、少しは格好良くいたかった。

 今更格好を気にして何になると思う人は思えばよい。ある日鏡を覗いて、愕然とした。どこまでが顎でどこからが首か全くわからない。顔の輪郭が変わってしまっている。こんな筈では、と思っても後の祭り。そこにいるのは単なる中年の腹が出た小太りのおっさんである。まだ一花ぐらいは咲かせたいと思っている私としては、これではいけない。少しはかっこいいおじさんでいたい。そのためには減量に取り組むしかない。これが大きな動機になっていることは否定できない。

 その四、知り合いに太ったねとしみじみ言われた。

 「太ったね」この簡単な言葉がこんなにも人の心にずしんと響くものだったとは。これまで何気なく自分も使ってきただけに、言葉の持つ意味の重さに改めて考えさせられた。実際太ったのだから、おっしゃるとおりで反論のしようもない。中年の男でもこれだけショックを受けるのだから、若い女性の前では冗談にしろ絶対言ってはいけないことである。立派なセクハラである。ただし何とかしようと思うきっかけとなったことは否定できない。

 その五、年賀状でつい五キロ減量を宣言してしまった。

 「筆まめ」を使って時間切れ寸前に作った年賀状、その中に何を思ったか「今年は5キロ減量します。」と書き込んでいた。消すかどうか考える暇もなく、印刷し、そのまま出してしまった。一つには、大声を出して「減量するぞー」と叫べば引っ込みがつきにくい、つまり、のっぴきならないところに自分を追い込むことになると無意識に思ったのであろう。

 これを見た妻の妹たちが「お兄さんこんな年賀状出して、来年年賀状が出せなくなるんじゃないの。」と話し合っていたと聞かされたことも、私のやる気を大いに盛り上げてくれたことではあった。

DIETの実際

 前置きが大変長くなったが、いよいよ本題に入ろう。私の減量作戦は本屋から始まった。何から取りかかったらいいか、それを求めて本屋に行った。私は幸運であったといえる。たまたま手に取った「−ビジネスマンの肥満脱出BOOK−1600kcalで10kgやせる」は、私にぴったりの本で、結果から言えばこの本を買ったことがdietを成功に導くことになった。 この本を熟読玩味した私は、概略次のようなことを決めた。

 以上を総合すると、結局日本人のダイエット食は、昔、祖母や母が食べさせてくれた普通の家庭食、野菜中心のおかずとご飯の食事であるとわかってきた。ご飯の量を減らせば直ちにdiet食になる。そういえば昔の日本人に太った人は少なかったような。問題は、外食ではこういう食事は食べられないということ。可能な限り、自宅で食事するようにするのが大切である。昼食と宴会が困る。外食はほぼ例外なく高カロリーである。うまければともかく、うまくもなく高カロリーでは合わない。カロリーが高くて有害と思うものは食べないか、残す。これに徹することである。
 dietの準備段階で大切なことがもう一つある。それは、体重計である。dietに体重計が必要なことは誰でもわかるが、100g単位のデジタル体重計をお奨めする。100g単位の変化を敏感に計ることがdiet成功の秘訣の一つであると思う。

dietの実行

 正月に食べたいだけ食べた私は、ついに1月10日、減量作戦を開始した。手始めに単身生活1年半の間、持たずに済ませていた炊飯器を新たに購入した。カロリー表示付きの料理の本も何冊も用意した。米を自分で買ったのも初めてであった。

 効果はすぐに現れた。4日目から減り始めた体重は、一週間後には1.8kも減った。正直なところ、こんなに簡単に痩せていいのかなという印象であった。私の教科書には、最初の一週間には効果は現れないと書いてあったからである。しかし、さすがに2週間目には減少が完全に止まってしまった。

 横這い状態は、ほぼ一週間続いた。ここが辛抱のしどころであったのだろう。3週間目からは、再び減少に転じ、増減しつつも確実に減少し、その週の終わり頃には3k以上の減量となっていた。
4週目の終わりには4k台の中頃となり、5週目には瞬間的にはマイナス5kを記録したが、全般的には前週と変わりなく、停滞傾向を示した。

 これには少し理由がある。このころから、外見的にも私のdietの効果がわかるようになってきた。友人同僚は、減り方が急激すぎると、ペースを緩めるように私にアドバイスしてくれた。私自身は食べるものは食べているし、全く不安は持っていなかったが、知人のお医者さんにも、「あんまり急に痩せると良くありませんよ」と言われるに及んで、さすがの私の決心もややぐらつき、最初の3週間よりは緩んだ食事とした事情がある。6週目も一旦かなり下がったが、その後増加し、前週と大きな変化がない。

 思っていた以上にスムーズに減量できたなというのが今の感想である。まだ途中段階ではあるが、禁煙に比べれば、食事をコントロールすることなどそれほど大変なこととは思わない。空きっ腹で四六時中うなっているならいざ知らず、いくらでも食べられるのである。もちろん無ないし低カロリーのものに限られるが、ともかくおなかは一杯に出来る。こんにゃく、キノコ、海草などは栄養素も豊富で、しかもカロリーはほとんどないという、ダイエットには絶好の食品である。これに白身魚の切り身を入れて、鍋物などで楽しむのも冬は最高である。もちろん、酒はうすーい焼酎で我慢する。ご飯は軽く一杯。こういう食事なら、栄養に偏りも出ず、必ず痩せられる。

 朝は、みそ汁、納豆か豆腐の冷や奴、生卵にご飯を軽く一杯、外で食べるお昼は、油ものは敬遠し、ご飯は多い分を残す。かつて通っていたインドカレーの店や、ラーメン屋、天ぷら屋に豚カツの店は当分行かないことにした。焼き肉もしかり。よく考えれば、自分がこれまで好きだったものは、ほとんどが禁止食品になってしまった。

 ただし、禁止とはいってもあまりに厳密に守ろうとすることは、かえって長続きしないことにもなる。私はどうしても食べたくなったときは、とことん我慢しないで食べることにした。以前と異なるのは、この場合でも量を半分とか3分の1にしてカロリーの摂りすぎを防止した。意外にも、自分で気がついたことは、特定のものを食べたいという衝動は大きくても、これをたくさん食べたいという気持ちは必ずしも強くないということである。

 食べたいなと思っても、ほんのひとつまみ、一切れ食べれば納得するということが多くあった。腹が減ったというよりは、口が飢えているということなのだろう。果物にしても然り。バナナが食べたいときは2センチぐらい切って食べたらいい。結構満足できるものだ。ぷっつんして馬鹿食いする事だけは止めるべきだ。

 減量を趣味とすること

 今の私を支えているものは何だろうか。もっと食べたい、好きなものを食べたいという衝動が全くないわけではない。時に無性に食べたくなることもある。焼鳥屋で一杯、、、やりたい。多くの誘惑を何とか乗り越えてここまでこられたのは、

 第一に、痩せたい気持ちが強かったことはもちろんである。

 第二は、みんなに言ってしまったから後には引けない、男の意地である。他にもいろいろあるが、何よりも私の場合は、DIETに熱中し、趣味化することが出来たからではないかと考えている。元々凝り性の私である。うまく趣味にしてしまえば、後は一心不乱、目標に向かって一直線である。夜の計量で体重が減少したことを確認するその刹那的快楽のため、一日を辛抱するのである。私と同じ性格の方は絶対にDIETに成功できます。保証します。違う性格だと思う方も、痩せたいと思う気持ちが強ければ強いほど成功確率は強いと思います。頑張って下さい。

 あまり時間を掛けない

 急に痩せるのは体に良くないといわれるが、きちんと必要な栄養をとりながら、カロリーを抑えて痩せていけばそれほど問題ではないと思う。私の経験では、月に5sぐらいは痩せることは出来る。ただ、痩せるときは脂肪分だけでなく筋肉も痩せていくらしいので、この点には注意が必要である。心臓の悪い人の場合、心筋が痩せて、心臓麻痺になることもあるらしい。まあ、月3sぐらいを目標にしていくことが、穏当と思われる。

 問題は、時間を掛けて少しずつ痩せることが極めて困難であると言うことである。毎日毎日成果が出ているからこそ、明日も頑張ろうということになるのであって、これが一進一退であればなかなか頑張りにくい。従って、目標を持ってある一定期間に達成するように努力する方が簡単である。

 私の場合、76sからまず5s減量を目標として始めたが、約一ヶ月半で達成したため、調子に乗って理想体重の69sを次の目標として設定、努力中でる。これも達成できそうなところまで来たので、次は軟着陸の準備をしなければと思っているところである。

 DIETのマイナス面

 飲み会のおつきあいがしにくいことはやむを得ないとしても、食べる量が、一日のエネルギーを賄えないのであるから、昼食、夕食の2時間ぐらい前になると、急にからだから元気がなくなる感じがする。猛烈に空腹も感じる。

 また、一日中下腹に力が入らないような、なんかふわふわしているようなそういう頼りない状態になる。従って、仕事が忙しく、毎日体力を消耗する方にはお奨めできない。仕事がしばらく暇なときにチャレンジすることがベターである。

 運動の必要性

 DIETには適度な運動が必要なことは、あらゆる書物で力説されている。ただからだのエネルギーを抑えているので、あまり激しい運動はしないほうがいいらしい。早めに歩く、などが奨められている。私の場合は仕事柄あまり日常生活に運動がない。太った理由の一つもこれなのだが、出来るだけ徒歩に努めることで今のところはお茶を濁している。

 体脂肪率を20%以下とすることを次の目標として、運動に取り組むことを考えている。この間計ってもらったら、23%と、高めで、やや肥満との判断であった。ただ言えることは、運動はDIETの必修科目ではないということである。私の例を見るまでもなく、それほど運動しなくっても、カロリーコントロールだけで痩せることは出来る。要はやせ方の問題である。

 半年後の現状

 本日は7月25日、ダイエット開始以来ちょうど半年が経過した。3月27日朝、68キロジャストを記録したのが最低体重となった。開始以来約80日であった。それ以来は体重を減らすよりはいかにして安定軌道に乗せるかとなった。以来4ヶ月、リバウンドとの戦いは今も続いている。減らした8キロの内、既に3キロを取り返され、陣取り合戦の模様だがどうも一方的にこちらがじわじわと負けつつあるのが実態である。痩せることよりもそれを維持することがいかに難しいか、それを思い知らされている。

 
平成10年元旦、体重は73キロ 
難しいのは痩せることより、リバウンドを抑えることでした
 

平成14年3月2日、体重は77キロ
一体あの時のダイエットは何だったのか????
再び辛い毎日が訪れています。

平成16年7月数々の挫折を乗り越え、板倉は再び困難なダイエットに挑戦することとしました。
さて今回は、、、、、、次をクリックしてください。
 



 板倉再びダイエットに挑戦 平成16年編
 

 

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