「ソ連共産党なしの15年間:ロシア人は回帰を望んでいる」

(本紙政治解説員アンドレイ・コレスニコフ)

15年前、19918月、ミハイル・ゴルバチョフはソ連共産党書記長を解任された。多年にわたり巨大な帝国を統治していたボリシェヴィキ党の歴史は、ソ連邦の歴史とともに幕を閉じた。ソ連共産党の運命は、ペレストロイカが始まり、その後1987年から議会へ、つまり事実上の国会機関へ徐々に権力移行することで、すでに決定されていた。党がペレストロイカとグラスノスチを“生み出し”、ペレストロイカとグラスノスチが党を破滅させた。公然または隠然のスタ−リン主義を放棄する苦難な道、レ−リンの著作の中にソ連共産党にとっての真のイデオロギ−的基礎を模索しようとしたゴルバチョフの試み(彼は国が事実上マルスク・レ−ニン主義を放棄した時でさえ、レ−ニンの著作を読み続け、再度また読み直した)、1990年に“ソ連共産党に民主綱領”と正統スタ−リン主義共産党が誕生すると表面化した党の事実上の分裂、こうしたことは全て、党が自然的に終焉する途上における“社会の指導的力、志向力”の転換契機であった。ソ連共産党はソ連邦の基盤、その頭脳、心臓、骨組みであり、国家なしに党が存在できないように、党なしに国家は存在できなかった。共に不幸の中に生き、お伽噺のように一日で死滅してしまった。ク−デタ−一派の敗北は、ソ連邦の不可避的な終わりとソ連共産党の崩壊も意味した。ミハイル・ゴルバチョフは党を救おうとした。1991725日〜26日、ソ連共産党史最後となる中央委員会総会で、党の新綱領を立案すると決定した(ヴォリンスキ−の国有別荘で党のシンクタンクは5つの綱領案を準備した)。綱領の構造からみて提案について判断すると、綱領案は書記長の伝統的報告と比べ、構成も内容もあまり相違があるはずもなかった。冒頭は国際情勢についての“演説”(現代文明社会の特徴。相互に結びついた一つの世界)、その後はこれまでの評価(ソヴィエト社会:歴史的経験、現状、発展の傾向)、そして党活動の世界観の基礎。周りは全て騒然とし、崩壊しつつある中、この課題は一筋縄で解決できるものではなかった。国有別荘のデスクワ−カ−は、結び目が綻びた国の内部で起きていることにあたかも気づかないふりをしながら、「マルクス主義、レ−リンの遺産と党との関係について定義し、この学説の歴史的制約や、過渡的な部分や普遍的な部分について明らかにして、社会主義と共産主義に対するアプロ−チのしかたを究明しよう」と提案した。共産主義とは何か(将来の社会、運動の目標、理想的モデル、イデオロギ−)、そこにどの程度接近しているのか(あるいは離れているのか)、こうした問題に対し回答を求めようとした。我々の現代の世界観は、今世紀初めあるいは30年代の見解と何が異なっているのか、示そうとした。こうしたことは党書記長やわずかな党知識人だけが関心をもつ純粋なスコラ哲学的問題だと言うべきだろうか。そして、社会がもつ現実的関心や、ノ−メンクラトウ−ラの塀の外で起きているプロセスに対し、マルクス主義者の「ビ−ズ玉遊び」はいかなる関係もなかったと言えるだろうか。綱領には新たな主権国家同盟に関する章も入るはずだった。この章の入った最終綱領を承認するため、1991年末に第29回党大会を招集すると決定された。だが党大会にかわりに、ソ連邦崩壊という、厳粛なる公式宣言が行われた。ペレストロイカ時代、あらゆる憎悪の対象となった党の解体から15年、世情は大きく変化した。先ずソ連共産党史は、共感のない、ただ教科書に載せるだけの価値しかない、本当に遠い過去のものとなった。第二にロシア人の政治的無気力、シニシズム、疲労感は、ソ連共産党に対する態度がショッキングなまでも肯定的になる、それほど深刻なのである。財団「世論調査」の最新アンケ−ト調査結果によると、ロシア人の51%は「ソ連共産党は有害なものより、有益なものを国により多くもたらした」と考え、15%はこの正反対の考えであった。同じく51%はソ連共産党下で何か学ぶものがあったと考えている。ロシア人の多くが一党体制、「統一ロシア」党の特別な役割を受け入れる用意があり、かつては嘲笑アネクド−トの登場人物しか見られなかったレオニド・ブレジネフの時代では、国は最も強く最も良い暮らしをしていたと、この人物を評価していることに驚くべきだろうか。ソ連共産党をもう元に戻することはできない。おそらくまさにその中に、ロシア人のノスタルジアが潜んでいるのだろう。だがいずれにしれも、独裁体制の中核をなし、ゴルバチョフ時代まで事実上スタ−リン主義であった党に対する今日のロシア人の態度は、倒錯した歴史観の魔力を証明するものである。しかし同時に歴史の教訓は非合理的なものを教えることはないことも、歴史は教えている。