ベスラン後:ロシア政府の強硬方針

アレクセイ・マカルキン

 

  ベスランの悲劇はロシアの現代史に前例がない。人質数百名の死、その中に多くの子供もいたが、これは約二年前のミュ−ジカル劇場「ノルド・オスト」以上に社会をトラウマにさせた。モスクワのドウブロフカの人質事件は第二次チェチェン戦争で無事残存したチェチェン独立派の数少ない大組織の一つが行った単独犯行と見なされたが、今回問題はそれが、ロシアが受けたテロ攻撃の一環であることだ。このテロ攻撃の一つは航空機の爆破であり、一つは地下鉄「リガ」駅付近のテロ事件である。したがってプ−チン大統領を中心としたロシア政府の反応も、大統領が「全面的で残忍な総力戦」と評した挑戦に見合った大規模なものだった。

 

  「ノルド・オスト」劇場テロ事件は人々の死にもかかわらず、ロシア社会は勝利ととらえた。当時人質解放作戦は最短時間ですみ、ロシア人は安堵した。当初の死亡者数はさほど多いものではなかったが、病院で続々死亡しているニュ−スが流れた時にはテロ事件への関心はすでに薄れ、人々の意識は危機状況でも精神のバランスを保てる防衛本能を身につけようとしていた。さらに人質の大半はそれでも生きていた(人質の健康問題は別の問題だが、社会の関心の的にならず、これは自分の精神がトラウマに陥らないようにできるだけ早く悲劇を忘れようとしたからだ)。

無条件の英雄になったのは、特殊部隊「アルファ」の隊員だった。テロリストは数分で殲滅され、武装集団にたいする連邦政府の優勢を確固としたものにした。独立派の“最後のあがき”のように思われた。

 

  それ故ウラジ−ミル・プ−チンは当時、より厳しいテロ防止法の提案にとどめ(さらに社会的に見れば最も議論を巻き起こす、テロ事件時のマスコミの検閲法案も否決された)、多くの者には予想外となった“チェチェン化”政策(チェチェン情勢の管理を共和国政府に移譲すること)のいっそうの促進にとどめた。

  ちなみに「ノルド・オスト」劇場事件後数ヶ月でチェチェンでは早くも新憲法草案の国民投票が行われ、続いて大統領選挙が行われた。あらゆる点から判断すると、クレムリンではアフマド・カデイロフの論理を採用していた。これは、その権限を拡大し、チェチェン政府に独立派と戦う機能(その管轄する部隊に恩赦武装犯の投入も含め)を移譲すれば、チェチェン共和国内の過激派鎮圧問題は解決できるというものだった。

 

  今状況はまった別の様相を見せている。ベスランのテロ事件はチェチェン及びチェチェン外で遂行されたその他いくつものテロ事件の“一環”となった。この中には622日のイング−シテロ事件、8月のチェチェン首都グロズヌイの武装襲撃事件、“チェチェン化政策”のリ−ダで象徴であったチェチェン大統領アフマド・カデイロフ暗殺事件、中央ロシアの一連のテロ事件などがある。

  過激派鎮圧に成功しなかったことは明白で、カデイロフ前大統領の後継者アル・アルハノフにこれができるとさほど期待はもてず、ましてや現大統領が新しい共和国統治体制をどれほど効果的に作り上げ(これまでの統治体制は暗殺された大統領が直接構築した)、ラムザン・カデイロフの人たちとの協力問題を解決できるか、不確かである。

  こうした条件では新たなテロ事件がチェチェン外も含め発生する公算は高く、社会はトラウマ状態から脱却し、“のんびり”することもできない。

  モスクワに“第四の女性自爆テロリスト”がいるとか、ロストフ州に二人の女性テロリストいるとか、ニュ−スが流れ、暗い不信か、あるいはパニック的雰囲気をいっそう助長している。

  

  一方、テロリストを撲滅したにもかかわらず、ベスランの世論は勝利とは見ていない。それというのも、市内の戦闘は半日も続き(最後の武装犯、その首謀者マゴメド・エヴロエフも含め、殺害されたのはやっと夕方遅くなってからだった)、多数死亡したという恐ろしい情報はきわめて早く明らかにされた。それで事態は掌握されていなかった、そうした印象が生まれた。

国家も社会も、テロリストにとって状況は最早展望のないものとなった時でさえ、人質に乱射した狂信者の前では、事実上無力であった。テロ防止作戦に投入された多数の軍警察組織は、惨劇を防ぐことができなかった。すくなとも犠牲者を最小限にすることができなかった。

 

  そしてこうした惨劇が示すことは、現在にいたっても、テロ事件の予防につながるテロ地下組織の一掃や、そのスパイ浸透問題が解決されていないことだ。問題は第一次チェチェン戦争の若干の残存分子(当時政府は敵の指導部構成をよく知らなかった)がのこり、たんなる狂信者だけでなく、主にある程度社会の一員である戦争で傷ついた(“黒い寡婦”)人たちか、それとも戦争にほとんど生涯をささげた人たちで構成される、そうした組織との戦いであることは明白だ。

 

  ベスランの悲劇は北コ−カサス地域全体に爆発の危険性があるという問題を明らかにした。“鎮火した”オセチア・イング−シ紛争のテ−マが再び緊急テ−マとなった。政府がテロリストの名を公表しようとせず、その多くは外国人だという点に注意を向けていることも、偶然ではない。イング−シ人の名を公表することは、ほとんど表面上とはいえ、ここ数年の間で“和睦”に成功した隣国にたいし、敵対する感情を爆発させることになるかもしれない。ロシアとグルジアの関係にきわめてネガテイブに直接影響する“二つのオセチア”問題を想起すればわかることだ。

 

  イング−シには二年ほど前、モスクワからの強力な圧力で刷新された共和国指導部では対処できない、イスラム原理主義過激派「ジャマ−ト」が活発に行動している。622日のイング−シ事件が示したものは、彼らが警察治安機関も含め広い連絡網をもっていることだ(これはベスラン悲劇を分析する上でも重要だ)。ベスラン事件は危機の日々にもベスラン市入りさえしなかった“クレムリンのまわし者”、現イング−シ大統領ムラト・ジャジコフに対し、元イング−シ大統領ルスラン・アウシェフの権威を大きく高めるかもしれない。コ−カサスにおける連邦政府の活動にきわめて批判的な態度のアウシェフは、連邦政府にとって都合の良いパ−トナ−ではない。

  

  しかもイスラム過激主義が当面の問題でないと思われる北コ−カサスの各共和国の事情も、安心できる根拠があるものではない。カラチャエフ人とチェルケス人の軋轢はただちょっと鳴りを潜めただけで、解決したわけではない。さらにこの前のカラチャエフ・チェルケス大統領選挙はカラチャエフの共同体内部に深刻な矛盾が存在することを明らかにした。その一方は共和国元大統領を支持し、もう一方は新大統領を支持した。

 

さらに複雑なのがダゲスタンで、ここでは2006年共和国史上初めて大統領選挙が行われる。この選挙はダゲスタン最大のアヴァ−ル人とダルギン人の共同体間の矛盾、そして共和国の現指導者たちと、エリ−ト層よりも、むしろ直接住民に支持を求める野心旺盛な野党勢力との間の矛盾、こうした矛盾の刺激剤になるおそれがある。

ハサヴュルトでの最近の衝突(これには内務省機関の人間まで投入され、きわめて危険なことだ)はさらに大規模な危機を前にただ初めて顕在化した現象かもしれない。確かにダゲスタンは共和国軍と侵入したバサエフとハッタブ部隊と対戦した1999年当時からすでにこの地域で過激派と対峙する連邦中央の拠点と見なされている。

 

このように、土曜日の大統領演説でまだ大まかだが示した決定的対策には客観的前提条件が存在する。そこで“国の結束を強化する総合対策”が何を意味するのか、それはまだはっきりしない。おそらく、最近明らかに低下している(特に新しい全権代表に元連邦各大臣がなり始めてから特にそうだ)連邦管区の大統領全権代表の役割が強化されるだろう。

“国の結束”とは、中央から見て過激派と戦う能力のない各地域の首長にたいし、いっそう厳しい方針でのぞむことを意味しているのかもしれない。もしかしたら、近々彼らは解任されるかもしれない(ちなみにロシア大統領は現在、チェチェン共和国にたいしてだけ、こうした権利を付帯条件なしに行使できる)。

こうした措置は中央と地域を発展させるという基本的論理と矛盾するものではない。すでに知事は(上院議員としてもっていた)不可侵権を失った。大統領は彼らが刑事犯罪をおかした場合、解任することができる。さらに首長が経済問題に対処できない地域において、財政管理の導入に関する法律が制定された。そこで最近知事が起訴された多くの刑事事件についても思い浮かべるとよい。

 

「北コ−カサスの情勢を監視する力と手段の連携の新しいシステム」とは、この地域で行動する連邦及び地域の軍警察機関を担当する専門機関の設立を意味するのかもしれない。そこでこれは、特別にチェチェンと関係しない問題にたいしても、総合対策である可能性がかなり高い。

チェチェン共和国の現場の軍警察活動にたいし、中央の管理が強化されることはきわめて当然なことだが、“チェチェン化”政策は公式には継続されるだろう(例えば、近々国会選挙が行われ、これでチェチェンにおける全ての権力関係の形成は完了する予定である)。

 

「効果的な危機防止管理システム」とは、連邦政権内にテロ対策組織を設立することも意味しているかもしれない。この組織はこの方面の活動に責任を負うだけでなく、新たなテロから生まれる危機的状況時に排他的統制権をもつかもしれない(例えば、911日後、米国では国内安全省が設立された)。この組織の管轄に当面、その管轄系統に関係なく、テロ発生地域に所在する全ての軍警察機関は自動的に組み入れられるだろう。おそらく、テロとの戦いでは軍警察機関の権限は拡大するだろう(これに関し、米国の“愛国行動”がある程度類似しているかもしれない)。

そしてこの組織は、単独組織の可能性も捨てきれないが、連邦保安局内に設立される可能性が高い(さもなければ、この官庁の機関として比重はただ省の地位を得ただけで、はっきりと低下するだろう)。

 

軍警察機関の権限統合の可能性も完全にすてることはできない。つまり、KGBの事実上の復活である。こうした考えは時々、公開の場で議論されている(最近では連邦保安局の新たな地位に関して)。しかもテロとの戦いというテ−マは、こうしたプロセス開始のきっかけになる可能性がある。実際のところ、問題は近い将来完全に克服しえない内外の脅威が連携していることにある。現在の非常事態では社会も、こうした措置を以前より前向きにとらえることは明らかだ。何故なら、軍警察治安機関に大きな不満がありながらも、彼らだけが我が国が攻撃をうける中、テロからの“救援者”として行動できるからだ。軍警察機関の影響力強化に反対する政治勢力、社会勢力は今ではきわめて弱体化し、事実上国会で代表していない。

 

こうした措置全て、憲法改正なしで実行できると言えよう(大統領がそのテレビ演説でこのプロセスは憲法に完全したがって進められるだろうと強調したことも偶然ではない)。政府と国会の支持は確保されている。問題は各省庁の利害、特に軍警察機関の利害の触れる具体的条項を検討する際にのみ発生するかもしれない。

 

さらに大統領演説の中で、その中にないものこそ注意をひくものだ。まさに国際連帯と反テロ同盟に関し発言がない。そのかわり、ロシアは核超大国の一つであいかわらず脅威であると考え、テロリストを支援しているある勢力の存在について言及している(今年プ−チン大統領がロシアの人道団体を外国機関が支援したことや、ウクライナでの西側の活発な行動について非難したことと自然と比較してしまう)。

テロ犠牲者にたいする万人の同情や様々な国及び国際組織から武装集団の行動にたいし非難がある中、こうした動きは一見、当惑させるかもしれない。だがロシア大統領の立場にはそれなりの論理がある。

 

第一に、ほとんど西側どの国も、過激派に対抗する問題でロシア政府の強硬路線に公然と同調していない。プ−チン大統領はテレビ演説でこの路線の正しさをあらためて確認発言した。唯一イタリアの外相フランコ・フラテイニだけが、まだ悲劇が起きる前に交渉拒否はテロとの戦いで基本原則であると表明した。だがこれはどうやらプ−チン大統領とベルルスコ−ニ伊首相の特別な関係の結果であり、例外のたんなる確認である。

その反対にオランダ外務省は悲劇に関しロシア側に説明を求めたが、厳しい回答をもらった。直接的には侮辱的態度を非難され、また間接的には“アフメド・ザカエフ”のような人物の支援にたいし非難された。

世論を形成している西側マスコミについて言うと、その多くは事件に関しテロリストだけでなく、チェチェンにおけるロシアの政策にも直接責任あるとしている。

 

第二に、西側諸国の政府はチェチェンの出来事にたいしその立場を軟化させているとはいえ、しかしあの地域の独立派を“テロ”グル−プと“政治”グル−プに区分することを止めようとはしない。政治グル−プの代表者たち(アフメド・ザカエフ、ウマル・ハンビエフ、イリヤス・アフマドフ等)はたんに西側に住んでいるだけではなく、モスクワには明らかに不満があるにもかかわらず、その一部のものはそこで政治亡命か、あるいは難民の地位を得ている。しかもチェチェン問題に“詳しい人間”としてマスコミに積極的に起用されている。

 

こうした立場がベスランの悲劇後も変化する、いかなる兆候も今のところない。ドウブロフカ事件後、有名な“デンマ−ク危機”は比較的速やかに解決されたが、今西側に対するロシア人のはっきりとした苛立ちは、はるかに深刻なものである。

このようにウラジ−ミル・プ−チンは国際問題としてではなく全社会の動員を求める、民族問題、ロシア問題として、テロリズムとの戦いに神経を集中している。目標は最大限引き上げられ、国に布告された戦争、そうした関係にテロ行為を入れることだ。

 

過失者探しは、これはすでに決定されていることだが、将来にもちこされた(とはいえ、罰をうけることはイング−シの前例が物語っている)。これに関し、軍警察機関と政権内及び社会における軍警察の反対者の間で、新たな戦いが起こるかもしれない。軍警察機関は権限不足だと言うだろうし、その反対者は事件に対する軍警察機関の責任を強く求めるだろう。多くの兆候から見て、この戦いはすでに始まっている。

 

一つ明白なことは、ベスランの悲劇後、ロシア社会には最も決定的措置がテロに勝利する希望を与えるのであれば、それを肯定的に受け入れる状況が生まれた。

 

200495

アレクセイ・マカルキン(政治テクノロジ−センタ−副所長)

POLITOCOM.RU

訳出 飯塚俊明©