ロシア最新ニュ−ス
2000年8月分履歴
8月31日(木)
“我々は何を、クリルは何を”(完)
-ロシア大統領訪日前、若干の考察-
(独立新聞、8月31日、ユ−リ・シネリニク:ロシア国家漁業委員会議長)
数日後ロシア大統領は訪日する。最近両国の関係は雪解けである。これは最近の沖縄サミットでのプ-チン大統領にたいする日本側の特別なもてなしを思い起こせば十分である。それでも両国間の最大の“とげ”、つまりクリル問題にはおそらく今回も東の隣国が触れてくるだろう。東京への途中、大統領がサハリンに立ち寄ることは無駄ではない(クリル諸島はサハリン州の一部である)。
最近まで島に関する論争は事実上なかった。これは戦後の世界体制が不動なものと思われていたし、ヤルタ会談の決定で全クリル諸島とサハリンは“永久”にソ連邦に帰属するものとし、またポツダム宣言では“完全無条件降伏”の後、日本の主権は本州、北海道、九州、四国、それに我々が指摘するさほど大きくない諸島に限定する“と指摘してあるせいである。言い換えれば、完全無条件降伏の原則により、日本には平和条件を審議する法的主体性と権利がなかった。こうした文書を根拠に1946年1月29日、日本駐留の米国軍政府は命令677を発布し、日本の管轄権から例外なしに全クリル諸島が除外された。
問題は片付いたと思われた。ところがソ連邦崩壊時、わが隣国は新生ロシアにたいしきわめて厳しい調子でクリル問題を提起し、この問題と両国関係全体の今後の発展とからめ、この諸島を“係争中の領土”と宣言したのである。どのような議論の根拠にも疑わしい点はある。それでも世界は戦後体制に関するこうした文書を疑問視していないことはたしかだし、同様に法的根拠のある国際権利をソ連邦の正当な後継者として保持しているロシア国家の存在には誰も疑っていない。
猫をかぶらないで正直に言えば、ロシア人(もっとも日本人にも)はクリル問題にたいし態度が一つではない。我々にとってこの“わずかな土地”の意義は後に述べるが、今は国の官吏としてではなく、一般国民として“引き渡す、引き渡さない”問題について個人的見解を述べるつもである。
もし戦後体制の磐石性がゆらぐのであれば、世界は新たな再編の時代に突入する。これには足元の例をあげれば十分である。たとえば政治的運命がクリルと類似しているカリ−ニングラド州を例にとってみる。これらはわが国の最も東端と西端に位置している。両地域とも1945年ポツダム会談の決定でわが国領土となり、似たもの同士となった。
私はカリ-ニングラド出身者であるので、戦後体制の不動性に少しでも疑いがでれば、すかさず同州に衝撃がはしることは理解している。今、ドイツにたいする同州の“売却または譲渡”の可能性については、ただ極端論者だけが論じている。けれでもクリルが先例となれば、報復主義者は待つことをしないだろう。
クリル問題にアプロ−チする根拠とすべき唯一有効で法的強制力のある国際法上の文書とは、ヤルタ、ポツダムの戦勝国の決定と1951年サンフランシスコでの51カ国が署名した日本との講和条約である。
地の果てにあるわが国の“わずかな土地”を“引き渡す、引き渡さない”問題に立ち返るとする。訪日準備にあたり、ロシア国家漁業委員会は目前に迫った交渉となる“サハリン(クリル)条項”の経済的側面の検討、すなわち両国による太平洋極東海域の水産資源開発問題全体と結びついた列島地域における漁業状況の調整に関する提案の作成に加わったのである。
今日両国の“領土論争”はますます、漁業、水産面に向けられている。日本人はまさに“係争中”の諸島のまわりでの操業実施を主張し、そこでのいわゆる“安全操業”を求めている。言い方をかえれば、わが国の排他的経済水域でロシアの漁業法規ではなく、自国の漁業法規での操業を求めているのである。誰が何と言おうが、日本人の領土主張の真意とは、経済的なものである。クリル列島の海域は、世界の海の中で最も豊富でしかも最も貴重で価値のある水産資源のある場所であり、したがって本質的に問題はその所有権のことなのである。
クリル列島は1200kmあり、オホ−ツク海と太平洋を隔てている。ここはロシアのカムチャッカと日本の北海道の間にある火山列島の連なりである。“ホット”な問題となっているのが、択捉、国後、色丹、歯舞の四島のことである。これらの島そのものは特別興味深いものでない。インフラ未整備の小さな村落があり、ほぼ毎日地震がある。クリルは“宝のもつぐされ”のようなものだと言った者が正しいように思われる。しかしこれらの島々の本当の豊かさは、その周りの二百マイル経済水域であり、事実上それにたいする主張なのである。ここは最も豊かな漁業海域なのである。列島海域の漁業資源は年間約10億ドルと見られている。ここにはまた海洋養殖を発展させるあらゆる条件がある。特にアザラシの養殖である。明らかのことは、今日クリルの政治問題は経済問題となっていることだ。
1998年両国は協定を締結し、これにより日本の水産業者は列島海域で操業する権利を得た。
極東海域はわが国水産部門全体の根幹である。ここでは全ロシア漁獲高にたいし鮭鱒99%、カニ100%、カレイ90%以上、ニシン40%以上、貝類約60%、なまこ100%、海藻約90%が採られている。ロシア連邦の排他的経済水域および大陸棚の水産物収穫高全体におけるこの海域の割合は85%以上である。そして極東海域における我々最大の競争者かつパ−トナであるのが、日本人なのである。
漁業は両国関係で最大な役割をはたしており、太平洋の水産資源を合理的に活用する問題を解決する上で重要な梃子となる多くの協定で規定されている。ここに両国の利害関係がある。ところが密漁問題は今でも未解決のままである。外国の港、特に日本の港にロシア船が水揚げした数量デ-タによると、わが国領海と太平洋の排他的経済水域から外貨価値のある水産物が大規模に無管理状態で持ち出されている。推察してみてください。ロシアの公式統計によると、1999年の日本への水産物輸出高は82500トン(1億9千650万ドル)であり、日本側のロシア水産物輸入高は215900トン(11億6千2百万ドル)であった。相違がおわかりでしょうか。これにより逸した金額が膨大であるばかりか(毎年日本への闇輸出によりロシアは7億ドル以上損失している)、これはわが国水産資源に取り返しのきかぬ略奪である。
密輸は、両国の密猟者にとって日本市場の販売条件が良いので大きく繁栄している。ロシア政府が定めた操業海域から国外に持ち出される水産物の申告手続きを日本側が承認した上で相互協力対策作りや、貨物申告書のない場合及び申告なしの製品の荷下ろしデ-タを提出しない場合、ロシア水産物を日本の港に陸揚げ許可しないという我々の提案は、日本のパ−トナが支持していない。ロシア国家漁業委員会は太平洋の海洋資源保護問題をロシアと、その市場にわが国排他的経済水域の漁獲物が多く依拠している日本との相互利益の立場から検討している。それ故、この問題解決にたいする日本側の建設的対応や、密輸市場での販売阻止する対応策を期待している。
両国にとってこの重要問題はおそらく目前に迫る東京首脳会議の議題にもなるはずである。結局のところ、良心的漁業者は海洋は全てにとって一つであり、我々全てにとっての大黒柱であることを理解している。日本の指導者もこのことは理解している。たとえば、先に触れた1998年協定で日本側は水産資源の漁獲、保護、繁殖に関し、ロシアに年間3500万円支払っている。その中、2000万円は漁業にたいし、1500万は漁業調査用資材と器具向けのものである。さらに日本政府は技術協力支援特別措置として三ヵ年の間年間2億4千万円ロシアに提供している。言い換えれば、太平洋の共同作業で両国に有益なことがある。
モスクワからヨ-ロッパはおそらくそう近いものではないが、日本だとまったく地の果てのように思われる。ところがカリ−ニングラド出身者のとっては、たとえばポ−ランド人やドイツ人は玄関先の隣人のようだし、サハリン人や極東人全てにとっても日本人は玄関先の隣人なのである。共通の踊り場は海洋であり、西の端は大西洋、東の端は太平洋である。他人のものは必要ないが、自分のものは手元においておきたい。ところが全体もので、それが全てにとって一つのものは、共同で守り、さらに増やしたらどうでしょう。
8月30日(水)
“ロシア、この6年間資本国外流出1330億ドル”(完)
-数日前中央銀行が公表した2000年度第一四半期ロシアの収支に関し、国の経済が好調であればあるほど、より多く資金が国外に流出すると、エコノミストは皮肉な結論をだしている。わが国に資本は“適合”しないのだろうか-
(コムソモリスカヤ・プラウダ、8月29日、ミハイル・デリャギン:グロバリゼ−ション研究所所長:経済学者、ロシアを代表する若手エコノミストの一人、モスクワ大卒、1990-1998年、エリツインの専門家分析機関スタッフ、第一副首相ネムツオフの経済顧問、1998年8月17日前日辞任、グロバリゼ−ション研究所設立)
(聞き手:アレクセイ・マクリン)
-国外に資本が流出すると、どんな問題がでてきますか
「これはわが国経済の活力を奪います。1994年〜1999年の期間だけでも、半合法的ル-トや非合法ル-トでロシアから1330億ドルが流出しています。この6年間に国外流出した資金総額は、現在の対外債務の80%以上を返済できるほどの金額です」
-どうしてわが国経済人はこれほど非愛国的なのでしょうか
「資本がロシアから流出するのは、ロシアを愛していないせいではありません。わが国では独占資本の影響が圧倒的に強く、製品価格とりわけエネルギ-や輸送サ-ビス価格を各企業に押し付けています。わが国では犯罪的倒産の犠牲となって、いつでも資産を失うおそれがあります。裁判所で自分の権利を守ることはほとんど不可能です」
-しかし例えば1999年になると、資金流出は急激に低下しましたね
「資本そのものはほとんどなくなりました。1998年8月では経済は頭で動いていましたし、まだ正気ではありませんでした。まずデフォルトの結果、きわめて多くの資金がなくなりました。第二のポイントとして、資本は胴に入れて国外に持ち出されるさけではありません。複雑なやり方が利用されています。危機前は彼らはもっぱら大手銀行と結びついていましたが、その銀行のほとんどは消滅しました。最終的にロシア経済界にとって国内市場にメリットが出てきたのです。企業経営者が海外の金融投機商品ではなく、企業の発展に投資し始めたのです」
-国家統計委員会の資料ですと、最近ロシアに入ってきている外国投資の大部分は過去に国外に持ち出されたロシアの金であるそうですが….
「国家統計委員会は合法的な資金はおさえていますが、資本は主に“灰色”や“黒色”のル-トで持ち出されています。2000年第一四半期では資本の非合法流出が再び激しくなり30%も増えています」
-どうしてですか
「経済界は次期大統領の政策についてほとんど何も知りませんでした。それが分かると経済界は驚きました。またロシア経済は危機後の状況を回復させる目的で供給された通貨の一定量しか“吸収”できない状態でした。その結果“愚か者の悲しさ”で用途の見つからない余った資金が再び外国の口座に集まるようになったわけです。政府をこれを防ごうと、貿易業務にたいし外国為替管理を強化しました。その結果、海外送金で半合法的な“灰色”ル-トでは安全でなくなり、資本は“黒い”ル-トでどんどん流出するようなったのです。
-ロシアでは世界で最も低い所得税が導入されます。この措置は何か変化をもたらすでしょうか
「副首相イリヤ・クレバノフが所得税率13%は一年後に廃止させると発言したような行動を政府がとれば、何の変化もないでしょう。改革派は先を争って社会を安心させようとしている。新しい政策は本格的で長期的なものと言われている。ところが数日後突然、
国税省のある幹部がクレバノフを公に支持している。誰を信じることができるだろうか。しかもこればかりでない。司法改革は、六月に財閥とプ-チンの間でもたれた会談から判断すると、またもや先送りされる。ある者が司法改革についてきりだすと、大統領は今もっと緊急な問題があると答えている」
-流出した資本を赦免するべきだと、そうした議論があります
「各々の国で様々のやり方がとられています。最も豪華なやり方は、立派な銀行に長期預金をし、それが犯罪で稼いだものでない限り、金の出所を訊ねない。しかしどのようなやり方で赦免するにしても、国にはその違反性を証明できる能力が必要です。この能力はありません。赦免をうけるとして自己申告する希望者は、“まともな”ビジネスマンにはいないでしょう。ロシアで外国の経験をそのまま採り入れるのは、今のところあまり現実味がない。
-何が現実的なのですか
「国外に資本を追い出す原因を除去することです。これにはリベラル改革をするとともに、電力、石油ガス生産、鉄道輸送にたいする投資を刺激し、これを結びつける必要があります。国は基幹部門にたいし、政治リスクから保護すべきです。やり方は簡単です。各部門に最重要プロジェクトを10-15つくり、この実現が国の経済全体の存亡にかかわるようにするのです。この保証基金としては、外貨準備高の一部や今まで評価していないロシアの国外資産の一部をあてることができる。
8月29日(火)
“戦争と平和”(完)
-軍事費、国家予算の三分の一-
(“イズヴェスチヤ”、8月28日、ウラジ−ミル・エルモリン)
2001年度軍事予算は本年度より20%増加する。さらに財務大臣アレクセイ・クドリンは追加収入は全て軍事用となると発言した。
軍拡予算の最初の一歩と見なせるのが、軍人(軍隊、内務省、国境警備隊等)給与引上げに関する大統領例である。2000年12月1日から軍人は20%増しの給料となる。現在上級中尉が2500ル-ブルの給料だとすると、3000ル-ブルとなる。実際この追加額では軍人の財政境遇にそう変化がない。士官が大統領でさほど歓喜することはないだろう。ところが国家予算から見ると、この増額は大幅なものである。ここ数年、軍にたいする財政政策を見ると、国防や安全にたいする予算は少ないものではないが、防衛や安全の質に少しも反映されていない。軍は毎年最新技術不足や低い給料に不満を表している。社会は一般に軍人には同情的だが、科学、医学、教育が放置されていると、筋の通った警告をしている。政府はあくまでも全員を“満足”させようとしているが、実際には不満者数が増えるばかりである。
これまでの軍事予算のように、今回の予算案も基本的には同じ配分である。軍は他の警察機関と一緒になって予算の大半をただ食いつぶしているだけで、その質的向上や長期的に見通した現実的再編は先送りしている。ロシアの国庫は控えめに見ても、限られたもので、支出の割り当ては慎重にならざるえない。その上、計る尺度が“少ない”と“多い”の二目盛りしかないのでなおさらである。
国民は今日まで国家予算の五分の一が何に使われているのか知らなかった。予算分類表は我々素人の国民ばかりか、予算案を国会で通過させる議員にたいしも、軍事費の使途を隠している。すでに十年間、軍事費をできるだけ公開する試みはうまくいっていない。そこで軍幹部は財務省のせいだとし、財務省は将軍のせいだとしている。結局のところ、どんな軍事プログラムに数十億ル-ブルが使われ、具体的にどんな武器や戦闘機材が会計年度終了までに補充されるのか、どんな科学プロジェクトに資金が割り当てられているのか、これを知る人は少ない。ところが、西側諸国、とりわけ米国の国防予算の大部分、きわめて透明である。おそらくわが国予算もこのように透明であれば、艦隊の救助部に資金のないことが、“クルスク”号が遭難した今日ではなく、だいぶ以前に明らかになっていたはずである。
“秘密機関”や国防機関、軍産複合体企業はひっそりと裏でその利権を押し通し、国会や政府との公の対話に応じようとはしない。これはロビ−活動の金脈に通じている多くの官吏には利益にならない。おそらくこの分野の活躍による別の贈与物は、軍事企業職員の年間給料を上回るかもしれない。
目下のところ状況に変化はない。いつも予算折衝の最中、軍人は法外な欲求で非難を浴びるが、軍人は自国の安全を節約する政府をはげしく非難している。軍よりの財務大臣のポ-ズは、政治的演出以外のなにものでもない。仮にいかなる追加資金があろうとも、二十一世紀のロシア軍のあるべき姿を今日まで我々が知らないのであるから、軍の財政問題は解決することはないだろう。参謀本部議長と国防大臣との先例のない喧嘩をみると、この問題がいかに根が深く慢性的なものか、それだけを明らかにするものであった。
今明らかなことは一つである。他の世界のまっただ中で軍事ラ−ゲリたることをやめ、ロシアは多くの政治、経済、社会問題を銃剣と警棒にたよる“別の手段”ですすんで解決しようとする戦闘的国家になりつつある。こうなると当然のことだが、国防と安全は予算では最優先となる。政府が言っている2001年度予算の社会指向性とは、実際にはきわめて軍事指向的なものである。
軍事費予算案の見直しについてあらゆる議論があったにもかかわらず、国会には何の修正もなしに提出された。特に軍の再編に39億ル-ブル、その他の軍事機関に1296億2千万ル-ブル割り当てる予定である。副首相兼財務大臣アレクセイ・クオドリンは、軍及び警察機関の給料改善に向ける追加資金は見つけ出す努力はするが、2001年度に発生する可能性のある国庫追加収入によっても賄われると発言している。だから具体的にどの程度の数値になるのか、今は述べることはできない。
しかしながらこの収入がきわめて多額となることは間違いない。問題はアレクセイ・クオドリンが公言している徴税率の向上ばかりではない。ほんの一つの要因だが、とにかくロシアの予算状態に大きな影響をもたらすのが石油価格である。慎重な役人は1バレルあたり石油価格を18-19ドルとし、2001年度予算の歳入を見込んでいる。現在ロシアの石油は1バレルあたり少なくとも27ドルである。すばらくすると若干状況が変化し、ロシアの石油価格が低下することは間違いないだろうが、22ドル以下にはなるまい。したがって政府にはやり繰りする余地がある。
8月28日(月)
“ロシア連邦制、五つの神話”
-政治体制作りでは、金持ちに独占権をあたえるな-
(独立新聞、8月25日、ボリス・グセレトフ:ロシア統一社会民主党議長代理)
現在多くの専門家は大統領が着手した権力機構の改革に批判的発言をしている。これは連邦会議の機構改革、連邦政府と地方政府の関係修復、連邦直轄行政管区の設立のことである。(中断)
8月27日(日)
“水も、災難ももうたくさん”(完)
-原潜事故現場で追悼式をした後、遺族には海水入りのプラスチック容器が配られた。本紙記者は読者を代表し、現地ヴィデヤエヴォの土一握りを海に向けて投げた-
(コムソモリスカヤ・プラウダ、8月26日、ウリヤナ・スコイベダ)
「花束はここへ!」「タバコは投げこまないできださい」:バスはくぼ地で止まった。悲しみの波がバスのドアから流れ出し、道一面に広がった。孫にすがりながら、ある老婦が号泣していた。「あの子はもう帰ってこない」「私の子は生きている!」、こぶしを突き上げ、憎み叫ぶ、もう一人の婦人がいた。「葬儀はしないでくれ!」 遺体はなかったが、これは葬儀であった。潜水艦乗組員のところには第三者はほとんど訪れない。遺族の半分は死を受け入れたが、残りの半分は葬儀を望んでいないし、救助活動の継続を要求している。心理学者によれば、この人たちがもっとも大変なのである。彼らは、のどまで水につかっているが息子は生きていると苦悩しながら、人生をおくるかもしれない。そうやってあえぎ続けるのだろう。
副司令官、海軍中将ウラジ−ミル・ドブロスコチェンコの顔色がよくない:
「我々の記憶に永遠に残るだろう。ここにはまたやってくる…」 楽団が葬送曲を演奏する。喪服の婦人が両手をかかえられ連れ出される。彼女は赤い小さな釘を固く握りしめていた。おそらく、これは血だ。その背後に白衣の医師がいた。
一晩でコラ地区区役所に二千の花束が届けられた。坂道は絨毯のようにこの花で覆われた。あごひげの男性は胸にヤナギランの花をいっぱいつけていた。この赤いばら色の花はどこでも生えている。これは雑草だ。道にしゃがみ、身を丸くして女の子が泣きわめいていた。「英雄的に死没した同志を記念し、おごそかに行進するため、整列!」
楽団が行進曲を奏でる。記者の隣で老婦が崩れ落ちるので、彼女をささえた。「お医者さん!」と私はかん高い声で叫んだ。医者は道路の反対側にいた。行列が一歩一歩道を踏みしめていた。全員バスに乗り、埠頭に向かった。そこから“クラヴデイヤ・エランスカヤ”号でバレンツ海に出て、最後の別れをする。「ちょと止めて!」と私は運転手をつついた。土を一塊もっていくためだ。斜面の上の土壌は乾燥し温かい。タンポポが生えていた。
入江の海岸、埠頭。「我々は原潜艦隊に所属することを誇りとする」と書いた看板があった。一面、潜水艦が浮かんでいた。普通の人は生涯、こうした船を見ることはないだろう。潜水艦はコ−ルタ−ルを塗られたように真っ黒でずんぐりした形をし、体の半分を水中に沈めていた。“クラヴデイヤ・エランスカヤ”号が停泊している埠頭の前で、国中に知れわたった名簿が読み上げられる。
「リャチヌイさん、いますか」「ここです!」「乗船してください」
士官は名前から肉親のことが分かる。若干のものは名簿に「水夫シドユヒン、父と母」と簡単に記載されている。
フィヨルドの紫色の岩肌、トルコ石の色をした海。澄んではいなかった。赤茶色の大きなクラゲが見えた。住民の話だと、かつては水は正常であったし、青色か青緑色であった。12日、入江の海水はその色を変化させ、今日までそのまま続いている。この旅客船はムルマンスク海運会社が無償で提供したものだ。制服の乗務員が遺族に手をかそうとしていた。
「ご乗船のみなさん、医療行為の必要な人は医局にいらしてください」とアナウンスがあった。カフェでは紅茶もコ−ヒも無料であった。列ができていた。衰弱で彼らは立っていることができず、我々は彼らをテ−ブルにつかせ、テイカップを運んだ。船は事故現場までは行かないことが分かった。そこまでは六時間の航程なので、ただ公海に出るだけである。甲板に飛び出すと、膝まで花束があった。そこに艦隊副司令官が立っていた。
「どうしてこうなのですか」「医師団がストップかけた。たしかに彼らは海に飛び込むかもしれない」
船室に若い女性がいた。イラとア−ニャだ。潜水艦の船長の妹と妻であった。イラだけがしゃべり、泣いていた。ア-ニャは黙していた。「月曜日はまったく心配していなかった。事故だけど、引き上げられる。水曜日、母の誕生日であった。誕生日のプレゼントに良いニュ-スがくるかもしれないとさえ、彼女は言っていた」 ア-ニャは黙っていた。「彼はたしかに私に来るように言っていた。“イ−ラ、八月に私の滞在するヴィデヤエヴォ町にいらっしゃい”と言っていた」「はっりきり分からないが、たぶん、だめだわ」「必ず来てくれ」と彼は言った。「そしてあなたのところにきたわ。あなたが望んでいたように….」
私は遺族と間違われ、急にわきに退き、道を開けて手を支えてくれた。私の顔は泣くぬれているように思われた。甲板につなぎ作業服を着たものが五人いた。救援隊にしてはあまりにもやさしそうな顔をしていた。ロシア非常事態省緊急・放射線医療センタ-の
人間である。精神科医であった。危険な状態から守る役目だそうだ。未亡人は昼も夜も、夫が水中に沈み、あるいは重油の中でもがき苦しんでいるか、眺めている。生き残った士官は海にでるのをおそれている。“クルスク”号の第二乗組員は恐ろしい状態に遭遇したのだ。
そばを水兵デイマ・ネクラ−ソフの母が通った。五日前我々はクルスクの列車から降りる彼女を迎えた。この五日間で彼女は老けてしまった。大声がした。「献花用意!進行停止!北方艦隊“クルスク”号遭難追悼現場に向けろ!」
沈黙の中、船尾で神父アリストラフが追悼の祈祷をはじめた。コ−ランの読経もあった。“クルスク”号には八人のイスラム教徒がいた。「半旗掲揚!花束、海へ!」 汽笛がなった。花は下に向かった舞い降りていった。手すりのそばで背をふるわせる婦人が立っていた。わたしは彼女に近づき、抱擁し、さすりはじめた。みんな慟哭していた。年配の白髪の士官も泣いていた。波の上に花は漂っていた。国会から、政府から、コラ区役所の花であった(それが誰なのか、誰も知らないし、訊ねようともしなかった)。揺れながら列をなして花は船から遠ざかっていった。十、二十と花は遠くに去っていった。最後に海に向かって婦人用のシルクのスカ−フ一枚が投げ込まれた。汽笛が鳴りつづけた。このような葬儀は国の歴史にもない。通常は男の人でも泣く。この葬儀では記者も泣いていた。私も泣き声をあげた。涙がハンカチからメモ帳にしたたり落ちていた。写真もとることが出来なかった。涙がファインダ−を曇らせた。私は隅で泣いていたNTVテレビ局の記者を見た。楽団が急に“スラブ人の別れ”を演奏しはじめると、もう立っていることはできなかった。船が花束のまわりを旋回している間、その15分間、全てのものは泣きつづけた。
「落ち着いてください」と善良なイスラム神父が私に近づいてきた。「あれが見えませんか。水平線のところで雨が降っています」 イスラムの慣習では、これととても良い兆候らしい。善良な人々が死んでゆく…..
「旗をあげろ!港に進路!」 雨粒が二三滴、体にあたった。空が泣いていた。遺族は椅子に力なくすわっていた。船尾に二つのバケツを置かれていた。バレンツ海の水が入ったプラスチック容器が全員に配られた。それはまさに遺体のほんの一部でもあった。人々の表情に安堵感が現れた。たとえ追悼式が仮のものだとしても、それは人々にあるはっきりとしたことを伝えたのであった。これで遺族の心には残っているとはいえ、儀式上遺体は“埋葬”されたのである。
「終わった。これで家に帰れます」
木曜日、ヴィデヤエボ町には遺族415名がいた。金曜日には360名となった。タンポポの花と一緒にヴィデヤエボの町から持ってきた一握りの土を海に投げ入れた。彼らはこの土地を愛していた。
8月26日(土)
“ロシア、失業者数減少”(完)
-しかし、これは国民の社会生活環境の改善を意味していない-
(独立新聞、8月25日、スヴェトラナ・スミルノヴァ)
昨年から国内の失業者数の減少傾向が続いている。しかしこうした現象を好調の要因とするには多くの条件がつけられる。と言うのもこのことが生産の発展や新しい職場作りと結びついていないからである。
2000年となってこの七ヶ月、失業者数は150万人減少し、720万人となった。これは、ILO(国際労働機関)のいう有効就業人口の10%にあたる。比較してみると、1999年7月期、ロシアには870万人の失業者がいた(有効就業人口の11.8%)。今年7月、失業者数は記録的に低下した。これは1996年12月以来はじめてのことである。
公式に登録されている国内就業者数はわずか99万人であり、有効就業人口の1.4%である。昨年度と比較すると、失業者数はきわめて早いテンポで減少している。
統計資料では、ロシアの有効就業人口は今年7月末現在、7230万人と見なされており、これは国内全人口の半数に該当する。全就業者の約64.6%は大企業、中企業で働いている。
残念だが失業水準のような重要経済指数の改善は、現時点ではロシアの社会状況の安定化の証明とはならない。
国民の大部分の生活水準は急激に悪化している。人々は熟練性の低い、低賃金労働に同意せざるえない。また失業水準の低下は、有効就業人口の流出や死亡増によるロシアの人口が常に減少していることも影響している。国家統計委員会の分析によると、2000年当初から人口数は42万5400人減少している。国全体では出生者にたいし死亡者数は、1999年上半期1.7倍にたいし、1.8倍となった。
失業者指数に影響するもう一つの要因としては、公式には企業に就職していると見なされてはいるが、実質的にはそこで働いていない状況も影響している。倒産寸前にある多くの企業は従業員を長期無給休暇としてあつかい、また若干の企業では数ヶ月間にわずかな給料は支払い、その後仕事のない状態に放置される。何故なら企業には最低賃金さえ支払う能力がないのである。政府は三年以内にこうした不採算性企業を整理し、その倒産手続きを行う決定をした。その結果、大量の失業者が出ると容易く予想できる。したがって失業者数の低下傾向がどのぐらいの間続くのか、分からない。
8月25日(金)
“悲劇の政治問題化”(完)
-全国民の悲しみを利用して私的目的をはかるのはモラルがない“
(独立新聞、8月24日、イ-ゴリ・フョドロヴィチ・マクシムイチェフ:政治学博士)
バレンツ海の原潜“クルスク”乗員118名の死亡は国内外で大きな反響となった。グロ−バル化が進むにつれて人類はますます一体感をもつようになったことは正常なことだが、一国民の不幸は全体の不幸となっている。ところが全ての人が共感しているわけではない。ある者は他人の悲しみや涙で政治力をつけようとしている。西側マスコミではロシアやロシア国民、軍、特に大統領にたいし、ものすごい非難中傷が展開されている。彼らを事故と死亡の直接の犯人ときめつけている。心がないと非難している。まさに大統領を打倒しろと呼びかけている。有名なドイツ政治学者ミハイル・シュチュルマ−は世界の大国を狙うロシアの“ポストソヴィエト野望”は破綻したと発言した。ジャック・シュスタ−とかいう人は(見たところ、たいへんなロシア通)、“クルスク”号は1917年の“オ−ロラ号”と同じ役割を果たすだろうと、二日前断言していた。彼はロシアのことをただ一つの能力といったら嘘をつくことで、“帝国の体裁をしたポチョムキン村”だと称した。
ここ数日、バレンツ海の災難によるロシア世論の雰囲気についてドイツのいくつかのラジオ局がインタビュ-を申し入れていた。インタビュ-では次のような“誘導質問”があった。「プ-チン大統領は自分の職務をはたさなかったのではないですか、どう思われます」 ロシア軍の破局的状態はプ-チン大統領のせいではなく、何の構想も明確な目標もない実験によるものだと指摘すると、インタビュア−は不満な表情を見せた。「大統領は事故現場に直ちに出発すべきではなかったですか。」私が、米国潜水艦が事故にあった時(その中、31隻大破)、米国大統領はどこにいるべきか、一度なりとも指摘したものはいないと述べると、それは聞き流し、「あなた方の新聞は大統領が何をすべきであったか、書いているではないですか」
こうした大騒ぎがロシア国内でとても強く支持されていることは、きわめていやな気分である。まったく分かりきったことだが、財閥や若干の地方の諸侯、国家を強くし、秩序を回復するとした現大統領の方針により利益が侵害されたその他の人々は、出来る限り政治的打撃を大統領に与えようとしている。しかし打撃が大統領個人というより、むしろ国家に向けられ、その威信は国際社会の中で自然と失墜しているし、さらに現在人事整理の対象で“いきりたっている”軍にたいし向けられ、その上うまくいかなかったとは言え、長い間の資金不足で必要な装備や設備が異常に不足している環境で持てる力と能力で全力を出して行われた“クルスク”号乗組員救助作業当事者にも向けられていることは余りにも明白なことである。
もちろんのこと、軍や政府を厳しく批判する必要はあるが、ただし“クルスク”号の状況についてまずい情報や、支離滅裂、辻褄の合わない情報(これはどう見ても、意図的な“偽情報”といようり、政府内に正確な情報がなかったのだろう。可能性や憶測はここでは論外である)にたいして批判するのではなく、北方艦隊に深く潜水できるダイバ−がいないことや、救助潜水艇、水中カメラ、人工衛星を用いた船舶方位システムなどがないことにたいし批判すべきである。軍や艦隊への技術や物資の供給が断たれていることは、“エリツイン時代”の遺産であるが、軍にたいし必要な予算割当てを構造的に否定している結果である、こうした事実から判断して、国防を近代的に組織することを全面的に放棄し、コサック部隊のような警護隊レベルに戻すべきだと結論づけてはいけない。
別の結論が当然出てくる。軍は職務をまっとうできる水準の人員、装備であるべきで、国はこのための資金を調達するためにあらゆることをすべきである。虚偽にたいする非難はもっと適切な方向に方向転換したほうがよい。例えば何故にNATOは現在、バレンツ海での北方艦隊演習海域にNATO加盟国の潜水艦や艦船がいたことを否定しているのか。たしかにロシアの艦船は彼らを発見したし、さらに当初西側マスコミもこの情報を確認していた。
ロシアとロシア大統領はその結果、悲惨な傷を負った。“各人然るべき場所にいるべきである”という原則は正しいが、各場所にはそれに相応しい人物がいるようにすることがとりわけ必要である。選挙前の公約、民間部門も軍事部門も含め、国内秩序を回復するという公約はその実行を期待されている。大統領は直ちに全てに着手する必要がある。いずれにしても、これは、“クルスク”号事故の戦慄さえ小さなこととしてしまうほどの破局を回避する上で、わが国にとって唯一のチャンスなのである。大統領はロシアで起きている全てのことに責任がある。彼の責務はこうした事故を将来繰り返さないことである。だからこそ、我々全体の責任はこうしたことから何らかの利己的なことを求め、邪魔をするのではなく、全国民的課題解決に手をかすことなのである。
8月24日(木)
“2001年度国家予算案、閣議承認”(完)
-来年度国防費は対外債務返済費より小さい-
(独立新聞、8月23日、アンドレイ・リトヴィノフ)
来年度国家予算案を審議するはずの昨日の閣議では予想外のことはなかった。通常木曜日であるが火曜日となった閣議に参加した閣僚は予算案を承認し、日程どおり土曜日国会に提出されることとなった。
実際のところ、一つの問題を実質的に審議するためには(形式的には問題は三つあり、国家予算案、予算案と密接に関連する来年度国内社会経済発展の見通し、社会基金予算案)、閣僚には普通の問題10個解決する以上に時間が必要であった。これは何も驚くことではない。予算案の骨子は同案審議の最初の段階で早くも批判が出ていた。先ず各連邦共和国にたいする予算配分問題が議論となった。
社会経済発展の見通しからすると、ロシアのGDPは来年度4%成長となる。つまりロシアは世界の平均成長率を維持するわけだが、先進諸国にさらに遅れをとることはないものの、そこに追いつくことはできない。その詳細は会議前のプレスリリ-スで目を通すことができた。閉鎖された扉の向こうで予算案が長時間審議されている間、記者は来年度国内経済の見通しについて財務省や経済発展省専門官の考えを反映している多くの数値を検討することができた。
来年度予算資料を読むと、来年度国内社会経済発展がある考えに立った見通しでないにしても、少なくとも2001年度対外経済動向が全体として好調に維持されると見込んだ法案であるとの印象である。その上政府はわが国経済の現在の動きの中で三つの点、国民実質所得の増加、企業財政の改善、銀行機関の回復を自分たちの成果としていた。
こうした要因は全て、例えば対外経済市況が好調である点などは、多くの“仮定”を前提として来年度予算を編成する時に織り込むことができるわけだが、これは公式資料には載せていない。
政府は若干の固定負担の低減を定めた税法を採択したにもかかわらず、2001年度連邦予算歳入は1兆1千9百3十億ル-ブルとし、2000年度より566億ドル多くなると見込んでいる。この金額の93%は税収入である。しかし政府は他の資金調達手段も放棄していない。国家資産の民営化による調達も見込んでおり、例えば“ロスネフチ”社株や“スラヴネフチ”社株、“スヴャジインヴェスト”社株の売却、“ガスプロム”社株の一部の売却による歳入も予定している。国内金融市場に建て直しにも注意が向けられ、とりわけ政府は総額892億ル-ブルの債券を発行する予定である。政府は対外借款も断念していない(とは言え、今のところそうした提案はない)。
国際金融機関、銀行、企業、外国政府などから47億9千万ドルの調達を見込んでいる。
歳出面では、最大の支出となるのが四項目で、各々1千億ル-ブルと見ている。支出順では対外債務返済費(20.4%)、国防費(17.3%)、司法警察活動(10.8%)、社会支出(9%)である。記者説明で副首相アレクセイ・クウドリンは国防費を増加すると表明した。追加資金は軍人給与の引き上げ、軍及び艦船用燃料の調達に向けられると特に強調した。けれでも副首相はこうした措置は原潜“クルスク”の事故とは関係ないと発言した。
政府提出の社会経済課題リストには無味乾燥な数値はないが、これは2001年度の政府課題である。全部で12課題あるが、その大半は勤労者福祉に向けられているように思える。これは年金改革の点では、“国民がその所得で中高年においてより高い生活水準を確保できる経済環境を作る”とし、教育の点では、“経済発展と市民社会の要求に組織的にも質的にも応える教育を受ける権利を国民の手で実現できる環境を作る”とし、また保健にかんしては、“医療サ-ビスの向上と国際標準レベルの治療行為の質を確保し、国民の健康状態の改善する”としている。しかにながら、こうした美辞麗句にたいし、具体性がないことや良いことづくめの抽象的願望の傾向のあると立案者を批判する小うるさい評論家が出てくるだろう。
ところが昨日会計院責任者セルゲイ・ステパ−シンだけが唯一、“平穏を乱す人”となった。閣議の発言で彼は2001年度予算案の歳入数値を疑問視した。事実上彼は歳入を意図的に低く見積もったことで政府を批判していた。会計院の資料では2000年度、こうして低く見積もった金額は1600億ル-ブルを超える。つまり、2000年度実質歳入を比較すると、2001年度の予算歳入は増加しないどころか、逆で減少することになる。
8月23日(水)
“権力のモラル欠如”(完)
-バレンツ海に沈む国家理念“
(独立新聞、8月22日、カレン・アルメノヴィッチ・ハチャトウロフ:ロシア外務省付属外交官大学教授)
原子力潜水艦“クルスク”が遭難し、国民はこの出来事を共通の悲しみとして受け止め、そこに共通体験めいたものが現れた。それと同時に国民は共通認識として、権力からの疎外感とその冷淡さを感じたのであった。事故後まる一週間大統領がどこで何をしていたのか、そのことにたいする当惑と非難は国家的な意味でも一般的な意味でも、同じである。そこで皆の意見に一言加えてみる。
大統領は、事故現場の“官僚たち”の狼狽はただ事態を悪化させるにすぎないと、筋の通った指摘をした。しかしたしかに大統領は官僚ではないが、国家指導者であるし、あえて言えば国の父でもある。それ故危機の時は、彼のいるべき場所は一時にせよ、潜水艦乗組員救出現場であったろうし、親族が集まっている場所であった。
ある者はジェスチャ−と言うかもしれない。そのとおり、ジャスチャ-、正確に言えば行為が必要なのである。ミハイル・ゴルバチョフはアルメニアの地震被災者に自分が滞在することで実際何か援助したわけではないが、キュ-バの間近まで来たが、その公式訪問は取りやめ、悲嘆している国民と共にあることを示そうとした。1941年、最高総司令官はモスクワにいたが、それで戦争のなりゆきを急展開させることはできなかった。しかし彼は包囲された首都に残り、国民祭の前日恒例の会議で演説し、11月7日赤の広場のパレ−ドを組織した。当時テレビはなかったが、国家指導者のジェスチャ-は世界史に残った。
大統領が積極的に取り組んでいる国家理念の模索は国民大半の考えと一致するものである。国家理念とは予めきめた定式があるわけではなく、身分、人種、信仰の違いや、特にシンボリックなことや運命的なこと、試練のあることにたいする政治的思惑に関係なく、同胞を団結させるもの、連帯させるものとして生み出されるものである。
バレンツ海の事故はほぼ70年前、北氷洋の反対側での“チェルスキン”号の遭難を思い起こさせる。学術調査船は氷で押しつぶされ、一人死亡したが、他の乗組員は北極飛行隊により救助されるまで、長時間流氷の上にいた。国じゅう“チェルスキン”号乗組員の話に聞き入り、そして彼らは国民的英雄として祝賀をうけた。勇敢な飛行士7人には最初のソ連英雄の称号を与えられた。
“チェルスキン”号乗組員救助後一年も経たないうちにキ−ロフは殺害され、大規模なテロが始まり、圧政者には注意をそらすものが必要であったと言うかもしれない。たしかにそれはあったことだが、まだ小学校に入る前、私は見知らぬ北極探検隊員や世界の陸地の六分の一の人々と一体感をはじめたおぼえた。そうした連帯感がなければ第二次世界大戦で勝利できなかったろうと確信している。
今日かつてないほどジェスチャ−や行為、率直な思いやりが大統領と国民を親密にさせる。そうしたことは道義的模範、信念、希望のほかの何かを大統領は貧困の淵にいる教師、医師、農民、学生、年金生活者に与えることができるかもしれない。さらに最高総司令官は生活苦にある将校や、軍人、特に日々生命の危険のある人たちに何かを与えることができるはずである。
取り巻きが王をつくると、あらためて言う価値はある。今日大統領の取り巻きは武官も文官も、自国国民にたいしても、その他の人々にたいしてもまったく役に立たないし、投げやりであることがわかった。意識は客観的現実の後からついてくるという、弁証法の法則はマルクスの玩具ではなく、生活に裏付けられた真理なのである。大統領は多くのことを知らない、その上偶然によりおとぎ話のような出世をした最も閉鎖的組織の出身者には分かるはずがないのかもしれない。大統領を正当化しようとは思わないが、ただ理解しておきたいのは、縦のものを横にもしない経験豊富な取り巻きが“大海難事故”の不名誉を国家元首にあたえないとし、どのような考えに従ったのだろうか。
多くの国の指導者はラジオやテレビで訴える。エリツインはラジオ演説を覚えさせられた。わざとらしいやり方や手法は結局失敗であった。ウラジ−ミル・プ-チンは今日、時折テレビ画面に登場し何か説明するが、彼の表情と死亡した海軍軍人の親族が対照的で視聴者は驚くばかりであった。
国民への訴えを何度しても、大統領と大統領を選んだ人たちの間に膨れ上がりつつある壁を壊すことはできなだろうと思われる。まさにこうしたことは異常である。避けられない人の死には様々な苦痛の度合いがある。最近の“コンコルド”航空機の事故犠牲者の悪夢は、ついこの間ことである。昼も夜も潜水艦という鉄の棺に閉じ込めらた不幸な虜は人生の終わりを待っていたことだろう。
無論のこと、取り巻きは直ちに外国の支援を要請すべきであった。外国の支援が入ったのは、わが国政府の過失で事故後一週間も経った後であった。この事実はロシア人や外国社会の記憶から長く消えることはないだろう。
よくないパラドクスであるが、国民の心理の中では独裁者スタ-リンは重大時に、わが国“文明時代”の民主主義者プ-チンより国民の近くにいた(それが自己目的のためにせよ)。しかしこうした選択を取り巻きがした。もちろん、プ-チン自身もしたのであった。
8月21日(月)
“グレフの経済プログラム実現不可能”
-“…基本方針”の起草者は国内の社会経済の現実をあまりよく知らないし、多くの問題を解決した世界の経験を無視している-
(独立新聞、8月18日、レオニド・アバルキン:ロシア科学アカデミ経済研究所所長)
今年六月ロシア政府閣僚はロシア経済発展・商業大臣グレフを責任者とする戦略策定センタ−が作成したロシア連邦社会経済政策基本方針案を検討した。そこでロシア科学アカデミ−も含め関係機関に同案を検討するよう送付すると決められた。これについては特にテレビ番組“総括”(NTV)で、学者の提案は好意的の検討するつもりでいると述べたが、ただしこうした提案は彼自身が信奉する“考え”に合うものでなければならないと条件をつけていた。ところがグレフはこの時点では同文書が科学アカデミ−にはまだ届いていないことには触れていない。アカデミ−の学者は専門家として、またロシアの一国民として国の発展の成功に深く関心があり、同文書を独自に入手した。本文の中の多くの内容には彼らは当惑した。こうした先んじた評価の一つ、ロシア科学アカデミ経済研究所所長レオニド・アバルキンの評価を以下に掲載する。本紙編集部の情報からすると、“…基本方針”について同氏の結論はロシア科学アカデミ-会長ユ−リ・オシロフによりソチ市でプ-チン大統領が国内有力学者と会談する際、渡される予定であった。
この十年間、ロシア科学アカデミ-の学者は経済部の学者も含め、国家の最優先課題として長期戦略の策定に関し何度となく問題提起してきた。ところがどのロシア政府もこうした課題を一度も提起しないし、解決もしてこなかった。今こうした長期プログラム案が提出されたが、これは前向きに評価できる。
だが社会政策及び経済近代化の基本問題や組織構造政策という基本理念に関わる提案には大きな反対意見が出ている。
こうした反対意見が根拠としている点は、第一にこの文書の起草者が国内の社会・経済状況の現実をよく知らないとし、第二に多くの問題を解決した世界の経験を無視している点である。
経済の規制解除
“…基本方針”の最初の項目は経済の規制解除であり、これは平等な競争条件をつくれば自ずとその他残りの問題は全て解決されると見込んだものである。
この報告書作成者の立場は、ロシア経済を破綻させ、その科学技術力を破壊し、国民大多数を貧窮化させたやり方をただ模倣しただけである。こうした立場は強くて効率性のある国家作りをするとしたプ-チン大統領の指令とも矛盾する。
この報告書ではロシアでは予算を通してGDPの55%なるものが配分されるとしている。これは本当の現実と矛盾しているし、いかなる計算の根拠もない。同時にGDP配分における国家の割合は下げられ、これは発展途上国では当然のことだと結論づけている。こうした結論は十年ごとに全先進国で配分されるGDPの割合は当然のこと増加し、GDPの50%近くになっているとした世界銀行の資料と完全に食い違う。
こうしたことから、将来民間投資だけが生産の牽引車となるとした結論ははなはだ疑わしい。科学技術政策にたいしはっきりとした優先順位を決めずに、またそれにたい国の強力な財政投資なしにわが国を急激に成長させる道筋に現実的に導くことは不可能である。国に全体で1500から2500の企業を保有させるという提案は、この文書の執筆者がロシア経済の現実をいかに専門的に無知であるか、それをただ証明しているだけである。
労働賃金の水準
社会政策の章では、労働賃金の水準と動向という基本的で肝要な項目が抜け落ちている。もちろん、こうした課題は一年や二年で解決できるものではない。しかしながら長期戦略作りとは質的にやり方が異なるのであり、そうすれば何時、改革のどの段階で最低賃金レベルが40%、60%、80%であり、その後完全に補填できるか、明確に定めることができる。
そうなると戦略的ではないが先ず暫定的、一時的な制度として検討すべき何らかの手当てについてもまったく新たな方式で問題提起されるはずである。
市場条件と一致しない低賃金は低い出生率と国民の零落の最大要因である。今日の国民の実質可処分所得水準は1997年の水準以下である。それ故ロシア政府にとっても、“…基本方針”の作成者にとっても、賃金を大幅に一貫して上昇させない限り、どのような国内の社会改革も不可能であることはよく分かっているはずではないか。
対税政策
低い国民所得水準は、“…基本方針”の中できわめて稚拙に解釈されている“税負担”構想にも関係する。問題はロシアの納税水準が経済協力開発機構加盟諸国と比較すると最低であることである。世界銀行の資料がこのことを裏付けている。
災厄の根源はわが国の税金は主に企業家が納め、一般国民が納めていないことにある。それ故この解決には所得体系を変え、賃金を大幅に上げ、それにより国民に税負担を再配分することである。
経済競争力
“…基本方針”に記述されている、ロシア経済競争力の向上、その構造改革、高付加価値製品の生産と輸出の割合増加という考えには、このために必要な対策の裏づけがない。こうした生産は利益を出すのに時間がかかり、うまくいっても3年〜5年、それ以上かかるもので、これを作り出すのは民間の投資家では不可能である。西側の資本家が自国メ−カ−のライバルを作り出すようなことに期待をかけてはいけない。
したがってロシアにははっきりとした長期的産業・科学技術政策が必要であり、国内の優先的なものに資金を集中させる必要がある。ところがこの文書のどこにも産業政策や科学技術政策には一言も触れていないし、開発銀行についても、複雑な高度技術製品輸出の奨励(輸出入銀行を通して行うこともふくめ)についても何も書かれていない。こうした措置がとられないのであれば、世界の経験が証明するように、生産の近代化と経済の構造的改革は不可能である。複雑な最新技術を駆使した製品(軍事産業の製品、船舶、航空機、工作機械等)の生産は融資されてはじめて実現できるものである。
優先性のあるものには、科学都市の復活や保有している科学技術要員をコンピュ−タソフトの輸出も含め、将来性のあるハイテク製品の生産やハイテク技術の開発に集中的に向けることも含まれる。ここではまた国の財源を賃金上昇(平均水準の数倍)や最新水準の研究所作りなどに向ける必要もある。こうしたことなしには、大きな成功を期待してはいけない。
国民経済の通貨による取引化
通貨金融政策の最終目標は、これは以前のロシア経済改革段階でもしばしば表明されたことだが(この結果は知られているとおり)、インフレの低下であり、そして低い水準に維持することである。ここでは通貨量はある抽象的なものと見なされ、その運動方向や通路にたいする規制はない。流通資金の補充や、投資形成、社会課題を解決して成長促進させた世界の経験は分析ではまったく無視されている。
“…基本方針”で通貨金融政策を検討しているのだが、執筆者は今日成長を抑制している最大要因のひとつである、通貨取引という最も切実な問題は回避している。ここで問題としているのは、経済への資金流通路をはっきりさせ(流通資金の補充、国民所得の向上、国家発注物件の支払い等)、通貨量の一貫した段階的な増加であり、またロシア科学アカデミ−経済部学者が提案している様々な債務返済計算式を利用し、支払い問題解消のことである。
資源独占資本と物価の上昇
(中断)
8月17日(木)
“ロシアは統一されつつある”(完)
-独立新聞編集部は7月11日、政治学者や専門家からなる“円卓会議”を開いた。討論のメインテ-マはロシア改革構想の牽引車として、また形成されつつある統治機構の中枢部の一つとしての安全会議の役割となった。討論参加者は以下のとおりである:
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長)
アンドラニク・ミグラニャン(財団“改革”、政治学者)
ヴャチェスラフ・ニコノフ(財団“政治”、所長)
セルゲイ・ロゴフ(ロシア科学アカデミ-米国カナダ研究所、所長)
オレグ・チェルノフ(安全会議書記代行)
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長): この円卓会議のテ−マはロシアの発展戦略ですが、同時に大統領、大統領府、政府、安全会議の戦略目標であります。安全会議のことですが、多くの人が考えるように大統領に最も近い機関であります。同時にこれはきわめて閉鎖的な組織であります。こうしたことから最初の質問ですが、ロシアの戦略目標はどのようなやり方で作られているのですか。第二の質問は、安全会議とはどのようなものなのですか、またこの目標を設定する上でどのような手立てをもっているのですか。誰が中心でどのような人と協力しているのですか。第三の質問ですが、この目標の実現をどのように見通していますか。安全会議は機関としての立場から、この実現にどのようなことをしますか。
私が言おうとしているのは、現実に進行しているプロセスのことですし、同時にプ-チン大統領の教書に出てくるある新たな局面についてです。私にとってはっきりしていることは、簡単にプ-チン大統領を特徴づければ、強権国家主義者か、あるいは大国主義者でしょう。大統領にとって最大の戦略目標は偉大な国家、偉大な民族、偉大な国としてロシアを復活させることだと思います。その他の目標は彼にとって二次的なものですし、その中には民主主義の維持も含まれています。民主主義の維持ですが、完璧な形での、つまりジャ−ナリストや学者の解釈している民主主義の維持は、おそらく発言や実践からプ-チンを理解すると、最大目標の実現と矛盾しますし、一定の後退もありえるのではないでしょうか。
こうした目標を本格的にかかげたのが、ヨシフ・ヴィスサリオノヴィッチ・スタ-リンでした。偉大ということを若干異なって解釈していましたが、それでも彼は自己の目標を達成したのでした。事実上帝国を復活させましたし、さらにもっと大きな力を与えましたし、世界超大国では第二の地位にし、世界をほぼ半分に分割してしまいました。国民もある程度快適なものを感じていました。いずれにしても、書記長の神格化は弾圧やその他多くのことを心理的にはいくぶんカバ−したかもしれません。そして何もかも崩壊しました。
つまり、理論的には争う余地のない目標にはいろんなニュアンスをこめることができる。典型的な民主主義者はプ-チンが国民を全体主義に導くと考え、一方官僚は彼が実際にユ-トピアを実現すると考えています。
アンドラニク・ミグラニャン(財団“改革”、政治学者): 基本的には我々はこうしたことは全て体験済みであります。権力を強化するどのような試みも、我々リベラリストから見れば、全体主義への動きなのです。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長): 例えばプ-チンはロシアの人口減少の傾向に歯止めをかけるべきだと公然と発言しています。この戦略目標を具体的に細かく検討し、解明する必要があります。プ-チンははじめてこれを果敢にも実行しようとしています。彼以前は公式レベルでは誰もこの件に触れようとしませんでした。これについては若干の民主系のメデアが触れているだけです。我々左翼系メデアは、こうした改革を問題とするのは難しいと論評しています。と言うのも、人口はなんとなく減少してるからです。効率性のある国家、これはすばらしいことですが、そこから子供が生まれるわけではありません。
一般に人口の回復は、これはきわめてやっかいで、詳細に作りあげられる人口動態学的な特別計画なのです。例えば、最初の子供が生まれると補助金、二番目の子供は住居、三番目は自動車が提供されるとしましょう。もちろん、イスラムやスラブ人の特性も考慮するのは当然です。誰がこうしたことを考えることができますか。かりにこのような計画が実行されるとしても、さほど期待している効果があがらないおそれもあります。イスラム系住民の住む地域はどこでも、住居や自動車その他のプレミアを手に入れるかもしれません。基本的には人口計画もまた戦略課題です。この件で安全会議が誰を不安にさせると思っているのか、はっきりしません。
対外政策ではわが国はどの国と仲良くすべきか、これについて多くの議論があります。全体として安全会議では簡単で月並みな形で意見の一致をみていますが、わが国は西洋社会であると同時にユ−ラシア社会でもあり、西洋とも東洋とも仲良くする必要があります。これは最も単純な考えで、何の回答にもなっていません。私は国民としてまた政治に関心のある人間として、もっと明確なものを望みたい。東洋に方向転換することを批判することもできますし、批判しないこともできますが、二十一世紀、これはアジア・太平洋地域の時代です。そこに外交政策の焦点をあて、この地域がわが国を補完するように人口の流れや軍備をここに向ける。こうした定義が良いのか悪いのか、討論してもよろしいです。今私は政治そのものに一種のカオスと大きな転向があると見ています。国民とエリ−ト層は大統領やその代弁者である安全会議が戦略的に何を求めているのか、理解していません。現政権が何のためにマスコミを手中におさめようとしているのか、これがはっきりしませんと、大統領に代わり口を開き、彼の考えを解釈しはじめ、一方彼は正当化に走ります。こうした疑問全体をクリアにさせたいのです。
オレグ・チェルノフ(安全会議書記代行) しかし、安全会議は過去も現在も大統領の代弁機関ではありません。こうしたことに必要があれば、大統領にはしかるべき機関があります。そうした印象はおそらく、安全会議全体や書記の行動から生まれたものかもしれません。指令行政システムが長期間存在した後、ヴィザンチン文化や50年代〜70年代のソヴィエト学を本格的に研究しました。つまり当時はひな壇の地位の人物とか、ある第一人者の官僚に近い考えで多くの政治判断がなされているのです。私は若干離れたこともありますが、1992年以来安全会議で仕事をしていますが、言えることはこの機関は異なるレベルで戦略プランを作るために導入されたものです。とは言えこれは憲法に明記された大統領の唯一の諮問機関なのです。多くの問題解決する能力がこの機関に適切に求められなかったことは別の問題です。我々はもっぱらここ二年〜二年半の膨大な安全問題を専門的に研究する仕事に徐々に復帰しはじめています。
プ−チンがまだ安全会議の書記であった頃、有名なゴルチャコフの言葉を何度となくもち出していた。「ロシアは統一されつつある」 今日大統領は状況を先ず現実的に評価しようとつとめている。次に彼はそれ以前には一度も明文化さえされていない目標を整理している。少なくとも今日宣言した目標について彼は長い間確信していたと思われます。これは今のところ目標というより、志向だとも言えます。これに先ず該当するのが、西洋にたいし東洋を対立させる、ここに重点をおくべきか、この未解決な問題があります。さらに、ロシアは情報、経済発展や国際分業に関わる国家として存続するのか、はっきりさせなければなりません。大統領はその教書の中で、こうしたことや国内問題、すなわち人口問題、社会問題、司法問題、税問題、連邦制問題などをきわめて明確に述べています。私が思うに今日の目標とは、先ず国家の機能を強化することです。それなしにこうした問題を解決することは絵空事です。そうであっても、我々が文明的で民主的な市場国家に向かっていることは疑う余地はありません。問題は行動の一貫性と節度にあります。ロシア国家の安全性を基本とし、その国益を有機的に統合することです。まさにこれが最も具体的な課題です。
断言しますけど、安全会議はたんなる諮問機関です。その役割を誇張したり、控えめに言うつもりはありません。たんに今日大統領が原則的にあるべき形でこの会議を方向付けただけです。これは正しいことだと思います。簡単な例をあげてみましょう。すでに多くの国がわが国の経験を求めています。国家安全会議は現在中国に作られています。アジア・太平洋諸国がわが国に助言を求めていますし、南アフリカ共和国に国家安全会議が作られたと最近知りました。
米国の国家安全会議はまったく異なる形で作られたことがあります。そこでは重点が外部に向けられ、先ず対外政策のファクタ−を分析しています。一新されたロシアの安全構想では、分析の80%は国内の危険に関するものです。経済や人口問題から環境問題などです。国際的課題は戦略的安全性や、犯罪、汚職、不法資金の洗浄対策に関するものです。ここでは情報機関だけでなく、以前はどこで自己を活かすか知らなかった学術機関の力も多く利用しています。
安全会議の代表をオレグ・ロボフがつとめていた時のことを覚えています。上司は米国大統領の伝統的教書の分析を指示しました。ある年は保健問題とか中絶問題が中心となり、別の年では障害者の社会保障問題とか教育問題が中心となりうると分かりました。しかし国の“生活全般”について提案はありませんし、一年間を通した何らかのプログラムは出していません。これは最近のプ-チンの教書に見られようにロシアでも踏襲されています。
セルゲイ・ロゴフ(ロシア科学アカデミ-米国カナダ研究所、所長)
大統領がはじめて人口問題に触れたと、トレチャコフは正しく指摘しました。これは安全の拡大解釈になりますが、ソヴィエト時代の狭い解釈を捨て、我々はきわめて当然のこととして理解しています。安全とはなんでしょうか。主体の存続であり発展のことです。我々が民族として、また国民として絶滅するのであれば、どんな安全のことについて語れますか。新大統領ならばこそ、このようにはっきりと問題提起できたのです。90年代にわが国がおかれた状態に責任のある人たちにはけして真実を述べることはできないでしょう。現大統領は90年代の混乱には責任がない、この事実は重く見る必要があります。これは、危機脱出の戦略の原点です。
第二の点として国の役割があります。わが国は極端から極端に走り、国家が完全な麻痺状態に陥り、1000年来の官吏による全面的統治から無政府状態と、極端な変化なのです。
偉大な国家はあたかも民主主義を制限してもよいかのようなトレチャコフの考えには反対です。プ-チンは自分の演説で全てを抑圧し戦慄させる大国としてではなく、偉大な国家を定義しようとつとめています。彼は国家の偉大性を新たに定義しようとしている。私見ですが、この定義で最も重要な点は、社会生活のあらゆる面にたいする国家管理を経済・社会面を国家統制する効率性の高いメカニズムにすりかえようとしている点である。このことは民主主義の制限とはまったく意味が違う。
民主主義の本質とは何か、結局我々は理解することができなかった。問題はどうもロシアに適していないらしい米国モデルをあたかも我々が踏襲した、この点にあるのではありません。はたして米国は弱い国家だろうか。まったく逆です。米国は最も発展した市場をもち、その力と国威を誇示しています。そこではきわめて有効な経済規制メカニズムが機能しています。こうしたことは、米国はそもそも初めから分権、“抑制、均衡”を原則に構築された国家体制が出来ていた、そのことによるものです。わが国もエリツインにより“抑制と均衡”の国家体制を作りました。ここでは大統領は対立する官僚と財閥の最高仲裁人の役割をし、国家は機能せず、最も基本的役割さえ行っていません。
実際には我々は米国モデルを学んだのではなく、フランスモデルを学んだのです。そこでは大統領は全ての権力機関に君臨しますが、行政機関がすることに責任を負いません。その結果、1993年憲法にしたがうと、立法機関や特に司法機関がきわめて弱いにもかかわらず、行政機関に大きく重点がおかれたばかりか、行政機関の二元化や分散化となってしまった。これはまた国家の麻痺状態もつくりだしています。
1993年の憲法体系にはまったく実効性のないと分かりました。だからこそ、90年代安全会議はまったく不要なものとなったわけです。私の考えでは、大統領の最重要諮問機関としての安全会議の機能とは、政策の立案や教書の起草だけでなく、大統領の決定をチェックし、うまく実行させることにもあると思います。
ヴャチェスラフ・ニコノフ(財団“政治”、所長)
プ-チンが解釈するロシアの戦略発展目標とは、私の理解はトレチャコフとだいたい同じです。ロシアにおける安全の最大問題は、国の脆弱性であり、経済、技術、情報、教育などの遅れです。こうした問題を解決するには、きわめて大胆に市場経済を改革する必要があります。つまり、国家の強化と市場メカニズムを改善して経済の躍進を達成し、経済が閉鎖された条件では経済の躍進は考えられないので、ロシアをグロ-バル化する世界経済に組み込む、こうしたことを目標することです。私の見たところ、戦略の各分野の間に矛盾があるように思われます。一つはグレフの自由社会経済プログラムで、これは政府のプログラムと見なされています。これは広い国民層に痛みをあたえるものです。と言うのも、公共料金の上昇や社会保障の削減に歯止めをかけていないからです。このような自由経済改革はエリ−ト層に依拠してのみ可能であり、そうでないと、間違いなく政治資産が急速な浪費され、抗議の感情が頂点に達してしまいます。今では多くのエリ-トは反対の立場です。すでに88の野党知事がいます。リベラル系マスコミや国営報道機関までもますます反政府的な気分になっています。リベラリストはグシンスキ-や“ノルニケリ”事件後、次々と問題提起しはじめています。財閥は本来、改革実行の支柱となるはずだが、そうにはならず国外に残った資金をどうやって持ち出すか思案しだしている。つまり一つの問題を解決すると、別の問題解決をこじらせてしまう。その上、多くの必要条件が守られていない。縦の関係をまとめる前に、横の関係をまとめる必要があります。
挑発的な問題を提起してもよろしいですか。法のファッショです。これは、安全会議には必要なものです。かつてのエリツイン一派や、財閥と結託したり、民営化結果の見直しを望まない政府の人たちには必要ないものです。目標はあるのだが、その実現方法がきわめて様々で、多くの組織に提起されている、そうした印象がわたしにはあります。こうした目標や手段を一つにする、統一の意思や意識が今日まで存在していません。と言うにも、ある目標と達成しようとすると、他の目標の実現がきわめて難しくなる。グシンスキ−との闘いを不器用にやっているし、他の膨大な問題実現を妨げる多くの問題が発生している。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
プ-チンにとって効率性のある国家とは、全ての問題の回答なのです。効率性のある国家、これはあらゆる矛盾を取り除くメカニズムなのです。
セルゲイ・ロゴフ(ロシア科学アカデミ-米国カナダ研究所、所長)
効率性のある国家目標の宣言と現在の路線の経済哲学の食い違いは危険である、そこに注目してみたい。政府文書の基本となった経済哲学、これは国家にたいしては否定的に見ています。
実際決定した経済プログラムは米国の尺度では自由主義経済プログラムではない。米国の自由主義経済プログラムは経済の調整に関し、国家管理に依拠しているものです。こうした尺度からすると、わが国の場合は自由放任経済プログラムである。自由放任主義者が立脚している考えは、国家とはそもそも悪の根源であり、そこからは解放されなければならないし、できるかぎり制限すべきものであるとしている。これは過激な哲学であり、西側では極端な右翼だけが信奉しているだけで、米国でも、ヨ-ロッパでも、日本でもこうした哲学は国策の基本とはなっていない。逆に経済調整に関し国の管理に重点がおかれています。わが国も自己目標として、GDPにおける国家予算の割合を今後低減すると宣言しています。とは言え、わが国のこの割合は市場先進諸国と比べると少ない。これは我々が国をもっと効率性のあるものにすることを意味しています。
アンドラニク・ミグラニャン(財団“改革”、政治学者)
80年代半ば、その後90年代、わが国には問題提起があった。わが国はどこに進みつつあるのか、我々は何を欲しているのか、こうした問題提起があった。ソ連崩壊以前、国民は結局のところ、納得いく回答をえることはなかった。ゴルバチョフも国家非常事態委員会の人たちも、ソ連崩壊し五年たっても、彼らが何を求め、何故に国家が崩壊したのか分からなかった。ゴルバチョフはエリツインを非難し、シャフライはゴルバチョフや共産主義者を非難し、共産主義者は互いに非難し合い、これに終始した。
今日でも、ペレストロイカを開始した時と同様、次の問題にはっきりと答えることがきわめて重要です。ロシア政府は現在の行政機関の改革に着手し、何を達成しようとしているのか。
私は行政改革にたいする大統領の尽力は歓迎します。対応した政治手段や権力機関なしではどのような経済プログラムも実現できない、これはまったく明らかなことです。しかしきわめて重要なことは、我々が進みつつある方向の出発点をはっきりさせる必要があります。これに関してはプ-チンはゴルバチョフよりはるかに悪い対応です。何故ならわが国は半分崩壊の状態にあるからです。今日国内的にも国外的にも戦いを挑まれ、この規模はますます膨張し、もし適切な回答を探し出せないと、悲惨な結末となるものです。
プ-チン政権の基本的矛盾は次の点にあります。人々は、国家の威厳、社会正義、財閥と一定の距離をおくこと、行政機関の公共性など、広範の国民の期待にこたえるもの、こうしたことを旗印に彼を大統領にした。しかしそうした人々は、こうした目標や大統領選中にプ-チンが表明した政策の実現には関心がない。というわけでプ-チンを権力につけようと積極的に動いた人々が最初の犠牲者になるだろう。それと言うのも、彼らはエリツイン統治時代、常にある原則にしたがっていた。「生き物は全て平等だが、一部のものはさらに平等である」 こうしたことから、第一チャンネルやドレンコが大統領の行動の批判をかなり激しくしたことも不思議なことではない。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
誰が何によってですか。
アンドラニク・ミグラニャン(財団“改革”、政治学者)
テレビ局NTVその他のチャンネルです。かなり大胆な非難をかなり勝手なやり方で、あらゆる権力機関が愚かで魔性があると非難しています、NTVも他の誰かでもこうしたことをあえてやるわけがない。誰が最初にプ-チン政権の神格化や神聖化を破壊すると決めたのか。一年間の間に聡明で筋が通っているなどとした指導者の神話が作り上げられた。こうした神格化や神聖化のイメ-ジを破壊する役割を最初にしたのが、ボリス・アブラモヴィッチ・ベレゾフスキ−であった。さらに彼はゲ−ムは始まったばかりだ、不安がることも恐れることもない、情報手段も資金もその他の方法も十分ある、力を合わせればのぼせ上がった若僧を分相応の地位につけることができるし、そうやるべきだと発言したりした。彼らは国家や権力について何も知らないと言われている。我々は長い間この仕事にたずさわっているし、事の本質をよくわきまえている。
プ-チンにたいする最大の非難の一つは、ゲオルギ−・サタロフによると、彼がエリ−ト内のコンセンサスを破っていることにある。この核心はこうだ。大統領は統治するポ−ズをとり、エリ-トは服従するポ−ズをとるというものだ。実際には彼らは横の関係でも縦の関係でもしたいことをやっている。
言うまでもなく国家の主体性を回復する必要がある。これはつまり、大統領府や政府が財閥グル-プの支店や延長物となることを避けるという意味である。実際のところ、“モスト”と“グシンスキ−”との衝突は何から始まったのですか。彼らが政府内に自分たちの副首相や閣僚をもち、国家予算の一定の資金の流れやその一部を管理していた当時、彼らは“家族”という名でこの非国家機関のセンタ−に参加していた。“モスト”社から見れば、全てはうまくいっていたのである。グシンスキ-本人もマラシェンコも、決定を行い、財源を分配するグル−プのことを国家エリ-トとか、政治階層のリ−ダだと称していた。そこから排除された“モスト”社はそこにいる人々のことを極悪汚職常習者とか、反国家分子、自由の抑圧者と呼ぶようになった。彼らはキングを作り、資金の流れを采配し、情報を管理していた役割は都合のよいものであったし、それ故彼らにとってはこの国に主体性のないことが都合がよかったのです。
大統領や大統領府がすでにとった行動は多くの点でインパクトはありますが、熟慮されたものでないと思われます。国を七つの行政管区に分割するという案はもろい案です。かなりの資源のある膨大な地域を締め上げる行政組織を完全な形で作り上げると仮定しておきましょう。連邦会議とモスクワ公国の貴族会議の比較を思い浮かべると、背後に膨大な資源と強力な国家機関のある“行政七ブロック”を代表して、超貴族会議を作ることになる。しかしこれがうまくいかず、各行政区に実質的な財力も影響力のある国家機関もできないとすると、国家行政機関の改革案そのものの信用が完全に失墜するだろう。誰にも必要がない中途半端な制度ができあがるだけで、そして新たな問題をかもし出すはずである。そのどんな権限あるのか、将来どのように発展するのか、各々の問題の解決や未解決がどのような結果をもたらすのか、誰も説明できない、これは偶然ではない。
今日国権の形態と政治体制はどのようになる可能性があるのか。あるいは我々は国家のこの主体性をここでロゴフが発言したように民主主義制度を通して復活させるのか、それとも独裁主義を通して復活させるのでしょうか。民主系のアナリストも保守系のアナリストも、わが国には市民社会がないことでは一致している。こうしたことは、権力の民主的強化にとって前提条件がないことを意味する。官僚的行政機関や警察司法機関の強化、それに国家のしかるべき主体性への回帰は続いている。西側はわが国に今民主主義を要求している。ベレゾフスキ−やアブラモヴィッチ、マム−トとは、少なくともエリツインロシアの枠内で特権をもち、権力を操作し、情報手段や財源をもっていた人たちである。権力の主体性の回復は先ずル−ルに従いゲ-ムをする習慣のないこうした人たちに打撃をあたる。ベレゾフスキ−とは異なって別の観点からプ-チンを批判します。権力を強化するためには先ず、国の情報手段にたいする管理を取り戻す必要があります。第二番目としては、“統一電力会社”や“ガスプロム”、MPSその他まだ略奪がすんでいない全ての企業にたいする管理権を取り戻すことです。例えばあらゆる前線で同時に戦争を始めたとしたら、財閥を各知事の側に押し動かすだろうし、マスコミや金融機関、行政機関などを団結させる方向に向かわせるだろう。これはプ-チンの計画全体の運命に打撃をあたえる。こうしたことをおそれています。
このように今日権力を強化し国家の主体性を回復する上でプ-チンと大統領府には、市民社会の各制度を用いて権力を民主的に強化するのか、それとも官僚司法警察機関を用いて権力を独裁的に強化するのか、そうした選択肢はない。発達した市民社会がないのだから、権力の民主的強化は定義上不可能である。残っている選択肢は、中央では財閥が大統領と大統領府を支配し、ロシアを将来崩壊と不可避的に解体に導く現在の国家の無主体性を選択するか、それとも国家の主体性をしかもこの国の発展段階では唯一可能なやり方、行政官僚、警察司法機関を用いて回復させる選択肢である。
1988年から1989年にかけて全体主義から一足飛びに民主主義には移れない、これは最終的にはソ連邦の解体とカオスを引き起こす可能性があると、ゴルバチョフの改革を批判し発言する機会が何度もあった。(まさに現実はそのとおりになった) 分権化がすすみ、国家を市民社会が管理し、権力と社会に調和した関係のある成熟した民主主義には現在の状況から移るのは不可能だと今でも考えている。国家の主体性を回復した後はじめて、現在多くの点で形式的な民主主義政治体制を真に民主主義的な内容にする行動を考えることができるのであり、真に独立した司法制度と国家が機能してはじめて可能なことで、これは市民社会の発展した制度なしにはまったく不可能である。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
ところでアンドラニクは本題をそらしたようです。彼は国家の主体性の復活を戦略目標の一つとしてとらえています。プ-チンはこのことを強いあるいは効率性のある国家の建設と発言しています。こうした見解の弱点は、この目標は重要ではあるが、最大の目標とはならず、おそらく目標の手段となすものと考えます。
安全会議については彼が実現しようとし、はっきりと表明した若干の考えと目標からうかがえます。ここに具体的な動きがあり、世界の大国としてまた国際舞台で主役プレ−ヤの一国としてロシアの地位の維持と復活であります。さらにわたしにとってきわめて明瞭なことですが、当然のことながらロシアの領土保全です。チェチェンがこれを如実に物語っています。経済発展については、あまり民主派を好きでないプ-チンはそれでも自由主義経済改革を支持しています。最近彼が宣言した次のスロ-ガンは人口減少対策です。これをどうやって解決するのか分かりませんが、分かっていることはこれは彼の戦略理念なのです。
犯罪対策ですが、これは何もかもむしばむ国内の敵との闘いです。我々は犯罪と本格的に闘ったのを今まで見たことがない。
さらに大統領は二十一世紀の情報社会にロシアは参入すべきであると発言している。また彼はそこでも民主主義や言論の自由は守られると述べている。つまりこうしたことは全て戦略目標として表明されているのである。その半分は予定を立てただけで、まだ実行にも移されていない。こうしたことは珍しいと思う。
ヨセフ・スタ-リンも戦後、五ヵ年、十ヵ年の戦略目標をたてたことがあった。何故なら国を廃墟から復興させる必要があったからだ。同時に地政学的課題も決定した。これは宇宙開発であった。戦勝国の目標がかかげられた。戦争の勝利を少なくとも世界の半分の地域で地政学的に支配することにより確実なものにすることであった。同時にこのスタ-リン国家では、すくなくとも国民が国も政治体制も救ったことの感謝として、自国民の物質的豊かさを高めるという問題が提起された。今の状況はそのようではないと思う。プ-チンはベレゾフスキ−の後に続けて「ソ連邦の解体を望まない者は心がない。その復活を望む者は頭がない」と発言を繰り返していた。しかし独立国家共同体についてそれ以上はっきりとしたことは言わなかった。確かに我々は世界の情報システムに参入しようとしているし、民主主義や自由主義経済を達成し、より効率性のある国家を作り上げようとしている。しかしポストソヴィエトの地域でこの目標をかかげ、我々は連邦や我々のユ−ラシア地域を復活させることができるのだろうか。ここは歴史的には世界の中で我々の部分であるのか、それとも我々はこの地域を放棄するのか。
アンドラニク・ミグラニャン(財団“改革”、政治学者)
エリツインでさえ1993年にこれについて何らかの形で言及している。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
市民社会を構築する必要があります。誰もこれにはたずさわっていません。プ-チンは独裁者だとして各知事を非難していますが、プ-チン本人は地方自治の体裁で彼らの足元から民主的地盤を奪い取っている。
何がもとで何故にグシンスキ-と仮にクレムリンの間に齟齬が生じたのだろうか。グシンスキ−はその上、自分のことを国際企業の代表と考えている。彼にとってロシアには国境はないし、ジブラルタルにいようがイスラエルにいようが彼は快適なのである。プ-チンはこうしたことはまった不可能なわけです。
ロシアは今後どのように発展するでしょうか。プ-チンモデルの民族国家として発展するのか、それともグシンスキ−モデルの多くの多国籍企業で充満した国家として発展するのだろうか。ここには回答を見出すことができません。以前に書きましたが、ロシア帝国、ソ連邦、それに現在のロシアは同じ国というだけではありません。これは同じ国家なのです。ただ事の始まりが、君主が王朝であったり、君主が党であったり、今は財閥であるだけです。事実国の中で起こったことが起こっただけです。したがって、もしかしたらわが国権力の当然の状態としてこうしたことに妥協すべきなのだろうか。我々が市民社会の中間層を形成すれば、王朝統治そのものは消滅するはずです。この憲法には反対投票しましたが、憲法の急激な変更は歓迎できません。革命的変更、この中にはプ-チンが今目論んでいる変更も含まれますが、あらゆる点から考えて、若干形態こそ異なりますが、いずれにしてもそうした母体の復活になります。
安全会議が権力中枢の一つと見なされることをどれほど立腹しようとも、我々が公開政治の時代に突入したからには、縷言飛語や曲解、うわさ、議論などは避けられない。安全会議は政治舞台のプレ−ヤであり、位階制組織の構成体なのであります。安全会議の書記セルゲイ・イワノフはプ-チンの人間です。それ故、これは予備の政府なのです。これは嘘だとどのようにも語ることは出来ますが、人々はそのように思っていますし、こうした概念で思考しているのです。それ故、このヴィザンチン文化のプレ−に安全会議は参加せざるえません。そこでここでは、何らかのカ−ドを見せる、つまりわが国は何を目指しているのか、わが国の真の目標はどのようなものか、述べたほうが良いと思います。今あたかもこうした戦略目標を達成するために行われている多くのことが実際はたんに国家機関の改造に終始していますが、これはけして事の本質ではないはずです。第三の点としては、こうしたことにたずさわり、大仰な名称をもっている国家機関として安全会議は実際には少しも真価を発揮していません。それどころか、安全会議は何かあればカシヤノフやその他の閣僚を追い出し、彼らのポストに就くたんなる人間集団と見られています。
オレグ・チェルノフ(安全会議書記代行)
問題は誰がどのポストにいるかというよりむしろ、肝心なことは何をやっているかです。政府や安全会議などの国家機関の改造はすでにだいぶ終わっています。安全会議にとって最も重要なことは、安全面に関することや、あらゆる国家機関、特に内外におけるロシアの脅威を力で撃退する国家機関の力を統合することなのです。戦略については、昨年事実上プ-チンの時代になると、安全会議で国家安全と対外政策に関する新たな構想や独立国家共同体にたいするロシアの基本方針、国家情報安全原則、国防に関する一連の基本文書が作成されました。私は基本的には、企業にせよ、国家にせよ体制の危機はその体制目標やその管理目標の整合性の問題として説明する立場です。管理機関に明確に理解できる共通目標や計画の独自課題が存在しないと、自己目標が生まれ、管理機関は自分のために働くようになります。
ヴィタリの発言は正しい。スタ-リンははっきりとした戦略目標のうち立てに成功しました。だいたい1959年以前では無条件の優先課題は、米国との核競争で均衡を達成することであったと思います。その他のことは社会主義や共産主義的表現も含め、カムフラ−ジュ以外の何ものでもありません。ゴルバチョフ時代の問題はフルショフ時代にすでに始まっていました。当時ほかでもないソ連邦は一つの工場体制であり、明確の経済目標なしには立て直すことは不可能でした。管理機関にはこれは必要なかったのです(コンピュ−タの導入、競争、計画課題の失敗)。そしてその体制はしだいに退廃していったのです。ゴルバチョフは腫れ物が破裂寸前になったので奔走しました。今日になってもまだ目標設定のプロセスが続いています。今のところ西側の民主主義と自由主義経済が存在するのはマスコミの言葉の上だけです。国民はこうした価値観を理解していますし、はるかに長い間順応しています。ましてやロシアの政治振り子の条件ではなおさらです。我々は伝統に従えば中庸にすがりつくこともありませんし、市民社会も形成することはないでしょう。こうしたことは、あらゆる属性も含め私有財産制が完全に機能してはじめて可能となるでしょう。わが国ではこの十年間、選ばれた人たちの民主義が存在するようになりましたが、全ての人の民主主義も存在するのです。今日でもこの“円卓会議”で主に選ばれた人たちの民主主義を話し合っているわけです。
共産党と一緒になり国家を片隅に追いやり、国家からあらゆる機関や力を奪い取ってしまった。それにもかかわらず、犯罪と有効に闘うため、ハリウッドの映画のように“走って来て救ってくれる”司法警察機関をもつことを望んでいるのです。我々は血も流したくありませんし、暴力行為も望みません。したがって、カツレツは好きだが屠殺を思い浮かべるのは好まないということになります。如何せん、わが国には今のところ責任感のあるエリ-トがいません。わが国には一種の安全ベルトを駆使できるような力の中心がありません。これは例えば、1950年代の始め、米国のフォ−ド社が危機を脱出するまで米国政府が同社を一時的に管理したようなことです。
安全会議は自分たちの立場を公にするようにつとめています。我々はインタ−ネット上になかなかよくできたWEBサイトをもっています。そこに公開文書が掲載されていますし、我々が最近特に注目している独立国家共同体地域も含め、安全に関し今日現在の優先課題がでています。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
これは偽装している優先課題です。米国人はあからさまです。彼らは自国にとって重要な問題はあらゆる国に広げています。
アンドラニク・ミグラニャン(財団“改革”、政治学者)
1997年、私とコンスタンチン・ザトウ−リンはロシア外務省の依頼で“独立国家共同体:歴史の終わりと始まり”という報告書を作りました。そこではじめてロシアの国益の観点から独立国家共同体各国が位置付けされました。それを独立新聞が公表したので問題となりました。プリマコフの外務省はあわてて一線を画すようになりました。
オレグ・チェルノフ(安全会議書記代行)
安全会議は長いことまったく必要とされていませんでしたし、仕事のない状態でした。もちろん、ある者は学術的な研究とか応用研究とかはやっていましたが、しかし会議は稀で年に一二回程度でした。現実の動きのほうが、はるかに決定のテンポを上回っていたのです。国防会議の機能が安全会議に移されると、研究や調整問題の他に管理や検査も行うようになりました。安全会議は、欧米ではすでに200年以上も存続する国家の“抑制と均衡”システムにおけるセンタ-の一つになる可能性があります。こうしたセンタ-は歴史経験で認定されたもので、心理的には国民に受け入れられているものです。我々は今のところ、多くの点でアメリカ気取りでいますが、その借用した制度の多くは事実上機能していません。したがってこうした環境で警察司法機関や検察機関があたかも個人や社会の民主的発展のブレ-キとなっていると、非難するのは意味のないことです。わが国の司法権力はとても弱いもので、刑事訴訟法は時代遅れのものです。米国のようには、経済の役割は社会に理解されていません。「フォ−ド社にとって良いことは、米国にとって良いことだ」とはなりません。あらゆる過去の“国家権力の遺産”のあるロシアにとって何が最も相応しいのか、今日はっきりと断言できません。プ-チンは今はっきりと傾いた国家体制の改革実験をしながら、たしかに社会の雰囲気をチェックしている。真の指導者とは、本当の社会の要請と全国民の期待に最大限応えうる人間であり、ただ財閥や知事、個々のマスコミを代表とする社会の一部の利益を考慮するだけではだめであります。国の中核の役割を国家に戻すことは、脱イデオロギ-現実主義が必要な成果を確保できるという、ロシアの“ケ小平”となる道を彼に開くことになる。
とりわけこうしたロシアの現実主義路線は独立国家共同体国家にたいしては取られている。彼はさほど大きくはなく、実際にあまり目立たないにせよ、すでにその成果をあげている。こうした意味では安全会議は国家代弁者の一つの役割を身に付ける必要があります。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
テレビで発言することにより関心をもっているのも、代弁者であります。ところが安全会議は発言量が少ないか、あるいは不明瞭なのです。
オレグ・チェルノフ(安全会議書記代行)
現代世界の出来事はテレビで発表されないと、事実と見なされない、これには同意します。それ故、“砂漠の嵐”作戦の前に米国は世界の国民にたいし大規模な心理対策をしました。さらにもう一つ、現代政治における情報の役割の例があります。米国情報局は昨年十月国務省の一部となりました。世界で最も民主的社会が承知の上でプロパガンダの面で国家の強化に対応しました。安全会議も社会との結びつきを発展させ、情報活動を行うことには賛成ですが、しかしながら我々は如何せん、本部の仕事や具体的な調整課題でとても多忙です。解決方法となるかもしれないのが、学術研究所や社会活動家を参加させることや、非政府団体を復活させることです。たしかに国には国家の立場を知らせるための解説宣伝機関は事実上なくなっていました。テレビ上では分析に関わる真剣な論争は見られません。ドレンコやキセレフの番組は、滑稽な評論番組です。その他のものはありません。まさにこうしたものを“人々は食らって”いるのです。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
ところで何が公表できますか。具体的分野で国の一貫した立場がわかりません。例えば犯罪件数です。わが国でははじめは皆刑務所に入れられます。テレビ局はロシアは世界で刑務所に入っている人数が最も多いと、ぞっとしています。その後、犯罪件数が増えるとあわてふためき、恩赦が行われるのです。恩赦を中止しています。どんな立場でやっているのですか。もし犯罪者数を減らすのであれば、新たな刑法作りは最優先課題であるはずです。これには半年もあれば十分で、十年間はいりません。こうした狭い分野一つ見ても、国の一貫した立場がわかりません。
オレグ・チェルノフ(安全会議書記代行)
そのとおりです。ただし部分的ですが。立場はあるのですが資金がないのです。補足すれば、犯罪及び汚職防止に関する三つの国家プログラムの中、どれも財政上の問題から着手されていません。それに加え、汚職防止法を国会議員が多年にわたり採択していません。しかし恩赦は別なのです。あえて考えてみると、国会や連邦議会が時に“上院と下院商工会議所”と呼ばれるのはそれなりにおそらく意味があるのでしょう。しかし状況は改善されつつあります。そこでまさにプ-チンはそれにもかかわらず、連邦会議との相互理解を打ち立てるために主導権をとっています。たとえば、彼がはじめて両院議長二人を安全会議に参加させました。まさに権力強化の試みこそが、現在の状況における唯一正しい決定だと思っています。さらに緊急な対策としてはおそらく、一部の人間ではなく全てにたいし経済の自由を承認することです。さもなければ社会の危機は避けることができないでしょう。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
あなたのモデルは自由経済における戦時体制型民主主義と呼ぶこともできます。
オレグ・チェルノフ(安全会議書記代行)
若干の人たちはこれをピノチョット型と見ています。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
しかし安全会議でもこれは否定していますね。
アンドラニク・ミグラニャン(財団“改革”、政治学者)
こうした方向にはプ-チンにとっては自殺行為的軋轢が内在している。今日彼を支持しているのは、変化を求める国民です。グレフのプログラムが実行されだしますと、最初の犠牲者はその国民でしょうし、プ-チンは人気を失うおそれがあります。そこでは彼はまた様々なエリ−ト、例えば知事とか財閥と交戦することになります。その結果彼は孤立し、国民の支持もなくなる可能性があります。これは戦略ではないし、あるいは戦略としても最悪のものです。
オレグ・チェルノフ(安全会議書記代行)
グレフのプログラムは安全会議では細かく検討されていません。個人的な意見を言えば、「“サッチャリズム”と“レイガノミクス”の結合は発展しかつ社会的に安定している資本主義社会の段階ではきわめて適切なものです。これは優秀な上級生のための雛型なのです。この意味では我々はまだ初等クラスです。
セルゲイ・ロゴフ(ロシア科学アカデミ-米国カナダ研究所、所長)
国の復活には何らかの形の独裁主義に復帰することが求められる、この結論には賛成できません。これはまずいやり方です。たんに反動的な動きという理由だけではありません。独裁主義に戻ればロシアは偉大な国家になることはできないと思います。二十一世紀の世界経済ではスタ-リンやピョ−トル一世が使ったのと同じやり方では力の中心になることはできません。今日の条件ではこうした方法は有効とはなりえないのです。実際ロシアには民主主義への移行で何度となく失敗した歴史的経験があります。しかし我々は失敗の原因を分析するかわりに、後戻り、つまり慣れた伝統的な統治形態に戻りはじめています。この道は自殺行為です。
民主主義への動きを続けるべきで、それを頓挫させてはいけません。私は民主主義という言葉を使う場合、民主的権利と自由の意味だけでなく、国家の民主的体制をもさしているつもりです。我々は今日安全会議について十分語り合いましたが、しかし行政府は二重構造になっています。と言うのも実際の主な政治決定はしばしば安全会議を無視して行われているからです。たとえば安全会議が極端に別の方向に走り、政府と平行して存在するようになりますと、さらに国家を麻痺させるでしょう。米国の国家安全会議とロシアの安全会議の基本的な相違は、米国ではこれはことさら対外問題に向いていますが、わが国では先ず国内問題にとりくんでいることです。米国の行政システムでは二重構造は不可能です。行政権は大統領にありますし、全ての連邦官吏は彼の意志を実行しています。したがって米国の国家安全会議は全ての行政機関による大統領の決定の遂行程度を追跡チェックすることができます。
最近安全会議では興味深い文書が作成され署名されました。これには批判もできますし、賛成することもできます。しかしこの文書全体は宣言の形でなされた戦略のカテゴリに入るものです。それ故ここには数値や具体的なものは何もありません。まさにここにわが国権力の二重構造のメカニズムが述べられています。何故なら我々は宣言の形で戦略を表明しましたが、現実の政治は大統領ではなく、中間レベルの無名な官吏が動かしているわけで、国の財源の配分を担当しているのです。そして国家の完全な無権力状態が生まれるのです。行政機関の二重構造の一掃について真剣に考える必要があると思います。
問題は大統領の教書にあるのではなく、行政機関が大統領の決定を遂行できるかどうか、ここにあるわけです。どのようにして大統領の意志を国家機構の具体的行動となるようにすべきかでしょうか。このためにはまたもや米国のモデルを引き合いにだします。大統領のもとに予算局を設け、そこで大統領が表明した目標を国家予算の優先なものとすることです。したがって米国大統領の教書はたんに周囲を感動させるだけでなく、大統領のチ-ムが作り上げた予算の指標であり、財務省は後になって細かく配分するわけです。ロシアだと大統領は学術、防衛、文化、人口問題など優先問題を表明することはできますが、国家予算はこの宣言した目標とは一切関係ありません。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
そこで数十億ドル確保しておく必要があったわけですね。
セルゲイ・ロゴフ(ロシア科学アカデミ-米国カナダ研究所、所長)
行政機関の縦の関係を復活させる話では大きく意見が割れました。この縦の関係の復活は知事を7人、あるいは14人、それとも88人刑務所に入れても、1993年憲法で定めた権力を分散させるというそもそも最初から欠陥のある制度があるかぎり不可能です。政治テクノロジ−と呼ばれる事柄について今日多くの人が語っています。どんな財閥なのか、どこの住み、どこに出かけ、何のために、誰に対し、何時などと論争する上では夢中させる分野です。けれでも我々がロシアの戦略について語る場合、ロシアを偉大な国家に変貌できる制度の構築について第一に考えねばなりません。もし我々が効率ある国家を建設できない方向に意識的に進むのであれば、こうして宣言した目標はけして実現することはありません。
一律税率の採用を発表し、わが国が再び全世界を驚かせようとしたことには唖然とする。米国ではこの考えを億万長者ステイフ・フォ−ブスが提案したが、共和党の一次選挙で二度も敗北している。ジョ−ジ・ブッシュジュニアは税の低減を提案しているが、けして累進課税を否定していない。わが国は世界の先進国ではどこでも用いていない方式を行うと何故か決定してしまった。所得に関係なく全国民にたいし一律税の採用は、貧民層に基本税負担を転嫁するという社会的には退歩であり、異常であるばかりではない。それに加えこれはわが国では経済が完全に非効率的であると認めるものでもある。わが国には税金を徴収する能力がないことを公然とさらけだし、一般国民から早くも12%ではなく13%の税金をまきあげるつもりである。ところで40%や30%の税金を払っていない者が13%もの税金を払えないことは明白である。
アンドラニク・ミグラニャン(財団“改革”、政治学者)
最も滑稽なことは、最も民主的でリベラルで一貫して国民の利益を守っていると自称している“ヤブロコ”が擁護していることです。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
これは“経済の奇跡”にたいする単純な信仰でしょう。
セルゲイ・ロゴフ(ロシア科学アカデミ-米国カナダ研究所、所長)
これは経済の奇跡ではありません。これは経済哲学であり、だいぶ以前に経済モデルまったく異なるにもかかわらず、西側でも東側でも日本でも中国でも否定した経済哲学です。こうした実験をやるということが誰も気づいていません。わが国はふたたびばかげた実験をし、後になってまた、ロシアには米国モデルは合わないと言うにちがいありません。そこで“全てにとって平等”というスロ-ガンがかかげられています。しかしたしか効率ある国家の基本とは、国民の権利の平等を保障することだけではなかったのではないですか。国家は国民の状態に不平等が現実にあると認めていますし、それ故そこに国家財源を仕向けるように優先課題をだしています。優遇措置が設けられている小企業であるにせよ、学問であるにせよ、文化、国防でも同じです。結局優先性とは不平等条件のことなのです。
今結論を出すのは時期尚早です。具体的な政策や、具体的な予算項目、政府の実際の経済対策を見てみる必要があります。しかしもし“機会平等”というスロ-ガンが現実的なものとなりますと、泥沼つまり90年代わが国が陥った経済の沼からロシアはけして脱け出すことはできないでしょう。たしかこれは皿の上に均等に金を配分するという意味であったはずだ。わが国には実際三つか四つのすばらしいものがある。これをもって我々は国際市場に進出することができるかもしれない。歯に衣を着せず言うとしましょう。今日世界経済はロシアなしにりっぱにやっていくことができる。たとえわが国が明日金星やはるかずっと遠く旅立ってとしても、ヨ-ロッパはガスが三ヶ月間不足するかもしれないが、やがてこの問題は解決し、わが国なしで鼻歌まじりで暮らしはじめることでしょう。大統領が自分の教書で特筆した優先課題の中に二十一世紀の主流となる情報経済の問題がかかげられています。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
特筆はしてませんよ、ただ書いてあるだけですよ。
ヴャチェスラフ・ニコノフ(財団“政治”、所長)
さもなければビルゲイツに早くロシア国籍をとってもらったらどうでしょう。
セルゲイ・ロゴフ(ロシア科学アカデミ-米国カナダ研究所、所長)
予算やこのビルゲイツを検証してみましょう。我々はビルゲイツをその情報技術と資本と一緒にロシアに連れてくるように努力するのか、それともなにか正反対のことをするのか。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
ジブラルタルの住民グシンスキ-とビルゲイツを交換し、彼にロシア住民になってもらう提案したらどうでしょう。
セルゲイ・ロゴフ(ロシア科学アカデミ-米国カナダ研究所、所長)
ビルゲイツはオ−・ヘンリの有名な物語の主人公のごとく、どうやってカナダ国境まで逃げるか思案中です。何故なら米国の独禁法にはちょっとうんざりしているからです。ここから出てくる結論は、現代の解釈の自由主義と自由放任主義を混同してはならないということです。たしか西側でも90年代になにか異常なことがあったはずです。振り子は左にも右にも、自由主義にも保守主義の方向にも振れますが、実際今日では中央にいる時間がますます長くなっています。これはいわゆる第三の道のことで、クリントンやブレアが表明している道ですが、これには事実上シュレ-ダ−やジョスペンも、西ヨ-ロッパの大半の指導者が従っています。これは国の経済調整機能や、国家の社会的機能を否定しているわけではありません。このやり方は、古典的な社会主義的な意味での命令管理方式を否定しているのです。我々は第三の道がクリントン米国の未曾有の繁栄や、数年前不況の泥沼にぶつかったと思われるヨ-ロッパの再興という果実をもたらしたと考えています。大統領はロシアは国家理念を作る必要はないと発言しています。これは自然に生まれるものです。こうした問題提起はきわめて的を得ていると思います。世界やわが国で起きていることは、第三の道の分析に我々を向かわせます。機能する制度が存在する普通の国家をただ作り上げていくことが必要ですし、とんでもないことをして1993年の誤りを拡大してはいけません。もし我々がこのことを理解するのであれば、大統領が表明した宣言の形のスロ-ガンが数年もたてばロシアの本当の復活、つまり経済的にも対外政策的にも具体化しはじめるでしょう。もしこのようにならないと、効率ある国家の復活宣言ときわめて反国家的な経済哲学との不一致がロシアが持ち堪えることのできない致命的な打撃となるかもしれません。
ヴャチェスラフ・ニコノフ(財団“政治”、所長)
効率ある国家と自由主義経済を一緒にすることは不可能である、この話からはじめます。これは可能なばかりか、実際に実行すべきであると考えています。
クリントンやブレアの例はすでに触れています。討論は我々が好む方向、つまり民主主義と独裁主義についてのことに移ったようです。我々はヴィザンチン文化の土壌で成長したのだから、あたかも非民主主義的となる運命であるとする論拠には賛成しかねます。ヴィザンチン文化土壌の上では知られているように多くのものが、例えばギリシャの民主的政治文化やチェコスロヴァキアのミロシェヴィッチ体制が育ちました。同じギリシャの文化土壌でも“黒い旅団”も育ちうるし、きわめて民主的体制も育ちうるのです。
強力な市民社会が存在しないとのことで社会の民主的強化はロシアでは不可能であるとしてはいけない。そうでないと、ロシアの独裁主義的近代化以外に選択肢がないと事実上認めてしまうことになる。次のような論拠がある。もしわが国に市民社会が存在しないのであれば、市場経済を基にした近代化は不可能である。何故なら市場の主体となるのはまさに市民社会であるからである。しかし市場目標がかかげられ、つまり何らかの市民社会がわが国にいずれにしても存在し、そこに大きく政府が期待し行動するのであれば話は別である。ところが政府は市民社会を踏みにじるばかりか、無視して行動するつもりでいる。さらに独裁主義的近代化をはかれば、政府には国民の支持や財源的基盤がなくなるだろう。国内にあるものは急速に消え去ってゆくだろう。西側からはどのような投資もないだろう。と言うことはこれは展望のない道だと思われます。
国家の主体性復活の方法は様々あります。横の結びつきで主体性を復活させるためには権力の二重構造を一掃する必要があります。大統領は行政権を代表しなければなりません。このやり方はきわめて民主的ですし、分権の原則実現を押す進めるものです。現在大統領が権力を分割する仕組みの外におかれている事実こそが“抑制と均衡”という理念を実現する上で問題となっています。もちろん最大の課題は特権の剥奪や資本主義時代の政治経済の教科書をその手本としていない権力内で財閥が利益を代表することや支配することを一掃することである。ソヴィエト時代、そこには、全ての資本主義国では金融財閥が国家を管理していると書かれていたが、これは真実ではなかった。
セルゲイ・ロゴフ(ロシア科学アカデミ-米国カナダ研究所、所長)
我々はソヴィエトの類似物を選択し、両極を入れ替え、模倣の手本とモデルとした。
ヴャチェスラフ・ニコノフ(財団“政治”、所長)
わが国のモデルとなったのはソヴィエトの類似物なのである。これは脱却すべきだが、現在とられている措置や予定しているものは、けして国を民営化したエリ-トグル-プだけの利益にかかわるものではない。それどころか、まさに彼らの利益には今のところまったく触れられていない。国に民営化にきわめて消極的である知識層やマスコミ関係者は疎外感をおぼえている。ロシアの行政機関の強化問題にはもっぱら間接的関係にある外国投資家も同じ感情である。一方最も政府に近いし、影響力のある財閥は気分がわるい。この課題のもう一つの点、つまり主体性のある国家の縦の関係の復活ですが、正しい方向に動いています。行政管区の改革全体については私は七つの管区裁判所の設立に賛成です。これは、何よりも知事にはいかなる重要な経済の管理機構もないとの理由でプ-チンの命令で大きな権限を失う知事制度よりもはるかに重要である。経済協力の調整だけが残され、予算は彼らを無視してきめられる。事実、地方の行政機関をなんとか“連邦化”する動きさえ出ている。地方にある連邦共和国の各省庁のほとんどは中央政府より多くの点で地方政府のために機能していた。
これを一時的な措置としないで憲法に行政区分を定めると、ロシア国家全土に強力な地雷を敷設することになる。我々は共生する必要はあるが、分割してはいけない。さらに縦の関係復活という目標にはある一面があり、それにより地方のエリ-トが今後の別の改革の敵になる可能性がある。
安全会議については、これは行政権に関し憲法上の二重構造が取り除かれれば、然るべき相応の地位につくことでしょう。そうなれば全て然るべきポジションにつくことでしょう。たしかに今現実的には安全会議の地位は安全会議の責任者と国家元首との関係により左右されています。この関係が構造的なものであれば、安全会議はしかるべき役割をはたしますし、その反対にもなります。実際米国でも同じです。全てはそれを誰が代表し、大統領がそこにどんな機能を期待しているか、これにかかっています。しかし私の考えでは、安全会議が常に高い地位にあれば、安全分野や対外政策でも活動を統括するというきわめて重要な課題を解決できると思います。
外務省は、尊重したいのはやまやまですが、その地位からして各省の活動をおそらく統括できないだろう。こうした統括はどこの国でも大統領やその直属の機関のレベルで行われている。エリツインが永遠に不仲であるコズイレフやグラチョフを解任すべきか、考えていたことを覚えている。実際これは制度上の問題で、と言うのは外務大臣は国防大臣や原子力産業省大臣などに何かしろと命令することができません。こうしたことは多年にわたり、一定の複数窓口となり、個々の省ばかりか、同じ省でも様々な窓口があり各々自前の対外政策があったのです。もちろん、安全会議は公開の場で積極的な行動をとる必要がありますが、ここで一つ“助言”をしたからといって片付くものではありません。政治は分かるようにする必要がありますし、そこにこの十年間ほとんど活用されてこなかったロシアの専門家集団との緊密で建設的な対話ができる可能性を見出しています。
アンドラニク・ミグラニャン(財団“改革”、政治学者)
これは私の一貫した立場ですが、行政権の二重構造を撤廃することです。無論、大統領は行政権力の長でありますし、政府の責任者でありますが、しかし例えばロシアの副大統領ポストは不必要です。さもなければ再び二者択一的な力の中心が生まれます。わが国の条件では二者択一的な力の中心は機能しません。それと言うのも誰も我慢しませんし、二者択一的センタ-のまわりで群れを作り出します。大統領が弱かったり無能であったりしますと、特にこうした現象が起こるのです。彼の権限は政府に移るか、その反対になります。
ヴャチェスラフ・ニコノフ(財団“政治”、所長)
問題としていたことは、国家主体性の復活と自由主義経済の同時実施は不可能であるということです。私はこれは可能だと考えています。
アンドラニク・ミグラニャン(財団“改革”、政治学者)
ヴァチェスラフのこの指摘は理念的な意味でかなり重要な面があります。これは1988年〜1989年の議論まで遡りますが、当時わが国自由主義者は「資本主義は民主体制がなければ発展できない」と主張していました。しかしながら資本主義は封建主義でも独裁主義でも発展しましたし、民主主義はその発展の最高形態なのです。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
わが国の資本主義は財閥によって誕生したのです。
オレグ・チェルノフ(安全会議書記代行)
我々は賃金や税金の上昇について語っていますが、労働生産性について話さないと何にもならないと思います。この課題は近いうちに三つ四つの生産部門で問題提起されるかもしれません。体制が出来上がるまでは、そして経済の現業部門が注目されないうちは、わが国の足踏み状態は続くことでしょう。
ヴィタリ・トレチャコフ(独立新聞編集長):
度を越えたものは安全会議の範疇とする、これは当然のことです。わが国では誰が何を具体的にしているか誰も分かりませんので、こうしたこと全てが生み出される機関を探し求める願望は常にあります。おそらくプ-チンの行動にはある論理が存在すると思います。どこかで何らかの紙にこの論理が記述されているかもしれません。この紙がどこにあるのか、どの執務室にあるのか、プ-チンは誰と一緒にそれを書いたのか、不明です。
8月3日(木)
“国内債務と対外債務の中で”(完)
-通貨政策を変更する前に政府は国内の投資環境を
抜本的に改善する努力をすべきである
(独立新聞、7月28日、リュヴォフ・ドルジェンコヴァ、ユ−リ・ロジンスキ−)
ドルレ−トがなだらかに低下したので、政府と中央銀行の代表者間の話し合いも含め、通貨政策の修正について最早議論する必要がなくなった。しかし、国民経済の動向を細かく分析すると、現業部門の生産成長条件が悪化したため、まったくル-ブルは強くなっていないと言わざるえない。
誰にとってドルレ−トの低下が必要なのか
通貨政策について政府と中央銀行の意見の相違の理由はまったく単純である。政府は先ず現業部門の発展と予算に関し責任があるが、中央銀行はル-ブルと金融システムの安定に責任がある。
現業部門にとってはル−ブルレ-トが低いほうがよい。ル-ブルレ−トが低いと輸出が促進されるし、ロシア市場における輸入品の競争力を低下させ、国内産業発展のきっかけとなる。外貨レ−トが低下すると、予算の調整がやり易くなる。輸出業者の収入、つまり予算へのその繰り入れ額がル−ブルベ−スで増加する。輸入品にとって代わる製品生産を増やしている国内製造業者の利益も増え、それに比例して歳入も増加する。
経済安保の観点からすれば、先ずこれは資本の動きがグロ−バル化している環境では自国の金融危機を回避し、他の地域を震源とする世界的危機の悪影響を最小限にできる政策だと解釈しているが、過大評価された国内通貨を持つより過小評価された国内通貨を保有しているほうがましである。危機ともなれば投資家は外貨に交換し、国外に資金を持ち出すだろう。通貨が過小評価されている場合、資産を処分すると、過大評価の場合と比べあまりメリットがない。これは過大評価の場合、手持ちの国内通貨量が同額ではより多くの外貨に換えることができるからである。
基本的経済指数の裏付けなしに政府が交換レ-トを下げる意向だと公式に表明すると、交換レ-トはただ短期的に低下し、市場は一時的に不安定となる。その後、交換レ−トは再び上昇する。燃料や資源の国際市場の市況が良いので、ロシア輸出企業に高い収益をもたらしている。この12ヶ月間、輸出の伸びは輸入の伸びを数倍上回っているが、通貨需要は供給よりはるかに小さい。そこで中央銀行も国の金外貨準備高を補充し、市場の緊張を取り除こうとしている。二千年上半期に金外貨準備高は84億ドル増加し、平均では月間当たり14億ドル増加した。7月の前半二週間にさらに15億ドル増加した。
現業部門には低利の融資も必要である。しかし、ル−ブル相場が低いと、低利の融資は不可能である。為替交換レ-トが下がると、経済理論では金利が上昇するはずである。こうしたわけで、政府がル-ブル交換レ-トをなだらかに低下さようとすることは、低金利願望とは矛盾してしまう。
金利とは資金利用の料金だが、どの商品価格も正常に機能している経済では否定的なものではない。1992年から1993年にかけてロシアでは、高いインフレであったが、金利上昇はインフレ率に対応しておらず、実質金利はマイナスであった。企業にとっては融資をうけることはメリットであった。それと言うのも、返済時の金銭価値は下落していたからである。経済に未払い問題が発生した。1994年〜1998年、ル-ブルはインフレ上昇に合わせ供給されなかった。過大評価されたル-ブルは国内産業や輸出の成長にブレ-キをかけ、輸入を増加させ、経済のゆがみを大きくし、経済の安定性に脅威をもたらした。交換レ-トのこうした操作は金融危機を引き起こした。
現在、ル-ブル交換レ-トの上昇により、ロシア中央銀行は融資金利を下げることができる。1999年第三四半期、資金融資の金利は60%、2000年始めでは45%となっている。今年この金利は四分の一まで下がり、現在28%である。しかしこの金利でも、現業部門が銀行融資を受ける能力からすると、1.5倍から2倍高いのである。
ル-ブル相場の上昇は、金外貨準備高を増やすこととGDPの90%以上のロシア対外債務に対処するために引き起こされたものである。ル-ブル相場がさらに高くなると、ロシア債務の支払いにあてられる外貨購入費が減少する。ロシアの債務問題は長期的性格のものとなった。債務の完全返済には少なくとも数十年かかるだろう。もしロシアがGDPの成長率を急速に高めないと、新たなデフォルトの脅威に常に晒されることになる。
外貨準備高の増加はル-ブル安定性の維持や投資家の信頼回復には大きな意味がある。これは、国内の支払能力が高まるはっきした兆候である。1997年〜1998年の金融危機後、若干の発展途上国の中央銀行は毎週、外貨準備高増加の資料を公表している。こうしたやり方をロシア中央銀行も踏襲し、今年の始めから七月半ばまで124億ドルから223億ドルまで国の外貨準備高を増やした。
だがロシア金融市場には需要を喚起する融資対象がないので、外貨準備高の増加はル-ブルの実質レ−トを低下させる。と言うのも、ドル購入のため増刷しているル-ブルはまだ回収できないでいる。こうしたわけで、中央銀行は利子払いのため、商業銀行の保証金を確保せざるえない。中央銀行はル-ブル増刷の方法だけでなく、手元にある商業銀行の強制積立金と保証金によっても外貨準備高補充のため外貨を購入することもできる。
いずれにしても、経済における資金量は増えているし、これによるまた物々交換取引や代用決済を減らすことができる。しかしながら、資金は主に銀行機関に集中し、現業部門には流れていない。その結果、銀行には過剰残高が急速に増え、金融危機前の額800億ル-ブルにもたっしている。専門家によると、わが国経済の正常な資金量が650〜680億ル-ブルとすると、20%多いということになる。
驚愕する投資家
銀行の資金量は回復したが、銀行機関の投資額はきわめて少なく、約1350億ル-ブルでドルだと約50億ドル、その中12%は外国からのものである。現在銀行には多大な資金が蓄積されているが、銀行は自己資金との関係で設定された融資リスク基準を超えてまで経済に投資することはできない。弱い銀行は経済力を奪ってしまう。この状態をコンソ−シアム融資のやり方で改善することは、若干の銀行が提案してはいるが、現在の金融機関の状態では不可能である。いくつかの大規模なコンソ−シアム融資をくむと、全金融機関の融資能力の大半が失われてしまう。
銀行機関の増資は国の予算で行われているが、これにはインフレを増大させるだけである中央銀行による増刷方法はとられていない。しかし2000年度予算ではこの目的に大きな額は割り当てられていない。これは信用機関再編機構の活動範囲を制限させ、その能力を低下させている。金融市場と経済全体の建直しに費やされた貴重な時間が流れ、このために国が支払う代価が増大している。
銀行機関の自己資本と経済に投資する能力は増大していない。しかし経済の融資要求も増えていない。若干の評価だと、資金供給にたいし需要の割合は現在ロシアではきわめて低いし(1.5〜1.2)、低下傾向にある。この原因は投資環境が悪いことである。1998年8月の金融危機は中間層の生活水準を下げ、国民の大部分の貧困程度をさらに悪化させ、金持ちと貧困層の所得格差を拡大し、社会の緊張を高め、民主主義の社会基盤を縮小し、資産再分割に好条件を作り出した。
政治不安定と始まった資産再分割のシグナルは投資家を追い払い、国民所得の低下は消費需要の成長にブレ-キをかけ、商品生産やサ-ビス産業の拡大を押さえ込んでいる。その結果、固定資本への投資はきわめて緩慢である。燃料・エネルギ−部門の輸出企業でも、昨年度に比べ数倍の利益をあげ、この二年間で価格が三倍にも上昇したにもかかわらず、固定資本への投資はたった二倍増やしただけで、その他の資金は非効率的に支出しているか、国外の持ち出しているかである。
ロシアの国家機関や民間企業に透明性がないことや、一般化した債務不履行はロシアにたいし国際経済の不信感となっているし、その信用度を低下させている。こうしたことの証左となるのが、スイス企業“Noga”の例である。政府が軽率なことはこの会社と契約する際、ロシアのとって不利な契約内容にし、これが対外経済活動をやり難くし、ロシア国家機関と中央銀行の外国口座の差し押さえとなった。ロシア中央銀行の口座は、同行の資産が国のものでないので、差し押さえは免れた。こうした状況において驚くべきことは、中央銀行法の改正を国会は提案しており、それによると、その資産は国の財産となる。そうなればたしかに口座の差し押さえには法的根拠がでてくる。
中央銀行の独立性が曖昧であることは、投資環境に悪影響を及ぼしている。国会は政府に盲従するようになり、政府が求める法律は全て通しているが、中央銀行の独立性を奪う改正案をあいかわらず大げさに吹聴している。中央銀行の独立性はインフレの低下や、経済の安定化、GDPの成長促進、国民の生活水準の向上にとって最も重要である。この改正案が決定されると、通貨システムにたいし迅速な操作ができなくなり、国民のインフレ負担が増加し、投資家や国際社会は経済管理の民主的原則の放棄と国民の権利を侵害していると解釈するだろう。こうした改正案を出している国会議員には選挙民の信用を失うおそれがある。
外国投資家がロシアに来る理由は“行き場がない”とか、ロシアの株式はきわめて過小評価されている、そうした意見はまたもや思い違いであろう。世界では国外の民間資本誘致をめぐり熾烈な競争が展開しているが、1997年〜1998年の世界金融危機は投資家の意識を変えた。彼らが理解したことは、発展途上国や転換期にある国家の金融市場における高収益とは、利益どころか元本そのものも高リスクに晒されるということであった。例えば、ロシアの国債に投資した1ドル当たり、投資家の手元に戻ってきたのはたった10〜15セントであった。他の国でも“ゲ-ムル-ル”の違反があった。1998年マレ-シアではリンギットの平価切下げを避けるため、自国金融市場から投資家の脱出を一年間禁止し、その後逆累進課税をかけ、こうしたやり方で禁止令を二年間も引き延ばした。
先進諸国市場への資本の流出、とりわけ最もリスクの少ない国債の購入の形で米国への資本の流出、いわゆる優良地域への脱出は1997年〜1998年の期間、あらゆる新たな金融市場を損ねるものであった。投資家の信用回復と大規模投資の誘致に成功したのは、発展途上国と転換期にある国では若干にすぎなかった。中でも韓国とブラジルでは資本の流入が1999年度、300億ドルにもなった。しかしこれらの国ではわが国と異なり、銀行機関の増資に数百億ドル使い、国家機関と民間企業の活動に透明性を確保し、投資家の信用を回復した。
投資家の信用回復は可能
外国資本は銀行機関に国民の信用があり、外国企業が追加資金を調達できる金融市場を発展させている場所に入ってくる。米国では1968年、国外に米国企業が設立した子会社は地元の金融市場で資金調達するものとし、米国にある本国企業から資金調達してはならないという法律が作られた。銀行機関にたいする国民の信用を回復させるため、預金保険国家機構が設立されるまで、ロシアに国外から大量に入ることはないだろう。米国連邦預金保険機構は、1932年の大恐慌直後に米国の銀行が参加して国より設立された。このように米国では銀行機関にたいする国民の信用回復問題はきちんと解決された。事実、このため米国大統領フランクリン・ル−ズベルトはきわめて人気があり、国民の信頼のあつい人物であるが、毎週一時間ラジオで国民に向かって、銀行を信用し、預金するように訴えた。何故なら新たに設立した預金保険機構が国民の預金を保証できたからである。連邦保険預金機構には二つの機能があった。預金の保全と銀行業務に関し定めた厳しい規則に従い銀行が業務しているか監督することであった。
良い投資環境をつくるためには、ロシアは早急にWTOに加盟するため努力すべきである。これを一部のエコノミストが提案しているように7〜10年間も引き延ばしてはいけない。現代世界では金融資金の流れは、世界の貿易高を数十倍上回っている。発展途上国の経験からすると、輸入にとって代わることは、逆行であり、時間、人力、資金のロスである。輸出向け先端技術に外国資本が直接投資されると、ロシアの対外貿易における遅れた資源型構造を克服できるだろうし、経済成長テンポの加速と債務問題解決のために国際分業のメリットを利用できるかもしれない。
90年代、政府は予算のバランスをとる抜本的な対策をとらず、中央銀行の厳しい通貨政策と対立し、その結果金融危機となった。現在政府と国家はやっと予算に初めてゆとりができたが、他の劣らず重要な問題、すなわち良い投資環境とつくること、銀行機関と金融市場の回復問題の解決を遅らせている。政府と国会が事業活動を活発化させる環境作りの仕事を成し遂げないと、新たな金融危機は避けられないかもしれない。