ロシア最新ニュ−ス
2000年12月分履歴
12月31日(日)
“逃したチャンスと実現しなかった願望”(完)
-“今年、ロシア政府は結局、経済の好調傾向を確実にする機会をいかしきれなかった“-
(独立新聞、12月26日、ヴァジム・ロギノフ)
知られているように、クルイロフの有名な寓話では、遊び人のトンボが楽しい夏を歌ってすごし、冬の準備をしなかった。働き者のアリだけが、夏の好天の日は移ろいやすもの、それは仕事に有効にいかす必要があると理解していた。去り行く2000年は、クルイロフの寓話と多くの点で似ている。それはロシア経済にとって、実際に“楽しい夏”となった。危機は事なき遠ざかったし、国家予算を補完している石油価格は上昇した。GDP成長では、ロシアは少なくとも、世界のトップの十本の指に入るだろう。しかしその後で冬がやってくる。世界経済は一時的だが、おそらくきわめてハ−ドな“ランデイング”の態勢に入っている。原油の供給と保有量は、需要と価格を踏みつけにしている。一方、経済担当の官僚や、実業家の中には、賢明な“アリ”も、新たに変化しつつある環境でどうやっていくか、その場になって検討することになる、のんきな“トンボ”も多くいた。
強い衝撃とともに新年が始まった。エリツイン大統領が辞任したのだ。投資家が“ミスタ−・プ-チンとは何者だ”とオウム返しの問いを発しながら、ロシアの新しい指導者の真価を見極めるのに半年以上かかったけれども、経済が政治リスクの大部分を露骨に打ち消してしまった。経済構想プログラムも出現し、これにはグレフの研究センタ−に動員されたロシアの知識人には感謝せねばならない。ロシア政府は実態面から税制改革に乗り出した。
債務問題のシナリオは面白いように進展していた。最初、カシヤノフ首相はロンドン民間債権団にたいする債務を解決した。その後でIMFの内部改革があり、ロシアの経済状況が好調に転じ、新規借款は認めらなかった。ロシアには民間資本市場に参入する選択肢があったが、国外から借金による予想収益にはわが国は満足できなかった。ところが国内資本は明らかに厄介な面があった。わが国は借金を税収できちんと支払ってきた。だが年末になると、パリ債権団にたいする債務検討時期となる。そこでは“投資と引き換えに借金”という独特なアイデアが復活していた。
米国では金融舞台で何度となく年間の立役者となっているのがFRS責任者アラン・グリンスパンであるが、ロシア中央銀行総裁、ゲラシェンコ閣下にも、この称号がぴったりあてはまる。ル-ブルの対ドルレ―トは、事実上固定した形になり、前門の平価切下げ、後門のインフレでうまく設定できた。この一年、国の金外貨準備高は2.5倍となった。リファイナンス率もこの一年で55%から25%に低下した。実際のところ、まだ金融プロセス調整水準には達していないが、もうかなりそれに近い。中央銀行の独立性も守られた。若干の専門家は、ゲラシェンコの“骨の折れる”仕事が“厳寒の時期”にロシアをあらためて救うことになると予想している。
一方、ロシアの証券市場とその関係者は、明らかに申し分ない状態ではない。経済状況は有価証券市場が有効な手段となり、そして将来順調に発展し、すなわち経済の現業部門に資本を引き入れるメカニズムとなり、資本保有者のための投資対象となる、二つとないチャンスを与えたのであった。銀行はやっと膝から少し起きかかったところで、投資家も実際、低いスタ−ト位置にいた。もっぱら過去の間違いに対処する必要があった。わが国の株式を本当に魅力的にするために、実に多くのコピ−機をオシャカにした。西側の公開会社になんとか似たようなものにするため、株式会社法を改正する必要がある。資産分割の心配のない新企業を“第二”証券市場に引き入れる必要がある。こうしたことなしに、今年始め、ロシア株式指数表の見通しは、温度表に酷似していた(夏ごろに西側資金の流入を期待した国内資金による投機過熱と、失望感による冬場の雪崩的な下落)。社債の道筋を発展させる必要があった。中央銀行は、市場に関するいろいろ細かな技術面の調整に没頭しないで、こうした手段のために、刺激策を考えるべきであったし、根本的に新しいメカニズムを市場に提案すべきであった。たしかに今年の末頃になると、ロシア代表する外国企業のル-ブル債、つまり米国の“ヤンキ・ボンド”や英国の“ブルドック・ボンド”のロシア版のような、そうしたモデルが現れたが、しかしこれも市場がリ−ドして出来たものだ。財務省は結局、国の有価証券に関し、何ら関心をひくようなことを提案しなかったし、保険会社も年金業者も然るべきものとはならなかった。“スベルバンク”に関し、どのような選択肢も国民には提案されなかった。その上、デフォルト後の積もりつもった不信が払拭されずいたのだが、たしかに国際金融機関による追加保証してでも、有価証券を発行する案もあった。まさかとは思うが、国内投資を引き入れる課題がどこかに霧消してしまったのではないか。
年金改革では今年、“忘却の石”を動かした。しかし成果は明らかに中途半端なものであった。国家給付システムに強制積立てシステムが加わった。ここでは、民間部門や任意加盟団体については忘れているようだ。たしか、米国のIRAのような優遇課税を伴う個人の積立て式年金という補完メカニズムをスタ−トさせるには、半年もかからないはずだ。
さらにもう一つ、今年失望したものは、インタ−ネットビジネスである。急激に膨れ上がり、同じく急激に消え去った米国のハイテク株式のバブルは、春には全世界の投資家を発展途上国の証券市場から連れ去ったが、今ではまだ二三年もたっていないのに、リスクのある投資には怖気づかせている。たしかにロシアのインタ-ネットにたいするヴェンチャ−投資は主にオフィス、賃金システム、ネット周辺機器等に向けられ、どのような技術革命も、ヴァ−チャル効果でない、きわめて現実的効果も生み出していない。
直接投資が今年のテ−マとなった。しかし市場メカニズムは機能しなかった。正常な投資環境や投資の魅力の他に、機能させるメカニズムと刺激策がさらに必要なことは明らかである。直接投資家を現在存在するロシア企業に参与させることは、最も困難な課題である。企業をそっくり土地付きで売却するか、それとも株主と協力して、もっとも複雑な管理保証システムを整備する必要がある。
今年、法人管理について多く語られたが、仮にこのメカニズムが法律で条文化されたとしても、意識変化がない限り、これは結局のところ、紙の上のことだけとなる。その上、ロシアの経営者は経営権と配当を区分する習慣がない。つまり、他の方法を確立する必要がある。たしかに直接投資とは、これはゼロから新しい企業でもあり、半ば忘れられた合弁企業のことである。ここにも、若干の刺激策と保証が必要であり、そうすれば資金も戻ってくる。
今年、多くのものが経済プロセスにたいする国の積極性に注目していた。だが市場が自己の“責務”を果たせないのであれば、あと何をすればよいのか。大統領や政府高官は文字通り、ダイレクト・マ−ケテイングに移行し、経済人グル-プや経済プロジェクトを様々な国に連れていき、身をもって範を示し、投資家の意欲を引き出そうとした。まさにこれだけで、多少恥ずかしくない投資水準が維持されたのだ。さらに明らかになったことは、ロシアの資産が過小評価されていること、これが幻想であったことだ。それは価値評価だけの価値なのである。例えば、国は“OHAKO”で10億ドルそっくり手に入れた。砂糖輸入割当により、約2.5億ドル手に入った。自国の資源をこのように有効に運営すれば、国は債務の返済も、産業を昂揚させることも、年金者も支えることができる。
全体として2000年については、二つの印象が残った。全体的プラス面と構造改革の萌芽、同時に今後の困難を考えると、逃したチャンスと実現しなかった願望により失望感である。ロシアは困難な条件ではうまくやれると言われている。この国には、新しい技術、新しい輸出部門、新しい販売市場、付加価値のある国内需要、投資家を引き入れるメカニズムなどが必要なのである。おそらく2001年にはこうした方向で構造改革を目の当たりするだろう。困難な状況に陥ったばかりだが、国や企業の多くの知識が考え始め、新しいメカニズムを確立しようとしている。だがこのことを結局理解できず、“歌”をうたい、今後も“ダンスして遊ぼう”としているものには、ただ同情するばかりである。来年の春と夏は寒くなると言われている。
12月27日(水)
“二十一世紀のロシア電化委員会”(完)
-“事業団“ロスエネルゴアトム”第一副理事長アレクセイ・プルコピエフ、本紙記者ニコライ・カテロフのインタ−ビュ-に答える“-
(独立新聞、12月23日)
-“原子力発電所だけが、増加するロシアの電力需要を確保できる。電力の最も有望な部門発展の条件を作れば、ロシア電化委員会のプログラムが二十世紀に成し遂げたことを、二十一世紀にも成し遂げることができるだろう”と、本紙インタビュ−にアレクセイ・プロコピエフは答えた“
-アレクセイ・アナトリエヴィッチ、ロシアの原子力発電所を一つの事業団にまとめると言う噂はだいぶ以前から流れています。こうしたことは初めてなことで、わが国だけのことですか。
「原子力エネルギ−の分野ついては、その他の分野同様に、ロシアは世界の優れた経験を活かしています。統一発電会社の設立は、世界の原子力エネルギ−部門で行われている方向と一致する流れです。こうした流れは国の範囲を超え、巨大な多国籍企業の誕生となっているわけです。こうのようにして統一しますと、電力生産コストを下げることができますし、それにより規制の弱い市場条件で競争力を確保できます。さらに大企業では、統一規格の導入や、保険準備金の設立、統一した科学技術政策の実施により、原子力発電所の運転安全性を高めることができます。
例えば、個々の電子力発電所を買収して巨大なエネルギ−企業の積極的な設立が米国では行われています。原子力施設運転の統一した規格や、やり方、耐用年限の導入すれば、こうした企業の経済状態を強化できますし、原子力発電所の将来を保障できます。」
- この会社の構想はどの程度綿密に検討されたのですか。これにはどなたが参加されましたか。
「事業団“ロスエネルゴアトム”の専門家はほぼ三年前ですが、原子力発電会社の計画作りに着手しました。連邦の原子力企業を再編しますと、現行法と食い違っている部分がなくなりますし、これは全国家的な資産管理の枠内で行われます。ここで言う最大の食い違いとは、現在“原子力利用”連邦法にしたがい、事業団“ロスエネルゴアトム”は所属している設備の効率的運転や、原子力施設、放射能源、核物質保管所、放射能物質などの安全性、ならびにそうしたものに対する然るべき扱いに関し、全責任を負っています。しかしここでは、事業団は目的をもって、資材や管理資金、各発電所に分散している財政資金を運営することができません。統一原子力発電会社を設立しますと、こうした状況を抜本的に変えますし、運営企業の権利と義務を釣り合いの取れたものにできますし、電力生産量の増加、電力料金上昇の歯止め、建設中の原子力施設にたいし多方面から投資することができます。
この計画立案には、経済発展通商省、財務省、独禁政策省、法務省その他の省庁の専門家が参加しました。計画作りには国際経験も取り入れました。組織再編の起草者は大企業である“British Energy”(英国)、“Nuclear Energy”(英国)、EDF(フランス)の国外専門家とも緊密に連絡をとり、作業を行いました。わが国より原子力発電の割合の大きな国の原子力企業管理の考え方やスキムは、国内条件に然るべき適合させて同計画に取り入れられました。
現在、事業団と原子力省には14の委員会が作業をしています。ここで再編にともなう様々な問題を解決しています。この委員会には発電所の所長も参加しています。各委員会は原子力発電所と供給会社の地位や、会社の各部門の権利義務の配分、料金方針、最新技術の導入や投資戦略を決定しています。さらに発電会社の設立は多くの法規の制定や現行法の変更を伴うことも考慮する必要があります。原子力エネルギ−システムの変更は経済面と安全保障面からも最大の効率を確保する上で総合的に行う必要があります。」
-発電会社の組織構造について若干説明していだだけますか
「統一発電会社の組織は、いくつかのタイプの企業から構成されます。10の原子力発電所、事業団“ロスエネルゴアトム”、原子力発電所の運転及び安全性維持のための企業のことです。この中には、原子力発電所の管理システムの運転開始、調整、改善や、各発電所設備の修理を行う企業や組織、並びに専門の研究センタ-も含まれます。ここでは発電会社は各原子力発電所と供給会社のあらゆる物権、無体財産権その他の義務権利の法律上の継承者となります。
現在国の一元管理下の企業である原子力発電所は、事業団“ロスエネルゴアトム”に組み込まれ、その支社として機能することになります。秋の末から、ビリビノ給熱給電原子力発電所を統一発電会社に併合する作業が進められています。これは会社の内部関係や仲介業者、電力需要者との関係を調整する上で一種の試験場となるでしょう。
原子力発電所や供給会社により以前に形成された国の一元管理下の企業は、法律上の継承性に基づき、事業団“ロスエネルゴアトム”の子会社となります。事業団の子会社、支社、代理店はその組織上及び法律上の地位は維持されます。
-組織上、事業団“ロスエネルゴアトム”の役割に変化はありますか
「組織再編しても、事業団は国の一元管理下の企業のままです。したがって、現在と同様、今後の事業団の活動は国の完全な管理下におかれます」
計画にしたがいますと、発電会社の組織にある、核エネルギ−サイクルに組み込まれている基本的資産は、事業団“ロスエネルゴアトム”の運営下におかれ、そのバランスの上におかれます。これは今までどおり今後もその基本的機能をはたします。その中には、運営譲渡された施設の運転も含まれ、熱や電力の生産及び開発、新しい発電設備の運転開始も含まれます。それとともに、事業団“ロスエネルゴアトム”は唯一の生産事業体となり、電力及び熱エネルギ−の販売元になるわけです。こうすれば、原子力施設の多方面からの投資を効率よく迅速に行うことができますし、電力の卸売り市場で統一的に料金方針を実行できますし、コスト削減のために資源を中央に集中させることができるのです。我々の考えでは、まさに組織的に中央集中管理することは、部門を破滅的に細分化するのではなく、エネルギ−部門に関し、秩序ある市場関係を確立する手助けの要因となるでしょう。
事業団の活動管理は原子力省が行います。事業団“ロスエネルゴアトム”の活動安全性にたいし、国の管理を行う連邦行政機関は、各権限に基づき、国家原子力監督局、国家鉱業技術監督局、内務省、FEK、保健省です。
-再編しますと、各々から入る国の税収は減少しませんでしょうか
「事業団“ロスエネルゴアトム”が提案している発電会社の組織管理構造では、原子力発電所のある地域には原子力発電所からの税収は維持されます。これにより、電力及び熱エネルギ−生産で用いられている資産全体の管理が最適となるはずです。
その他に発電会社の支社(原子力発電所)に決済口座が設けられ、これら支社が生産した電力売上の一部を得ることができます。こうしたやり方により、再編前と同じ金額で地方予算に全税金の納付を行うことができます。地方の配分がなくなることはありません。
-統一電力会社を設立しますと、どのような経済効果を見込めるでしょうか
「計画で予定している方法を実行すれば、法律関係の調整の他に、電力生産コストの引き下げができます。このことは、電力料金上昇テンポの下降か、それとも料率に変化がないとしても、その投資割合が増加することを意味します。後者の場合、第一世代の発電設備の近代化や改造、有機燃料の代わりとなる新型発電設備を設置するための条件が大幅に改善します。これは、石炭、重油、ガスで稼動する発電所と比べ、原子力発電の競争能力を高めるものです。
資金全体の節約は、現行の料率水準の14%となります。こうして生まれた資金は、原子力発電所の電力料金上昇の抑制や、発電設備寿命の延長、その近代化、改造に向けられます。原子力発電関係者にとって最大の課題は、きわめて完成間近にある発電設備の工事を完成させることです。その数は国内で十ヶ所以上あります。それと新しい電力設備を建設することです。
-“要員数の最適化”という表現は、原子力発電所の職員数を削減するという意味ですか
「こうした状況のために、現行の施設と建設中の施設にたいし、熟練要員の再配分を予定しています。忘れたならないことは、原子力発電のような高度技術の生産現場では、プロだけが働くようにしなければなりません。これは技術課題の難易度によるだけでなく、安全性の要求にもよるものです。現在、ロストフ原子力発電所の試運転調整作業が行われていますが、近年中にさらにいくつかの原子炉の運転を始める予定です。そこでは、ロシアの発電所ばかりか、CIS諸国の専門家も働いています。
-原子炉の安全性は改善されますか。“平和目的の原子力”を恐れる必要はないのでしょうか
「現在の開発の成功にもかかわらず、核エネルギ−を恐れることは、まったく先を見ていないことです。近年、安全状況は根本的に改善されました。安全数値を表す10項目の主要指数からしますと、ロシアの原子力発電所は先頭的な位置にあります。これは万人周知の事実でして、国際検査機関も認めていることです。今年、非常保護装置の作動が六例ほどありましたが、1発電設備当たり0.21回の作動です。ちなみに、世界の平均指数は0.5回です。
放射線の強さについて言いますと、原子力発電所では、有機燃料を燃焼している発電所と比較すると、数倍低いものです。環境にたいする複合的影響に注目してみても、原子力発電所は人間にとってはるかに安全でありますし、運転による影響も、地域発電所と比べ、自然にたいしはるかに小さな害しかあたえていません。
12月24日(日)
“全て計画とおり”(完)
-“政府、ロシア通信発展構想承認“
(イズヴェスチヤ、12月22日、アレクサンドル・ラトキン)
通信省が作成した構想が承認されたことは、通信部門にとってはその構造改革の新たな段階が始まったことを意味するが、国民にとっては料金の値上がりを意味する。きわめて社会的に影響があるので、通信省の永遠の敵、独占禁止政策省から早くも批判が出てきた。
“自然独占企業”という包括的部門を独占経済的とは呼び難いが、これはしばしば政治目的で利用されている。ロシアの通信企業は、こうした名称を持株会社“スヴャジインヴェスト”に用いられることをあまり好んではいないが、この持株会社により管理されている各社は独占企業である。しかし問題は名称のことではない。国家は自然独占企業を厳しく設定した料金で規制し、通信企業には満足できるものではない。と言うのも、現在サ-ビス提供にたいし、その原価のたった75%しか得ていないからである。したがって、通信大臣レオニド・レイマンにより閣議で出された構想は、市場の規制とその法則の間にある種のバランスとることを前提としたものであり、同部門発展に必要な200億ドルの投資を呼び寄せるのに役立つものである。
通信省にたいし、あからさまに、また遠まわしに反対してはいるのが、独占禁止政策省は独占企業である遠距離通信企業には好意的であり、その理由は国民には国際的な通信料金を今のところ支払う能力が低いからとしている。同省次官アナトリ・ゴロモルジンは閣議終了後、独占禁止政策省ははっきりとした経済的根拠がある場合にのみ、料金引上げを認めることになると発言した。政府が事実上既に承認した構想の仕上げ作業に独占禁止政策省の参加を命じたことは策略である。
この二つの動きを和解させることができるのは、別の包括的概念、つまり時期である。来年中に、通信サ-ビス料金を原価水準にする予定である。通信サ-ビス料金の水準とその変動幅は地域に左右されることは知られている。それでも、料金引上げのおおよその額は予想できる。これは損失の出ない水準するためにロシアの通信企業にとって必要な幅である。
しかし、これによる社会の爆発は期待してもしかたない。その他全ての価格が上昇するので、国民は通信料金引上げから注意がそれてしまうだろう。
12月22日(金)
“ヴォロシン、チュバイスのプログラム反対”(完)
-“統一電力システム“社構造改革をめぐる対立は人事異動となるおそれがある”-
(独立新聞、12月20日、ヴィクトル・クジミン)
どうやら、“統一電力システム”会長職にあるチュバイス出世が磐石である時代は終わりつつあるらしい。問題は。近いうちに同社株主の単純過半数によりチュバイスを解任できる法律が採択されることだけでもない。経済問題担当大統領顧問アンドレイ・イルラリオノフの批判演説後、あたらめて勢いよく燃え上がったわが国電力システム構造改革プランをめぐる騒動は、政治にきわめて強い影響力のある官僚による公然の批判となったが、その官僚との対立すれば、チュバイスは“統一電力システム”会長の椅子を失うおそれがある。数日前、チュバイスの“統一電力システム”の改革プログラムに関しきわめて否定的なコメントをしたのが、ロシア大統領府長官アレクサンドル・ヴォロシンであった。
月曜日夕方、彼はプ-チン大統領がチュバイス案を支持したとのチュバイス発言を否定した。大統領府長官は、今年12月12日の大統領出席の会議で承認された“統一電力システム”社構造改革文書についてはロシア政府はまったく検討していないと伝えた。さらに彼によると、 “統一電力システム”社改革プログラムについて承認された文書は閣僚会議前にも、その最中にもどの閣僚にも配布されていない。“さらに、当初案の修正でさえ表面化されておらず、つまりアンドレイ・イルラリオノフの批判発言にいたるまで審議されなかった。そしてその後はじめて出席者は、承認された修正の一部を聞いたのである。思うに、国にとってこうした最重要な決定合意プロセスを“指ぬき”ゲ−ムに変えるべきではない。今後、文書の仕上げ作業がより建設的で実務的なやり方で行われ、正しい客観的な決定となることを期待している“と、アレクサンドル・ヴォロシンは述べた。
ちなみにアレクサンドル・ヴォロシンは大統領府長官の他に、“統一電力システム”社役員会の議長も勤めている。“統一電力システム”社の筆頭株主は国であり、総株数の52%強を保有している。
チュバイス本人は彼独特のスタイルでアレクサンドル・ヴォロシンの発言にコメントした。彼は記者団に自分とヴォロシンを対立させないように申し入れた。そこでチュバイスは、ヴォロシンは“統一電力システム”社の構造改革に触れたが、一度も彼の名前を出していないと発言した。「大統領顧問の立場が一方にあり、大統領府長官の立場が他方にあり、政府はしかるべき決定を下したのだが、電力会社の一つの謙虚な経営者は、首脳部が解決するまで待っているほかない」と、何故かイルラリオノフとヴォロシンの立場を区別して言葉を結んだ。
自分を正当化した発言をしたのは、“統一電力システム”社改革プログラムについて、政府から派遣された起草責任者の経済発展通商大臣だけであった。同省広報部が通信社“インタ−ファックス”の伝えてところによると、経済発展通商省は“統一電力システム”社構造改革について、“承認ではなく、検討する”文書を閣議に提出した。さらに同省スポ-クスマンは、文書は主要省庁(原子力省、電力省、大統領府)とは最後までは合意していないとも述べた。こうした省庁のコメントが何故に口頭によるべきものであったのか、そして書面は受け取ってはいなかったが、“二ヶ月間の文書仕上げ作業でこれは考慮される”はずであった。
いずれにせよ、ロシアの“統一電力システム”社改革をめぐり燃え上がった騒動は、何らかの裏舞台でのロビイスト的やり方では電力システム改革着手の決定とは今度はならないだろう。きわめた公算が高いのは、最終決定はプ-チン大統領個人が自分の立場を明らかにした後にはじめて出てくるはずである。
現在までプ-チン大統領は論争中のどちらも支持していない。アナトリ−・チュバイスにも、彼が提案したプログラムの反対者にも多くの同調者がいる。構造改革プログラムを支持している側には、副首相アレクセイ・クウドリン、経済発展通商大臣ゲルマン・グレフ、独占禁止政策大臣イリユ・ユジャノフ、労働大臣アレクサンドル・ポチノク等がいる。
チュバイス改革案反対グル-プには、アレクサンドル・ヴォロシン、アンドレイ・イルラリオノフ、原子力大臣エフゲニ・アダモフ、電力省次官ヴィクトル・クウドリャヴィイ、多数の知事、大統領直属安全会議の若干の幹部を入れることができる。
12月20日(水)
“ロシア、電力システムの大幅改革着手”(完)
-“この改革方法は国際コンサルタントの助けをかりて決定する予定-
(独立新聞、12月16日、ウラジスラフ・クジミチェフ、アンドレイ・リトヴノフ)
昨日の閣僚会議は誕生後短いミハイル・カシヤノフ政府にとって最も緊張した会議の一つであった。省庁間の討議もあり、首相のもとでの非公開会議、テレビの公開討論とかなり長引いたが、閣僚会議にロシア電力改革問題が提起された。
会議の冒頭でミハイル・カシヤノフ首相は2005年になると、電力生産設備はこぞって運転不能になり始め、それ以降国にとって脅威となるエネルギ−危機についてあらためて念をおした。周知のとおり、“ロシア統一電力”会社の現在の経営陣が作成した計画は若干変更され、昨日経済発展省から政府に提出された原案の骨子となっている。
この基本構想は次のようなものである。エネルギ−システムの刷新と発展には、2001年〜2005年の期間、年間約40億ドル、2006〜2010年の期間、さらにその二倍以上の大規模な民間投資が求められるとしている。投資家にとってこの部門をより魅力的にする最良の方法は、構造改革案起草者によると、ロシア全体のエネルギ−システムを三つの基幹ブロックに分割する。電力輸送を確保し、国有である統一網組織、独自に発電生産する企業、それと販売組織に分割するとしている。
こうした改革案は多くの者の熱意を引き出すものではなかった。政府内部でも論争が行われた。ゲルマン・グレフは閣議後の総括記者会見で、エネルギ−省、原子力省、“ロスエネルゴアトム”と改革案の争点の調整が木曜日から昨日遅くまで続けられたことを認めた。グレフによると、調整はうまくいったが、昨日の閣議の結果から判断すると、三時間続いた“エネルギ−技術”問題の審議は、とにかく一定の妥協をして終了した。アナトリ−・チュバイスは、閣議決定の議事録に資源独占企業をエネルギ−輸送部門として独立させ、生産及び販売部門は競争発展させる必要があると記録されたことを自分の成果とするかもしれない。ところが実際政府が昨日電力部門に関し承認したのは、たった一つの文書だけで、それはきわめて難解なタイトルのついたものであり、“電力構造改革準備段階における優先対策リスト”関する政令案だけである。“電力改革国家政策基本指針”について言えば、つまり改革プログラムの本体であるが、その仕上げにはさらに二ヶ月割いたのであった。面白いことは、改革案の仕上げには国際コンサルタントが参加して行わねばならぬことである。こうしたコンサルタントの選択基準は、10日間以内定められるとしている。
閣議の結果にたいしては、昨日ロシアの政治家がきわめて様々なコメントを出している。アナトリ−・チュバイスは、この部門の改革プランは事実上承認されたと強調し、他に選択肢はないとあらためて述べた。ところが経済問題大統領顧問アンドレイ・イルラリオノフは、いつもは経済に関しきわめてリバラルな考えをとっているのだが、完全に正反対の意味で発言した。電力部門構造改革構想を承認する決定は、まったく“政府の重大な誤り”であると、大統領補佐官は述べた。“チュバイスの考えに基づく電力部門構造改革構想は国家資産を二束三文で安売りし、知らない人に譲渡する結果となる”とイルラリオノフは述べている。
大統領補佐官はまた次のような発言をしている。“チュバイスの構想を実行すると、国家ばかりか、投資かも”翻弄“させる”。同補佐官によると、“統一電力システム”社の株価の下落はほとんどチュバイスの考えにたいする証券市場の拒否反応によるものである。
有名なエコノミストのかなり厳しい反応は大体においては、きわめて容易に説明できる。チチュバイスの考えに基づく改革が否定的な結果となる分かりやすい見本は、“統一電力システム”社の現経営者が提案していることを1995年に実施したウクライナの電力状況である。
ちなみに1995年ウクライナでは(現在ロシアでも提案されているように)、独立した発電会社(大規模4社、小規模11社)が設立され、国営の送電網会社が誕生した。その結果、早くも1999年近くになると、ウクライナが電力供給で深刻な問題に直面していることがはっきりした。未払いが急増した。1997年から1999年中頃までに債務債権者の負債が二倍以上に膨れ上がった。
公式統計資料によると、1999年末頃には発電所は頻繁に休業し、燃料の購入の資金がなく、利用者の電力供給停止が起きた。電流周波数が時々、原子力発電所を現実的に停止する恐れが生じるレベルまで低下した。ところが中間業者だけは裕福になったのである。
1999年末の状況では、核燃料購入資金がないため、国内原子力発電所14基の中、5基が運転中止していた。燃料と電力不足により、キエフ郊外の人々は暖房なしで照明のない家屋で暮らしていたし、店舗、病院、学校の大部分がまったく機能しなかった。
政府が電力独占企業分割にはしり、保有している電力システムを民間の投資家や(チュバイスが目論むように)外国人投資家の手に委ねることを決めた旧ソ連邦のその他の共和国でもうまくいっていない。例えば、カザフスタンはカザフスタンの電力システムを購入したベルギ−の会社との契約を破棄せざるえなかった。一方グルジアでは11月中旬、各国際報道機関によると、四日間の停電後、絶望したトビリシの住民が首都のメイン通りを閉鎖し、政府に対して家の燃料と明かりを要求した。
このように、ロシアの統一電力システムが存在しなくなる可能性がきわめて高い。だがその分割方法や段階は目の前に現れただけである。その大部分は国際コンサルタントの作業結果とここ数ヶ月のロシア政治情勢に左右されるだろう。
12月17日(日)
“透明度増すロシア国家予算”(完)
-“国会は基本予算文書を承認した“
(イズヴェスチイヤ、12月15日、リュボフ・キジロヴァ)
わが国は新しい予算で新年度に入ることになる。昨日国会本会議、最終の第四読会で来年度予算が承認された。副首相アレクセイ・クウドリンは、連邦議会で地方予算配分問題の審議で困難は否めないとしながらも、1月1日までに大統領が署名するはずだと、断言した。
第四読会での予算審議は比較的穏やかに終了した。これを阻止しようとする共産党の試みはうまくいかなかった。第四読会の延期をニコライ・コロメイツエフが提案しが、6名の議員が支持しただけであった。
第三読会の予算審議で2001年度民営化プログラムを政府が国会に提出するまで、大規模アイテムの民営化禁止修正案が採択された。政府は、企業債務リスケジュ−リング期間延期修正と同様、これには不満足であったが、それでも第三読会に戻すリスクをおかさず、アレクサンドル・ジュ−コフによると、そうなると“さらに数百の修正案を審議するはめになる”らしい。第四読会審議中、“ヤブロコ”副代表セルゲイ・イワネンコの提案により、2000年2月15日までに民営化プログラムの国会提出について政府にたいし、文書による申し入れがあった。
いずれにしても、予算委員会委員長アレクサンドル・ジュ−コフによると、“民営化法案が国会提出された後、大規模アイテム民営化を禁止する予算項目を修正する必要がでてくる”。民営化は解除される可能性がある。
すでに本会議当日に明らかになったことだが、国防費に関し一部非公開であった資料を予算書の付属文書の形で公表する提案が書面で副首相アレクセイ・クウドリンから国会にたいしあった。はじめの中は、問題だと受け止められたが、こうした資料は1999年度も公開されていたとアレクサンドル・ジュ−コフは説明した。問題は軍の当面の維持、中でも給料や食料・物資費用にたいする予算配分に関することである。ジュ−コフによると、こうした支出に関しては、非公開支出について議員や委員会が政府に請求して公開されていた。予算委員長は、国家予算をより透明にしたことは正しいことだと考えている。
12月16日(土)
“サハロフの手紙、国民が監視人であるべきだ”(完)
-“イズヴェスチイヤ”に届けられたサハロフの手紙は最高会議指導部が検討していた-
(イズヴェスチイヤ、12月14日、アレクサンドル・アルハンゲリスキ−、ミハイル・ゴフマン)
11年前、1989年12月14日、ロシアはアンドレイ・サハロフを失った。絶対の精神的権威があり、それ故国家にたいし社会利益を代表できる人々がやっと立ち上がった。その後でリハチェフの死。結果は明らかであった。権力は社会なしにとにかくやっていくことを学んだ。以前であれば、どんな風であろうと反応せざるえなかった。今は、沈黙は金だと考えるようになった。
死ぬ十日前、当時憲法第6条(知らない人もいるから、これは共産党の指導的役割の規定)廃止を求めていたサハロフが、本紙“イズヴェスチイヤ”の編集長イワン・ラプテフのところにソ連邦人民代議員グル-プの“アッピ−ル”を公表するようにと手紙を持ってきた。アッピ−ルにはソ連邦人民代議員アンドレイ・サハロフ、ウラジ−ミル・チホノフ、ガヴリイル・ポポフ、アルカデイ・ムラシェフ、ユ−リ・チェルニチェンコ、ユ−リ・アファナシイエフの署名があった。ラプテフは当時のきまりにしたがい、その日のうちに自分のコメントをつけてサハロフの手紙をソ連共産党中央委員会に送付した。
「1989年12月4日、“イズヴェスチイヤ”編集局にソ連人民代議員A.D.サハロフが警告の政治ゼネストの実施とソ連邦憲法第6条の検討を人民代議員第二回大会の議題に含めること求めた代議員グル-プの国民に向けた“アッピ−ル”を紙上で公表するようにとやってきた。私は、公表は絶対に許されないし、むだなことだと彼に答えました。情報として送付します。I. ラプテフ」
反応はただちに起こった。党指導部は“アッピ−ル”非難するため、労働者の集会を組織しようとした。この企てはほとんどむだであった。そこで地域間グル-プ代議員と予備会談をもつようにと、最高会議指導部に指示決定があった。この速記録はソ連共産党中央委員会に送られた。当時の官僚マシンの迅速性は評価に値するものである。サハロフがラプテフのところに来てから、ルキヤノフ、プリマコフ、ニシャノフと会談するまで、文字通り数時間であった。
ルキヤノフ:「私はすぐには信じることさえできなかった。そして“もしかしたら、これはわが国の人民代議員が署名したのではないのではないか”と述べた。ほらこれが“アッピ−ル”だと見せると......“貴方、アンドレイ・ドミトリエヴィッチが“イズヴェスチイヤ”新聞にきてこの”アッピ−ル“を公表するよう求めた....貴方は何を根拠にしているのか、ただでさえ社会状況が緊迫しているのに、それに油を注ぐようなことをして何を期待しているのか。貴方もご存知だと思うが、東ヨ−ロッパで起きているこうした運動のほとんどは政府を転覆するためのものである」
プリマコフ:「他の勢力を権力に導くことは.....」
サハロフ:「私は政権交代を支持していない。もしあなた方にそうした懸念があるのであれば、公けでこれを証明してもよい。ある大きな集会で格言の形で“移動中を馬を交換してはならず、鞭をうちせかすのだ”と述べたが、それが私の考えだ」
チェルニチェンコ:「私ははじめてこの文書をここで読んた。三日前電話があり、尋ねてきた。私は原則的には支持するが、無論のことストライキには反対であった。後で電話をし、これについて話している....。正直なところ、はじめの内はこれはストライキではなく下準備のようなもので...二時間やり、脅す仕草をしそれで全てであると思った」
サハロフ:「二時間、これこそ脅す仕草であり、その全てである」
チェルニチェンコ:「そうだが、何によって誰を脅すことができるだろうか。他にどんな選択肢もやり方もない、そこはまったく同感だ」
プリマコフ:「少し喋ってもいいか。先ず“馬は鞭をうちせかせるものだ”とアンドレイ・ドミトリエヴィッチ(サハロフ)、貴方は言っているが、説明してもらえないか。我々が馬で、あなた方が馬に鞭を入れる監視人である、そうした機能分離が存在すると、貴方は考えているのですか。我々がそうした状況におかれ、我々に鞭を入れる必要があると何故に貴方は考えるか、一方貴方はこうしたことには直接参加しないで、鞭をもって立ち、我々がもっと早く走るように鞭をいれるつもりですか」
サハロフ:「私が言っているのは、監視人は私ではなく、国民であるべきだということだ」
プリマコフ:「貴方は誰と対決しているのか分かっているのですか」
サハロフ:「我々はまったく対決などはしていない」
プリマコフ:「しかし同志、貴方はストライキを訴えて、緊迫と対決の方向に立ち上がっているではないか。ストライキを唱えることは、貴方は我々と対決していることだ」
ルキヤノフ:「私は同志、貴方にもう一度言いたい。こうした問題が我々に向け続けるのであれば、我々としては最高会議幹部会や最高会議に持ち出さざるえない。こうした流れが拡大している。今朝私のもとにいくつかの警報があった....。我々の立場はすでに述べている。同志的な言い方をすれば、期待している。我々の立場をここに不在でアッピ−ルに署名した同志にも伝えてほしい」
-本紙編集部は、上記古文書の提供に関し、A.V.ノヴィコフに感謝する。-
12月14日(木)
“プ-チンと国民は間違っているのだろうか”(完)
-国歌とロシア知識人良心の苦悩-
(独立新聞、12月10日、ヴィタリ・トレチャコフ)
私には、プ-チンが“新たな”国家象徴、双頭の鷲の国章と三色国家の承認とともに、ロシア国歌としてアレクサンドロフの曲を採用することには何の疑いももっていない。
第二次チェチェン戦争以来知っているプ-チン(それ以前は彼のことを実際知らなかった)には、ほかでものない他を選択することができなかった。
プ-チンの論理は、これについては国歌をめぐる論争で論文「権力の論理、そう欠陥がないわけでもない」で述べたように、この問題ではまさに非の打ちどころがない。三つの国歌シンボルは相互に伝統を引き継ぐとともに、三つの最もよく知られたロシア国家発展期を一つの歴史的統一物にまとめあげている。双頭の鷲はピョ−トル大帝以前のロシアを表し、三色国旗はピョ−トル大帝以降から1917年10月革命までを表現し、アレクサンドロフの国歌はソヴィエトロシア(けして全期間ではないが)を表している。
個人的にはこの論理には賛成だし、ましてやソヴィエトロシアの74年間をわが国歴史の中で“欠陥部分”だとも思わない。さらにあらゆる点からして、この期間はロシアにとって(ところどころでそれ自体に自然に逆行する面があったにせよ)自然の成り行きであったのである。
いずれにしても、暴力や流血、帝国主義で塗り固められたピョ−トル大帝の近代化に劣らず自然の成り行きであった。
しかし問題は私のことではない。問題はロシア国歌としてソヴィエト国歌の復活に断固反対する“少数派”より“多数派”を重視し、プ-チンが表現した「私と国民は誤ったことをしたのか」、この点にある。
“私と国民”は、この音楽についての政治的争いで反対の立場をとっているのは、そのほんの一部にせよ、知識人であることは確信している。我々の社会常識では、国民とかけ離れた役割は誰も担っていない。ただ独占資本家は別だが、彼らは国歌については沈黙している(ボリス・ベレゾフスキ−が本当にソヴィエト国歌復活に反対していることは知っている)。
主に芸術分野の知識人の代表こそが、プ-チンにたいし決定を再考するようかなり猛烈に要求していた。この知識人グル-プの政治的支えは、“右派連合”と“ヤブロコ”で、ここもまたアレクダンドロフの曲に反対している。
各々の側の動機や、歴史に基づかない現在の論理の解明には興味をそそられる。どこにも弱点はあるものだ。プ-チンは信条にしたがい行動した。「私を好きになったのなら、私の犬も好きになってくれ」 それともエリツインが1996年選挙前夜に述べたように、「国民がどこにいこうと、いずれにしても私を支持するだろう」
侮辱的な論理だ。とにもかくも、無理矢理な論理である。プ-チンは国民に訴えているのに国歌演奏中、テレビカメラは美しくない、十派一からげの国民には向かないで、宇宙飛行士や芸術家、作家といった最も有名な人たちに向けられている。宇宙飛行士はおそらく、アレクサンドロフの曲には反対でないだろうし、起立するだろうが、芸術家や作家はどうだろうか。
芸術家と作家は、国歌を歌っている成人国民の大半はまともであろうが、ところがある者には「スタ-リンは我々を民族に忠誠するように教育した」との声が聞こえてくる、この点では正しい。
プ-チンは反対できただろうか。ソヴィエト国歌といえば無論のこと、歌詞から削ることのできないスタ-リンも含め、数千の糸でソヴィエト全体と絡み合っているのである。ところがまさにそのスタ-リンがソ連人民芸術家とか、ソ連邦英雄とか社会主義労働英雄とかいう称号を制定したのだ。そして何故か、このソヴィエトの称号と勲章を返上するようにとは、聞こえてこない。たしかに誰が当時“人民芸術家”とか、誰が“功労芸術家”とか、こうしたことを決めたのは国民ではなく、最初にスタ-リン個人であったし、その後、ソ連共産党中央委員会政治局であった。ほんとうに古い世界を否定するのであれば、それはたんに個人的には関係ないということではなく、全体の問題となる。
だが知識人はこう答えるかもしれない。「我々の個人的欠陥はプライベ−トの問題である。ところが国歌は、国家問題であり、政治問題なのだ」 さらに知識人は「これは、少数とはいえ、民族の良識であり、声なのだ」と付け加えるかもしれない。民族の良識と声に耳を傾けないわけにはいかない。さらに少数の意見を考慮しないことは、非民主的である。
ウラジ−ミル・ウラジ-ミロヴィッチ(プ-チン)、貴方は民主主義者ではないではないか!失礼だが、帝国主義者である。
こうした形で対話を継続すれば、レ-ニンのような(どうやら似たような状況にあるが)視点に彼を追いやり、知識人の定義を別のものにするかもしれない。要するにこうしたやり取りは不毛なのである。
NTVの放送で自己の理念的、精神的立場を天才的に表現したのが、ヴァレリヤ・イリニシナ・ノヴォドヴォルスカヤで、そこで彼女は当然、あまり好きではないグリンカの“愛国の歌”の可否について述べ、「私はこの音楽ですでに起立しているのだがら、つまりそれはロシア国家として相応しい」と発言している。
しかし、たしかにプ-チンも、アレクサンドロフの曲を推薦し、同じような卓越した論拠を行使することができる。数千万の人々が彼に投票し、彼個人の価値観、意見、趣味までも具体化する権利を与えたことには、理解すらできない。
いずれにしても最も興味のあることは、こうした大騒ぎの原因はどこにあるのか。何故にソヴィエト国歌の不快感がそれほどにも激しいものなのか。
問題は国歌が民族を分断するとか、しないとか、そうした点にはないと思われる。国歌の制定が現在のロシア政権が帝国主義でスタ-リン主義であることを象徴しているという点にあるのでもない。もしこうしたことが何かにより象徴化され、誇示されるのであれば、国歌、国旗、国章によるというより、むしろ現実政治によってなされるものである。
問題は別のところにある。勇気がなく、そして最大なことは、プ-チン政治に反対する能力がないので(プ-チン政治を支持しているのは主に一般国民であり、それが多くの点で正しく、また“民主主義”と“改革”に個人的に失望しているので)、知識人はこの統一国歌という狭い問題でクレムリンの政治に反対するものなら、どんなものでもいいから、重みがあり、心底信じる論拠を探すことができたのである。この率直さと大胆さには敬意を表する必要がある。ただそれがその他全ての点でも一貫して欲しいものだ。
例えば、“右派連合”は(クレムリンの希望に反し)、今度の大統領選では独自の候補を思い切って立てて欲しかった。あるいは、連邦改革に反対するベレゾフスキ−の意見に全ての右派、リベラル派、文化人やそうでないものも、組して欲しかった。
右派とリベラル文化人の連合は文書の上だけ形成されたもので、“皇帝の方針”に政治的に反対とまでいかないが、知識人による絶対主義反対運動としてもあまりにも脆弱な基盤である
さらにいま一つ。十月革命の副産物としてのスタ-リンの国歌(ボリシェヴィキの国歌)について述べてみる。ところで誰が革命を招き入れ、世話をし、歓迎し、実行したのだろうか。国民だろうか。国民だけが街路に出ても、これは暴動であり、蜂起である。それ以上のものではない。だが国民と並んでその中心に知識人がいると、はじめて革命となる。旧ソ連のアネクド−トでは、ニコライ二世がロシアの革命的状況作り出した功労でソヴィエト英雄の称号に値するとしてるが、偉大なロシアの知識人(あらゆるボヘミアンも含め)も、聞いただけでなく、演奏までした“革命音楽”の功労でこの称号に値する。
ソヴィエト国歌の演奏を禁止して政治責任を払いのけることは、うまくはいかないだろう。自己の過去の全て、これには心地よいものも、あるいは都合のよい部分も含まれるが、それにたいし、ロシアの知識人やロシア左翼思想から誕生したロシアの右派は全責任を負う必要があるだろう。
アレクサンドロフの曲を聞くため起立していることは、これはおそらく、過去を思い起こさず、耳を楽しませるだけのものを選択するより、歴史的なそして各個人我々の罪をはるかに贖いものとなろう。スタ-リン矯正労働収容所総管理本部のためではなく、ロシア知識人は革命を自分の家に招きいれ、うんざりした“神よ、皇帝を守りたまえ!”のかわりに、新しい国歌を歌うことを夢見ていたのである。それは未来のためであった。
たしかに夢を見ていた!
ロシアの公式国歌で起立しようがしまいが、これが政治的選択の問題であるにせよ、個人の選択問題なのである。エゴル・ガイガ−ルが正しく述べているように、だからこそわが国は過渡期なのである。ソ連時代でもないし、ソ連共産党から除名されるわけでもないのだから、起立しなくてもよい。
12月11日(月)
“エリツイン最後の影響力行使、失敗”(完)
-国歌に関するエリツイン発言、一般の国民意見あつかい-
(独立新聞、12月8日、マリナ・ヴォルコヴァ-
初代ロシア大統領ボリス・エリツインにソ連国歌を新生ロシアの国歌にすることに関し、“コムソモ−ルスカヤ・プラウダ”のインタビュ−で発言したのと異なる反応を期待することはおそらくできないだろう。前大統領はそこで「ソ連国歌を復活させることには断固反対だ」と述べている。
プ-チンにとってはアレクサンドロフ作曲の国歌を採用することは、ソ連国歌とともに朝目覚めたいという願望であり、信条にかかわることだが(時々そのように早起きすることになる人はそうはいないと思われる)、二回の選挙戦だけでなく、共産主義思想を否定し対峙する政治全体を構築したボリス・エリツインにとって当時アレクサンドロフの国歌を替えることは、個人的観点からもきわめて重要な課題であった。無論、プ-チンの“音楽”にたいする強い執着に関し、エリツインに別の態度はありえようがない。これについてほかでもない現大統領は知るよしもないのだが、(国会会派“ロシアの地域”代表オレグ・モロゾフからのまた聞きだが)、エリツイン発言にはかなり激しく反応したようだ。モロゾフ議員によると、プ-チンは国歌にたいするエリツインの態度に関し、「こうした立場は元大統領も含め、あらゆるロシア国民の立場として注目すべきだし、尊重すべきである」が、国家の象徴問題に関する立場に影響するものではないと発言している。
この意味では過去と現在の国家指導者間の陰の会話の中身より、こうした“意見のやりとり”があった事実に関心がある。ロシア初代大統領は他の多くの者と同様、国会やホワイトハウス、あるいはクレムリンでもごく当たり前には退陣するはずのない政治エリ−トの一種独特な代表なのである。だが多くの大統領府職員に無断で、全てが懸念している問題、とりわけ国歌に関し国会での賛否投票の前では、エリツインのコメントを得ることはまったく不可能である。
本紙の取材源によると、大統領府スタッフの約八割がソ連国歌復活には反対であった。大統領府で地位はないが、政策に影響力のある官吏もまた賛成ではなかった。例えば、“ロシア統一電力システム”株式会社代表のアナトリ・チュバイスは、自分にたいするインタビュ−で国歌に関するエリツインの立場を賞賛した人物だが、クレムリンにひっきりなしに電話し、本紙の取材源によると、何度かアレクサンドロフの曲についてプ−チンと話し合い、していることが誤りだとプ-チンを説得していた。ところが同取材源によると、結局大統領を説得できず、大統領府の職員は“規律に従った”が、一方クレムリンに地位のないチュバイスは大統領の行動にたいする自分の立場を世論に話しかけたのであった。
プ-チンに影響こそあたえるものの、国会での賛否投票は阻まないという最後の試みは、どう見ても、エリツインが介在して行われたらしい。その上、こうしたやり方はその本当の首謀者には何の危害もない。ここでは論理は単純である。ロシア初代大統領は昨日でないとしても、いつの日か国歌についてあのように発言していたはずである。これをちょうどいい時に発言させたわけである。ましてやプ-チンには、初代大統領のリアクションにたいし準備していたとはいえ、アレクサンドロフの曲について考え直すことできたはずである。これは起きなかったが、これもまた致命傷とはならない。これはあらためてプ-チンはエリツインではないし、二人の間では政治的ばかりか、個人的見解でも共通点が少なく、プ-チンは大統領一派だけに好都合なエリツインの道ではない、自分の道を歩んでいることを示すものである。
さらに、国会にとっては、そこには挫折したエリツインの弾劾に実際関わった善良の半数がいるのだが、初代大統領の意見は赤のくずのようなものである。全てを正反対に行うこと、つまりエリツインが助言している方向ではなく行うことは、おそらく議員の特定の部分にとっては初めての劇的な行動となろう。残りの政治家や文化人は同じような情熱で国歌に関するプ-チンの決定を非難してはいるが、かつては共にプ−チンより優れた大統領は探すことは不可能だと立証してたのにもかかわらず、この問題では事実上そう好きでないエリツインの立場に立っており、ボリス・ベレゾフスキ−による反対勢力作りにきわめてよく似ていいる。
12月9日(土)
“2001年もロシアの産業成長は継続するか”(完)
-企業は経済が大きく伸びることには疑いをもっている-
(独立新聞、12月5日、アンドレイ・リトヴィノフ)
この秋ロシアで見られている産業成長の横ばいは、輸出企業を大きなジレンマに陥らせている。これは例えば季節要因による一時的停滞なのか、それともここ一年半に見られたような好景気の終焉に直面しているのか、こうしたジレンマである。起きているプロセスを国家統計委員会の統計だけでなく、企業家、銀行家、貿易会社代表にたいする無作為アンケ−トによっても判断できる。こうしたデ−タに基づき、ロシア政府付属経済情勢センタ−はロシアの産業及び金融関係の現状評価と2001年度の上半期の予想を出した。
経済分析センタ−副所長ゲオルギイ・オスタプコヴィッチによると、本年度の産業成長の要因は昨年と若干異なるとした意見は興味を惹くものである。同センタ−専門家の意見によると、1998年8月危機直後、生産成長は多くの点で輸入代替効果によるものであったが、2000年5月〜9月の期間、より安定した投資成長メカニズムが作動し始め、つまり機械製作部門や金属加工部門の製品や建設資材の国内需要が伸びたことである。無論、ここでロシアの資源輸出により収入増となって現れた国外要因のことも無視することはできない。年間を総括すると、成長率は9.5%、11月では110.7%(昨年同月比)、12月は104.1%となる可能性もある。12月の成長率の鈍化は“基礎効果”によるものである。1999年12月にはきわめて大幅な生産増があった。2001年度上半期の予想について言えば、生産量は106.1%となるが、現在現れている成長の不均衡は継続されるかもしれない。最も急速の発展する部門は機械製作と金属加工(111.5%)、それと軽工業(111.5%)であろう。他の分野に関してはより控えめな予想である。林業、木工業、製紙行では105.8%、非鉄金属は105.3%、石油採掘及び電力では105.2%、ガス部門では104.7%、化学・石油化学部門は103.8%、建設資材生産部門では103.4%と予想している。
ところが企業そのものは製造部門の見通しに関してはかなりばらつきがある。一つは、10月にアンケ−トした企業経営者の83%は、自社の状態を“好調”又は“満足できる”と評価している。大半の産業部門では経営者の自信に前向きなものが見られる。これは、その企業の製品にたいする現実の需要や当面の在庫状況、今後の生産見通しにたいする企業家の平均的評価と見なすことができる。最も自信パラメ−タが出ているのが燃料産業である。しかし、それにもかかわらず、鉄鋼や特に電力のようか基幹産業の責任者は、こうしたパラメ−タでは否定的な値を見せている。電力会社について言えば、当面の発電所燃料供給問題や不透明な電力部門改革計画を思い起こすと、彼らの気分は理解できる。さらに否定的なシグナルがある。今後三四ヶ月の企業操業基本指数(とりわけ生産高とその需要)に関し、経営者の予測は2000年全期間で最も悲観的なものであった。成長継続を妨げる要因としては、アンケ−ト回答者は燃料エネルギ−源の不足(33%)と必要な設備不足(20%)をあげている。
生産状態を判断する上では設備の稼働率も役に立つ。ここでも企業活動指数と同様、燃料産業がトップである。その生産能力の77%がロシアの地下資源に“喰らい”ついているが、これはただわが国経済の資源指向性を確認させるだけである。下からの“トップ”は、機械製作部門で、そこでは設備の41%しか利用されていない。けれども、この部門の大幅な生産成長を見通すと、この指数も前向きに推移することも予想できる。生産成長すると、他にも影響を及ぼすことができる。例えば、労働資源のより効果的な利用である。今のところ、機械製作企業経営者は実質的な生産量と比較し、余剰人員がいると最も頻繁に不満を出している経営者の部類に入る。
安定した経済成長を確立する上でロシアの金融システムの役割に注目してみると、商業銀行は今までどおり、企業の融資先の役割をあまりきちんと果たしていないことは指摘してお必要がある。ロシア各銀行の全導入資金の中、長期融資の割合は10.7%である。地方銀行協会会長アレクサンドル・ムルイチェフによると、2000年1月1日現在のこの割合は11.5%であった。実質計算では生産部門にたいする総融資額は2000年8月1日現在、危機前水準の82.5%である。ムルイチェフ会長は、生産部門にたいする融資拡大は高いリスク水準により抑制されていると考えている。同会長はまた、少数の借主に融資リスクが著しく集中しているとも述べた。銀行機関資産の中で大型融資リスクの割合は約30あると、同会長は述べている。
察しがついたように、ロシア経済はここ二年間、ある種の成長惰性にのったが、しかしながら、それは内部から十分なエネルギ−補給を受けないで、しだいに衰退しつつある。国家経済政策に一貫性がないこと、これにはきわめて緩慢な構造改革の実施や、海外からの本格的な大規模投資がないことも含め、経営者にその企業の現状が悪い状態でもないのにかかわらず、悲観的気分を抱かせている。
12月7日(木)
“改革の憎しみを超えて”(完)
-国会、経済恩赦の準備-
(イズヴェスチヤ、12月1日、リュボフ、キジロヴァ)
昨日国会に“経済恩赦の発令”法案が提出された。そこには恩赦を適用すべき、きわめて広範囲の刑法条項がリストアップされていた。その中には国外から外貨返還しなくてよいだけでなく、窃盗や詐欺にも恩赦を適用している。
この法案起草者である立法委員会副議長、アレクサンドル・フェドウロフ(会派“統一”)は、法案の目的とするところは“経済にたいしさらなる投資を引き込む”必要性と、“人道主義の原則”の勝利と考えている。同議員は三つのカテゴリ−の人物にたいする恩赦を支持している。一つは国外及びロシアに資本をもっている人物、二つめは取り調べ中及び公判中の人物、三つめは経済犯で服役している人物である。
ところがロシア連邦刑法の一連の条項は、起草者を質問攻めするほど広範なものである。例えば、このリストには国外外貨の不返還や資金の浄化の他に、不法銀行業務、有価証券発行不正利用、関税の脱税などもある。フェドウロフ議員は次のように簡単に答えている。“国会議員が必要と見なせば、条項を縮小できるが、私は反対である。彼が最大の論拠としている点は、“懲罰的な刑事政策”や“革命的憎悪”を放棄する必要があるとしているところである。例えば、限度一杯服役させないで、窃盗した者と窃盗された者が損害賠償について双方で話し合うチャンスを与える必要があるとしている。その5%の人が恩赦の実行を信じたとしても、同議員の計算だと、ロシアに約1000億ドル戻ってくるらしい(彼は国外に持ち出された総額を3.5〜4.5兆ドルと見ている)。
フェドウロフ議員によると、この提案は国会の“右派と中道右派”が支持するかもしれない。この会派としては、彼は“LDPR”、“右派連合”、“ヤブロコ”、“人民議員”、“統一”の名をあげた。そして同議員は、恩赦の決定は下院の専権事項ではあるが、大統領の立場の重要性を強調した。ところがこれがうまくいくことに疑問がでてきた。すくなくとも現在の中身からはそれがうかがえる。立法委員会議長パヴェル・クラシェンニコフは素っ気無く自分の部下、副議長の企図についてコメントした。議長は”体系的対策“を支持すると発言した。同議長は来週審議予定の刑事訴訟法にたいする改正をその対策であると考えている。クラシェンニコフ議長は、フェドウロフ議員の案より”もっと過激な恩赦案“があるし、これは自由民主党党首ジリノフスキ−の案だともつけくわえた。
12月2日(土)
“新たなインフレ動向”(完)
-独立新聞、11月30日-
本紙“独立新聞”は、アンドレイ・ベロウソフが主宰する“マクロ経済分析・短期予想センタ-”が出している毎月の“景気”展望から抜粋して掲載する。この展望では、10月〜11月期、現業部門では工業生産と固定資本にたいする投資は全体として停滞していると指摘している。同センタ−の専門家によると、こうした状況でもGDPは年間6.8%の伸びとなり、工業生産では9.4%、小売部門では8.4%、固定資本の投資は18%の伸びなる。輸出入高は各々1030億ドルと440億ドルで、貿易黒字は590億ドルであった。年間インフレ率(対12月比)は121%、工業製品生産価格は133〜134%であった。
インフレプロセスが若干加速しているのが見られる。消費市場では10月、商品及びサ-ビスの値上がりは102.1%で、昨年同期より明らかに上昇している。11月では、消費物価の高い上昇率は維持されると見られるが、101.8%と評価されている。その結果、年間全体を通してみると、インフレ率は120%を超えると思われる。
こうしたインフレの高いテンポは予想外のものではない。すでに何度となく指摘したが(特に前回展望で)月間物価上昇率102〜102.5%は事実上年間全期間のロシア経済固有のインフレ背景とは一致している。ここ数ヶ月の低い物価上昇率は主に、食料品の価格上昇率が緩慢であったからである。10月になると、この抑制メカニズムが機能しなくなり、食料品価格上昇率が102.1%となった。10月はまだ若干の種類の食料価格が季節要因で下落しつづけた(果実-上昇率94.8%、脱穀穀類、豆類-97.9%)にもかからわらず、すでにプライスリ−ダである食料品目の価格上昇を補うには不十分となった。こうしたプライスリ−ダの商品とサ−ビスは三つのグル-プの分類することができる。
第一グル-プは、新しい価格水準に“漸次”移行する食品(魚類、魚製品、牛乳、乳製品、バタ−)である。このグル-プは物価上昇が急速に沈静し、比較的安定した価格になると見ることができる。第二グル-プは住宅・公共サ−ビス(上昇率102.6%)と交通輸送サ-ビス(103.5%)で、価格上昇が特に資源独占企業の価格動向により決定されるグル-プである。第三グル-プは数量不足している分野で、その価格上昇は主に投機的性格によるグル-プである。例えば、砂糖価格上昇率は10月、113.2%であったが、急騰が始まった5月からだと、185.1%にもなる。ガソリンは10月108.6%、7月〜10月133.3%である。
工業製品市場では価格上昇率は10月では102.7%で、8月、9月より高い。ここ10ヶ月間、工業製品の価格上昇率は128.8%で、年間全体では133〜134%と予想される。
過去数ヶ月と同様、工業製品の価格上昇の中心は、エネルギ−消費部門である。この場合、ガス産業の価格水準は10月急騰し、119.3%となり、圧倒的なプライスリ−ダ(年初からだと172.8%)となった。10月電力部門の価格上昇は見られなかったが、それまでの数ヶ月に料金率を大幅に引き上げた(年初から137%)ので、この部門もプライスリ−ダと見なすことができる。主要燃料(ガスと石油)の予想を上回る価格上昇を考慮すると、このようなプライスリ−ダの状態は今後も続くと考えられる。
さらにもう一つのインフレ源は、石油採掘と精製と関連する各部門である。石油採掘部門も、石油精製部門も、また石油化学部門も10月の価格は産業全体と比較すると急騰した(105.6%、112.5%、105.2%)。その結果、この10ヶ月を総括すると、石油採掘と石油精製は予想を上回る価格上昇の部門に入った(年初から153%、141.9%)。一方石油化学部門はここ三ヶ月の傾向が継続し、11月にはこのグル-プに入る可能性がある。
インフレを抑制している産業の主要部分はあいかわらず食品産業である。10月、この価格上昇はたった101.8%で、この10ヶ月では114.5%であった。さらに最近工作機械の価格上昇テンポがはっきり下落している(10月では価格上昇は101.5%)。これはこの部門の景気悪化の一つの兆候となるかもしれない。
10月〜11月期の金融部門の状態を左右している基本要因となっているのが、通貨市場における外貨の需要供給の格差が当面縮まるとの見方である。この傾向は8月から見られ、二つの要因が絡んでいる。一つは、輸入業者による外貨需要の増加であり、もう一つは銀行及びその顧客による投機需要の活発化(銀行資産の非ドル化停止がこうした活発化の間接要因となっている)。外貨の需要供給の“間隙”の縮小は政府の外貨準備高の動向にも影響している。例えば、9月準備高の伸びは12億ドルであったが、10月は8億ドルであった。11月上旬では1億ドルを上回る程度であった(比較すると、3月〜7月まで政府外貨準備高にたいする外貨買入れ額は月間平均で約20億ドルであった)。
資金供給が明らかに安定しているにもかかわらず、ハ−ドマネ−の流通量は、価格動向に見合ったきわめてゆっくりではあるが増加し続けた(10月:2〜2.5%)。この結果、通貨発行量の縮小が何よりも強く現金を用いない分野に影響し、とりわけロシア銀行の預金やコルレス勘定に影響したのである。10月、その総額は5〜7%減少した。このように、銀行資産の余剰流動資金の幅が縮小し、おそらく年末近くになると銀行からの外貨需要が低下するだろう。
10月には通貨発行の新たな波が予想される。銀行からの外貨需要の低下の他に、季節要因による輸出での外貨流入増が大きな鍵をにぎることになる。まちがいなくこれは通貨市場の需要供給の格差を拡大させ、ロシア銀行による外貨買入れを増やすことになる。
銀行機関の状況の特徴は、実業部門にたいする商業銀行の融資が若干活発になっていることである。9月、企業による借入れ額は5.7%増え、前年同月の月間平均伸び率(3.1%)を上回っている。
この急増はどう見ても、第三四半期の銀行機関の高い増資にたいする反動である。この期間、商業銀行の自己資本は額面で14%、実質10%の伸びを見せている。ところが9月に融資能力が伸びたのにもかかわらず、銀行による資金調達と経済にたいする融資の間の格差が縮小する傾向にあると言うには、十分な根拠がない。10月1日現在、企業と個人にたいする銀行融資額は、5500億ル-ブル(“スベルバンク”を除き)であり、商業銀行が調達した貸付資金より1800億ル-ブル少ない。こうした格差を無くすことが、産業成長を再開する上で主要要因の一つである。