ロシア最新ニュ−ス
2000年1月分履歴
2月19日(土)
“ボリス・ネムツオフの神話と誤り”
-ロシア民族の“民主主義”の特殊性について-
(“独立新聞”、27号、ラリサ・エフィモヴァ)
政治学者ピオントコフスキ−はテレビ局“TVセンタ−”の放送で、“右派連合”の人々はプ−チンをロシアのピノチェット役の候補として見ていたが、共産党と“統一”が手を握ると、彼らはこれに疑問をもたざるえなくなったと発言した。ピオントコフスキ−の発言はロシアや外国の政治専門家にはけして目新しいことではないが、これまで誰もこのことを公然と発言しようとしなかった。その理由は独裁者の候補を探すことは、”右派連合“の人々が自分たちのことを民主主義連合としているが、そのありうべき目的と課題の認識とは一致しないからである。
有名な政治学者の発言を間接的に認めたのが、ボリス・ネムツオムの“右派連合”リ−ダの一人、セルゲイ・ドレンコの発言である。この元ロシア副首相は、ボリス・エリツインがツア−リとなるのであれば、ロシアに君主制導入することを支持するだろうと、発言したことで広く知られている。おそらく、多くの人はチリ旅行後、チリ独裁者ピノチェットに魅了された彼の発言を覚えていることだろう。
今度は“ORT”テレビの夕方の放送でボリス・エフモヴィッチは、“右派連合”の新法案提出、すなわち議員不可侵権の廃止法案提出に言及した。
国会議員の不可侵権(特権)はけしてロシアの発明ではない。初めてこの権利が宣言されたのは1689年の英国の権利章典であり、そこには“議会における発言・意見・行動の自由は制限あるいは、裁判所や国会以外の場所で審理されるものではない”と述べられている。この権利とは国王の圧力にたいし議員を擁護することであったし、その後他の国では為政者の批判にたいし、議員を擁護するものであった。そして自由な討論なしでは社会の文明的発展は不可能であるし、国政問題関しその条件を保証するものであった。現在議員特権は程度の差こそあれ、大半の平和国家には存在する。議員不可侵権は、権力にかかわる代表各々の独立性や、民主主義の擁護、議会政治のを保証する絶対に必要な伝統的部分である。この権利を廃止すると、国会での批判発言に刑事告訴のおそれが出てきて、これは議員を政府に縛りつけるものであり、ただでさえきわめて脆弱なロシア民主主義の根幹を破壊させてしまうだろう。
もっとも、民主主義について嘘のスロ−ガンでカモフラ−ジュし、実際は独裁を打ちたてようとするのであれば、B.ネムツオフと“右派”の提案は十分説明できる。
議員特権によりもたらされる有害はあまりにも誇張されている。(中断)
2月14日(月)
“落伍者の極”(完)
(モスコフスキイエ・ノ−ヴォスチ、5、アンドレイ・コズイリョフ、
ロシア外務大臣(1990年〜1996年)
なんと落ちぶれたことか、ロシアの国旗をつけた艦船が停止させられ、捜索うけているではないか。我国がテロリストを“塩漬け”しているのに、ヨ−ロッパは我国を非難し、その一方ペルシャ湾ではとにもかくも、腕っ節の強い国際社会の“ちんぴら”として“振舞って”いる。これが、我国“支配者”が既に五年間も達成しようと争ってきた、まさに多極世界なのである。自国や世界に文明社会の基準を維持している最も影響力のある先進国の極との協調政策をやめても、実際彼らには何のあてもなかった。
協調時代、ロシア外部大臣であった私には、何かあっても米国の同僚が事前に私に電話もせず、自分たちの懸念や信頼手続きに疑いがあっても話し合いもしないようなことは思いもよらなかった。我々だったら、ロシアに屈辱をあたえず、予想される違反や不幸にたいし、ロシアの船主に予め警告するような手をうったろう。しかしながら、このような相互信頼と尊重の絆はそれ自体国家間、とりわけ大国間の外交の絆でもあるが、ペルシャ湾の出来事から判断すると、見事にちぎれてしまった。米国国務長官M.オルブライトはモスクワと話す必要もないのに、たったいまモスクワを訪れている。協調政策のなくなった外交は無力となり、必要もなくなった。それはプロパガンダに置き換わった。スモレンスクから大声がかなり哀れっぽく、それに合わせるようにユ−ゴスラヴィアを爆撃(こんなことは私の時代にはなかった)した侵略者にたいする非難も、それに合わせ近くの港に捜査のために護送された船舶の解放要求も響いてくる。古い時代のように、プロパガンダはこってりと嘘で塗り固められ、証明できないとナイ-ブに期待しながらまったく分かりきった怒りの反論をするが、現行犯逮捕されそうになると、言いぬけようと卑屈な試みをする。しかも、“プロパンガンデイスト-支配者”の胸には勲章さえある。実際貿易禁止品を運ぶためタンカ-を出した者は、おそらく最も発展した諸国と闘い、反帝国主義闘争の同盟国に自分たち利益、メリットを見つけるべきだと、本当に信じていたのかもしれない。この問題は、拿捕された船舶や乗組員ばかりか、ロシア全体が国際投資家や貿易取引先の前でその“格”を否応なしに低下させながらも、明らかにせざるえないだろう。国旗が辱められたことは言うの及ばない。これが民族、国家の利益の政策だとしたら、これはロシアではないし、常に眠ってばかりいて第二の対抗軸でロシアを眺めている者、すなわち制裁措置を破り、石油を盗もうとし、拿捕され、臨検をうけ、護送された国際社会の“落伍者”である。
どんなにおかしかろうと、しかもソ連邦の特別全権大使であり、ほぼ二十年来ソ連邦の外交官であった私でさえ、“冷戦時代”には我国船舶にたいし、このような扱いはほとんど想像さえできなかった。ソ連邦は本当に反帝国主義戦線のリ−ダであったし、新ソヴィエト体制では“多極世界”を意味するものであった。今で我々も知っていることだが、ソ連邦は実際、手におえぬ軍拡競争の重荷で沈没寸前であったし、高度に発達した世界と政治的にも、技術的にも、経済的にも鎖国していたので、窒息寸前であった。そのような“カミカゼ”は、今日のロシアもそうだが、その世界では理解されないし、尊敬もされなかったことは、べつに驚くことでもない。しかし恐れていた。そしてその世界には一目おいていた。さらにソ連は独自の誇りをもっていて、ブルジョアジ−に財政支援や人道的支援を求めず、IMFにはけして加盟せず、国際債務はきちんと支払っていたことを誇りとしていた。
願望するのは、我国の新しい指導者が自殺する気などおこしてほしくない。彼らが多極世界を支持することが“マルキシズムのカリカチュア”としていることを最終的には止めることを特に信じたい。新しい協調戦略こそが、これには内政、外政とも厳しい対応を求められるが、新生ロシアが正当性があり加わるべき唯一の極、現代世界の先進諸国、尊敬される国家の極において然るべき地位を確保できるだろう。実際、“支配者”の“愛国的空想”とは異なり、この罪深く地球に存在する極は、たった二つである。各国はどちらを志向すべきか、自ら選択している。
2月7日(月)
過去と未来の間(完)
ウラジ−ミル・プ-チンと前任者の側近の関係はさほどうまくいっていない
(モスコフスキイエ・ノ−ヴォスチ、2、アンナ・オスタプチュ−ク、エフゲニ・クラスニコフ)
今日、エリツインの最も近い側近はプ-チンの選挙に責任を負っている。そのような取り決めがあった。これにたいし、知的リソ−ス、大きな経験、最新技術をもっている。その上、1996年大統領戦という能力証明書もある。しかし、“家族”が滅入っているのは、2000年三月のプ-チンには四年前エリツインに必要であった規模は必要でないことである。彼ははるかに少ない資金で間に合うかもしれない。当時選挙運動は支持率4〜5%で始まった。今日プ−チンのスタ−ト支持率は40〜50%である。この支持率はいとも簡単に敵を倒すことができる。
1996年、ゲンナジイ・ジュガノフはクレムリンが努力しなかったわけではないが、ボリス・エリツインの本当のライバルとなってしまった。これに驚いて国民の大半は本当に怖くなった。今日、これが選挙ではなく、ボクシングだとしたら、プ−チンのいるリングにジュガノフも、その他の政治家も上ることはないだろう。
このようなスタ−ト状態はミラクルを起こす場を与えない。ここではしっかりした普通の仕事が求められる。選挙にたずさわる人間にとって、これはあまり好ましい出来事ではない。例えば、“ゼッロクス”用紙入れにも相当しないはるかに小さな規模の資金が選挙期間中に飛び交うことになる。さらに50%の支持率がある“クライアント”は、国民にあまり人気のない候補者と比べ、“政治参謀”からかなり独立している。プ-チンの大統領就任が前大統領の側近の完全なる功績であると証明できれば、公式には権力から離れはしたが、実際は権力を掌握していることを明らかにできる。
客観的理由による不安には、交替を前にしてかつての権力の取り巻きの狼狽もある。ベレゾフスキ−の政府内最大前哨基地となる人物、ニコライ・アクセネンコが鉄道の責任者として復帰した。アクセネンコの降格がエリツインの人々と合意したせいぜい“形式的な見せかけ”の行動であると、どんなに主張しても、大統領代行がこれを喜ばなかったことは知られているところである。さらに下記のことが待機しているのである。
本紙の取材では、“家族”でも内部分裂が頂点に達している。ロマン・アブラモヴィッチとアレクサンドル・マル−トはボリス・ベレゾフスキ-の影響下から抜け出した。彼らにはプ-チンの側近との“良い仕事関係”が形成されつつある。
ところが前大統領側近の“イメ−ジメ−カ”としての能力はむだではない。プ−チンのイメ−ジを作り、偉そうな態度をとる可能性はないにしても(ある有名な政治学者が本紙記者と話をした時、「プ−チンには大統領候補としてのイメ−ジ作りは必要ないし、彼は既に大領領だと」述べている)、そのかわりボリス・エリツインは常に手元にいる。彼の役割はおりを見て解釈しなおす必要がある。最もメリットがあるのはエリツインが“ロシアのケ小平”として見られることだと、前大統領の仲間は考えている。
しかしながら本紙の若干の取材だと、ウラ−ジ−ミル・プ−チンの側近には、エリツインの新しいイメ−ジが継承者に不利となるかもしれないと懸念している。前大統領が現役大統領当時述べていたベツレヘムの旅行も、西側諸国の非公式訪問も、さらにまさにクレムリンに自分の財団をつくり居を構える決定も、これら全て側近の意見だと、エリツインは年金生活に入らず、我々とともにクレムリンにいて西側との関係を賢明にとりしきり、その若い後継者が内政で“へま”をしでかさないよう注意深く見守り、国民の暮らしぶりを見つめる、そのことのサインであるとしている。中国の指導者が引退はしたが、あらゆる国事にかかわっていたケ小平たいし、いかに快適であったか分からないが、しかし“ロシアのケ小平”は明らかにその後継者を警戒している。
“プ−チン一派”はロシアの新たな指導者の最近の失敗も“家族”のひそかな企みと見ている。誤った行動は、間違ったアドバイスの結果だとしている。大統領代行の側近は、アルグンとシャリにたいするチェチェン人の“突然の攻撃”により一転してチェチェン和平となった問題も、外貨収益を100%売却する制度導入の試みも(プ−チンはこれにより、ロシアビジネス界に敵を一気につくりだしたと言われている)、ポドモスコヴィエでゲンナジ・セレズネフをあてにしている問題も、そのように見なしている。今や、胸をはずませ、例の人気に期待をかけているが、その低落の懸念はあるし、そうなったら犯人はすでに明瞭である。
過去と未来の大統領の二つの側近関係の緊張は、ボリス・エリツインが退陣するとほとんど同時に発生した。プ−チンにとって今最大の問題は、三月の選挙まで作法を守りることであり、一方“家族”の彼の“後見人”にとっては、新大統領のもとで要らぬ独立心をそぐような作法を行うことである。