ロシア語の動詞
索引 一般的特徴 体の分類と全体の特徴 完了体の形成:対応する体 接頭辞無し不完了体動詞−接頭辞付き完了体動詞− 接頭辞の付いた動詞の体 不完了体の形成 接頭辞の無い完了体動詞の未完了相(不完了体)化 運動の動詞の対応する体 両体動詞(完了体動詞と不完了体動詞が同じ) 対応する体のない動詞(対応する体のない不完了体動詞)
一般に動詞とはある行為・過程を体・相・法・時制・人称の形を用いて表現する文の一部分である。更にロシア語の動詞には数と性(過去形、仮定法)のカテゴリ−がある。全ての動詞はその語義に関係なくあるプロセスを表現する。動詞はそのプロセスにおいて、動作(走る、積み荷する、掘る)・状態(置いてある、寝ている、苦しんでいる)・関係
(持っている、優勢である、属している)を表現する。動詞は下記の形態に分類される:
1)変化形(活用形):これは人称・時制・法(直接法、仮定法等)・
体の分類と全体の特徴
1.体とは、相対する二つの動詞形態のことである。一つの動詞形態とは、限界により限定された完結行為(完了体動詞)を表現する一連の動詞形態のことで、もう一つは限界により限定された完結行為の性質のない(不完了体動詞)一連の動詞形態のことである。動詞の体は全ての動詞にある。行為の限定とは、完結行為として行為を表現する抽象的、内的限界により行為を限定することを意味し、継続性や反復する過程としての行為の表現とは異なる。
不完了体動詞には、行為を限界により限定する性質及び行為を完結する性質はない。ここに、不完了体の大きな特徴がある。即ち、不完了体により、行為の経過、特に限界に達する迄の行為の過程を表現することができる。
完了体動詞では、行為が到達する限界は、主にある極限点として解釈され、その点に到達するやいなやその役割を終了し、行為は完了する。
例:
Vfkmxbr ljkuj gthtgbcsdfk hf,jne b,yfrjytw,gthtgbcfk tt (少年は長い間清書し、そして清書し終わった);Jy ,tkbk b gj,tkbk gjnjkjr
(彼は天井を白く塗り、塗り終えた);Cytu nfzk
b hfcnfzk(雪は溶けて、消えてなくなった);完了体は、ある限界に向かっている行為がその限界に到達して完了する、行為の完結性を表す動詞の体である。多くの場合、限界は限定された目的として、目的が達成された後の行為の結果を伴って達成される(
gthtgbcfnm、gj,tkbnm)。これは、行為の完結性及び限界による行為の限定性を実現する重要な表現方法の一つである。各々の不完了体動詞(gbcfnm、,tkbnm)は、行為の限界への到達を目指している。その他のタイプの完了体動詞は、ある状態への移行が不随意に完了・実現する意味において、限界の到達を表す。(
jckf,tnm,dshfcnb,edzyenm,hfcnfznm)これらに対応する不完了体動詞は、ある状態への不随意の発展及び移行の過程を表現する:
ckf,tnm−jckf,tdfnm、hfcnb−dshfcnfnm、
dzyenm−edzlfnm、nfznm!hfcnfznm.
完了体動詞は時間的に行為を限定するような限界をも表現できる。例えば、行為の開始(
pfgtnm、pfujdjhbnm)及び終わり(しかし完了ではない)(jnujdjhbnm、jnievtnm、jnjvtlfnm)、ある時間上の一部分や(gjkt;fnm、gjcnjznm)、行為の完遂を一つの行為に制限することが表現できる(ghsuyenm、rhbryenm)。限界による行為の限定は、全ての完了体動詞に固有のものである。但し、ある極限点としての限界に行為が到達し、その後行為は自己目的を終え完了する意味は、全ての動詞にはない。
これは動詞の語幹の意味と関係する。ある動詞の語幹では意味上完了でこの極限点の到達を表現し(
gj,tkbnm、yfgbcfnm、dcgf[fnm)、不完了体でその到達過程を表す(,tkbnm、gbcfnm、gf[fnm)。このような動詞を語幹に限界の意味を有する動詞と称す。その他の語幹の動詞で意味上限界の到達叉は限界到達への過程を表現できない場合、限界の意味を有しない動詞と称す(kt;fnm、cgfnm、uhecnbnm)。ロシア語の動詞の多くは、体が形態的に相互に対応している。これらは体が対になっている。体の対応とは、語意の同じの完了体動詞と不完了体動詞が対になっていることで、その相違は体に関する文法上の意味が異なるだけである:
ltkfnm#cltkfnm、gthtgbcfnm#gthtgbcsdfnm.体のカテゴリ−は全ての動詞に関係するものだが、但し全ての動詞が体の対を形成するわけではない。対応する体の形成能力は動詞の語意に関わっている。上記の語幹に限界の意味を有する不完了体動詞は、限界の意味のある動詞の語彙・文法的分類グル−プに属する
(意味に限界のある動詞類)。これらの動詞は対応する体を形成する:Ltkfnm(hf,jne)、djcgbnsdfnm(ht,tyrf)、,tkbnm(gjnjkjr);cltkfnm(hf,jne)、djcgbnfnm(ht,tyrf)、gj,tkbnm(gjnjkjr);
又その他の不完了体動詞は、意味に限界のない、語彙・文法的分類グル−プに属する(意味に限界のない動詞類)。これらの動詞は、対応する体のない不完了体動詞であり、例としては次の動詞をあげることができる:
cgfnm、kt;fnm、rhbxfnm、uhecnbnm対応する不完了体動詞のない完了体動詞がある。対応する体のない不完了体動詞は、限界の意味のない動詞の形で、対応する体のない完了体動詞を形成することができる。
例:
rhbxfnm、;bnm、kt;fnm、cgfnmこの動詞に接頭辞を付けると、動作開始の意味(
pfrhbxfnm)のある完了体動詞及び時間的制約のある動作の意味(gjrhbxfnm、gj;bnm、gjktnfnm、gjcgfnm)のある完了体動詞、動作の終わり(jn;bnm cdjq dtr)の意味のある完了体動詞並びに、その他の意味のある完了体動詞が形成される。相互に語形成関係にある二つの異なる動詞は体の対を形成する:“
ltkfnm−cltkfnm”の対の関係では、動詞“cltkfnm”は接頭辞“c−”により、“ltkfnm”から形成され又“gthtgbcfnm−gthtgbcsdfnm”の対の関係では、“gthtgbcsdfnm”は接尾辞“_bdf_”を付けて、動詞“gthtgbcfnm”から形成される。一対の動詞の各々は、その最初の形態が不定形である独立した動詞である。このタイプには、“ltkfnm−cltkfnm”や“gthtgbcfnm−gthtgbcsdfnm”が該当する。一対の動詞の各々には、固有の動詞変化がある。完了体動詞には、直接法過去形と未来形、仮定法、命令法、能動・被動形動詞過去形、完了体副動詞がある。
例:
cltkftn、cltkfk、cltkfk ,s、cltkfq、cltkfdibq、cltkfyysq、cltkfy、不完了体動詞には、現在形、過去形、未来形(合成)、仮定法、命令法、能動・被動形動詞現在形・過去形、不完了体副動詞がある:
例:ltkftn、ltkfk、,eltn ltkfnm、ltkfk ,s、ltkfq、ltkf.obq、
一対の完了体・不完了体動詞には語形変化上一致しないものがある:
例:
gthtgbcfnm−gthtgbcsdfnmこれら動詞は主に異なる語形変化のグル−プに属する。 一対の動詞には各々の意味が対応しないことがある。即ち、完了体・不完了体の動詞が各々の体の動詞の意味に対応していないことがある。
例えば、“
ltkfnm−cltkfnm”の場合、動詞“ltkfnm”は、完了体動詞の意味と対応していない意味もある:Xnj ns ctujlyz ghtlgjkfuftim
ltkfnm*(pfybvfnmcz xtv_kb,j)(今日あなたは何をするつもりか。)(この場合、完了体“pfyznmcz xtv_kb,j”では、〜に着手する、の意味になってしまう)j,dbyznm(dscnegfnm d celt d rfxtcndt j,dbybntkz(告発者として
j,dbybnm(完了体:有罪にする);
このようなケ−スは、各々の一対の動詞によく見られる。対応する体ある動詞のグル−プとは、語形変化しないグル−プのことである。
動詞の体は、様々な方法で形成される。不完了体動詞は、接尾辞を変化させる方法で完了体から形成される:“
gthtgbcfnm−gthtgbcsdfnm、htibnm−htifnm”;これを接尾辞付加造語法(不完了体形成法)と称す。完了体動詞は、接頭辞を付けて不完了体から形成される:
ltkfnm、cltkfnmこれを接頭辞付加造語法(完了体形成法)と称す(接頭辞の意味に基づく完了体)。従って、“不完了体形成法”又は“完了体形成法”の方法により作られた対応する体のある動詞が存在する。体の意味は、完了体・不完了体動詞の語幹と結合する、接尾辞と接頭辞により形式的に表現される。
接頭辞を付けて対応する動詞の体を形成する場合、不完了体原動詞とは語意の異なる動詞を形成する接頭辞も用いられる。不完了体から完了体動詞を形成する場合、(ltkfnm−cltkfnm)接頭辞“c_”が用いられるが、動詞の語意は変わらない。接頭辞“c_”は、不完了体動詞と結合すると、新たな語意の完了体動詞を作り出すこともできる。この場合、対応する体は形成されない。
例:
ktpnm−cktpnm(c lthtdf:木から下りる)ここでは、接頭辞“
c_”は上から下へ向かう動作の方向の意味がある。 例:gktcnb−cgktcnb(herb dvtcnt:腕を組む)この場合、接頭辞“
c_”は結合の意味である。不完了体動詞から完了体動詞の形成にのみ用いる接頭辞の場合、“純粋体形成接頭辞”と称す。様々な接頭辞は、様々な動詞と結合し、“純粋体形成接頭辞”となる。次に、接尾辞を付けて対応する動詞の体を形成する方法を説明する:
例:_bdf_、_df_、_f3_
これらの接尾辞は、完了体から不完了体を形成する為のものである。
例:
gthtgbcfnm−gthtgbcsdfnm、lj,snm−lj_,sdfnm、pfptvkbnm−pfptvkznm注:
他の意味としてはこの接尾辞は不完了体動詞から多回体動詞を形成する:例:gbcsdfnm<gbcfnm、pyfdfnm<pyfnm、tlfnm<tcnm
これに接頭辞を付けると、反復の意味のある動詞も形成される:
例:
gj[f;bdfnm、hfpuekbdfnm、hfcgtdfnm、gjnbhfnm接辞“
_bdf_”、“_df_”等は、また語意上対応する体を形成できない若干の動詞も形成する。例:pflfdfnmcz(高慢になる)、df;ybxfnm(もったいぶる)、djj,hf;fnm(うぬぼれる)対応する体が動詞の個々の意味の相違を表す多くの多語義動詞が存在する。
例えば、接頭辞を付けた場合、不完了体多義動詞“
,bnm”は、様々な意味の対応する体の動詞を形成する:“
yfyjcbnm gj,jb:殴打する”の意味の場合:“
hfplhj,kznm:粉砕する”の意味の場合:不完了体“
ntvytnm”(無人称動詞、“暗くなる、黄昏がやってくる)は、対応する完了体動詞は、“cntvytnm”であるが、“黒ずむ、黒くなる”の意味の場合、“gjntvytnm”である。同じ様なことが不完了体形成の際にも発生する。
例:“
ddfkbdfnmcz、dnzubdfnmcz、pfgflfnm(へこむ、くぼむ)の意味の動詞“
dgflfnm”の場合、対応する完了体動詞は“dgfcnm”(頬がくぼんだ)である。動詞“dkbdfnmcz”(注ぐ込む、流れ込む)と同じ意味の動詞である“dgflfnm”は体に相関関係のない不完了体動詞である:Djkuf dgflftn d Rfcgbqcrjt vjht (ボルガ川はカスピ海に流れこんでいる)
不完了体動詞“
hfplbhfnm”は動詞“hdfnm:引き裂く”の意味の場合、完了体動詞“hfpjlhfnm”と相関関係にあるが、“cbkmyj djkyjdfnm:強く動揺させる、nthpfnm:悩ます、苦しめる、vexbnm yhfdcndtyyj:精神的に苦しめる”の意味では、完了体と相関関係にない不完了体動詞である:Gtxfkm hfplbhftn leie (悲しみが心を掻きむしった)
多くの動詞は、体の形式的表現をもっている。しかし、そうした形式的表現のない動詞もある。
例:
Ddble nz;tkjuj pf,jktdfybz ,jkmyjuj ujcgbnfkbpbhjdfkb(重病D ltncndt jy xfcnj ,jktk b tuj ghb[jlbkjcm
ujcgbnfkbpjdfnm(彼は幼少の頃よく病気にかかった、そして入院を繰り返した)(不完了体)このような完了体と不完了体が同じ動詞を、両体動詞を呼ぶ。
動詞の体の形態学的定義と、動詞の語意や文法的定義
(動詞の機能別定義法)とは密接に関係している。これは動詞を語意と語形成により定義することで、ここでは時間的・数量的特性や特殊結果を生む特性に関し、接頭辞のない動詞(主に非派生動詞)の語意変化が形式的に表現される。動詞の語意が変化する場合、重要なことは、常にそして必ず形式的に表現されるものであり、即ち接頭辞、接尾辞叉はフォルマント(接辞)(
_fybt、_cndj)を用いて表現される。例えば、動詞“gtnm”に接頭辞“pf_”を付けると、行為を開始する意味のある動詞pfgtnm”が作られる。この動詞は、始動動詞の分類に入る。
動詞“[jlbnm”に接尾辞“_bdf_”を付けると、多回反復行為を意味する動詞“[f;bdfnm”が形成される。これは多回動詞形成方法である。動詞“rehbnm”に接頭辞“gj”と接尾辞“_bdf_”を付けると、“gjrehbdfnm:時々(少しづつ)タバコを吸う)が形成される。
大半の動詞に不完了体・完了体の動詞形態が存在する。これはロシア語動詞の体系的特徴である。現代ロシア語では、下記タイプの不完了体・完了体の語形態が存在する:
1)完了相を形成する方法により作られるタイプ
(接頭辞無し不完了体動詞→接頭辞付き完了体動詞:
2)未完了相を形成する方法により作られるタイプ
a)接頭辞付き完了体動詞→未完了接尾辞付き不完了体動詞
b)接頭辞無し完了体動詞→未完了接尾辞付き不完了体動詞
3)異なる語根から形成されるタイプ(体の対形成補充法):
この形成方法は希で、体の対の関係は不規則である。
,hfnm−dpznm、djpdhfnm−dthyenm、rkfcnm−gjkj;bnm、
注:特殊なのは、接尾辞“
_cz”を付ける、不完了体動詞の不規則的形上記三つのタイプの形成方法の中、第2番目が最も規則的である。ここでは、動詞の語意は基本的に同じである。これらの動詞の対応する体の形成は、完了体形成方法と比較すると、より規則的に行われる。従って、未完了相形成方法が対応する体形成に関し最も文法的に規則的な方法である。
完了体の形成:対応する体 接頭辞無し不完了体動詞−接頭辞付き完了体動詞
(ltkfnm−cltkfnm)
完了相化方法により対応する体を形成する場合、下記の接頭辞が使用される:
dp_
(gjntnm−dcgjntnm(汗をかく))、djp_
(ve;fnm−djpve;fnm(大人になる))、ds_
(regfnm−dsregfnm(入浴せる))、pf_
(dth,jdfnm−pfdth,jdfnm(募集する))、bp_
(geufnm−bcgeufnm(脅かす))、yf_
(gbcfnm−yfgbcfnm(書く))、j_
(ckf,tnm−jckf,tnm(弱くなる))、j,_
(kbwtdfnm−j,kbwtdfnm(張る))、jn_
(htlfrnbhjdfnm−jnhtlfrnbhjdfnm(校閲する))、gj_
(,tktnm−gj,tktn(白くなる))、gjl_
(gjlcxbnfnm−gjlcxbnfnm(数える))、ghb_
(ujnjdbnm−ghbujnjdbnm(準備する))、ghj_
(cbuyfkbpjdfnm−ghjcbuyfkbpjdfnm(信号を送る、警報する))、hfp_
(,elbnm−hfp,elbnm(目覚めさせる))、c_
(ltkfnm−cktkfnm)、e_
(njgbnm−enjgbnm(沈める)注:対応する体を純粋に形成する場合、次の接頭辞は関与しない:
d_、lj_、yfl_、yf_、bp_、ght_、ghtl_、cj_。借用語接頭辞である、lt_、lbc_、ht_も関与しない。これらの接頭辞は、動詞の語意を変えるが、その体を変えない(ghtl_、cj_、lt_、lbc_、ht_)か叉は動詞の体を変えると同時に語意も変える:(d_、lj_、yfl_、ytlj_、ybp_、ght_)
ある場合、接頭辞は様々な語意のある一連の動詞と結合して対応する体の動詞を形成する。例えば、接頭辞j_、gj_、c_である。又ある場合、接頭辞は若干の動詞とのみ結合し、その語に接頭辞の意味と等しい意味を与える。例えば、動詞“dcgf[fnm”は動詞“gf[fnm”と体の対の関係にあるが、この場合、接頭辞“dp_”と動詞“gf[fnm”は“下方から上方への方向”(動詞“dphs[kznm、gjlybvfnm(ptvk. lkz gjctdf% 播種用土壌))の意味も、もっている。動詞“dsrjhxtdfnm”の場合、接頭辞“ds_”と動詞“rjhxtdfnm”は、“内部から外部への方向”の意味要素をもっている。後者の場合、接頭辞はその意味要素を強調しているが、それは接頭辞のない動詞の語意に含まれており、又形式的には表現されていない。
接頭辞の付いた動詞の体
純粋に体を変化させる接頭辞のある接頭辞付き動詞には下記の動詞がある。ここでは、接頭辞別に説明する:
<接頭辞“
dp_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
<接頭辞“
djp_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
ghtgzncndjdfnm
−djcghtgzncndjdfnm(障害となる)(何らかの状態になる):
ve;fnm−djpve;fnm(大人になる)
<接頭辞“
ds_”の付いた動詞:>(
行為を結果迄導く意味がある):rjhxtdfnm−dsrjhxtdfnm(根ごと掘り出す)、
exbnm−dsexbnm(覚える、勉強する)、ktxbnm−dsktxbnm(治療する)
(何らかの状態になる):
cj[yenm−dscj[yenm(乾燥する)
<接頭辞“
pf_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
(何らかの状態になる):
<接頭辞“
bp_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
vthbnm−bpvthbnm(測る)、regfnm−bcregfnm(入浴させる)、
(何らかの状態になる):
nktnm−bcnktnm(腐る、腐敗する)
<接頭辞“
yf_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
rhf[vfkbnm−yfrhf[vfkbnm(衣類に糊をつける)、
(何らかの状態になる):
<接頭辞“
j_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
xbybnm
−jxbybnm(先を尖らせる)、pyfrjvbnm−jpyfrjvbnm(知らせる、紹介する)、cktgbnm−jcktgbnm(見えなくする、目をくらます)、,tcxtcnbnm−j,tcxtcnbnm(名誉を傷つける)、(
何らかの状態になる):
<接頭辞“
jn_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
gfhbhjdfnm
−jngfhbhjdfnm(かわす、はねのける)、vcnbnm
−jnjvcnbnm(復讐する)(何らかの状態になる):
<接頭辞“
gj_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
cnhjbnm
−gjcnhjbnm(建設する)、,tkbnm−gj,tkbnm(白くする、白く塗る)、rhfcbnm−gjrhfcbnm(色を塗る)、,bnm−gj,bnm(打つ、殴る)、vbhbnm−gjvbhbnm(和解させる)(行為の完了):
(何らかの状態になる):
<接頭辞“
gjl_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
<接頭辞“
ghb_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
<接頭辞“
ghj_”の付いた動詞:>(行為を結果迄導く意味がある):
dtynbkbhjdfnm
−ghjdtynbkbhjdfnm(通気する、換気する)、yevthjdfnm
−ghjyevthjdfnm(番号を付ける)、xbnfnm
−ghjxbnfnm(読む)、'rpfvtyjdfnm−ghj'rpfvtyjdfnm(試験する)(何らかの状態になる):
zcytnm
−ghjzcytnm(はっきりする)、nhtpdtnm−ghjnhtpdtnm(酔いがさめる)、vjryenm−ghjvjryenm(濡れる、湿る)、rbcyenm−ghjrbcyenm(すっぱくなる)
<接頭辞“
hfp_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
(何らかの状態になる):
<接頭辞“
c_”の付いた動詞:>(行為を結果迄導く意味がある):
dtifnm
−cdtifnm(秤にかける)、 vjkjnm−cvjkjnm(挽く)、gtktyfnm −cgtktyfnm(おむつをあてる)、gtnm−cgtnm(歌う)“
ltkfnm−cltkfnm”(bpjnjdkznm−bpjnjdbnm)の意味のある典型的動詞: ltkf−cltkfnm、vfcnthbnm−cvfcnthbnm(手作業で作る)、ibnm−cibnm(仕立てる)、dfhb−cdfhbnm(煮て作る)、rjycnhebhjdfnm−crjycnhebhjdfnm(設計する);(何らかの状態になる):
<接頭辞“
e_”の付いた動詞>(行為を結果迄導く意味がある):
rhfcnm
−erhfcnm(盗む)、htuekbhjdfnm−ehtuekbhjdfnm(調整する、解決する)、rjvgktrnjdfnm−erjvgktrnjdfnm(定員・定数まで補充する)(何らかの状態になる):
cnfhtnm
−ecnfhtnm(古くなる、廃れる)、ufcyenm−eufcyenm(消える)、注:上記の関係に、
gflfnm−egfcnm(落下する)の関係も入る。 gfgflfnmは古い用法であり、動詞“gfcnm”(落下する)は利用されない。このように、接頭辞の付いた動詞の対応する体の特徴は、接頭辞と動詞の単独の結合性にある。接頭辞は、対応する動詞の体を形成する機能の他に、別の結合方法で新たな意味のある動詞を形成することができる。
既述したように、完了体動詞の形成には、互換性接頭辞が存在する。例えば、動詞“
dzyenm”(新鮮さを失う、しおれる、かれる)の場合、対応する完了体動詞としては、“pfdzyenm”と“edzyenm”の両方が対応することができる。この両方とも意味上は一致する。動詞“vznm”(しわくちゃにする)に対応する完了体動詞としては、“cvznm”と“bpvznm”があり、意味上どちらも同じである。(但し、動詞“bpvznm”には、完璧な行為のニュアンスがある):Ltdjxrb xbyyj cbltkb,,jzcm bpvznm cdjb vfktymrbt yfrhf[vfktyystgkfnmbwf.(少女は糊付けしたその小さなワンピ−スの型くずれを心配して、行儀良く座っていた。)
動詞“
vyj;bnm(増やす、掛ける)”に対応する完了体動詞には“gjvyj;bnm”と“evyj;bnm”がある。Extybr
yfgbitn wbahe,gjl ytq lheue.,gjnjv evyj;bn b[(生徒はある数字を書き、その下に別の数字を書いて、その後その二つの数字を掛け合わせるだろう。)上記以外に接頭辞変更可能の動詞として、“
dsregfnm、bcregfnm”(不完了体動詞:regfnm(入浴させる))、“bcgeufnm、yfgeufnm”(不完了体動詞:geufnm(おどかす、びっくりさせる))、“gj[jhjybnm、c[jhjybnm、pf[jhjybnm”(不完了体動詞:[jhjybnm(葬る、埋葬する))、“pfgfxrfnm、bcgfxrfnm”(不完了体動詞:gfxrfnm(汚す、きたなくする))がある。上記全ての場合、各完了体動詞は通常、意味上、時には文体上若干のニュアンスの差がある。接頭辞は対応する接頭辞付きの完了体動詞を形成するが、通常、その微妙な固有のニュアンスを保持する。ここに、体の対応する動詞関係の特徴がある。
不完了体の形成
不完了体の形成が、完了体の形成と異なる点は、より規則的であり、形成が画一的であることにある。大半の対応する体の動詞は、その意味に変化がなく、同一である。ここでは不完了体動詞は、接頭辞付き及び接頭辞無しの完了体動詞から形成される。この場合の形成にはきわめて高い規則性がある。未完了相方法による対応する体を形成する場合、接頭辞により語の意味が変化し、これには多くの接頭辞付き動詞がこれに該当する。例えば、接頭辞“d_”(内部方向への行為を意味する)の付いている全ての動詞には、対応する未完了相(不完了体)の動詞がある。
例:
dgbcfnm−dgbcsdfnm(書き加える、書き入れる)、
多くの場合、接頭辞の付いた完了体動詞から不完了体動詞は形成できない。不完了体動詞は、対応する体の動詞、例えば“
ltkfnm−cltkfnm”のタイプの大半の完了体動詞からは形成されない。従って、不完了体の形成は時制の変化や名詞の格変化のように、絶対的な規則性により形成されるとは言えない。しかし、完了体動詞から不完了体動詞が形成できるような場合では、対応する体の接頭辞付き動詞の形成は、規則的である。
未完相化方法の場合、不完了体動詞は接尾辞“
_bdf_”、“_df_”、“_f”を付けて、形成される。このように形成された不完了体動詞と、それらを形成した動詞の語意との関係は、対応する体の動詞タイプ“ltkfnm−cltkfnm”とは異なる。未完了相化方法の場合、大半の不完了体動詞は、完了体動詞の語意と一致する。例えば、動詞“dlfdbnm”の接頭辞“d_”は物体の内部方向への行為を意味している。対応する不完了体動詞“dlfdkbdfnm”にも、この語意がある。動詞“
gthtctxm”には、接頭辞により“何かを横切る、通過する”の意味がある。これに対応する不完了体動詞“gthtctrfnm”にもこの語意がある。未完了相化方法により形成された多語意の不完了体動詞には、接頭辞付き完了体動詞の意味に対応しないものもある。例えば、動詞“
hfplbhfnm”の意味には“cbkmyj djkyjdfnm(強く動揺する)”、“nthpfnm(苦しめる・悩ます)”、“vexbnm yhfdcndtyyj(精神的に悩ます・虐待する)”があり、これは動詞“hfpjlhfnm”(hfpjhdfnm)に対応していない。動詞“pfybvfnmcz(xtv_kb,j)”(ある活動に従事する・取り組む)(例:pfybvfnmcz [jpzqcndjv)は、動詞“pfyznmcz”(ghbcnegbnm r rfrjve_kb,j pfyznb.:何らかの作業を開始する・着手する)と対応していない。未完了相化方法(不完了体形成方法)には、二つのタイプがある:
a)接頭辞の付いた完了体動詞の未完了相化:
gthtgbcfnm−gthtgbcsdfnm、jgjikbnm−jgjikznm、
b)接頭辞の無い完了体動詞の未完了相化:
htibnm−htifnm、,hjcbnm−,hjcfnm
接頭辞の付いた完了体動詞から不完了体動詞の形成
(gthtgbcfnm−gthtgbcsdfnm、jgjikbnm−jgjikznm、
hfcotlhbnmcz−hfcotlhbdfnmcz)
これには二種類存在する:
1)接頭辞・接尾辞の付いた完了体動詞の未完了相化;
2)接頭辞の無い不完了体動詞に対応する接頭辞付き完了体動詞の未
完了相化;
第一のパタ−ンを図解すると、“jgjikbnm(j_gjik_bnm)−jgjikznm”となる。第二のパタ−ンでは、“gthtgbcfnm(gtht_gbcfnm)−gthtgbcsdfnm”となる。第一の場合、名詞派生完了体動詞からの不完了体動詞の形成である。第二の場合、いわゆる二次的未完了相化である。この場合、接頭辞の無い不完了体動詞の存在が考えられる。
例:gbcfnm−gthtgbcfnm−gthtgbcsdfnm。
第二のパタ−ンには、“dplhjyenm−dplhfubdfnm、jnrecbnm− jnrecsdfnm、cgjkjcyenm、cgjkfcrbdfnm、hfpsuhfnmcz−hfpsuhsdfnmcz”等のタイプも含めることができる。
接頭辞・接尾辞付きの名詞派生完了体動詞の未完了相化の場合、対応する体をもつ五つの動詞小グル−プに分類される。これらの小グル−プは、語形成構造と語形変化に基づいて区分される:
1)Dhfpevbnm−dhfpvkznm(理解させる(納得)させる):
完了体 :接尾辞“_b1_”の付いた接頭辞・接尾辞名詞派生動詞
不完了体:異形態“_f3_”の付いた動詞
接頭辞の付いた動詞:
d_ (dj) |
dhfpevbnm −dhfpvkznm |
djp_ |
djcgkfvtybnm −djcgkfvtyznm |
bp_ |
bcrjhtybnm −bcrjhtyznm |
pf_ |
pfptvtkbnm −pfptvtkznm |
j_ |
jrfqvbnm −jrfqvkznm |
jn_ |
jnlfkbnm −jnlfkznm |
gj_ |
gjzcybnm −gjzcyznm |
gjl_ |
gjlndthlbnm −gjlndth;lfbnm |
ghb_ |
ghbptvkbnm −ghbptvkznm |
ghj_ |
ghjcdtnkbnm −ghjcdtnkznm |
hfp_ |
hfpdtndbnm −hfpdtndkznm |
e_ |
eltitdbnm −eltitdkznm |
2)
Dsdtnhbnm−dsdtnhbdfnm:完了体 :接尾辞“
_b1_”の付いた接頭辞・接尾辞付き名詞派生動詞不完了体:異形態“
_bdf_”の付いた動詞接頭辞の付いた動詞:
ds_ |
dsdtnhbnm −dsdtnhbdfnm |
pf_ |
pfctrhtnbnm −pfctrhtxbdfnm |
bp_ |
bpvjxfkbnm −bpvjxfkbdfnm |
j_ |
jcdjbnm −jcdfbdfnm |
j,tp_ |
j,tppfhfpbnm −j,tppfhf;bdfnm |
jn_ |
jnchjxbnm −jnchjxbdfnm |
ghb_ |
ghbcdjbnm −ghbcdfbdfnm |
ghj_ |
ghjhtlbnm −ghjht;bdfm |
gjl_ |
gjlsnj;bnm −gjlsnj;bdfnm |
gtht_ |
gthtafcjybnm −gthtafcjybdfnm |
c_ |
clj,hbnm −clf,hbdfnm |
e_ |
ehtpjybnm −ehtpjybdfnmbnm |
3)
J,eplfnm−j,eplsdfnm:完了体 :接尾辞“_f1_”の付いた接頭辞・接尾辞付き名詞派生動詞
不完了体:異形態“
_bdf_”の付いた動詞この関係には、幾つかの動詞が入る:
j,eplfnm
−j,eplsdfnm、jghjcnfnm−jghfcnsdfnm、
4)
Jgjzcfnm−jgjzcsdfnm(ベルトを締める):完了体 :接尾辞“
_f1_”の付いた接頭辞・接尾辞付き動詞不完了体:異形態“
_bdf_”の付いた動詞jgjzcfnm−jgjzcsdfnm;
gjlgjzcfnm−gjlgjzcsdfnm;
hfcgjzcfnm−hfcgjzcsdfnm;
5)
Pfle,tnm−pfle,tdfnm:完了体 :接尾辞“
_t_”の付いた接頭辞・接尾辞付き動詞不完了体:異形態“
_df_”の付いた動詞接頭辞“
pf_”の付いた動詞:pfle,tnm−pfle,tdfnm接頭辞“
j_”の付いた動詞:jcntrktnm−jcntrktdfnm(ガラスのようになる)
接頭辞
j,tp−の付いた動詞:j,tccbktnm−j,tccbktdfnm(力が抜ける、弱る)
j,tpevtnm−j,tpevtdfnm(判断力を失う)
接頭辞
e−の付いた動詞:ewtktnm−ewtktdfnm(無事に残る)
二次的未完了相化(
gthtgbcfnm−gthtgbcsdfnm)これは、様々な接頭辞付き完了体動詞から接尾辞付き(
_bdf_、_df_、_f3_)不完了体動詞を形成する方法である。下記に接頭辞付き動詞の実例を掲げた:
1)接辞“
_bdf_”:dslevfnm−dslevsdfnm、dspljhjdtnm−dspljhfdkbdfnm、ljhbcjdfnm
−ljhbcjdsdfnm、dpvf[yenm−dpvf[bdfnm、ghjgf[yenm− ghjgf[bdfnm(匂いがしみつく)、dscvtznm−dscvtbdfnm、jndjkjnm−jndjkfrbdfnm、dsrhfcnm−dsrhflsdfnm、drhenbnm−drhexbdfnm、pflth;fnm−pflth;bdfnm;2)接辞“
_df_”:pfuybnm−pfuybdfnm、pflenm−pfledfnm、d,bnm−d,bdfnm、lj;bnm−lj;bdfnm、lj,snm−lj,sdfnm、jnvsnm−jnvsdfnm;3)接辞“
_f3_”:hfphtpfnm−hfphtpfnm、pfcsgfnm−pfcsgfnm、ddthuyenm−ddthufnm、jnjpdfnm−jnpsdfnm、dsuhtcnb−dsuhtdfnm、dshfcnb−dshfcnfnm、lj;fnm−lj;bvfnm、dszdbnm−dszdkznm、pfrbgtnm−pfrbgfnm、ghjuyfnm−ghjujyznm二次的未完了相化は、対応する体が“完了体形成専用”の接頭辞によっても形成される。このことは、第一に二次的未完了相化方法には体形成の能力が高いこと、第二に限界の到達にたいする行為の方向性を強調する性格があることを意味している:
ckf,tnm−jckf,tnm/jckf,tnm−jckf,tdfnm、
dbybnm−j,dbybnm/j,dbybnm−j,dbyznm、
rhtgbnm−erhtgbnm/erhtgbnm−erhtgkznm、
vyj;bnm−evyj;bnm/evyj;bnm−evyj;fnm;
“完了体形成専用”接頭辞の付いた完了体動詞を不完了体動詞にする場合、不完了体一次動詞と不完了体二次動詞間に同義語関係が生まれる:
完了体動詞が“
jckf,tnm”の場合:“ckf,tnm”と“jckf,tdfnm”;完了体動詞が“
j,dbybnm”の場合:“dbybnm”と“j,dbyznm”:完了体動詞が“
erhtgbnm”の場合:“rhtgbnm”と“erhtgkznm”;完了体動詞が“
evyj;bnm”の場合:“vyj;bnm”と“evyj;fnm”;
二次動詞は一次動詞と異なり、動詞の構造(接頭辞の存在)により、行為の限界へ到達する迄の方向性が強調されることを特徴としている。一次動詞はしばしば文体的に次のようなニュアンスが与えられる:
格調高く:rhtgbnm ltvjrhfnbxtcrbt pfdjtdfybz;vyj;bnm hzls ,jhwjd;
「旧」 :
,k.cnb、tlbybnm、lkbnm;二次動詞は通常文体的にはニュ−トラル(平調)である:
erhtgkznm
、evyj;fnm、cj,k.lfnm、j,]tlbyznm ghjlktdfnm;一つの語幹に接尾辞を付け、対応する体を作る場合、接辞“
_bdf_”又は“_f3_”により、様々な不完了体動詞が形成される:例:完了体動詞“
ekjdbnm”の場合:不完了体動詞“ekjdkznm”と“ekfdkbdfnm”;
完了体動詞“
pfnjgbnm”(pfkbnm djljq、gjuhepbnm d djle)の場合:不完了体動詞“pfnjgkznm”と“pfnfgkbdfnm”;
完了体動詞“
jlfhbnm”の場合:不完了体動詞“jlfhznm”(格調高い文体)と“jlfhbdfnm”;
完了体動詞“
ecnfyjdbnm”の場合:不完了体動詞“ecnfyfdkbdfnm”と“ecnfyjdkznm”(旧語、俗語);
完了体動詞“
hfphtpfnm”の場合:不完了体動詞“hfphtpsdfnm”(まれ)と“hfphtpfnm”;
完了体動詞“
yfrjgbnm”の場合:不完了体動詞“yfrjgkznm”(俗語)と“yfrfgkbdfnm”;
完了体動詞“
pfujnjdbnm”の場合:不完了体動詞“
pfujnjdkznm”と“pfujnfdkbdfnm”;接頭辞の無い完了体動詞の未完了相(不完了体)化
(
htibnm−htifnm)不完了体動詞は、接頭辞の無い完了体動詞から形成することができる
:未完了相化させる接尾辞は、“
_bdf_/_df_/_f3_である。これには次のような接頭辞の無い動詞が該当する:例:
fhtcnjdfnm−fhtcnjdsdfnm、fnfrjdfnm−fnfrjdsdfnm、fhtyljdfnm−fhtyljdsdfnm、lfnm−lfdfnm、,hjcbnm−,hjcfnm、kbibnm−kbifnm、htibnm−htifnm、zdbnm−zdkznm(文語)、rjyxbnm−rjyxfnm、ghjcnbnm−ghjofnm、gecnbnm−gecrfnm、
現代ロシア語では接頭辞無しの動詞として扱われている嘗ての接頭辞付き動詞:
例:
j,vfyenm−j,vfysdfnm、j,tcgtxbnm−j,tcgtxbdfnm、j,bltnm−j,b;fnm、jcrjh,bnm−jcrjh,kznm、pfobnbnm−pfobofnm、djcrhtcbnm−djcrhtifnm、dyeibnm−dyeifnm、dcnhtnbnm−dcnhtxfnm、bpevbnm−bpevkznm、joenbnm−joeofnm;運動の動詞の対応する体
運動の動詞とは、共通語根があり、語が対応している不完了体動詞の特定の構造・語意のグル−プのことである(語根の異なる“
blnb−[jlbnm”は例外)。これらは、運動の一方向性と多方向性また一回性と多回性として相対している。
対応する関係にある運動の動詞は下記の通りである:
,t;fnm
−,tufnm、,htcnb−,hjlbnm、dtpnb−djpbnm、dtcnb−djlbnm、uyfnm−ujyznm、uyfnmcz−ujyznmcz、t[fnm−tplbnm、blnb[jlbnm、rfnbnm−rfnfnm、rfnbnmcz−rfnfnmcz、ktpnb−kfpbnm、ktntnm−ktnfnm、ytcnb−yjcbnm、ytcnbcm−yjcbnmcz、gksnm−gkfdfnm、gjkpnb−gjkpfnm、nfobnm−nfcrfnm、nfobnmcz−nfcrfnmcz
運動の動詞の場合、対応する体の形成が独特である。接頭辞無しの多方向運動動詞(不定動詞)は、対応する体を形成せず、その語意に限りがない。これらの動詞に接頭辞が付くと、語意が変化する:
例:
tplbnm−dstplbnm1.
ghbexbnm [jlbnm d eghz;rb b gjl ctlkjv>馬を調教する:=
dstplbnm kjiflm;2.
pfhf,jnfnm tpljq>乗り物で稼ぐ):B yf jdtc yt dstplbk (エン麦は運んでも儲からなかった)
接頭辞の付いた多方向運動の動詞(不定動詞)の場合、対応する体は二次動詞の未完了相化方法により形成される:
dstplbnm−dstp;fnm、dsdjlbnm−dsdf;bdfnm;
その他の場合、接頭辞を付けると、始動の意味(
[jlbnm−pf[jlbnm、,tufnm−pf,tufnm)、時間の制限の意味(gj[jlbnm、gj,tufnm(rfrjt_nj dhtvz))、行為の終了の意味(jn]tplbnm、jn,tufnm)が出てくる。接頭辞と接尾辞を付けて動詞を形成すると、運動の激しさの意味と共に結果に到達する意味が出てくる:hfp,tufnmcz、pf,tufnmcz、yf,tufnmcz、bp,tufnmcz、e,tufnmcz;
これらの接頭辞付き動詞の場合、対応する体は形成されない。
一方向の運動の動詞(定動詞)も又、接頭辞を付けても対応する体を形成しない。但し、これらの動詞から形成された接頭辞付き動詞の場合、二次的未完了相化は規則的である。この場合、不完了体二次動詞は様々な方法で一方向運動(定動詞)の動詞から形成される:
例:1)
dtpnb、dtcnb、uyfnm、blnb、ytcnb、ktntnm(ghbdtpnb、ghbytcnb、不完了体動詞は、接頭辞の無い一方向・多方向動詞の関連パタ−ンに従い形成される。
“
ytcnb−yjcbnm”の関係の基づくと、体の対“ghbytcnb−ghbyjcbnm”が形成される。同様にして下記の動詞が形成される:ghbdtcnb−ghbdjpbnm、ghbdtcnb−ghbdjlbnm、ghbuyfnm−ghbujyznm、
又これらの動詞にその他の接頭辞を付けて、下記の動詞も形成される:
eytcnb−eyjcbnm、pfktnfnm−pfktntnm;
2)その他全ての接頭辞付き不完了体の運動の動詞から、二次的未完 了相化の方法で下記の関係が形成される:
ghbrfnfnm−ghbrfnsdfnm、pfrfnbnm−pfrfnsdfnm、ghbktpnm−ghbktpfnm、 dktp−dktpfnm、ghbgksnm−ghbgksdfnm、jngksnm−jngksdfnm、 ghbgjkp−ghbgjkpfnm、pf,htcnb−pf,htlfnm、ghbnfobnm− ghbnfcrbdfnm、ghb,t;fnm−ghb,tufnm、e,t;fnm−e,tufnm、et[fnm− etp;fnm;
一方向運動の動詞(定動詞)に接頭辞“
gj_”が付くと、完了体と関連しない始動の意味のある完了体動詞が形成される:両体動詞(完了体動詞と不完了体動詞が同じ)
体が基本的に特別の形態要素で表現されない動詞のことを両体動詞と呼ぶ。これらの動詞は、様々な語形変化グル−プに属する。
第T−1グル−プは“
j,tofnm”タイプの動詞である。第Uグル−プに主な両体動詞が属する:bccktljdfnm、yfcktljdfnm、bcgjkmpjdfnm、bcgjdtljdfnm、yfgencndjdfnm、cjltqcndjdfnm及びその他の接尾辞“_jdfnm”、“_bhjdfnm”、“_bpbhjdfnm”、“_bpjdfnm”の付いた動詞;例:
fnfrjdfnm、rjvfylbhjdfnm、jhufybpjdfnm;“
rfpybnm、hfybnm、vjkdbnm”は第X−1グル−プに、又“dtktnm”は、第X−2グル−プに属する。大半の両体動詞は、完了体動詞の意味でも、不完了体動詞の意味でも用いることができる。例えば次の場合、動詞“
rfpybnm”、“bcgjkmpjdfnm”、“j,cktljdfnm”、“ujcgbnfkbpbhjdfnm”は、完了体動詞にも、不完了体動詞にもなりうる:過去形:
j,cktljdfk、rfpybk、ujcgbnfkbpbhjdfk;形動詞能動形過去:
j,cktljdfdibq、rfpybdibq、これらの場合、体の種類は通常コンテキストにより決定され、形式的に体を表現している隣接の動詞により補完される:
例:不完了体の場合:
Jyb vyjuj hfp j,cktljdfkb 'njn j,]trn b ghtleght;lfkb
“
z rfpy.、z j,cktle.、z ujcgbnfkbpbhe.”タイプの場合、不完了体現在形の場合もあるし、単一未来完了体の場合もある。例:Rfr njkmrj ,jkmyjuj ujcgbnfkbpbhe.n- cjj,obnt vyt j, 'njv(完了体);
Dhfx ujcgbnfkbpbhetn ,jkmyjuj b jnghfdkztn tuj yf crjhjq gjvjob
(不完了体);
その他の形態の両体動詞の場合、様々な不完了体、完了体が形成される:
例えば、合成未来(
,ele j,cktljdfnm、,ele htfubhjdfnm)、形動詞現在(能動形:j,cktle.obq、htfubhe.obq)(被動形:ujcgbnfkbpbhetvsq、j,cktletvsq)又は接尾辞“_f_”(htfubhez、j,cktlez)の場合、不完了体である。下記の動詞と結合する場合も、不完了体である:yfxye- cnfye- rjyxe j,cktljdfnm;動詞の形態やコンテキストによっても、両体動詞の体の種類が不明の場合がある:
例:
E dfc dct yf zpsrt fnfrjdfnm- f yt dblbnt- xnj vs yt evttv ltkfnm ckj;ys[ vfytdhjd+ <bjkjubxtcrbq vtnjl ,jhm,s ghjnbdys[ yf[kt,ybrjd cjcnjbn d njv- xnj,s frnbdbpbhjdfnm gjkxbof b[ fynfujybcnjd yfctrjvs[- [boybrjd+ 'nf cnfywbz 16 atdhfkz 1925 u.dgthdst nhfyckbhjdfkf d cathe jgthe. (Tdutybq Jytuby bp <jkmijuj ntfnhf)このような場合、動詞の体に関し二通りの解釈が成り立つ。
両体動詞から完了体及び不完了体動詞を形成することができる。これには接頭辞又は接尾辞を付けて行われる:
1)両体動詞に純粋接頭辞を付けると、完了体動詞が形成される:
gj_;tybnm(口語)、ds_vjkdbnm、e_yfcktlj_dfnm、j_gj'nbpbhjdfnm、 jn_gfhbhjdfnm;
このような接頭辞付き動詞の存在は、特に不完了体の意味で接頭辞無しの動詞の活用を補助する:
yfcktljdfnm−eyfcktljdfnm
例:fhtcnjdfnm−fhtcnjdsdfnm
その他の場合、上記のようなことは起こらない:
例:
jhufybpjdfnm−jhufybpjdsdfnmの場合、動詞“jhufybpjdfnm”は完了体動詞である:Vs jhufybpjdfkb rhe;jr. しかし、この動詞は又不完了体としても用いることができる: J,sxyj vs jhufybpetv ktrwbb d pfkt.形式的に不完了体の意味のある、動詞“
jhufybpjdsdfnm”を形成しても、動詞“jhufybpjdfnm”は、完了体に変化しない。接頭辞を付けて両体動詞から形成される動詞の多くは、二次未完了相化の方法により、対応する不完了体動詞が形成される:
gthtajhvbhjdfnm−gthtajhvbhjdsdfnm、htjhufybpjdfnm−htjhufybpjdsdfnm
対応する体のない動詞(対応する体のない不完了体動詞)
対応する体のない不完了体動詞は、限界の意味のない動詞カテゴリ−に属する。動詞に限界の意味がないと、対応する体が形成されない。ここでは、行為が完遂される限界点の到達を指摘することができない。即ち、これらの動詞により規定される行為には、抽象的な意味における限界がない。これを“絶対不完了体動詞”と言う。これに関係する分類の動詞を下記に掲げるが、その一部である:
連結動詞及び半連結動詞、相違関係を表現する動詞:
,snm(rtv)、zdkznmcz(rtv)、ljdjlbnmcz、ghb[jlbnmcz、yf[jlbnmcz、cjcnjznm、xbckbnmcz;pdfnm(rjuj rfr);c[jlcndjdfnm、gj[jlbnm、jnkbxfnmcz、ghtj,kflfnm、hfdyznmcz、cjjndtncndjdfnm、ghjnbdjhtxbnm;pyfxbnm、jpyfxfnm、j,jpyfxfnm;jnyjcbnmcz;ghbyflkt;fnm、pfdbctnm、cnjbnm、cjcnjznm、cjlth;fnm、pfrk.xfnm、nfbnm;
叙法動詞:
[jntnm
、;tkfnm、;f;lfnm、ljk;tycndjdfnm、gjlkt;fnm(文語)、bvtnm ,snm j,zpfyysv’(bvt. dhexbnm gfrtn% 私は封書を手渡さねばならない) 、yfvthtdfnmcz 、levfnm bvtnm yfvthtybt(Djkr yjxm.- levfz pfktpnm d jdxfhy.- gjgfk yf gcfhy.(羊小屋に忍び込もうと企てていた狼は夜、猟犬小屋に入ってしまった。)- yfltznmcz、xfznm(俗語)、hfccxbnsdfnm yfltznmcz、 cktljdfnm、yflkt;fnm、gjlj,fnm(文語)、gjkjufnmcz、[jxtncz、gjlvsdftn;
思想・知的状態を意味する動詞:
hfpevtnm
、gjkfufnm、pyfnm、dtlfnm、celbnm、gjvsikznm、;lfnm 'yfltznmcz’(;lfkb- xnj jy ,eltn [jhjibv hf,jnybrjv:彼はよい働き手になると期待されていた)、cxbnfnm 'gjkfufnm'、ghtldbltnm、ghtlxedcndjdfnm、gjlhfpevtdfnm、bynthtcjdfnmcz、vtxnfnm、uhtpbnm、gjvybnm、jnhbwfnm、dthbnm、dthjdfnm;
情緒的状態を意味する動詞:
k.,bnm
、j,j;fnm、,jujndjhbnm、,kfujujdtnm、,kfujdjkbnm、edf;fnm、gjxbnfnm、djc[bofnmcz、djcnjhufnmcz、wtybnm、nthgtnm、cjcnhflfnm、cjxedcnjdfnm、ytyfdbltnm、ghtpbhfnm、uyeifnmcz、htdyjdfnm、pfdbljdfnm;
関係を表現する動詞:
lhe;bnm
、djlbnmcz(口語)、dhf;ljdfnm所有・所属を意味する動詞:
bvtnm
、dkfltnm、j,kflfnm、hfcgjkfufnm(bvtnm)、(yt hfcgjkfuftv cdtltybzvb:我々は情報をもっていない
)、bpj,bkjdfnm ”bvtnm d bpj,bkbb”、ghbyflkt;fnm;
存在を意味する動詞
“
,snm”の意味:Z ,snm [jxe
! yt gjckt- yt d dtrf[- ..f njkmrj d cfvjv gjkyjv cvsckt ckjdf!(私は存在したい!その後でもなく、永遠でもなく、まさにその言葉の完全な意味において!);“
ghbcencndjdfnm、yf[jlbnmcz”の意味:jy ,eltn ghb fhvbb (彼は軍隊に属するだろう)
“
ghjbc[jlbnm、ckexfnmcz”の意味:Dxthf ,skf uhjpf (昨日雷雨があった)
“
yfkbxtcndjdfnm、cjgencndjdfnm、,snjdfnm、cnjznm“,snm、bvtnm vtcnj”の意味:njh;tcndtyyj b wfhcndtyyj cnjzkf yjxm (厳かにして堂々たる夜であった)
ght,sdfnm
、j,bnfnm、cnjznm “bvtnm vtcnj ght,sdfybt”の意味:Ds ult cnjbnt
?;Fktrcfylhjdcre. ubvyfpb. pfyzkb(あなた方はどこに滞在し ているんですか? アレクサンドロフ中学校にいます)ceotcndjdfnm
、ghjpz,fnmの意味;ghbcencndjdfnm、njhxfnm(俗語)jy njhxfk yf dct[ ,fkf[ (
彼はあらゆる舞踏会に出席した)
存在の意味をもっている再帰動詞:
bvtnmcz- yf[jlbnmcz- j,htnfnmcz- djlbnmcz:
D jdhfuf[ rjp.kb djlzncz (窪地にマムシが棲んでいる)
lth;fnmcz
“djlbnmcz”: D ktce lth;fncz vtldtlb (森に熊が棲んでいる)
空間における状態を意味する動詞:
cnjznm- jncnjznm
(yf rfrjv_kb,j hfccnjzybb jn xtuj_kb,j); njhxfnm(俗語)Nfv dthcnj. yt,sdfkjq jy njhxfk gthtl vyjq (
ありうるはずもないことだが一露里もあるところで、彼が私の前に突っ立っていた )cbltnm- pfctlfnm
;kt;fnm- dfkznmcz- djpkt;fnm;dbctnm;dscbnmcz“,snm hfcgjkj;tyysv dscjrj- dsit xtuj_y”;Ljv dscbncz yf gkjoflb (建物は広場にそびえ立っている)
ghjcnbhfnmcz
;gjvtofnmcz- ds[jlbnm(Jryf ds[jlzn yf ekbwe:窓は通りに面している);cvjnhtnm(Jryf cvjnhzn d cfl:窓は庭に面している);uhfybxbnm- .nbnmcz- jub,fnm;
何らかの色に見える意味の動詞:
,tktnm- ujke,tnm
(,tkttn gfhec jlbyjrbq :ぽつんと帆だけが白く見え
“発光する、匂いを出す”の意味の動詞:
cdtnbnm- ,htp;bnm- ntgkbnmcz- cbznm- ujhtnm
“,ktcntnm”(Eprfz rjkjrjkmyz- yf rjnjhjq ujhtk rhtcn:細長い鐘楼、その上で十字架が輝いていた)、“bcgecrfnm cdtn”(Kfvgf ujhbn:ランプが点灯している)、vthwfnm- gf[yenm- ,kfuje[fnm;
自然・物理的プロセスを意味する動詞:
ujhtnm
“lfdfnm gkfvz:炎を出す”、“yf[jlbnmcz d cjcnjzybb ujhtybz:燃えている状態にある”;gskfnm- nktnm- nktnmcz;rbgtnm-,bnm(rk.x ,mtn:水がはげしく湧き出る);uhtnm“bpkexfnm ntgkj”(Cjkywt uhtkj- nhfdf hjckf b ptktytkf:太陽の暖かい陽射し、草々は育ち、青々と茂っていた);gtxm- gfkbnm- ;fhbnm- ;txm(太陽が照りつける);blnb(雨や雪)-kbnm- ctznmcz- rf-gfnm;ktgbnm- dfkbnm(光について);lenm- ,eitdfnm- dtznm(風について);hfcnb“ght,sdfnm d ghjwtcct hjcnf”;wdtcnb“,snm d wdtne:花盛り);
感覚器官による知覚の意味の動詞:
dbltnm- cvjnhtnm- ukzltnm- dpbhfnm
(旧)- cjpthwfnm- ukfptnm(俗語)+ + cksifnm- ckeifnm- j,jyznm- jczpfnm物理的、心理的状態を意味する動詞:
cgfnm- gjxbdfnm(旧)- lhtvfnm- lhs[yenm(俗語)- ,ltnm- ,jlhcndjdfnm+ m- ,jlhcndjdfnm+ cnhflf- ,tlcndjdfnm- ,jktnm- rjcbnm- [djhfnm- ytljvj_ ufnm+ - ,tlcndjdfnm- ,jktnm- rjcbnm- [djhfnm- ytljvj_ ufnm+ ,kfujleitcndjdfnm- ,kf;tycndjdf;ujhtdfnm- uhecnbnm- crjh,tnm- eysdfnm- njh;tcndjdfnm- gtht;bdfnm(口語)- gcb[jdfnm(俗語)- gfybrjdfnm(口語)+ + nhecbnm- hj,tnm+ vjkxfnm- ,tpvjkdcndjdfnm+ ,jktnm (herf ,jkbn)- rhe;bnmcz (ujkjdf rhe;bn:目が回る) ; ueltnm (yjub uelzn:足がずきずきと痛む)
再帰動詞:
gjrjbnmcz- vexbnmcz- njvbnmcz- gthtvjufnmcz- gtxfkbnmcz- cjrhfofnmcz- ,tcgjrjbnm_ cz- djkyjdfnmcz- nthpfnmcz- nhtdj;bnmcz- ,jznmcz- jgfcfnmcz- cnhfibnmcz- cntcyznmcz- lbxbnmcz- ;fnmcz- ujhlbnmcz- rbxbnmcz- pflfdfnmcz (
俗語)- cnslbnmcz- ,jlhbnmcz- hfljdfnmcz- dtctkbnmcz- pkbnmcz- cthlbnmcz- hfplhf;fnmcz- ,tcyjdfnmcz- ,tcbnmcz+ eghzvbnmcz- fhnfxbnmcz(口語)
無人称動詞:
vjhjpbn- geh;bn- gfhbn- cdth,bn- (yt) cgbncz- (yt) hf,jnftncz
;K.,b- gjrelf k.,bncz- nthgb- gjrelf nthgbncz- ghjofq- gjrf ghjoftncz- b ,ju nt,t celmz(愛されるまで愛せ、耐えられるだけ耐えろ、許されるまで許しを請え、神がおまえの審判だ!)不随意の動詞:
;ehxfnm- iehifnm- ,ekmrfm- ;e;;fnm- uhj[jnfnm- uhtvtnm+
仕事の完了や、時間の利用、具体的な物理的行為を意味しない動詞:
これに関連するのは、限界の意味のない自動詞又は直接補語をとらず、限界の意味のない他動詞である。これは、造語法的に特徴のある、接尾辞“
_ybxf_”(cktcfhybxfnm- ctvthybxfnm)と接尾辞“_cndjdf_”(exbntkmcndjdfnm- itacndjdfnm)のある名詞派生動詞が該当する。このような動詞は、限界の意味のない行為を意味し、特に自動詞(直接補語をとらない)により表現される。その他の動詞は、造語法的性格を有している(例:njhujdfnm(接尾辞“_jdf_”);lbhb;bhjdfnm(接尾辞“_bhjdf_”)。しかし、この性格は動詞に限界の意味のないことを決定するものではない。
このグル−プにはまた限界の意味を持たない下記の“あいまい”の意味の動詞も含まれる:
gtnm
(jyf gtkf d xfcnyjq jgtht:彼女は私設のオペラ劇場で歌っていた);gbcfnm(jy yt vj;tn yt gbcfnm:彼は書かずにはいられない);(
z nen rf;le. ce,,jne yjxye. gj j,zpfyyjcnb= Z nen ktxe (私は、やむを得ず土曜日毎にここで寝泊まりしている。そこで私は治療を行っている);yzyxbnm;celbnm- j,dbyznm(ghjrehjh 'njn njkmrj d xtndthnsq hfp j,dbyzk: この検事は、たった四回目になってやっと論告を行った);
rhfcnm- djhjdfnm- uhf,bnm- ifkbnm
(俗語)(
pltcm dtlm- gjl Nekjq- ifkzn:ここトウ−ラ郊外は本当に強盗が横行している);tcnm-kjgfnm
(俗語);gkfrfnm- hslfnm- ctnjdfnm(文語)- [j[jnfnm;ltkfnm“ltqcndjdfnm- ghjzdkznm ltzntkmyjcnm- ,snm pfyznsv xtv_kb,j”(Xnj ns cj,bhftimcz ltkfnm?:お前は今日何をするつもりだ);hf,jnfnm(Ult ns hf,jnftim?:お前は何処で働 いているのだ);xbnfnm- gbcfnm- rjcbnm- gf[fnm- ctznm;
限界の意味のないその他の多くの職業及び非職業行為を意味する動詞(“
,snm pfyznsv xtv_kb,j”)(これらの動詞はしばしば、下記の格変化の直接目的語と結合して一定の意味を表現する:対格:
造格:
yfxfkmcndjdfnm jgjkxtybtv
(義勇軍を指揮する)、dtlfnm ujcgbnfktv
(病院を経営する)、njhujdfnm xftv
(お茶の商いをしている)、herjdjlbnm pfdjljv
(工場を運営する)、pfghfdkznm [jpzqcndjv
(家事を切りもりする));“
pfybvfnmcz xtv_kb,j”タイプの限界の意味のない再帰動詞:pfybvfnmcz- cvtznmcz- djpbnmcz- nhelbnmcz- exbnmcz- j[jnbnmcz- ,kjdfnmcz- gbnfnmcz-cnjkjdfnmcz- gjcnbnmcz
;
幾つかの同一行為を行い、限界の意味のない多行為動詞:
lthufnm- pdzrfnm- rfgfnm- vf[fnm- [hfgtnm
(口語)- ptdfnm- cjgtnm(口語)- rktdfnm- cjdfnm(口語)- gfkbnm (bp he;mz)- rjkjnm (,ekfdrjq)- cexbnm (yjufvb)- ;tdfnm- nhzcnb;注:多くの場合、多行為動詞の語根に接尾辞“
_ye_”を付けると(lthufnm−lthyenm- rktdfnm−rk.yenm- vbufnm−vbuyenm- nhzcnb−nhz[yenm)一回限りの行為の動詞が形成される。多行為の意味のある動詞は、常に限界の意味はない。
性質を表す動詞:
このグル−プの接尾辞“
_bxf_”(gjlkbxfnm)、“_cncjdf_”(,tcxbycndjdfnm)-_b1_(,ezybnm)-_bhjdf_(gfhfpbnbhjdfnm);再帰動詞:
ujhzxbnmcz- lhfnmcz- ,jlfnmcz- recfnmcz;gbnm“g]zycndjdfnm”- rehbnm (jy yt g]tn b yt rehbn:彼は酒も飲まず、煙草もやらない)
ある物理的欠陥を意味する動詞:
rjcj,jxbnm- pfbrfnmcz;技能・能力を意味する動詞:
buhfnm(yf hjzkr%ピアノを演奏する)-xbnfnm- ujdjhbnm- gtnm(jyf gtkf- buhfkf yf hjzkt- gbcfkf rhfcrfvb:彼女は歌をうたい、ピアノを演奏し、絵を描いた);yj; [jhjij ht;tn(ナイフはよくきれる);,hbndf [jhjij ,httn(剃刀はよくきれる);jnkbxyj nfywtdfk- cnjkzybxfk- njxbk- rktbk- gthtgktnfk;これらの動詞は、しばしば(
gkj[j- [jhjij- jnkbxyj)等の動詞と共に使用される。音を表現する動詞:
,bnm
(打つ、鳴らす、鳴る)(d ,fhf,fy+ (d ,fhf,fy+ rjkjrjk ,mtn)+ nhe,bnm- pdjybnm- cnexfnm- ievtnm- uhtvtnm- uhjvs[fn rhbxfnm- djgbnm(俗語)- ujhkfybnm(俗語)+ + ferfnm+ gt“bcgjkyznm ujkjcjv”(jy gtk% dct ckeifkb tuj c ,jkmibv dybvfybtv(彼は歌をうたった。全ては彼の歌を注意深く聞いていた。)- pfgtdfnm(d [jht)kfznm- djhrjdfnm- ot,tnfnm- rdfnfnm- rerjdfnm- ,ktznm- h;fnm- vsxfnm+ fnm- rdfnfnm- rerjdfnm- ,ktznm- h;fnm- vsxfnm+ ujdjhb (Yfnfif======= yt gthtcnfdfz ujdjhbkf c ytq ujdjhbkf gjnjve- xnj jlby yt;ysq- kfcrf.obq ujkjc tt ecgjrfbdfk uhfaby.:ナタ−シャは休まず話続けた。それは彼女のやさしいあたたかい声が伯爵夫人を和ませたからであった。);njkrjdfnm(口語);hfpujdfhbdfnm- ,tctljdfnm;,jknfnm(口語);gecnjckjdbnm(口語)- ,jhvjnfnm- ,ehxfnm(口語)- ,ehrfnm(俗語)- ,e,ybnm(口語)- ,h.p;fnm- djhxfnm+ )- ,h.p;fnm- djhxfnm+ frfnm- jrfnm- uhfccbhjdfnm- rfhnfdbnm- uyecfdbnm- itgtzdb- ifvrfnm(口語);
相互の行為を意味する動詞:
一方向でない運動の動詞(不定動詞):
常に限界の意味のない動詞:これは様々の方向で行われる運動の動詞のことで、多くは反復性がある:
Djn ,tuftn ldjhjdsq vfkmxbr
(ほら、召使いの少年が走り回っている);Bdfy j,pfdtkcz kjoflm.- cnfk===== .djpbnm c djrpfkf b yf djrpfk- f nfr;t
,hfkcz tplbnm b c rkflm.(イワンは馬を手に入れた。駅から駅へと荷物を運び始め、山積みされた荷と共に行き来するようになった);jyf gjdthyekfcm- gjlyzkf yjns r ukfpfv- pfgtkf b gjikf jgznm [jlbnm gj pfkt
一方向でない運動の動詞(不定動詞)には、一方向でない運動を意味する不完了体単体動詞も含まれる。例:
uekznm、rjxtdfnm、akfybhjdfnm、,ke;lfnm、 rjktcbnm、ikznmcz(俗語)、ifnfnmcz(俗語);一方向の運動の動詞(定動詞):これは限界の意味を有する動詞ことで、ある限界に到達する方向にある運動を意味する動詞のことである(空間的限界):
,t;fnm(r abybie:ゴ−ルに向かって走る)、dtpnb(rkf;e ljvjq:荷物を家に運ぶ)、dtcnb (ht,tyrf d irjke:子どもを学校に連れてゆく)、uyfnm(cj,fre yf ekbwe:犬を通りに追い払う)、t[fnm(d Vjcrde:モスクワに乗り物で行く);blnb(d vfufpby:店に歩いて行く)、rfnbnm(vzx r djhjnfv:ボ−ルをゴ−ルに向かって転がす)、ktpnm(yf lthtdj:木によじ登る)、ktntnm(yf .u:南に飛んでゆく)、ytcnb、nfobnm(uhep d nh.v:荷物を船倉に運び込む)、gksnm(r ,thtue:岸に向かって泳ぐ)、gjkpnb(d yjhe:穴に這い入る)、uyfnmcz(pf dhfujv:敵を追撃する)、ytcnbcm(ljvjq:家に向かって疾走する);このような単体動詞は、接頭辞が付くとその語意が変化する:
これらの動詞には“体形成専用”接頭辞は用いられない。
このような接頭辞付き動詞の体の対は、二次未完了相化方法と次のようなパタ−ン(
ghbytcnb−ghbyjcbnm)により形成される。接頭辞“_gj_”の付いた始まりの意味の動詞(gjqnb、gj,t;fnm)は、対応する体のない完了体動詞である。一方向の運動の動詞(定動詞)には、移動の意味のある動詞も含まれる:vxfnm、vxfnmcz、ifufnm、cktljdfnm、dktxm(旧)、djkjxm、itcndjdfnm(格調高い表現);俗語:dfkbnm、;fhbnm、lenm、xtcfnm;注:
一方向の運動の動詞(定動詞)は、限界の意味のない場合にも利用できる:[jhjij ,t;fnm gjkzvb(野原を駆けるのは素晴らしい);この場合、これらの動詞は対応する体のない不完了体動詞である。
行為に限界の意味があるのにも関わらず、歴史的に形成された言語的背景により、対応する体のない一連の不完了体動詞がある:
dsvjufnm
(xnj)、pfrkbyfnm(rjuj)、evjkznm、yfgbhfnm(yf xnj)(俗語)、yfcnegfnm“yfgflfnm”、j[jhfibdfnmcz(口語)、ghb[jhfibdfnmcz(口語)、gjhsdfnmcz、ghbdtncndjdfnm(rjuj)、cjghjnbdkznmcz、euhj;fnm、eghf;yznm、xthtljdfnm、xtcndjdfnm;対応する体のない不完了体動詞には、接尾辞“_bdf_#_df_#f3_”又は接頭辞・接尾辞混合して付けることにより、不完了体動詞から形成される動詞も含まれる:多回性([f;bdfnm);断続的・弛緩的行為(gj[f;bdfnm)、継続的・弛緩的行為(ghb[dfhsdfnm)、付随行為(伴唱する)、継続的・多方向行為(hfpue−kbdfnm)、継続的・集中的行為(yf[ktcnsdfnm)、幾つかの主体による反復行為(gthtvbubdfnmcz);
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