ロシア最新ニュ−ス
2001年1月分履歴
1月29日(月)
“ダボスの案内人”(完)
- “アレクセイ・クウドリン、スイスのスキ-保養地で“
(イズヴェスチヤ、1月29日、エレナ・コロプ)
ロシア副首相、財務大臣アレクセイ・クウドリンは昨日ダボスの会議から去るにあたり、会議の結果に満足していると表明した。スイスの保養地滞在一週間、ロシア代表団の責任者は西側投資家と“意見交換した”り、IMF首脳と“率直に話し合い”、ドイツ財務相の“懸念を払拭する”ことができた。
会議が始まる前、ロシア政府は政治・経済エリ−トの例年集会はわが国には特に意味をもたないと、出来る限り証明しようとしていた。結局ロシアはスイスに“第二級の構成メンバ−”で出かけることになった。首相ミハイル・カシヤノフは、“会議でロシアのテ−マが中心にならない”と述べ、格式高い保養地に行くかわりにペテルブルグに出発した。
それでも、“パリ債権団”にたいする旧ソ連債務問題は率直に言ってこの会議の最大かけひきの一つとなった。おそらく清算を激しく迫る債権者が毎晩夢に出てきているカシヤノフは事態がそのように展開するのを予感したのだろう。それ故、ダボス行きを断り、債務の難問題の話し合いは副首相アレクセイ・クウドリンに指示したのある。
驚かせたことは、対外債務に関しロシア代表団の意見が一つであったことだ(この代表団には大統領経済顧問アンドレイ・イルラリオノフも同行していた)。今や債務問題に関し唯一の公式“ニュ−スメ−カ”となったクウドリンは“政府とクレムリンは債務返済問題で意見は同じだ”とわかり切った発言をした。モスクワの公式な立場は、クウドリンによると、“わが国は一方的なやり方で債務返済を拒絶することはない。ロシアはしかるべき収入が入れば、全額対外債務を返済するだろう。しかし同時に政府は返済繰り延べなどについては債権者と交渉するつもりである。と言うのも、一度に全債務の返済が経済的に手におえないからだ”。
クウドリンにとって最も重要であったのは、ドイツ財務大臣との会談であった。それはドイツが最大で最も手ごわい債権国だからである。最近ドイツ財務省は、モスクワが旧ソ連債務返済を拒否した場合、ドイツは“先進八カ国”からロシアを除名する問題を提起すると脅していた。ドイツ財務大臣との話し合いをアレクセイ・クウドリンはきわめて建設的なもの発言し、“我々は現状とロシア政府の今後の行動のあらゆるニュアンスを詳細に話し合い、我々の行動論理を説明した。その結果、ドイツ財務大臣にあったあらゆる懸念が事実上払拭された”。
同じ債務問題でさらにもう一つ“誠実で率直な話し合い”がロシア代表団の責任者とIMF副理事長ステンリ・フッシャと行われた。クウドリンによると、IMFはロシア政府が受け入れたプログラムに満足している。“彼らは我々がこのプログラムを実行することを期待している。この意味では我々は近い立場にある“。ロシア外国人投資協議会に入っている海外企業首脳との会合は、副首相によると、”とても興味深い“ものがあった。とは言え、ジョ−ジ・ソロスは、”投資家は今のところ、ロシア市場には食指が動かない“と述べている。
1月29日(月)
“デフォルトと差し押さえの狭間で”(完)
- “わが国会計年度は国際スキャンダルでスタ−ト“-
(独立新聞、1月23日、マリナ・イオノヴァ、ウラヂスラフ・クジミチェフ)
ロシアの新会計年度はスキャンダルから幕を開けた。だがこのスキャンダルは予想されていたもので、ほぼ昨年下半期から多くの専門家はロシアとパリ債権団の関係が厄介なものになる可能性があると警告していた。若干のけして最も悲観論とってはいない専門家がデフォルトと予算差し押さえについて口に出すようになった。
その上ミハイル・カシヤノフ首相も含め、閣僚自身も自己の立場を特に隠さなくなった。2001年度ロシア連邦の歳入不足が約30億ドルになりうる、この事実が全てにとって明らかになった。そして世界の石油価格が下落している条件でこの資金はどこからも確保できない。
ところが事実上新年になるまで政府は結局、パリ債権団と交渉を開始することができず、2001年当初からこうした事態の進展シナリオが最も悲観的な様相で現実のものとなってきた。これはロシアにとっても、債権団にとっても悲観的な方向である。
債権団と世論は“パリ債権団にたいする返済は祭日により遅延した”という考えには一笑したが、その後余りにもばかげた話が出てきた。“今後の返済は法律に反することで、それと言うのもロシア国家予算にその記述がなく、それ故返済は行われない”(基本債務に関するロシアの返済額について)。
そしてついに1月9日、ミハイル・カシヤノフ首相は返済方法について発言した。“第一四半期、年初に突然生じた予算不足のため(燃料三倍消費というシベリア厳寒により)、1988〜1990年のタイドロ−ンの利子のみ支払われる”と述べている。翌日ドイツは債権団で旧ソ連債務の最大債権国だが、債務利子自国分として10.5百万ドル受け取り、金曜日には旧ソ連債務利子として12.261百万ドルの支払いがあった。
そこでロシアとパリ債権団のこれまでの関係について若干触れてみる。ロシアは債権団にたいする旧ソ連債務を自国のものと認め、その返済スケジュ−ルを変更した。1996年、ロシアと債権国の間で債務返済スケジュ-ルに関し協定が結ばれ、それに従うと、債務の45%は今後25年間で返済するものとし、残りの55%はその後の21年間で返済することにした。債権団にたいするロシアの債務総額は約440億ドルである。さらに注意してみると、債務の中に今後債務返済スケジュ-ル変更できないと特に定めた金額がある。
現行の協定に従うと、2001年1月のロシア返済額は5億6千万ドルである。政府は返済総額の中、3千150万ドルの支払いには同意している。2月の返済額は12億7千万ドルになるはずである。年間返済額の三分の一は第一四半期に該当する。2001年度全体ではロシアはパ債権団にたいし、59億ドル返済せねばならず、その中34〜36億ドルは旧ソ連債務分である。結局債権者を不安にさせているのが、理屈的には返済スケジュ-ル変更可能な旧ソ連債務34〜36億ドルのことである。
ロシア政府の立場を困難にしているのが、今日にいたるまでわが国がIMFと融資プログラムについて必要な合意にいたっていないことである。その結果パリ債権団関係国は常にIMF代表のせいにできるし、債務返済スケジュ-ル変更の決定を延ばすことができる。
さらに本紙の取材によると、ロシアと債権団がこのような問題に陥るようにまさにIMFが加速させた。債権団にたいする債務の一部が国家予算に該当する支出項目がないため支払われないかもしれないという論拠の出現自体、若干の専門家が推測しているように、けして政府のやり方が拙いせいではない。逆に多くの点でこれはロシアにたいするIMFの立場によるものである。
IMFモスクワ代表部の情報源によると、2001年度連邦予算案の作成が終了した夏ごろ、ロシア代表団とIMFミッションの会談があり、そこでIMFと協定締結するため、ロシアの今後の発展について若干の条件が取り決められた。当時IMFはロシア政府が現在とっているのと同じ立場を事実上とっていた。
何らかの保証をもらい、政府は安心して予算最終案を作成した。ところが秋になると基本財政法の承認過程が事実上終わった時だが、IMFの態度が根本的に変わった。わが国政府が最早合意できないような条件をロシアに持ち出してきた。その結果、ロシアは新年とパリ債権団にたいする返済時期をIMFによる承認プログラムなしに迎えることになった。そしてその帰結として、債権団と正常な交渉ができないでいる。
とは言え今のところ、投資家は新たな債務スキャンダルについて無関心な反応を見せている。これはきわめて実利的な原因によるもので、第一に2001年当初まで市場は折込済みの債務の揉事はさらに悪化することはないと、そうした見方であった。第二に、争い当事者双方は誰にでも理解される目的を求めており、出来る限り長く自説を堅持するが、最終的には妥協せざるえない、という点である。
ちなみにIMFミッションの次期訪ロが返済延期に関し、パリ債権団との交渉を前進させる可能性と結び付けられているが、IMFはその立場をすでに表明している。“帳消しと延期には協力しない、新たな債務返済スケジュ−ル変更は支持しない、ここで今すぐ清算するようロシアにせまる”。債権団各参加国も旧ソヴィエト債務に関し同じ立場である。“ロシアは債務の種類にかかわらず、自国の債務を返済すべきである”。債務返済スケジュ−ル変更には次回、彼らは応じないだろう。
第三にロシアのユ−ロボンドの投資家にとって、状況ははっきりと改善している。“ロシアは少なくとも2001年は紙幣を”氾濫“させることはないだろう。これが一月以降、債権市場の楽観論の根拠である。債券市場の状況は債権国が信用格付会社を利用してロシアに圧力をかけている間は楽観論のままだろう。格付け予想が行われた後で債務者の格付けが低下することもありうる。例えば、格付け会社”Standard&Poor“はロシアにたいする格付けを再検討する可能性があると表明している。
パリ債権団にたいする返済を巡り広まっているスキャンダルは、債務返済の資金がないという意味ではない。最終的には外貨準備高に注目する可能性がある。これは年初280億ドル以上あった。昨年から繰り越した残高は政府には1000億ル-ブルある(パリクラブとの清算用として、予算で予定していない金額1.5倍)。全体として昨年の追加収入は2001年度〜2002年度の対外返済が、事態がどうなろうと問題とならないと見なしたぐらい大きなものであった。
しかし大きな内政問題の口実としてはこうしたスキャンダルはきわめて格好なものだ。クレムリンと政府のゲ-ム盤上の配置がえを完了する上で、プ-チンにはまさに債務スキャンダルだけがなかったのである。注意してみると、パリ債権団との問題の背景にまさにロシア大統領の立場に何よりも失望感が生まれている。ウラジ−ミル・プ-チンがデフォルト宣言や今後国の屈辱を前提とする決定には賛成しないだろうと、三週間前までは疑うことはなかった。公然と反対なことを表明しているとはいえ、賛成したことは明らかである。多くのものとって、これは大統領の“条件付自立性”の警告である。アレクサンドル・ショ-ヒンの反応はこうだ。“...政府官僚の罪は、パリ債権団にたいする債務帳消しに可能性があると大統領を説得し、大統領を誤った方向に導いたことである”。
概してロシアは返済したくはないが、しかしおそらくデフォルトは避けるだろう。少なくとも、政府がパリ債権団との交渉を巡る好都合の報道雰囲気をうまく保ち、債権者が双方債務返済スケジュ-ル変更問題で何らかの進展が得られると確信しているうちはそうだろう。パリ債権団は1月から全額受け取ることはないだろう。カシヤノフ首相と各大臣は債権団をごまかし続けるだろうが、債権団はあらゆるやり方で彼らを脅すだろうが、デフォルト宣言はないだろうし、とにかくヨ-ロッパでは燃料危機が続いているが、一方ロシアの天然ガスは米国より大幅に廉価である。
大事件は起きないだろうが、国の格付け上昇と導入資金の減価の期待は、かなり先のことにはなるだろう。したがって、株式投資における年間平均収益向上の見通しは修正しなければならない。ところが双方の意見交換が長引けば長引くほど、投資家に悪く影響し、“ロシアの信頼に重大な危機がある”という考えが出てくるだろう。証券市場にとって事態がこのように進展することは不快なことである。おそらく債務問題は月単位の問題から年間の問題となるだろう。
1月27日(土)
“ロシア今のところ、債務返済スケジュ−ル変更主張”(完)
- “しかしそれにもかかわらず、債務全額返済資金を探している“-
(独立新聞、1月25日、ウラジスラフ・クジミチェフ)
昨日パリで旧ソ連債務返済スケジュ−ル変更問題に関し、ロシアとパリ債権団との間で協議が始まった。この会談ではロシア側はいつものように2001年度対外債務返済に関し、自国の立場を説明しようとするだろう。しかしおそらく債務返済スケジュ−ル変更の希望をまだ捨てていないとは言え、ロシアはパリ債権団にたいする債務全額履行する準備を徐々に始めている。
このパリ会談はどう見ても公式な性格なものに違いない。双方は互いの論拠を先ず聞き、そして各々立場を自分の上司の報告するだろう。パリ債権団にたいする債務の帳消しまたは猶予に関する実際の交渉は、ロシアが協力プログラムについてIMFと合意した後なってのみ開始されるかもしれない。専門家の考えだと、うまくいったとしても、ロシア政府とパリ債権団の代表が交渉の席(法的な意味での“交渉)につくのは、今年4月以降となる可能性がある。
ロシア代表団にとっては、債務返済スケジュ-ル変更にふみきるよう、パリ債権団を説得するのはかなり至難なことだろう。債権団を自分の方になびかせるには、国の財政システムに全額返済を不能としている多くの未解決問題が存在していると、少なくともこのことを指摘すれば可能かもしれない(現在、政府は20〜30億ドル不足していると主張している)。ところが公式統計の資料から判断すると、わが国にはこうした問題は存在しない。シベリアの“思ってもみない”厳冬あるいは、予算法に所定の金額がないという、そうした論拠をパリ債権団は考慮しないだろう。
それどころか、2000年の結果からすると最大の貿易黒字が記録されている。貿易黒字高は691億ドルで前年より266億ドル増加した。さらにロシアの金貨準備高もきわめて高いものとなり(約280億ドル)、ロシア輸出の最大品目である石油も高値であった。火曜日、ロシア石油価格は1バレル当たり26.4ドルであったが、これは国家予算で予定している数値を大幅に上回るものである。
パリ協議でロシア代表団を代表するセルゲイ・コロトウヒンの立場が弱くなるのは、経済要因だけではない。“パリ債権団に返済すべか、すべきでないか”、この問題に関しきわめて深刻な意見相違がロシア首脳内部でさえ存在する。例えば、政府はとりわけその財政担当は債務返済スケジュ−ル変更を求めている。それとは正反対の意見を中央銀行総裁ヴィクトル・ゲラシェンコと経済問題大統領顧問アンドレイ・イルラリオノフが支持している。
国家元首ウラジ−ミル・プ-チン本人ははっきりとした自分の立場を今のとこの述べていない(少なくも公然とは)。とは言え、先週金曜日の大統領会議で政府は国会とも、パリ債権団ともあらゆる可能な方向で対応するよう指示をうけたが、大統領の口からはこの問題(パリ債権団に全額返済すべきか)にたいする回答は結局得られなかった。
債権者の立場について言えば、おそらくこれはきわめて攻撃的なものだろう。とりわけ政治的理由によりそうなるだろう。ロシアはここ数年のロシアのあらゆる“罪”を思い知らされるとも限らない。例えば、チェチェンやここ十年のロシアの債務問題、きわめて疑わしい融資問題、ロシアの企業ばかりか、多くの西側債権者も被害をうけた1998年8月17日の経済危機などのことである。
昨年夏、“先進八カ国”沖縄サミットで工業発展国の首脳はロシア代表団のちょっとした“ストリップショ−”のようなことを企画した。だがパリ債権団にたいする債務返済スケジュ−ル変更の必要性についてその演説で一度も触れていなかったロシア大統領ウラジ−ミル・プ-チンは自らその難から免れることができた。ウオ−ル・ストリ−トの会談後、主要工業国がロシアとの関係を厳しくする意向を断念したと再び語られ出した。そして多くの企業はわが国に深刻な問題が存在していることを承知しながらも、モスクワとの協力問題でより好意的に対応するようになった。
今年一月の事件、つまり債務返済スケジュ−ル変更が必要であるとする政府発言はあらゆる楽観的予測を完全に打ち消してしまった。逆にロシアがまったく白紙に戻しデフォルト宣言する意向に苛立つ多くの投資家は、わが国には現在たった二つの解決策しかないと考えている。一つは、パリ債権団にたいする債務を今年中に完全履行し、それにより醜聞をもみ消すこと。もう一つはより悪い案だが、パリ債権団と交渉し債務延期のあらゆる法的手段を行使し、返済を引き延ばす。だがいずれにしても、全額返済することにはかわりない。債務返済引き延ばしは夏ごろまでは可能だろうが、しかしこのシナリオによりロシアは完全に財政的孤立するだろうし、先進八カ国加盟国は7カ国に減少し、国際舞台におけるわが国イメ-ジは悪化するだろう(しかも国家そのものは数年も経てばまだそれを修復することも可能だが、この決定を下した官僚、特にウラジ−ミル・プ-チン大統領はそれを永遠に回復することはできないだろう)。
ロシア政府にはどのシナリオを優先するか決定する時間はさほどない。この問題解決の責任者には、副首相、財務大臣アレクセイ・クウドリンが任命された。聞いた話からすると、彼はまた交渉問題に関しロシア政府の公式スポ−クスマンも担っている。パリ債権団にたいする第一回債務大口返済は二月末の予定である。この時期までモスクワでは2001年度わが国発展見通しに関し独自見解をもって訪ロするIMFミッションとの交渉が行われる。IMFの見解がロシア政府代表の言うロシア国庫の財政に穴があるという見解と一致した場合に限り、アレクセイ・クウドリンにパリ債権団との交渉で少なくとも何らかの切り札を手にすることになる。
さもなければ、年頭に発生したスキャンダルそのものはすっかり意味をなくし、パリ債権団にたいする返済不可避という事実が副首相の栄達の重い負担となるだろう。さらにこのことはアレクセイ・クウドリンの評判を若干損ねる二つ目の要因ともなるだろう。その一番目の要因とは、石油企業との対立である。ちなみに昨年末石油企業は、特にクウドリンのロビ−活動で法人価格の利益にたいし税金控除を変更する決定をやっとのことで免れることできた。当時多くの専門家はこうの決定が実施されるとロシア経済成長テンポがゼロまで低下すると指摘していた。
それがどうあろうと、いずれにしても政府はおそらく“予備飛行場”を準備しているだろう。昨日政府が2001年度連邦予算法を大幅に見直す意向であると、その噂が広まってきた。そこで見直し案として追加収入項目そのものを削除する可能性が検討されている。もし政府が実際にこのやり方ですすむとすると、予算法に従い計画外の全ての収入は国の債務返済に向けられることになる。
と言っても議員がこの提案にどのように反応するか不明であるし、それと言うのも追加収入から社会プログラムの一部に割り当てる予定があるからだ。その上多くの議員は政府にたいしパリ債権団との清算は、中央銀行の資金を使えば、予算法を変更せずに出来ると既に指摘済みである。
1月26日(金)
“現代ロシアの権力、社会、知識人”(完)
- “優秀な人物は権力に何を期待し、権力は優秀な人物に何を期待しているのか“-
(独立新聞、1月20日、ヴィタリ・トレチャコフ)
ウラジ−ミル・プ-チンがモスクワクレムリンの主執務室に座ってから一年余り経過した。もしこれがロシア初代大統領ボリス・エリツインの個人決定の結果だとしたら、その後3月26日の選挙でこの選択を有権者本人、つまり憲法にしたがうとわが国権力の唯一の根源である国民そのものに支持されたわけだ。
だがこうしたことはありえなかったもしれない。1999年中頃の中央権力の事実上あらゆる行動や決定の不評は、この権力自身が推した者の選挙結果がゼロとはいかないまでも、それでもやはり勝利するものではなかった。直線的に考えれば事態の進展はまさにこうした予測となるものであった。ところがそうはならなかった。何故だろうか。
しばしば語られるのが、権力機構の力や、“政権党”、エリツインによる疲労、それと多くの者の意見だがプ-チンを緊急避難的に大統領の椅子に座らせた第二次チェチェン戦争のことである。当然のこと、社会(国民)が秩序や強靭な者を求めていることも語られている。
要するにこうした選択の全ての原因は、隠蔽すべきこと、気まずいことになっている、そうした“ネガテイブ”なもののせいか、それとも自由より権威主義、改革より現状維持を選んだ“大部分の有権者”の無知のせいである。ここでは誰かと論争するつもりはないが、それはこれにたいし回答をもっていない理由によるものではないし、今日の論文の主旨が若干別なことによるせいである。と言っても、現在最も重大で緊急性さえあると思われる見地からこのテ-マを解明し、現在のロシア政権に浴びせられる叱責や非難のように時に聞こえる問題にも間接的だが答えるつもりである。
だがこれは権力擁護のためではない。その行動論理を説明するためでさえない。その目的は本質的で、根本的とも言えるほど別なことなのである。
権力と国民に利害の衝突問題が存在するだろうか。勿論、存在する。権力と知識人に利害の衝突問題が存在するだろうか。これを否定すると、少なくとも19世紀〜20世紀のロシア史全体を否定することになる。
一方、国民と知識人に利害の衝突が存在するだろうか。これにたいする答えとなると、きわめて一様ではない。本質的に社会の思考するまたは先駆的部分と知識人を定義している階級的視点に従ったとしても、衝突は不可避的に現れる。それが、多くのものが良いものと悪いものとの衝突と考える、新旧の衝突の形にせよ、現れるものだ。
このようにどう見ても、今日のロシアには衝突のトライアングルが存在する。権力と国民(有権者)と知識人の三角関係である。しかしこの三角形は全て等辺ではなく、少なくとも二等辺である。
国民は権力が好きである。権力は国民が好きである。このようにプ-チンも、大統領本人も言い切っている。一方、知識人はプ-チンも国民(少なくともプ-チンを支持している理由で)も好きではない。無論のこと、プ-チン(と国民)のことを全ての知識人が嫌いなわけではない。その先頭の部分である(即ち、社会の先頭部分の先頭、つまり第二級の先頭部分)。そして当然のことながら、プ-チンも全ての知識人が嫌いなわけではなく、“第二級の先頭部分”だけである。しかし、この条件(つまり衝突の定義)を表現上の都合で緩めることにする。したがってこれから用いる“知識人”とは、第二級の知識人の意味である。
ところが、第二級の知識人こそが自己のことをまさに知識人であり、思考する人間だと思っている。一方、第二級の知識人でないものは誰か、何か他のものと自身のことを見なしている。同様に気づくことは、第二級の知識人の中にさらに第三級の知識人がいる。これは第二級知識人を代表して語り、主にテレビで発言している第二級の知識人の中にいる。さらに気づいたことは、ここで言う衝突の三角関係はロシアの新国歌、これにはあとで戻るが、をめぐる論争でその本当の姿を完全に現したのである。
この論文はだいぶ以前から考えていたことだが、最終的に公表する動機となったのは、本紙年末号の論文“わが国宮廷の千年はどのようなものか”にたいし、予想外の大きな反応(特にインタ-ネット)があったからである。この論文にたいするインタ-ネットだけでもほぼ200の反響の中に、謝意として(歓喜したものや控えめなもの、“破廉恥だが、本当のことだ)また反駁(愚弄したものや、”卑劣漢“と心底こきおろしたもの)として受け取れるものがあった。
実際、論文“わが国宮廷の千年はどのようなものか”では、まさに知識人問題、つまりモラルと政治を取り上げたものだ(ところで、この論文の最終段落で“インモラリズム(道徳否定主義)の宣伝”とするところを“インペリアリズムの宣伝”と印刷されていた。これはいつも同義語ではけしてない)。
一言でいえば、“モラルと政治”というテ-マは“知識人と権力”と言い換えればよいが、今日これは影響力がある。つまり第三級の知識人と第二級の知識人さえも、おそらく一般に第一級の知識人もこのテ-マに“飛びつく”だろう。おいしいテ-マだと思う。
この論文の出だしで、選挙についてや中央権力にたいする選挙中、選挙後の非難について敢えて思い起こしてみた。例えば以前、一年ぐらい前だとこうした非難は特にそれに類するものや、時に誠意の無いものはあらゆる選挙運動で用いられた成り行きからくる宣伝手法としてかたづけることができたが、今日それははるかに深刻な問題、つまりロシアそしてその国民や国民が選択した権力が直面している現実の問題を知識人の一部が理解していないことを証明するものであり、こうしたことから権力の具体的行動の動機や本質が理解できず、誤った、あるいは先入観による解釈なのである。
しかしこれでまだ全てではない。ひょっとすると、もっと深刻な問題が思い浮かぶかもしれない。知識人、正確に言えばその一部だが、マスコミのお気に入りであるし、全知識人、さもなければ全社会を代表して発言し、本当にはしかるべききちんと形成された基礎知識を持たず、社会が知識人そのものに何を期待しているか、理解していないし、理解しようともしない。いよいよ国の発展においてネガテイブな傾向の大部分を克服する必要性がでてきたまさに今日、知識人に期待されている。何のために行動し、働き、仕事をする必要があるのか、それは共産主義体制が何故に悪かったのか、エリツイン体制が何故に悪かったのか、今ではプ-チン体制が何故に悪いのか、そうして永遠に論議しているだけではあるまい。
この論文で何もかも包括するつもりはない。ましてや、ロシア知識人問題はこの二世紀におけるロシア最大の“呪わしい問題”の一つだからだ。言うまでも無く、全てについて述べることはできない。さらに別の危険性が存在するし、そのことも分かる。はたして誰が勇気を出して知識人を非難評価し、その上権力の行動にたいし知識人の聖なる怒りをもてるだろうか。わが国知識人はメリットがあると、権力と共存し、権力に奉仕する、それをとてもうまくこなす、そうしたことを思い起こさせるつもりはない。仮にこうしことはなかったとしてみよう。特に今日サハロフ博士というより、おそらくマリファ・ポサドニツアやデカブリストによる“反体制運動”を構築している人にはとりわけ、そうしたことはなかったとしよう。
知識人の発言はひたすら拝聴すべきだ、ただそれだけの理由で注目すべきとなるし、せいぜいのところ信じるべきとなる。しかし、論争や異議、ましてや知識人の発言を無視することは許されない。誰がル−シ時代にそんなきまりを制定したのか、それは知らない。それはロシアの知識人本人のように思われる。しかしこの場合のきまりとは、まさに我々に欠けているきまりとは異なり、無条件に機能するものである。ここ二三世紀、ロシアの権力は“知識人の裁き”に常に戦々恐々とし、必要なことやまさに知識人そのものに要求されたものの内、多くのことをできないでいる。
せめて“知識人の声で”“世論の声”や“社会の声”をおびえさせるのは止めようではないか。社会の声や判断にはロシアの権力はまさに昔からめったに耳を傾けないし、そのかわり“知識人の声”にはびくびくしている。たしかにそれはまったく全知識人の声ではなく、ほんの少数かもしれないが、その少数とはテレビに出ている知識人のことだ。とにもかくも最近、知識人とはテレビ局がしかるべき肩書きを与え、映し出している人物のこと、そのように思える。テレビに出なければ、おそらく知識人ではないし、せいぜい“ロシア人”どまりである。
この論文のタイトル“現代ロシアの権力、社会、知識人”を意図的に不正確なものとした。社会グル-プとしての知識層は、それはほんの社会の一部分であるが、強い願望でそこから自己を分離させている部分でもある。1917年10月までも分離させていたが、その後、つまりソヴィエト時代もさらに積極的に自己を分離させていた。ソヴィエト時代、知識層は権威化され、けしてレ-ニンに劣ることなく神格化されていた。そして自分は神から生まれたと信じていたと思われる。
権力はかつて以上に、賢明であり真理を知っているだけでなく、真理を得る絶対的な倫理方法を知っている人たちの助言を特に今こそ求めていると信じたい。そしてこうした助言はまさに対立する意見なのである。誰に聞くべきだろうか。
例えば、ある知識人は“チュバイスのやり方”で“ロシア統一電力”社を再編しろと助言する。他の知識人は、“チュバイスのやり方”でやるべきでないし、絶対反対だと助言する。そうなると本人も知識人になるほかないし、事もうまくやるためにはどうしたらいいか。私見だが、この分野における本当の専門家の助言どおりにすればよいし、ここでそれが知識人であるかどうか、二義的な問題だ。同じように、それが左であろうと、右であろうと、民主主義者、正統共産主義者であろうと、かまわない。
知性とは、あらゆる者にあらゆる事に関し助言する腕前のような資質を含めたとしても職業ではない。“ロシア統一電力”社の例は不適当だろうか。全部はうまくいかないまでも、肝心なことはうまくいったと思う。これは誰に聞くべきか、その回答である。
もっとうまいテ-マを取り上げてみる。これは、包み隠し無い会話に必要な率直さをあえておこなうと、正真正銘の有名知識人やただテレビで有名な知識人でこうしたテ-マで発言した人はほとんどいないぐらい、うまいテ-マである。
ロシア国歌というテ−マ
アレクサンドロフの曲について特に自分の好みを述べるつもりはない。この曲の選択に反対した人の論拠について若干述べてみる。ほとんど常に第一に出てくる論拠はこの曲で起立しないということである。自由人の論拠かもしれない。だがこの曲ならばこそ起立したい人間の自由はどうすべきなのか。
次の論拠は、この国歌はスタ-リン主義を連想させる、というものだ。だがその意識の中でこの国歌は正常な暮らしができる、定期的に支払われる年金を連想させるとする、数千万の老人はどうすべきなのか。これは、飢えたりせず、ごみ箱の古いものをあさるべきでない、その意味では正常である。勿論、こうした数百万の年金老人は知識人ではないし、社会の“思考する部分”でもないし、もしかしたらスタ-リン主義者でさえあるかもしれない。しかし、我々は知識人であり、民主主義者であり、思考する反スタ-リン主義者であるが、“共産主義時代”に彼らのもとにあったものでさえ今のところ与えることが出来ない以上、もしかしたらせめて国歌ぐらい与えようとしているのだろうか。つまり、知識人ヒュ−マニストであるから。
次の論拠はアンケ-トによるものだが、アレクサンドルの曲を支持しているのは過半数だが、絶対過半数ではなく、相対的なものである。しかし、グリンカの“愛国の歌”は全体的に少数で、この曲に“反対”(この論拠に立脚している人の論理に従い)は絶対過半数ばかりか、圧倒的過半数でさえある。それとも国歌問題を国民投票にかける必要があり、どのような結果になるか誰か疑っているだろうか。たしかに年金者は投票に来るだろうが、若者は来ないだろう。
さらにもう一つの論拠、民主主義のことだが、これは過半数で決定できるが、少数意見を考慮することだ。そのとおりだ。ただこの場合、どのようにそれを考慮できるだろうか。三節をアレクサンドルの曲で歌い、一節をグリンカの曲で歌えるだろうか。憤慨は安上がりとはいかないが、助言、まして思考する人間の助言はまちがいなく安上がりだ。
新聞紙面やテレビ画面で知識人勢力が行った国歌についての討論は、ある視点から見れば、知識人が権力にたいし非難している理由、まさにそのことで私は一撃を受けた。その理由とは、非民主性、他人の意見にたいする不寛容、けして知識人的でない論争のやり方である。例えば、アレクサンドル国歌のある反対者が文字通り次のように言ったとする。“二十世紀ロシア(ソヴィエト時代)が良いことをした唯一のことは、それはファシズムに勝利したことだ”。お分かりか、唯一良いことが!学者仲間との論争でこの人がそのように発言すると、ただの教養の無い人間として笑いものにされるだろう。数百万の聴衆の前に立つがいい!おそらくこの人は、論争の真最中にあまりにも無知で無作法な言い方をしたのだろう。しかし、論争の真最中でも知識人は知識人であるべきである。少なくも中傷されていないかぎり、そうすべきである。
わが国知識人は下品な言葉を遠慮なく用い、今では公衆の面前でも使う。こうして見ると、適時に公衆の面前でさえも述べるこのような発言はきわめて有効でさえあると指摘しておきたい。例えば貴方が暗がりの中庭でごろつきに出会ったとする、そのごろつきと上品な会話は、まったく見込みがないとは言えないが、きわめて難しいことである。そこで二三悪態をつけば、もしかしたら自分が助かることにつながるかもしれない。
約一年以上前、ウラジ−ミル・プ-チンに記者が何度も、テロリストにたいしあまりにも上品に振舞っているのではないかと質問したが、プ-チンは“もしトイレでテロリストに出会ったら、便所に沈める!”と発言している。下品だろうか。そのとおり。こうした発言の後に限って事も動き出したように思える。ところがそれまでは、若干のものはテロリストも含め、ロシアは以前どおり、左の頬を叩かれたら右の頬をさし出し、テロリストを見つけたら、最初人権擁護者の手にゆだね、彼らが許可してはじめておそらく思い切って裁判にかけると考えたにちがいない。
最近再びテレビ局によっては知識人(ちなみにわが国は、彼らはどのくらいいるのだろうか、100人もいるのだろうか)がロシアとその権力にたいし、した事を悔い改めるよう大々的に要求しはじめた。我々の過去と現在の生活の罪は多くあった。さらに犯罪は有り余るほどあった。だから悔い改めることは存在する。と言っても、少なくとも映画“懺悔”が登場してから、我々はこの問題に注意を向けてはいないか。
西側に懺悔する。東側にも、南側にも、北側(極北)にも懺悔する。西欧・東欧、中央アジア、アジア全体、極東、アフリカの民に懺悔する。バルト諸国、CIS諸国、迫害されている民、迫害されていない民にも懺悔し、全てに懺悔する。もし今日まで懺悔の記事を事実上毎日載せている本紙を読んでいるなら、時には我々は全世界にたいし罪がある。正直なところ、こうした見方は若干不可解だが、勿論それなりに敬意に値しないし(文字通りあらゆること、あらゆるものに罪のある人を誰が尊敬するだろうか)が、慈悲には値する。たしかクレムリン権力は誰かにたいし、何かについて悔い改め、罪を認めることを禁止してはいなかったと思う。プロセスは自然の流れにしたがう。
前元首の罪に懺悔し、ロシア国家が侮辱した全てにたいし陳謝せよと現ロシア大統領にたいする要求については、最初に彼はそのポストで何か本質的なことを成し遂げ、その後彼個人が何か誇れるようになったら、公衆の面前での懺悔についても考えたらよいだろう。そうでなければ、クレムリンに入ったばかりで国の事業をまだ本格的に軌道にのせもせずに、各々自国のためばかりか、その他多くの国のために何かを行った先人のことでなんとなく無作法に詫びることになる。
そうした状況を思い浮かべてみる。成人した息子が引退した父の手から半ば壊れかかった家をもらい、それを早く修繕、できれば本格的な改築もしないで、広場に出て皆に話したとする。「うちのお祖父さんは残忍な人だよ、叔父さんは酔っ払いだ、お婆さんは身持ちが悪い、先祖は人殺しだ、我が家は犯罪と放蕩の巣だ」 仮のこれが真実であってもまだ証明の必要はあるが、こうした場合に全体的には普通だがあまり裕福でない家族が新しい家長を家から追い出すものだろうか。最初に他人より良くなれ、そして判断し、彼らのことで懺悔しなさい。だがそれをしないうちは、働くのだ。
既に触れたが、権力にとって知識人の助言に耳を傾けることはおそらく有益なことだろう。そして出来る限り、耳を傾けるべきである。全てと同様、役人は高官も含め、十年間で同じ新聞を数トン読んでいる。数トンの新聞と知識人の中で最も有力な執筆者約200人。その氏名全ては分かっている。“社会の思考する部分”の声に耳を傾け、役人は何が理解できたのだろうか。1991年ボリス・エリツインは民主主義の希望、1992年その破壊者、1993年9月〜10月再び保護者、1994年〜1995年またもや破壊者、1996年救済者、1998年特に1999年再度破壊者であったことを理解できたのだろうか。そこで“プ-チン体制”は“エリツイン体制”より悪いどころか、とにかく独裁か、それとも専制なのである。
もしかしたらたんに次の年を待つべきなのか、“プ-チン体制”にたいしまさに新たな見解が現れるだろうか。ましてやこうした論文はほとんど同じ人間が書いているが、“専制”や“独裁”にもかかわらず、その執筆は誰も禁止していない。考えていることをただ書いているだけだ。具体的契機がある度に書いている。社会の思考する部分には一つの質問にせよ一つの回答を持っているだろうか。二つ、三つ、四つとさらに一年半に一度変わるものではなく、一つの回答があるだろうか。たしかに一年半に五つの案の決定を下すべきではない。一つのものを時間かけて選択すべきである。
1999年末〜2000年始めにロシア社会はこうした決定をした。この決定の名前がプ-チンであることは歴史的偶然である。そのプ-チンもしくはそのポストについたかもしれない別の人がなすべきことは、理にかなっていることである。過ちもほとんどしていないと彼は見られるが、と言うのもできた過ちは全て我々がこの15年にしてしまったからだ。当然のことながらそれとともに多くのよい事もした。しかし、この15年間で市場と民主主義、それとロシア国家の特殊性を結びつけた微細な論争ができるほどはよくなっていない。
今日、わが国の特殊性は次の通りである。1)市場はあるが、市民の大半に物的繁栄がない 2)民主主義は存在するが、国内秩序がない 3)“思考する人々”、西側及び国内からのあらゆる助言を活用したが、効用はほとんどなかった。
ひょっとすると、我々はただ働きが少なく、いつまでも意見交換や語っていただけではないだろうか。ただでさえわが国知識人にたいする許容限度をすでに超えているので、知識人は何が一貫しているのか、と言わざるえない。たった三点だけが一貫している。一つは、権力に常に金銭を要求すること。二つ目は常に国民に不満をもっていること(ツア−リ時代も、ボリシェヴィキの時代も、民主主義の時代も)。三つ目は裕福、贅沢、大金の崇拝である。全体としてこのことは、知識人の生活に心配がないと、国民の貧困は思い起こさないし、知識人の豊かさが希望水準より下がると、すぐさま国民に同情し始めることを意味する。
“MMM”を信じた“愚かな国民”を知識人は公然と嘲笑し、“思考する人々”の金が破産すると、金融システムの立役者を悪党と言う“ロシア知識人”の泣き言も聞いたことがある。誰も誰からも奪うつもりのない言論の自由はわが国知識人を悪い冗談でからかうものであった。この言論の自由が現代マスコミの全般的な影響で増幅されたことを考慮すると、冗談は一つどころか、全部で四つある。
一つは、自由は何か発言しようとする人の脳裏にあるあらゆるものから、法律面だけでなく事実上あらゆる検閲、職業や分別、モラルの検閲さえも取り除いた。おそらく我々はきわめて賢い言葉も、言論と公開の権威によって“賢いもの”としたきわめて愚かで何度も反復された言葉もけして聞くことはない。
二つ目は、何倍にも膨張し、あらゆるものに浸透し、いたるところにはびこる自由マスコミは、社会の欠陥、特に数百万の聴衆(事実上社会全体に直に)の前で権力の欠陥を暴くことがそうしたものを一掃する最も効果的手段であると、知識人をしつけたのである。仮に十九世紀ロシアの庶民知識人がテレビで発言できたとしたら、彼らはけして民衆の方を向くことはなかったろう。
第三に、テレビで発言する“本物”の知識人とその機会のない“本物でない”知識人との“階級”分化が起きていると言える。後者は改革の一般の試練に晒され、他の国民とともに貧窮状態にある。前者はマスコミや野蛮な市場を介し、事実上権力と癒着し、官僚部隊の一つとなっている。彼らは国民を代表して語りつづけるが、その紙面や画面で発言しているまさにマスコミの情報でしかだいぶ以前から国民のことを知らない。
最後に四番目の悪い冗談だが、これはそれ自体社会の重要なグル-プではないが、知識人の権威失墜である。マスコミは意図的あるいは無意識に権力ばかりか、知識人そのものの欠陥も暴いている。数百万のテレビ視聴者がほとんど毎日、テレビ番組で権力の隣に座り、権力と飲食し、権力とリクリエ−ションする人と見なしている人が権力の何らかの決定を糾弾しても、その誠実性はたしかに信じがたいものである。
非政治的な放送で劇場の総監督が独裁者でないと、良い劇場ではないと言う人が民主主義の優位性を述べても、その誠実さは信じがたいものである。昨日レ-ニンに扮していたが、今日はレ-ニンを弾劾している人の誠実性は信じがたい。特に何もかも語り、書き、示す人が言論の自由がないと主張する時、言論の自由がないとは信じがたい。
そして知識人はこうしたあらゆる罠にかかるが、それに気づかないか、それとも気づかないようにしている。ソヴィエト時代にあった公式宗教はマルクス・レ-ニン主義であったが、それを信じていない者にとっての非公式宗教とは、常にマルクス・レ-ニン主義に何かを追加したり、何かを削除した知識人が語ったこと、そのことである。現在、公式イデオロギ−(宗教)まったくないが、真の宗教がこれを望む全ての者にたいし復活しつつあり、自由マスコミはありとあらゆる似非(もっとも度し難い反啓蒙主義、最も下品で陳腐なこと、卑猥なことも含め)で単なるイデオロギ−を紹介している。それに応じて、社会の最も思想化した部分である知識人も分裂し(作家同盟のように)、矛盾していたにせよ一枚岩を失った。多党派性のあるところでは、知識人はいない。そこにいるのは、反対勢力だけである。
反対勢力とは、知的でも、ましてや精神的なカテゴリ-ではない。反対勢力に耳を傾けるが、その最大の目的は権力奪取であると常に記憶されている。しかし反対勢力が存在するのなら、権力支持する勢力も存在する。したがって、反対勢力の知識人が存在するなら、政権党の隊列にも知識人は存在するし、すなわちその政権が選択した政治方針のイデオロギ−や倫理を準備する知識人も存在する。
1999年から2000年のはざまにロシア国民にたいする挑戦の回答として表に出たこの政権の方針とはどのようなものか。この方針は明らかだ。プ-チンの宣言だけでなく、多くの行動から明らかである。国家が存続するか、それとも存続しないかである。その中間にあるものは国家の崩壊である。それ故、国家を復活すべきなのである。もし知識人が国家を選択できるものとして自己を思い込んでいるのであれば、それは思い違い(ロシア国家なしにロシアの知識人が存在できるだろうか)であるか、それとも国家形態にたいしただ異なる見解であり、つまり反対勢力であるだけである。
国民の暮らしに不自由があってはならない。経済繁栄のモデル選択はすでに行われた。市場経済である。市場の具体的形態は、憲法で定めた立法手続きで増幅された専門家の討論対象である。あなたも政府内や国会にいれば、ストライキやマスコミでの発言でこうした決定に影響力をもち得る。あれやこれやの方法も禁止されていない。しかし、あれもこれも両方の方法だが、これは具体的な政治活動であり、大衆の数の力か、それとも論拠によるが、不毛な熱情やテレビ局によるものではない、そうしたもので権力の行動を実現できるものである。誰も、国民の信任をえた権力に何が必要か、言う義務はないが、権力を与えられていない誰かが喋った通りに行動する義務もない。
国の歴史は聖なる記述ではないが、先週(あるいはこの十年間)の新聞切り抜きの寄せ集めでもない。ましてや、あらゆる歴史学者はおそらく知識人だろうが、あらゆる知識人が歴史学者ではない。私の理解しているところでは、プ-チンは何も新しいことを欲していない、ただあらゆる安定した国、あらゆる繁栄している国家、自己を尊敬するあらゆる民族の中で磐石でありたいだけである。別の見解はご随意にどうぞ。だが国と社会の利益を民主的手続きで定める法律の範囲である。専門的問題は専門家が解決するが、その政治色は賢明な政権にとってはさほど重要ではない。ハリウッドのスタ−百人はけして米国政府の活動にいかなる政治的影響も及ぼさなかったし、何らかの政治力を求めたこともなかった。ロシアの人民芸術家百人は今日にいたっても、政治勢力である。おそらくそれ故、米国映画はわが国のスクリ−ンを占領したのだろう。
ロシアの政治もやっと専門的になった。このプロの使命とは、国内に“思考する人々”が存在し、それに相応しく専門家の役割だけしか引き受けず、しかも彼らが専門家でいられる場所だけであるが、それにもかかわらず国の生活を運営することである。その他の点では、他のものより頻繁にテレビに出演するただの市民である。こうして見ると、誰が“優れた人々”で、誰がそうではないのか、各人自分で自由に判断するがいい。しかしもしそれが本当に優れた人々であるなら、彼らの専門性がどこまでで、社会にとってきわめて高くつくそのデイレッタン主義がどこから始まるのか、その境を理解し、彼らは他の人より優れた形で自己の仕事をしているはずだ。
1991年にわが国で起きた革命はどうやらまさにデイレッタントの革命であったようだ。それもきわめて“教養”あるデイレッタントの革命であったようだ。その“教養”がまた自己のデイレッタン主義を認めたがらなかったとも言える。知識人について語ると、まさに知識人によって正しく理解されない危険が常にある。
こうした指摘を知識嫌いの証明とか、その軽視と解釈する人は勿論、自説に固守するかもしれないが、私の目的はいずれにしても他にある。非難(または知識人を賞賛)するのではなく、現代社会では社会を代表した発言する権利があるのは知識人だけでないことを証明することである。そして社会そのものにも、発言すべきことは存在する。歯に衣を付けず言うと、はたしてわが国知識人とは何だろうか。より正確に言うと、彼らは何になることを求めているのか。
1)他人(国民と権力)より、より賢い者
2)他人(国民と権力)より、より真面目な者
3)他人(国民と権力)より、より倫理観のある者
4)他人(国民と権力)より、より教養のある者
つまり知識人とは権力でも、国民でもない。おそらく、これは19世紀や20世紀の一部はそうであったろう。それは、ロシアには市民社会はなかったが、その必要性は感じていたせいだろう。社会の知識部分の発言や行動はこうした真空部分を埋めていた。発言や行動のレベルは、ごく稀にしか実情レベルではなかった。ちなみにこの15年間の改革により市民社会が出現し始め、異端思想は功績により規範となり、意見の食い違いには一般に慣れたし、専門知識は何もかも知っている知識より重要で利益あるものとなり、婦人の手にキスをしたり、外套を着せてあげることを官吏も、銀行家も、ギャングさえ学び、知識人は本名でのみ発言せざるえなくなった。しかしこれはあまりにも“幼稚”であり、“汎用性がなく”、習慣性のないものである。とりわけ教養、教育、反独裁主義の過去二世紀にわたる専売特許があるのであるから。しかし専売特許、より正確に述べれば、権力と知識人という二つのロシアの巨人の二極世界は崩壊した。社会全体が発言し始めた。個人的利害だけを表現する一般の会話に入り込みことは、知識人にとってはどうしても不慣れである(その上、個人的利害のあることさえ発言することを気兼ねする)。ところが全社会を代表して発言することは、りっぱにできるし、慣れたものである。
誰よりも民主主義と競争を呼びかけている知識人は誰よりも、実際そのことに耐えがたいのである。知識人は自由な選挙を支持しているが、有権者が“そうでない者”に投票すると、有権者が悪者になる。知識人は司法の独立を支持するが、裁判所がその決定を下さないと、裁判所は悪く、買収され、腐敗堕落していることになる。他の新聞が自分と同じことを書かないと、その新聞は攻撃される。
最近わが国知識人は何か本質的の新たなものを明らかにしたろうか。我々の暮らしは西側より悪いし、それは西側より働きが悪いからであり、西側より働きが悪いのは、西側より暮らしが悪いからである、そうしたことか。
とにかくそういうことだ。しかしはたしてこの推論から、国民は悪く、権力は品行が悪く、狡猾であり、国の障害となっているのは愚者と悪い道路のせいだと、そんな陳腐なもの以上なものが出てくるだろうか。かつてこれは思いもよらぬ発見として受け止められたが、現在は社会の思考する部分に何かもっと新鮮で、もっと具体的で役に立つものを望みたいものだ。
わが国歴史できわめて大きな贖罪的働きをした知識人は市民社会では消え去りつつある、より正確に言えば、あてがわれた小さな場所に去りつつある。たとえ精神的であっても権力や国民、すなわち全社会の上に構築された制度のため、知識人はたんなる社会の一部分(部分的には権力の一部であり、国民の一部)になりつつある。この役割は絶対的なものではないが、きわめて価値のあるもので、他の者に与えられた役割よりけして悪いものではない。だがそれより良いものでないことも本当のところだ。しかしそれだからこそ、民主主義なのだ。
自由とは不愉快なものだ。それは特殊なものを均等化するし、とにかく階級や身分の特殊性を均等化してしまう。知識層は精神の貴族階級としてロシアに誕生した。それはソヴィエト時代でも存続し、そこでは出身と財産による貴族階級は一掃されたが、それにかわり多少自由な身分層(階級)、つまり精神の貴族階級の場所が残された。
現在では自由と民主主義は全てのものためにある。貴族階級、“優れた人々”のための場所はない。ロシアの知識人、ありがとう!知識人はその高邁な仕事をした。つまりあらゆる人々は生まれたときから平等で自由であることを証明した。この“あらゆる人々”に今度は“優れた人々”もならねばならぬ。知識人にとってのロシアではなく、ロシアにとっての知識人なのだ。知識人にとっての社会ではなく、社会にとっての知識人であり、あらゆるその他の社会グル-プと協調と競争の中の知識人なのだ。若干の者にとって悲しいことだが当然の帰結である。
結論なしに終わるわけにはいかない。かなり意識的に“プ-チン主義”を非難している。“権力の国歌”それとも“プ-チンの国歌”のような論文を読もうとするほんのちょっとの願望がありさえすれば、これは簡単にできる。昔、フェリクス.F.クズネツオフ(評論家)が好んだ表現だが、貴方に栄光あれ!“診断:管理民主主義”という論文を書くとする。診断ではなく、毒を処方せよと囁かれる。論争は無益だ。ちなみに1999年12月、論文“スタ-リン、我々の全て”でプ-チンや、ベレゾフスキ−、チュバイスの中にスタ-リンの面影がはっきり見えると書いたことがある。具体的にどのような面影か、それをはっきりとは書かなかったことも事実だ。その上、プ-チン自身については多く執筆してきが、今後もさらに書くことだろう。彼はけしてエンジェルではない。特に彼がきわめて嫌いなこと(他人から見れば、時に根拠がない)に関してはそうだ。しかし今日はプ-チンのことを問題としていない。
ロシアには二つの不幸、つまり下には暗黒の権力(現在、ソヴィエト時代の晩年より多い)、上には権力の暗黒があると言われるがそのとおりだ。しかしさらに三つ目の不幸もある。知識人の権力が下にたいしても、上にたいしても存在する。この権力は上にたいしても、下にたいしも、さらに自分自身にたいしてもほとんど無責任である。かつては洞察力で与えられたが、もうだいぶ以前から陳腐となった公衆の面前で発言する権力のことだ。
もしそうでないならば、答えてほしい。ロシアの知識人は20世紀の15年間、世界にむかって、少なくともロシアにたいし新しいことを発見しただろうか。まったく発見していない。ここで言うのは、第二級の知識人のことだ。
ちなみに、言葉の本当の意味での知識人(ボヘミアンに堕落したのでない)はロシアにはまだいる。それは、権力より、より多く思考しより批判的で、権力よりリベラルであり、権力より社会のことを多く考える、その自己の歴史的使命をまだ作り上げているところである。これはパラドクスなのか。いや違う。たんに権力がまだ知識人を追い抜いていないだけである。だが急速に追いついてきている。
“知識人”の同義語の一つが“左翼”である、これは最も滑稽である。はたして知識人はこれまでも今後も社会正義、つまり失礼だが、国民の味方だろうか。右の知識人は、“ホットアイス”のようなものだ。まさにここにパラドクスがある。右の知識人は知識人の名で誰よりも頻繁に発言する。それだからこそナンセンスなのだ。それとも欺瞞か、偽善である。
1月20日(土)
“ロシア、”先進八カ国“から除名すると脅される”(完)
- “これには、わが国から債務返済が得られない可能性のあるドイツが懸念“-
(独立新聞、1月19日、デニス・プルコペンコ)
ドイツ財務相はロシアが“先進八カ国”正加盟国になれないかもしれないと、ロシアを脅した。“ロシアの行動は“先進八カ国”の正加盟国入りの要求とは一致していない“と、同相は新聞”ファイナンシャル・タイムス・ドイツ“に語った。
こうしたリアクションは、ロシア政府がパリ債権団にたいし旧ソ連債務を全額返済する意志がない、それで出てきたものだ。ロシア債務の最大債権国はドイツである。ロシアはドイツにたいし、パリ債権団にたいする400億ドル以上の債務の中、約200億ドルを返済しなければならない。
ドイツは先週、保険会社“ヘルメス”のクレジットを閉鎖してロシアを脅した。改革を早めることと引き換えに自国債務のリスケジュ−リングという、従来からのロシア提案は西側では理解が得られなかった。“西側は改革を買わない。これはとても危険なゲ-ムだ”と同相は発言した。それによると、ロシアには世界市場で自国の評判をリスクにかける値はないし、こうした立場を続けるならば、将来ロシアはさらに大きな利子を支払うはめになるだろう。
ロシア副首相、財務大臣アレクセイ・クウドリンはこうしたドイツ財務相の発言を公衆の面前での督促だとよんだ。彼によれば、“現在先進八カ国の問題は持ち上がっていないし、債務問題は国際規範の枠内で解決されるはずだ。財務次官セルゲイ・コロトウヒンはそもそもドイツ側の発言を不可解なものと見なし、と言うのもロシアは中期展望の客観的財政政策をとっており、構造改革継続や自国の国際債務履行のための資金を見つけ出す努力をしている。事前情報によると、セルゲイ・コロトウヒンは1月24日、旧ソ連債務に関し、パリ債権団との協議でわが国を代表するはずである。ところが、火曜日彼は記者団にたいし、”ロシアは全額債務を返済すのは困難かもしれないと、債権者に予め伝えてあると述べた。コロトウヒンによると、最大の目的は、わが国は債務を返済できない、したがってそのリスケジュ−リングが必要だと、債権者の理解を得ることである。すでに債権団事務局とロシア財務大臣アレクセイ・クウドリンとの間で書簡の交換が行われ、そこにはこうした立場も表現されている。昨日のセルゲイ・コロトウヒンの発言によれば、対外債務を完全に返済するために外貨準備高を導入すれば、2003年までには債務は60〜70億ドルまで減少する。さらにもしロシアが旧ソ連債務の返済額を増加すれば、これは自動的にパリ債権団にたいしてでない返済にも向かう。政府の立場は、ロンドン債権団にたいする債務の大部分の帳消しとその延期について合意した以上、他の債権者にたいしても、パリ債権団も含め、同じやり方であるべきだと、そうしたことによっても説明できる。
この問題に関し唯一の味方は国会議員である。セルゲイ・コロトウヒンが考えているように、多くの国会議員はパリ債権団にたいする財務大臣書簡に述べられているその立場を支持している。例えば、ゲンナヂイ・セレズネフは昨日、“わが国は債務を返済する義務はあるが、これは一時に債務を返済せねばならない”ことを意味していないと、発言した。早くも今日夕方、国会各派の指導者はミハイル・カシヤノフ首相と会談する意向であり、首相から完璧な情報を得ることを期待している。財務相アレクセイ・クウドリンによると、問題はロシアの自国債務不履行にあるのではない。返済の中断は国内の財政・経済事情によるものだ。ロシアには資金はあるが、ロシア財務第一次官アレクセイ・ウリュカエフによると、国家予算でこの用途に割り当てた金額以上をパリ債権団に支払うことはできない。彼によると、財務省とは議員意志の執行者である。勿論、中央銀行の借款に頼ることも可能だ。だがウリュカエフによると、これは外貨リスクを引き起こすもので、そうなると新たな金融危機を誘発する。
政府はドイツばかりか、ロシアでも経済問題大統領顧問アンドレイ・イルラリオノフや中央銀行総裁ヴィクトル・ゲラシェンコからも激しい批判を浴びている。“返済は必要だし、可能だし、メリットがある”とアンドレイ・イルラリオノフは自分の立場を明らかにした。債務利子全額返済を拒否する政府の論拠は、“いかなる批判にも耐えうるものではない”とイルラリオノフは見なしている。この返済額は全額で国家予算に計上されていない事実は、これは国家予算を作成した人間の不案内を証明しているロシアの内政問題である。返済資金について、イルラリオノフの意見だと、民営化の収入や予算追加歳入あるいは中央銀行の貸付けで確保することができる。
また中央銀行総裁ヴィクトル・ゲラシェンコは、ロシアはリスケジュ-リングしないで2001年度自国の債務を返済できると発言した。“金額はさほど大きなものでない、たった12億ドルである”とORTテレビ番組の生放送で最近発言している。彼によると、こうした問題は2000年下半期にパリ債権団と協議する必要があったし、そこでロシアが180億ドル返済することになる2003年度分の返済額も検討する必要があった。
今まさにパリ債権団とロシア財務省の書簡交換が行われたばかりだが、そこで双方は自己の立場を述べている。この次の段階は、2月2日に予定しているIMFミッションのロシア訪問である。IMFの代表者はロシアとの協力プログラム案を持って来るだろうし、そこにわが国がパリ債権団にたいする債務をリスケジュ-リングする必要があるのか、それともモスクワには対外債務を全額返済できる十分な自己資金があるか、明記されているはずである。このプログラム案にロシア政府が合意すれば(楽観的シナリオ)、パリ債権団との交渉はIMF理事会で正式承認される前に、開始されるかもしれない。そして交渉が継続されている間は、誰もロシアを破産宣告できないだろう。その上、協議はきわめて長引く可能性があり、少なくとも債権者に“交渉の進展”というニュ−スが入るまでは継続されるだろう。
悲観的シナリオが現実にでもなれば、ロシア連邦は全額返済を余儀なくされるだろう。ちなみに、早くも二月にわが国はパリ債権団にたいし、10億ドル以上返済することになっている。したがって、現在ロシア政府はIMFとこのプログラム案を出来る限り早く合意する必要がある(当然、受け入れ可能な条件で)。
1月19日(金)
“最初の一晩、米国の鉄格子の中で”(完)
-“裁判官に会う前の晩、パヴェル・ボロデインはマンハッタン連邦拘置所で
過ごすことになった。ここは1995年、ゆすりの容疑でヴァチェスラフ・イワニコフが
拘留された場所でもあり、また1996年ロシアの元対外諜報員ウラジ−ミル・ガリキン
が拘留された場所である。(”VESTI.RU”、1月18日、ドミトリ・スタロスチン)
1995年から2000年まで米国に拘留されていた”VESTI.RU”特派員が拘置所の最初の一晩をいかに過ごすべきか、語ることにする。周知のように、ボロデイン氏はロシア語堪能のFBI職員により、ニュ−ヨ−ク空港で1月17日夕方拘束された。米国の法律によると逮捕令状提示後、同人にたいし有名な一節を読み上げる必要がある。「貴方には黙秘権があります.....」 通常、これは拘束者の背後に手錠をかけると同時に行われる。もしヴォロデインが手を解こうとし、引っ張ると手錠のリングはさらに強く手首を締め付けることに気づくはずである。
拘置所にはおそらくボロデインは乗用車で連れて行かれたのだろう。通常逮捕された者は拘留所の一室に収容され、そこで金銭や貴重品(時計、宝石指輪など)を渡す順番を待つ。特にボロデインのような重要逮捕者は勿論、個別に“扱う”。しかし、こうしたやり方から逃げることはできない。ヴャチェスラフ・イワニコフは当時抵抗を試みたが、強引に指紋をとられた。
その後、ボロデインは個室に入れられ、順番に衣服を脱ぐように要求される。各私物を看守が麻薬や刃物、密輸品を探すためチェックする。ボロデイン氏が裸になると、身体検査が行われる。
これは米国では標準のやり方で行われる。先ずボロデイン氏は口を開けるよう求められ、舌を出し、上唇、下唇を交互に突き出すように言われる。その後で、頭髪を指で撫で、そこに何も隠していないことを示す。その後で耳を出す。そしてボロデイン氏は両手を上にあげ、脇の下と手の甲を見せる。陰部の検査が行われる。この時、逮捕者は性器を持ち上げる。その後、ボロデイン氏は向きを変え、両脚を交互に上げる。今度は肛門チェックが行われる。この場合、連邦拘置所では臀部を両手で広げ、少ししゃがむことを要求される(逮捕者に手で触れることは米国法では禁止している)。
その後、ボロデイン氏にタオル、石鹸(マッチ箱程度の大きさ)が渡され、シャワ−室に連れて行かれる。頭髪刈りとシラミ駆除は彼にはなされないだろう。これは既決囚だけに行われる。そして下着が戻され、囚人服が渡される(おそらくオレンジ色)。さらに毛布、シ−ツ、トイレットペ−パ、歯磨き粉とブラシが渡される。おそらくかなり夜遅くなってから、ボロデイン氏は就寝監房に連れて行かれる。
彼は監房(イワニコフのように)か、それともバラックタイプの部屋(ガルキンのように)に入れられる。弁護士との接見は木曜日の朝か昼頃となる。彼の弁護士ゼルイツエルとフィクシンはロシア語が話せるので、意志疎通では問題が起きないはずだ。看守とはおそらく厄介だろう。通常このような場合、拘置所の責任者はどの監房にロシア人がいる問い合わせ、その一人を通訳として使う。ニュ−ヨ−ク連邦拘置所のロシア人はいつも座っている。
1月19日(金)
“ボルガの自動車メ−カ「AVTOVAZ」専務語る”
-“自動車メ−カ「AVTOVAZ」は一段と積極的に出る“-
(イズヴェスチヤ、1月17日、スヴェトラナ・ルイシャコヴァ)
今日企業イメ-ジは市場における成功の最大要因の一つである。自動車メ−カ「ABTOVAZ」のイメ−ジは、多くの部門にとってうまくいっている(金融、社会、投資)指標である。外国企業を模範にした会社の改革はとりわけ外国投資家にたいし、前向きなイメ−ジ作りに大きく影響している。本日、イメ−ジ戦略の意義や、企業改革の初期の成果、劣らず重要である企業運営面について、自動車メ−カ「ABTOVAZ」専務ピョ−トル・ナフマノヴィチが語った。
-中央のマスコミが自動車メ−カ「ABTOVAZ」の対策に注目しないことをどのように理解していますか。実際、御社とマスコミの関係はどのようなものですか。
「各マスコミには自社の方針も戦略もあるでしょう。現在この分野は企業家がスポンサ−となっているビジネスです。「ABTOVAZ」をテ-マにしたことや、そこにある問題は各社の戦略や方針にしたがいその発行物で発表するわけです。例をあげますと、新聞「ヴェドモスチ」ですよ。この新聞は常に市場の分析とその発展予測と結びつけて、重要な見解を発表しようとしています。つまり、この新聞の読者にとっては、全ての傾向を理解し、最大の効果でどこに投資できるか予測することが重要なのです。この新聞には常に「ABTOVAZ」が出ますが、それは大投資家にとって自動車生産や、化学、鉄鋼・非鉄金属、販売市場の発展動向に関する全てのことが重要だからです。“カメルサント”のような新聞もあります。こうした新聞は政治や予測の分野に関心をはらっています。彼らは何らかの具体的事実を取材し、こうした事実のまわりに予想される出来事の発展構図を組み立てるのです。またこうした新聞を単に投資の視点ではなく、経済界の結びつきや一般政治、犯罪の視点から読んでいる人もいます。したがって私どもは社の方針を実行するために総合計画を立てますし、情報拠点を作ろうとしていますし、さらにマスコミとの関係を通してこうしたことを発表するように努めています。情報の機会を作りだすことに関すれば、一号車生産の三十周年ですし、自動車ショ−やカ−レ−スがあります。私どもは全てのマスコミと協力するつもりです。インタ−ネットサイトの更新をまさに情報がオンライン状態であらゆる通信社に直接当事者から届くようにそうした立場から広範に行っています。今年は本格的なマスコミに「ABTOVAZ」社の多くの情報が掲載されています。一号車三十周年のことや、百周年自動車、パリ自動車ショ−、大衆向け車種の発表、多くのカ−レ−スのことが掲載されています。“トラブル”の関係であらゆるネガテイブな面があるにもかかわらず、「ABTOVAZ」社のイメ−ジは悪くなっていませんし、それどころかおそらく改善したのではないか、そう考えています。
-ところで、カ-レ-スについてですが、回数が多すぎないですか、こうした投資にはどれほど根拠があるのですか-
「一例をあげましょう。最近ヨシカ−ルオラ市から一通の手紙をいただきました。そこで一市民の方ですが、最近では「ABTOVAZ」社やその自動車に関する資料をいただくことをやめています、と書かれていました。新聞雑誌の取り寄せはすでに約千近くになりますし、いたるところではありませんが、ケ−ブルテレビもあります。したがってわが社の自動車をその目で見たり、手で触ったり、テストドライブができる機会は、カ−レ−スの時だけなのです。私はカ-レ-スを我が社のユ-ザ−と直接話ができる機会としてとらえていますし、地域の販売業者や卸業者を紹介する機会だと見ています。カ−レ−スは「ABTOVAZ」社の宣伝・イメ-ジ戦略の重要な部分です。多かれ少なかれ言える事は、今のところ誰もあきていません。ユ−ザが飽きたのが分かれば、カ−レ−スは止めます。
-周知のとおり、「ABTOVAZ」社はトリアッチだけではないし、250以上の企業をかかえ、2百万の人が働いていますね。何故にこうしたことが「ABTOVAZ」社のイメ−ジ戦略にうかがえないのですか。何故にマスコミによく分かるようには「ABTOVAZ」社の具体的数値がきわめて稀にしか現れないのですか。予算積立金とか、御社の出費でどのような予算が計上されているのか、あるいは社会活動とか、たしかに「ABTOVAZ」社は自動車の生産だけでなく、社会活動にも積極的に参加していますね。
「世論とは「ABTOVAZ」社よりずっと大きな問題で形成されるものです。チェチェン戦争とか、“クルスク”号事故とか、大統領選や燃料不足などです。結局、わが国には他のものを排除してしまう多くの問題があるのです。そうしたわけで、空騒ぎみたいなものは時に有害なのです。弊社はあなたが述べていた数値を基本文書や、会計報告書、わが社経営陣のインタビュ−記事などに載せています。常にこうしたやり方ばかに訴えるのはきわめて間違ったことですし、おそらく逆効果になるかもしれません。例えばテレビの宣伝ですが、まさに多くのものがありますので視聴者はうんざりしています。こうしたことについて話す必要である、これには賛成ですが、その頻度は必要な目的を達成ことと一致している必要があります。例えば、「ABTOVAZ」社の宣伝ですが、“ABTOVAZ、ロシア旅行の鍵”は10秒間流しています。来年はこうした宣伝を30秒づつ流し、そこでわが社の自動車の品質を宣伝するつもりです。我々の課題は、国内の人が一定の期間にこうした宣伝を二三回見るようにすることです。このためにわが社は時間帯や適当な番組を選んでいます。社会活動についてですが、 「ABTOVAZ」社はとても多くのことしています。建設事業にも参加していますし、年金者や障害者も援助しています。賢明なやり方でこうしたこも紹介する必要があります。しかし時にこうした問題はイメ−ジを損ねることもあります。「ABTOVAZ」社としては、これに関しては客観的立場をとるべきなのです。私どもは以前市や州の税金用途については実際上チェックしていませんでした。現在は議会を通してこうしたプロセスにたいし積極的参加を始めていますが、今までは「ABTOVAZ」社は予算の大規模な支援があるにもかかわらず、国家レベルにある各管理機関では悪い印象をもたれています。
-現時点で改革の成果はどのようなものですか
「役員会は仕事の結果を肯定的に評価し、2001年度の基本方針を承認しました。成果について言えば、具体的なやり方でビジネス単位に生産の改革が行われています。故メンテナンスの分野の入る工場の各部は、自動車生産プロセスで最も重要な役割を果たしていますが、それでもそれ自体りっぱなビジネス形態です。これはエネルギ−、工具製造、ダイス・金型の製造、生産設備の製造、廃棄物再処理などですが、ビジネス単位に移され、今年から新しいやり方で仕事を始めます。(続く)
1月18日(木)
“米国の安易な金との決別”(完)
-“ワシントンは地上でも宇宙でも、ロシアの仕事のやり方にうんざりしている“-
(独立新聞、1月16日、エレナ・シェステルニナ、アンドレイ・リトヴィノフ、ユ−リ・カラシ)
エレナ・シェステルニナ:
ここ数ヶ月、米国四十三代目大統領に就任した後、米露の政治に変化が起こるか、そうした疑問をしばしば耳にする。論争は主にロシア側からのものである。米国は大統領選の争いの最中、なによりも国内政治問題を懸念していた。したがって選挙スロ−ガンでも、候補者同士のテレビ論争でも、ブッシュの卓越した演説でも、ロシアについてはほとんど触れていない。今日、大統領正式就任一週間前になると、構図がより鮮明になってきた。ブッシュは“ニュ-ヨ−クタイムス”のインタビュ-ではっきりと示唆した。「ロシアにたいするクリントン政権のきわめて軟弱な政策は終わりとなった。いずれにしても問題はまず資金のことで、政策そのものではない」
ビル・クリントンは新大統領の意見だと、ロシアの膨大な資金援助し、多くの許しがたい誤りをおかした。その最たるものは、融資にはとてつもなく気前がよいことである。ブッシュはその数値を上げ、1992年〜1998年の期間、ワシントンはロシアに“民主主義と自由市場発展のため”約23億ドル、実質上米国の管理下にある世界銀行とIMFは、この間モスクワに300億ドル供与したと述べた。IMF自体にもお鉢がまわり、ブッシュはロシアにたいする借款配分の管理が不十分だと厳しく批判した。
ブッシュははっきりと示唆した。彼は“プ-チン大統領が国内改革を実施しないうちは”、ロシアにたいする財政支援は制限するつもりである。今後米国の財政支援は核設備縮小向け資金に限られるだろう。“けして用途に基づき使用されることのないシステムに資金を投資したり、あるいは投資を促進させるべきでないと思う。わが国の資本にとって好条件が形成されるかどうか、それはロシアそのものにかかっている”と彼は付け加えた。ロシアにたいする今後の融資は、汚職や経済司法改革に関し決定的な対策がとたれた後はじめて可能となる。そこでブッシュは事実、米国は改革実施に関し、ロシアに自国の考えを押し付けるべきでないし、押し付けることはできないと述べた。とにかく宇宙問題と同様、古典的ことわざを少し買えて、“これはビジネスであり、個人的敵意ではない”と述べている。
米国新大統領が正式就任する前のこうした発言全体は、ロシアには米国、IMF、世界銀行から融資供与の可能性は事実上ないという伝言めいたものを意味している。
アンドレイ・リボヴィノフ
ロシアにたいする財政支援中止という米国新大統領ジョ−ジ・ブッシュの発言それ自体は国の経済に大きな問題をもたらさないだろう。これは米国から直接支援額のきわめて小さいからである。ところが西側の新リ-ダがロシアにたいする方針を一段と厳しくすると実際に希望すると、彼はわが国に圧力をかける多くのハンドルを操作することができる。その一つは、保護貿易政策でロシアの輸出(国家予算の最大収入源)をブロックする可能性である。例えば、露米の“鉄鋼戦争”である。知られているように、米国は数量価格とも、ロシアの鉄鋼輸出に厳しい割当制を導入している。先週、ロシアの鉄鋼業者はどうやら政府に鉄鋼製品輸出に関する米露包括協定から脱退するよう求めたらしい。上層部には慎重の考えが支配的である。というのも、協定破棄すると米国市場を完全に失う可能性があるからだ。国内鉄鋼企業の問題は欧州との関係にもある。EUはわが国鉄鋼輸出に関し、ロシアが金属スクラップにたいし高い輸出関税をかけ、自由貿易の原則に違反していることを理由に制限している。ロシアの立場を厄介にするもう一つの方法は、WTO加盟交渉で西側企業にたいし経済開放の追加要求を出すことである。
だが最も効果的なのは、雪達磨式に増えるロシアの債務負担を利用することかもしれない。ましてロシア政府もパリ債権団にたいする全債務を2001年度拒否するときわめて拙劣な声明を出したので、公平性の擁護とこれまでの合意を遵守する立場から発言する根拠を西側に与えてしまった。
パリ債権団に若干少なめに返済しようとして政府はきわめて大きな困難と直面してしまった。常に外貨準備高が増え、追加歳入のある国が比較的大きくも無い額を支払えないことは、多くのものには信じがたいことである。ロシアがパリ債権団にたいする義務履行能力がないとは信じていない債権者の中の懐疑派に、中央銀行総裁ヴィクトル・ゲラシェンコも同調している。彼は、リスケジュ−リング交渉は2003年度分となる最大返済額に関しのみ行うべきだ、と発言している。2001年度の額はロシアの国家予算で十分間に合うものだと、彼は考えている。
ところがロシアにとって悪いニュ-スの張本人とあらたになったのがドイツの財務次官カヨ・コフヴェゼルである。昨日同財務次官はロシアがどの程度きちんと対外債務を履行できるか、わが国にたいする輸出クレジット保証問題に関するドイツ政府の政策にかかっていると発言している。
パリ債権団にたいする自国の立場を擁護しながら、ロシア政府はあらためてロンドン債権団の自由な関係を思い起こしている。旧ソヴィエト債務はリスケジュ−リングが必要であると考えていると、ドイツ商業銀行の代表者の発言はきわめてタイミングのよいものであった。アレクセイ・クウドリンによると。“現在ロシアにたいする債権者の立場はまちまちであり、その結果ある債権者は他の債権者を犠牲にして事実上多く受け取っている”。だが返済はいずれにしても避けられないと今のところ多くのものが述べており、政府代表、財務第一次官アレクセイ・ウリュカエフは今年うまくできることは最大でも、返済に関し、手法的な延期だろう。
認識しておく必要のあることは、ロシア新首脳部がとった対外政策の活発化により、今のところわが国に具体的な経済効果が出ていないということである。対外債務の状況は西側資本が国内に大規模に流入するという幻想を吹き飛ばすかもしれない。これは昨年見られた投資の伸びが安定傾向の始まりとはならないことを意味する。デフォルトの恐れは、政府間の新規融資の障害ばかりか、国際金融市場で資金調達する上でロシアの民間企業の立場を困難にする。事実上評判を犠牲にした上に、ロシアは自国の債務を適時に履行するという国のステ−タスがもたらすであろうきわめて大きなメリットも犠牲にした。西側の動機について言えば、それはきわめてはっきりしたものであり、ロシアが以前同様、大国のプライドを捨てることができず、世界政治にはっきりと参加することを狙っているので、何らかの政治的立場でロシアを譲歩させる方法がきわめて有効としている。
“石油価格、上昇”(完)
-“だがロシア政府にとって有利なことなのか“-
(独立新聞、1月16日、セルゲイ・プラヴォスドフ)
金曜日、ロシア石油価格(Urals)が1バ-レル当たり23.93ドルとなった。石油価格の上昇は米国や欧州市場でも観察された。証券アナリストはこの動きをサウジアラビアの行動と結び付けている。ちなみにサウジアラビアの代表は二月にアジア太平洋地域向け石油供給量を12〜14%削減するつもりだと発言している。サウジ石油の欧州向け供給量もじきに削減されると思われる。さらに今日、OPECのほぼ全加盟国が、1月17日に石油生産量1日当たり150万バ-レル減少すると述べている。石油輸出国のこうした行動は誰も予期していなかった。ましてや、米国エネルギ−相ビル・リチャ−ドソンがOPEC代表者に石油生産量低下させなうよう積極的に訴えていたのだからなおさらである。米国の論理は単純である。現在米国経済成長の鈍化時期に直面しており、その原因の一つが世界市場の燃料価格が高いことである。仮に米国に深刻な経済危機でもおこれば、石油需要が縮小し、石油価格は暴落するだろう。それ故、米国首脳はこの種の原料価格低下を打破しないようにOPECの説得を行っている。ところが石油輸出国は石油生産を減少すれば、石炭価格も自動的に下落し、米国の経済危機そのものは起きないかもしれないと判断した。だからこそ、ベネズエラの石油産業相が木曜日、OPECは1日当たり150万バ−レル減産すると表明したのである。
けれでも米国は石油輸出国にこうした動きを断念させることをあきらめていない。生産量削減を防ぐため、ビル・・リチャ−ドソンは近東諸国の歴訪を始めた。若干のアナリストは、この事実そのものが石油価格低下に向かう可能性があると予想している。
現在注目すべき状況が生まれている。一方では石油価格の上昇はロシアにはメリットがあるが、他方、現在わが国は石油価格下落でもっと儲かるかもしれない。問題はロシアがパリ債権団との問題を解決しようとしているとことにある。政府は今年旧ソ連邦の債務返済を望んでいないし、その延期を主張している。ところが債権者はロシアの貿易黒字が600億ドルであると述べ、全額返済を求めている。ロシア首脳は切り札として石油価格が下落し、今や追加収入が入らないと指摘した。そこにあいにく、石油価格が上昇し始めた。債権者との調整つかずの状態は政府に大きな批判の嵐を浴びせている。ましてや、今年は経済指数が停滞して始まったのだ。国家予算はすでに不足が発生し、インフレは政府公約レベルの二倍以上となった。
1月16日(火)
“オスタンキノテレビ塔の修理”(完)
-“火事で切断したワイヤ−交換始まる”-
(イズヴェスチヤ、1月16日、マクシム・トウロフスキ−)
昨日モスクワでオスタンキノ・テレビ塔内部の固定ワイヤ−の取り外しが始まった。昨年8月の火災後、鉄筋コンクリ−ト構造材を止めている垂直ワイヤ−145本中、29本だけが残った。工事が完了すると、オスタンキノ・テレビ塔は世界で最も高い塔となる。
解体作業はいくつかのステップで行われる。ワイヤ−を塔のあるポイントもに固定する。このポイントからはみ出た部分は全て切断し、残った先端部は所定のポイントに固定する。その後、ワイヤ−を1.5mの長さに切断し、塔の外側からウインチで地上に下ろす。
解体作業全体は第25工事部が行っている。彼らは新しいワイヤ-のテストもする。ワイヤ−ドラムは新年前にヴォルゴグラド市から運び込んである。ちなみにワイヤ−ドラムを塔に入れるには、まずトロリ−バスの電線を外す必要があった。ワイヤ−ドラムの大きさは直径5m以上ある。一方、試験装置はおそらくオチャコヴォに設置されるだろう。
「ワイヤ−取り外しは二月末から三月始めに終了する」と、気象・観測局技師ユ−リ・メルズリャコフは述べている。新しいワイヤ−は最初、弾性がでるように引っ張りながら試験を行う必要がある。そうしたはじめて塔に引き揚げることができるが、正確な工期は誰もわからない。
ロシア建設・住宅公共施設(ゴスストロイ)国家委員会の計画だと、改修工事が全て終了すると、オスタンキノ・テレビ塔の高さは540.1mから562mとなる。この高さは世界で最も高いものである(現在世界で最も高い塔はカナダトロントのテレビ塔で、550m)
「現在工事全体をゴスストロイが指揮している」とユ−リ・メルズリャコフは語った。「彼らがどのようにして出てきたのか不明ではあるが工期を定め、我々はどの部分に予算を割り当てたのかさえ知らない。」 現時点では解体作業は120mの所で行われている。
“ロシア製飛行機”(完)
-“ロシア、条件付だがヨ-ロッパに回帰“
(イズヴェスチヤ、1月13日、ドミトリ・コプテフ)
“第三国向け戦闘機MIG-29の品質証明、モデルチェンジ、資材・技術供給”に関する露独政府間協定が調印された。これはロシアがワルシャワ条約解体後、事実上失った東欧の武器市場に戻り始めたことを意味する。ロシア側は軍事技術供給問題を担当する第一副首相ミハイル・ドミトリエフ、ドイツ側は駐露ドイツ大使が協定に署名した。この協定は1996年から行われていたものだが、大枠的なものである。そこには双方の意向とゼネコン名が記載されている。ゼネコンには、1994年ドイツ企業“DASA”、ロシア企業“MIG”と“ロスヴォオルジェニエ”による設立された露独合弁企業となるはずである。
ロシアにとって調印した協定は政治的、経済的に大きな意味がある。東欧諸国を武装しているMIG-29戦闘機の数は、国防省の資料によると約130機で、その中ドイツに約50機(二飛行連隊)である。モデルチェンジにかかる費用はいろいろな評価によると、4〜5億ドルである。
さらにこの協定はロシアがワルシャワ条約解体及び旧同盟国のNATOへの旋回後、事実上失った東欧の武器市場へ復帰し始めたこと意味する。東欧でのロシアとドイツの協力実験がうまくいけば、他の地域の市場にも進出する可能性もある。ドミトリエフによると、MIG戦闘機は現在、世界のあらゆる所にあり、こうしたクラスの技術を失うことは誰も望んでいない。
ドイツ大使もまた調印した協定を高く評価している。残念ながら、同大使はドイツの軍事航空輸送をロシア・ウクライナ飛行機AN-70で装備する計画には期待のもてる評価はしなかった。これについは同大使が約1年前、ほぼ決定していると述べたものである。“ヨ-ロッパは国産飛行機開発を求めているので、新型機はAirbusの基本に製作されるだろう”
飛行機はあるが、パイロットが不足している。ロシアでは第五世代二タイプの新型戦闘機の開発が行われている。これについて昨日、ロシア空軍総司令官、元帥アナトリ・コルヌコフが本紙に語った。同総司令官によると、スホイ実験設計所と航空機メ−カ“MIG”が現在テスト飛行機“ベルクウタ”と“1-44”の仕上げと試験を行っている。コルヌコフ総司令官は空軍が新型飛行機を操縦する熟練パイロット不足に陥っているので、試験が困難となっていると付け加えた。また同司令官は早くも今月には通常弾頭の既存ミサイルをモデルチェンジした新型空中発射巡航ミサイルの試験発射が行われると述べた。それによると、新型対空ミサイル“Triumph”の最初のモデルが今年9月の空軍に装備されるとも述べた。
1月15日(月)
“資金は見つかった”(完)
-“政府、パリ銀行債権団の債務返済の用意あり-
(イズヴェスチヤ、1月15日、エレナ・コロプ)
ロシアにはどんな犠牲をはらってまでもパリ銀行債権団にたいする債務レスケジュ−リングを獲得する意向はない。“IMFとの合意条件が受け入れられない場合、政府はその署名はせず、パリ債権団にたいし30億ドル支払うことになる”と政府筋は考えている。この資金は2001年度追加歳入と追加民営化による歳入の配分を変えることにより確保される。いずれにしても、最終的には国会できまる。
旧ソヴィエト債務の投資への転換交渉は、これはホワイトハウスでは“債権者にたいするロシアの大きな一歩”と呼んでいるものだが、きわめてゆっくりとしたものだ。“多くの西側諸国はこうしたやり方に関心はあるが、原則的決定はパリ債権団全体が下すべきだ”と考えている。このように本紙にたいし首相は述べ、“こうした決定が行われず、IMFの見通しが再度わが国にとって受け入れがたいものとなるのであれば、政府は独自に30億ドル、パリ債権団に支払うつもりである”と付け加えた。
二月初め、IMFミッションが新しい合意案をモスクワにもってくる。IMFは石油世界価格の見通しに関し、その立場を若干軟化させている。11月にIMFが1バ-レル当たり28ドルでロシアに署名するよう提案してきたが、現在IMFの予想はあまり“楽観的”でなく、23ドルである。これは大方のところ、ロシアの2001年度予算数値と一致しているが、同予算では石油1バ-レル当たり22ドルとしている。その結果、IMFが中央銀行の外貨準備高の増加に関する見通しも変更する可能性がある。11月のIMFミッションは140億ドルを提案してきたが、ロシア側は80〜90億ドルを主張した。さらにIMFは2000年度追加歳入をチェチェンにつぎ込むロシア政府の決定には不満があり、譲歩する意向がない。最終的に交渉は決裂した。
政府内には、2月のIMFミッションはより話がつけやすいものとの期待もあるが、同時に悪化することも考えている。“事態はあらゆる犠牲をはらってリスケジュ−リングを確保し、ロシアが実行できない協定に署名するほどドラマチックなものではない、とミハイル・カシヤノフ首相に近い筋は考えており、また一方、わが国はデフォルトを行う資格はないし、これはロシアが世界経済に参入し、WTO加盟交渉を行っている環境では恥知らずで愚かな行為となる“。
政府はどのようなことがあろうとも、予算の差し押さえは許されないことだと断言している。パリ債権団にたいする債務返済資金は、国有株、特に“ルクオイル”の株を追加売却して確保するだろう。しかしこれに関し最終決定は国会が下すもので、そこでは民営化される企業リストと国が売却する株式の規模を承認する。さらに政府は2001年度予算追加歳入配分の変更を議員に提案するつもりであり、その大部分は債務返済に向けられる予定である。
-イズヴェスチヤ紙入手資料-
12月、国会は予定している予算追加歳入の配分に関し、つぎの方法を承認した。その額が700億ル-ブル以下の場合、その三分の一は対外債務返済に向ける。基本的部分は一連の予算項目に追加配分される。特に来年度、地方にたいする財政支援として、100億ル-ブル予定している。11億ル-ブルは宇宙研究用である。追加歳入が700億ル-ブル以上の場合、比例配分する。70%-債務返済、30%-国内支出。
1月15日(月)
“ロシア、外コ−カサス新政策”(完)
-“現在のロシア・アゼルバイジャン関係のキ−パ−ソンとなったのは、セルゲイ・イワノフ、ワヒド・アレクペロフ、セメン・ワインシュトク“-
(独立新聞、1月10日、アラン・カサエフ、アシャ・ガジザデ、ドミトリ・コスイレフ)
昨年春ロシアの新首脳部は、CIS緒国とのビザ制度導入の可能性についてはじめて触れ、こうした行動の根拠として国際テロリズムの波及にたいし、国境の透明性を高めるべきだとし、とりわけここではアゼルバイジャンとグルジヤを指していた。各国の立場をはっきりさせるため、当時ロシア安全会議書記セルゲイ・イワノフが派遣された。アゼルバイジャン大統領ゲイダル・アリエフが本紙のインタビュ−にたいし、はっきり明確にロシア・アゼルバイジャン関係にビザ制度は導入されないだろうと言明したとき、彼はまだバク−にいた(参照:独立新聞、2000年6月20日号)。火曜日、2001年1月9日、バク-市滞在のプ-チン大統領ははっきりとこの事を確認した。実際言えることは、プ-チン大統領のアゼルバイジャン訪問後、外コ-カサス地域にある諸国(あるいは、南コ−カサス:これはエドウアルド・シュワルドナゼが言い出したことで、この地域をこのように呼ぶことが流行っている)にたいするロシアの政策は優先的となった。
ボリス・エリツイン統治時代、きわめて多くのことが個人的な要因で決められていた。例えば、エリツインがゲイダル・アリエヴィッチのことを好きでなかったことは有名である。そういうわけで、好きでないから、何もかもお終いなのである。逆に何故かわが国大統領とぴったり合うのがあまりアゼルバイジャンの友好的でないアルメニア大統領レヴォン・アコポヴィッチ・テルペトロシャンである。こうした個人的な好みや毛嫌いが90年代半ばの地政学的配置に影響をあたえ、そこにはバク−-ジェイハン石油パイプライン建設にたいするアゼルバイジャンのエリ−トの並々ならぬ執着があり、西側指向石油会社の繁栄や、さほど信頼できない膨大なバク−石油埋蔵量による世界世論の頭脳が朦朧としていること、従来からあるアルメニア・ロシアの友好プラス順調に形成されたモスクワ・エレヴァンの軍事、政治のパ−トナ−シップ、“誰がどこに行こうが、我々はNATOに行く”という、不可解だが魅力的なスロ-ガンによるグルジヤの実力派大統領の政治プレ−、チェチェン戦争の最中等があった。ロシア・外コ−カサス関係はきわめて複雑であり、その極みがロシアにとっては成功であると性急に宣言したイスタンブ−ルのサミットであったし、ここでの最大の成果はほかならぬ外コ-カサスからモスクワのあらゆるプレゼンスを早急に取り除くという要求にエリツインが合意したことであった。そして今、エリツイン遺産のこの部分にも修正の時が訪れた。
勿論、ロシアに有利に何もかも修正することはできないだろう。あらゆる点から見て、グルジアから全てのロシア軍事基地を撤去することは決定済みであり、既にEUとNATOの資金で支払いが行われている。問題は期間だけであるが、現在モスクワはヴィザの足枷でグルジアの圧力をかけ、経済のハサミを鳴らしながら、このプロセスを引き延ばそうとしている。しかしまさにグルジアは独立後けしてロシアの同盟国にならなかったし、そのことは考慮さえしなくなったことは今日明らかである。クレムリンが黒海沿岸に迫るNATOという虚像の案山子にこれ以上関心をもとないと決め、西側が予定しているほんのわずかなグルジア支援金をかなり冷静に計算していた。したがって、トビリシとの関係悪化による損失もロシアにとってたいしたものではなく、その上時とともに(現在の現実主義が一貫すればであるが)メリットにもなる可能性がある。
さらにエリツイン遺産のもう一つの問題がある。これはロシア外交が気づいていない点だが、永遠の同盟国と思われたアルメニアとロシアの関係が徐々に悪化している点である。アルメニアの極度に病んだ内政や経済、人口動向には事実上注意を払っていないモスクワは、最初に親ロ政治家のアルメニア政治舞台からの完全排除、続いて不可解なアルメニア外交の“等距離”路線と突然、遭遇することになった。さほど自己の位置を把握していないクレムリンは、第一線にいないアルメニア政治家と不活発に当面の事に関し半ば秘密に協議をおこない、純粋に儀礼的な外交手段で自国の不満をエレヴァンに時折示していた。多くのことはこの五月に予定しているプ-チン大統領のエレヴァン訪問で明らかになるだろうが、それまでにアルメニア大統領がワシントンでジョ−ジ・ブッシュに迎え入れられないとも限らない。いずれにしても、今のところロシアの対アルメニア外交は慎重で静観したものと言えるかもしれない。
さてアゼルバイジャン問題に戻るが、プ-チン大統領は既に触れたセルゲイ・イワノフ、“ルクオイル”責任者ワヒト・アレクペロフ、国営企業“トランスネフチ”責任者セメン・ワインシュトクが昨年よく働いたと認識したと言える。アレクペロフは当初から積極的に比較的に規模は小さいが、事実上アルメニアの全ての石油プロジェクトに参加した。ワインシュトクも昨年中、主な関心をマハチカル-ノヴォロシスク石油パイプラインの設備刷新に向けていた。ロシアの石油企業はバク−-ジェイハン石油パイプラインの建設の実現には懐疑的であり、アゼルバイジャンにとって炭化水素原料のロシア経由は選択の余地のないものときわめて現実的の評価している。雑誌「エクスパ−ト」の年末インタビュ−でワインシュトクは、“トランスネフチ”にメリットのあることは国家にもメリットがあるのものだと断言し、バク−-ジェイハン石油パイプラインの反ロシア案は非経済的なプロジェクトと評価した。
早くも、プ-チン大統領のアゼルバイジャン訪問の成果がモスクワでも、バク-でも前向きに評価されている。大げさに誇張せずに言える事は、まさにイワノフと石油のアレクペロフ、ワインシュトクがこの方向にロシア新政策路線を引いたことである。ロシア・グルジヤ関係あるいはロシア・アルメニア関係の強化に関心ある、こうしたクラスの人物は今のところ見当たらない。こうした脈絡からすると、ロシア・アゼルバイジャン関係もなかなかよい見通しがあると言えるし、この事に直接関心のある実力者が存在する。その上、モスクワは今日までに外コ-カサスで形成されたロシアに不利な国際状況も現在慎重に変えようとしている。これについては、ロシア外交高官が以前にはクレムリンとスモレンカが直視しなかったEUがスポンサ−となる“トランセカ”計画の準参加国となる可能性を最近述べている。
同時にきわめて大きな役割をヘイダル・アリエフもはたし、あいかわらずその政治能力を見せつけることとなった。彼はアゼルバイジャンにとって必要な時にチェチェン人を支援してモスクワを刺激することを止め、この全ての罪を野党勢力に押し付け、未完成や未着工の石油パイプラインを巡るかけ引きには展望がないと確信し、現実的なロシア案に戻り、ロシア滞在のアゼルバイジャン人の年間労働所得5億ドル以上を確保したのであった。アリエフにとっては内政的影響も劣らず大きなもので、彼はロシアとの関係を修復したし、これは大半のアゼルバイジャン人にとってきわめて重要なことである。ヘイダル・アリエヴィチのことからすると、正直に言うとモスクワが秘密裏にバク−の大統領の椅子を狙い有力者の一人アヤズ・ムタリボフを支持していたのだが、これを秘密裏に断念させたことも疑う余地はないだろう。アリエフの歓待ぶりは今ではプ-チンにも分かったことだが、この種の慣習の多い外コ-カサスでさえ、有名である。
バク−スラヴ大学の名誉博士の黒マントを大統領の肩にかけ、昨日プ-チン大統領のアゼルバイジャン訪問は終わった。当地の政界はきわめて熱烈に歓迎し、それはロシア大統領がバク-をまったく初めて訪問したことによるだけでない。現地では、これはロシアの見解だが、昨夜署名されたものであまり目立たない協定に大きな意味を見出している。例えば、今日までかなり困難であったバク-からロシアへ、その逆のダゲスタン経由の物流の拡大を意味する国際自動車便協定である。
訪問中三度もプ-チン大統領が表明したことは、ロシアはロシア・アゼルバイジャン国境を遮断するビザ制度は導入しないということである。当地の国会で演説し、プ-チン大統領はグルジアとのビザ制度はロシアの国家安全保護のためにのみ、導入されたものだ、と発言している。プ-チン大統領は、“特に最近”のこの分野でのアゼルバイジャンとの協力レベルとは、いかなる追加措置も必要ないし、ビザも導入されない、そうしたレベルだと述べている。
対外政策で発生する全てのことを一般にアゼルバイジャン人がカラバフ問題のプリズムを通して見ていることは明らかである。そこで1998年に設立され、プ-チン大統領やヘイダル・アリエフが記者会見で何度となく触れている、コ-カサス四カ国首脳会議機構としての“コ-カサス四国”(グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、ロシア)に期待をかけている。プ-チン大統領によると、交渉では“多くの時間をカラバフ問題に割いた”という事実そのものは、少なくとも“デッドポイント”からは問題がしかるべき前進したことを意味している。これに関し明らかとなった取り決めの中には、バク-の同意を得て、この方向でモスクワが仲介の労に積極的にあたるとしている。このようにロシアは米国の主導権を奪取しようとしている。西側が外コ-カサスにたいするロシアの影響力を弱化させ、そこにNATOの影響力を及ぼすことのできたグリジアとアゼルバイジャンに期待をかけていたことは、以前はよく耳にした。現在プ-チン大統領は既にバク-の政界では言われていることだが、この期待にかなり大きなダメ−ジを与えている。
またカラバフ交渉の活発化には別の要因もあると言える。最近西側は、アゼルバイジャン人、正確に言えばカラバフからのアゼルバイジャン人の難民にたいしこれ以上人道支援したくないと、ほのめかしている。その理由は、戦争停止ついてビシケク合意後、交渉が成果を上げていないことである。
カスピ海協力原則に関する共同声明について言えば、遠大な目的の歩みのわずか一歩であると、解釈されている。カスピ海に関し両国が“立場の接近したこと”は、プ-チン大統領によると、これは事実である。調印された文書自体はカスピ海の分割をまだ意味していないし、とりわけテヘランはバク-で宣言された分割原則をまったく支持していない。しかし少なくとも、前向きな動きがあったし、ロシア大統領の昨日の発言から言える事は、まだ多くの点で取り決めがなされていないとしても、当面二国を基本としてカスピ海の協力が行われると決定された。
ここで起きたこと全体が77歳のヘイダル・アリエフの政治とうまく調和しているし、ロシアの政治関係者は彼を“南のケッコネン”と称し、彼の路線を故フィンランド大統領が実施した“積極中立”政策の古典的反復であると言っている。この比較には訳があり、アリエフ本人もケッコネンとの会談にも触れ、彼から学んだことを述べている。アリエフは同程度に、西側ともモスクワとも協調し、一方のとの関係を他方の積極的動きへの刺激として利用している。以前モスクワにはこうした微妙なかけ引きする上できわめて信頼できるパ−トナは彼にはいなかったことは別問題である。プ-チンの“外コ-カサス均衡路線”はバク−では次のように見られている。重機械をグルジアからアルメニアに移し、予定しているイランとの関係を活発化させることにより、アゼルバイジャンとの関係活発化の釣り合いを取ろうとしている。だが付け加えると、結局解決しなかったガバリン電波探知基地問題をアリエフがまだ手元に残してある。
1月10日(水)
“プ-チン大統領、GDP成長の指示”(完)
-“ガゼタ-RU”、1月4日、ビジネス欄、イワン・チェルノク“
経済問題に関するクレムリンの定例会議でプ-チン大統領は、本年度予定している経済成長テンポに不満を表した。ちなみに、2000年-2001年のロシア発展に関するグレフのプログラムでは、本年度のGDP成長率は4%となっている。プ-チン大統領はクリアするバ−を少なくとも7%まで上げるよう政府に指示した。
厳密に言うと、この十年間においてロシアにとって記録的なGDP成長は,2000年末になると最早そうした大きな伸びを見せず、7.3%であった。1月〜4月期、1999年比で10.3%経済成長したが、1月〜10月の期間では8.4%であった。年の終わりごろは、既に触れたように、経済成長は7.3%であった。国家統計委員会は12月の資料をまだ出していないが、独立系のソ−スによると、この間の経済成長は約5%である。
今年政府はGDP4〜5%の成長を見込んでいる。昨年度総括する記者会見で首相ミハイル・カシヤノフは、最終的には次のような発言をしている。「来年度、GDPが7%以下でも、政府のやり方がまずいとは言えない。こうした経済成長テンポを、わが国はまだ自力で達成したわけではない。」 首相の評価によると、“国内の能力”では、まさに計画の4〜5%の経済成長が可能なのである。
別の言い方をすれば、経済停滞はあるが、政府はこれに異存ないということである。とのことだが大統領はそれには同意しない。プ-チン大統領は、本年度のGDP成長が昨年より緩慢にならないことを望んでいる。つまり少なくとも7%である。プ-チン大統領はしかるべきプログラムを至急作るように政府に指示さえしている。副首相アレクセイ・クウドリンによると、予定した数値4%は、“最低のクリアバ−と見なすとの合意であった”。
大統領の命令は政府にとって不都合な新年の贈り物となった。そこで2001年度のグレフのプログラムをどう扱うか、不明である。ちなみに、二月にグレフのプログラムが閣議で承認され、行動の指針として採用される予定になっている。現在おそらく、経済発展大臣は、文字通り一ヶ月の間に新しいプログラムを作成せざるえない。グレフが経済プログラムの執筆に愛着を感じないとしても、いずれにしても一体どうやって例の7%成長を政府が達成できるのか、分からない。あらゆる点から見て、石油価格は昨年と同じような高値とは最早ならないだろう。まさにそれが高値であったからこそ、カシヤノフ本人が認めているように、きわめて大きな成果となったのである。
とはいえ、大統領は政府に例を示した。大統領は自然独占企業を再編すべきだと考えている。会議終了後、プ-チン大統領は運輸大臣ニコライ・アクセネンコを引きとめ、予定している鉄道部門の改革について話し合った。知られているように、運輸省構造改革構想は昨年秋、政府が検討したいたものだが、構想の準備が不十分だと判明した。アクセネンコはこの文書を4月1日までに仕上げるよう指示されていた。その後であらためて閣議で検討する予定であった。ちなみに運輸省の業務もGDPの計算に入っている。さらに多く製品を生産しないのであれば、現在ある物をさらに多く運ぶ上で誰も妨害するものはいない。
カシヤノフ首相は自然独占企業の改革について、大統領の示唆をすぐさま理解した。会議後直ちに彼はガス価格とその輸送料率の国家規制に関する政令に署名した。実際、この政令は“ガスプロム”構造改革のスタ−トである。この政令は“全ガス供給業者
にたいし、その輸送サ-ビスの一律料率の国家規制“の制定を前提としている。
これとともに、ガス料金は自由化し、またいくつかのガス輸送会社を設立するはずである。これを実施する前に政府にはガス卸価格、輸送料率、ガス配給会社のサ-ビス料金、ガス小売価格の調整作業が残っている。言い方を変えれば、問題はガス市場に競争を作り出すことであり、すなわち“ガスプロム”の構造改革である。こうのように、政府が春になってやっと着手した第三の自然独占企業の再編が開始された。本当のところ、この再編がプ-チンの求めるGDP7%となるのか、大いなる疑問である。
1月8日(月)
“ロシア連邦国歌の新しい歌詞”(完)
-“独立新聞、12月30日、ウラジ−ミル・グバイロフスキ−、イワン・ロデイン)
第1節:
ロシア、聖なる我が国家!
ロシア、敬愛する我が国家!
強靭なる意志、偉大なる栄光、
それこそ永遠の財産
(繰り返し)
たたえよ、祖国我が自由、
兄弟民族のちぎり永久に
祖先の英知民族のもの
たたえよ、国家!我らが誇り!“
第2節:
南の海から極地の果て
広大な我らの森や草原
世界で唯一我が祖国!まさに唯一の我が祖国!
神が守護する祖国の地
第3節:
広大なる自由な天地、夢と生活のため
時代は我らの未来切り開く
祖国の忠誠、我らが力
それこそ過去現在未来、永久のもの!
セルゲイ・ミハルロフが新しい歌詞の作者となったが、それはきわめて妥当である。彼には新しい歴史条件に歌詞を合わせた経験がすでにある。何故にもう一度同じもにしなかったのだろうか。しかし必要となれば、そうなるかもしれない。
解消しがたい矛盾をどう両立させることができるか。“ノ−”とも“イエス”とも、どう言ったらよいか。黙っているべきである。しかし、言葉が無内容で空疎のものであれば、黙秘こそ多弁でもある。国歌作者にはまさにこの課題があったのだ。全てを満足させる、つまり厳粛なものでない歌詞にする必要があった。これはまったく陳腐な紋切り型で書けば、さほど難しいことではない。セルゲイ・ミハルコフはまさにそのように作詞した。
ソヴィエト時代の国歌と比較すると、リフレイン部分はほとんど変更されていない。第一行目はそのままである。第二行目の“民族の友好、希望の砦”が“兄弟民族、永久のちぎり”に変えられている。この変更の唯一の目的は、引用を若干減らすことだけであったのかもしれない。と言ってもよくなった。第三行の“レ-ニンの党”が“祖先があたえた英知“となった。この部分はまったくコンテキストから外れている。祖国とは先祖があたえた英知なのだろうか。まったく不可解な組み合わせだ。この行は発音しづらいどころか、声を出して歌えない。子音を引きのばして発音せざるえない。リフレイン部の最後の行は1行目のほぼ反復であり、再度”たたえよ“を繰り返している。
“南の海から極地の果て”は、これは国歌候補の一つと言われた他の歌詞、“広大な国家、我が祖国”のほとんど引用である。正確に引用すると、「南の山々から北の海」である。この歌詞全体の調子からすると、きわめて中立でノンポリの国歌の歌詞に明らかに影響を及ぼしている。
突然国歌に思いがけない“哀れみ”が聞こえてくる。“世界で唯一我が祖国!まさに唯一の我が祖国!神が守護する祖国の地”。 まったく孤児である。神を除けば、皆によって捨て去られ、守る人が誰もいない。全体として国歌の歌詞は事実上、枕詞のかきあつめである。“聖なる、敬愛する、強靭な、偉大な、自由な、民族の”である。このきわめて甘ったるい言葉の列が単調にならぬよう、“たたえよ”という叫び声で補完し、残りは言葉を繋ぐだけのものである。
もしかしたら、純粋な詩的価値は国歌にとってはさほど重要ではないが、卓越したものがいけないとしても、少なくても上品に見えるようにしたかったのかもしれない。だがそのように上品には国歌は思えない。どんな顔でも、無いよりはましである。
12月8日、国会は最終的に国家象徴に関する三法を承認し、中でもアレクサンドロフ作曲の国歌に賛成した時、議員の一部は国歌の歌詞を準備し、承認し、採択したばかりの法案を修正して提出する委員会の設置を大統領にもとめた。当時大統領府の首脳は、プ-チン大統領が法律の空白部を埋め、その大統領令が出れば国歌の歌詞が現れるかもしれないという流言を否定した。彼らによると、歌詞はないがどのような空白部も作ってはいないし、と言うのも国歌法は実在していたからである。
大統領側近の法律の大専門家がとにかく、大統領令によって国歌歌詞の承認が可能であると判断したのであれば、法律文であるこの文書を公開すべきである。この文書の印刷されたものを見る唯一のチャンスは今日だけである。ところが昨日、“独立新聞”本号発行時点では、この大統領令が署名され、“ロシスカヤ・ガゼエタ”紙に送付されたという情報はまだなかった。こうして見ると、きわめてありそうな事は、プ-チン大統領が法律的に見るときわめて信じがたい行動に出る、つまり大統領令は新聞雑誌に掲載される前は法律文と見なされないが、それに署名した時より有効となる大統領令を公布するかもしれない。こうして見ると、大晦日にロシアの新国歌を演奏することの合法性に疑義がでてくる。
1月5日(金)
“わが国宮廷の千年はどのようなものか”(完)
-“独立新聞、ヴィタリ・トレチャコフ、独立新聞編集長)
人類全体が、そして我々各個人が第三番目の千年に移行することに関し、月並みなことは悉くすでに書かれ、語られていると思われる。わたしも、この誘惑にかられるし、新年を前に最後の論文を執筆しないわけにはいかない。そこで、むやみに傲慢にならないように、鳥が飛ぶ高い空から、ロシアが世紀のアルプス越えをする様子を眺めてみることにする。ロシアは結局最後まで自己認識しないで三番目の千年に入る。ある者は右を支持し、他の者は左を支持しているが、一緒になると全てその場を行ったり来たりしているだけである。多くのものは混乱か、それともただ素直に疲労感をおぼえている。
ところで、この15年間は、つまり1985年のゴルバチョフの4月から、既に現実的に起こり、それにより今後、これだけは予想できるわが国のいくつかの発展シナリオという、本質的に完全なパラダイムを与えた。エリツイン時代の9年間にしても、伝統的なロシアの歴史循環の基本サイクルである。革命家、改革者としてスタ-トしたが、エリツインはブレジュネフとほぼ同じ停滞で幕を閉じた。
このようにわが国では常にそうである。“三つ子の魂は百までである。”この表現がまったく陳腐なもであれば、それはすまないが、わたしが陳腐であるのではなく、これを創った天才が陳腐なのだ。
わが国のどの改革もとどのつまり、国の崩壊か、それとも必ずと言っていいほど上から始まる腐敗を内包している。しかし、これは楽観的に見る根拠がないということを言っているのではない。それは、現実(ロシアの人々、人類)を冷静に見ることを最終的に学習するのであれば、存在する。
ボリシェヴィキはロマンチストであったし、それだからこそ、矯正労働収容所の監視人に変質したのであった。彼らは、酒も飲まず、泥棒もしない、全人類的な価値観(世界革命や完全平等)を自分の家族の物資的幸福より上においている理想的な人間を信じていた。
共産主義のユ−トピアは、ボリシェヴィキ自身の退廃した意識とではなく、現実とぶつかり崩壊した。彼らは人間改造をしようとした人々であり、マルクス本を読んでもたらされたのでない、自然が人間に与えた欠陥をもつ普通の人々であった。
90年代の若い改革者も、市場という鉄の手により、理想的に働き、理想的に納税する理想的なブルジョア人間に期待していた。そしてこの反共産主義のユ-トピアも、かつての共産主義ユ-トピアと同様に、詩人マヤコフスキ−の“愛の小船”のように、生活習慣にぶつかり破綻したのである。
ロシアの世紀末の教訓とはどのようなものなのか、それを学べば我々は二十一世紀に思い切って足を踏み入れることができるのだろうか。その中で最大の教訓は、わたしの見解だが、宮廷の二番目の千年であろうと、三番目であろうと、それが重要なことでないということだ。
人間と人類は、それがどのようなものか古くから知られているように、そのように創造されたのである。生物の世界で唯一思考する存在、生活の意味を考え、倫理を作り出す存在が自己と類似している存在を大量に殺戮してきたし、殺戮しているし、殺戮するだろう。さらに自己の思考の一部で常に殺人兵器を改良している。このようものが最初の千年(それ以前も)であったし、二番目の千年そうであった。三番目の千年もそうなるだろう。
利己主義と利他主義、これは人間と人類の不可分の二位一体のものである。国民と国家は常にそうであったように対峙している。そしてまさに競争が戦争にかわるのである。政治家は自国の勝利や自国民に責任があるし、これが彼らの活動の至上命令なのである。勝利すれば彼らの罪は許される。敗北すれば、どんな英雄的行為であろうと、利他的な行為であろうと正当化されない。
国家と民族の存続と繁栄は、けしてモラルなどではなく(もしかしたらモラルには合理的な不道徳も含まれているかもしれない)、存続するための知性や狡猾さ、力、意志のあることが前提となる。最も罪深いが、しかしこうした四点の発達に成果をあげた国が繁栄している。丸腰の利他主義者は、武装した利己主義者の群れに踏みつけにされ、非業に死をとげる。現在これを政治的現実主義と言う。
ウラジ−ミル・プ-チンは現実主義者である。彼は殉教者である。そこに彼の力と成功の可能性がある。彼には自己の殉教性をロシア全体や、官僚機構全体、生きているだけというむなしい生活に疲れた国民に普及する能力があるだろうか。しかし、まさにこうした指導者がわが国には必要なのである。
彼に五歩あるかせ、その中四歩間違っていてもよい。ここには一歩も前に進まない者より、はるかに希望がある。プ-チンは多くの誤りをおかしている。おそらくもっとやるに違いない。彼の使命は行動の正しさにあるのではなく、無為なことの対立物としての行動にある。勿論、ベクトルつまりこうした行動の基本方向が正しいことである。しかし、正しいベクトルとは、国と民族が存続しているか、それとも滅亡しているかである。
残念だが問題はモラルにあるのではない。もしモラルだけの問題であるなら、“共産主義全体主義”が崩壊した後、共産主義の下ではけして生まれなかった麻薬中毒や犯罪、ポルノグラフィ、暴力は復活することはなかったろう。こうしたことは、麻薬密売人や売春宿の管理人ばかりか、ロシアの自由なマスコミによっても育成され、喧伝されている。
同胞と自国の存続と幸福にたいする責任で増幅された意志、知性、狡猾さ、力、しかしたとえ競争者となったとしても、多民族、他国家と共生した上で、こうしたことが三番目の千年にロシアには必要なことなのである。プ-チンには直感的も、こうしたことが全てそなわっている。そしてこの意味で彼はロシアに必要な人物なのである。それがどんな国歌であろうと、どんな国旗であろうとも。しかし、唯一生活の現実と一致している思想をもっている。
以上である。話はこれで全てである。だが誰も我々にはそれ以外のものを与えてくれることはないだろう。そしてロシア自身の問題とは、三番目の千年でも歴史に残るのか、それとも自己の罪深きを嘆き、劣らず罪深いのではあるが、より生命力のあるものにその場所を空渡し、消滅するのかである。