ロシア最新ニュ−ス
2001年5月分履歴
5月31日(木)
“視察は遠方から”(完)
-日本経済使節団、極東から視察開始-
“イズヴェスチヤ、5月31日、エカテリナ・ヴィフホレヴァ)
昨日日本経済使節団のロシア訪問が始まった。予定通り、ロシア経済状況の視察は極東の都市から始まった。使節団は三つのグル-プからなり、それぞれ地域を受け持ち、六月上旬にモスクワで合流し、そこで一連の首脳会談を予定している。
日本経済使節団はロシアを11日間訪問する予定で、その間大企業を訪問し、ロシア企業との今後の協力見通しについて話し合いをもつ。“名所見学”が極東から始まったことは、日本人にとってこの地域が協力分野で特に関心ある場所である、その証明である。この関係では、まさに極東が今日ロシアの最も未整備な地域の一つであり、この地域の状況は近々改善しなければならないし、それも共同の努力で行うべきだと、日本側はきわめて理に叶った考えをしている。
この間日本側が訪れる主な場所は、サハリンの石油採掘企業である。本日、サハリン石油の新たな産地共同開発問題について、日本代表団と地方行政代表者の合同会議が行われる。日本のマスコミは、ロシア訪問に企業が多くのことを期待していると強調している。唯一日本からのニュ-スがこの訪問に水を差している。昨日公式発表された四月期各省庁の報告から判断すると、日本の経済状態は満足できるものではない。多くの専門家は、この状況を“悪い状態から最悪の状態に変化した”と解説するきらいがある。消費と生産水準全体の低下と共に、国内失業率はこの三ヶ月で初めて上昇し、4.8%になった。
5月30日(水)
“ル-ブル、どう扱うか”(完)
-この件で、閣議で論争中-
“イズヴェスチヤ、5月30日、ゲオルギイ・オシポフ)
本日、経済大臣ゲルマン・グレフは閣僚に2002年〜2004年における国家中期社会経済発展プログラムを報告している。国内通貨の今後について論議が予想される。その結果いかんに、予算の方向性も含め、多くのことがかかっている。
政府の選択肢は狭い。ロシアに近い状況にある国は地域通貨をどう扱うべきか、これには二つのシナリオが知られている。
インフレに先行してル−ブルレ−ト一生懸命下げることもできる。この場合の有利な点は明白である。地方の商品は輸入品より安くなり、国内産業は発展し、勤労者は遅滞なく賃金を貰える。しかし、生産発展や、競争力のあるレベルまで品質向上させる意欲が減退し、技術的遅れが固定化し、そうした形で、企業はこうしたハンデイの報いを受けるはめとなる。
ル−ブルを強化することもできる。そうなると、輸入は一層有利になり、新技術の購入や、品質向上が見込める。しかし今度は、98年危機以前の二三年ロシアでは有名な別の危険性が待っている。購入されるものは技術ではなく、主に消費物資となり、国内企業は西側と競争できなくなる。
実際にはロシアは今日まで世界で知らない特殊の道を選択した。国内通貨を下げるが、しかし少しづつ常に強化すると、先進国で商品や技術の買い付けメリットをなくす上ではまさに“ほどほど”十分なのである。しかも、CIS諸国から商品や技術はロシアで競争メリットをもつようになる。
その結果ロシアは、資源の売上でCIS諸国の加工品を清算し、事実上そこに補助金を出していることになる。このことを統計ははっきりと証明している。
ル−ブル高をなんとか阻止する試みは、今年最初の数ヶ月の結果が示すようにうまくいかなかった。為替交換所ではル−ブルは一見多くは伸びていないが、実質的には強くなっており(一方、ロシアのドル購買力は落ちている)、それが結局のところインフレを誘導している。今日グレフに期待していることは、実態を考慮したル−ブルレ−ト確立方法を模索するよう提案することである。現実は単純である。ロシア石油輸出企業の売上高が増加すればするほど、より多くドル売りされる。つまり、ル−ブル高となるべきことがより鮮明になる。目下のところ、このル−ブル高は例えばマイナス利率のような、風変わりでユニ−クな措置で抑制されている。すなわち、銀行預金金利や有価証券はインフレ率より低く設定されている。100ル−ブル預金しても、一年後実質5カペイカ以下であり、何か残っただけでも喜べということである。
若干のエコノミストはこの問題解決にほとんどボリシェビキに似たやり方を提案している。輸出企業がドルを売り出す前にドルを単純に取り上げるというやり方である。最も興味深いのは、このやり方が大勢を占める可能性のあることだ。
何故なら、さもないと何故に投資が伸びず、資本が西側に流出しているのか、これを究明する必要があるからだ。こうした石油企業が自社の計画ばかりでなく、他の経済部門に投資するよう促すことを考えるべきである。税環境を変え、所有権などを一層明確にすることは、本日政府に提出するまさにグレフのプログラムに記載されている。
そこに単純明瞭なやり方が記載されていないことは明白である。だがら、政府とクレムリンがこのプラグラムを支持するのか、それともそれまでの丸い一年間と同様、立派なプログラムだが、あまりにも複雑で実行に強制力のないプログラムとして賛成するのか不明である。
5月30日(水)
“経済成長に見合わない価格安定”(完)
-物価高騰対策は政府の中心目標とすべきではない-
(独立新聞、5月22日、ヴァデイム・ロギノフ)
西側や国内経済誌がインフレに関する論文を掲載し、資料をどう扱うか、そうした問題が出てきているが、よくこうした論文は経済現象を頭巾姿で、お下げの骨ばった老婆という、よく知られた登場人物で描いてみせる。誰も、魅力的なスタイルでインフレをまだ描いたことがないと思う。はたしてインフレは本当に常に悪いもの、悪そのものであるのだろうか。基本的には需要過剰の結果であり、需要供給バランスに反応する独特のメカニズムである。需要が増えることそのものは、けして悪いことではない。これはつまり、人々には多く金があり、企業には成長するチャンスがあるということである。企業が通貨量の伸びについて行けず、あるいはその逆で、資金不足で供給が減り、インフレが品物不足によると、現実的にはよくない。と言っても、ス−パ-インフレ、常時インフレはデフレ同様、これは本当に不幸である。しかし、多少高い水準のインフレは、必ずしもス−パ-インフレになるわけではない。安定した物価二桁上昇率は大きな経済成長と結びつけることができる。この例は五十年代、六十年代初めのブラジルに見られるし、八十年代ではアルゼンチン、ペル−、ボリビア、イスラエル、九十年代ではポ−ランド、ハンガリ−で見られた。
こうして見ると、インフレ対策を主目標にすべきではない。この構造をうまく“調整”できる能力が必要なのだ。インフレ対策をとれば、これは実際のところ、経済成長にたいし同時に抑制力となるではないか。IMFの助言による“見事”なロシア通貨主義政策を思い起こしてほしい。当時、インフレ率は一桁内であったが、供給市場は通貨量不足なのに需要市場に変わり、最終的にはス−パ−インフレとなり、あらゆるものが不足し、物々交換などとなった。基本的には二つの問題が提起されている。一つは、量的な面で(その内容との関係で)“有効”インフレ率はどの程度あるべきか、もう一つは対応するメカニズムをいかに整備するかである。
しかし、総論からロシア経済の現況に話を移す。今年初めは、比較的高いインフレ率を特徴とした。2001年度当初四ヶ月間、ロシア国家統計委員会の資料によると、消費市場におけるインフレ率は前年同期5%にたいし、9%であった。それで政府は、予算で見込んだ数値上限を上回ることもありうると発言し始めた。最高首脳部からこの事実にたいする指摘が出始め、役人はこれを行動の直接の指針と受け止めていた。問題はこうだ。計画した数値が効果的に設定されたのか、あるいは抑制措置は有害なのだろうか、こうした問題がなんとなくこの状況で二義的になっている。インフレテンポは四月には早くも低下し始め、コメントの調子も確信に変わり、鈍化するはずの夏季月になれば模範的となり、年間インフレ基準14%はきっと維持できると発言している。例えば、ロシア経済発展省次官アルカデイ・ドヴォルコヴィチは、インフレ水準は「戦略投資の流入を妨げるもので、と言うのはこれがロシア経済の不安定性を証明しているからだ」と述べている。同次官の意見だと、今日現在、今年四ヶ月のきわめて高いインフレ率を引き起こした要因、昨年末の予算通貨政策の弱さ、独占企業の料金引き上げという要因は事実上なくなっている。
年末までの月間インフレ率は1%と言われている。すかさず数値に関し見解の相違が起きている。すでに9%であるので、年間では18〜20%となるとし、予算で定めた数値に収めるとの公約と食い違っていると反論している。さらに夏季になると、電力出荷価格や鉄道輸送料金が上昇する見込みだとしている。専門家によっては、インフレの鈍化は起こりそうにないし、出きる限り早急に平価切り下げという手段で対抗する必要があると考えている。先週最も興味を惹いたのが、ドル高になる可能性があるとしたロシア銀行総裁ヴィクトル・ゲラシェンコの発言である。同総裁の見解によると、対ドルル−ブルレ−トの上昇テンポをインフレに合わせる根拠はある。例えばこの間、インフレ率9%なのに、ル−ブルレ−トは3%低下している。これが現実のものとなると、悪い反動も予想される。第一に、国内製造業の競争力の低下、第二に国民ドル預金が“困難”となりそれにより需要拡大の効果、第三に支出インフレのスパイラルとなる。これははっきりと表に出ないかもしれないが、ロシアの消費部門ばかりが、法人部門をも及んだ“ドル決済”という形ですぐ現れるだろう。ドルで利益や賃金などを計算し、水準維持するためにさらにル−ブルが必要となるだろう。
インフレには、価格の変化としてではなく、国内通貨価値の長期的低下とみなす、そうした側面もある。例えば、価格が二倍上昇すると、通貨価値は事実上二分の一になる。別の観点から見ると、早急に平価切下げるインフレ対策は扁桃炎をアイスクリ−ムで治療するのと似ているように思える。「エコノミスト」誌で用いられているビッグ・マ−カ指数は、単純できわめて分かりやすい。このデ−タに従うと、対ドルル−ブルレ−トは50%以上低すぎる。つまり、理論的には1ドル、15ル−ブルにならねばならない。しかしそうなると、ロシア銀行が考えているのとは、まったく別のやり方が求められる。ちなみに米国の多くの投資銀行アナリストは、早くも自国のドル切り下げを待望している。ロシア銀行はその方針の中に、こうしたことを考慮しているだろうか。
さらにロシア銀行総裁ヴィクトル・ゲラシェンコは、現在25%にあるリファイナンス率は当面変更しないと五月に表明している。「昨年度それは正しかった。と言うのは、インフレ率が20%であり、インフレ予測は12〜14%であったが、下げる根拠はあった」 インフレプロセスが進行すると、慌てて引き下げるべきでないという根拠をまるで与えている。反対のことを仮定し、経済成長テンポ加速させるという論拠でリファイナンス率がとにかく引き下げられるかもしれないと、推測できないだろうか。これもまた直ちにインフレを引き起こし、悪い結果となる、このことは明白なのだろうか。もし、それぞれの数値やファクタ−を調整してこれを行えば、おそらくそのようにならないはずだ。こうした場合、資金はドルの“バルブ”ではなく、融資投資のバルブから経済に“投入”するのがよい。資金が必要な方面、すなわち現業部門により深く向けられると、生産技術や技術を刷新し、製造企業のコストを下げ、失業者数の減少と賃金上昇により需要を昂揚させることができる。
実際、余剰購買力を何らかの方法で沈静させる必要がある。やり方の中には、長期投資及び預金メカニズム(ここでは有価証券の管理が必要であり、制定される年金積み立てメカニズムも役立つかもしれない)、事業投資の促進、耐久商品の需要拡大(例えば、預貯金が必要な住宅建設)などによる通貨流通サイクルを延ばす試みも可能である。
さらにインフレ健全化のラジカルなやり方が首脳部の経済顧問から言われている。資本の流出と通貨流通の自由化である。要約するとこの考えとは、資本を持ち出せば余剰資金から経済を救出し、資本の持ち出しが停止していたら、昨年いかなる経済成長もなかったかもしれない。まさにこれが、インフレ圧力を低減する独特の“バルブ”のことである。
しかし、こうした決定は全て、通常だと個別のデ-タに基づいている。一つ二つの数値で状況を判断することは誤りである。と言うのは、経済では一見、はっきりした事でも、きわめて多くの矛盾した反応が出てくる。インフレ管理は様々な局面を考慮し、総合的にやる必要がある。2004年までの政府研究シナリオでは、インフレ率は8〜10%下がり、14〜16%の範囲としている。インフレ低下は、投資好環境を作り出すこと、国民生活を安定向上させるために検討されている。インフレ低下要因としては次のものを挙げることができる。ル-ブル交換レ-トの緩やかな動向を維持できる、節度ある金融政策の実施、独占企業の製品価格、料金の規制改善である。目標は重要ではあるが、インフレ手段とその係数そのものには、より綿密に対処する必要がある。さもないと、やたらと“試行錯誤”し、インフレ“抑制剤”を過度に投与し、経済成長にストップをかけてしまうかもしれない。
5月27日(日)
“ロシア財務省、経済発展省、異なるインフレ予測”(完)
-2002年度予算編成でどのような要素を織り込むか、この論争は6月7日に決着するだろう- (独立新聞、5月22日、ドミトリ・ポノマレフ)
6月7日、ロシア政府は2002年度予算案の基本的性格を検討する。現在、様々な要素の試算作業は終わり間近であり、それ故に経済発展省が各々の要素をどのように確定したか、大きな関心の的である。今日になると、二つの主要官庁、財務省と経済発展省が異なる見解であると、言うことができる。そこで入手した情報からすると、大楽観主義者は、ゲルマン・グレフの省である。
経済発展省の計算に従うと、来年度ロシアのインフレ率下限は9%、上限は13%である。つまり最悪の場合でも、2000年度予算見通しより、わずか1%の価格上昇ということになる。インフレ抑制したいという、グレフの省の願望そのものは賞賛に値するが、こうした志向が今年初めだけでもすでにインフレ率は10%であり、工業生産成長は3%以下とどうのように関連しているのか、説明することはできない。
政府と中央銀行が経済に関し、なんらかの重要対策をとらないと、2001年度インフレ率は20%以上となるかもしれない。インフレプロセスがロシア政府の政策実行の最大障害物であると、なんの誇張なしに断言できる。と言うのも、企業の支出増加が国内経済を前向きに発展させる、これには疑問があるからである。さらにロシア銀行総裁ヴィクトル・ゲラシェンコは価格上昇率は五月、1%を超えることはなく、年間を通し、これは予算に織り込んだ条件内に止まるだろうと考えているが、こうした楽観論を誰しも共有しているわけではない。
政府は2002年度予算案に織り込んだ要素を抜本的に見直すか、それとも、それ自体簡単なことではないが、価格上昇を抑制しなければならない、このことは明白である。したがって、おそらく選択は最初のシナリオとなるだろう。これは財務省の情報から確認されている。同省は推定インフレ率を14〜16%とし、予算に織り込むように提案している。
実際にある政策支持者とある経済学説支持者、つまりアレクセイ・クウドリンとゲルマン・グレフがこの問題で妥協できるか、これは6月7日以降になってはじめてはっきりするだろう。いずれにしても、この分野のいかなる決定も、予算が近代的方式による経済現況を考慮して形成されるのか、それともそうしたものをまったく無視するのか、そのリトマス試験紙となるだろう。
こうした推測は経済条件に最大限適合し、構造問題解決に対応する予算作りという政府と大統領の公式願望に立脚するものである。このため、来年度予算は二つのパ−ツから構成される。一つは歳出資金であり、もう一つは安定化向けの資金である。現実的にはこれは、2002年度予算では楽観的な計算も、悲観的な計算も考慮することを意味する。前者はロシア輸出企業と経済全体によって好都合な状況であるし、後者はロシア輸出品(石油ガス)価格がきわめて低下する、そうした意味である。
それ故、GDP成長率とロシア石油価格、ル−ブルレ−トは二つのシナリオで提起されることになる。ロシア経済発展省大臣ゲルマン・グレフによると、2002年度推定GDP成長率3.5〜4%である。もし2001年度石油価格が1バ−レル21.5ドルで定着した場合、来年度連邦予算では二つの数値が出てくることになる。1バ-レル17ドルと22ドルである。ロシア経済発展省大臣の提案によると、来年度ドルレ−ト変更は最悪でも3.5%以下とし、状況が好調な場合、1%としている。現在、米ドル上昇率は約3%である、1月は対ドル28.6ル−ブル、5月29.05ル−ブルであった。
多くの専門家は、二重予算作成という政府の意向は最大限に重要ファクタ−を考慮したいという願望を表しているだけでなく、それにより現実の経済状況に近づけているのであると、考えている。と言うのも、ロシアの好調と石油価格水準の関係はよく知られているからである。こうした予算は多くの抜け道を用意するもので、何の制約もなしに追加収入を受け取り、使うことができる。国会予算政策・税務委員会副委員長オクサナ・ドミトリエヴァによると、政府は本年度予算編成で用いたのと同じトリックを利用しようとしている。このやり方では予算追加収入は国会の監督外におかれた。同副委員長によると、二重予算はナンセンスであり、そうしたものは世界のどこにもない。「本年度、予想通り、1500〜2000億ル−ブルの追加歳入があった。問題は歳入水準とその使途がいかなる形にせよ、監視されない、その点にある」と述べた。
二重予算を作り、政府はどうやら一定額にたいし白紙委任をとりつけ、それをそっくり役人の裁量にまかせるつもりらしい。もちろん、こうした条件は行政にとってはきわめて好都合であり、この資金でどんなプロジェクトにも流用できる。納税者について言えば、彼らはいつものように、こうした資金に何に向けられるか、そうしたことを最後に知ることになる。2002年度追加歳入が緊急経済課題解決に向けられ、インフレに“食い尽くされ”、もっと悪いことは、いつもの“ブラック”ホ−ルに消えてしまわないことをただ期待するよりしかたない。
5月26日(土)
“ロシア、二十一世紀武器市場獲得に向かう”(完)
-将来の国産戦闘機製作計画がスタ−トした-
(独立新聞、5月22日、イ−ゴリ・コロトチェンコ)
ロシアは将来の国産戦闘機製作計画を公表し、世界先進航空大国の一つであることを証明し、時代の挑戦にしっかりと応えた。先週金曜日、新航空技術開発協力団体加盟企業代表とロシア航空産業の主要研究所代表が“ロスアヴィアコスモス”代表ユ−リ・コプテフ出席のもと、軍産航空会館で将来の航空機製作参加に関する基本合意に署名した。基本合意書に署名したのは、“NIIAS”、”TSAGI”、“VIAM”、“TSIAM”、“NIAT”、“リュ−リカ・サトウルン”、“テクノコンプレクス”、“アエロコスミ-チェスキ−オボルドヴァニエ”、“アヴィアプリボル・ホルデインガ”、“ヴインペル”、“ズヴェズダ・ストレラ”、“スホイ”、“スホボ”である。
合意書の重要な意味は、国内主要開発企業・機関が国家レベルの大協力プロジェクト参加にあたり、協力行動や義務と責任分担という基本的原則点で合意したことである。文書は署名にあたり公開され、近々量産工場や国内航空産業のその他企業がその参加者となるだろう。すでに何度も指摘したが、国内航空産業の運命は将来の軍用機が量産開始されるか、そのことにかかっている。こうしたわけで、ロシアは米国で展開されている最新戦闘機JSF製作に対応した回答を出した。
米国と英国のために戦闘機JSF三千機が生産される。それとともに、戦闘機JSFは二十一世紀前半の主要な購入対象機になるはずである。この飛行機は第三、第四世代の米国製戦闘機(世界軍用機保有量の約50%)と交代するだろう。戦闘機JSF総製作機数は、5千機から6千機である。市場に同機が出現すると、ロシア製第四世代戦闘機SU-27とミグ29は競争力を失い、ロシアは、根本的に新しい戦闘機開発に全力投入を余儀なくされる。
したがって、ロシア製新型飛行機の開発は早いテンポで行われると予想される。ユ−リ・コプテフによると、本年末には早くもその設計図が出来上がる。現有の能力でこの構想にうまく目処がつけば、2010年には新型機の量産が展開されると予想される。2011年〜2012年の間に、これはロシア空軍に配備され始め、米国戦闘機JSF出現と期を一にして、国際航空市場に投入されるだろう。
多機能最前線機の開発技術課題は、すでに1998年ロシア空軍より明らかにされている。この作業には、スホイ実験設計研究所が中心となり、ミコヤン、ヤコヴレフ実験設計研究所も参加した。この間に、若干の試作機が作られた。最も先頭的に開発したのがスホイ実験設計研究所で、それは後退角翼をもつ実験機S-37“ベルク−ト”計画において獲得した成果に基づいたものであった。2001年4月、次期戦闘機にたいする要求が確定し、空軍総司令官アナトリ・コルヌコフによると、空軍はあらためてその技術課題を承認した。約一ヵ月後、航空軍需企業“スホイ”の後押しで、この重要課題解決を担う協力機関が設立された。
第五世代戦闘機開発で航空軍需企業“スホイ”が先頭的役割をはたせるのは、第一に同企業の科学技術力、生産技術力、それに生産品販売の安定市場のおかげだと言える。さらに事実上、航空軍需企業の改革文書が統一され、それによると縦割り統合型組織の持ち株会社設立が予定されている。ロシア航空宇宙局責任者ユ−リ・コプテフが強調して、「これは時代の要請に応えている」と述べた。
ロシア新型戦闘機の正確な技術的全貌はまだ明かされていない。ただはっきり言える事は、これはS-37あるいは、ミグ設計研究所で開発された実験機1.44には似ていない。既に公表されているロシア空軍資料から判断すると、離陸重量は20トンである(ミグ29とスホイ27の中間クラス)。同機にはAL-41F型エンジンが搭載される。新型機は、超機動性、レ−ダ捕捉対抗能力、超音速巡航速度など、次期戦闘機の一般基準を満たしているはずである。
同機にはフェイズド電子レ−ダが搭載される。パイロットは電子目標指示装置でタ−ゲットを選定することができる。搭載する武器は、異なる射程の空対空ミサイルや対地ミサイルである。
開発関係者は、最大問題は資金調達と考えている。この問題は次の三つの方法で解決する予定である。国の防衛品調達、軍事技術協力で得られる本プロジェクト参加企業固有の資金、それに戦略パ−トナ−資金の導入である。必要資金の調達はとりわけ、白ロシア、ウクライナなどのCIS諸国や、若干の諸外国をこのプロジェクトに参加させても確保できるかもしれない。中間的な試算では、海外市場での新型機の価格は3千万以下であり、JSF機価格にたいし、十分競争力がある。
次期戦闘機製作プロジェクトの実行は、ロシア航空産業発展と高度技術国際市場でその立場強化させる上で最重要課題となるだろう。
5月23日(水)
“軽微な警護”
-80年前、1921年5月21日アンドレイ・ドミトリエヴィチ・サハロフが誕生した。20世紀後半のロシアやさらに全世界の社会発展の性格を多くの点で決定した人物である。歴史学者、評論家ロイ・メドヴェデフのサハロフ回想を公表する-
(モスコ−フスキイエ・ノ−ヴォスチ、15〜21日号、ロイ・メドヴェデフ)
アンドレイ・ドミトリヴィチ・サハロフは長い間、極秘にされ、特別に警護された学者であった。彼のことが話に出たのは、1964年夏のことであった。ソ連邦科学アカデミ−定例選出があった。アカデミ−会員候補の中に、将来のライバルの一人トロフィム・ルイセンコと、ロシアアカデミ−準会員ヌウジュデインがいた。選出前、アカデミ−会員ウラジ−ミル・エンゲリガルツの自宅に代表的物理学者イ−ゴリ・タム、ミハイル・レオントヴィチなどが集まった。アカデミ−総会でルイセンコとヌウジュデインに反対することが決まった。サハロフはこの秘密集会にはいなかった。彼はそれについて知りさえしなかった。
エンゲリガルツがヌウジュデインについて最初に発言した。彼の発言内容は批判的なものであったが、アカデミックな形をとっていた。その後に続いて発言したサハロフは、「賛成投票となるのは、現在幸運にも終わりつつあるが、ソヴィエト科学発展において恥辱的で耐えがたいペ−ジにヌウジュデインとルイセンコと共に責任のある人たちの投票だけになるよう投票されることを全出席アカデミ−会員に訴える」と短い発言の最後に述べた。
ヌウジュデインは選出されなかった。生物学と農学におけるルイセンコとその一派の権力独裁は終わった。
1966年はじめ、“地下出版物”の形でスタ−リンの名誉回復に反対する代表的学者、文化人のブレジネフ、コスイギン宛抗議文書が出回り始めた。これはいくつかの特徴から判断すると、党幹部がソ連共産党第二十三回大会で“行う”ために準備されたものであった。署名者二十名の中にサハロフのサインがあった。そこには彼の肩書き、称号も書かれていた。アカデミ−会員、社会主義労働英雄三回受賞、レ-ニン賞・国家賞受賞者。今や、サハロフのことはモスクワ知識人の中でいっそう知られるようになった。
私は1966年末か1967年初め冬のある日、はじめて彼と会った(前もって約束をとりつけておいた)。クルチャトフ記念原子力研究所近くの閑静な路地に四階建て建物が二棟あった。そこに原子力学者が住んでいた。小さな玄関をぬけると、丸い大きな広間があった。壁には床から天井まで、本棚が立ち並び、本は立っているもの、横になっているもの、整然とは置いてなかった。どの部屋も整然としていなかった。古いつぶれたソファ-、古い家具が雑然と置かれていた。他のアカデミ−会員の部屋で見たような、そんな手入れのよさはどこにもなかった。彼の妻クラヴデイヤ・アレクセエヴナは、特に丈夫な体でもなく、大きな部屋の整理にはあまり気をかけていなかった。長女タチヤナは結婚し、別居していた。下の娘リュ−バはその年学校を卒業し、大学に入る準備をしていた。息子のデイマは四年生であった。アカデミ-会員や有名な作家では当たり前のお手伝いの人はここでは見られなかった。その上、サハロフ本人、部屋の状態や自分の衣服にはまったく意味を見出していなかった。セ−タの肘部分には穴があり、シャツのボタンは全部そろっていなかった。
この部屋は聞かれていますか、と尋ねてみた。彼はそうしたことはあり得るかもしれないが、しかしそれは盗聴ではなく、警護のためですと呟いた。「以前警護は常時で行われ、はっきりしたものでした。パンを買いに出かけても、ボデイガ−ドが一緒でした。しかし1961年、わたしと友人たちでス−スロフにこの不必要な庇護をやめてくれと要求した。今は警護は目に見えないが、それはただ見えなくなっただけかもしれない」
わたしたちの話は、サハロフが読んだばかりの私の本「歴史の告発(スタ-リン主義の自然について)」に及んだ。彼がこの本から知った多くのことは、彼には発見であり、彼はあまりにも長期にわたり、きわめて隔離された世界で生きていた。もちろん、彼が働いていた巨大な原子力施設全て囚人が建設したことはサハロフも知っていたし、彼も囚人の隊列を眼で見ているし、看守の命令する声も聞いている。しかし、こうしたことが彼の意識のそばを何らかの形で通り過ぎていたことも事実である。
最初に会ったのは二時間のあいだであった。サハロフの応対はきわめて素朴であり、若干遠慮がちでさえあった。知識人の間では、“ソヴィエト水爆の父”と彼が言われていると言ってみた。「本当ですか。こうしたプロジェクトに共同設計者がいないことはありえませんし、少なくても、三人の物理学者はソヴィエト水爆の父と呼べるはずです」とサハロフは答えた。(続く)
5月21日(月)
“日本全島希望、ロシア一島も返さず”(完)
-STRANA.RU、5月15日、ドミトリ・ゴルノスタエフ)
ロシアは日本と対話継続の意向であるが、あらゆる点から見て、重点は領土問題ではなく、一体として検討されてはいるが、平和条約調印問題である。こうした結論は、日本新首相のロシア大統領宛親書をロシア外務大臣に渡した日本国会議員代表団と会談し、そこでのロシア外務大臣イゴリ・イワノフの発言から導き出すことができる。イワノフ発言によると、プ−チン大統領と当時の森首相との三月イルク−ツク会談で署名された共同声明は、「平和条約交渉の進展を確かなものにし、この問題に関し両国立場の接近させる上で現実的な一歩をなす」ものである。
アクセントに相違のあることは認めないわけにはいかないが、日本側は南クリルの帰属問題を常に言及し、ロシア政府は領土問題に触れることを故意に避け、少なくともこれについては出きる限り発言を少なくしようとしている。森元首相があたかもモスクワが四島中二島を日本に引き渡すことに合意したという、まったく無責任な発言すると直ちに、ロシア外務省は反応せざるえなかった。とは言え、イワノフ外相はすでに火曜日には再び落ち着きを取り戻し、従来の戦術に戻った。島のことはより少なく、平和条約のことはより多くである。
現在モスクワはイワノフ外相からプ−チン大統領に渡された小泉首相書簡を詳細に分析しなければならない。この作業が終わりはじめて、今後モスクワと東京の対話がどのように継続されるか、発言することができるだろう。首脳レベルの秘密交渉の内容をコメント(その上、明らかにされているところでは、不正確)し出した森元首相のあまりまともでない行動は、これに関し東京はまだ政策が定まっていない、そうした印象をロシア首脳部に与えることになった。すくなくとも、イワノフ外相は「組閣後日本側が準備できしだい、我々は対話継続する意向である」と表明し、このことを明らかに示唆していた。同時に同外相は日本の新内閣と始まったばかりの対話コンテキストからモスクワに都合のよい部分だけを取り出し、「プ-チン大統領と日本新首相小泉純一郎と電話会談で日本側はロシアとの関係ではここ数年の方針継続性を確認した」、このことに満足の意を表明した。
参考までに、前夜イワノフ外相は南クリル四島のうち、二島を別個検討することにあたかもモスクワが合意したかのような、森発言を個人的に否定したことを指摘しておく。「新たにいかなる交渉スキムを出来ていない」と、月曜日に三月日露会談結果をコメントする中で外相は発言した。
実はこのことは、東京の首脳、つまり小泉首相と田中外相の発言も裏付けている。この発言内容は、これまでの立場を確認するのもで、四島一括協議である。ちなみにこの立場はまったく正反対な理由ではあるが、ロシア側もとっている。大雑把に言えば、東京は四島を欲し、モスクワは一島も与えたくないということである。
あらゆる点から見て、新しい日本政府のこうした政策の確認により、平和条約締結と四島帰属というきわどい問題の対話は、いつまでも続くことになるだろう。全島一括要求をはっきり言明したことは、新政府はおそらく、その実現が不可能であると認識しているからであろう。おそらく、これこそがまさにこの問題にたいし最も現実的対応であり、日本の冷静な政治家は、ロシアから島を取り戻すという課題は現実には不可能であると理解しているからである。だがこの問題を永遠に解決しないというわけにはいかない。ある意味では、モスクワとの対話継続そのものにより、誰か政治得点をあげるチャンスがあるかもしれない。人気を失い、首相の座を追われた失脚者森氏は、ロシア側に譲歩させ、彼が進展させたと誇示しようとしたのかもしれない。しかしこれはよくある自画自賛であった。
5月18日(金)
“北方四島、ロシア著名人見解”(完)
-発言者:レオニド・スルツキイ(国会国際問題委員会副委員長)、ミハイル・チュラキ
(サンクト・ペテルブルグ作家同盟議長)、セルゲイ・アルトボレフスキ−(ロシア科学アカデミ−地理研究所部長)、イオナ・アンドロノフ(国際ジャ−ナリスト)、ヴィクトル・ヴォイテンコ(国会北方及び極東問題委員会副委員長)、ミハイル・クラエフ(ロシア作家同盟共同議長(サンクト・ペテルブルグ))、ミハイル・トレチャコフ(プラウダ紙副編集長)、(IMA-PRESS、5月14日)
レオニド・スルツキイ(国会国際問題委員会副委員長):
こうした発言(森発言)はほとんどの場合、日本の政治リ−ダが何らかの内政目的で願望を現実に見せたい、そうした試みであります。モスクワから“承諾”を得たと発言することは秘密にせよ、公にせよ、若干時期尚早です。こうした決定をするためには、時間が必要です。と言うのも大統領は一刀両断に単独でこの決定をすることは出来ません。大統領は世論をまじえて、広く検討する必要があります。それにここで最大に重要なのは国会です。国会では今現在、ひとつの結論を出す状態にありません。と言うのも、問題はきわめて多面的であり、客観的なアプロ−チが求められます。しかしながら、何人もの議員にこの諸島問題に関し、きわめてはっきりした立場をもっていることも注目すべきです。
ミハイル・チュラキ(サンクト・ペテルブルグ作家同盟議長)
プ−チン時代に日本人は島を得ることはないでしょう。彼は政治信条により、この問題を解決できないかもしれない。大統領自身、“ロシアの領土保全”というスロ−ガンを宣言している。日本人が四島返還を主張すれば、両国間には結局、平和条約が締結されないことになる。
セルゲイ・アルトボレフスキ−(ロシア科学アカデミ−地理研究所部長):
これは、プ−チンがどの程度の期間、大統領ポストにいるか、それにかかっています。今後四年間はおそらく実現しないだろう。いくつかの理由があります。その最大なものは、チェチェン問題とわが国の困窮にあります。さらに世論の反対意見には、わが国は戦争で日本を打ち破り勝利したのに、悲惨な状態にある事実も影響しています。全体から見て、世界では何もかも繰り返されています。イタリアにファシストが登場しましたが、これは第一次世界大戦の敗北と経済困窮と結びついたもの、そうしたこと想起してみてください。ドイツでも同じような理由でファシズムが台頭しました。四島には多くの石油ガスがありますが、日本人はそれを残す意向だと言われています。そうなるとスピッツベルゲンのようなことになります。これはノルウエ−の島ですが、そこでわが国は欲しいだけ、石炭を採掘しています。だから日本人には地下資源も、魚も重要でないのです。と言うのは、大きくはいないが、日本には同じような絶対的な制約があるのです。標準的でない状況の場合、例えば共同主権のような不可解な決定を模索すべきだと、常々考えていました。しかしこのためには、おそらく標準的でない指針が必要なのですが、双方ともこれはきわめて平凡です。
イオナ・アンドロノフ(国際ジャ−ナリスト):
この問題に関し、私の立場は長いこと変わっていません。まだ国会国際問題委員会副委員長であった頃、クリル諸島を日本に返還させないように、きわめて積極的な行動をとりました。私は国家秘密を漏らしたかどで嫌疑をかけられました。と言うのも、私が入手した三段階方式の島返還覚書を公表したからです。これには、ロシア側から外務大臣コズイレフと私直属の上司、委員会委員長ル−キンの署名がありました。しかし今は残念ながら、何も現実的なことはできません。国益と一致しない決定が下されれば、遺憾なことです。わが国はこれらを島を日本にたいする反ファシズム戦争の結果、手に入れたのです。これは日本に守る義務のあるポツダム会談の文書に記載されています。ロシアに対し、現在存在するあらゆるその他の領土要求や経済と軍の弱体を考えると、わが国がこれら島を失うようなことがけしてあってはならない。もしわが国が領土の一部をもぎ取ろうとする者に譲歩しはじめたら、問題はクリルだけではすまなくなる。
ヴィクトル・ヴォイテンコ(国会北方及び極東問題委員会副委員長)
日本との平和条約は、様々な論争点があろうとも、いずれにしても締結する必要があります。個人的な見解ですが、わが国の島はわが国の島として残すべきだと考えます。それにこれは私の人気取りではありません。わが国にどんなメリットがあり、デメリットがあるか検討する必要があります。たとえば、経済的に見れば、水産物採取では大きな損失を被るかもしれませんし、戦略的に見ると、安全保障の面で若干の弱所を作り出すことになります。政府のはっきりとした計画を知りませんので、発言しずらいのですが、政府には勝手にこれら島を誰かに引き渡す権限はおそらくないと考えています。私の考えでは、こうした発言は一種の試金石で世論をさぐるものと思えます。最終的にとりわけ国の経済、政治利益に裏打ちされた健全な市民意識が大勢をしめることを期待しています。
ミハイル・クラエフ(ロシア作家同盟共同議長(サンクト・ペテルブルグ)):
こうしたことを看過したくない。わが国は、すでに多くのロシア領土を与えてきたので、どうにかしてこの動きに歯止めをかける必要があります。かつてわが国の土地を奪った多くのものに、“自分の世襲領地”返すつもりでいる。しかし、領土再分割は常に徒労であった。
ミハイル・トレチャコフ(プラウダ紙副編集長):
島の引渡しはきわめてよくない。自国の領土を軽んじてはいけない。また私の見解だが、現在南クリルを共同管理するという、きわめて正しい考えが存在する。これは経済的にメリットがあるし、かなり紛糾している平和条約問題解決に役立つかもしれない。日本人は平和条約が存在しないのだから、我々は戦争状態にあると考えているが、これはまったく正しくない。要するに東京は、この状況でプ−チンがどう出るか、たんに探りをいれているだけである。だが私の知るかぎり、ロシアがあたかも二島、別の情報筋だと三島を引き渡す用意があるとして森発言には今のところ何のリアクションも起こしていない。それで親愛なる隣人は事態に強力に拍車をかけている。
5月17日(木)
“経済神話、永久にあらず”
-大統領マクロ経済顧問、経済、文化について率直な感想-
(イズヴェスチヤ、5月16日、リュボフ・キジロヴァ)
先日国家統計委員会はロシアのインフレ率資料を公表した。四月期は1.8%であったが、今年四ヶ月間では9%で、国家予算で予定した数値を大幅に上回った。この問題やその他重要問題に関し、大統領マクロ経済顧問アンドレイ・イルラリオノフは、本紙記者インタビュ−で自己の見解を述べた。
-議会にたいする大統領教書のなかで、連邦予算を二つの部分から構成すると提案しています。経済が輸出価格に左右される他の諸国では、予算はどのように編成されていますか-
「商品輸出による収入が世界市況の大きな変動を受けやすい(特にこれは原料、農産物ですが)国では安定した基金を作る必要性があります。あらゆる賢明な経済活動体、まして封建的な農民でさえ、条件の良い年に備蓄し、条件の悪い年に利用する蓄えを用意するのは当たり前である。これは農民や個々の企業、部門あるいは地域に限らず、多くの国は著しく外部要因の作用に左右されています。
最初の安定基金の一つは、1960年クエイトに設立されました。その後約十カ国、ノルウエ−、ヴェネゼエラ、チリ、オマ−ン、パプア・ニュ−ギニアなどの国がこうした基金を設けるようになりました。この中の輸出国は石油だけでなく、銅、金その他原料品も輸出しています。一般に、安定化基金は不労所得の一部を徴収するやり方で作られます。とは言え、実際には様々なやり方があり、一つはロイヤリテイから徴収するやり方で、もう一つは全国家収入から徴収するやり方です。実際後者のやり方ですと、安定化基金は景気変動から国の経済を守ることはできません。
安定化機能をうまく働かせるためには、例えば十年間という長期間、いわゆる輸出品に仕切り価格を設け、それを超えると輸出所得が安定化基金に入るようにすることです。(続く)
5月16日(水)
“日本、森元首相発言、波風立てる”(完)
-南クリル運命について森氏発言、モスクワも東京も否定-
(独立新聞、5月15日、マリヤ・ベロゼルツエヴァ)
森元首相が“テレビ朝日”の番組で、その在任時モスクワと東京は南クリルの一部、色丹島と歯舞島の条件と、他の二島国後島と択捉島の今後について、分離協議で原則的合意したとする発言は、日出る国でも、ロシアでも波紋を広げている。森氏は、このような合意は広い視点にたって、今年三月イルク−ツクの両国会談時に達成されたもので、四月外務省欧州局東郷局長のモスクワ訪問時に具体的に正式な形となったと発言した。
予想される色丹島、歯舞島の引渡しには、様々な“追加問題”を解決する必要性が出てくるので、この領土に関する協議は両国の外務省レベルだけでなく、他の分野の専門家も参加させて行われるだろうと、辞職した政治家は補足した。
実際プ−チン・森会談当時、前もって用意された“イルク−ツク声明”が出されたが、その中身は1956年ソ日共同宣言の復活である。この共同宣言では、平和条約締結後色丹島と無人島の歯舞島を日本に引き渡す用意があると記載されている。国後島、択捉島については、平和条約の基づき交渉する予定であった。この共同宣言は、“平和条約締結交渉の基礎となる基本法的文書”として両国で評されていた。問題は数年前まで東京はこの宣言について、つまり千島諸島の分割引渡しの可能性について語ることを全面的に拒否していた。
イルク−ツク会談後、これは日露会談では今までよくあったことだが、双方は過ぎた交渉を各々自己流に解釈し、帰国した。イルク−ツクでウラジ−ミル・プ−チンが認めたように、1956年宣言の“解釈統一”のため、“両国専門家の作業”が必要である。しかし、二島引渡し条件と国後択捉島の運命について、分離協議とかいうことを行う合意は記録されてない、これはまったくその通りである。
森首相後継者、小泉純一郎も自分の前任者に反論し、“北方領土”全島一括して日本に引き渡す要求という、東京の従来方針を放棄することはあり得ないと表明した。
かくして騒動とはならなかった。森氏は外交だけでなく内政でも不可解な発言癖があると日本では周知のことだが、とりわけそれで自分の権威を急速になくし、首相の座を失った。
同氏の発言に関し、ロシア外務省は「ロシア外交では首脳レベルの内密の話し合い内容は公にはコメントしないことになっている」と具体的に指摘している。
クリル諸島引渡しに関するモスクワと東京の交渉は別の問題である。これまで署名した声明や宣言の細部や相反する解釈を整理するには、数世代かかるかもしれない。ロシア外務省の発言によると、しかるべき協議は所定の時期に実施されるだろう。本紙クレムリン取材源によると、現在「日本にクリル諸島を分割引渡しするという、いかなる交渉もなかったし、そうした交渉はしていない」。森発言に立脚する日本マスコミ報道に関し、クレムリン筋は「願望を現実のものと見せようとしている」と、こうした発言を評している。ロシア外務次官アレクサンドル・ロシュコフは、「ロシアはこの問題に関し日本で起きている論争を、興味をもって眺めているが、この問題に異なる意見があることに注目している」と述べた。
何故に森氏は誰も発言しようとしない、こうした“重大”発言をする必要があったのか。ある評論家は日本の内政にあるとしているが、別の評論家はロシア大統領に小泉首相の親書を届けた日本代表団のモスクワ訪問と結び付けている。
親書は日露友好議員連盟会長、元大臣、衆議院議員三塚博氏がモスクワに届けた。親書のなかで、小泉首相はロシア大統領とのできるだけ早い時期の会談と、様々な分野における二国関係今後の発展、とりわけ全四島帰属問題を解決して“平和条約の早期調印”にたいし、希望を表明している。三塚博氏とロシア外務大臣との会談は本日予定している。モスクワでは、クリル問題だけでなく、日露の対話が継続することを望んでいる。対話が“穏やかで建設的な調子、両国関係全体を広く前向きに発展させる雰囲気”で行われるならば、実り在るものとなるにちがいない。
5月15日(火)
“ソ連共産党、10年後の黄金の行方”(完)
-どうして、“新興”ロシア資本家は共産党に資金援助するのか-
(モスコフスキイエ・ノ−ヴォスチ、5月1日〜14日号、セルゲイ・ソコロフ、セルゲイ・プルジニコフ)
党の資金問題など過去のものとなったと、一見思われるかもしれない。当時あまりにも膨大な資金が流出したので、共産党中央委員会の資金流れには注目する価値はなかった。しかし、まさにこの資金源からロシア新興実業界の歴史が始まったこと、それが問題なのである。髭のマルクス流に最初の資本蓄積の歴史を解明すると、ぴかぴかの政治家や財界巨頭たちの今日の世界がよく分かるようになるだろう。
殉教史
1991年8月26日、ソ連共産党中央委員会総務部長ニコライ・クルチナは自宅のバルコニ−から飛び降りた。遺書を残してあった。「私は共犯ではないが、臆病である。どうか、このことを国民に伝えてほしい」 机の椅子には、数年間にわたるソ連共産党の非合法営利行為に関する詳細な資料となる書類ファイルが置かれていた。
10月6日、クルチナの前任者、81歳のゲオルギ−・パヴロフが自宅窓から飛び降りた。窓からのこの行為について、捜査では自殺以外のものは出てこなかった。
10月17日、ソ連共産党中央委員会国際部元米国課長ドミトリ−・リソヴォリクが、リザ・チャイキナ通りにあるマンション12階バルコニ−から“この世を去った”。個人の自宅を捜査したが、いかなる書類も遺書も発見されなかった。
1992年冬、自宅玄関入口で連発銃の四発の銃撃で“プロフバンク”頭取アレクサンドル・ペトロフが殺害された。同銀行はソ連共産党の資金で設立されたものであった。
1994年11月8日、元諜報員、雑誌[ソ連邦]の有名なカメラマン、ユ−リ・コロレフが殺害された。死の直前、彼は拷問を受けていた。
1996年12月22日、ミンスク近郊都市、サモフバロヴィチで立派に成功した実業家となった元KGB大佐レオニド・クチェルクの死体が発見された。レオニド・クチェルクは雑誌「ソ連邦」に属し、メキシコで勤務していた。コロレフをよく知っていた。さらにレオニド・クチェルクはフランスの会社に資金を渡すある任務の責任者であった。死に前、彼は拷問を受けていた。
1997年2月25日、コロレフとクチェルクの同僚、元KGB職員、雑誌「ビジネスマン」副責任者、ヴァデイム・オシポヴェチがノヴォレス通りのガレ−ジで拷問の跡のある死体で発見された。
彼らにはどんな恨みの秘密があったのだろうか。90年代はじめ、彼らは誰のおかげで突然裕福になったのだろうか。そして誰が彼らに血による清算を求めたのか。
ソ連共産党に対する個人の義務
ロシア最高検察庁の古文書に、“ソ連共産党中央委員会財政活動”にまつわる事件ファイル200冊が保管されている。このファイルの中に、“新興”ロシアノ−メンクラトウ−ラ最初の資本蓄積の足取りが記載されている。しかし、細部は従来通り、閲覧できない。ファイルには“極秘”のスタンプが押されている。言うまでもなく、ロシア実業界の全てが、ノ−メンクラトウ−ラのマントの中から生まれたわけではないが、しかし共産党が真っ先に威張りだした。まさにこうした結論に、“党の黄金のまつわる虚構”をこの十年間調査し、達したのである。かつて我々の手元には、きわめて美文調の文書の典型があった。“ソ連共産党に対する個人の義務”
「私、 は、( 年よりソ連共産党員で党員証 )党の代理人となり、代人制度に己が属することを公にせず、いかなる地位、いかなる状況においても、党が委ねた任務を遂行する自覚的、自発的決意を確認する。私に委ねられた財政資金と資財を保管し、党のために利用する義務があり、その返却は請求があり次第、いかなる場所でも、いかなる時でも保証する。私に委ねられた情報の極秘性を守り、権限者から伝えられた党務の遂行を約束する。ソ連共産党員の署名 宣誓者の署名
」
最高検の取調官は署名までは発見できなかった。おそらく、それらは1991年8月のある日、シュレッタ−にかけられたか、それとも西側のある銀行に賢明に保管しているのかもしれない。足取りが消えないうちに、“影の党経済”“代父”の一人、KGB第一管理局大佐レオニド・ヴェセロフスキ−に尋問することだけはできた。大佐は最高検にたいし、その活動についてきわめて率直な報告書を提出した。
1991年9月7日付け、ヴェセロフスキ−報告書の抜粋:
「1990年11月、ソ連共産党指導部(イワシコとクルチナ)の依頼により機関の決定(クリュチコフとボプコフ)で私は第一管理局からソ連共産党中央委員会総務部に異動した。クルチナは、経済活動を組織する、そうした重要問題は彼がその誠実さをけして疑うことのなかった機関職員のみ委ねることができると考えていた。
ソ連共産党中央委員会総務部の私の活動について、ボプコフに定期的に報告することになっていた.....」
今では八年生の生徒は誰しも市場経済とはなにか知っているが、当時分かりきった真理に立ち、ガイダ−ルやアヴェンのように抜擢された諜報機関の職員や博識の“実験室長”が出世した。最近、“ソ連共産党事件”調査グル−プの元責任者で、現在最高検のある部署の責任者セルゲイ・アルストフが我々に語ったところによると、「ヴェセロフスキ−は本当の意味では何も発明していなかった。ただ90年、つまりまだ社会主義であった頃、ソ連共産党中央委員会総務部のために市場経済を導入しただけである。つまり、契約を結び、金を移動させ、自分達の人間を根付かせたのである.....」
“党資産の維持と有効利用追加措置”というL.ヴェセロフスキ−の分析メモを引用する。「....会計書類に記載されている資金は公共団体、社会団体、あるいは慈善団体だけに公に投資することができるが、それは将来回収するのが厄介である」
N.Eクルチナ宛の別の分析メモでは「N.Eへ!もしやるとすれば、KGBとしか組まないが、海外に会社組織網を作るという秘密提案がなされている」
「話は、ゆるい税法のある資本主義国の一つ、例えばスイスに株式会社を設立することである。その後直ちに、ソ連内に合弁会社を設立する......」
党首脳部の中で特に厚遇されたのが、ヴォリスキ−の産学同盟とそのコンツエルン「シマコ“であった。彼らは多額の助成金を受け取り、軍需産業を介して、対ドル1.8ル−ブルのレ−トでル−ブルを外貨に交換していた。ここで産学同盟と”シマコ“を積極的に支援したのが、首相パヴロフであった。総務部に”シマコ“が武器、軍用装備に取引やあやしい取引に関与しているとの知らせが入り、わたしはこの事をグルシコとクリュチコフに報告した。しかし、どのような措置もとられなかった」
PGU将校ヴェセロフスキ−を送り込んだ1991年春、ほぼ同時にソヴィエト百万長者の典型的なファミリ−が誕生した。ソ連共産党はそこに総額4億ル−ブルを委ねた。その結果、科学生産公団“カウチュク”の生産管理技術部長M.N.ホチムスキ−は、ヴェセロフスキ−の親しい知己だが、小企業「ガラクチク」、有限会社「ジョブルス」、「ホ−ルデイング LTD」、モスクワ公営協会という四つの会社の責任者となった。彼の妻、M.A.ホチムスカヤは、「ガラクチク」の発起人となった。しかし最も好奇心をそそるのが、このファミリ−最大の会社社長には、KGB大佐グレベンシコフがなったことである。彼は機関を退職したにもかかわらず、ピストルと有効な勤務証明書を携帯していたことが分かった。
十年後、我々はこうした法人のモスクワ本部に立ち寄ってみた。全員あいかわらず繁栄していた。おそらくホチムスキ−は党資金をうまく扱うことができたにちがいない。ところで合弁会社設立についてヴェセロフスキ−大佐の遺言によると、「ジョブルス」社共同発起人には、露伊英合弁会社「コミング LTD」と「AIC インタ−ナショナル・イステブリッシュメント」社の名が載っている。現在、元(あるいは現)党代理人は重要で有益な活動をしている。「投資計画を作り、投資の流れを組織し、引き連れてきている」 つまり、当時持ち出したものをロシアに投資しているのだろうか。だがヴェセロフスキ−大佐本人はだいぶ以前からロシアには住んでいないし、彼の足跡はボリス・ビルシュテインの会社スイス支社を退職した後、途絶えている。
新興財閥製造工場
ある日、“ロシアンル−レット”で勝った幸運な企業家ホチムスキ−の足跡はきわめて特殊ではあるが、典型的でもある。彼の仕事での栄達は手にとるように分かる。グシンスキ−、スモレンスキ−、ホドルコフスキ−、ポタ−ニンのようなロシア財界巨頭とは異なる。それでも別の観点から見ると、調査資料ではソ連共産党中央委員会総務部は八月ク-デタ-までに、100以上の会社、銀行を設立し、価値あるソ連時代ル−ブル、30億ル−ブルを初期資本として彼らにうまく分配した。この金額はドル換算すれば、25億ドル以上である。ホチムスキ−たちは、こうした資金をどんな義務と引き換えに貰ったのだろうか。もちろん、すべてがこのように単純ではないが、しかしこの観点からわが国新興財閥の突然の出現を検討してみる。
ウラジ−ミル・グシンスキ−は、現在失脚中であるが、1986年詐欺事件50464に関わったことがあった。知人弁護士から車代金として8千ル−ブル受け取ったが、車を渡さなかった。彼はトウ−ラ市で舞台監督、白タクのアルバイト稼ぎ、婦人用アクセサリ−や金属ガレ−ジ製造協同組合などをしていた。しかし、1989年突然、事実上国内大手銀行の十本指に入る“モストバンク”の頭取になった。1992年、KGB副長官フィリップ・ボブコフがグシンスキ−のところで勤め始めた。
ウラジ−ミル・ポタ−ニンは1990年まで全ソ対外貿易公団「ソユ−ズプロムエクスポルト」の主任技師で、また労働組合とコムソモ−ルの幹部であった。1990年、対外貿易省次官の支援で、対外経済協会「インテルロス」を設立した。これは後の「オネクシムバンク」の発端であり、ここには漸次、ソ連対外貿易銀行の主なメンバ−全員が移動した。
ミハイル・ホドルコフスキ−は1986年、コムソモ−ルの後押しで科学技術プログラム部門別センタ−「メナテプ」を設立した。そこでコンピュ−タの売買をした。二年後、協同組合銀行を登記した。ソ連共産党書記長ゴルバチョフ直接の許可をもらい、チェルノブイル原発事故処理にための資金が「メネテプ」を通して流れた。1990年はじめ、ソ連共産党中央委員会総務部の特別の指示で、ホドルコフスキ−の組織を介して、党資金の変換が行われた。
代理人とはいったい何者なのだろうか。無論のこと、グシンスキ−やポタ−ニンが誰かに何らかの一筆を入れたことはないだろうが、見方を変えれば、こうした人物は旧ソヴィエトノ−メンクラトウ−ラにとって都合のいい存在であった。急激な改革と変革の結果権力に就いた人物について、誰しも深く考えたことがないかもしれない。しかし、最後列の者がトップになったではないか。他のものが論争している間に、トップのものは慎重にその後継者を探し回っていた。
四年毎に政権党は(二度エリツイン、今のところ一度プ−チン)「共産主義は許さない!」をスロ−ガンに大統領選に勝ち抜いている。だが同時に、他ならぬ「カメルサンツ」紙は1997年、「1996年選挙でゲンナジ・ジュガノフの資金援助に“モストバンク”、“メネテプ”、“SBS-アグロ”銀行、オネクシム銀行、さらにボリス・ベレゾフスキ−のグル−プまでが関わった」と、平然と断定していた。銀行は当然、こうした活動を公にしていない。しかし、「最新号コメルサントで一日をはじめよう」という、「コメルサンツ」紙のまさにその宣伝をあきらかに自己流に解釈している人々にロシア新興財閥が資金援助している、こうしたことは何がさせているのだろうか。
この冬モスクワに元国際部部長、ソ連共産党書記、ベリヤ、フルショフ、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフなどの顧問、ヴァレンチン・ファリンがドイツから短期間訪れた。90年代初めロシアでは彼は安心して暮らすことができず、かつてのドイツ反体制活動家の一人がその研究所で彼をかくまっていた。
そこでファリンはこうした銀行の慈善欲求を我々にたいし穏やかに解説してくれた。「新興財閥について言えば、ボリシェヴィキは大企業、銀行、貴族から多額の支援金を貰っていた。オボレンスキ−公爵は百万ル−ブル、銀行家ルイバコフは数百万ル−ブル、モロゾフは10万ル−ブルを遺贈し、それまでにも十万ル−ブル単位で寄付していた。多くのものは今日、社会的に釣り合いのとれた社会を作らなければ、ロシアは動乱から抜け出せない、こうした泥沼から這い出すことはできないと、理解している」
同じテ−マで我々はソヴィエトビジネスマン草分け的存在の一人、「ノルデクス」社社長グリゴリ・ルチャンスキ−、90年代初め多くの新聞紙上を騒がせたヒ−ロと話してみた。ルチャンスキ−は多くのいかがわしい行為で実際嫌疑をかけられていたが、共産党資金援助で起訴されるまでにはいたらなかった。ルチャンスキ−は、ヴァレンチン・ファリンと異なり、ロシア共産党指導部と財界の協力にはもっと重い理由があると見ている。特に彼は、どのようにしてジュガノフの右腕、ヴァレンチン・クプツオフがペルミの実業家ドミトリ・ルイボロヴレフの利益擁護ロ−ビ−活動のため、“ガスプロム”経営陣に入ったか、回想した。「どう見ても、各々の問題のロビ−活動は、商業ベ−スのものだ。その他の意味がありますか。ここではいかるなイデオロギ−も存在しない。だからいかがわしい評判の実業家ルイボロヴレフの利益をロシア共産党リ−ダたちは擁護している。ルイボロヴレフは共産主義の立場に立つものではないと、確信している。ここに存在するのは商取引だけだ。その他のものはない」
ビジネスマン、前進!
かつてマルクス・レ−ニン主義が繁栄した頃、社会主義と資本主義は一体化するというコンバ−ジェンス理論のため、リスクを犯し説いた向こう見ずな右派偏向主義者が存在した。ロシア共産党今日の名簿がはっきり証明するものは、ブハ−リン、カ−メネフ、ジノビイエフの歪められた亡霊が国会の夜の廊下を頻繁に徘徊していることである。何の思想もないのに、共産党の名簿だと、数十人の実業家が国会議員になっている。“アリバ・アリヤンス”銀行頭取イ−ゴリ・アンネスキ−、“進歩と刷新”財団理事長セルゲイ・ゾロチリン、石油ガス会社“VNIIST”社長リフラト・シャリコフ、ビジネスセンタ−総支配人代理エフゲニ−・マルチェンコ、実業家ニコライ・ダイヘスなどである。“アヴァンガルド”銀行頭取キリル・ミノヴァノフのような他の者は、影響力のある政党との“コンバ−ジェンス”では他の形態を選択している。ミノヴァロフは控えめに、ゲンナジイ・セレズネフの経済問題顧問となっている。
これに関し、真の“赤い財閥巨頭”ヴィクトル・ヴィジマノフの例には興味をひかれる。一面では彼は「ロスアグロプロムストロイ」と「ロスアグロプロムストロイバンク」の社長であり、もう一面ではロシア共産党の事実上正式のスポンサ−であり、ロシア共産党幹部会員である。連邦調査局FLBの資料によると、ロシア内務省のある局にヴィジマノフの会社資金不正利用の関する膨大な資料がある。しかし、その閲覧は許されていない。ただ積み上げられている。我々に分かったことは、ただ“チェチェン共和国の経済と社会分野復旧”向けに1995年連邦予算から拠出された資金に関し、会計検査院の検査資料だけである。これには、“赤い財界巨頭”の会社がよく出てくる。1995年、ヴィジマノフの各社を通して、約7000億ル−ブルあるいは、1億5千万ドルの国家予算金が流れた。特に会計検査院検査官は、ロシア共産党最良の友による建設工事は他の建設業者と比較すると、30.8%も国家にとって高いものであることを明らかにした。
我々はヴィクトル・ヴィジマノフと何度となく会った。彼は無論のこと、国の掠奪について心痛のおもいで語り、そのあげく民族指向企業家が出現し、ロシア共産党の思想を抱き、党員証をもっていると述べた。しかし、“赤い財閥巨頭”と他ならぬベレゾフスキ−やホドルコフスキ−、スモレンスキ−、ヴィクトル・ミハイロヴィッチとどこが違うのか、その説明はヴィクトル・ヴィジマノフは結局することができなかった。独特のきまりのあるロシア財界であるが、いずれも同じ血族である。皆同じように、“祖国の倉庫”に勝手に関わっている。
ロシア共産党は国会の各会議で事実上問題のけりをつけている。立法活動は議員にとって造幣機となってことに、最早誰も驚くことはない。時折、クレムリンはこづかい欲しさの共産党野党勢力にうんざりするが、そうなるとジュガノフは眉をひそめ、弾劾要求か“内閣不信任”で恫喝しはじめる。
全体として見れば、コンバ−ジェンスは成功した。その端緒は10年前、ソ連共産党中央委員会の建物にあったKGB大佐レオニド・ヴェセロフスキ−のメモから始まった。ヴェセロフスキ−は一つだけ誤りをした。今ではいかなる秘密結社の誓いも“党代理人”の秘密サインも必要ない。誰しもそうしたものがなくても、一言で理解しあっている。国のパイを分配する時、社会的釣り合いの取れた社会はうまく機能している。言うまでもなく、全ての面でソ連共産党中央委員会の“初期資金”25億ドルが決定的役割をはたしたわけではないが、しかしまさにそこから、ロシアビジネスの“闇経済”が始まったのも事実である。
5月9日(水)
“京都宣言の制限”(完)
-大気汚染割当量を売ると、300億ドル豊かになる)
(独立新聞、5月5日、オレグ・ミリュコフ)
最近、元環境大臣、現在国際環境政治大学総長ヴィクトル・ダニロフ・ダニリヤンは、窒素酸化物、メタン、二酸化炭素等の温室効果ガスを大量に排出する火力発電所が主な原因である、地球温暖化問題について警告した。しかし、同氏はこれでビジネスをやる、つまり大気汚染割当量の取引を呼びかけている。
国連はいわゆる京都議定書にしたがい、先進国に温室効果ガス排出低下基準を設定した。ロシアにとってはこの基準はミニマムである。と言うのも、経済の凋落により産業排出ガスが急激に減少したからである。その結果、制限枠の範囲内において自国割当量で“商売”できる可能性が出てきた。
たしかに温室効果ガスは“その国”上空に滞留せず、地球全体に分散する。したがって、ロシアの発電所は老朽化した設備を近代化さえすれば十分であり、そうすれば有害ガス排出量は、国連基準値を大きく下回るはずである。こうすれば、西側諸国があらゆる手をつくし、ただでさえ最低量の排出ガスしか出さない最新設備を交換するよりは、はるかに安上がりである。それ故、ダニロフ・ダニリヤンはフリ−の割当量と引き換えに、わが国は最新の設備が手に入ると考えている。
最終的にロシアのおかげで、多くの国は国連プログラムを履行できるかもしれないし、わが国は設備と最新技術を供与される形で少なくとも300億ドル手に入るはずである。
元環境大臣と話した後、“モスエネルゴ”社長、アレクサンドル・レメゾフのところにいき、先進諸国がわが国電力システムを無償で近代化するつもりがある、これがどの程度現実味があるのか、京都議定書の条項についてコメントを求めた。この考えに“モスエネルゴ”はさっそく飛びつくはずだと思われた。と言うのもこの企業は、“ロシア総合電力システム”の電力の10%を生産している大企業であり、同時に温室効果ガスの最大発生源でもあるからだ。
「京都議定書についてはきわめて多く意見の対立があります。さらに全ての国がこれに参加しているわけではけしてありません。しかしロシアはこの議定書に署名しました。したがってわが国はこのテ−マで日本と交渉しようとしました。考え方についての話し合いの段階では、双方とも全ての点で一致しました。しかし問題が取り決めの具体的細部に及ぶやいなや、真剣な話し合いは全て台無しとなり、最早いかなる無償問題も話題になっていません。そうしたことで、わが国は外国のパ−トナ−に期待していませんし、何もかも自力でやっています。そして我々の成功は、自力でも対処できることを物語っています」と、“モスエネルゴ”社長は述べた。
温室効果ガスの排出は使用する電力設備の効率と大きく関係している。設備効率が低ければひくいほど、設計出力確保の燃料消費が多くなり、当然より多く排出ガスが大気に流出する。“モスエネルゴ”は現在、空を煤だらけにするカシ−ラ発電所やシャトウ−ラ発電所のような最も老朽化した発電所の改修工事に着手した。エレクトロスタリ市では高省エネ、高効率のガスタ−ビン装置が稼動開始している。こうしたガスタ−ビン装置はジュコフスキ−市やヒムキ市でも導入される予定。ザゴルスク揚水式発電所は拡張していますし、最新発電機三台がセエヴェル発電所に設置される予定である。このように西側プロジェクトと何の関係も持たずに、同社は温室効果に因む最重要の環境問題を効果的に解決している。
しかし、別の緊急課題も存在する。化学博士、モスクワ大学教授、科学産業公団「ウニヒムテク」総裁ヴィクトル・アヴデエフは、電力企業は大気汚染物質総排出量で57%という最大排出をしていると見なしている。数量で二位を占めるのは自動車交通で、これはモスクワ地域では特に過密状態になっている。
それでも、電力企業が絶え間なく、明確な目標をもち、この環境問題に取り組まなかったなら、事態はずっと悪化していたろう。そのことについて、特にアレクサンドル・レメゾフは「“モスエネルゴ”は大気有害物質の排出量を計画的に削減しています。この三年間でわが社は、燃料燃焼構造を変えずに排出量を三分の一まで低減しました。明るさ、暖かさ、きれいな空気、これが我が電力会社の実際のスロ−ガンです」
首都の大気及び水環境保護をモスクワ市が承認した“2010年までの電力分野の環境対策プログラム”を指針に、“モスエネルゴ”は実施している。このプログラム実行には、市のいくつかの研究所、大学、大手企業も参加している。その結果、早くも20年間でモスクワの電力システムでは、大気汚染排出ガス量は継続的に低下している。無論、モスクワの大気浄化に発電所の燃料を天然ガスに切り替えたことも相当貢献している。今日、モスクワの熱電併給発電所で天然ガスの比重は96〜97%である。
電力企業にとって大きな手助けとなっているのが、最新技術と最先端設備である。例えば、セエヴェル熱電併給発電所27をめぐり、排煙から窒素酸化物を触媒除去するデンマ−ク製システムが導入されるまでは、問題が紛糾していた。現在、セエヴェル熱電併給発電所は最も高い世界の環境基準を満たしている。例えば、セエヴェル熱電併給発電所の排水中塩含有量は、基準値1000mg/lにたいし、300〜580mg/lである。
ところが、環境問題がまた電力企業に起こるかもしれず、これにたいし電力企業は態勢をとっている。同社技師長イ−ゴリ・ゴリュノフの評価だと、消費電力の年間伸び率は現在、3〜4%である。だがこれを天然ガスで賄うことはできず、この燃料割当ては厳しく定められており、資源に制限があるので増加はできない。“モスエネルゴ”の専門家は新しい燃料を探しており、その中で泥炭に注目している。しかし、この利用は首都から遠く離れたシャトウ−ラ発電所の予定でいる。同市のいくつかの発電所は、石炭や重油に切り替えることになり、これは浄化施設についてきわめて深刻な懸念が出てくるだろう。
ヴィクトル・アヴデエフ教授は、電力企業の浄水問題解決には満足している。飲料水レベル水使用量を30%削減し、水消費量の削減とその再利用の総合対策を実施している。水の浄化と利用には、イオン交換樹脂、磁気処理、電気透析、逆浸透方式が利用されている。
エンジニアは電力設備製造で用いられる有害物質の排除にも努力している。とりわけ、発ガン性石綿を環境的に安全な最新の材料に積極的の交換している。例えば、こうした材料には、シ−ル材として広く利用され始めたグラファイトもある。
言い方を換えれば、“モスエネルゴ”にはあらゆる科学的、工学的問題をきわめて有効に解決する能力があるということだ。しかし、環境問題に完全に取り組むには、これまで資金不足が足枷になっていた。そのほぼ半分がかなり消耗している老朽化した設備の完全交換には、数十億ドルが必要である。消費電力にたいする慢性的未払いにより、“モスエネルゴ”の技師は、低コスト方法に重点を置かざるえない。
現在電力企業は、国内からも、きわめて有望である、国外からも投資資金導入に期待する時期が来たと考えている。そうなれば、必要な資金が出来て、困難な環境問題全体が迅速かつ効率的に解決できるだろう。
5月7日(月)
“平和な宇宙での”冷戦“”(完)
(独立新聞、5月4日、ユ−リ・カラシ)
史上初の宇宙観光客、米国人デンニス・チト−の宇宙飛行は終わりに近づいている。宇宙ステ−ション滞在残り二日間がこれまでの七日間同様に順調に行けば、国際宇宙ステ−ションを商業利用するロシアの実験は成功したと、断言できるかもしれない。
如何せん、そうした楽観的結論はこの宇宙飛行そのもの限ることで、チト−ミッションの直接の成果を多分にぼやかすおそれのある、政治的影響については言えない。国際宇宙ステ−ションではロシアの最大パ−トナ−である米国は、宇宙ステ−ションに同国人が訪問したことに著しい不満を表明した。
まだ今年2月、米国議会科学委員会(NASAの活動を監督する)の新委員長シェルヴド・ボラ−トは、最初の一般演説で“宇宙に飛び立つため、2千万ドル支払った同胞に関し、大きな気持ちの高まり”を覚えないと発言し、わが国にこうした用意があるとは思わない、と力説した。
若干遅れて、同委員会の民主党少数派代表パリフ・ホ−ルもボラ−トの意見に同調した。「納税者にとって数十億ドルにもついた宇宙ステ−ションに、宇宙に飛び立ちたいという個人的願望を満足させる目的だけで、民間人が与えるこうしたリスクを犯すことを正しいと認めるわけにはいかない。ステ−ションを組み立てれば、娯楽の時間がくるのではなく、訓練をうけた宇宙飛行士だけが訪問できる、運転の期間が到来する」とホ−ルは述べている。ホ−ルから見れば、チト−氏の宇宙飛行は“宇宙ステ−ションの能力利用にたいする重大な違反”となる。
チト−氏打ち上げが近づくにつれ、米国議員のト−ンはますます激しくなった。「ロシアはひいきめに見ても、国際宇宙ステ−ションプログラム参加国にたいし、自国の義務をまっとうする当たり前の能力を示しただけである。一時、同プログラム参加国が望まない人間を乗組員に加えたことで、ロシアは出来の悪いパ−トナ−ぶりをあらためて見せつけた。おそらく、NASAはロシアのごり押し(チト−氏を宇宙ステ−ションに送ること)に折れるだろうが、しかしこれは宇宙飛行そのものに賛同したからではなく、それを食い止められないというだけのことである」と、同委員会の共和党代表デイヴ・ヴェルドンは語っている。
ところが、チト−氏打ち上げ直前、もっとも厳しい発言が“議事堂”から出てきた。4月25日、NASA予算編成に関与している上院予算割当小委員会委員長クリストファ・ボンドが同機関責任者ダリエル・ゴ−ドンに激しい非難を浴びせた。その語調からして冷戦の端緒をひらいた英国首相チャ−チル演説を彷彿させる公式発言で、ボンドはチト−氏宇宙飛行に賛同するNASAの決定を“降伏”だときめつけた。
ボンドの意見では、“この飛行はすでにぐらついた国際宇宙ステ−ションプログラムの権威をますます失墜させ”、“世界規模の実験場として国際宇宙ステ−ションを侮辱し”、”乗組員の生命を不当なリスクに晒す“ばかりか、”国際宇宙ステ−ションプログラムパ−トナ−としてロシアの能力に大きな懸念を抱かせる“ものとしている。チト−氏を宇宙に送り込んだロシアの行為をボンドは”米国人全体を侮辱“した”金持観光客用のアトラクション“であると発言した。
ボンドはNASAにたいし、宇宙ステ−ションに関する各パ−トナの責務についてレジュメを出すよう指示し、同局が宇宙ステ−ション飛行安全保障について最大の責任を負っているとあらために注意した。
明らかに、国際宇宙ステ−ションプラグラムにおけるロシアと米国のパ−トナ−シップは八年間の歴史全体をとおし、最大の危機におちいっている。チト−氏宇宙飛行にたいする議会の反応は、宇宙ステ−ション計画における米国の指導的役割をおとしめたことより、むしろとにかくロシア分エレメント建造の遅れと関係する宇宙−ステ−ションの追加費用で手を打つ可能性があることを物語っている。ちなみに、この役割はロシアも含め1998年に署名された、宇宙ステ−ションの建造と運転を定めた基本文書に記述されている。
ロシアは、現時点わが国の有人飛行経験を唯一生かせる国際宇宙ステ−ションプログラムから脱退するためには、経済的にも、政治的にも用意がない。このことはわが国が今後も、このプログラム参加費用を賄うため、“宇宙旅行”を行わざるえない、それを意味している。こうして見ると、次のやり方が最も妥当なように思われる。一つは、今後の宇宙ステ−ション観光訪問毎に外交準備には特に力を入れる必要がある。米国政治家とNASA指導者は、チト−氏宇宙飛行が受け入れられない最大理由の一つは飛行についてロシアと彼らの前もっての協議が不十分なことだと、何度となく示唆している。
もう一つは、宇宙ステ−ションの“観光客”滞在期間を縮小し、軌道飛行能力を失った“ソユ−ズ”を他のものに換える上で必要最小限の期間に止めること、おそらくこれは重要なことであろう。
5月4日(金)
“少しは飲める水”(完)
-ロシアの水道栓から飲む水は生命に危険-
(モスコフスキイエ・ノ−ヴォスチ、4月24日〜30日号、ボリス・ウスチュゴフ)
先週天然資源省大臣ボリス・ヤツケヴィチは国会で、ロシア人はなんと不潔なものを飲まされているのか、そのことについて語った。報告は強い衝撃をあたえた。国民の半分が衛生基準をほとんど満たしていない飲料水を摂取し、千百万の人が国際基準から見て、飲料水でないものをとにかく飲んでいる。国民の65%(特に農村地帯)には水道配管されておらず、地表の水源から供給を受けている。しかし水道配管も常に安全とはいかない。その60%弱しか必要な浄化施設が備わっていない。
ロシア安全会議はこの問題を再三検討してきた。最近の検討は1998年、政府が国民用飲料水供給プログラム構想の作成した後なされた。しかしプラグラムの施策は基本的には机上のままである。この問題を抜本的に解決するためには、同大臣の主張だと、三つの点が必要となる。一から三まで資金である。
カリエス問題だけではない
観賞魚をやめようと思った人は知っていることだが、この最もよい方法は水槽に水道の水を補給すればすむことである。水道水に含まれる塩素はあらゆる生物の死滅に役立つものである。
飲料水を塩素処理することは、人類は100年ぐらい前には知っていた。しかしまったく最近になって、こうした分野に関わっている人たちが、塩素化合物は水中の微生物を処理するだけでなく、水中に溶解している多くの物質と予見できない化学反応をおこすと、突然察知した。その結果、元来水分中に存在しなかった新しい化合物が生成されている。さらにこれは人間にとってかなり危険であり、アレルギ-や腫瘍、心臓運動異常を引き起こす。最近の国内調査によると、飲料水中の有機塩素物質が著しく生殖能力低下させている。
「水は食物と同様に生きているのではなく、死んでいなければならない。天然水は生きた生態系であり、そこには微生物、水中植物類、その食物、有機化合物が含まれていいます。水を塩素処理しますと、この有機物の残存物は飲料しなくても、人体に入り込む複合体となります。それは熱湯蒸気を吸引すると人体に入る可能性もありますし、風呂に入ると、無傷の皮膚から入る可能性もあります」とロシア医学アカデミ−準会員、医学博士グウリイ・クラソフスキ−は語った。
今日、世界の大半の国は水の塩素処理は止めている。消毒にはオゾンや紫外線といった最新の水処理システムが利用されている。ロシアではモスクワ南西部にたった一箇所、オゾン処理所がある。この建設費は1億2千万ドルである。結局、資金不足によりロシアではおそらく、今後も長い間塩素処理が続けられるだろう。たしかに飲料水摂取による発ガンのおそれは、伝染病とは比べものにならない。例えば、2001年、A型肝炎の大流行がモスクワ郊外のプロトヴィンとセルプホフ地区で記録されている。この直前にはチェリャ−ビンスク州、オムスク州で流行した。
と言っても、塩素処理が国の水供給において最も切迫した問題ではない。国家衛生伝染病監督局に資料によると、ロシア国内で採取した水サンプルの五分の一は保健衛生基準を満たしていない。若干の地域(カルムイキヤ、イングシェ-チイヤ、ダゲスタン、プリモ−ルスキ−地方、アルハンゲリスク州、カル−ガ州、トムスク州)では、全飲料水の70%が微生物で汚染されている。水中のフッ化物不足によりロシア中部にある各州児童のほぼ90%がカリエスにかかっている。5千万のロシア人は鉄分高含有率の水を利用しているが、これは一般にアレルギ−を引き起こす。水処理問題で最も良い状態にあるのは、もちろんモスクワ地域である。と言っても、何も問題がないわけではない。
逆行する水道管
基本的には水は化学浄化と塩素処理を経て、いずれにしろ飲料水となる。浄化タンクから水道管を通り水道栓にたどりつくまでに、腐ってしまう可能性はある。モスクワ人間環境・環境衛生研究所のデ−タによると、ロシアの水道線網の約50%は傷んでいる。一方わが国水道管は何故か、排水管のすぐ近くに敷設することになっている。配管はどこもかしこも、鉄管である(わが国以外の国はだいぶ前にステンレス品に移行している)ので、錆びの進行ははやい。そうしたわけで、ロシアのどの水道管も生活排水が混入しないという保障はない。
学者の見解だと、水道によるどの災難も、その最大の理由はロシアの飲料水価格が安いことによる。配管交換、ステンレス管の製造や浄化施設の建設資金は、利用者料金によるものである。水のコストは1立米当たり30ル−ブルであるが、それにたいし利用者はたった90カペイカしか支払っていない。この料金では水道管保守にはあきらかに不十分である。見方を変えると、住民の現在の支払い能力では水道料金を上げるべきではない。
国家のフィルタ−
新しい水質衛生基準は、1998年がロシアで導入されている。現在、国営の水道管については、80の化合物にたいし水の成分と水質の検査が求められている(この以前は50品目であった)。地方の保健衛生伝染病監督局の基本的な課題は、新方式の分析を行うように浄化施設の運営者を説得することと、追加消毒するために試薬を購入することである。しかし、それにたいしては当然、資金がない。
「今日ロシアには、飲料水について明確な定義がない。水質は、国家保健衛生伝染病監督局、規格委員会、国家建設委員会、国家公共資産委員会、天然資源省、地方魚卵孵化場などがみな検査しています。各省庁には自前の規格やしばしば相互に相容れぬ水質基準があります。水を利用し、排水を飲料水の水源に流している企業は矛盾した文書と多くの検査官を相手にしている。国家保健衛生伝染病監督局の基準が企業には不都合な場合、他の基準に基づくことができます。また検査官と“手打ち”しようとしています。飲料水に関する問題が全て一本化されないうちは、水道栓から水を飲むべきではありません」と、公共給水・浄化研究所長ヤコフ・フロムチェンコが論文の中で述べている。
役人は誰が“水”の主役なのか、論争したり、また費用を計算したり、一方学者は近い将来おそらく具体化することのない新しい浄化システムを開発している間、国民は現在の水道管を利用し続けることになる。医学者は独自に自己防衛しなさいと助言している。つまり生活用フィルタ−の購入である。どんなものでもよい。というのは、それによりもっと悪くなることはないからである。のどの渇きを癒すには、ブラスチックボトルに入った検定済み品をすすめている。もちろん、これも安全というわけではない。ボトルの水には人体に有害な防腐剤を含まれているが、しかしこれはまったく別の話である。
5月2日(水)
“宇宙飛行初観光客、飛び立つ”(完)
-チト−氏宇宙観光、ロシア“宇宙外交”の強みと弱さ露呈-
(独立新聞、4月28日、ユ−リ・カラシ)
本日国際宇宙ステ−ションに向けて“ソユ−ズTM-32”が打ち上げられる予定である。この乗組員はタルガト・ムサバエフ(船長)、ユ−リ・バトウリン(フライトエンジニア)、デンニス・チト−(観光客)である。宇宙ステ−ションに一週間滞在し、半年前に宇宙ステ−ションに最初の常駐滞在者、ビル・シェパ−ド、セルゲイ・クリカレフ、ユ−リ・ギゼンコを送り届けた“ソユ−ズTM-31”で三人は地球に戻る予定である。
現在の基準ではきわめて当たり前の短期間宇宙飛行が、米国観光客が搭乗したことでとても大きな反響を引き起こすこととなった。まさに最初のアマチア宇宙飛行士の宇宙ステ−ション訪問が、国際宇宙ステ−ションの建造及び運転プログラムにおけるロシアの位置と役割にとって一種の試金石となった。
最初チト−氏は宇宙ステ−ション“ミ−ル”に飛行するはずであった。ところが昨年末、ロシアは2001年春に宇宙ステ−ション“ミ−ル”の廃止をきめた時、チト−氏は国際宇宙ステ−ションに飛行する希望を出した。若干右往左往したが、ロシア航空宇宙局はチト−氏の意向に同意した。この観光宇宙飛行費用(いくつかのデ−タによると、12〜20百万ドル)は、ロシアの宇宙国家予算の数パ−セントにあたる。
こうした決定してロシア航空宇宙局は、ロシアの利益のほかに国際宇宙ステ−ションの建造と運転を定めた二つの基本文書(プロジェクト全参加国により締結された“国家間協定”及びNASAとロシア宇宙局の“相互理解覚書”)の指示どおり動いた。両文書とも1998年1月29日にワシントンで調印されたものだが、“宇宙ステ−ション運転費用削減方法を模索する”ことを全参加国に呼びかけているものである。
さらにこの文書によると、ロシアと米国は宇宙ステ−ション飛行クル−に国際宇宙ステ−ション参加国以外の“第三者”を次の三つの条件を守れば、含める法的、道義的権利を完全に持っている。この条件とは、この“第三者”は宇宙ステ−ションの安全を脅かさないこと、いかなる国際宇宙ステ−ション参加国にたいしても船内でのその任務遂行を妨害しないこと、この“第三者”によるステ−ション設備の利用は平和目的に限ることである。
国際宇宙ステ−ションにチト−氏を“運搬”するというロシアのプランにたいし、NASAと米国議会は一様に否定的であった。米国にその最も近しい同盟国、ヨ−ロッパとカナダは呼応した。チト−氏に飛行にたいし、こうした“三人組”の反対は、次の点に要約できるかもしれない。同氏は国際宇宙ステ−ションにおける米国部分をよく知らない、船内作業を妨げるおそれ、その船内滞在が本人のみならず、“ソユ−ズ”やステ−ション乗組員の生命、健康状態に危険をおよぼす可能性がある。
ロシアは強硬姿勢を見せ、国際宇宙ステ−ション内でチト−氏の活動制約を引き換えにはしたが、その飛行実施を貫くことができた。これは間違いなく、わが国“宇宙外交”の手柄である。しかし、何ヶ月にもわたりロシアとその他国際宇宙ステ−ションプロジェクト参加国の間で、チト−氏宇宙飛行をめぐり争いがあり、そこにわが国宇宙政策のはっきりとした弱点が現れた。
米国がチト−氏宇宙飛行について技術的に容認できぬと、どう発言しようとも、“宇宙観光”反対のその最大理由は、政治的なものである。この根拠は“協定書”第9条第2項(a)に基づくもので、それによると参加国は、プロジェクト非参加者をステ−ションに飛行させる場合、互いに予め通知し、またこの問題に関し適時合意をえなければならない。NASAの見解によると、ロシアはこの事の検討を提案するというより、むしろ米国その他宇宙ステ−ションプロジェクト参加国に観光飛行の既成事実を突きつけていることになる。こうしたことから、米国関係者の病的とすら思えるリアクションが生まれているのである。
わが国は、うっかり信じてしまったが、国際宇宙ステ−ションプロジェクトの分野では米国と対等なパ−トナ−であると、常々(もちろん、主にロシア航空宇宙局の発言を通して)語っていた。ところが実際はこうした牧歌的なものとははるかに遠いものであった。“協定”と“覚書”にしたがうと、NASAはステ−ションの建造と組み立て全体の指導する国際宇宙ステ−ション運営会議を代表し、国際宇宙ステ−ションの運転指導者であり、統率者の役割を担い、宇宙ステ−ション参加国間の係争問題解決の“仲裁裁判官”の役割をはたし、ヒュ−ストンから国際宇宙ステ−ションの飛行について、総指揮をとり、ステ−ション内作業の総合プランをたて、国際宇宙ステ−ション飛行安全全体の責任を負うことになっている。
こうして見ると、各々の持分(ロシア航空宇宙局がNASAにロシアのモジュ−ルを4000時間貸与したことは、無論、除外しても)に限りロシアと米国の対等な権利は言うことができるが、しかしステ−ション全体ではけしてない。これに関して言えば、米国の優位は争う余地はない。かくして、チト−氏を宇宙ステ−ションに“連れてゆく”というロシア航空宇宙局の決定にたいするNASAの苛立ちは、多分に部下の勝手な振る舞いにたいする上司のもっともな反応である。
ここから二つの結論が出てくる。一つはわが国は国際宇宙ステ−ションプロジェクトにおけるロシアの独立性に期待せず、単純でない問題解決には外交手段に大きな注意を払う必要がある。忘れてならないことは、NASAが宇宙ステ−ションとわが国の関係を低下させる手段を常に探していることである。もう一つは、国益にためにロシアは、ロシア国家指導下で国際プログラムにとっても基礎となりうる、自前の大規模有人飛行プロジェクトの開発を出きる限り早く開始する必要がある。