ロシア最新ニュ−ス
2000年9月分履歴
9月29日(金)
“ロシア前半期、工業生産記録的伸び”(完)
-不十分な投資活動、獲得したポジション失う恐れ-
(独立新聞、9月26日、オリガ・イズリャドノヴァ)
2000年始めから経済状況の特徴は低いインフレ率、比較的安定した為替レ−ト、外国融資なしでも予算状態の改善傾向にある。原料及び燃料の世界市況の好調なことが、ロシア経済成長と国家予算の安定を助長する要因である。2000年度上半期の成績では、GDP成長は前年度同期比較で7.5%であった。生産の伸びは事実上全部門で見られた。1999年は経済状況に最も大きな影響を与えたのが産業の動きの活発さであったが、2000年は投資及び消費需要が伸び、建設及び小売取引が大幅に増えた。
2000年1月〜6月までの期間、工業総生産高の伸び率はこの十年間最大の水準となり、10%であった。工業生産テンポの急伸は、実際全産業生産部門で見られる。採取部門の動向は先ず、燃料及び天然資源の世界市況により左右されるが、加工部門は国内需要の動向と構造の変化に事実上完全に左右される。
現業基幹部門の生産の伸び、出荷製品にたいする企業決済システムの改善、国庫にたいする税収の伸び、好調な対外経済市況がGDPの伸び要因を作り出した。
本年度GDPにおける雇用労働者の賃金比率上昇傾向に大きく影響したのが、雇用者数の増加と平均賃金の上昇である。1999年度上半期と比較すると、基本給は1.5倍増加した。重要問題となっているのが、表に出ない賃金の支払い形態であり、この割合は国家統計委員会の計算だと、GDPの12%にのぼる。この隠された賃金支払い形態の主な原因の一つは、現行課税率が高く、納付額が大きいので、特に中小の企業や金融、商業組織が実質収入を隠蔽し、国税として予定せず、積立て用意しないところにある。
雇用労働者の賃金と社会保障費が国民貨幣所得の約78%、22%が所有権と事業収入である。ほとんどの場合、賃金が唯一の収入源である。ところが2000年8月1日現在、賃金未払い総額は405億ル−ブルにたっし、その中企業・団体の自己資金不足によるものが335億ル−ブル、もしくは賃金未払い総額の82.4%、融資不足によるものが71億ル−ブルである。国庫融資不足総額の23.3%は中央政府分で、76.7%は各連邦構成共和国と地方自治体分である。適時に賃金払いが行われないことが、社会の緊張を高めたり、家計消費水準を制限している要因となっている。
昨年同期と比較して2000年度1月〜6月期国民実質所得8.7%、実質賃金23.4%上昇したにもかかわらず、GDPにおける家計支出割合は低下傾向にある。中間デ−タによると、GDPにおける末端消費割合は1999年上半期73.5%にたいし、2000年上半期では63.5%まで低下した。国家予算資金や予算外資金による団体及び個人サ−ビスの消費支出は若干増加したが、これは末端消費の動向に影響をあたえるものではない。
GDPにおける流通資金量の低下傾向は事業活動の活発化、売上高の増加、製品在庫量及び原料・技術資源の低下と一致するものである。
固定資本への投資割合は1999年上半期と比較すると、約1%低下している。今年は現業各部門の財政状態が改善され、増益により投資能力は強くなっているが、製造企業は相変らずきわめて抑制的で慎重に投資決断している。この事態は要注意である。と言うもの、ロシア経済では貯蓄高が急激に増大しているからである。
全経済における総貯蓄高は2000年度上半期中間資料では、GDPのほぼ三分の一である。GDPの推移や内訳を分析すると、まさに純粋な輸出割合の伸びが変化の主因であることに注目する必要がある。燃料・エネルギ−及び原料の海外市況が好調なので、GDPにおける純粋輸出の割合は1999年度上半期と比較すると、約9%伸びている。貯蓄高の伸びにより、大幅に外国から融資が減少している条件でも、外国の債権者と決済することができるし、これはまさに前向きな点である。しかしながら、金融及び為替市場の現況では、投資需要が然るべき向上しないで貯蓄高が伸びると、近い将来に経済成長テンポを抑制する要因となりうる。
加工製品の割合低下傾向は輸入増加を引き起こす要因である。今年始め国内市場向け資源輸入割合は24.7%であったが、6月では25.1%まで増加した。これは一つには、主に予備生産設備向けの輸入代替品が今後増加する可能性がなくなったことと、もう一つは国内市場の競争環境が変化したことによる。多くの製品について、今後の成長の可能性は投資動向と技術革新しだいである。旧式の生産設備や技術、低い労働生産性は供給全体の拡大や供給システムの変える上で大きな障害となっている。こうした状況で市場の高い購買力や支払い能力の伴う需要が徐々に回復していることを考慮し、外国メ−カはロシア市場の参入を強めている。国内メ−カの低い投資率は、その獲得したポジションを失い、競争環境を変える可能性がある。
9月29日(金)
“ロシア国防大臣”(完)
-軍、外部管理導入-
(イズヴェスチヤ、9月27日、ウラジ−ミル・ツウイシン)
ロシア軍の財政難はだいぶ以前から噂の種になっている。新大統領の誕生に軍関係ロビイストはバラ色の期待をよせていた。軍事関係機関はウラジ−ミル・プ−チンを選挙で支持し、新体制で自分たち立場の強化を期待していた。分かったことは、こうした期待がむだであった。
政府は国防省の債務を引き受ける基本的決断をした。今後軍にたいし強い影響力を行使しようとすれば、誰しも直接ミハイル・カシヤノフと関係をもつことになる。国防省自体も新生児として純粋無垢に新会計年度をむかえる。
夏の間ずっと軍人は明るい未来を期待していた。大統領と政府は国防発注費の増額、軍人給与の改善、その他大小の福利を約束した。秋が近づくと、政府首脳の気持ちは沈静化した。さらに政府内に軍人問題に関し明らかに意見が割れていた。例えば、副首相イリヤ・クレバノフはミサイル基地の電源供給を停止している電力会社を懲らしめるべきだと主張しているのにたいし、閣僚のヴィクトル・フリステンコは彼らの行動を強く支持したのである。
来年度の予算案は項目別に配分してあるが、軍事費は昨年より増加したが、軍ロビイストが要求する半分であった。軍は根っからの軍人を代表にし、これが誤算であった。と言うのも、政府内では戦車に乗ったり、飛行機にのることがけして好きでない者が幅をきかせている。制御のきかない軍拡競争や動員経済はソ連時代の特徴だが、これはうまくいかなった。
現在軍は新たな衝撃をうけている。国防省では事実上、正しく財政管理できない企業同様に外部からの管理が導入された。軍人の債務免除はけして幸福な生活の始まりを意味するものではない。誰も何らかの見返りなしに他人の債務を肩代わりするものはいない。そこで国防省は財政の独立性を放棄することにした。政府は申し入れている支出の裏付けを求めて、軍の会計担当者をさんざん苦しめることだろう。
軍当局の財政内側の神業には想像を絶するものがある。90年代末、国防省が政府承認電力制限利用者リストにバルチック艦隊全体を記入“忘れ”したことを思い起こせば十分である。言い方を変えれば、海軍は電力会社に支払う金を自ら探し出すべきであった。その後、言うまでもなく、はっと気が付き、国の予算から資金確保した。
それとも最近の生活を例にとってみよう。モスクワ郊外の部隊で学生の短期招集が行われている。明らかに学生は今やコサック兵と同じである。つまり学生は自分の衣服、食料を錬兵場に持参し、夜は家に泊まりに帰る。そして自分のタンクに乗り、自分の予備弾薬をもって赴けばそれでよい。どうやら国防大臣にとっては、各家が兵站廠である緊迫した情勢下にある場所で短期召集はやり易くなるに違いない。“自腹で戦え”というスロ−ガンは学生には、無論学生だけでないが、理解されないだろう。
債務がなくなり、国防省は追加予算獲得でロビイストの手助けとなった最大のカ−ドを失った。“自分”の大統領と政府に圧力をかけるという夢は諦めざるえない。同時に忘れてならないことは、政府がロストフの契約者の賃金や、軍人による給電所の占拠、予備役の交通費不足には責任を引く受けたことである。
政府が全ての問題をうまく解決できるとするにはかなり疑問がある。しっかりした軍事改革のみが全て適所に配置することができる。基本的構想にもとづき一時的に管理し、改革の土台を準備すべきである。
(続く)
9月28日(木)
“黄金のボ−ル”で日本人と試合“(完)
-ロシアにとってこのボ−ルが、現在800億ドルと換算される日本にある“ロシアの黄金”にたいする権利となるかもしれない-
(独立新聞、9月26日、ヴラドレン・シロトキン:ロシア外務省外交大学教授)
日本はロシアの最重要な経済、地政学的のパ−トナであったし、現在もそうである。それ故、ロシア大統領ウラジ−ミル・プ−チンが初めて“日出る国”に訪問したことは、格別な意味がある。“我々は55年も経過している”平和でも戦争でもない“状態を最終的に変えるために、日本との平和条約締結に近づきつつある”
日本人の基本提案はだいぶ前からよく知られている。“北方領土”(南クリル四島)を返還してくれ、そうすれば直ちに平和条約だけでなく、恒久友好条約にも調印するだろう。こうした立場は、モスクワやペテルブルグの“民主派”政治グル−プの若干の代表者が支持している。“このちっぽけな四島がどうだと言うんだ、これは日本人に返し、そのかわりこの国との友好を手にしよう”。そこで歴史的先例を根拠としている。「1824年、アレクサンドル一世は米国とカナダにいわゆる“ロシアのアメリカ”をあっさりと譲渡している。これは北米の太平洋海岸部でアラスカからサンフランシスコ(モスクワからトビリシの距離)にあたり、そこに米国は二つの州(オレゴン州とワシントン州)を設立し、カナダは一つの州(ブリテイッシュ・コロンビア(州都バンク−バ-)を設立した。
ロシア人に思い起こしてもらいたいのは、1867年アレクサンドル二世は米国にアラスカを720万ドルで売却し、新たに三倍大きい“アラスカ”、つまり中央アジア(有名な将軍ミハイル・スコベレフの遠征)の獲得において、英国に反対しワシントンの外交的支持をとりつけた。
ロシアを売る傾向は悲しいかな、どのような地政学的メリットはないが、それにたいし個人にとっては多大なメリットはあるが、こうした傾向はソ連時代の晩年に強まり、ソ連崩壊後に“定着”した(今日も例外ではない)。1990年、ソ連外務大臣で大いなる民主主義者であるエドウアルド・シェワルドナゼはこうした伝統を維持し、ベ−リング海峡にある石油・ガスが豊富な大陸棚を米国人に無償(!)で譲渡した。
たしかにロシア(ソ連)外交史にこうした“伝統”はあったが、それがロシア外交に地政学的メリットをもたらしたのか、訊ねるまでもない。ましてやヤルタ・ポツダム体制や戦後欧州国境確定に関する1975年のヘルシンキ会議の最終アクトが破綻した条件では、日本に“北方領土”を譲渡することは、ロシア国境も含め、きわめて危険な地政学的先例をつくるかもしれない。プスコフ州やレニングラ−ド州一部領土を、1920年のタルトウ条約を根拠にエストニアは主張しているし、フィンランドにはシエストラ川沿いの旧ソ連フィンランド国境までの“南方領土”を“フィンランドの不可分のもの”と考えている人たちが存在する。
面白いのは、日本では“北方領土”問題は多くの点で国内問題であり、選挙になるとかなりホットとなって持ち出されている。どの政党にとっても、1951年からクリルの四島にたいする日本の主権復活は、国会選挙での投票数増加につながる。1992年東京で自由民主党のある国会議員との非公式の話し合いのことはけして忘れることはない。当時日本には旧ソ連邦ロシア共和国の最高会議議員代表団の専門家として訪問した。その時の日本の政治舞台の一場面をいつまでも記憶している。たった今、公式会談でその議員は口角泡を飛ばして“北方領土”の日本の権利を主張したばかりだが、ほんの二時間もして夕食会でお決まりのお酒とわが国のウオッカ“スタリ−チナヤ”を飲み、酩酊して「島など返さないでくれ!そうなれば選挙で支持率を10〜15%失う」と呟いた。まにこれが地政学なのである。
どんな外交でも、自分の競争相手から“ペナルテイ”を奪うだけの外交官は出来がよくない。外交官には常に手元に相手のゲ−トに打ち込むマイボ−ルを持っている必要がある。ロシアにはこうした“黄金のボ−ル”がある。これは日本にあるロシア(日本の解釈だと、ロマノフ王朝の)黄金にたいする正当の主張である。この価格はある外国の評価だと、80年間にたまった利子を入れると800億ドルにもなる。
その上、南クリル諸島にたいする日本の主張に関するきわめて曖昧な文書の根拠(1956年のソ連の宣言)とは異なり、ツア−リ政府(1916年9月4日、東京)と提督コルチャク(1919年10月7日と16日、ウラジオストック)が武器購入のため黄金を納めたことは、きちんと書類手続きされている。全てに文書に、今日思いおこしても悪くない特別な条項が記載されている。その内容は以下の通りである:
「ロシア国立銀行は金塊預金の管理者であり、要求がありしだいこれを大阪(ここにロシアの金塊と金貨が集中した)からウラジオストックに戻すことができる」
だが奇異なことにも、ロシアの外交機関そのもが手元に全文書のカ−ドを持っているのに、日本人と“黄金のボ−ル”でゲ−ムをする気がまったくないし、ロシア外務省の官吏は政府間交渉においてこの問題で我々が明らかに有利である点についてはいつも“忘れている”(プ−チン大統領の訪日もこの点では例外ではなかった)。何故に現在のロシア外交機関は新大統領にもかかわらず、わが国が間違いなく勝てるフィ−ルドでゲ−ムをしようとしないのか。まさにこれは本当に謎であり、どのような“積極政策”新構想にも馴染まないものである。
ロシアの黄金入りの公式荷物の他に、日本人はコサック隊長セメノフ(金塊33箱、1920年3月)、コルチャク軍後方責任者将軍ペトロフ(22箱、1920年11月)、その他ザバイカルやプルモ−リエ地方の白軍の将軍やコサック隊長からいわゆる単独荷物を受け取っている。ここでも“単独荷物”日本側受取書に“要求がありしだい”金塊を返すものとする書かれている。誰も、つまりツア−リ政府も、コルチャクもそのコサック隊長も日本から銃も弾薬も受け取っていない。とは言え、帝政時代の東京駐在武官、将軍ポドテャギンですら、コサック隊長セメノフのために百四十万円(金貨)で第一回分の武器を買い付けた(全ての武器は結局日本に残った。と言うのも、1919年日本政府は同国から武器を輸出禁止した)。ほぼ二十年間も(1921年〜1941年)日本の裁判所で争っていたツア−リの将軍やコサック隊長とはいったい何だったのだろうか!君主ニコライ二世自身も略奪にあい、1917年3月彼個人の金塊5.5トンが盗まれた。これは日本経由でイギリスに向けられたもので、退位した後、家族全員とロンドンに移住するつもりでいた。まる七十年間誰も気がつかないほと巧妙に盗んだのであり、1986年ミハイル・ゴルバチョフとマ−ガレット・サッチャ−はロンドンで“ゼロオプション”(ツア−リ債務の相殺)に署名した。これには日本に残っているツア−リ個人の金塊も含まれている。
一見、新大統領が誕生し、“ノ−ネクナイ”という以前の外交が終わり、この“黄金のボ−ル”をフィ−ルドに転がしだす時期がきたと思われるかもしれない。しかしそうではなかった。プ−チン大統領訪日前日にロシアマスコミが伝えたことは、用意した日露平和友好条約ではクリル諸島の帰属問題は議題とされているが、ロシアの黄金返還は問題提起されていなかった。はたして日本との条約案も、大統領訪日に関する全ての文書を準備したロシア外務省の担当部局はこのことを知らないのだろうか。もちろん、知っている。
今日日本はきわめて電力不足に陥っていることは知られている。ロシアの“統一電力システム”公社サハリンから北海道に電力移送するという計画をすでに打ち立てている。
だが新たにサハリンに地域発電所を建設する資金をどこで調達できるか、またもやIMFと世界銀行なのだろうか。ちなみに露日社会経済委員会議長アルカデイ・ヴォリスキ−のもとではすでに数年間もの間、日本にあるロシア黄金の利子を用い投資して、プリモ−リエ地方に原子力発電所を建設するという日本人実業家の計画が横たわっている。この提案はプ−チン大統領訪日日程に含めるのが適切と思われるかもしれないが、ところがだめであった。ヴォリスキ−も国際専門家会議の委員もロシア大統領の訪日準備した作業グル−プに近くにも寄れなかった。何と言おうが、伯爵セルゲイ・ヴィッテは正しい。ロシア外務省相手では埒があかない。
(続く)
9月27日(水)
“美辞”(完)
-IMFはロシア政府の政策には賛成しているが、資金供与は急がない-
(イズヴェスチヤ、9月26日、エレナ・コロプ)
現在プラハで行われているIMFと世界銀行の定例会議でロシア政府の政策は高い評価をうけている。“先進七カ国”蔵相は経済改革の成功を認め、国際金融機関にたいしロシアとより緊密に協力すうように呼びかけた。しかし問題はこの協力が融資合意の形で具体的なものとなるか、そこにある。
G7各国はロシア経済の高い成長と歳入の伸び、満足できる収支バランスに気をよくしている。これはG7蔵相会議の総括として出された特別コミュニケで述べられている。コミュニケではロシア政府は投資環境改善するための法基盤の整備、構造改革の実施、財政安定強化に向かっている。コミュニケ起草者の意見にしたがうと、こうしたことは全体として、国際金融機関にたいしロシアとの協力を活発化させる根拠となっている。
予想通り、こうした機関の一つ、IMFは11月にモスクワにくる。だが問題は次の点にある。IMFミッションとの交渉は、融資協定の締結となるのか、それとも先の7月訪問と同様に、“双方立場の足並みに大きな前進があった”として幕を閉じるものなのか、その点にある。
まさにこうように当時のミッション訪ロ結果を評価したのが、副首相アレクセイ・クウドリンであった。根本的には当時から何も変わっていない。ロシアとの融資協定に署名するIMF専門家の訪ロは当初9月に予定していたが、その後10月となった。今度は11月に延ばされた。そして、これはIMFがロシア政府の運営にかなりバラ色の報告書を作成し、IMFの幹部もロシアへの融資にはいかなる障害もないと何度となく表明しているにもかかわらず、延期されてきたのである。
ところが以前は楽天主義に慎重である多くのアナリストがIMFの融資はいずれは供与されると発言していたし、ロシア政府でさえ2001年度の予算案にこれを組み込んでいたのではあるが、今ではその雰囲気は変わった。
もちろん、政府各代表者は関係改善は期待している。副首相アレクセイ・クウドリンは、IMFとの協定は11月になれば調印されると断言しているし、また大統領顧問アンドレイ・イルラリオノフはこれはたんなる“技術問題”だと意見を述べている。だが金曜日にミハイル・カシヤノフが国会で演説し、そこで追加歳入の中、政府がIMFから来年度期待していた17億ドルは補充する、そうした心積もりでいるようにと議員に訴えたのである。
副首相アレクセイ・クウドリンもプラハでIMFの代表者と会談した後、現在2001年度予算の基本点に関するロシア政府の立場は一層強くなったとし、「交渉の結果、来年度中に発生しうる追加資金はIMFとの交渉終了後に配分すべきであると、さらに確信するようになった」と発言している。これは、ロシアがIMFの融資をおそらく受けられないことを意味している。多くのエコノミストの考えでは、これには何も恐れることはない、現在の経済状況では今年度予算規模はGDPの6%程度に予想されるし、ロシアには西側融資はまったく必要ないとしている。しかし来年は状況が変化するかもしれない。とりわけ石油価格が下落すれば、追加歳入そのものが疑わしいものとなる。
9月26日(火)
“ロシア原潜“クルスク”、引揚げ断念か“(完)
-ロシアとノルウエ−は価格と技術方法で折り合いがつかず-
(独立新聞、9月25日、ナタ−リヤ・イヴァノヴァ)
事故当時ヴィデヤエヴォの町でプ−チン大統領が遺族にした原潜“クルスク”乗組員の遺体引揚げの約束はもしかしたら実現しないかもしれない。昨日ロシア海事技術設計事務所“ル−ビン”とノルウエ−の会社“ストルト・オフショア”は、原潜から乗組員遺体引揚げ国際作業開始を定めた原潜“クルスク”引揚げ契約前半部をサンクト・ペテルブルグ市で調印する予定であった。ところが調印は行われなかった。それもまた先週火曜日に沈没原潜引揚げ作業の基本的部分では合意があったとクレムリンで発表されたばかりのことであった。
契約失敗に関するロシア側のコメントはきわめた簡潔なものであった。同設計事務所“ル−ビン”渉外部部長代理ゲンナジイ・ソロキンは、契約の調印は不一致の問題が完全に合意されるまで延期されると伝えた。本紙記者ピョ−トル・チェルニャコフがノルウエ−側から得た情報では、原潜“クルスク”から遺体引揚げる国際プロジェクトが失敗した最大原因は作業費用に関し双方折り合うことができなかったせいである。ノルウエ−側は遺体引揚げには悪天候や技術的に困難な問題が絡んでくる可能性があり、そうしたことから総額2000〜2500万ドルかかると考えている。ロシア側は5〜7百万ドル以下であれば支払う用意がある。さらに同じ情報源だが、ノルウエ−側はロシア側と交渉してみて、彼らにはこうした契約を結んだ経験もないし、不可抗力を考えてあまり先を見越していないと確信した。
ノルウエ−側は以前にも、この秋に遺体引揚げはうまくいかないと、懸念を表明していた。2001年の夏に作業を延期すると、遺体引揚げの可能性は現実的にはない。その時は潜水艦から引揚げる人は誰もいないだろう。
原潜“クルスク”をめぐる状況は、ノルウエ−との契約調印失敗のだいぶ以前に暗礁に乗り上げていた。一つはロシア首脳部には乗員遺族にたいする道義的義務がある。もう一つは、事実上全ての軍事専門家は乗務員引揚げ作業やましてや潜水艦引揚げ作業は失敗に終わる可能性があると認識している。軍事専門家の評価によると、仮にノルウエ−との契約が調印されたとしても、天候条件により救助作業者は一室、最大でも二室あけられるぐらいだろうとしている。この作業で何人の遺体が引き揚げられるか、誰も予想しようとはしない。さらに軍事専門家は事故で多大の損傷を被った原潜胴体部が救助作業に耐えられないのではないかと、危惧している。
西側では既に、契約の前半部、つまり“クルスク”号乗組員の引揚げばかりか、原潜本体の引揚げにも疑問が出ている。こうした意味では、ノルウエ−側は少ない犠牲で微妙な事態から脱け出す手助けをロシア政府にしたと、そうしたコメントも出てきた。作業第一段階の失敗はロシア側に非はないが、大統領の約束を事実上取り下げることとなった。これは大統領が遺族との集会でまったく約束しないわけにはいかなかったが、結果としてはこれを今回確認することになった。来年にも天候が改善しあらためてこの問題に戻ることができれば、ロシアの軍事専門家も西側の軍事専門家も、こうした作業の実施には意味がないと認識を示す可能性が大であり、そうした専門家の多くは今でもこのことを理解している。原潜全体の引揚げについては、これは技術的に困難なので、実施しないための理由を見つけ出すのはいつでも可能である。
9月25日(月)
“ロシアに必要な対ドルレ−ト”(完)
-国内通貨の強化は国内経済にはメリットがある-
(独立新聞、9月12日、ヴァデイム・ロギノフ:東西研究所エコノミスト)
聖書に出てくる有名なダヴィデ王と巨人ゴリアテの戦いの話では、無敵な巨人が投石器から放たれた小さな石で打ち負かされて完結する。この例はロシアの通貨市場の現状をよく描写している。現在さかんに議論されているのは、ル−ブルはドルにたいし長期に持ち堪えられない、対ドルレ−トが再び30ル−ブル以上になるのは時間の問題であるとのことである。専門家の意見だと、自由ル−ブルの量は増加し、平価切下げの効果はもはや無くなっている。それで国内製造企業や輸出企業に新たに少しでも手助けになればよいのだが。そしてほとんど誰しも、全てが正反対になりうるとは予想していない。
これがいかに信じがたいことであるにしても、ル−ブルが急激に強くなるいかもしれない、そうした意見が現れている。それではこうしたシナリオを支持する論拠とこれに反対する論拠を分析してみよう。知られていることだが、ル−ブルが強くなる要因は、それが一過性なものだといかに主張しようとも、持続しているばかりか、定期的に強くもなっている。輸出額の動向はあいかわらず高く、石油価格は1バ−レル当たり30ドル近い。“リング”の反対側のコ−ナでは、中央銀行が事実上自力で為替相場を維持している。反対論拠としているのが、各銀行にはますますル−ブルが増加し、このル−ブルの傘がまもなく壊れるという点である。強いル−ブルはたぶん、成長途上にある経済にとっては不利である。季節による輸入需要急増と法人の対外債務支払い増加について多々言われている。特に市場や経済の概念で判断すると、ル−ブルが弱くなるという見込みには根拠がある。状況分析に政治要因や、地政学要因、主体要因を考慮した特別な側面を加味するならば、若干の論理的結論を出す必要がある。
結論の第一はル−ブルは基本的には急激に強くなる可能性がある。これには例えば、何らかの理由で中央銀行が一時的に通貨市場から撤退すれば十分である。推測だと、市場の力のバランス(輸入企業対輸出企業、その真中に銀行)がこうした状況でル−ブル高の方向にシフトすると言われている。別の理論的要因もある。例えば外部から(投資や資本の戻り)外貨の急激な流入がある。あるいは、現在のドル投資に魅力を感じない国民が手持ちの外貨を一気に手放す場合もある。原因とすれば、ドルレ−ト低下にたいし銀行が投機ゲ−ムをする場合もある。最初に外貨を売り、その後レ−トの下がった市場で安く買い占めるときわめて利益がある。ル−ブル平価切下げ案批判者に主張では、これはロシアの大半の人々にはメリットがないので不可能である。一般国民は預金が目減りし、勤労者はドル換算で賃金を受け取っている勤労者は損害を被ってしまう。輸出企業は困窮化し、国内製造企業は競争力を失う。西側にとって当市はより損失の多いものとなり、1ドルにたいし“ル−ブル山盛り”のかなり少ないものとなる。我々は一気に経済成長を捨てることになる。これはその通りであろうが、だがけしてそう単純明解なものでもない。
誰が何ゆえに強いル−ブル、ル−ブルが強くなることでメリットがあるのか、さらに詳しく解明してみるとする。さて投機的関心については既に触れている。ここでは“問題点”の範囲をしぼって“今現在誰が多くル−ブルを所有しているのか”、そうした点まで拡大
してみるとよい。ル−ブル所有者は無理してまでも投機収入を得る必要はないし、レ−トがより強くなれば、ル−ブルはより多くのドルにすることができる。企業の資産価値もたちどころ“高く”なる。しかし最も大きなことは、国外から購入してはるかに低コストで設備を近代化できる。中でも輸出企業である。さらにこれは国外市場にロシア企業が進出する上で都合がよい。一般国民にとっても、品質のよい輸入品により、消費欲を満足させることができるのでメリットがある。最終的には国家もこれによりうまい分け前を手にすることができるし、例えば対外債務も容易に解決できる。経済成長率は、時には量から質に転換できるかもしれない。ドルレ−トが高いと、国内産業を弱くするし、金融市場は投機対象のままである。結局ところ、予想できるメリットを比較しても、平価切下げのデメリットは大きいのではないだろうか。
専門家の評価だと、輸出企業の大半は現在の価格市況では、1ドルあたり20〜22ドルでも、20%までの利益は確保できるらしい。“50の法則”というものまで考案されている。石油20ドル−対ドル30ル−ブル、石油25ドル−対ドル25ドル、石油30ドル−対ドル20ドルとなるらしい。ル−ブルは一般的にはだいぶ以前に石油対価に換算すべきであった。国内製造企業にとっても輸入との価格競争では別な手段、つまり関税の方法で調整できる。その代わり近代化できるので、輸出についても十分考慮することができる。ここから第二の結論が出てくる。ル−ブルを強くすればメリットがあるかもしれない、そうした勢力が存在する。ところでル−ブル高は将来、“サミット”においても可能性がある。今後十年間にル−ブルは1.5倍高になる可能性があるという意見もちらほらと出てきる。例えば、実質購買力とドルレ−トを近づけるという話も出ている。
さらにもう一つ最後の結論がある。ル−ブル平価切下げを支持する強力な勢力が存在するだけでなく、無意識的あるいは意識的に自己の利益を実現する力は十分ある。それどころか、一時的に1ドル20〜25ル−ブルに設定するという戦術的なシナリオを決定して、経済政策の規定外の一要素とする可能性もある。このためにはしばらく間、起こり得る否定的結果は取り除き、肯定的な結果となるよう最大限努力する必要がある。この基本としては、例えば経済を一斉に非ドル化するとか、あるいは経済が急速に近代化する時期のための条件つくりを目標とすることができる。第一のケ−スでは、ロシア経済をドルから強制的、自然に引き離し、ル−ブルと置き換えることかもしれない。第二のケ−スでは、経済の必要な質的変化が起こる。しかし量的に見た生産増加は、品質や価格から見ると達成されていない。つまり、ロシアの製品品質は悪い設備状態により、あまり向上していないが、コストにより価格は上昇している。消費者の関心、つまり需要もここでは低下し始めている。こうした状況では新たな平価切下げに期待するより、ル−ブルを強化して近代化したほうが良いのではないだろうか。
今年夏、最も保守的であったのが第三の立場であった。ル−ブルレ−ト中間の位置に維持するというものだ。このシナリオには正当性はあるし、好結果を出しているし、前向きに進展している。しかしそれも既に役目を終えている。と言うのも余りにも妥協性が強く、戦略的構造的課題を解決できない。ここにはきわめて多くの予想外の変化がある。今のところ大半はドルを支持する傾向にあるし、主観的な見込みに注目し、対ドルル−ブルレ−トが上昇するとした輸出企業の判断を信じている。たしかにこれは世論に影響し、然るべきシナリオを実現するたんなる試みかもしれない。このシナリオにも強力な支持者はいるし、メリットもある。しかし市場とは裏をかくようなところがある。したがって国民にも、政府にも、企業にもあらゆる可能性を考慮すべきだと、助言したほうがよい。
2001年度の予算では、対ドルレ−ト“プラン”では30ル−ブルまで下げられている。しかし同じような確率で言えば、40にも20にもなるだろう。全てはあらゆる要因全体と市場プレ−ヤの立場にかかっている。これは基本的には変化しうるし、その変化のタイミングもきわめて短い。こうした多様な条件下で言える事は、ル−ブルとドルの攻防が続くことである。巨人ゴリアテは強いが、“ダヴィデ王の影響”も忘れてはならない。
9月21日(木)
“IMFはモスクワに”あたたかい“対応”(完)
-けれども、新規融資は急がない“
(独立新聞、9月19日、アンドレイ・リトヴィノフ)
今日プラハでIMFと世界銀行の定例合同会議が始まる。権威ある国際金融専門家がかなり多くある世界の問題(例えば、困窮国にたいする債務免除問題など)、これには直接ロシアに関する問題も含まれるが、それらを検討する予定である。比較的財政状況が順調であるとはいえ、融資再開はロシア政府にとっては切実な課題である。IMFの資金は今年度の予算でも、来年度の予算案でも組み込まれている。その上、IMFの立場はパリ銀行債権団にたいするロシア債務のリスケジュ−リング交渉で特に重要なのである。わが国にたいし新規融資の道を開く直接の決定でないとしても、ロシアの現在の経済動向をIMFが前向きに評価すれば、効果を与えることができる。まさに待望の評価が先週金曜日ワシントンで行われたIMF理事会が検討し考慮したロシア経済状況に関する総括報告書に記載されている。IMF使節団はまだ夏うちはモスクワで作業をしていたが、ロシアにとってこの半年間の成功結果は、とりわけ黒字予算は、その目にとまらないわけはなかった。それ故、最近の理事の会合以前にすでに多くのウオッチャ−は、IMFがロシア政府にたいし、“優”でないとしても、すくなくとも“良”は与えると、意見は一致していた。
モスクワがIMFから良いニュ−スを期待していたことは、報告書が準備できるやいなや、IMFとの協力担当官僚、中でも副首相アレクセイ・クウドリンはロシア政府はIMFの専門家に圧力をかけたことはないが、ロシア経済に関する彼らの客観的評価には関心があると、明言していた事実から明らかである。報告書は近日中に公表されるが、これにはロシア国内に反対意見が出てきた。
報告書で特に印象深い点をあげると、2000年全体の予想されるロシア経済成長率を7%としている点である。これは、わずか半年前にロシアの経済成長率が1.5%以下と予想したIMF専門家の数値のほぼ5倍にあたる。面白いのは、IMFがロシア政府自身よりはるかに楽天主義者であることである。各閣僚はこれには首相も含まれるが、後半期の経済成長鈍化により、最近では2000年末までの経済成長を5.5%と控えめな数値を出している。来年の予想に関して言えば、ここではIMFは、わが国政府を独自に支持している。報告書ではロシアのGDP成長率を約4%と評価し、これは今ちょうど歳入水準を高めに設定しないよう議員を説得中のわが国政府にとっては有利にはたらくものである。
ところがロシアの経済状況に関する前向きな評価はそのまま新規借款の供与を意味するものではない。プラハでは融資の供与と用途に関し管理を強化する問題も検討されるはずである。IMFの借款はその最大の魅力、自由に利用できること、これが失われるかもしれない。IMF理事会は大型借款の利子の引き上げと返済期間の短縮の決定はすでにしている。借款国の金融機関の透明性にたいする要求も強まっている。IMFと世界銀行の責任者ハ−スト・ケ−ラとジェイムス・ヴルフェンソンは九月始めの声明で、財政支援を望む国家は三つの条件、貿易の自由(特に繊維、農業部門)の保障、経済発展長期計画の作成、そして最大なものとして内外債務の縮小、この条件を履行せねばならないと強調している。
こうした条件に若干とはいえ合わせているロシアの努力は、IMF幹部に認められないままである。その一部の幹部はロシアとの今後の関係について予想外の結論を出している。例えば、IMF専務理事代理ステンリ・フィッシャ−は、IMFとロシアの新たな協力プログラムを採用する緊急な必要性はないと、最近発言している。「ロシア人は財政支援なしに対処できるし、我々にたいする債務返済も順調なテンポを維持している」と述べ「彼らが新たなプログラムを欲しているのか、それが必要なのかそのうちに分かる。我々の対応はとてもあたたかいものだが、プログラムの採用にあたり、我々はどのようなものにも強制されない」と発言している。フィッシャ−の発言からすると、IMFは今のところ、モスクワにたいしては“助言協力”のみ続けるだろう。ところで、ロシア政府が用意した2001年度予算案は、国際債権団には満足できるはずである。来年度最大課題の一つは、1%とはいえ、対外債務の縮小の表明である。従って、予算案の最大支出項目は、内外債務処理であり、さらに対外債務の縮小には見込まれる全ての追加歳入が向けられるはずである。こうしたことから、政府批判者の口からは“偏向”予算と呼ばれている。したがって、ロシア政府がIMFと完全な協力を再開したいのであれば、国会審議中に予算案の基本数値を反対勢力に許さないように、少なからず努力する必要がある。
9月19日(火)
“全てインフレとのたたかい”(完)
-政府は次の閣議で通貨金融政策に着手-
(イズヴェスチヤ、9月19日、リュボフ・キジロヴァ)
2001年度の通貨金融政策の目標はインフレの低下であると、昨日首相ミハイル・カシヤノフは表明した。10月1日までに国会提出される中央銀行の通貨金融政策の基本方針は次の閣議で検討されることになる。
ロシア政府と中央銀行の判断によると、2001年度インフレ率12%は“達成可能”な数値である。“今この悪玉と果敢に闘う必要がある”と同首相は述べている。さらにここ数年にインフレに関し、多くの力を注いできたとも述べた。1998年、年間インフレ率は84%であったが、1999年では36%、2000年は18%になったと、カシヤノフは語った。同首相によると、インフレ率が低下すると、1998年8月危機後国民が負っていた負担がなくなるとのことである。
政府は2001年度も、ル−ブル変動相場を維持するという、為替交換レ−ト特別政策を継続する意向である。インフレが沈静化してくると、今後の経済成長や国民の実質所得上昇すると、カシヤノフは確信している。だが国会ではこれに関し、別な意見もある。例えば銀行委員会議長アレクサンドル・ショ−ヒンは2001年度インフレ率は15%以上だと考えている。予算委員会ではこの数値を15〜18%と見ている。
専門家の意見だと、今年末には本年度の予算や通貨金融政策基本方針で見込んだ範囲を超え、18〜20%ではなく、22〜23%だとしている。以前の報道だと、通貨量の増加は、これには紙幣増刷も含まれるが、中央銀行による大量の外貨買いが原因である。
通貨金融政策基本方針の提出は現行法律にしたがうと、10月1日前に行う必要がある。ところが議員は本案の国会提出は予算案と同時にするようにと、ますます強力に主張している。
9月19日(火)
“大気に使われる金”(完)
-世界銀行はロシア経済を改善している-
(イズヴェスチヤ、9月16日、エレナ・コロプ)
2000年末までにロシアはオゾン破壊物質の生産を完全に中止しなければならない。ロシアのオゾン破壊物質の生産規模に不安をいだいた国際社会はオゾン層を救うための資金を集めた。
昨日政府は国際復興開発銀行との協定に同意した。これによると、“ロシア連邦のオゾン破壊物質生産中止の特別自発行動”プロジェクトの資金融資として2620万ドルの補助金をロシアに供与する。このプロジェクトによると、2000年末までにロシアはオゾン破壊物質の生産を中止しなければならない。これでも国際協定の条件ではロシアは既に四年前にこれを実施する義務があった。
1987年、いわゆるモントリオ−ル協定に150ヶ国以上が署名し、定めた期間までに自国のオゾン破壊物質生産を中止する義務を負った。これによると、工業発展国は、ソ連も含まれたが、1996年までにこれを実施しなければならなかった。ところがその前身の義務を引き継いだロシア連邦は厳しい経済状況により、こうした条件を履行することができなかったし、その当時からモントリオ−ル協定不履行の状態にある。
こうした事情を危惧した10ヶ国、米国や英国、日本も含まれるのだが、地球環境基金により、オゾン破壊物質生産中止措置にたいする資金補助金をロシアに供与すると決定した。資金の運営とプロジェクトの管理は、同基金のメンバ−である国際復興開発銀行に任された。
ロシアにある国際復興開発銀行代表部の環境保護専門担当者ウラジ−ミル・チルクノフが“イズヴェスチヤ”紙に語ったところによると、補助金として提供される資金はロシアの七企業のオゾン破壊物質生産中止に使われる。ここでの最大企業はヴォルゴグラ-ド市にある“カウスチク”と“ヒミプロム”、それにペルミ市にある“ハロゲン”である。オゾン破壊物質の生産量により各企業には20万ドルから700万ドルの範囲で資金供与され、これは設備の刷新、オゾン安全物質の生産技術の導入に向けられる。こうした特別目的の資金用途の検査は、原子力省や産業科学省、それにプロジェクトの実行を五年間監視する国際復興開発銀行自身も行う。
オゾン破壊物質には、フロンがある。これはエアゾ−ルや冷却設備に利用される。現在、フロン生産量はロシアでは年間1万5千トンにも上り、これは世界全体の生産量の10%にあたる。ところが専門家の計算だと、この部門の生産能力ははるかに大きく、経済状況が良ければ、年間10万トン生産する能力があり、世界規模の環境破壊を引き起こす可能性がある。
9月16日(土)
国家理念としての市民社会(完)
-歴史はロシア民主主義に格好のチャンスを与えた-
(独立新聞、9月8日、オレグ・ノスコヴィチ:物理学者)
人類史のこの百年、特に後半の五十年の経験が証明するものは、国家の長期経済繁栄は市民社会なしでは不可能であるということだ。つまり、国の運営について各社会層が意思表示できる社会体制なしにはありえない。
現段階でロシア社会には価値観の異なるいくつかの大きなグル-プが観察される。先ず第一の集団は新しい国家体制には展望を見出せず、その結果古いソヴィエト時代にノスタルジアを覚えている人々である。第二の集団は過去の反復は否定するものの、近代市場や民主主義に向かって前進するために、何をどのようになすべきか、あまりよく分かっていない人々である。この方向で自分の行動を独自に規定できないので、この市民集団はこの名誉ある義務を政府に委ねている。最後に第三番目の集団だが、理想として自由社会を意識的に選択した人々である。まさに彼らこそが知的面で最も積極的で進歩的な社会の部分である。それ故、自由主義価値観を国家意識の根幹に植え付けようとすると常に発生する問題の解決では彼らが主要な役割をはたし、これには疑う余地はない。
わが国の歴史ではまさに文字通りほんの一握りの社会の知的部分にのみ自己の社会行動理念のため自由な選択が許された。こうしたことは、国家権力が意識的にせよ、無意識にせよ、鉄の箍を弛めると、一般の俗人は自己の運命もかえりみず、英雄的行為もせずに、その行動で将来の社会発展にたいし影響を与えることができた時代に起こった。このような状況は二十世紀に二度もあり、1917年と1991年に起こり、二度ともロシアの最高代表者はたいていの場合、歴史が彼らに提示した課題の水準にはなかった。だが17年が破局に導いたとしても、91年には本質的欠陥を克服するチャンスはあった。しかも完全にその欠陥を認識し、政治的に宣言した目標を本格的に正しく実現できる環境があった。
現代ロシアの民主主義信奉者はほとんど類似点がない。その若干の部分は新たな経済改革のおかげではじめて自己実現と人生の成功を勝ち取ることができた、そうしたことで市場条件に強い利害関係のある人々である。個人の活動や現実生活は旧体制が完全に崩壊した時期、諸関係を規制する司法機関のない環境で動かざるえなかったし、その結果、時に法の空白を非民主的やり方を利用して埋めざるえなかった。これらの人々が民主主義者・現実主義者のことである。こうしたやり方の極端の表現は、最も高いレベルでのその実現について言えば、ガイダ−ルやチュバイスの政治であった。形式的にも精神的にもこれは民主政治であったが、全体主義的思考めいたものがあった。それは目的が手段を正当化し、具体的個人の切実な利害は高い理念の犠牲とされた。こうした時はあらゆる犠牲をはらっても資本主義を早急に構築する必要があった。
ロシア民主主義者の第二グル−プは数的にはおそらく第一グル−プに匹敵する。個人と社会全体の自由な発展という理念を信じ、それが高い知的能力で裏打ちされている人々である。旧時代に労働インテリゲンチヤと呼ばれた人々である。彼らは民主主義者で理想主義者であり、そのほとんどは新たな権力から経済的には何も得ていないが、現在の自由の潜在的可能性をきわめて高く評価している。
さらに第三のグル−プが存在する。これらの人々は深い確信もあるが、おそらくそうした深い確信というより、むしろ現代人の意識に西側の生活イメ−ジが与える型にはまった影響により自由主義価値観に魅せられたものである。もちろん、このグル−プの主体は若者である。
一定の政治範疇にたいするこれら民主グル−プの属性を検討してみると、第一グル−プと第三グル−プの大半は“右派同盟”に属し、第二グル−プは“ヤブロコ”に属する。
こうしたことから、第一に民主勢力(全勢力でないとしても、少なくとも社会体制に関し古典的右派モデルを支持する勢力)を統一するという最近の宣言そのものは重要と思われるし、第二にこの統一プロセスがどのように発展していくか、重要と思われる。事態がうまく進展すれば社会全体の模範となるだろうし、今後しかるべき機能し、民主主義国家の諸関係を構築し、また将来類似のプロセスの促進剤ともなりうるだろう。たしかに二つの大民主勢力の現在の政治的動きの本質はそれがうまくいけば、素人にたいするプロの勝利を意味するだろう。
思想面で全右派勢力の統一は、思想的統一がなければどのような本格的活動も不可能ではあるが、きわめた関心を引く動きとなるはずである。はたして我々には何があるだろうか。筋金入りの“ヤブロコ”支持者は、社会設計の能力があり、社会建設の理念をもつが、それを放棄する意図はまったくない人々である。このような人種は社会にたいし理念は作り出すが、大幅な譲歩をしないでこうした理念達成方法の提案では大きな困難に出会っている。こうした背景には国を運営する具体的行動に消極的に参加する、“ヤブロコ”の示す主張に原因がある。
“右派同盟”支持者の多くはその反対で、管理面や経済分野できわめて積極的に行動している。ビジネスの人々、彼らは新しい社会制度を日常的にうまく馴染ませ調整する能力があり、そこでは妥協する術を完璧に身に付けている。だがこうしたやり方では、妥協と理念の裏切りと区別するきわめて微妙な瀬戸際に踏みとどまれないという、本質的危惧が存在する。まさに2000年大統領選挙前まではこうした瀬戸際に“同盟”の多くの代表者は立っていた。さらに彼らには当分の間、ガイダ−ル−チュバイスのきわめて矛盾にみちた新方式の影がつきまとうだろう。
例えば、“馬とおどおどしたシカ”を同じ馬車につなぐことができるだろうか。この問いの回答から、わが国の民主主義思想持ち主の成熟度が分かるだろう。ここ数年の評価では意見が分かれ、善悪の理解が一様でない数百万の人々は、これをその政治代理人が代表するわけだが、共通理念と戦略目標に基づき合意することはできるとすれば、それは最も新しいロシア史で質的に新しい段階を意味するはずである。おそらくこの事実は長い間待望していた国家理念を志向すべき市民社会の理念として定義する上で世論に刺激をあたえるだろう。市民社会という建物全体を完璧にしかも完全に直ちに構築するという目的は若干ユ−トピアに近いかもしれない。これは徐々に、一部品ずつ、血となり肉となるように作り上げる必要がある。現段階では社会合意は最も単純で誰にも分かる、そうした水準の上で達成されているが、これは社会の中の意見の不一致を暴力的に解決するという不愉快なものであり、個人の自由な活動を保障するという観点から国家体制をはっきりと望んでいることなのである。この三つの主な思想グル−プでは、社会体制に関する合意程度や社会生活における国家の役割の程度は、全体として社会常識より高い。したがって市民社会に向かい運動は、グル−プ内の団結を高め、思想の異なる団体間に強固な連絡手段を打ち立て実行する必要がある。社会の市民化プロセスに一定の方向付けをし、それをチェックし、管理するのは、これをどうのようにすべきか理解している勢力である。こうした視点から見れば、ロシア民主主義はに間近に歴史的チャンスはあるし、それを逸しない大きな前提条件をもっている。
9月8日(金)
“ロシアと日本、外交より柔道”(完)
(イズヴェスチヤ、9月6日、ゲオルギイ・ボフト)
訪日最終日、プ-チン大統領は森嘉郎首相と会談をもった。そこで彼らは友好関係を深めた。プ-チン大統領は“ヨシ”と呼び、“ヨシ”はロシア語に類似した音声を発するロボット犬を友人にプレゼントした。プ-チン大統領は迎賓館“朝日”の間で国内政治家と一連の会合をもち、たまたま来日していたニキ−タ・ミハルコフと会談し、そして日本経団連の会員にはロシアについて紋切り型をやめるように訴えた。国際問題の協力に関する共同声明やエネルギ−から環境、原潜核廃棄物の利用と様々な分野を網羅した15の文書からなら経済協力発展プログラムが調印された。東京ではこれにはむしろ懐疑的で、基本線での進展をぼかすための飾りと評価されている。
プ-チン大統領はロシアの投資に伴うリスクの保証を引き受ける以前からあった日露投資会社設立プランの復活を提案した。しかし現在このプランは生きているというより、むしろ死に体に近いものであり、また古くからあるロシアにたいする紋切り型態度を見直し、ロシア市場で主体的に活躍すること、こうしたプ-チン大統領の訴えそのものも、残念ながら、二国間の貿易総額50億ドル弱をたちどころに日中間に近いような額に(600億ドル)に変化させるものではない。両国の経済関係はますます政治色が強くなっている。平和条約が締結されず、領土問題が解決されないと、経済関係に風穴をあけるのは不可能である。いずれにしても、ここ数年東京からの反応も徐々に鈍っている。
訪日の公式日程を終えると、プ-チン大統領は講道館の畳の上に上がった。“クルスク”原潜沈没事故後、本紙の取材だと訪日予定は中止するつもりであったらしいが、プ-チン大統領の長年の柔道好き(13年間)を満足させるため決定されたらしい。「畳の上にあがりこむと、もう客人ではなく家にいるような気になるし、自分の近い親戚、つつまり柔道家の中にいることを感じる」と述べている。柔道着をきてプ-チン大統領は数十の技を披露した。十歳の女柔道家との組み手もあった。そして六段の認証書と帯が授与された。
プ-チン大統領と森首相は平和条約と領土問題交渉の継続を確認した。領土問題、これが最も焦眉の点だが、モスクワと東京は立ち往生している。
1997年のエリツイン・橋本のクラスノヤルスク声明は否認された。プ-チン大統領は当時誰も“義務”(平和条約の締結、即ち2000年までに領土問題の解決)という言葉を発していないし、“平和条約締結に全力を尽くす“という約束だけであったとし、出来る限り正確にした。ところが日本とロシアの外交筋からの情報を判断すると、東京はまさにこの部分に大きな期待をかけていたのである。そしてこの期待には若干の根拠はあった。
もちろん、条約締結は誰も期待していなかった。この面での失敗はエリツイン時代でも東京では平気であった。希望のかすかな光がプ-チン時代の“早期”にはやくも消えてしまった。“強い国家を建設する”という彼の方針と“領土の譲歩”(ロシアではこの問題で前進があったするいかなる発表もそのようにとられる)は一致しない。原潜“クルスク”号の事故後、ロシア人の愛国心の琴線に触れてはいけないと、日本人はよくわかった。だがそれにもかかわらず、双方はこのデリケ−トの問題でもっとうまく立ち回ることができたかもしれない。問題はプ-チン大統領が“まずいタイミング”に訪日したことだけでなく、まったく外交的調整がなかったことにもある。
今日日本ではほぼ一般的に認識されていることだが、森首相は下手な交渉者であり、国際問題の経験が浅い。同首相ははっきりと世論問題をかかえているし、人気はきわめて低い。彼にとってどのようなロシアの譲歩も不可能であるし、こうした点でどのような突破口も意外性も期待することはできなかった。モスクワに関して言えば、日本人を悩ましていた最大の問題は、誰がどのようにロシアの対外政策を作っているのか、その点であった。好奇心旺盛な日本の頭脳は、外務大臣イゴリ・イワノフ、彼と同姓の安全保障会議書記セルゲイ、副首相、政府間委員会共同議長ヴィクトル・フリステンコの名前の回りを行ったり来たりした。外務省については、現在の“イワノフ”の名前のおかげで彼は安全保障会議の正当性を認めるチャンスをよく逃している。こうした状況で外務省に大胆さ(難解な問題を突破するにはまさにこうしたことが求められる)を期待することはできない。セルゲイ・イワノフはプ-チンの側近で現在その影響力を急激に伸ばしているが、リスクをおかすことはできない。彼は対外政策が明らかに“愛国的”分野(例えば、テロリズムの発祥のおそれのあるCIS諸国にたいしビザ制度の導入)に関すれば、はじめて対外政策のゲ-ムに参加する。大統領府には国際問題顧問としてセルゲイ・プルホチコもいるが、彼の影響力はさほど大きくなく、その役割はどちらかと言えば二次的なものである。フリステンコはさほど日本には影響が及ばない。そこでは経済分野(具体的プロジェクト)において数十億のエネルギ−プロジェクトでロビ−活動を展開している“ロシア統合電力システム”あるいは原子力省のような強力なプレ-ヤや、時にきわめて多くの事業の“具体化”が左右される極東地域の有力者が控えている。
日本人にもたとえレトリックの範疇でも、簡単に言えばシンボリックな進展が必要であった。例えば、“北方領土”に関する交渉日程を定めることとか、あたかも“香港方式”を示唆するかのように、1956年のソ日共同宣言の遵守(平和条約と引き換えに歯舞色丹島の返還)の確認することであった。しかしロシアで日本の投資にも“安全な緑色の光”を出すような“進展”を際立たせる形式作りには、微妙な外交的作業が要求された。これにたいしてはロシアも日本も一方は準備がないし、他方には能力がないか、たんに怖がっていた。
訪日の成果について、この成果は大きなものである、というのも南クリルのウニの共同養殖事業というあまり目立たない協定があったという発言は興味がある。これは前例となる。今日まで日本人は領土問題がはっきりするまで、“北方領土”におけるいかなる経済活動も拒否している。つまりこれはロシア側がある極秘の仄めかしでとにかくこの問題を例えば“香港方式”で“クリア”にしたのか、それとも日本人はクリルのケ-スでは“中国方式”(例をあげれば、中国は最早、ロシアにどのような極東の領土も要求していないが、たんにひそかに極東に移民(主に非合法)させている)でやると決断したかである。遅かれ早かれ、弁証法の法則で量(中国人)が質(中国保有領土)に変換することを期待する。
9月6日(水)
“ロシアは変わったか”(完)
-危機的状況の中、事態の重圧に屈してはいけない-
(独立新聞、9月2日、ミハイル・ゴルバチョフ、ニュ−ヨ−クタイムスに用意した記事)
八月はまたもやロシアにとって重大な月となってしまった。次々と大惨事が発生した。まず犠牲者をだしたモスクワ中心街地下通路の事件があり、それに続いてバレンツ海の事故で乗員118名の北方艦隊の旗艦“クルスク”号の沈没事故があった。そして最後にオスタンキノテレビ塔の未曾有の火災があった。
こうした劇的な出来事にはその原因もあり、結果もある。しかしこうした事が全て重なり合い、国内の危機的状況を作り出している。先ずそれはこうした出来事について社会はどのように知らされたのか、そうした点に現れた。国はふたたび情報不足に直面している。国民は政府のちょっとした発言や行動でも疑いをもつようになった。
バレンツ海潜水艦事故についても、ロシア国民は知らされていなかった。そこで沈黙し、原潜事故の真実を隠蔽するやり方が単純に実行されたという印象は拭いきれない。ロシア国民は、当初大統領にも完全な情報がなかったと考えている。情報公開が不足していたので、世論はネガテイブな反応をした。これはプ-チン氏が大統領になり、良い方向に変化し始めた政府と社会の関係に大きな打撃を与えてしまった。
政府機関との関係が異常となっているマスコミは、必要なことをしながら、事件全体について信頼できる情報を入手しようと努力したが、いつしか情熱や感情、いろんな噂で動いてしまった。一部のマスコミは政府を人命軽視と非難し、事実上煽動行為と同じ事してしまった。
むろん、政府は誤りをおかした。それも民主主義社会では受け入れられぬ最も重大な誤りである。バレンツ海の悲劇では大統領もその行動に遅れをとった。その政治活動ははじめて大統領は厳しい状況に直面した。たぶん、ここに経験不足が表面化したのだろう。それでも、状況を制御不能に陥らせない、そのための忍耐力も決断力も彼には十分あった。大統領は過ちを修正するためにエネルギッシュに対策をこうじた。
今きわめて重要なことは、起きたこと全体から教訓をくみとり、こうした危機状況が明るみにした現実問題を解決することである。
こうした劇的な出来事が起きる前にも、私は何度となく、グラスノスチや政府から社会にたいし適時かつ完全な情報の提供の意義、それとマスコミの責任を指摘してきた。ここで特に強調しておきたいことは、国が危機から脱出するためには、また新執行部が政治で好結果を出すためには、民主主義を弱めるのではなく、むしろ強化し、自由な報道を存続させ、保護し支持することが重要なのです。社会ばかりか政府も、それも特に大統領が自由で独立し責任ある報道に関心をもつことです。
そしてこれは将来身に付ける必要のある最初の教訓なのです。事件の真っ最中、記者は時に感情があり余り、事実の公正な記述を上回ってしまうこともあるが、それでも状況を意識的エスカレ−ションしていると、マスコミを非難するのは間違いである。
西側のマスコミでも、初期の段階ではロシアの出来事の究明にあたり、その客観的原因や責任をいつも追跡していたわけではないと言っておく。一部の非難は冷戦の意識で浴びせているとさえ言えるかもしれない。ロシアはこの15年間何も変わっていないといって非難されはじめた。これは正しくない。この数日ロシアの世論やマスコミが見せた態度がその証である。
これらの出来事の原因究明を厳しく指揮するプ−チン氏の強い姿勢は歓迎するし、こうしたことと、彼と彼の政府が国家機関の役割を高め、国内の秩序を回復し、法秩序を健全化し、産業や都市基盤を近代化させるために実行している措置と結びつけようとしていることを支持する。
最近ふたたび、ロシアの軍の現状に関し激しい議論が展開されている。二つの意見は両立しない。ロシアには近代的でコンパクトな戦闘能力のある軍隊が必要である。ここ数年、軍改革について多くの議論があった。しかしエリツイン体制にはこの改革を実行する能力はなかった。プ-チン大統領は軍改革の必要性と重要性を理解しているだけではなく、この国家課題の解決に向かって正しいアプロ−チをしている。
さらにもう一つ教訓は、これは社会全体が身につけなければならない教訓である。危機的状況の中、困難な環境の重圧に負けてはならない。政府もマスコミも、そして全ての国民も忍耐力を発揮し、プライドをもって責任ある行動をとるべきである。
大統領支持の方針を見直すという問題提起している人たちに賛同することはできない。大惨事があった。しかしわが国の災難はつねに国民を団結させてきた。我々はこうした団結が国民相互間においても、社会と政府の間においても大きな相互理解となるように行動すべきである。
八月にきわめて劇的に発生した問題について言うと、この解決は全社会の支持と、我々が効果的で有効な民主主義制度や管理システム、強力な世論、自由な報道のある正常な国家に向かって前進しているという条件があってはじめて可能なのである。まさに変化した新生ロシアは自らに突きつけられた挑戦に向かっていかねばならない。
9月3日(日)
“喉にひかかる客”(完)
-サハリン経済界、日本の投資に当然の反撃-
(イズヴェスチヤ、9月1日、リュボフ・キジロヴァ、マリヤ・イグナトヴァ)
訪日の途中、ロシア大統領プ-チンはユジノ・サハリンスク市に寄る予定。その時大統領がホテル“サンタ・リゾト”に泊まらないともかぎらない。今後予想される日本の投資は堕落した官吏にあわせて解釈されている法律と衝突するだけではない。もうひとつの問題となるのは、外国投資は実際に地域経済に投資した者にたいし、完全な支配権を持つべきでないとする地方自治体と地方の“所有者”の頑なの思い込みの問題である。
以下に述べる話はとても愉快である。と言うのも、極東の大型投資についての目前に迫る日本との交渉を背景に起きているからである。
「紛争の本質は、サハリン海運会社が合弁会社資産全てを自分のものにしてしまったことにある」と本紙記者に国会議員ユ−リ・テンは語った。この資産には日本とロシアの合弁会社出資者がそれぞれ同額で1800万ドルづつ融資して建設されたホテル“サンタ・リゾト”が含まれている。
日本側はこの問題にロシア大統領の注意を向けようとすでに動いている。“大陸貿易”社長ヨシトミ氏は大統領に書簡を送っている。その中で「1998年夏、合弁会社“サンタ”社長V.A.ドルキンが日本の出資者に内緒でこのホテルと合弁会社“サンタ”のその他の資産全てをホテル建設にたいする海運会社の融資返済のため、数倍も不当に低い価格でサハリン海運会社に譲渡した」と述べられている。資産の譲渡は“サンクト・ペテルブルグ仲裁裁判所の裁定として正式に手続きされたものである”。“大陸貿易”は調停裁判所に訴え、同裁判所はこの裁定に異議をとなえた。
だが合弁会社のロシア側出資者はこれには同意していない。合弁会社“サンタ”社長ヴィタリ・ドルキンは“イズヴェスチヤ”記者の電話取材で日本側の1800万ドル融資は“かなり議論の余地がある”と述べている。ドルキン氏によると、“発起人であるサハリン海運会社はこれに反論している”。9月8日までに“大陸貿易”は日本側の融資の事実を証明できる文書を提出しなければならない、とドルキン氏は述べた。
そこで“大陸貿易”役員鈴木氏は、融資を証明する全ての文書は提出済みであると述べている。極東調停裁判所控訴審は今年8月1日、日本側の正当性を認めた決定をだした。
日本側の立場についてモスクワ駐在のある外交官は“イズヴェスチヤ”紙に次のように述べている。「これは前から知られている争いです。我々はこの問題ができるかぎり早く解決することを望んでいます。というのも、これは今後の協力とって日本企業にたいする良いシグナルでしょうし、ロシアには日本の投資にとって良い環境が存在することを物語っています」
言い方を替えれば、問題が完全に解決すル前に係争中の領土を大統領が訪れることは、どちらか一方の正当性の間接的承認を意味する。こうした中、“強引な経済”手腕を行使する双方は、犯罪組織や犯罪に近い組織にかなり気にいられている。
ロシアにたいする日本の投資全体の20%は“大陸貿易”によるものだが、もしプ-チン大統領が日本人から取り上げたホテルに泊まるとなると、交渉はうまくはこばないかもしれない。最新の取材だと、大統領はユジノ・サハリンスクに行くとしても、宿泊は予定していない。9月3日に飛来し、その日に日本に出発する。これで好転でもすればよいのだが。
サハリン海運会社の特徴といえば、外国投資家にたいする勝手気ままな態度である。90年代半ば、同社はきわめて困った財政状態にあった。1996〜1997年にかけての冬期、サハリン・北海道の海運便中止問題が浮上した。最終的には同海運会社は資金調達するのだが、この資金4250万ドル融資しのたは、欧州復興開発銀行と仏銀行“パリバ”の支援グル-プでああた。融資された資金のおかげて同社の事業はじきに軌道にのり始めた。1998年危機の年に同海運会社は6580万ル-ブルの利益をあげている。過去の債務1億ル-ブル以上が消却された。すばらしい財政状態にもかかわらず、同社と外国取引先の関係は日に日に悪化していった。1999年、債券銀行が融資返済を求め、財産の差し押さえに入った。欧州復興開発銀行はプロジェクトから脱退し、“パリバ”銀行も同社にたいする融資を完全にストップした。サハリン海運会社社長ヤクプ・アレゲドピノフにとって、ホテルと債権者との処理で大騒ぎすることは得策でなかった。それは彼にはもっと重要な関心事があった。彼が州議会に立候補するつもりとのうわさが出ている。
プ-チン大統領の東京の途中宿泊するかもしれない“問題”のホテルの事情は注目に値する。大統領は東京に行く。そこには投資拡大問題の話し合いも含まれる。その背後には、法律や裁判を巧みに操る極東の大物政治家やその他の権威という投資“保証人”がひかえている。
日本の外交官との話からすると、訪問前の東京には彼の政治的見通しについても明確なものをもっていない。ロシアは1956年日ソ共同宣言に忠実に従うことを承認するだろうか(当時ソ連邦は南クリル二島返還の用意があると表明した)。それとも、ずっと後のエリツイン時代の東京宣言(領土問題の存在確認)に忠実にしたがうのか。プ-チンは、1998年にエリツインが川奈会談で何を発言したか思い出すだろうか(彼は領土問題を棚上げし、日本側にクリルの開発を提案した)。
一点については若干はっきりした。プ-チンは動揺した後、どうやら柔道の大会を訪れるらしい(“クルスク”号事故後、彼は当初全ての文化スケジュ−ルは辞退していた)。日本人にとってもはっきりしていることは、2000年以前に平和条約(1997年エリツインと橋本が合意した)は締結されないことである。そのかわりはっきりしないのが、クレムリンではどのように外交決定するのか(その準備の中心は外務省なのか、安全保障会議なのか)、日本が関心ある分野でこうした事をより効率的にはこぶためにモスクワでは誰と話せばよいのか、はっきりしていない。ホテル問題は、誰と話すべきかはっきりしている。ひょっとしたら、クリル開発もふくめ、他の問題も“兄弟”と決めるべきなのかもしれない。