快泉院の紹介


快泉院は本尊を不動明王とする真言宗のお寺です
さて、これ以上紹介する事柄を思いつきません
その代わりに、豊川市小中学校社会科研究サークルが発行している「とよかわのむかしばなし-民話と伝説-」に掲載されている快泉院にまつわる物語を読んでください





        女ぎつねの しかえし


ところ 豊川市大崎町 むかし、大崎村に 快泉院と いう 寺が ありました。 おしょうさんは、「ほうえんさま」「ほうえんさま」と 村人から たいへん し たわれて いました。
ある 秋の 日の ことです。
「さて きょうは、綿ほうがに でかけるか。」
ほうえんさまは、ぽつりと ひとりごとを いいました。
綿ほうがと いうのは、毎年 秋の とり入れ 時に 家を まわり、少しずつ 綿や 米などを きふして もらう ことです。まわるところは、三蔵子、千両、 西原、足山田などです。
ほうえんさまは ころもを きて、ほら貝を 首に さげ、かさを かぶり、つえ を ついて 出かけました。
千両の 赤根坂を 通りかかると、女ぎつねが 道ばたで 気持ち よさそうに 昼ねを していました。それを 見た ほうえんさまは、きつねをおどかしてやろうと思いました。
そこで、首に かけて いた ほら貝を、女ぎつねの 耳もとで 力いっぱい ふ きならしました。
「ブー、ブー。」
「ブッ、ブッ、ブー。」
気持ち よく 昼ねを 楽しんで いた きつねは、とつぜんの ほら貝の 音に びっくり、いちもくさんに にげだしました。
その 女ぎつねの あわてようと いったら------。ほうえんさまは、しばらくの 間、はらを かかえて わらいころげて いました。自分が ほとけに つかえる 身だと いう ことも わすれて しまって------。.
やがて、わらいが おさまると ほうえんさまは、
[ちょっぴりいたずらがすぎたかな。」
と、心配に なりました。


  夕方、千両から 西原の 家を

まわり、たくさんの 綿や 米を

きふして もらい、昼間 とおった 

赤根坂へ もどって きました。

秋の 日ぐれは 早く、あたりは もう うすぐらく なって いまし
た。ちょうど おはかの 近くに さしかかった 時です。
「ザワザワ、ザワザワ。」
「ザーッ、ザーッ。」
草の ゆれる 音が するので ふりかえって 見ると、なんと にんげんが はか から はい出して くるでは ありませんか。しかも、その からだの 大きな こ と、顔の おそろしいこと。
「ぎゃあ!おばけだぁ!。」
めったに おどろいた ことの ない ほうえんさま でしたが、この 時 ばかり は こしを ぬかさんばかりに びっくりしました。そして、せを まるめ いちもくさ んに にげ出しました。
やっとの ことで、上ノ原まで にげて きました。もう だいじょうぶだろう と 思って うしろを ふりかえって みると、
「これはいかん!」
おばけは、すぐうしろにせまっていました。
あたりを 見まわすと、一本の 松の 木が 目に つきました。ほうえんさまは、 ひっしに なって その 木に 登りました。おばけも、下から よじ登って き ます。上へ 上へと おいつめられて もう にげばは ありません。
その 時、ほうえんさまは、さげている ほら貝に 気づきました。そこで、ほら 貝を とり上げ、おばけを 力いっぱい なぐりつけました。
「コーン、コーン。」

きつねの 大きな なき声と いっしょに、ほら貝は こなみじんに くだけました。 そして、おばけの すがたも 消えて しまいました。
ほうえんさまは、ほっと しました。「たすかった。」と むねを なでおろしなが ら、お寺へ もどりました。
そこで、ほうえんさまは ほら貝が こわれた 時の ことを 思い出し、
「さては女ぎつねのしかえしであったのか。」
と 気づきました。そして、昼間 自分の した ことが、はずかしく なりました。
いまも 快泉院と いう お寺が 大崎町に のこって います。
父兄の方へ 古老の話によると、江戸末期の快泉院は、寺子屋として、大変はんじょうしてい たそうです。また、ほうえん様は、ユーモアに富み、子弟の教育に大変熱心な方で あったそうです。




以上です




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