あとがき
- 4年3か月のご無沙汰でした。この間にWindowsが10になり、ホームページのアップもソフト探しからやり直しになりましたが。この間の消息は本編をご参照ください。2020/01/26記
- 前回アップから8か月も過ぎてしまった。遠隔地の故、投稿誌WIFEの締切が判らなくなって、筆を休めて、気分を変えてゴルフに精進していた。べつに下手だし、すごく好きなスポーツでもないが、仕事の役に立てている知人を見ると、一般教養の一部なのだろうと、思ったのだった。さて、この今年キューバを取り巻く状況は激変しました、今回は、生活の中で感じる変化をちょっと書いてみました。2015/10/14記
- 前回アップから3か月以上過ぎてしまった。投稿誌WIFEには投稿分は、掲載していただいており、ありがたいことだが、やはり締切がわからない。寄稿のペースを落とすことで編集部への迷惑を回避することにした。というわけで今回は投稿なしのアップである。2015/02/04記
- 前回アップから8か月も過ぎてしまった。投稿誌WIFEは年4回発行になった。誌面は帰国時にしか見ないので、締切もよくわからなくなり、筆が遠のいた。寄稿をやめる頃合いかもしれない。このHPだけは続けようと思うが、知人からキンドル(電子化)を勧めていただき、考え中である。2014/10/26記
- 偶数月の下旬になると、エッセーを書かないと落ち着かない。昨年分のWIFEの発行が少ないので、ハバナ(3)は、このHPのみでの公開かもしれない幻のエッセーとなります。2014/02/24記
- キューバ・ハバナに赴任して6カ月が過ぎた。WIFEの投稿は、編集部のご厚情で順送りに載せていただけるようす。ありがたいことだが、少し間が開く。このHPでは、ちょっと遅れ気味ではあるが、順次掲載しますので、ファンの方はご覧いただけます。なお、なんだかしっくりこなくて、シリーズ名を少し変えました。ご容赦ください。2014/02/09記
- キューバ・ハバナに赴任して2カ月となった。8月末日もWIFEの締め切りに合わせてせっせとエッセーを書きましたが、そのWIFEは、冬の特大号に備えて欠号だそうです。残念。幻のエッセーは編集長さんの温情で、WIFEのHPから、編集長さんのブログに入ると、全文が閲覧可能となりました。多謝。2013/09/29記
- あっという間に、3回分溜まってしまいました。2月分はワイフ採用を確認しています。4月分、6月分も採用になっている、採用になるとうれしいのですが。。。さて、今日は7月1日、私のネパール在勤も3年を超えようとしています。が、今回のエッセーにも書きましたが、転勤が決まりました。詳細は、本文をご参照下さい。2013/07/01記
- 2013年になってしまいました。あけましておめでとうございます。『元外科医のヒマラヤ修行』の12号、13号まではまで、ワイフの投稿はご採用いただいているようです。採用未確認のヒマラヤ修行14号、15号をアップします。
エベレストの写真も特集ページでアップしています。ご覧いただければ幸いです。2013/01/01記
- 7月です。日本の家族からの報告では『元外科医のヒマラヤ修行(11)』(2012/04/29)まで、ワイフの投稿はご採用いただいているようです。採用前ですがヒマラヤ修行(12)をアップします。
日常のスナップで4コマ漫画を作りました。メインページ中央から、お楽しみください。2012/07/07記
- 6月です。『元外科医のヒマラヤ修行(10)』(2012/02/28)まで、ご採用確認しております。今月分も書き終えましたが次回のアップロードをお待ちください。
健康のため徒歩通勤(40分)をやっております、道すがら、子猫を見かける日があり、そんな日はいい気分で一日がおくれます。2012/06/16記
- 3月です。『元外科医のヒマラヤ修行(8)』(2011/10/27)は、ご採用いただいたそうです。『元外科医のヒマラヤ修行(9)』(2011/12/30)もご採用と日本から聞きました。ありがとうございます。『元外科医のヒマラヤ修行(10)』(2012/02/28)も投稿中です。
医務官仲間にも、このHPの読者がいると伺いました。アップが遅れておりましたが、M先生おまたせしました。2012/03/03記
- 11月です。ネパールはお祭り月の10月が過ぎると、乾季で寒季。こたつ生活が始まりました。。。WIFEへの投稿は続いております。352号は、『元外科医のヒマラヤ修行(7)』(2011/08/26)を採用いただきました。10月末、次号への投稿は、『元外科医のヒマラヤ修行(8)』(2011/10/27)です。ご採用をお待ちします。
旭川で家族が増えました。子猫を飼いました。2011/11/05記
- 7月になりました。ネパール生活1年を経過。マナーなどお国柄の違いについては批判的な文章になってしまいます。友好的文章にするべく反省はしているのですが。。。WIFEへの投稿は続いております。350号までの採用を確認しました。6月末、WIFE351号への投稿は、『元外科医のヒマラヤ修行(6)』(2011/06/29)です。ご採用をお待ちします。
カトマンズはモンスーン(雨季)です。2011/07/10記
- 5月のネパールはエベレスト登頂ラッシュです。仕事では、エベレストからは登頂の吉報と高山病死の訃報が入り乱れています。WIFEへの投稿は続いております。347号、348号にヒマラヤ修業(2)~(3) の掲載をようやく確認しました。4月末、WIFE350号への投稿は、『元外科医のヒマラヤ修行(5) ヒモは気軽ね(ケガルネ)』(2011/04/30)です。ご採用をお待ちします。
カトマンズの5月前半の花は、ジャガランタ(紫色ミモザ)の高木です。きれいですよ。2011/05/15記
- ネパール生活は8カ月になります。WIFEへの投稿は続いております。が、346号ご採用の『元外科医のヒマラヤ修業(1)』(2010/08/30)、以降、WIFEを手元に出来ず採用の状況は不明です。347号から349号にヒマラヤ修業(2)~(4) をアプライしました。ご採用をお待ちします。
プライベートでは、ヒマラヤ景勝地ナガルコットで年越しをして、ヒマラヤ観光を果たしました。現在のカトマンズは、まだ乾季ですが、底冷えの季節は終わり、桜が咲いてます。ヒマラヤ杉の花粉症も盛りです。2011/03/02記
- ネパール生活は4カ月になります。WIFEへの投稿と採用は続いております。346号のご採用は『元外科医のヒマラヤ修業(1) ヒマラヤン(ネコ)を飼えないか』(2010/08/30)、さらに次号へも投稿は続いています。ご採用をお待ちします。
カトマンズは、乾季となり、ヒマラヤの雪峰が遠くに見えるようになってきました。2010/11/06記
- ネパール生活はそろそろ2カ月になります。WIFEへの投稿と採用は続いております。344号のご採用は『バス通学の娘と親バカの私』(2010/04/30) 、345号のご採用は『物欲人間が行く』(2010/06/30)でした。さらに次号へも投稿は続いています。ご採用をお待ちします。
カトマンズは、いまだモンスーン(雨季)。例年にない悪天候で、先週には飛行機事故もありました。世界の屋根で、お気楽な第二の人生のつもりでしたが、そういうわけで、ちょっと辛い仕事もありました。犠牲になられた日本人のご冥福をお祈りします。 2010/08/31記
- WIFEへの投稿と採用は続いております。343号のご採用は、『外科医の当直日誌 最終回』(2010/02/27)でした。さらに次号へも投稿は続いています。ご採用をお待ちします。エッセーにも書きましたが、外科医を辞めました。書けない事柄や、書かない方がよい事柄もありますが、この数ヶ月の経緯は、いずれここには載せようと考えています。あと1週間で桜の咲くはずの旭川です。2010/05/06記
- 新年です。今年もよろしくお願いします。WIFEへの投稿と採用は続いております。341号のご採用は、『外科医の『宅』直日誌 -妻が留学に出た-』(2009/10/30)です。『外科医の『宅』直日誌2 -生き物係を科学的にやってみる-』(2009/12/29)の投稿で新年のご採用をお待ちしています。2010/01/03記
- 更新が滞り、申し訳ありません。いつの間にか初雪の季節です。WIFEへの投稿と採用は続いております。『外科医の当直日誌12 番外編-お父さんのお受験-』(2009/02/27)、『外科医の当直日誌13 身をもって知るということ ―遠近両用メガネ―』(2009/04/29)、『外科医の当直日誌14 わたしの転勤、あなたの転機』(2009/06/29)、『神仏に出会う夏』(2009/08/29)ここまで=最新号の340号まで、採用いただきました。次号の採用待ちは、『外科医の『宅』直日誌 -妻が留学に出た-』(2009/10/30)です。2009/10/31記
- WIFE335号への投稿『外科医の当直日誌10 -藪井竹庵はかく語りき-』(2008/10/26)も採用いただいています。次回分投稿『外科医の当直日誌11 -付け届け、あるいは感謝されるということ-』(2008/12/27)本日アップです。投稿をためらいつつ執筆した内容、麻生さんが『それ見たことか、やはり医者は、、、』などといいそうで、不安です。新年です。これからもよろしく。2009/01/12記
- 332号への投稿『私の買い物修行』も採用いただきました。また『桜桃』は333号に採用いただきました。さらにパワーストーンの話は、今年のWIFEの読者賞をいただきました。光栄です。みなさまに多謝。さらに『外科医の当直日誌9-ヒトという生き物を扱うことの意味-』(2008/08/30)は334号に採用。また、次回投稿中の『外科医の当直日誌10 -藪井竹庵はかく語りき-』(2008/10/26)も本日アップです。まとめてのアップですみません。お気づきのように、WIFE投稿のため2ヶ月に約1回の執筆活動を続けています。これからもよろしく。2008/10/26記
- WIFE331号への投稿は『外科医の当直日誌8-外食と健康の些細な関係-』、無事採用いただきました。さらに331号にはパワーストーンの話に対しての反響などをたくさん頂き、とても光栄に思っております。多謝。332号への投稿は『私の買い物修行』を投稿中です。2008/05/03記
- 9年前の作品、『ソムリエの夜』の中に誤字脱字のご指摘を頂きました。熱心な読者に多謝。2008/02/09記
- またまた時間が過ぎてしまいました。言い訳ですが、秋は学会シーズンなので、仕事してました。
WIFE(偶数月発行)への採用は、328号に『空の旅の小さな秘密』、329号に『外科医の当直日誌6 ―外科医の外科医以外の部分―』です。そして次号330号への投稿は『外科医の当直日誌7-人智の向こう側・パワーストーンの話-』です。一足先にHPで公開です。2007/12/30記
- 夏休みは京で五山の送り火を見て過ごしました。暑い暑い自殺行為のような旅行でした。飛んで火を見る北の虫。そして、はや9月。8月のエッセーも書き終えて、HPの手入れでも。。。い、いかんっ。HPへのアップが半年も滞ってしまった。皆さん、ごめんなさい。でも、WIFE(偶数月発行)への投稿は欠かさず続けていました。ボツと思った作品も、メールの授受の不具合で、ボツではなかったことが判明しました。採用は、325号に『算戦』リメイクの『マスカウント参戦記』、326号に、ボツかと思われた『便器とアレキサンダー大王』、327号に『親と子の夏休み冬休み』、、、これは、掲載して頂きましたが、自分でも読みにくくて反省しきりの作品です。そして先月末に8月30日分のエッセーを投稿しました。2007/09/01記
- わいふ323号への投稿、『外科医の当直日誌5-死して残すもの-』そして『晩秋・黒冬の過ごし方』とも、ご採用いただきました。しかし、その次の投稿は久しぶりにボツでした。幻では惜しいので、2006年12月の日付でここにアップしておきます。わいふの方は、さらに次の投稿となりますが、またボツだと寂しいので、隠し球『算戦』をリメイクして投稿しました。これもアップしておきます。2007/02/11記
- わいふ322号は無事採用いただきました。感謝。次号への投稿は『外科医の当直日誌5-死して残すもの-』そして『晩秋・黒冬の過ごし方』の2作です。ちょっと欲張りかな。ついでに新作も本日アップさせていただきます。よろしく。2006/11/09記
- またまたご無沙汰でした。短い夏休みは、中国に学会旅行に行ってきました。兵馬俑は、ちゃんと曰く因縁などを聞くと、大したモノです。表情が豊かで、陶工達の才能に驚きました。自分的には良い例えなのですが、陶器の兵士の自信にあふれ躍動する様子を見ていて、手塚治虫のマンガを連想しました。
新生わいふ320号への投稿は、「男の気持ち」と言うセクションで、『泣く女』です。321号には、『南部蒼天14・良日』のリメイクで、『Have a good day(ごきげんよう)』を採用いただきました。また、322号に投稿中は、テーマ『言わせて、言わせて』への原稿で、『女を見たら妊娠とおもえ』です。編集部からは、『男を見たらオオカミと思え』という返歌が帰ってきています。採用をお待ちしています。2006/08/31記
- またまたご無沙汰でした。『外科医の当直日誌2』はわいふ第318号に無事掲載いただきました。さらに319号(旧編集スタッフでのわいふ最終号)に掲載いただきました『外科医の当直日誌3 ―ネコを連れた外科医― 』いわずと知れた『ネコを連れた外科医』のリメイクをアップします。さらに新スタッフでの新生わいふにも投稿を続けていますので、近日のアップをご期待下さい。2006/05/05記
- 久しぶりのアップです。まだ読者はいるのでしょうか?
『枕』はわいふ第314号に採用いただきました。続いて98年5月の『ダンデライオン』のリメイクで『庭の主』、また『外科医の当直日誌』、そして『偏食は楽し』をわいふ第315から317号にそれぞれご採用いただきました。本当に感謝です。『外科医の当直日誌2』は次号投稿のための書き下ろしです。先行発表でお楽しみ下さい。2005/12/25記
-
またしてもご無沙汰しております。わいふ第313号は、エッセー『奇譚』のリメイクで『髪結いの亭主奇譚』。私の留学生活のいきさつを紹介させていただきました。字数オーバーでしたが、ご厚意により掲載の栄誉をえました。多謝。4月20日アップのエッセー『枕』はワイフ投稿用に書き下ろした文の掲載です。
5月12日、猫のシリウスが満1歳になりました。寂しがりのくせに、だっこは大嫌い。好きなのは、餌と流水。洗面台の蛇口はいつもちょろちょろ水が流れています。もったいないお化けがでそうです。2005/05/21記
- わいふ第312号は巻頭グラビアに登場となりました。ご指名くださった編集諸氏に感謝です。ここに載せるエッセーは半年のご無沙汰になってしまいました。18年来の懸案だった博士号取得問題が大詰めで余裕がなかったのでした。それも、目処が立ちましたので、またぼちぼちアップします。蕎麦ガキは口に入れるまで、わからないと言いますが。。。
今回南部蒼天の続きで、『極光』をアップしました。マイナス40度の露天風呂の話もあります。それを書いた本日、私は北海道の某出張先でマイナス17℃の露天風呂に浸かり、髪を凍らせました。にっぽんちゃちゃちゃ。2005/02/12記
- 12月になってしまいました。大学の手伝いが忙しすぎて、まだ帰国の土産をお渡しできずにいる知人もいる始末なのですが、、わいふは第310号、311号とも、ご採用いただいております。多謝 2004/12/09記
- 帰国しました。ご無沙汰でした。どさくさで忙しかったため、わいふ第309号の掲載は、私も一言の小コラムです。お時間のある向きは、お読み下さい。
アメリカの話題のほか、日本での話題もまたぼちぼちアップしていきます。2004/08/16記
- 今回、帰国に際して、留学のきっかけの話など、少し書きました。さて、『わいふ』の第7回目の採用は、昔書いた「時差の話」の話のリメイクです。掲載は、第308号です。お時間のある向きは、お読み下さい。
息子の算数選手権、成績は結局全米で63位だったそうです。これってどんなモノなんでしょうかね?
私的には、まだまだイベントはあるのですが、とにかく、もうすぐ帰国です。2004/06/19記
- 息子は算数大会で、あご足つきの、ワシントン観光を楽しんだようです。私の方は、今回は旧作の徒然の虫干しです。まだ、大イベントを少し残していますが、もうすぐ帰国です。2004/05/18記
- 『わいふ』の第6回目の採用は、昔書いた「ウンチと乱気流」の話のリメイクです。掲載は、第307号です。合評でもコメントをいただきました。有り難うございます。お時間のある向きは、お読み下さい。
息子の祥の算数選手権、本年も州大会優勝でした。5月の連邦大会(ワシントンDC)に駒を進めました。2004/04/18記
- 『わいふ』の第5回目の採用は、昔書いた「外科医とテレビゲーム」の話のリメイクです。掲載は、第306号です。お時間のある向きは、お読み下さい。
息子の祥の算数選手権、本年も始まりました。地区大会は主席で突破です。2004/02/20記
- 『わいふ』の第4回目の採用は、昔書いた「『医者のくせに不養生』と責めないで!!」の話のリメイクです。掲載は、第305号です。お時間のある向きは、お読み下さい。2004/01/03記
- 『わいふ』の第3回目の採用は、昔書いた「コーヒー牛乳」の話のリメイクです。掲載は、11月1日付けの第304号です。お時間のある向きは、お読み下さい。私の紹介で購読者が増えると嬉しいのですが。。。2003/10/15記
- 『わいふ』の第2回目の採用は、愛猫「あかね」のレクイエムの話です。掲載は、9月1日付けの第303号です。お時間のある向きは、お読み下さい。2003/9/6記
- 私のエッセーが『わいふ』という投稿誌に採用されました。隔月発刊の雑誌で今回5月1日付の第301号に掲載されました。発行所グループわいふの連絡先は03-3260-4771です。実力的に毎回掲載は無理でしょうが、アメリカからの遠距離投稿、続けてみたいと思います。話は変わりますが、息子の祥が、アメリカの算数コンテストで、州の代表になりました。全国大会(シカゴ)にアゴアシつきで招待されました。アメリカの数学は、レベルが低いと思われてますが、日本ではπ=3という教育が為されている時代です。誉めてあげたいと思います。2003/4/12記
- 留学1年が過ぎました。この一・二年、特に留学後、エッセーに力と面白さが欠けてきました。年ですかね。とりあえず反省。先日、当地で活躍する日本人=UALRの助教授・伊藤先生のご親交を得ました。彼女はアメリカ人にバリバリものを教えているほか、日本で著書を出版されていたりします。彼女に激励され、古いエッセーを手直しして、投稿誌に出してみることにしました。どうなりますことやら。採用されましたら、この欄でご報告させていただきます。2002/12/12記
- 留学に出ました。この話は2000年の12月頃が端緒なのですが、この半年、まあ、大変な思いをしました。とりあえず、元気です。2001/11/03記
- また筆休めしてました。この間、海外旅行などにも出て、ネタはあるのですが、、、今まで、当直先で執筆していたのですが、大学を離れたため、まとまった執筆時間がとれなくなったのです。近日執筆、請うご期待。00/08/22記
- 4月転勤を口実に、筆を休めていました。研究が行き詰まっていて気持ちの余裕がなかったというのもあります。転勤にあたって、悪口雑言" "の数々もあったのですが、大人げないのでメニューには載せませんでした。普通の雑感を、また少しづつ書きます。よろしく。00/05/03記
- 今月は風邪をこじらせて寝込んでしまい、3週間ほど仕事になりませんでした。ようやくアップする体力が回復しました。またよろしく。99/11/30記
- 大分さぼってしまいました。この数ヶ月の反響ですが、、、フランスのレストラン事情を知らせてくれた旧友のK君へ多謝。また告知問題に関し、メールをくださったAさん。ご家族の率直な気持ちをお教えくださり、ありがとうございました。
99/07/05記
-
99年も新年度となりました。ちょっと、忙しかったのですが、加賀の方から励ましのメールをいただき、またアップできました。ちなみに今日4月4日はおかまの日だそうです。お供えは今流行の団子としても、飾るのはお釜じゃ直接的すぎますかね。99/04/04記
- 1999年となりました。言いたいことを書くだけの目的で始めたエッセーですが、言葉は知らず知らずのうちに尖っていたり、故意にまた無意識に武器になったり、人を楽しませたり、理解し合ったり、誤解しあったりする媒体なのだと悟りはじめた今日この頃です。今年もよろしくお願いします。99/01/01記
- 『地域振興券』(1998/11/15)につきまして印刷業界の方から、おしかりのメールをいただきました。同エッセーのあとに経緯を追記しました。これを持ちまして私の不勉強のお詫びに代えさせていただきます。98/12/23記
- 約2カ月もアップ出来ませんでした。忙しかった理由の一端は今回のエッセーで察して下さい。『コーヒー牛乳』意外にうけました。反響を寄せて下さいましたお二方に多謝。98/10/15記
- 診療放射線技師の方から、「レントゲン技師」なる慣用表現は不快である旨のメールをいただきました。私の無知を恥じて、謹んで訂正させていただきました。98/06/27記
- デーケン先生が『私鉄のデーケン。告知論、その3』のコピーをお読みになったそうで、柄にもなく恐縮している昨今です。98/03/14記
- ある文章について不愉快との抗議がありました。他意なかったのですが、誤解を避けるため一部改めさせていただきました。
また、大学の医療システムに関する文につきまして、事の真偽はともかく、患者さんの立場としては不安をあおられる、とのご注意をいただきました。ごもっともです。しかし、私にも譲れない線がありますこともご理解下さい。