1 禁煙するまでの状態
18歳大学一年生からおもしろ半分に喫煙開始、すぐ一日二箱以上のヘビースモーカーとなる。以来26年間一日も休むことなく吸い続ける。
1994年7月29日禁煙時には一日平均三箱を消費し、我が身を犠牲にして国家財政に貢献するとともに、家族、友人、その他周りの人々に受動的喫煙を強制し、その命を危険にさらしてきたのである。今考えれば冷や汗が止まらない。今は、遅すぎる嫌いはあるも、何とか被害の拡大を防止できたことを幸せに思っている。すぐ喉が痛くなって風邪を引いたり、朝歯磨き時に吐き気がするなどは毎日のことであった。
2 禁煙当日のこと
実は私は結果的に禁煙した、その日の朝の時点では禁煙することなどこれっぽっちも考えていなかった。いつもと同じように起き抜けに連続的に五,六本吸った。家を出る直前に吸ったタバコが最後のタバコとなった。その時点でも禁煙することになるとは夢にも考えていなかった。ために、これが最後のタバコと意識して吸ったタバコは一本もないことになる。
いつもの通り、出勤のため家を出た。ただその日は、朝からある人と約束があったため、家の前から予定通りタクシーに乗った。家を出てタクシーに乗った瞬間からその後二年半の間一本も喫煙することなく現在に至っている。秘密はタクシーの運転手さんとのやりとりにあるのだが、以下がその要約である。
運転手A「お客さん、禁煙中ですか?」
私「いえ違いますけど、どうしてそんなこと聞くんですか。」
A「いやなに、お客さんがパイポをくわえているもんだから。」
確かにその時パイポをくわえていた。
私「ああこれか。これは父の日のプレゼントで下の子がくれたもんで、何となく口にしているんだけどね。」
A「お客さん、子供がそういうのくれるってのは、何とかタバコ止めてくれと言うことじゃないんですかね」
私「口でそんなこと誰も言ったことがないけど、ひょっとしたらそういう気持ちがあるかもね。」
ここから話は禁煙談義となり30分後車から降りるときには「軽い気持ちでいつまで吸わないでいられるかやってみるかな」という気持ちになっていた。ここでも別に悲壮な決意で禁煙した訳ではなかった。いずれ禁煙しなくてはという気持ちもあったので、何となくやってみる気になったんだと思う。
さて、いつまで我慢できるかという軽い気持ちの禁煙であったが、これまでおよそ禁煙したことがなかったので少々の意地もあり、実にその日の夕方までもってしまった。その日の夕方、職場のアルバイトの女性がいつものように帰宅する前に私の灰皿を交換に来てくれた。彼女が発見したのは、きれいな灰皿。アルバイトを始めて以来、初めてのことだった。
「課長、禁煙したんですか!!!!」
部屋中に聞こえる大きな声だった。その時直ちに「違う」と彼女に負けない大声で叫べば良かったのだが、つい一瞬遅れてしまった。小さな部屋である。課員全員が一斉に私の方を振り向いた。この時点でも否定できたはずだ。ただその時は突然みんなの視線を浴び、一瞬言いよどんだ。次の瞬間、口の中で「違う」ともごもご言ったように思うが、誰にも聞こえなかった。この時初めて、私は禁煙することになったのである。
帰宅してからも禁煙は続けていた。当然のことながら家族に気づかれ、嫌々ながら禁煙することになったいきさつを話した。長年タバコに苦しめられてきた家族は私の禁煙を諸手を挙げて喜んだ。
3 禁煙翌日協力者現る
翌日、何とか寝起きのタバコを我慢し、妻に励まされて出勤したが、早くも仕事が手につかない。頭に浮かぶのはタバコのことばかり。これは大変なことになったな、と思っていたところ、私の目の前に席のあるM係長が「課長、私もおつきあいします。」、、、、、、、、
M係長は私の目の前でタバコを吸い続けることを遠慮し、同調することを申し出てくれた訳である。どうせ短期間だからと思ったかもしれないが、結論から言えば、二人とも禁煙に成功することになる。私としては、同調者が出たことで嬉しかったが、半面自分だけの問題でなくなったため少し気分が重くなったのも事実である。
私はほとんど禁煙をしたことがなかったため、禁煙で苦しいのは最初の1から2週間でその間さえ我慢すれば、と安易に考えていた。そう思っていたから苦しい2週間を何とか終えることが出来たと思う。
パイポを四六時中口にくわえ、飴をなめ、ガムをかみと、口寂しさをまぎらわせるためありとあらゆる方法を実行した。朝、目が覚めた直後、食事が終わった後、仕事が一段落したとき、電車を降りて歩き始めた瞬間、一杯やっているとき、、、、、、、以前に必ず一服していたその瞬間瞬間に。吸いたい気持ちがどうしようもなくつのった。その度ごとにパイポなどの代替品で自分をごまかした。今考えればよく我慢できたものだと自分でも感心する。半年ぐらいは頭に霞がかかったような感じだった。
4 禁煙できた理由
私が禁煙に成功した理由は次の数点に集約できる。
●その一 40歳を過ぎ、健康について関心が高まっていたこと(つまり、早死にはしたくないと思う年齢になったと言うこと)
●その二 悲壮な気持ちで禁煙したのではなかったこと、60歳になれば喫煙再開を公言していた。
●その三 大勢の職員に知れ渡ったことで、意地でも禁煙するぞという気になったこと
●その四 二人で禁煙したため,M係長のためにも簡単には止められなくなったこと(私が吸ってしまえば二人とも禁煙に失敗することが分かっていた。)また、苦しいのは自分だけではないという励みになったこと
●その五 禁煙が苦しければ苦しいほど、「今吸ってしまえばもう一度同じ苦しみをして禁煙しなければならない、今我慢すればこれまでの苦しみを二度と味あわないでも済む」と自分に言い聞かせたこと
要は、長生きしたい気持ちと、男の意地、見栄、責任感、これらがまぜこぜになって、出てきた結果が私とM係長の禁煙と言うことになる。今考えてもよく禁煙できたなという思いで一杯である。
5 ついにパイポも手放し完全禁煙に成功
さて、7月29日以来、死ぬ思いで必死に耐えてきたが、その年の年末になってもパイポだけは手放せず、いい年をした男が子供のチュチュみたいに口にくわえて仕事をしていた。これを止めさせてくれたのは当時の私の上司であった。私は部下と上司のおかげで禁煙に成功したことになる。
ある日の会議の席上、突然上司が「○○君、いい年をしていつまでもパイポなんかくわえてるなよ。止めるなら止める、吸うなら吸うと男らしくはっきりしたらどうだ」と私に向かって、いったのである。こちらは禁煙で四苦八苦の苦労をしているわけで、パイポなんて止めることが出来るならとっくの昔に止めている。その方は軽い気持ちで言ったと思うが、当時の私は、「そんなら止めてやるわい。俺も男だ。」なんて粋がって、それっきりパイポは止めることが出来た。上司の一言に大変感謝している。
6 タバコを完全に止めてからの感想
●よくのどが痛くなっていたのが痛くなる回数が大幅に減った。声もかすれ声だったのが正常に戻った。
●飛行機、電車など、禁煙席にしか乗れなくなった。
●タバコを吸っている人かどうか100%当てられるようになった。
●ヘヴィスモーカーがそばに来ると、臭いなと常に意識するようになった。
●うまそうに吸っているのを見ると、吸いたいなと思う。
●信号待ちなどですぐ横でタバコを吸われると足をけっ飛ばしたくなる。
●灰皿のないところで吸い始めてしまって、吸い殻を捨てるのに冷や汗をかかなくてもいいようになったことを幸せだと思う。
●夜中にタバコが切れて外に買いに行かなくても良いことを幸福だと思う。
●アメリカのレストランで「no smoking」と言うとき、誇りを感じる。
●単身赴任で家を出た後、タバコの火は大丈夫だったかと心配をしなくても良いことがありがたい。
●喫煙者を見ると、うらやましいと思う気持ちもあるが、優越感の方が強い。
●子供が吸い始めた。
自分が禁煙してみて初めて、随分知らない内に多くの人たちに迷惑をかけていたんだなということがよく分かった。
これで長生きできるかどうかはともかくとしても、44歳で禁煙出来たことは良かったとつくづく考えているこの頃である。が思っていた以上に根性があると知ったことも成果の一つであった。
愛煙家の皆さん、一日も早く禁煙にトライして下さい。必ず禁煙できます。
しかし
話は簡単、「3年半も禁煙してきたんだから、一本ぐらい吸っても大丈夫よ。」という甘い言葉についつい一本吸ってしまったのが、間違いの元でした。半年ぐらいは5本以内で何とか我慢していましたが、ある線を境にアッという間に3箱吸っていた昔に逆戻ってしまったのです。
ついでに言えば、私に禁煙パイポをくれた下の男の子は、未成年にもかかわらずいっぱしのタバコ吸いになっているらしいです。止めろ、といわれればよけい吸いたくなるのが人間なんですかね。親がこれだけ苦しんでいるのを見ても、何も感じないのかと情けない気持ちになってきます。
「一本だから大丈夫」という考えは、間違いです。身をもって証明しました。 会う人から「あれっ? 禁煙してたんじゃないの?」といわれるのが辛かった。
さて、今回は大丈夫か?時々報告したいと思っています。
結論から言います。
この禁煙はまたも失敗しました。平成11年8月下旬、韓国に出張しました。同行した後輩が、「外国だけは良いことにしませんか」と言ったんです。無視すれば良かったんですが、乗ったんですね。これに。この程度で破れるようでは所詮は無理です。帰国してからも止められなかったのは、説明するまでもありません。
やれば出来ると信じている方、
この下を是非読んで下さい。
そして私は、ついに非喫煙者になった
禁煙成功物語
禁煙ファイナルラウンド
平成6年7月から始めた禁煙が3年半で終わりを迎え、平成10年春からは、再び泥沼の喫煙が始まってしまった。
平成11年7月1日から思い立って再度禁煙に挑戦し、8月下旬まで、2ヶ月近く続けていた。しかし、この禁煙は、ちょっとした油断から、あえなく破れた。その後はなかなかきっかけがつかめず、禁煙の意欲も湧かず、なかば喫煙することを運命のようにとらえる雰囲気になりかけていた。一方で我が家では、二人の息子が立派な喫煙者となり、家中が、たばこくさい臭いで充満するようになっていた。
そんな、平成13年2月のある日、深い考えが有ったわけではないが、「4月1日から我が家は禁煙にする」と高らかに宣言してしまった。言っては見たが、やれるという確信があるどころか、難しいのではないかという思いが正直言うと強かった。宣言したときは、まだ2月だったので、気持ちとしては、「まだまだ先の話だ。」と自分を慰めることもできた。
しかし、2月、3月はあっという間に終わってしまった。
ついに運命のときはきた。心は揺れていたが、おろおろしているうちに4月1日午前0時を回ってしまった。「ああ、ついに4月になっちゃった。しかし、今はまだ昨日の続きではないか。寝るまでは、3月だ」、という独りよがりの解釈にすがって、一本でも多くタバコを吸おうという未練たらたらの状態。しかし無情にも、タバコが切れた。
今の私の気持ちは、「せめてあの時に、心おきなく一本吸いたかった」。なぜなら、私が最後に吸ったのは、吸い殻、俗に言う「しけもく」だったのだ。タバコがなくなったとわかって一箱買いに行くことも本当はできたのだが、さすがに一種の空白状態を利用して吸っている身としては肩身が狭い。しけもくで我慢するしかなかった。
この話には、落ちがある。翌朝、起きていって何気なく台所の隅を見たら、「あるじゃないか」私が吸っていた「マイルドセブンライト」が堂々と。昨夜ちょっと探せば見つかったんだ。「くっくやしい」というのがその時の気持ち。いくら何でも禁煙1時間じゃ、止められないものね、、、。泣く泣く、しかし、断固として、その吸いかけの一箱をゴミ箱に捨てたのは、当然といえば当然だったかな。
策や見つけていればな、、、。せっかくのタバコ生産者の労力を無駄にせずにすんだのに、、、、、
こうして、不安な中に、実質的には3回目の禁煙がスタートした。初日は4月?日。その日一日中考えていたのは、「今なら子供らに、あれはエイプリルフールだよ。見事に引っかかったなあ、、、とでも言えば、親父の権威を無くさないで禁煙が止められるが、、、、、」という超弱気なことばかり。とても今回の禁煙は長続きしないなと自分でもいつまで続くかと考えていたほどであった。
それでも1日目は何とか終了、翌2日は月曜だった。出勤して、職場の同僚に「禁煙した」旨を伝えなければならない。しかし、正直なところ、自信がなかった。失敗すれば、自分の信用と権威が落ちる。とはいっても言わないわけにはいかない。
やむなく、みんなを前に、その旨を告げ、たくさんあった我が部屋の灰皿を一つだけにするようお願いし、実行された。職場の連中も興味本位で、見ている。いらいらしながら、引き出しの中をふと覗いたら、禁煙何とかいう本のカバーがちらりと目に入った。あれは??、あっそうだ、自分で買った本だ。「禁煙セラピー」そういうタイトルの本だった。しばらく前に買っていたのをすっかり忘れていたのだ。
禁煙を始めたばかりの私としては、それこそ藁にもすがる気持ちで、この本を読み始めた。前書きで、簡単に誰でも禁煙ができる方法があるというような話から始まった。一気に読み終えた。読み終えると同時に私は禁煙が成功することを確信した。それほどの衝撃をこの本は与えてくれたのだ。詳しい内容の紹介はしない。禁煙志望者は買って読むといい。安い買い物だと思う。
そうはいうものの、ごく簡単に自分が理解した限りで紹介する。
まず、喫煙は楽しいことであると思っているのは大いなる誤りという。自分もそう思っていた。ほっとしたときの一服。食後の一服、ドライバーショットのあとの一服、緊張したときの一服、全ていい思い出である。最初の禁煙時私は60歳まで禁煙と決めた。一生タバコが吸えないなんて可哀想過ぎる。せめて未来に希望を、ということだった。しかしこれは間違っていた。
タバコを吸ったときの気持ちよさは、普通の状態からプラスアルファされて気分が良くなるわけではない。ニコチンは摂取が止まると直ちに体から減少する。減少すると欲しくなる。麻薬と同じだ。一種の禁断症状でタバコが吸いたくなる。その時吸うと気持ちよい。しかしよく考えよう。その気持ちよさは、ニコチンによって気持ち悪くされたことをカバーするに過ぎないのだ。
つまり誰かに頭を抑えられて水の中に顔を押し付けられた状態を想像してみよう。空気が吸えないから苦しい。ばたばたしているうちに抑えていた手がどいて、頭を上げて大きく空気を吸った。気持ちがいいだろう事は容易に想像がつく。これは誰かの手によって苦しい状態にされたから、何でもないことが幸せに感じられたのだ。喫煙も全く同じである。押さえる手はタバコそのものである。つまりあなたはタバコに踊らされているのだ。
とまあ、こういう筋書きである。私は正直このロジックを一発で理解した。そうだったのだ。タバコにマインドコントロールされていただけなんだ。
著者は、この事実に気づいて何回も失敗していた禁煙に一発で成功したと書かれていた。
さらに著者は続ける。
そんなタバコのためにあなたは一体いくらお金を使ってきましたか。そしてこれから一体いくら使うつもりですか。確かにざっと計算しても私の30年間は今のお金に換算するとタバコ代に数百万円使っていたことになる。
著者は言う。禁煙できないのは決して意志が弱いせいじゃない。こういう事実を知らなかったからだと。
私はこの本を読んだ瞬間に非喫煙者になることができた。もう一生タバコは吸わないだろうとその時思った。こんな馬鹿げたことを何でやらなければいけないんだ。服や体は臭くなる、家も臭くなる。家族には嫌がられる。健康には百害あって一利なし。良くもまあ、30年間も吸い続けたもんだ、、、、もう少し早く気づけば損害も少なくすんだのに、、、、
私は今もそのときと全く同じ気持ちだ。初めての禁煙のときのようにタバコが吸いたいなあという気になることは殆どない。いや、全くない。相変わらず子供は吸っているが、、、そうそう内一人は最近禁煙した。子供は先が長いから早く気づいたら得だと思う。
今日は、平成16年10月2日、イチローが年間最多安打の新記録を樹立した。その夜である。私の禁煙は完全に成功した。いまや立派な非喫煙者である。将来吸ってやろうという気も全くない。一生吸わないだろう。
しかしひとつ困ったことが起こった。それは前回同様禁煙と同時の肥満である。前回もダイエットに挑戦せざるを得なくなったが今回もまた同様である。しかし今回は少々取り掛かるまでに時間が掛かった。詳細は、こちらを参照して欲しい。
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