(2025年1月1日(水))
夜が長い、車窓の外は寡黙の暗闇、時折、ポツン、ポツンと、小さな灯りが素早く通過する。これから、どんな年になるのだろうか。ロシア語を生業としていると、小ロシアが気になる。「後は野となれ山になれ」と、ほぼ一ヶ月後に退任する、「ディメンシア」といわれる「閣下」は、前後見境もなくなっている。
物事を単純化すると、時に見えるものも見えなくなってしまう。何事も前後関係から判断する必要がある。国境を侵犯した一点のみで、全て「悪」といえるのか。NATOに対する評価も重要である。現代において、正当性はあるのか。武力だけが正義なのか、軍産複合体の利益が目的なのか、32カ国の軍事ブロックは、非加盟小国の主権を保障できるのか、地位協定はどうするのか、「ビュリダンのロバ」みたいになって、ぐずぐずしながら、何もしないで、零落してしまうのではないか。
多分、2025年には停戦となるだろう。ウクライナは主権国家として存続できるか。当事国だけでなく、煽り立てた国には責任がある。元首は、特殊な性格で、もし第二次世界大戦終了時、日本にいたら、もっと悲惨なめに遭っていたろう。あの髭は剃れないのだろうか。潔さは必要である。“素人」が政治をやると、ろくなことはない。捲土重来、またの機会もある。国民の国家であり、元首の国家ではない。ウクライナの人口は4500万人、ロシアの人口が1億4千万といわれる。ウクライナの人口はすでに2千万人ぐらいになり、ほとんど国外へ脱出している。
本当に偏見は物事の見方を歪めてしまう。客観的に公正に見る能力は養いたい。自分の生活が豊かで安泰しており、そうした位置から世間や世界を眺めても、公正な判断はできない。一方の国々の悪口ばかり、マスコミは自らのプリズムを通して、流布するから、一般国民はそれを信じて、誤った国策も、国益だと勘違いして、もしかしたら、戦争になるかもしれない。
日本はGDP(2023年)では世界四位で4.213兆ドルであるが、中国のGDPは17.79兆億ドルで、経済規模では日本の4倍以上の大きさである。日本は一人当たりの世界22位で、韓国の下である。1980年では日本のGDPは1.29兆ドルで、中国は0.3兆ドルであった。つまり、44年前は日本の経済規模は、中国の約4倍であった。その間に立場は逆転してしまった。今後、中国に経済規模で、仮に追いつけることがあるとしたら、同じくらいの年月、40年間ぐらいかかるのかもしれない。
とくかく、長期的に教育に投資する以外に方法はない。国の資金資源をこの分野に着実に投入することだ。一世代も二世代もかかる大事業である。つまり、人材の育成である。今の人材では無理であるのは、現在の経済状況からわかる。経済発展の本格的プランが出来ないのは、その能力のある人がきわめて少ないからだ。一人二人ではだめだ。ある程度、一つの世代全体で、ハイレベルの能力集団が生まれないと無理だろう。
経済が落ち目になり、いわゆる落日となって、反省でもすれば、それでもましなのだが、なにせ二世、三世の世襲世代である。現実を認識する能力に乏しく、どうやっても対応できない。それでもなんともない。船は沈まないものと、思い込んでいる。気持ちだけは勇ましく、隣国と一戦交えても、平気のようだ。日本の食糧自給率は38%、エネルギ-自給率は13.3%だ。どうやって戦争するつもりのか?
「戦争と平和」(トルストイ)では、戦場に颯爽とナポレオンが現れる。ロシアの負傷兵を見つけると、助けるよう部下に命令する。あの時代、まだ敵に敬意を表す品格があった。同じ人間だ、何かの行き違いで、敵味方になったのだろう。人生とは、ふとしたことで、真逆の方向に進むことがある。「戦争犯罪人」、「人殺しの独裁者」などと、品性のないことは言わない。この時点では、たぶん、「ディメンシア」だったのだろう。おそらく、周りは皆知っていたのかもしれない。だから二期目の立候補は、羽交い締めされたのだろう。
トップの資質を見分ける一つは、最末端の人に対する態度である。それを見れば、トップに相応しいか、分かる。大抵の場合、何かの間違いで、最も無力な最末端な部下をいじめる。たぶん、その人は、トップになる資質も、上司になる能力もないのだろう。マネージャーとは、多数の人員を束ねていかないといけない。こいつは嫌いだからといって、無能だからといって、切るようだと、その組織の先はない。そういう人は、上に立つより、下にいて、指示を受けるほうが適切である。
特許翻訳教室を開設しているが、出願書の作成方法を教えるわけではない。特許文の翻訳のやり方である。例えば、英語特許文をそのままロシア語翻訳しても、審査にパスすることはない。ロシア語は文法がかなり複雑で、きちんと覚えないと、うまく利用できない。さらにロシア特許庁が定める「出願書作成要領」がある。そこに細々と記載されている。特に請求項が問題であり、ここは、主張する権利を確定する場所であるからだ。例えば、ここでは、「поддерживаемый, поддержанный, поддерживающийся」とか、こうした使い方は原則的には行わない。
聞いた話だが、驚いたことに、他人が作成した請求項を弄った人がいたことだ。こうした部分に手をだすのは、それこそ素人の証でもある。母国語の場合でも、一旦完成した請求項に手を加えてはいけない。当人と打ち合わせ、合意にある場合でも、よくよくの場合である。何故なら、特許の権利は、請求項にあるからである。うっかり変更すると、権利関係も変化してしまうこともある。ここは、タブ-の場所で、原則的に不可侵のところである。許されるとしたら、出願先国の特許審査官だけかもしれない。それも、補正要求だけである。自ら変えることはできない。
こうした特許文では、他の解釈を許さない、そうした意識が必要である。特許侵害された場合、最終的には、裁判は覚悟しておくべきである。特許文は、かなり複雑でデリケートである。例えば、日本語の出願書であれば、多くの日本人が見るので、自然とチェックが入る。あまりいい加減のことはできない。英語の特許文も、かなり日本人も出来るようになっているので、それなりにチェックされるだろう。ところが、それ以外の言語、例えばロシア語になると、出来る人がきわめて少ない。これは、大抵の場合、ロシアの特許事務所に日本語か、英語で出され、そこでロシア語に翻訳され、特許庁に出願される。前回も説明したが、出願書は、定められた規則にしたがって作成すれば、どれもパスする。つまり、翻訳文も現地の弁理士が規則に合わせ、書き換えれば、容易く審査にパスするわけだ。これは、特許の本質とは関係なく、かなり歪められる可能性がある。これが、現実であり、国際特許の場合、念頭におく必要があると、助言したい。
翻訳も技術関係、文芸、特許といろいろやってきたが、容易な分野もあるし、難しい分野もある。いずれにしても、この分野は、経験と知識がものをいう。もちろん、文法はきちんと正確に理解することは当然であるが、それは文を構成する上の骨組みにすぎない。建物も骨組みだけは、住めない。壁も、屋根も、床も、内装も必要となる。この部分が翻訳なのである。どれほど、背景知識があるか、どれほど現場、現実と接触しているか、どれほど読書をしているか、そうしたことが、翻訳の血となり、肉となる。
どの分野でも一人前になるには、それなりの時間がかかる。歳をとってくると、ベテランの価値が分かるようなる。若い頃、蔑ろにしたものが、人生の意味をそこそこ理解するようになると、それこそ真骨頂がそこにあると、確信できる。一見、華やかさや、美しさはないが、自然と醸し出される味わいみたいなものが、漂ってくる。
「...この人たちがみんな捕らえられ、閉じこめられ、流刑されたのは、決してこの人たちが正義を破壊したり、不法をおこなったりしたからではなくて、役人や金持ちが民衆から取り上げていた富を握っておく妨げになったからにすぎない...」(「復活」、トルストイ)「復活」のヒロイン、カチューシャと主人公ネフリュードフトの別れは、痛々しいほど、深い愛がある。恋愛の別れというより、人間の愛とは、何か、問うている。
「人間はそういうものではない。われわれはある人間のことを、あの男は悪人より、むしろ善人のときが多いとか、ばかなときより、利口なときが多いとか、無気力なときより、精力的なときが多いとか、あるいはその反対だなどと言うことができる。しかし、ある人間のことを、あの男は善人だとか、利口だと言い、別の人間のことを、あの男は悪人だとか、ばかだと言うなら、噓になってしまう。ところが、われわれはいつもそんなふうに人間を分類している」(「復活」、トルストイ)
太宰治(1909年~1948年)と井上靖(1907年~1991年)は、同時代人である。どちらも大作家だが、似通っている点もあるが、かなり異なっている点もある。井上靖は医家の出身であり、父親は医官であった。太宰治は、いわゆる大富豪であり、現在の青森県一体を支配する特権上流階級であった。このへんは、ご存じの方も多いと思う。ところで「人間失格」(太宰治)と「猟銃」(井上靖)をなんとなく比較してみた。「斜陽」では太宰は、貴族階級という社会最上層部の崩壊を通して、日本社会の荒廃と、いまにも萎れそうなわずかの希望を描いてみせた。
井上の「猟銃」は上流階級の三角関係を描いている。戦前からの遺産でなんとか、富裕階級の形だけでも維持しながら、淡い恋愛に人生を削っていく。どこか現状に満たされないものを感じつつも、社会問題とはとらえず、自己の問題として燃焼してしまう。井上の作品には大衆はなかなか主人公にはならない。別格の階層が存在し、そこから世界をながめる。
その点では太宰も同じだが、社会の仕来りを平気で破ってしまう。そして、芸者や、女給と関係をもって、自殺未遂までしてしまう。こうした形で庶民が出てきて、作品を一気に身近にしてしまう。井上の退廃は上流階級内のやや前向のアナ-キ-状態であり、太宰のは、社会全体の最上層から最下層を貫く、全てを破滅させるアナ-キ-であり、その向こうはただ絶望しかない。それがかえって、幽かな復活の灯りがおぼろげながら見えないでもない。どこまでも暗い状態である。
作家の社会性は、かなり生来のものが影響している。山本周五郎みたいに作家本人が大衆であれば、どう描こうと、大衆臭さが自然と出てしまう。太宰みたいに大衆でないのに、大衆に接近すると、破滅が待っているのだろう。その見返りなのだろうか、自己は破滅するが、それを取り巻く社会は、本当に頽廃した病んだ社会として、浮き彫りにされる。
井上作品は、さほど大衆には接近せず、別の存在として大衆をみている。そして、主な対象は常に上流階級である。そこで人生ドラマが展開する。
ツルゲーネフの「初恋」(первая любовь)(1860年)はいうまでもないが、抒情的な作品で、落ちもきちんとある。自然風景も、人間の表情も、細かく描写され、全て生き生きしているが、作りすぎの感もある。自伝的なものである。一方、ドストエフスキーの「初恋」(原題-小さい英雄:маленький герой)(1857~1860年)のほうが、あっさりと表現されている。こちらの原題は「小さな英雄」だが、翻訳者が「初恋」と改題した。こちらは11歳の少年が主人公だが、ツルゲーネフの「初恋」では、主人公は16歳である。したがって、ドストエフスキーの「初恋」のほうが、本当に少年になりかかった、恋とも分からず、淡いときめきを描いている。こちらのほうが、まさに「初恋」といえるかもしれない。
ツルゲーネフの「初恋」は、16歳という少年から青年へ大人になりかかる頃のはっきり異性を認識した恋心である。さらにドストエフスキーの「初恋」は、いつもの難解の論理表現ではなく、珍しく淡々と描写している。
どうも日本では、リベラルな識者でも、国際問題になると、とたんにトンチンカンなことを言う。日本人は国際問題が苦手である。特に対ロシア観にはよく出ている。好き嫌いで国際問題を判断する。
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。
そして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。」(「こだまでしょうか」金子みすゞ)
敵国を作ると、相手国も敵国を作る。相手国を非難すると、相手国も非難してくる。我々は平和に穏やかに暮らす気はないのか。戦争を起こす理由はいろいろあるが、その一つに貧困からくるストレスがある。日本は今、一部の人間を除いて、急激に貧しくなっているから、きわめて危険な状態である。自己の被差別状態から、多民族の差別へと、フラストレーションが向けられなければよいが...。敵対心、好戦的言辞、煽動、人間差別、なんとかして、世界の「刀狩り」をしないといけない。
さて、今年はどう総括するか、どうやら停戦の兆しは幽かに見えてきたが、本格的な和平実現となると、かなり難しい。お互い、犠牲者を出し過ぎた。簡単に引っ込みがつかなくなっている。潤ったのは、軍産複合体だけで、同盟国はみな貧乏になった。日本人は、そろそろ正気になり、「地位協定」の見直しを迫るべきである。
承認要求ばかり強い昨今だが、静かに暮らしたいものだ。自信が無いと、コンプレックスが強いと、上から目線となったり、ヘイト発言になったり、揶揄したり、自己妄想、自己陶酔に陥ったり、周囲には不愉快となる。いかに現実の認識が大切であろうと、現実が絶望的に解決出来ない、出口のないほど、厳しいと、ナルシズムも許されるのかもしれない。
冬の河は谷間をゆったり流れ、遠方から紅い朝陽が木々の間をぬって、放射状にさしてきた。やや離れた場所で、何か動く気配がした。対岸にニホンカモシカが川縁を躊躇いながら、バシャッと飛び込んだ。一瞬緊張したが、遠くへ去ったようだ。ここにはまだ自然がある。
「かげろふや塚より外に住むばかり」(内藤丈草)
いつ終わるとも知らないが、かじかんだ手で、しっかり釣竿を握ると、その日、初めて投げ入れた。この三年間の暗鬱がすっかり消え去り、深い闇の中から、一条の光で射し込むと、願うばかりである。
ロシア語上達法(56)(翻訳と精神の自由)
(2024年10月17日(木))
ここまで来ると、かなり気温が下がる。弱い朝陽に照らされたホ-ムはかなり傷んで、床は凸凹で修理されていない。光沢のなくなった始発電車に乗る。濃紺ジャ-ジ姿の高校生も無言で数人、一緒に乗り込んだ。いつしか秋になっていた。二年半が過ぎた。膠着状態ながら、じわじわゆっくり進み、四州を固めている。そして、梃子でも動かない。いつものやり方だ。
旧約聖書の「民族浄化」の迷路に入り込んだ世界は、脱出できるのだろうか。敵が存在しないと、生きられない人々の劣等意識、天才と妄想する堕落した人々の群れ、世界は右へ、右へ旋回しながら、戦争を正当化する独特の自国中心的、自己耽美的意識、早く正常化しないと、間に合わないかもしれない。
「足るを知る」。人間の欲望はかりしれない。「己の欲せざる所 人に施すこと勿れ」(孔子)ガザの人々もゲットーは嫌いだ。精神の飢餓状態の闇は深い。いくら欲しても、満たされない「貧民根性」、どうにかならないものか。ひたすら金だけを求める、金のためなら何でもやる、誰でも平気で売る。
放送の偏りがひどすぎる。毎日、ロシアの新聞5紙に目を通している。日本のテレビ、新聞は、G7側の報道ばかり流す。日本は隣国がほぼ全て敵国である。隣人と仲良くできない。事なかれ主義で、アングロサクソン人とつきあっていると、とんでもないことになる。放送は公正でありたい。日本人は権威に弱く、テレビや新聞で伝えられると、すぐ鵜呑みして、みさかいがなくなる。問題設定をかえてみる。ロシアや中国、北朝鮮が正しかったら、どうするか?時々、逆提案して考えてみることも、戦争回避では必要かもしれない。
こんなことがある。ある知人が大手企業の依頼で、欧州特許庁へ特許出願の翻訳をしたことがった。何度、出願してもパスすることはなかった。出願書作成方法を知らなかったからだ。ロシア語の翻訳がきわめて上手な人で正確だった。しかし、特許の場合、いくつかの決まり、規則がある。これから反れると、いくら正確の翻訳でも、合格することはない。そんなことを電話でぼやいていた知人だが、よほど教えてあげようかと思った。しかし、ここにはちょっとした上下関係があった。若い時から、ロシア語の翻訳について、いろいろ教示してもらっていたからだ。相手は、こちらが特許翻訳をやっているとは、露程も知らなかったのに違いない。
人生とは特に晩年になると、厄介なことが多い。下に見ていた者に教え乞うことは、自己否定とまでいかないまでも、赤面のいたりでもあり、自己肯定感の喪失にもなる。老いてくると尚更、頭を下げられない。たぶん、老いて成長するとなれば、恥ずかしさ覚悟で、わずかに残った伸び代を、辛うじて生かすことだろう。それには下の者に教えを乞うほかない。人生最後の成長である。人間の発展は自己否定の連続から達成される。
無理とはいえ、知人も聞いていれば、欧州特許庁へ出願はパスしたことだろう。うやむやにして、原因不明となって、とうの企業も困惑したことだろう。人とは悲しい性をもっていて、老いると特に心理的に偉くなる。高齢者になっても、なるべく大きな課題を自己に提起したほうがよい。そうすれば、時に自己否定もできて、もっと伸びて、成長できるかもしれないからだ。
葛飾北斎は、最晩年嘉永2年(1849年)には『富士越龍図』を創作し、その年に亡くなっている(88歳没)。新たなものを創り出している。生きるとは何か、常に新たなもっと大きなテ-マに挑戦することなのか?
ヘミングウェイの「老人と海」(1952年)では、老人の生き方に一石を投じている。死ぬまで闘争である。闘って闘って、全てのエネルギ-を燃焼尽くして、死ぬのである。それも、漁師生涯で最大の獲物、巨大カジキと死闘を演じる。老人とは人生で死期に向かって追い詰められた最晩年の人間をさす。ある意味では、経験豊富で達観してはいるが、ある意味では、肉体は醜く衰え、使いものにはならない。そこで、人生最大の課題が提起される。今まで為し得なかったことへの挑戦である。老人とは何か、回避できない状態、それなのに最大課題をぶつけてくる。そこに生の価値と意義があるのかもしれない。
ヘミングウェイにとって、隠居老人には意義も価値もないのかもしれない。人間も自然界の動物とかわることなく、闘わないと死が待っている。最後の瞬間まであらゆる手段を尽くして、生きようとする。それが動物である人間の姿である。
言語には聴覚の言語と視覚の言語がある。聴覚の言語とは耳から入ってくるもので、動物にも言語と言えないまでも、音による簡単なシグナルの交換は行われている。江戸時代、読み書きのできない人が数多くいた。当時、世界的にどこでも、識字率は低かった。「文盲」とよばれた。会話はできるが、文字は読めず、書けない。流暢な会話を聞くと、さぞかし外国語が堪能と思われるかもしれない。しかし、それは言語の半分でしかない。会話、読解・作文能力が一体となって、語学能力があるといえる。
流暢な会話ができるからといって、作文能力が高いことにはならない。外国人なら誰でもいいわけではない。しっかりとして国語能力の高い人に翻訳もチェックしてもらう必要がある。
視覚による言語は、まさに人類発展の起点ともいえる。「....ついで ながら、 人類 の 発明 で 最も 注目 に 値する もの の 一つ について 述べ させ て もらい たい( 付け加えれ ば、 それ は 今日 に 始まっ た こと では ない)。 それ は 格別 の ことで は ない、 過去 と 未来 の 発明について の 所感 で ある。...」(我ら が 至高善 「精神」 の 政策、ポール・ヴァレリー)
文字の発明である。記録という手段の発明である。それまでは、人間も動物と同じで、現在しかない。現在でしか、生きられない。教科書などで、原始人が洞窟の中で暮らし、洞窟の壁に絵が描かれている写真など見たことがあるだろう。消せない手段により、時間という概念が誕生する。現在以外の時間が存在するようになった。過去と未来である。もし、あらゆる記録媒体が存在せず、記録できないとするとどうなるか?紙もメモリも存在しない社会、記憶の存在しない社会、一瞬一瞬でしか生きられない社会、もちろん、過去も未来もない。あるとすれば、一瞬の現実だけである。当然、今日のような文明も発達もしないし、人類の成長もない。時間の概念こそ、動物と人間の決定的違いである。
ロシアの作家ゴ-ゴリの生誕地はウクライナのポルタヴァ州である。ここは、ドニエプル川左岸の地である。ザポロジエ州もあり、大型原発もある。「検察官」や「外套」で有名なゴ-ゴリだが、「ディカーニカ近郷夜話」という短編集もある。ウクライナ(украина)は、ロシア語の「окраина」(辺境)から派生した言葉らしい。ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリは、1809年(江戸時代、文化6年)4月1日に現在のウクライナのポルタヴァ州ムィールホロド地区のソロチンツィ村で生まれる。1852年(江戸時代、嘉永5年、この翌年6年にはペリー艦隊が浦賀沖にやってきて開国をせまる)3月4日(42歳)、モスクワで没する。当時は、帝政ロシアの支配下であった。
「ディカーニカ近郷夜話」は、ウクライナ地方の民話を集めたものだが、悪魔や悪魔使い、悪霊が出てくる。全体としては陽気な物語である。21歳の時の作品である。太宰治の「晩年」も、23歳、24歳の時の作品である。どちらも早成の小説家だ。
ゴ-ゴリの「所有権」では、ロシアとウクライナが最近、もめている。ウクライナ側はゴ-ゴリはウクライナ人と主張し、ロシア側はロシア人を主張している。もともと、ウクライナという国家そのものが、存在しないから、かなり複雑でデリケートな問題なのだろう。
「ディカーニカ近郷夜話」は、1829年~1831年(江戸時代、文政~天保)にかけて書かれたもので、明治維新(1868年)より40年ぐらい前のものである。
それから18年後、マルクスの「共産党宣言」が執筆される。ドストエフスキーの「罪と罰」は1866年、トルストイの「戦争と平和」は1865年~1869年に書かれている。19世紀のロシアは、文学では世界最高峰にあった。ロシア文学は、当時もその後も現在に至っても、世界の文学へ大きな影響を与えている。
ヘミングウェイに「移動祝祭日」という自伝的作品がある。ヘミングウェイは、1921年から6年間、若い妻と二人で、貧乏の中、22歳から27歳という最も多感な時代をパリでおくった。これは、1960年に書かれ、死ぬ一年前である。
「私は、はじめてその貸本屋へ入っていったとき、とてもはずかしかった。貸本文庫に加入するだけのお金をもちあわせていなかったのだ。いつでも、お金の入ったときに、保証金を払えばいいと彼女は言って、カードを作ってくれ、好きなだけ本をもっていらっしゃいと言った。 彼女が私を信頼する理由は何一つなかった....。私はツルゲーネフからはじめて、『猟人日記』の二巻と、D・H・ロレンスの初期の本一冊――たしか『息子と恋人』だった――を手にとった。すると、シルヴィアは、ほしければもっとたくさんもっていけと言った。私は『戦争と平和』のコンスタンス・ガーネット版とドストエフスキーの『賭博者・その他の物語』とをえらんだ。....」(移動祝祭日)
ヘミングウェイはパリでの若き修行時代にロシア文学をほとんど読破したのだろう。ロシア文学も好きだが、ヘミングウェイも好きである。どこか類似性があるのだろう。リアリズム、そして生きることを徹底的につきつめ、人間の本能を剥き出しにする。
作家の晩年、自伝的要素のつよい短編が多々ある。トルストイにもある。『幼年時代』『少年時代』『青年時代』の三部作となる自伝的短編である。一つ気づいたことは、ロシア文学は貴族の文学である。ほとんどの作家が不労所得階級の出身者である。ツルゲーネフの「猟人日記」など読むと、度々農奴が登場して、領地を所有する地主が存在して、そこで働く農民の運命決定権をもっている。それでいて、郊外にある「居酒屋」では、農民も地主も一緒になって、酔って、くだをまく。階級社会と歪んだ自由のある風土かもしれない。哲学的思索がふんだんにみられる。トルストイの「人生論」なんて、理解がかなり困難である。
「.....友達でなく親しい交りを持っていなかったら、生涯はもっと別のものであったかも知れないと思った。いつかは画壇に出て、官展の無鑑査の端っこぐらいに、吾々に記憶されるかされないぐらいの名を出していたかも知れない。」(「ある偽作家の生涯」、井上靖)これは、画壇のはなしである。友だちの一人が有能で、早くから画壇で評価され、輝いていたが、それに嫉妬したもう一人の友だちが、高く評価された友だちの絵の贋作を手がける。精巧に出来た偽物で、なかなか見破るのは至難の業であった。評価されなかった友だちも、絵画の技術は高いものがあった。しかし、結局、見破られ画壇から追われ、悲劇の人生をおくる。嫉妬など起こさず、淡々と自分を信じて絵を描いていれば、いつかは、それなりの地位について、人生を終えたことだろう。
人生も才能はわずかでも、それを信じて独自の道を歩めば、そのうち、それなりに評価されるかもしれない。騙り、なりすましなどに走らず、地道に生きたいものだ。
今年は不漁である。といっても、スポーツフィッシングのことだが...。台風と、急激な豪雨が繰り返され、いつも川は濁り、魚の活性は低かった。どこかで、護岸工事か、堰堤工事でもやっているのだろうか。とにかく水が澄んでいない。舗装されていない急勾配の坂は、所々泥濘みがあり、一気には登れない。歳のせいか、リュックが肩に食い込む。水に濡れたウエ-ダ-や、シュ-ズでかなり重い。途中、必ず一休みするようになった。心臓の音が聞こえた。静まってから、ゆっくり歩き出す。帰るあてはあるが、....。
ロシア語上達法(55)(翻訳と精神の自由)
(2024年6月19日(水))
強い風でホテルの窓がビュー、ビュ-と唸っていた。嵐だ。朝起きて車で、激しく揺れるポプラ並木の道路を突っ切って港へ行くと、海は一面真っ黒だった。ここは黒海沿岸にあるノヴォロシスク港だ。40年ぐらい前のことだ。先日、新聞記事を読んでいたら、ロシア艦がウクライナの水上ドロ-ンで攻撃されたらしい。当時は、平和だった。夏は白夜、暗い夜は短かった。若いカップルの世界でもあった。門限ぎりぎりまで、ワインをもって、ポプラ並木に並んだベンチで暑さを凌いだ。
貧困と欲望が戦争を生み出す。ソ連は崩壊する必要はなかったかもしれない。これが、あらゆる勘違いを発生させた。資本主義が経済繁栄の原則とする誤った考えに陥ってしまった。経済学が進歩しなくなった。結果は、貧富が拡大し、世界各地で戦争が勃発するようになった。けして世界は発展するようなことはなかった。今や、核戦争の秒読み段階に入っている。
大黒屋光太夫の漂流記(おろしや国酔夢譚)(井上靖)を読む。回船(輸送船)(船員15名、農民1名)は、1783年に難破して、アリューシャン列島のアムチカ島に漂着する。そして、約10年間、極寒の地ロシアで暮らし、やっとのことで帰国する。その間、いく度の失敗にめげず、ロシア帝国の女帝エカテリーナ2世に謁見する。帰国許可が出て、新船を建造してもらい、根室港に入る。帰国したのは3名のみ、残りはロシア正教に帰依した2名のほか、全ては途中、命は果てた。
興味深いのは、8頭立馬橇で冬のロシアを約6000kmひた走り、帰国懇願のため、ペテルブルグへ向かう場面である。1月半ばのことである。冬宮で当時、権勢を誇るエカテリーナ二世と謁見する。大広間には数百名の家臣が女帝を中心に左右に並んでいた。
その頃、西洋では地球儀などあり、世界の見識は広かったようだ。当然、東洋のことも、日本のことも、かなり、情報があったと思われる。一方、日本は鎖国体制で、一部の人間を除いて、外国人と交流することは許されなかった。それでもやっていけたが、時代から完全においてけぼりとなった。ロシア人のほうが、融和性も、侵略性も強いように思われる。急かすことのない暢気な時代である。だからあらゆる面で交渉の余地があった。明治維新の約100年前のことで、とても日本には開国の機運も準備もなかった。
そんな悠長な時代から今日のロシアを眺める。どうしても、ウクライナ問題を避けては通れない。先ず、以前に紹介した次ぎの一文から始める。
「日本 で 最大 の 不自由 は、 国際 問題 において、 相手 の 立場 を 説明 する こと
が でき ない 一事 だ。 日本 には 自分 の 立場 しか ない。 この 心的 態度 を 変える 教育 を し なけれ ば、 日本 は 断じて 世界 一等国
に なる こと は でき ない。 すべて の 問題 は ここ から 出発 し なく ては なら ない。」(「暗黒日記」清沢 洌)
結局、一等国にはなれなかった。GDPでは、世界二位まで上り詰めたが、儚い夢物語となった。現在は四位、間もなく五位になる。ひょっとすると、十位ぐらいになるかもしれない。三十年間もGDPは一円も増えず、賃金もビタ一文も増えていない。逆に実質賃金は減っている。約70年間も、一党が支配している国家は、世界でもそうそうない。同じぐらいの長さ、国を一党で支配していた政党には、ソ連共産党がある。1922年から1991年である。どちらも、二世三世が跋扈して、政治が腐敗して、国が零落した。
簡単には、人間の性格が変わることはない。三百年間以上は、日本国全体が座敷牢みたいに、いっさい外部との交流を遮断してきた。常に内向きの性質は微動たりともしない。島国のせいもあり、どうしても自国中心の視点で世界を眺めてしまう。つまり、客観的見方ではない。自分に都合のよいデ-タをもとに、外部を見渡して、判断する。これだけ、多くの日本人が海外に出ているのに、なかなか国際人が育たない。「イエローモンキー」と陰口をたたかれても、「白人」にひたすらなりたい。いびつなコンプレックスがいたるところにある。
戦前、日本では鬼畜米英と、当時のマスコミ、新聞が一斉に日々報じていた。日本の庶民には外国のことは分からず、ひたすら大手新聞や国営放送を信じて、英国人や米国人は悪人と思い込んでしまった。現代ではどうか、ロシア、中国、北朝鮮は、日本人のほとんどは嫌いである。これも、テレビ、新聞のせいである。しかし、そうとばかりも言えない。何故なら、第二次世界大戦の反省すべき日本人は、いまだ反省どころか、マスコミの報道をたやすく信じている。
客観的根拠を知る、学ぶ、入手する努力をして、公正に国際情勢を判断できる能力をもたないと、戦前と同じ轍を踏んでしまう。今度は取り返しのつかないことである。
NATOという世界最大の軍事ブロック、軍事同盟というモンスターは、早々と解散させたほうがよい。大戦争の源である。現在、32カ国が加盟している。その内、どこか小国が戦争を始めると、残り31カ国がこぞって参戦する。これは最早、世界大戦である。32カ国、束になってかかってくるから、相手からみると、とても勝てそうにない。もし勝とうとすれば、間違いなく核兵器を使うだろう。非常に危険な軍事ブロックである。国連安保理常任理事国五カ国(米国、英国、フランス、中国、ロシア)の中、三カ国(米国、英国、フランス)が入っている。一方、中国とロシアは正式に宣言こそしないが軍事同盟を結んでいる。この構図は、国連設立時から変わっていない。世界の勢力図も、基本的に変化がない。第一次世界大戦も、最初は小さないざこざであったものが、いつしか六千万人ぐらいが戦争に参加して、一千万人近くの戦死者を出した惨禍となってしまった。これも、軍事同盟のせいである。
平和交渉をしないと停戦にはならない。NATOには20年間ぐらい加盟しないと宣言する。ウクライナは連邦国家となり、ルガンスク共和国とドネツク共和国は、一旦、ウクライナに戻し、独立した連邦構成国家とする。そこで戦争を終結する。こんなところがどうだろうか。このままやっていくと、国家としてのウクライナは存続しなくなるか、核戦争になる。優れた指導者はいないものか?平和を叫んでも、「蟷螂の斧」となってしまう。
前々からネイティブアメリカンには興味があった。何故に黒人奴隷がいたのか、アメリカ大陸が発見される前、そこには誰が住んでいたのか、いろいろ疑問があった。何故なら、アメリカ大陸に農園があり、そこに働き手として、アフリカ黒人を奴隷として強制的に連れてきたと、素朴に思っていた時もあった。歴史を調べていくと、アメリカ大陸の土地にはすでに所有者がいた。
「ゼアゼア」(トミー・オレンジ(著)、五月書房)を読む。「そこのそこ」、という意味らしい。訳にもっと工夫がほしかった。絶滅させられた民族の残滓の現在の話である。米国史の矛盾をもっとも際立たせるものである。黒人奴隷の歴史から米国を描くと、真実と遠くなる。その前に米国人にとって、知られたくないジェノサイドがあった。
黒人奴隷史はあっても、ネイティブアメリカンの絶滅史はない。ここは、米国人の償いようのない恥部である。殺戮、暴力、陰謀の上に構築された民主主義とは、いかなる意味があるのか。
歴史の真実をしらないといけない。そのことによって、お互いの民族を過ちに気づくからだ。ア-リア人の性質も、自制することを覚えないと、原爆投下になる。現在のユダヤ人の蛮行をみると、白人の有色人種に対する蔑視、差別思想がわかる。彼らは、パレスチナ人を絶滅させるつもりだ。
「人は何で生きるのか」(レフ・トルストイ)ロシア民話である。それは、愛らしいが...。帰宅途中、泥酔した靴屋がお堂にうしろにいた死にかかった痩せた若者(天使の化身)に出会う。うっかり乞食に出会っても、早足に逃げてはいけないそうだ。神かもしれないからだ。でも、そんなことはありません。それでも、「義を見てせざるは勇無きなり」ともいう。困った人を見かけたら、自滅しない程度に手を差しのべることは、人としての良心かもしれません。「因果応報」とも、いいます。その行動は、必ずいつか、自分に返ってくるのでしょう。
「イワンの馬鹿」も面白い。人生とはうまくできている。要領よく生きても、どこかでしくじる。しくじってばかりいる人が、最後には成功する。目先の成功ばかり追う人は、大成しない。人生の成功と幸福を方程式にすると、答えは複雑だ。それでも、幸福を抜きにして、人生を語っても意味はない。幸福とは何か?
特許についていうと、十数本を翻訳者として出願して審査官の審査にパスした。特許とは、きわめて重要な分野である。何故なら、誇張ではなく、一つの特許の権利が数百億円にも、数千億円にもなる場合もあるからだ。やはり、最初は何度か、補正を審査官から求められた。3~4本くらい、翻訳すると、基本的知識が身についた。
前回、少し触れたが、書き忘れたことがあった。請求項では、「など」や「等々」は使えない。契約書などでは「建物等々」という表現が使われる。まだ特許翻訳が不慣れな時、ロシア特許庁の審査官に指摘された。もちろん、直接には連絡はこない。特許事務所を介してである。請求項では「等々」は使えないと指摘され、書き換えを求められた。特許請求項では、基本的には抽象性のある断定的表現が求められる。なるべく具体化は避ける。
特許翻訳していて、感じたことは、物事を本質的にとらえない人はこの分野には向いていない。形式や表面的なものが気になる人は、やめたほうがいいかもしれない。一般の技術翻訳では、単語自体の意味が重要になる。単語の意味の定義である。そうしたやり方で、表現された言葉を正確に翻訳する。一方、特許翻訳では、まさに本質を求める。単語の意味もさることながら、もっと重要なことは、装置なり方法なりの本質を理解することである。そこから、表現された単語の再定義が行われる。文面上に書かれた単語をそのまま解釈しても意味がない。
例えば、日本人が特許庁に出願する場合である。勿論、日本語で書かれている。執筆者は日本人で日本語はよく理解している。日本語が原語であり、原文となる。作成している本人は出願対象の本質を理解しているつもりである。そこから外国へ出願するため、翻訳が行われる。ただし、外国の特許庁にとって、翻訳文は存在しない。すべで母国語の原文として受理する。つまり、どの国の特許庁にも、翻訳文は存在せず、すべて母国語の原文となる。したがって、日本人が作成しようが、外国人が作成して翻訳されようが、同じ扱いとなる。
特許において、あるいは人生全般において、本質的に理解することはきわめて重要である。本質的に理解さえしておけば、日本語で表現しても、外国語で表現しても、解釈の相違みたいなものも、きわめて少なくなる。たぶん、翻訳の神髄はそこらあたりにあるのかもしれない。技巧的な面より、いかに正確に本質にたどりつき、把握するか、そこに全てあるように思える。
「子曰わく、唯仁者のみ能く人を好み、良く人を悪む。」(人格者でなければ善悪は見抜けない。人の良い所と悪い所を正しく理解するというのは難しい。先入観を捨てなければいけない。何事も見た目や人のうわさを耳に入れて判断するというのはよくない。)
とても、仁者などにはなれないが、遠くから眺めるだけでも、近づけるような錯覚におちいる。世間体を気にする、他人の意見に流される、人は人、自分は自分とは思えない。これは、おそらく「自己確立」ができていないせいかもしれない。自分の意見は自分の意見として尊む、他人の意見は他人の意見として、尊重できれば、その人間は、周囲に流されることはない。
時代は変遷して、右へ、右へ傾き、憲法まで蔑ろにされる。騙り、なりすましがやたらに増えてきた。発展しない社会、閉塞したこの世界、おそらく、全てを入れ替えないと、いけないのかもしれない。少なくとも、20~30年間はかかる。
「人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患うるなり」(孔子) (この論語の意味は、人が自分のことを正しく理解してくれないことを思い悩んでもしかたない。 それよりも、自分が人を正しく理解していないことを心配すべきである。)
理解されない、評価されないと、常に悩むより、他人をいかに理解し、評価しているか、少し考えてみることも大切かもしれない。とかく、人は自己中心的な思考におちいる。そこから出発するから、いらぬ軋轢を生むのかもしれない。
これから世界は真二つに分裂するだろう。グローバリゼーション経済の行き詰まった果てである。世界は、市場経済を導入し、グローバル化して、関税障壁を撤廃すれば、豊かになれると、本当に思っていたのか?凄まじいほどの貧富の差が拡大するばかりだ。しかし、見方を変えると、新たな経済体制への転換かもしれない。もしかしたら、それによって、経済はいまより、ましな形で発展し始めるかもしれない。
毎日々、歪曲されたウクライナ報道ばかり、垂れ流される。現実とかけ離れたウクライナ像とロシア像、日本人はまたもや、架空のウクライナ、架空のロシアを考えて、あらぬ方向へ進んでいる。
「..ただ、一さいは過ぎて行きます。自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。ただ、一さいは過ぎて行きます。....」(人間失格、太宰治)
ロシア語上達法(53)(翻訳と精神の自由)
(2024年1月1日(月))
電車の窓外は、黒い闇が沈黙している。厚手のダウン、毛糸の帽子、重厚な手袋を着けて、寒さを凌いだ。渓流釣りは、9月末日に禁漁、そして3月1日に解禁される。ところが、雪が降ろうが、嵐が吹こうが、釣りマニアはいる。冬季ニジマス釣り場に向かう。最近は、クマが多いときくから、なるべく単独行は避けたいが、あいにく格好な相棒はいない。効果には首を傾げるが、笛を首に提げ、いざという時、鳴らそうと準備する。
秩父鉄道に乗ると、けっこう登山客がいる。それでも夏場と比べると少ない。列車の軋む音さえも、幻聴に思われる。一車両に2~3人しかいない。「夜と霧」を読んで、若干同情しかけたが、「ガザの残虐」を知ると、「大義」とか「正義」は信じられないと思った。ウクライナで戦争しているが、意味のないことをしているように思えてならない。
「戦争と平和」なんて、リアリテイもなく、人生のテ-マになるとは思わなかったが、地理的な意味より、精神的な意味で、近くで起こると、強制的にテ-マとなる。外形的な分析より、人間の本質的な部分を解明し、確認しないといけない。何度繰り返しても、幾度も反省しても、同じことをやる。だからといって、諦めることもできない。
人間関係も、追い出した人と、捨てられてた人がいる。捨てられた人は、自尊心、プライドが傷ついたせいか、やたらと未練がましく、つきまとう。捨てた人は、二度と会わないだろう。その逆でも同じことである。誰でもそうだが、捨てる場合は、相手の自尊心をなるべき、傷つけないように心がけたほうがいい。日常雑記。
自分に自信のない人は、仮面をかぶり、時に過度に強面となる。コンプレックスにもいろいろある。上から目線だったり、上下関係を好んだり、偽の優越感を探しもとめる。自然と、相手にたいし、優位に立とうとする。自己陶酔型、自己耽美型人間には、ほとほと手を焼く。人間、そこそこ同じに出てきいる。「平等」の価値観を知らない。
この15年間ちかく、国際特許の翻訳をしていた。ほとんど、一般の技術翻訳や文芸関係の翻訳はやらなかった。ここに個人的リソ-スの全てを投入した。特許翻訳は旧ソ連時代から、主に特許要約書の和訳をした経験はかなりあったが、出願書の翻訳をするのは初めてだった。これには、メ-カから担当エンジニアがついた。月に2~3回、2~3時間、技術講習を受けた。担当技師が講師となって、技術の基礎から、特許関係の技術まで、1から、手取り足取り、教えてもらうことになった。これには10年間くらいかかった。それまで、見よう、見まねで、技術翻訳をやってきた。おかげで、かなり技術に自信をもてるようになった。
一般に技術翻訳者は、年間1500枚~2000枚前後の翻訳を行う。最近、相場は知らないが、月に200枚ぐらい翻訳する。問題は、この翻訳量を毎月、毎年は確保することである。エ-ジェントに営業をまかせれば、翻訳料金は少なくなるが、自分で営業すれば、その分、時間がそがれるから、どちらでも、売上はさほど変わらない。
当然、ロシア語へ訳す時、必ず、ネイティブチェックが入る。個人単独の翻訳は基本的にない。最後にロシア人が目通すやり方である。文法的に間違うことはほとんどないが、問題は文の流れである。単語と単語の相性みたいのものがある。もちろん、意味は通じるのだが、流暢でなく、どことなくよどみがある。これは、ある意味で長く母国で暮らした日本人には無理かもしれない。この単語の次ぎにはこの単語みたいな不文律みたいなものがある。
かなり前のことだが、ドナルド・キ-ン博士(1922年6月18日 - 2019年2月24日:アメリカ合衆国出身の日本文学・日本学者、文芸評論家。コロンビア大学名誉教授)のコラムを読んだことがある。日本語はとても丁寧で綺麗であったが、どことなくぎこちなかった。母国で成人まで過ごすと、音声言語と文字言語の流れによどみがなくなる。
国際特許出願とは、最低5人の人間が関与する。先ず、特許出願文を作成する人間、これを翻訳する人間、日本の弁理士、ロシアの弁理士、ロシア特許庁の審査官である。外国へ出願する場合、直接、外国の特許庁へ提出できない。現地代理人か、弁理士事務所を経由しないといけない。これは、法律で定まっている。現地語への翻訳は、現地弁理士事務所が手配した翻訳者が行うケ-スが多い。
ロシア特許庁は、特許のデ-タベ-スを公表している。無料と有料がある。無料の場合、閲覧に制限がある。日本からも、ネットを介して、有料会員なれる。ただし、ロシア特許庁の担当者に連絡をとり、申し込む。閲覧料金は、指定されたロシア国営銀行へ振り込みとなる。手続きが完了すると、IDとPWDが提供される。ただし、今は、複雑な地政学的状況から、手続きは、不可能と思われるほど、難しいかもしれません。
しかし、ロシアへ特許出願する場合、すでにどのような特許が出願されているか、知らないといけないから、当然、ロシア特許庁のデ-タベ-スに目を通す必要がある。
何故、国際特許の出願に関係したか、これにはそれなりの理由があった。一般には出願先の外国特許事務所の手配した翻訳者の翻訳で出願してしまう。ある時、日本特許庁に出願された外国特許文を見る機会があったと、メ-カの特許専門家が言った。これは英文を日本文に翻訳したものだ。読んでいくうちに、どうも日本文がおかしい、技術的表現がどこか不自然と思ったという。外国からの出願の場合、日本の翻訳者は海の向こうにいる特許原文作成者に質問することは、ほとんどできない。日本語的表現でないという意味ではない。例えば、私信でも、手記でも、書き手と読み手の理解が異なることは、しばしば起こる。時には実際に会って、訊ねたほうが良い場合もある。どうしても、人間には思い込みがあるからだ。
技術文でも、定義の決まっている専門用語ばかりではない。慣用的に使っている単語も数多くある。それも各人、解釈はまちまちだから、さらに厄介になる。一つの単語をめぐって、二人の人間の解釈に若干ずれがある場合もある。当然、会って、摺り合わせるのがベタ-である。
特許になると、もっと緊迫してくる。なにせ、権利の獲得だ。微妙なニュアンスの表現が、場合によっては、裁判で負けることになる。この重要性は、なかなか訴訟に発展しないからで、潜在的な危険因子のまま、表面化しない。
例として米国から日本へ出願された特許について、考えてみる。そこに日本語に翻訳できない単語があったとする。翻訳者は、苦心惨憺しても、適当な日本語がみつからないとする。当たらずしも遠からずで、それに近い日本語を入れたとする。これでも、当面は凌げるだろう。ただし、裁判が起こらない限りである。
それに該当する単語がない場合、注釈は許される。この単語は、こういう意味と記述してもよい。しかし、これは、特許原文作成者に直接聞く以外に方法はない。もちろん、造語は禁止である。一般に流通している言葉を使うの原則である。
一般の技術文書でも、分からないところや、理解の難しいところは、直接質問する。しかし、なかなか、これは実現しない。実際、翻訳者が直接、メ-カから翻訳を依頼されるケ-スは希である。これは、「営業と製造」の問題と同じで、直接営業すると単価は高いが、時間がとられ、その分、翻訳量が減少する。しかし、これが一つの生産ラインの構造となって、メ-カの技師に直接質問できなくする。先ず、翻訳会社は、依頼先を教えるのはいやがる。第二に、いちいち、質問すると、翻訳の生産性が低下する。少々の疑問は残しても、ある程度、能力のある翻訳者であれば、8割程度は理解できるから、訳してしまえば、「大海の一滴」みたいなものだ。第三に、特許と異なり、「本質」を問題としない。きちんと、専門用語を使いこなせれば、大体は、うまくいく。
特許の場合、特許文作成者(発明者)から直接、真意を聞かないと、本質を表現できない。例えば、米国の発明者が日本で特許出願しようとすれば、米国の特許事務所に依頼する。米国の特許事務所は、日本の特許事務所に依頼する。そして、国内の翻訳者に依頼する。その出来た翻訳で特許庁に出願する。どの国でも同じだが、日本の特許庁に出願できる特許文書は、日本語のみである。外国からの出願は、必ず翻訳文となる。
特許庁は、特許文の作成規則さえ、遵守されていれば、基本的に審査は通過させる。ここでは、特許の本質がきちんと表現されているか、いないか、問題にしない。
ここでいう「本質」とは、「独創性」と、進歩性、新規性のことである。オリジナリティ、つまり独創性とは、もちろん、他に存在しないことである。
特許とは権利の主張であり、確保である。一方、一般の技術文書は、技術の説明であり、権利を主張しているわけでない。
特許は、発明、実用新案、意匠、商標がある。それぞれ、権利の対象、範囲が異なる。現実に関わった発明(特許権)について、若干話してみたい。
特許文は、発明の場合だと、明細書、請求の範囲、要約書の三点で構成される。明細書とは、発明技術の説明文である。この書き方は、さほど厳しい規則はない。問題は、「請求の範囲」である。これには、文書作成の規則が定まっている。その前に、発明には主に「装置」と「方法」とわかれる。
ちなみに、特許の場合、装置は「устройство」、方法は「способ」と、用語はきまっている。これを、「оборудование、аппаратура」とか「мотод」としてはいけない。又、図は「Рис.」ではなく、「Фиг.」となる。規則である。
装置の場合、静的に表現する。装置を写真で撮って、静止した状態にように表現する。動かしてはいけない。つまり、動詞を運動させない。例えば、「Устройство перемещается」(装置は移動している)とはできない。「Устройство имеет возможность перемещения」(装置は移動する能力がある)とする。つまり、装置の発明では、能力を表現することになる。
一方、「方法」の場合だと、動的に表現され、不定人称文で書く。三人称複数形である。例えば「перемещают устройство」(装置を移動させる)とか、「осуществляют перемещение устройства」みたいになる。三人称複数命令形のようになる。
これは、ネットなどの参考文を見ながら、練習していくと、慣れてくる。文書作成規則から外れると、審査は不合格になるか、ロシア特許庁の審査官が親切ならば、職権で修正してくれる場合もあるし、補正するよう求められる。いずれにしても、連絡が入る。リアクションがあるのは、国際出願してから3~4ヶ月、修正、補正などして、早い場合でも、半年間はゆうにかかる。
「請求の範囲」の書き方で重要な点は、一文で書く規則である。ピリオドで区切ってはいけない。一つの連なった文として表現する。けっこう面倒である。慣れてくれば、コツが分かり、工夫するようになる。
「請求の範囲」で最も重要な部分は、請求項の1項である。ここで、いかに権利の範囲を大きく主張できるか、書き手の腕にかかっている。土地でいえば、10m四方を主張するか、100m四方を主張するか、大違いである。もちろん、誰もが、100m四方のほうを欲しがるだろう。これは、表現の仕方である。どうすればよいか。
具体的表現はできる限り避けることである。抽象的な表現が推奨されるが、それでも限界がある。最小限の具体化は求められる。何が発明の対象であるか、分かるようにしないといけない。このへんの匙加減は、ベテラン、名人の域である。
これは、翻訳者の発言であるから、細かいところでは、不正確かもしれない。正確には特許庁や弁理士事務所のサイトをみて、確認していただきたい。
かれこれ、10年間で10数本の特許出願書を翻訳して、申請したことになる。感慨深いものがある。毎年、1~2本、特許文を翻訳して、これだけに全力投球して、老いたのである。これでよかったのか、よく分からない。戻すことのできない時間だけが、冷酷に過去を捨て去っていく。
井上靖の「射程」を読んでみた。アナキ-な心理とは、時に人生を「ギャンブル」にするかもしれない。いくら全力で生きても、空虚感の埋まらない人もいる。深い心の傷を負った人は、どうすればいいのだろうか。できれば、軽い負傷にしたいものだ。そして、能力の「射程」も常に注意しないといけない。動物も人間も、能力以上のことはできない。それをオ-バ-した者は、「破滅」の運命となる。
「虚無感」みたいなものが、心の中で沈殿していると、それに過度のコンプレックスが加味されると、予期せぬ現象が起きる場合もある。敗戦直後のニヒリズムは、すごいものがある。一つの価値観がガラガラ崩壊した後の真空状態、時間は止まり、人生はどんよりした曇天下である。「射程」とはそんな作品である。
2024年は、とても平穏にはすまないだろう。政治も経済も大きく変動し、紛争は拡大し、もしかしたら取り返しのつかない戦争が勃発するかもしれない。それにしても、ロシアは強いというか、自給自足国家は強いと言い換えたほうがよいかもしれない。長期戦になればなるほど、本領を発揮するだろう。
鎖国してもやっていける国に経済制裁することはまった意味がない。国境を閉じて内需だけでやっていける。資源は山ほどある。それでも経済制裁するのは、もっと別の目的があるのだろう。ロシアの弱体化や、民主主義への侵略というのは大義名分で、たぶん、問題提起は自国問題だろう。
この日、40cmぐらいのニジマス一匹を釣り上げた。面目躍如である。冬枯れの河原をぶらぶら歩きながら、「日本人の法意識」(川島武宜)について考えてみた。これほど、法律より、日常慣習のほうが優位である国民は珍しいかもしれない。だから法律を守らないのだ。はたして、2024年はどんな年になるだろうか!
ロシア語上達法(52)(翻訳と精神の自由)
(2023年9月13日(水))
かんかん照りの中、長竿をかれこれ1時間以上も振っている。荒川のかなり上流である。歳のせいか、背中のリュックが重い。電車を乗り継ぎ、乗り継ぎ、やってきた。朽ちた木造無人駅舎から、静寂の葡萄畑の小さな脇道をワクワクしながら、早足で行くと、急坂が一直線にのびていた。前のめりになりながら、坂道両側から大きな雑木が覆いかぶり、光を遮っていた。しばらく下ると、背丈以上の草原が続き、どうにか抜けると、広い河原と大きな川が待っていた。
荒川は、深い谷間に流れる川である。ちょとした夕立でも、川は氾濫する。砂と玉石の河原、そして高い絶壁の崖が両側から取り囲んでいる。渓流釣りの格好に着替えると、最後に腰巻き型のライフジャケットをつけて、無言の川にゆっくりと入った。ゆったりと、白い靄が川面に漂っている。
先日、「夜と霧」(ヴィクトール・フランクル、精神科医、心理学者)を読んでみた。有名な作品だ。ちなみに「夜と霧」の題名は、ヒトラーの特別作戦の名称が「夜と霧」で、そこから名付けられた。「夜陰」にまぎれて、ユダヤ人を捕縛し、「霧」のように消し去るという意味らしい。第二次世界大戦中、ヨ-ロッパにいたユダヤ人900万人中、600万人が殺害された。アウシュビッツ強制収容所では、約110万人が犠牲となり、そこから生き延びた人は、たった200人に満たないといわれる。
その生き残りの一人がユダ人精神科医ヴィクトール・フランクルである。この本を読んで、大きな衝撃を受けるとともに、次の下りは考えさせるものがあった。
『...この よう な 事態 は、 些細 な こと を つうじ て 明らか に なっ た。 たとえば、 ある 仲間 と わたし は、 つい この あいだ 解放 さ れ た 収容所 に 向け て、 田舎道 を 歩い て い た。 わたし たち の 前 に、 芽 を 出し た ばかりの 麦畑 が 広がっ た。わたし は 思わず 畑 をよ け た。 ところが、 仲間 は わたし の 腕 を つかむ と、 いっしょ に 畑 を つっきっ て 行っ た の だ。 わたし は 口ごもり ながら、 若芽 を 踏む のは よく ない のでは、 という よう な こと を 言っ た。 する と、 仲間 は かっと なっ た。 その 目 には 怒り が 燃え て い た。 仲間 は わたし を どなりつけた。
「 なん だって? おれ たち が こうむっ た 損害 は どう って こと ない のか? おれ は 女房 と 子ども を ガス 室 で 殺さ れ た ん だ ぞ。 その ほか の こと には 目 を つぶっ ても だ。 なのに、 ほんの ちょっと 麦 を 踏む のを いけ ない だ なんて……」 不正 を 働く 権利 の ある 者 など い ない、 たとえ 不正 を 働か れ た 者 で あっても 例外 では ない の だ という あたりまえ の 常識 に、 こうした 人間 を 立ち もどら せる には 時間 が かかる。 そして、 こういう 人間 を 常識 へと ふたたび 目覚め させる ため に、 なんとか し なけれ ば なら ない。 この よう な 取り違え は、 どこ かの 農家 が 数 千 粒 の 麦 を ふい に する よりも もっと 始末 の 悪い 結果 を 招き かね ない から だ。 ....』
これが、もしかしたら、後々、イスラエルの建国となり、今日でも続く、パレスチナ問題に影響しているかもしれない。
人間は、地獄のような生活を長らく余儀なくされ、人間の尊厳を容赦なく蹂躙されると、アナ-キ-な心理、心が退廃して、別の尺度の行動規範が形成されるのかもしれない。ある意味で、精神が病むのかもしれない。
異常なまで貧富の差、貧民層の血反吐のあがき、いつまでも続くと、不正を正当化させるかもしれない。麻痺した正義感、精神の荒廃、とても謙虚になれない、追い詰められた心情、社会ル-ルを破っても平気な信念、善悪が融合した汚濁の心....。
地獄の貧困から生まれた不正を人は、何かによって正当化したくなる。ただの犯罪者にはなりたくないからだ。例えば、宗教、例えばイデオロギーである。宗教もイデオロギーも体系化したものである。些細の犯罪にはもってこいなのである。
特に恐ろしいのは、上から目線の人間群である。同等に見ることができない。常に自分を上におかないと、おどおど不安になる。心の根底に異常なまでのコンプレックスが潜んでいることが多い。個人の秘められた過去、暗部、触れられたくない部分が、歪んだコンプレックスになり、常に平静を装って、取り繕い、上から目線で、本質を隠蔽しようとする。
心の闇の深い人とは、できる限り距離をおかないといけないと、つくづく思う。個人ではどうにもならないこともある。社会問題であるが、流れは、そうした人間群の形成を増幅させるばかりだ。
靄は段々、薄くなり、川の景観がはっきりしてきた。夏季は、浅瀬のほうに魚は集まる。川底の大小の石についた苔や藻で、足を滑らしながら川草がびっしり生えた岸にそって用心深く上流へ、よたつきながら移動した。流れは、日光をキラキラ眩しく反射させながら、崖にぶつかって、二つに分かれていた。手前の浅い流れに竿を入れた。予想に反し、一投目から竿先がややしなり、ヤマメが釣れた。20cm前後の小さなものだった。それも立て続けの二匹目もきた。
人の脳裏には、脈絡のないことが突如、浮かぶことがある。70年代後半、ハバロフスクで働いていたことがある。あるメ-カの仕事で、通訳をしていた。毎晩、夜になると、バ-で酒を飲むのがきまりとなっていた。そこで、時々会う、ある初老の日本人は今でも忘れられない。月に一度くらい、日本からやってくる。弟が小さな商社をやっており、契約書の署名に代理として来るという。歳の差はかなりあったが、何故か、馬が合った。
恰幅のよい紳士だった。身長も高く、話しぶりにどこか、揺るぎないものがあったが、虚無的な冗談をよく飛ばしていた。元ハバロフスク捕虜収容所の日本側代表だった。旧帝国陸軍の大尉か少佐だったと記憶している。ある夜更け、バ-で酒も回って、「...ロシア民族の優れた特徴は、集中力だ。あいつら、普段はだらだら、やっているが、いざとなると、2~3ヶ月かかるものを、1週間ぐらいでやってしまうことがある。これが、ロシア人の優秀な特徴だ」この元帝国陸軍将校は、ため息をつきながら、煙草をくゆらせ、しばらく沈黙した。
ウクライナで戦争をしている。数値、統計デ-タだけを追うと、見誤るかもしれない。当時、ロシア人の働きぶりからは、とても「集中力」があるなど、にわかに信じられず、想像もできなかった。それから、数十年間は経過した。時代はかわり、当人はすでにいないだろう。突然、あの旧帝国陸軍将校の言葉が、何故か蘇ってきた。
ロシアは奥へ奥へと引きずり込むだろう。自給自足国家だ。短期戦では弱くでも、長期となると、がらっと、状況は変わる。貿易停止して、国境を閉鎖してもやっていける国である。欧州には優れた科学技術があっても、資源がない。徐々にきいてくるだろう。想像だが、ロシアの指導中枢部は、シベリアにもある。モスクワだけではない。最後は、その湿地帯の地下深くにもぐり、指揮をとるのかもしれない。とくかく、奥行きは、あまりにも深く、日本人はけして想像できないだろう。とりとめのない、虚構である。
もう一つ、かつて司馬遼太郎の本を読み、その中で、「ロシア軍の戦法は、第二戦線にある」と書いてあった。古くからの戦法で、第二戦線に精鋭部隊を配置する。容易く第一戦線を突破すると、強力な精鋭部隊が待っているらしい。うかつに第一戦線を突破すると、とんでもないことになるかもしれない。
貧困が生み出す社会秩序の破壊行為は、なんとかしないといけない。異常に病んだ精神を慰める方法はあるのだろうか。「勧善懲悪」みたいな社会行動は、社会を単純化し、善と悪しか存在しない社会を連想させ、リアリティがない。社会はもっと複雑で、完全な善人も、完全な悪人も存在しない。
「.....湿っ た 居室 を 与え られ、 地下 からの 防水 も ない地下室 や、 雨漏り する 屋根裏 に 入れ られる。 家 の 作り の ため、 じめじめ し た 空気 は 逃げ られ ない。 ひどい、 ボロボロ の、 腐っ た 衣服 を 与え られ、 混ぜ 物入り の 消化 不能 な 食物 しか 得 られ ない。 きわめて 極度 の 精神状態 変化 に 直面 し、 希望 と 恐怖 の 間 で 最も 激しい 変動 を 味わう。 獲物 の よう に 狩り 立て られ、 心 の平穏 や 人生の 静か な 享受 も 許さ れ ない。 性的 な 耽溺 と 泥酔 以外 の あらゆる 楽しみ を 奪わ れ て い て、 毎日 完全 に 精神 と 身体 の 活力 が なくなる まで 働かさ れ、 したがって 自分 が 左右 できる たった 二つ の 娯楽 を、 狂っ た よう な 過剰 にまで 推し進める よう 強い られ て いる。...」(イギリス における 労働 階級 の 状態:フリードリッヒ・エンゲルス、1845年)
これは、若きエンゲルスが精力的に調査して書いた作品である。1845年作だ。日本では江戸時代であり、元号は天保である。明治維新の20年ぐらい前の時代である。その頃、イギリスでは初期資本主義の黎明期であった。当時、労働法も、児童福祉法もなく、人々は経済の本能のまま、生産にはげんだ。
当時、紡績工場では、5~6歳の子供さえ、仕事に使っていたらしい。切れた糸の結ぶには、小さな子供のほうが、手先が器用らしい。もし、この世に、それなりの法律がないと、強者は好き放題のことをやるのかもしれない。10歳ぐらいの児童を雇用できると、大人はいらなくなる。大の男が失業者になる。いびつな社会が形成されていた。
河原の大小丸石は、ごろごろと無造作に続き、太陽熱が照り返してくる。しばらく歩いて、草原の日陰の中へ入った。無風状態で、風景がゆらめき、陽炎が発生していた。
「夜と霧」の中で、アウシュビッツ強制収容所の生活描写と、「イギリス における 労働 階級 の 状態」の描写が酷似しているように思えてならない。5~6歳の子供を労働者として働かせるということは、どういうことなのか?アウシュビッツ強制収容所では、子供、女性、老人、病人からガス室へ送られた。生存者によると、強制労働の後、シャワ-室で、シャワ-ノズルから水が出てくると、今日は生き残ったと思うらしい。
この世でも、合法的にアウシュビッツ強制収容所と同じような状態に陥ることがある。派遣労働も、そこへの近道かもしれない。
いつも、竿は、5本もって出かける。餌釣り、リ-ル、フライ、テンカラ、それに短い予備竿である。まとめてロッドケ-スに入れて、肩に掛けている。主に餌釣りが多い。どうにかテンカラ釣りに移行したいのだが、適当な場所がみつからない。
「日本 で 最大 の 不自由 は、 国際 問題 において、 相手 の 立場 を 説明 する こと が でき ない 一事 だ。 日本 には 自分 の 立場 しか ない。 この 心的 態度 を 変える 教育 を し なけれ ば、 日本 は 断じて 世界 一等国 に なる こと は でき ない。 すべて の 問題 は ここ から 出発 し なく ては なら ない。....」(「暗黒日記」、清沢 洌)
最近、つくづく、ロシアの専門家が日本にはほとんどいない。ロシア語を読める人が極端に少ない。情報は、主に英字新聞や、BS放送である。直接、現地の言葉が分からないから、常に間接的となる。ウクライナ戦争で、ロシアは制裁ですぐデフォルトになると、多くの経済専門家が言っていたが、でたらめだった。ロシアの実状を知らないとこうなる。
日本人の態度は、「暗黒日記」の清沢の時代とあまり変わらないようだ。いつも、自国中心で他国を見る。他国がどうみているか、あまり気にならない。たぶん、島国のせいだろう。日本人には「自分の立場」しかないのだ。
陽炎で歪む風景、全ての輪郭は崩れてしまい、曖昧な世界となった。ペットボトルは3本もってきたが、最後の1本も残りすくなった。高い雑草の日陰とはいえ、空気は静止状態で、無限の炎暑には太刀打ちできない。ここからは逃亡しよう、平和な家へ帰ろう、戦争のない故郷へ帰ろう。
「自己実現」とは、心理学者の言葉だが、たぶん、仏教的には「悟り」に近いものだろう。「絶対自我」とは、他から作用をうけない存在、外的影響から分離した存在、一切の外的要因から自律している存在、当然、主観的なものだが、だからこそ、きわめて価値がある思考方法かもしれない。とりとめのない話となった。
帰りは賑やかな列車となった。ほとんどが観光客で、都内から一直線に観光地を目指している。やたらと写真を撮る。それでも、老人の一人旅が多くなった。身なりは悪くはないが、清潔感はなかった。ロシア語も、戦前の英語みたいなった。それにしても、日本人には、国際感覚が異常なほどに欠落している。
未来を見通すのは難しい。これからどうなるか分からないが、資源がないのも事実で、重い現実である。日射しは強いままで、車窓のアルミ枠に照り返り、逃げ場がなかった。 ...それでも明日は信じたい!
ロシア語上達法(51)(翻訳と精神の自由)
(2023年1月1日(日))
2.24から時間が止まった。まだ桜も咲いていない頃、始まった。うまくいかなくても、懲りることはない。「戦争と平和」、「武器よさらば」、「誰がために鐘は鳴る」、読んだ記憶が駆け巡る。止めないといけない。独裁者、コメディアン、準認知症。
ヘイト-ロシア人、ロシア文化、ロシア語の差別。戦前、日本でも米国人や白人、朝鮮人に対し、ヘイトを行ったことがある。第二次大戦中、日系米国人(日本人)約12万人は米国で「敵性外国人」見なされ、強制収容所に隔離された。
米国の黒人奴隷は数百万人以上(一説では最大1200万人)といわれる。どうしてこんなことを行ったのか、理解に苦しむ。とりかえしがつかない。民族の優劣性が根本にあるのか、野蛮性なのか、こうしたことが差別の根源にあるのか、精神構造が分からない。
ヘイト被害で有名なのはナチのユダヤ人迫害である。国籍、人種、言語属性などによる差別は、憲法違反であり、国連憲章にも反する。こうした原因には様々な要因がある。家、家柄、出身、性、世襲制など根幹として構築された封建主義は、過去に葬ったはずだ。
そのかわり誕生したのが民主主義制である。能力、機能など現実に有効性を発揮する要素を基本とした社会制度である。日本が今、経済的、政治的に低迷している基本的原因は、世襲制などの封建主義の負の遺産かもしれない。二世三世の保守性が改革を妨げている。既得権、既成概念を素直に受け入れる。
部落民差別が日本にある。封建主義を廃止して民主主義制にしても差別はある。差別の本質は何だろうか?社会という構造体そのものが差別を生産するのか、国家という体制構造が生み出すものか?
冷気が白い靄となって川面にゆっくり漂う。冬期釣り場である。フライ、テンカラ、餌、リ-ルと漁法はいろいろある。慣れた小継ぎ竿を出して、針に餌をつけ、白泡の落ち込みに投げ込む。竿はけっこう長い。8m~9m、それでも特殊カ-ボン製なので、軽い。
やっと小さなニジマスが一匹釣れた。過去から現在、そして未来へ思いは馳せるが、未来は短い。バンクシ-の絵「少女と風船」をみていながら、ふと想ったことがある。気がつかないうちにうっかり、風船が手から離れて永遠に戻ってこないことがある。
人間の幸せもたぶん、そんなもので、気がつかないうちにうっかり手放してしまうのかもしれません。 風船の糸はしっかり握っておく必要がある。
嘘と運は反比例するようだ。生きているかぎり、嘘は避けられない。嘘をつけば当面はうまくやれる。 できる限り嘘を少なくすると、現実は生きづらい。 しかし、運に強いかもしれない。「徳を積む」ともいう。ふとそんなことを思った。
いい歳して分かったことがある。侮っていた。努力は大切である。もちろん、目標を達成するために行うのだが、かりに目標に届かなかったとしても、人の努力は尊いものである。
目標に向かって努力する過程で、艱難辛苦を味わい、時に喜びもあるが、そこで何もしなかった時には見えなかった景色が見える。一生懸命やると、自分を見つめることもでき、自己能力を客観視できるようになる。目標に到達する上で何が不足か、自分に能力がないのか、環境が整っていないのか、どこを補い、あとどのくらい自己を削り励まないといけないのか、様々なことを考えるようになる。
努力すると人の気持ちが分かるようになる。たぶん、そうやって人間として成長するのだろう。
「暗黒日記」(清沢 洌)を読む。戦争とは、徐々に入っていくもだと分かる。大きな激変というより、日常の小さな変化の積み重ねが、大戦争へとつながる。ちょっとした変化も見逃さないほうがよい。
見方をかえると、武器そのものが戦争へ駆り立てるのかもしれない。丸腰でいれば、戦う気も失せるだろう。殺人の道具は増やさないほうがよい。兵器がなければ、素手で戦うことを考えるだろう。もっと知性を使うようにもなる。
一匹小魚釣れたが、それからさっぱり。テンカラでやってみる。どうもフライは投げるのが上達しない。テンカラは釣竿の糸の先端に毛針をつけるやり方だ。ところが、釣果はほとんどない。投げるポ-ズだけは、名人だ。そんな調子で生きてきたのかもしれない。
口八丁手八丁、手練手管で生きてきたわけではない。けして愚直ということでもない。平凡でもない。何かを目指したが、まったく達成できなかったわけでもない。そこそこ、うまくいったといえるかもしれない。川の流れに逆らって、泳いでも、泳いでも前に進まない日々が続いたこともある。
そこで学ぶ。逆流でも前に進むことができる。これが発見であり、開発である。全て努力の成果である。もちろん、発見は重要だが、最大の獲得物は、努力の価値の認識である。
翻訳していると、最初は正確に訳すように努める。それから日本文として適切な形態を求める。翻訳が上手いか、下手か、その人の書いた手紙や、手記など読むと分かる。その文以上は、上手くはならない。上限である。
文法、文才、翻訳対象分野の専門知識、これは必須である。程度問題でもある。このうち、文法だけが、直接語学と関係する。文才も専門知識も別分野である。文才に関してはライティングの練習をすれば、それなりに能力は向上する。専門知識も勉強すれば、身につく。中程度の翻訳者には誰もがなれる。それ以上は未知数である。
問題はこの未知数の部分である。ここに足を踏み入れたくなる。黒子に徹することができるだろうか、自分を少しも出してはいけないのだろうか、黒子とは何か、個性を完全に消したら原作者だけが残るだろうか、原作者にも無自覚の不完全の部分はないだろうか、様々な疑問が生まれる。
一方的に思い込んでも成立しない。原作者も時に「すきに訳してよい」という時もある。訳者の能力にもよるのだろう。ある程度、信頼感がある場合だろうが...。まったく見ず知らずの原作者と訳者のケ-スはどうだろうか?どちらかというと、こちらのほうがほとんどだろう。
正確性を求められるのは、時事、ビジネス、科学技術、学術などの分野で、文学、文芸などの分野では、それより感銘感動性が重要となる。もともと、最初から求めているものが異なる。さらに何が正確か、そして本質は何か?際限がない。
戦争は始まるのか?すぐには大戦争にはならない。相手に対する敬意がなくなり、「殺人者」、「戦争犯罪人」といっても、社会が咎めなくなる。どんな人間には人権も名誉もある。だから「殺人者」にも弁護人がつく。そんな調子で「1200万人の黒人奴隷」を無権利の家畜として連れてきたのだろうか?
「歴史の審判」は厳しい。欧米は「猿の惑星」になるのだろうか?国家の頽廃、人間の堕落、社会の崩壊、「つわものどもが夢の跡」、どうしてもネガティブシンキングとなる。今月の翻訳は終えた。あとはコラムを書き、数少なくなった年賀状を出し、よもやありえないと思うが、今年最後の秩父釣りに出かけたい。
しかし、早朝ともなると零下になる。渓流魚の活動適水温は、8℃~18℃といわれる。だったらそんな寒い朝より日中に釣りを行えばというが、その頃は釣り人も多く、これはこれで釣れなくなる。
「...平和 とは 何 か? 平和 とは、 おそらく、 人間 に 自ずから そなわっ て いる 闘争 心
が、 戦争 において は 破壊 によって表現 さ れる の に対して、 創造 によって 表現 さ れる よう な 状態 を いう の だろ う。...」(ポ-ル・ヴァレリ)
最近やたらと戦争とヘイトのことを考える。人は生まれたら、必ず死ぬ。どのように人生をおくるか、それぞれ様々だが、金の亡者もいれば、悪口ばかりいっている人もいれば、あやしい宗教に没頭しておのれを失っている人もいる。
いくらお金持ちになっても、地位が高くなっても、尊敬されない人がいる。人格の低い人間である。「やたらと怒鳴って、人を見下す」人がいる。貧しい幼少期に差別されたことで、若干精神が病んでいるのかもしれない。もちろん、「真の友人」など、一人もいない。孤独の寂しい人間である。誰でも迎合すれば、友人は多いにように思えるが、本当の友人は一人もいないだろう。信念をもち通すと、友人は極端に少なくなる。一人でもいれば、たいしたものである。
それでも生活はある。いろんな形で人は生きている。一段と、人間として一格上となると、なかなか難しい。お金があっても、地位が高くても、肩書きが立派でも、怒鳴っても、一格上になれない。
渓谷は深い。長い急勾配の坂を登りきらないと、谷からは出られない。背中のリュックもかなり重い。息苦しくなり、途中で止まり、休息する。一気には上れなくなった。落葉した木々の間から渇水した冬の川が静かに流れていた。
「イギリスにおける労働者階級の状態」(エンゲルス、岩波文庫)を注文した。資本家と労働者という言葉は、現代社会を象徴している。社会における経済構造の位置によって、名称が変わってくる。経営者と労働者は「水と油」だが、見方をかえると、紙一重でもある。
よく勉強して騙されないことである。それと歪んだ考え、思想、宗教にはほどほどの関係にしておくことだ。物事は単純化すればするほど、犠牲者も多くなる。この世は単純でもあるが、複雑でもある。
心の問題は大きいかもしれない。物理的宇宙と精神的宇宙がある。茶室、小部屋の小宇宙は誰にも必要だ。空想、想像の世界で、精神の緊張をほぐし、癒やされる。小宇宙を創りだし、そこで様々な心の葛藤を俯瞰すると、本質が見えてくるかもしれない。
本質を把握することが求められている。表面的でない、形式的でない、物事の真実である。本質を回避して構築した政治や社会は、蜃気楼にすぎない。いずれ、消滅する。そうであっても、「先代の貯え」があるので、もう少しはやっていける。
ヘミングウェイだったか、若干失念したが、「ぼんやり見ると、はっきり見えるのだが、目を凝らすと、何も見えない」という表現が、作品の中にあったような気がする。「存在しているが見えないものがある」これが本質かもしれない。
「見えないものを見る」妄想と紙一重である。妄想は実際存在しないが、本質は存在するが見えない。本質とは何か、そうした問題が提起される。たぶん、もやもやしたものだろう。角度によっていろいろな形状に変化するが、漠然とみると、きちんとした形として存在する。
自己実現はしないといけない。小さな自己実現でもよい。そうすれば、少なくとも自我が成立して、自分の価値観が出来上がり、信念が生まれ、周囲に流されず、付和雷同しづらくなる。迎合した人生は、さほど価値はない。
生きるとは辛いことの連続かもしれない。それでも生きる。明日は楽しいことがあって、幸福になれると信じて生きる。最近、悟ったことがある。ワンテンポ待つ。何事も、少しタイムラグをおいたほうが、うまくいくような気がする。すぐ飛びつかない。
デモクラシーを大切にしたい。風習や慣習、封建時代の負の遺産はそろそろ清算したい。これをひきずっている限り、この社会は前に進まず、発展もない。何故、武士社会の封建時代から民主主義社会に変化したか、深く考えてみてはどうだろうか。丸山眞男ではないが、放っておくと、過去が芽を吹き出す。
今年も、淡々と生きて自分の道を行く。
ロシア語上達法(50)(翻訳と精神の自由)
(2022年1月1日(土))
さて新年となった。柚を浴槽に浮かせてみた。腕を動かすと、波ができて、まるで人生みたいに浮き沈みする。相変わらず翻訳の仕事を忙しく続ける。段々、仲間も少なくなって、偏屈になりつつある。どの分野もプロとして生きるのは難しい。最大の難関は、コンスタントの収入である。それと根気強さと忍耐力が求められる。
今年になって、フィッシングは、やっとフル装備となった。延べ竿、ルアーロッド、テンカラロッド、フライロッドの構成となった。この内、テンカラロッドとフライロッドは新参者である。テンカラ釣法は、さほど難しくないが、釣れるか釣れないかは、分からない。フライロッドの場合、投入が難儀である。なにせ、錘をつけず、糸の先端に軽い毛針だけをつけて、糸の重さだけで、遠くに投げ込む。これがけっこう厄介で、技術が要求される。近くの河原で、ネット掲載の動画を参考にキャスティングの練習を何度かやってみた。とても見込みはなさそうだ。
使い古した薄茶の帆布リュックに釣り小道具を入れ背負い、黒いロッドケ-スを肩に掛けると、まだ星がきらきら輝く早朝、始発に急いだ。禁漁期に入ってから自粛解除となった。それでも釣れるところはある。冬季専用釣り場がある。一番列車のホ-ムは、やや混んでいる。夜勤明けで疲労した人々が肩を落として並んでいた。過疎に向かう。
前向きにはなれない。過去ばかりが過ぎり、未来は見えない。始発は好きだ。暗い空間から明るい空間に、はっきると移行できるからだ。太陽があると元気になれる。車内には二、三人しかいない。山登り姿の若者と、人生の苦悩が滲み出たような疲れた背広を着た初老の男だけだった。それにしても寒かった。扉を閉めて走っている時は、暖房がきいて暖かいが、乗り換えで停車時間が長いと、外気が入り込み、息が白くなる。
丸山真男の「日本の思想」を読んでみた。「ナップ」とか、「コップ」とか、懐古的な略称がよく出てくる。「マルクス主義文学理論」という、現在では想像もできないような知性が真剣に現実と対峙している。明治維新から終戦まで、この間に日本は西洋文化を取り入れながら、日本古来の文化との融合を試みるのだが、戦後をみると、はたして、「咀嚼」して「摂取」できたのだろうか。
その中に「である」ことと「する」こと、こうした目次がある。
『たとえば、 日本国憲法 の 第 十 二条 を 開い て み ましょ う。 そこ には「 この 憲法 が 国民 に 保障 する 自由 及び 権利 は、 国民 の 不断 の 努力 によって これ を 保持 し なけれ ば なら ない」と 記さ れ て あり ます。 この 規定 は 基本的人権 が「 人類 の 多年 にわたる 自由 獲得 の 努力 の 成果」 で ある という 憲法 第九 十 七条 の 宣言 と 対応 し ており....』と記述されている。
「である」とは身分制度のことである。「する」とは、「能力、機能」を意味する。江戸時代では、城主、家老、足軽など、身分制度が固く構築されていた。出生とか、家柄という属性が人生を決定した。こうした関係は第二次世界大戦の終結で終わったかのように思われたが、束の間の希望の虹は振り向くと、消えていた。
戦争が終わっても、この価値観は清算されなかった。徐々に復活する兆しさえある。「ドカタ」なんて、「華族」出身とよく自慢していたが、こんな人物が革新陣営にいたから、衰えるばかりである。ジェンダ-フリ-、LGBTなど、理解されない根底にあるものは、社会の価値観である。社会思想などは、身分制度との抵抗、闘いを前提とする。
君主がいて、奴隷がいる。現代では極端な例だが、中世以前では、普通かもしれない。身分制度最大の問題は、前近代的な搾取手段である。身分が低いほど、賃金を安く設定する。何が出来る、何を行うという能力ではない。出身や属性によって、賃金を決めるやり方である。さすがに今日、一般企業ではこんなことは横行していないが、それでも国家公務員あたりでは、あやしいものである。
身分制度は、日本では特に払拭しがたく、いたるところに残滓どころが、場合によっては、そのまま存在している。一朝一夕にはなくすことはできない。まだまだ長い時間がかかる。日本人のメンタリティと直接結びついているからだ。
近くの神社に閣僚が参拝しても大騒ぎにならない。マスコミも特に関心ない。ところが靖国神社に大臣が訪れると、大きなスキャンダルになる。帝国軍人の英霊に尊崇の念を表してどこが悪いのか?国のために戦った人たちを祀るのは当然ではないか?問題は、靖国神社の国家神道(明治維新より第二次世界大戦終結まで)にある。「神道・神社」を他宗派・思想の上位におく。国教であり、政教一致である。あらゆる宗教・思想を超越した存在である。一種のカルトともいえる。
戦争が近づいてくると、「民主主義」が否定され「暴力」が容認されるようになる。「民主主義」とは、既成の固定した存在と思っていたが、常に保持する努力をしないと、歪曲して、「似非民主主義」となって、基本的人権が蔑ろにされるようになる。そうしてみると、「民主主義」はあやふや存在であり、人々の意識がより人権を守れる方向に上昇するか、「専制主義」みたいになって、主権在民は失われ、「主権君主」の国になり、一部の人間だけが満足する社会に方向に堕落するか、どちらかである。
もちろん、言論の自由、思想信条の自由、信教の自由は大きく制限される。時に完全に剥奪されることもある。これを保障するのが「暴力」である。国民を弾圧する最も安易な方法は、「戦争」を勃発させることである。「戦時体制」を口実にあらゆる思想信条、宗教に足枷をはめる。
底辺、無知な人々はますます貧困になり、「富裕者」ますます富む。差別、人権侵害には異常なほど「神経質」になったほうがよい。それは、底辺の人々の「日常生活」だからだ。「この 憲法 が 国民 に 保障 する 自由 及び 権利 は、 国民 の 不断 の 努力 によって これ を 保持 し なけれ ば なら ない...」と記述されている。「自由」とか「権利」は、国民の不断の努力によって、実現される。寝そべって、「棚からぼた餅」みたいに、口を開けて待っていても、永遠に落ちてこない。
家庭でも職場でも、あらゆる場所で、人権侵害とか、自由の束縛、ジェンダー差別には、その場でその時に、執拗に権利主張しないといけない。看過していると、右へ右へと旋回していき、民主主義が力を失い、「立憲君主制」と「国家神道」が合体して、信教の自由、思想信条、言論の自由がなくなる。
憲法はもちろん、改正できる。完全なものはこの世に存在しない。しかし、マスコミは「改正の賛成か、反対か」と、愚弄した世論調査を行っている。賛成も、反対もない。改正してもよいのだ。もし、真面目に世論調査を行う気持ちがあるならば、こうするべきだ。「第9条の戦争放棄条項を削除又は変更してもよいか」と問うべきだ。これによって、日本は戦争をいつでも行うことができるようになる。『第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』(参考)
現在の憲法は絶妙にうまく出来上がっている。第一条など、最たるものだが、「立憲民主制」ともいえる。制度としての「天皇制」は最早、存在しない。あくまでも、「象徴天皇」である。だから「廃止」の議論は、成立しない。これも、狭義にも広義にも解釈できるから、うまい表現かもしれない。日本人の政治意識が熟するまで、いじらず、しばらく待ったほうが無難と思う。
「春宵十話」(岡潔、数学者、教育者)を読んでみた。情緒、情操が大切だという。知性、理性だけではいけない。豊かな感情がいろいろな判断で役立つそうだ。冷静な判断だけだと、思いやり、人の気持ちに寄り添えない。「人 の 本質的 な 部分 が 幼 ない ころ に 形づくら れる」と述べている。
「社会 に 正義 的 衝動 が なくなれ ば、 その 社会 は いくらでも 腐敗 する。 これ が いちばん 恐ろしい こと である」とも指摘している。現代社会の闇はこのへんにあるのかもしれない。「正義感」をみせると、嘲笑する人が多くいる社会は、すでに地獄の断崖絶壁に立っている。
「人 の 本質的 な 部分 が 幼 ない ころ に 形づくら れる」といわれても、その頃は両親とも若く、未熟でもある。これはある程度、大家族が前提でないと、言えないかもしれない。現代社会みたいに共稼ぎで、非正規社員ばかりの社会では、それどころではないかもしれない。
『.... 其日 も 無論 傘 と 風呂敷 とだけは 手 に し て い た から、 さして 驚き も せ ず、 静 に ひろげる 傘 の 下 から 空 と 町 の さま とを 見 ながら 歩き かける と、 いきなり 後方 から、「 檀那、 そこ まで 入れ て っ てよ。」 と いい さ ま、 傘 の 下 に 真白 な 首 を 突 込ん だ 女 が ある。....』(濹東綺譚/永井 荷風)
永井荷風の文は、柔らかくて好きである。昔ながらの日本文化を引き継いでいるように思われる。大きく分けると、そのまま欧文に訳せる文体と、かなり意訳しないと、欧文に転換できない日本文がある。もちろん、永井荷風は後者である。
人生にはいろんなことが起こる。先の紹介文も、その一例である。見知らぬ男女の出会いだが、仕事でも、それ以外の時でも、思いもよらぬ出来事がある。運命を開花させる出会いもあれば、零落へ向かう出会いもある。一つのことに拘らず、前向きにやっていると、必ず良いことがあるから、結果が出なくても、「諦めない」ことが肝心かもしれない。
川面に白い靄がゆっくりと漂っている。ウェーディングシューズに二個、腰に一個、使い捨てカイロを貼り付けた。これでかなり寒さを凌げる。最初はフライから入った。手前にぽとりと、遠くへ飛ぼうとしない。めげずにキャスティングを繰り返していくと、どうにか飛ぶようになった。結局、一度跳ねただけだった。
まったく釣れないと、「自暴自棄」になることもある。そうなると、さらに落ち目となり、糸が絡んだり、針が根掛かりしたり、しまいには強引に竿を引き上げて、竿を折ったり、ろくなことがない。うまくいかない時、早めに撤収するに限る。運命にも上げ調子の時と下げ調子の時があるように思える。調子が悪い時は、勝負に出たり、仕掛けたりしないほうがよい。必ずチャンスが来るから、その時まで耐える精神力が求められる。
悪口ばかりついていると、たぶん、運から見放される。悪口を言わなくなると、物事が上手い具合に回るようになるから不思議だ。貶すことをやめると、「ツキが回る」ようになる。人間、ほとんどが凡俗で、少し地位が上がれば威張り、少しお金が貯まれが、上から目線となる。人格は下がる一方となる。
誰からも尊敬されない人間は、淋しい。「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」(こころ/夏目漱石)
専制主義、独裁主義とは闘わないといけない。民主主義の敵である。それは人類世界の問題である。どのような国であろうと、どのような人間であろうとも、もし専制主義者、独裁者であれば闘わないといけない。いくら誰からも評価されないとはいえ、うっかり表彰されてはいけない。日常的な問題である。あまりにも育ちすぎ、太刀打ちできないほどになる前に、早めに芽を摘む必要がある。
日差しも上がり、少し汗ばんできた。まったく風はなかった。胸の高さまである、枯れかかり、触ると白い胞子が飛び散る雑草を背に、尻二つぐらいの大きさの丸石に座り、川のせせらぎを聞きながら、食事を始めた。終わったら帰るつもりでいた。その時、流心近くで、魚がジャンプした。大きかった。釣り具は全てしまい込み、ゴミを片付けるだけだった。
人生とはこんなものである。やめようと思うと、何故か、チャンスが巡ってくる。しかし、結果は同じだった。せっかく片付けた釣り道具をもう一度、仕舞うはめとなった。潮時がある。未練とは破滅の道かもしれない。だから止められない。人生というわずかの時間の中で、果てしない欲望をみたそうとする。
人はいくらでも堕落できる。低次元の人間になれる。人格などはまったく無縁の動物的な人もいる。嘘ばかりついている。恥を知らない。そんな人間のほうが、裕福かもしれない。誰からも尊敬されずとも、「へっちゃら」な人間である。「虚飾」の人生である。
国のトップに虚言癖があると、末端の庶民も平気で嘘をつくようになる。全て腐っていき、悪臭漂う社会になる。手遅れなのかもしれない。悪あがきはしないほうがよい。静かに静かに沈没する泥船に乗って、「今だけ」を生きる。「宗教」でも信じて、「盲目」にならないと、やっていけない。知性の高い人にとって、受難の日々だろうが、「低次元」の人にとって、「享楽の日々」なのだろう。
生産性のない社会が出来上がり、「虚像」だけが横行し、実体のない経済が空回りする。どうやろうとも、GDPは増えない。国全体で改心しないかぎり、無理だろう。「座して破滅を待つ」。「病状」は最悪だ。快復できないのだろうか。アジアの後進国となっても、気位だけは高く、「武力行使」をしなければよいが..。
えばり散らす老人、鬱病老人、認知症老人、国は70歳過ぎまで働けという。老いの「恐ろしさ」を知らないからそんなことを考えるのだろう。70歳過ぎても、労働するということは、社会の知的貧しさを意味する。中には危険な分野もある。エラーが多くなり、うっかりスイッチを押してしまうこともある。大惨事となる。「心療内科」となる。
駅舎は住宅にもなっていた。職員はそこに住み、鉄道の仕事をする。「硬券切符」を使っている。厚紙で出来た切符のことだ。中年の駅員と世間話をしていると、電車が入ってきた。
古い二両編成の電車は向かっていた。窓に映る渓谷の景色は、風を切る音に合わせて、過去帳の一頁のように次々とめくられ変化していった。その時間の流れのなか、あらゆることが思い出され、過去と現実を往復する夢にいつしか酩酊すると、最後の頁が鮮明に浮かび上がった。
生と死の境界線は、旺盛にまだ生きている者には、遠い未来の存在かもしれないが、それに接近しつつある者には、見えない境界線の向こうの景色を限りなく想像させる。そしてあらためて生きている時の刻む音に陶酔させる。しかしこの境界線はいつでも、予告なしに目の前に現れるような気がした。
年がかわれば、少しは良いことがあると期待したい。時々、心の清算が必要だ。過去を捨て、明日を信じる能力は大切だ。「謙虚に生きる」ことを学ぶ。人物の価値はそのへんにあるのかもしれない。
無人駅をいくつも通過すると、小さな住宅が増えていった。やっと人の姿が車窓から見えると、どうしても縁の切れない日常に戻ったような気がした。もう、いいかげん、いいのかもしれない。長い間、目に見えぬものを追いかけてきた。それでも、まだしばらくは、終止符は打てない。
ロシア語上達法(45)(翻訳と精神の自由)(2021年5月10日)
時は無表情に過ぎ去ってゆく。まるで生き物のいない世界のように全てが静止している。孤独の朝、解禁となった。この1年間、あらゆることが狂ってしまった。新規事業も流れてしまった。全ては紙一重、一瞬の明暗となる。ほんの少し、遅れただけで、一生を棒にふる。
新兵器を用意した。ニュ-ルア-ロッドである。前のロッドは短すぎた。延べ竿は7mと8.5mの二本、ルア-ロッドは6フィ-ト、さらにライフジャケットも準備してある。ウェーディングシューズの底にはスチ-ルピンを5本づつ打った。これで万全だろうか。
竿先は震えることはなかった。不変状態がいつまでも続き、自然の景色に融合して、静止画となって、この世界、時間一切が瞬間止まった。年齢も住所も不詳、主体と客体が倒錯した。渇水でも生きられるのだろうか、近未来さえ確信もてなくなって、眼前の弱々しい川面から、突如激しい水しぶきをあげると、サクラマスが空中を舞った。幻想の世界に耽溺する。
人はなかなか素直になれない。特に幼年期の体験、凄まじいと、深い傷跡は消えない。「サイコパス」、かなり厄介だ。「人間の感情が凍結している」そんなにも無慈悲になれるのだろうか、生物として存在そのものに疑義が生じる。
人間専科、愛情専科、恋愛専科、これが文学だ。その視点から人間、社会、世界を眺める。金持ちである、貧乏人である、異なった描写となる。ビジネス書ばかり読む、経済、損得だけでこの世界を見つめる。文学の価値はどこにあるのか、どんな立派な人でも、本質面から解明しようとする。生死の問題、語り尽くせない永遠テ-マだ。
この10年間、落ち目の日本人、「虚偽の国家」をせっせと作り上げる。「魚は頭から腐る」。昔、「人間の条件」という小説に人気があった。「人間にも条件」はあるのか、「人間」という言葉には、高尚な響きがある。傷口を疼かせる。どんな「条件」が必要なのだろうか?生まれただけでは、だめなのだろうか?
真夜中、窓のわずかな隙間からヒュ-、ヒュ-と、「海燕の歌」(Песня о Буревестнике)を聞こえてくる。ゴ-リキの詩、すっかり忘れていたときめき、そんな時代が実を結ぶのだろうか。
年齢と共に自分の能力を検証する機会がほとんどなくなる。翻訳の場合では、「正しい翻訳」をしているか、誰も指摘しなくなる。その意味ではHPで日々行っているの時事の翻訳は、簡単だが客観性を呼び戻してくれる。直接生活と関係ない分野の翻訳をしていると、客観性の証明が難しい。
「翻訳者の資質」とは、おそらく言葉が限りなく好きな人のことなのだろう。これは、翻訳者にかぎらず、「文を操る」職業の人に共通して求められる資質かもしれない。それが結局、最後に決定的要因となる。どの世界でも、「好きである」ことは、本質的な資質なのだろう。そのほかのことは、「行きがかり」上のことかもしれない。好きでもない職業のほうが大成しやすいが、それは過度に陶酔しないで、客観的に見ることができるからだ。「好き」だと没頭して、「やらなくてもよい」ものまでやってしまうことがある。
翻訳とは、当然、二つの言語が登場する。一つの言語を他の言語に変換する。片方の言語がいくら達者でも、意味がない。両言語とも通じていないといけない。例えば、Aという言語の翻訳文を、Bという言語を母国語とする人に読ませて、違和感があっても、翻訳文が不適切とはいえない。何故ならB言語を母国語とする人は、A言語を知らないからだ。同じ言語を母国語とする人同士であれば、こうした問題は起きない。表現が巧みか、適切か、誤りはないか、それだけを同じ土台で判断すればよいからだ。ところが、互いに相手の言語を知らない場合、単純にはいかなくなる。そこで、翻訳者が活躍することになる。異国語を母国語に、母国語を異国語にするのが翻訳である。
最近は書簡の交換もほとんどなくなったが、年賀状などみていると、悲しいことに軽度の「認知症」の影をみることもある。後戻りできない人の性かもしれないが、それにしても、身につまされる。「楽天的」にみたいと思っている。
戦後の民主主義教育とは何だったのか、コロナ禍の中、露わになったような気がする。「天皇制」の戦前、人権蹂躙、男尊女卑、特権階級のみがこの世の富を満喫するという差別社会、敗戦によって、戦前の価値観が一掃され、新たな時代が始まった。
疫病、肺病、ハンセン氏病など、戦前では山奥か離島に隔離され、ナチのアウシュビッツ収容所みたいに二度とこの世に戻ることはできなかった。当時、「優生政策」が行われ、根底に貫かれているのは「差別主義」である。
「コロナ」に罹ると、「犯人」にされてしまう。もう一度、学校教育からやり直したほうがよい。何を学んだのだろうか?民主主義教育をしたはずだが...。いかなる差別も認めないのが、民主主義ではないのか?まさか、多数決制度などと、狭く解釈していないだろうか?
先の戦争で日本人は、約300万人が死亡した。80年前ぐらいの出来事である。責任の取り方も甘かったが、しかし、もっと重要なことは、「真理の認識」ではないか。「差別」とは何か?地獄に堕ちても懲りない面々、うっかり同情すると、まさに入れ替わって「地獄」が待っている。
『....やはり日本で死にたかった、それも、生まれ郷里、小高い山がいくつもあり、その向こうに大きく連なる山々があり、芝生の堤防を越えると豊かな川が流れ、釣り糸をたれると魚がつれ、近くの寺の境内で暗くなるまで遊び、その裏には神社がありそこでは縁日が月に一度開かれ、能舞台で近くの百姓が踊る能を見ながら、ふりまく餅を争うように奪い合い、若いテキ屋が、らくだの腹巻をまき、その前で子供たちは麦わら帽子をかぶり金魚すくいをする、川原では夏花火が打ちあげられ、冬は雪橇で、山肌をどこまでも滑る、そのありきたりでうんざりするぐらい変化のない連続の日々、ただ嫌悪感だけを育んだ、そしてかつて振り返ることもなく捨てた遠い故郷、父と母を裏切った故郷で死にたいと思いました。
今は遠い地球の極北、純真さも誠実さもとっくにほとんど喪失してはいるものの、その微かな残滓さえオホ―ツクの荒海の中でとどめをさされ、粉々に砕け散ったとしても、あるいは異国の地で第二の人生を見つけ、そこで人生の終止符が打たれたとしても、それでもよいと思っていました。けれども突然日本人の、故郷田舎の血が蘇り、そしてできるものなら早く遠い故郷田舎に帰り、そこを死に場所にしたかった。
しかし、突然中原中也の詩がよぎり、わたしを許そうとはしませんでした。
「柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
縁の下では蜘蛛の巣が
心細さうに揺れてゐる
山では枯木も息を吐く
あゝ今日は好い天気だ
路傍の草影が
あどけない愁みをする
これが私の故里だ
さやかに風も吹いてゐる。
心置きなく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする
あゝ おまへはなにをしに来たのだと・・・・・
吹き来る風が私に云ふ」(中原中也)
船は真夜中、午前二時にゆっくりと港に向けひっそり動き出し、最初に出会ったのはブリッジから緑のランプを点滅させ航行する、巨大な原子力潜水艦(何故か潜水艦がうようよしていました)で、もの凄い速さで傍を通過すると、津波のような大波が襲い、船は重い船体を危険な角度まで大きく傾け、次に出会ったのが大型クレ―ン船で二本の強力な鉄のア―ムを暗闇の空に向けて、波で歪む角四点に赤色のランプをつけ、それで船体が四角形であることが分かり、大きな浮き袋のようにぷかぷかゆっくりと小さな二隻のタグボ―トに曳かれながら沖の海めがけて小さな黒い点となっていきました。
船は港入口付近で原生林が深々と茂る、すり鉢状の小さな入江にひっそりと身を隠し、時を待ちました。時折通過する小型汽船が発する低いエンジン音、林の中で鳥が突然羽ばたきする空気を切る音、波が防波堤に弱々しくぶつかる音、それだけしか聞こえませんでした。
「部屋から一歩もでないでほしい、頼むから何も見ないでくれ」
船長は、これから悪事をやる少年のようなあどけない、そして大人のしたたかな顔をして、まずい現場を見られ、それに関わらせ、後で秘密がばれるのを警戒しているようでした。
だがそれは好奇心をいっそう目覚めさせただけで、甲板にのぼり、時々潮風に吹かれ、かすかな火の粉を吐き出す煙突の大きな壁によりかかりながら、遠くに小さく見える町の赤い灯火をやっと陸地に、ついに日本に帰れるとその覚悟も忘れ、ひさしぶりに緊張感のない気分で眺めながら、これから始まる詰めの大仕事をまるで芝居の幕が開くかのように胸をときめかせ、ロシア製の点火の悪いマッチで何度も擦りタバコに火をつけると、その煙が月明かりで黒い筋となって海に向かってゆったりといくつも飛んでいっては闇の中に吸収されました。
その時、夜のしじまの中にぴかっ、ぴかっと薄青色のライトから一条、レザ―光線のようなとても細い光線が真っ直ぐに船めがけて発射され、それにすかさず応えて、ブリッジのデッキから開閉板のついたライトを二度三度と点滅させました。
すると突然、大きな軍艦の黒い影が前方を塞ぐように出現しました。あっという間の出来事でした。....』
時々、若かりし頃、書いた「散文小説」を小出しにしているが、特に意味があるわけではない。それでも、躍動感がある。当時は前ばかり見ていた。失うものはなかった。
これからどれほど、歩めるだろうか、マイナス思考となる。流れる川のように、流れる雲のように自然に生きる。時々、人格の低い輩が土足で人間の尊厳を傷つけることもある。感情に抑制のきかない軽い『認知症』なのだろうか。
晩年になって、翻訳の難しさを実感させられる。思うような描写ができない。表現力が乏しい。もっと違う言葉はないものだろうか、微妙なところを描きたい。うまい単語が見つからない。つくづく読書量を悔やむ。見事の表現は、様々な文学書、文芸書にある。それを使うほかないのだが、今更、手遅れとなる。だから訳文がしだいに陳腐となる。もっと、もっと深く掘り下げる。
『...「成程な、死人の髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往いんだわ。疫病にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」 老婆は、大体こんな意味の事を云った。....』(羅生門、芥川龍之介)
人は一線を踏み外すと、止めどもなくなる。人によって、一線の水準が違う。人格が喪失する一線もある。最早、この世では死語かもしれない。どうやって、せめて最低限の「人間」を維持できるだろうか。
社会も熟しすぎると腐って退行する。「河童」(芥川龍之介)ではないが、「生まれるか、どうか」訊ねてくれると、都合がよいのだが、「死の選択」は出来ても、「生の選択」はできない。まことに残念ながら、自分の意思とは無関係に「この世」に生まれる。だったら未来を信じるほかないのだが..。
「未来を信じる」ことは、「現在を信じられない」ことだ。今が少なくとも、不幸ではないとしても、満足できない。悲しい、寂しい日々、今日の存在は、明日、存在しない。どこに流れ着くか、知る人ぞいない。永遠に漂流する。幻想にとり憑かれ、倒錯して真顔で生きる。こんなになるとは思わなかった。
「...さらば 亡霊 たち よ! 世界 は もはや 汝 ら を 必要 と し ない。 私 をも 必要 と し ない。 精密 を 求める 自ら の 宿命的 な 運動 に 進歩 という 名 を つけ た 世界 は、 死 の 利点 を 生 の 効用 に 結び付けよ う と して いる。 ある 種 の 混乱 が まだ 支配 し て いる。 しかし、 いま 少し 時間 が 経て ば、 すべて が 明らか に なる だろ う。 我々 は、 一つ の 動物 社会、 完璧 に し て 決定的 な 蟻塚 の よう な 社会 が 奇跡的 に 到来 する のを 目の当たり に する だろう。」(精神の危機、ポール・ヴァレリー)
今日は一匹も釣ることができなかった。老いると、疲れも早い。見限り帰ろうと最後の一投を振りかざした。すると、糸が川の中央に向かって引っ張られていった。強く竿を立てると、糸が切られるので引きつけられる方向に体をあずけた。すでに膝の深さを超え、腰まで浸かり、流れは急になって、生死の瀬戸際にきてしまった。引き返すべきか、「Быть или не быть – вот в чем вопрос」(to be or not to be that is the question)。
頭上に上った熱い太陽の下、急勾配の坂を黙々と息を切らせ、途中何度も立ち止まり休みながら、駅へ向かった。
ロシア語上達法(44)(翻訳と精神の自由)(2020年12月30日)(独裁者の誘惑)
一年は終わり、始まる。歴史の転換は予期せぬところからやってくる。目に見えない敵だ。いたるところにいる。とにかく相手が見えない、推測でしか太刀打ちできない。願望で判断すると、「地獄に落ちる」。
妬み・恨み・嫉妬・復讐心のことを「ルサンチマン」というらしいが、誰しも程度の差こそあれ、持っている。さらに、「ニヒリズム」がある。ニヒルとは「無、ゼロ」という意味らしい。無一文、天涯孤独、人の愛情をまったく受けたことのない人は、この世、この世界は全て敵だろう。ある日当然、能動的になって「破壊」に向かうかもしれない。
格差社会が広がると、社会は乱れる。「地獄の底を嘗めている人々」は、貧乏の中に平等を見いだそうとする。コロナウイルスは、平等である。富者も貧者も等しく、容赦なく感染させる。初めて貧者が優越感をおぼえる。病気とは、恐ろしいものだ。いくらお金があっても、死から逃れることはできない。絶対平等というと、「死」だけかもしれない。
全てが出口のない低迷である。完全に暗礁に乗り上げ、袋小路に入ってしまった。敗北するのであれば、優れた理性によって思考することに、何か意味があるのだろうか。愚か者が社会を支配すると、その水準で社会は動き、破滅させられるのか。
窮状から脱出するには、画期的発明、発見が必要なのか。独自のものが、最も価値があるのか。自分の道を見つけることなのか。模倣でない、オリジナルの方法は、身近にあるのか。
あと、二ヶ月、解禁日である。冬場のフィッシングは、寒くて耐えられない。それでも、若い頃は、防寒具とカイロを身につけ、ある時は海の堤防に立ち、ある時は、河原に佇みながら、魚を狙ったこともあった。老いは可能性を狭める。自然の中に融合していく。ささやかな闘争心が覚醒される。
「...平和とは何か?平和とはおそらく、人間に自ずからそなわっている闘争心が戦争においては破壊によって表現されるのに対し、創造によって表現されるような状態をいうのだろう。それは創造的競争、生産を争う時である。...」(「精神の危機」ポ-ル・ヴァレリ-)
先行きがあやしくなってきた。目が覚めると、無能な人々によって、何故か社会が支配されている。座視するほかないのか。その張本人らしい人物が思い浮かぶが、責めても問題は解決できない。安逸に過ごしてきたツケがとうとう回ってきたのか。始まりがあれば終わりもある。そういうことなのだろうか。
最近は、辞書なしにかなり原文を読めるようになった。難しいのは、やはり、訳語である。適切な訳語といっても、ちょっと異なるだけで、がらりとニュアンスが変わることがある。本当に厄介だ。あまり凝った訳も、感心しないが、平易にやりすぎると、原作者にすまいないような気にもなる。「翻訳の執行者」としては、それでも時間がくると提出する。
できる限り「胆力」が衰えないようにつとめている。「闘争心」も創造に向かうようにしたい。様々なシ-ンが回想される。憑かれているように「追求」していた時もあった。無反応である。何か心の中に「わだかまり」があるのかもしれない。人間であるかぎり、内に何かは潜んでいる。うっかり「パンドラの箱」を開けても、しようがない。
若い頃は「絶望感」を覚える時もあるが、老いると「遠い空」を眺めるようになる。「虐げられた人々」なのか、「虐げた人々」なのか。空想のない世界は、面白くない。現実ばかりだと、愛想をつかされる。空想は発見への道かもしれない。
「人生は邂逅と別れ」というが、最近は別ればかりだ。いくら胡散臭さくても、いなくなると寂しい。運命を淡々と受け入れる。そんな心境に半ばなれる。それでも「闘う」ことは価値があると知っている。「逆らう」からこそ、救われることもある。この世が完全に完成できないのであれば、あらゆるところで、事ある毎に軋む音が聞こえるだろう。
謙虚に生きる。かなり難しい。真の宗教家でもない限り、そう簡単にはできない。まがいものが多く、学者も宗教家も、思想家も、コミュニストでさえ、不遜である。自分が標榜する考え方、価値観、思想とは真逆に傲慢な振る舞いをしてしまう。こんな人間は信用できないが、まさに人間らしいともいえる。まして、平等主義など公言しながら、差別主義でしか、自己確認できないとすると、軽薄さが浮かび上がる。
「人格」というものがある。これは、知識人とか文化人とか、肩書き、地位には関係ない。人間の本質的な部分である。道徳や倫理とも少し違う。「品性」みたいなものかもしれない。自己と他人に向かう姿勢なのかもしれない。「人格が低い」というと、どんなことを連想するだろうか。ルサンチマンの激しい人は、人格も低いかもしれない。
人間、そんなには寛容になれない。いつも「鷹揚」とはいかないかもしれない。「人格者」というと少し近づきがたいが、その一歩手前、二歩手前、いや、五六歩手前でも、上出来だろうか。ただし「真の」をつけないといけない。
確かに教えてもらうと、人生の役に立つ。還暦を過ぎてからつくづく思う。老いても学ぶと進歩する。知らないことが分かるようになる。だから世界がさらに広がる。最近、実感した唯一嬉しいことだ。そうしないと、古く錆び付いた価値観の呪縛から逃れられない。
人の社会も、生物の社会だ。かつて誕生したように、滅びる時もあるかもしれない。惰性で生きられる時代は終わった。待っていても来ない、起こらない。いつまで「尻込み」しているのだろうか。
今年、やるべきことはやった。「はやり病」が蔓延すると、うかうか歩けない。活路は足下にある。どこか出かけたいが、....。「ミネルバのフクロウは、迫り来る黄昏に飛び立つ」
ロシア民話に「大きなかぶ」の話がある。この主人公はねずみである。社会の最弱者が、この世のキ-マンとなる。おろそかにできるものは、ないのだろうか。今、無能だからといって、明日もそうとはかぎらない。時代の要請がある。焦ることもない。
ウイルスにとって、「人を殺す」ことが目的ではない。種の保存である。それが達成できるのであれば、どのような方法でもよい。長い眠りから覚め、今、大飛躍の時なのだろうか。地球上で大躍進した人類のように、滅亡の「ブラックホール」が待っているのだろう。
人の評価ほど、移ろいやすいものはない。あてにならない。そんなもので、社会は生活している。砂上の楼閣なのだろうか。「雨露しのげて、三食たべられれば十分」と思った初心を忘れて、「贅沢三昧」の日々をおくり、そのうち「三食」すら食べられず、乞食となって、徘徊する。
「...百冊ぐらい片付けることにした。それを十冊ぐらいにまとめて、両手で抱え込み、縁側に並べた。竹藪は生え放題で、しなかやに揺れながら庭にゆらゆら大きな影を落としていた。隅にある壊れかかった納屋には錆びた農機具などガラクタがあちこちに放置され、古い角材もあった。それを広い庭の真ん中に数本重ね、さらに竹藪から枯れ木を集めて火を点けた。めらめら燃え上がる炎の中に数冊まとめて放り込んだ。それから古い家具やら書棚やら、鉈で力まかせに解体して投げ込んだ。そしてポリタンクの石油をかけると、火柱はどんどん勢いづいて大きくなった。....」
これも昔書いた散文の一節だが、かなり落ち込んだ時期があった。出口がまったく見えない時のものだ。それから数十年は経っている。ある時を境に一変した。しょぼくれた貧相なじいさんが、精霊におもえてしかたがない。後光が見えた。もちろん、錯覚だ。しかし、それから仕事がうそみたいにうまくいくようになった。
たとえ行き詰まっても、たとえ絶望の淵にはまっても、ひょっとすると、きらきら輝く手が差しのべられるかもしれない。そんな空想するだけでも、心は和むだろう。ひたすら歩み続ける。前にしか進めない。後戻りはできない。それが人生なのか。
ロシア語上達法(43)(翻訳と精神の自由)(2020年9月27日)
少し釣り場を変え、秩父鉄道に乗る。今時珍しくICカ-ドが使えない。昔ながらの切符、もちろん、自動改札などない。駅員が切符を受け取る。朝早いと、駅舎に誰もいない。緊急事態宣言が出る寸前まで、釣りに出かけていた。それから、ほぼ3ヶ月間、竿は休業となる。黒装束で夜陰紛れて、釣りに行く異次元の人種もいる。趣味とはいえ、常軌を逸することもある。
8.5m竿を手に入れた。「蜻蛉」である。これは釣竿の名前だ。けっこう高い。早朝、年季の入った電車には、人もまばら、走るにつれ、昭和の景色が戻り、遠い昔があった。木造作りの小さな駅舎が待っていた。左に折れ、単線の踏切を渡ると、狭い葡萄畑が蛇行しながら細長く続いている。高鳴る気持ちを抑えながら、小道をゆっくり下っていった。樹木が覆い被さり、しだいに暗くなった。突き当たりは背丈以上の雑草で閉ざされ、かすかな足跡をたより、深い草を押し分けて突っ切ると、ぱっと明るくなった。広い河原があった。砂と泥、澄んだ川底は岩肌だった。
「あっ!」弓なりにしなった竿が突然、軽くなった。鉤だけが無くなっていた。40cm近くあると空想した。時だけが流れ、夏が終わり、風は秋の匂い。一人抜け、二人抜け、知己が片手でもあまるようになった。
「これでよいのか?」なかなか判断できない。「生きる」とは「闘い」なのか?「路傍の石」に感謝できるだろうか?「生まれ持った星」とは何か?「恩義」のある人は、すでにいない。人生はいろいろある。独り翻訳をしていると、あの人はどうしているか、別のあの人はどうしているか、ぼんやり去来する。
「蟷螂の斧」やる気だけは満々だ。「人生最期の贈物」とは?「惰性的な生活」は、こともなく過ぎてゆく。人には「未来」が必要だ。「苛々しない」「心の余裕」「大海の精神」「自然を愛する」「求めて彷徨う」「気楽にやる」「誰にも訪れること」「一途に生きる」「運に恵まれてやっと生きている」「勝利とは悲しいことである」「徒然なる夜明けに何想う」「泰然自若とはなかなかいかない」「言いたい奴には言わせておけ」「晩年の四面楚歌」「待てば海路の日和あり」「昇り龍には逆らうな」「若い時は前向き、老いては後ろ向き」
『「知性の危機」ではないか、世界は白痴化したではないか、文化に厭いたのではないか、-自由業が病んで、死期を間近に感じ、力が萎えて、仲間も減り、その威信も次第に弱まって、がんばっても報われず、存在感が希薄となり、先が見えてきた....』(「知性について」(ポ-ル・ヴァレリ-)
糸は切られなかった。鉤だけが食いちぎられた。三回、かかって、全て逃げられた。人生でも仕上げが最も難しい。 あと一歩で何度、日の目を見なかったことか。切り立つ崖、抉るように急流が襲いかかる。永遠不動のコペルニクスの太陽は東から南にすでにわずかに移動していた。
『「ここをどんどん行くと、日本海に出る」
「シベリアまでもいけるわ、早く着かないように速度を落とすわ、これでも思っているより慎重なのよ」
背中で嘆く古里が小さくなって、ますます離れて縮小していった。
「振り向いても、何にもないわ、行きましょう、行けるところまで...」
母の異母妹、叔母も死んだ。それは長兄のずっと後だが、後妻となって、赤貧の中で人生を終えた。叔母にはおののきつつも本当に優しくしてもらった。顔は絵画にすればにわかに目をそむけたくなるほど醜く、心は世界のどの湖より澄んで無限の透明だった。そして無名の天才だった。頭脳の優秀さで争えば、この地域で凌ぐものはいなかったかもしれない。幸か不幸か忘却を知らなかった。どんなぶ厚い本でも最初の頁から最後の頁まで暗誦することができた。しかし深海で新たに発見されたような分類不能な生物で、見たとたん心臓麻痺するようなフォームではその能力は世間に出ることはなかった。
過去は発掘しないほうがよいのかもしれない。永眠した者をおこすと、吸引されるかもしれない。しかしすでに半分ぐらいスコップを入れてしまった。コンと頭骨に当たった音がした。ぐさりとさらに割って侵入するか、いやもうやめたほうがよい。真実なんて文学者か、学者にまかせておいたほうが無難だ、血のつながりがあるという正当の理由だけで全て明るみに出すことにどんな価値があるだろうか、せいぜい返り血を浴びて、極悪犯人にされるのが関の山だ、迷いに迷った。このへんで埋め戻したほうがよい。それがこの世の人間の幸福というものだ、過去の人間の通路をつくると、取り返しのつかないことになるかもしれない。急に恐ろしくなった。潮時だと思った。』
ふと、昔書いた散文の一節を思い出した。新しいものは古くなり消えていく、そして新たなものが誕生する。流転である。この十年間はひたすら仕事だった。晩年近くになって、多忙なのも、因果のものだ。若い頃は仕事がなかった。ひたすら一筋の道なのだろうか。無能でも同じことを丹念に続けていけば、ほぼ誰でも、ものになるだろう。派手好き、虚栄心、飽きっぽさ、これは致命的な性格かもしれない。しかし、人生の面白さ、胸のときめき、わくわく感、波瀾万丈、他人から見れば軽蔑されつつも、羨望されるかもしれない。所詮、人生には「正解」はない。
長い間、翻訳の仕事をしてきたが、細かい点については、以前にも、いくども述べているので、省くが、惰性でも長く続けていると、気づくことがある。もっと違う訳し方があるのではないか、時々、疑問を突きつけてくる。これが正しいと思っている訳語も、何か見逃しているのではないか?何故なら、いくら正しい訳語を入れても、どうも意味がしっくりとこない時がある。いくら調べても、それ以外の訳語がない。適当に訳してしまうのだが、ひょっとすると、根本的に問題があるのかもしれない。
たぶん、これは発見、進歩の入口なのだろう。ここから全てが始まるのかもしれない。そして、何かが見つかる。仕事の財産となる。それもこれも、継続の賜である。先の見えない継続は、確かに徒労感はある。
人生、苦労は大切なことだが、あまりにも底辺に落ちすぎると、二度と正常に戻れないところまで人格が破壊されてしまうことがある。落ちるにしても、地獄の一歩手前ぐらいにしておいたほうがよい。精神がズタズタにされるからだ。負の過去が重すぎる。
アタリが止まった。一面、太陽の強い日差しが覆い、逃げ場はなかった。岩場の少し抉られ、凹状の砂地に腰を下ろした。握り飯を寡黙に食べた。ここには解禁と同時にやってきた。川岸には白い残雪が所々にあった。一投目で竿を折られた。サクラマスの大きな尾鰭が川面を蹴った。
自然の中で佇むと、いつしか融合して、病んだ精神が治癒される。「無銘」とは侘しいが、それ故に探究心をそそる。「秘事」はそっとしておくほうがよい。" Быть или не быть - вот в чем вопрос". ハムレットの一場面だが、若い頃、そんなこともあった。
かなりエネルギ-が補給された。延べ竿2本、リ-ルロッド1本を長いケ-スに納めると、肩に斜めがけした。リュックを背負い、帰路となった。河原から細い崖道を登ると、急勾配が続いた。一息入れた。太陽は頭上に来て、木漏れ日も容赦はなかった。生温かい水分を補給すると、荷物を担ぎ、立ち上がった。
「カ-ン、カ-ン..」踏切の警笛がかすかに聞こえた。最早、間に合わない。息を切らせながら着くと、駅舎の作り付けベンチに崩れるように座った。リュックから翻訳原稿を取り出し、チェックをする。最低三回はしている。誤字脱字は言うに及ばず、陳腐な表現には辟易した。帰るのが厭になった。昔見た電車がゆっくり入ってきた。ドアが開き、足を踏み入れた。
(始めに言葉ありき」(ヨハネによる福音書) (2019年12月31日更新)
昨年は充実した一年だった。 今年もそう願いたいが「прогноз не сбудется」だがらやめておく。
いろいろ解釈があるようだが、あらゆる交渉、交流の前提は言葉の存在である。今年も来年も、その次ぎも、結局、翻訳という言葉の世界で幕を閉じそうだ。
年が変わっても、淡々と仕事をする毎日である。特に気負うことはなく、流れに流される。プロの翻訳者とは、次元の異なる世界である。育成する場合、指導翻訳者とネイティブが一人のプロ翻訳者見習いにつく。これを十年間ぐらいやって、一人前となり、独立したければ独立し、そのまま組織に残りたければ、残ることになる。だから、学校卒業して独学でやっても、歯が立たない。このへんはアスリートの特訓とよく似ている。要するにプロ翻訳者候補にならないと、話にならない。技術翻訳の場合、年間、一人、二千枚から三千枚を翻訳する。生活費である。これを基準に考えると、文芸文学にしても、現在の立ち位置が分かるかもしれない。
いずれにしても忙しい一年だった。翻訳者の心得というと、やはり「黒子」に徹するということになる。それでも、際どい点がある。作者を前面に出すのだが、「真の作者」とはどのようなものか、作者が書いたものを異国語を介して、表現する。何が表現したいのか、翻訳表現を読み手がどのように受け取るだろうか、「作者の真意」とは何か、言外の意味はあるのだろうか、「真の作者」を探索する放浪が永遠と続く。
たぶん、表現形式の問題ではないのだろう。時に原語と全く異なる言葉が、「真意」を表現している場合もある。そこで「真意」とは何か、きわめて曖昧で抽象的な言葉である。模索しても捉え所のない「真意」を無限の荒野を彷徨うように永遠に追いかけることになる。
プロの翻訳者という場合、専業をさす。兼業ではない。そうなると、クリエイティブな職業では途端に数が少なくする。翻訳だけではない。専門職、職人が姿を消しつつある。
人間関係を絶ってきたが、それはそれで面倒なことも起こる。人は他人の不幸を喜び楽しむ癖がある。もし、そうした状況が生まれない場合、やたらと「不幸な虚像、怪しい虚像」を空想して満足することもある。「底辺の人々」である。山本周五郎の「季節のない街」を読むと、心理がよく描写されている。生活の追い詰められると、「愚かな」考えや行動をとる。「身の程知らず」にもなる。やたらと権威や権力に憧れ、冷たく捨てられる。「虐げられた人々」は、あまりにも弱々しく、将来の展望をもてない。日銭暮らしである。
年の瀬、人通りは少なかった。北風が吹き、透き通った青い空があった。この時期になると、一年間を総括してみたくなる。それを何十年も続けてきたが、省みるより時の流れは、はるかに早かった。全ては未完なのかもしれない。「アカデミ-ロシア語大辞典」は25巻まで来ているが、その後はどうなっているのだろうか?全てが揃う前に存在しないこともある。
どんな優れた人間にも欠点はあるが、どんな優秀の作品にも欠陥はある。人が織りなすこの世なら、ほとんどが無能で欲深で、分別のない出世欲や、ジェラシ-の塊、成功者を貶して零落した自堕落の我が身を愛撫しても、せいぜい落涙である。
人間と動物の境目ぐらいで生きている人間がなんと多いことか。貧困と無知は、今始まったことではないが、ますます沈下しているように思えてならない。貧困だから無知になるのか、無知だから貧困になるのか、よく分からない。この二つに要因は、社会の成熟度を計るリトマス試験紙かもしれない。
無知といっても、相対的なことでもある。千年後の人が今の人間をみたら、最も優秀といわれている人でさえ、無知に見えるかもしれない。しかし、現代社会で生きる上で、最低限の知識、知恵はどうしても必要となる。この世、善人ばかりではないからだ。
やることはやっておかないと、強迫観念みないものが時々生まれる。他人に厳しいのは世の常で、自分自身はすでに棄民扱いされていることに気づかない。あるいは分かっているからこそ、「虚勢」をはるのかもしれない。格差社会の中で地を這いつくばり、蠢く人々、虚構の中でしか生きられない人々、「出身階級」を裏切る恥知らずの人々、どれもドラマである。浮き沈みがあるから、絵になる。
多くの人は自分の職業を最上のものとみる。しかし、知らない世界は多くある。そして無限に広い。そのほんの狭い空間を全世界と思いこむから、人の道から外れて嘘をついても、平気だ。程度問題でもある。何故ならこの世に「嘘」をつかない人間は存在しないからだ。
「理想は川の藻屑として消える」ことだ。この未知の宇宙の中で、地位、勲章、肩書き、名誉など、いかほどのものか、巡り巡るの無限の中で、人はどこからやってきて、どこへ去って行くのか、時々「アナ-キ-」な気分になる。
もしかしたら大きな変革の年になるかもしれない。「前向き」に生きる。人生、うまくいかない人の特徴の一つは、「根気が無い」ことである。それと「虚栄心」は破綻最大のファクターでもある。他人の名を「騙る」とか、すぐ他人の名前を出す人はあまり信用できない。人間三十歳も過ぎたら、自分の信用を作りたい。
この世の愉快のところは、上から目線の人もいれば、常にへいこらして媚びている人もいる。一面ではヒエラルヒーではあるが、他面ではどちらが「偉い」か、本当のところ、誰も分からない。調子の悪い人も見方を変えると、人生も変わるかもしれない。
「奴隷に自由の尊さをうったえた」モ-ゼだが、「自由の大地」は遠く風雨強く、空腹には耐えられず、「奴隷」でもよいから、「安定した三食」が欲しいと、叫ぶ。「三食と自由」は今日的課題でもある。
これからも、許される限り、翻訳に精を出す。
ロシア語上達法(40)(翻訳と精神の自由)(ムラ) (2019年5月29日更新)
白い丸石がごろごろと対岸近くまで続き、川は痩せ勢いはなかった。ただ昔から流れているから流れている。目標はとうに失せ、河口もどこかに消えてしまった。存在意義を無くした川は、迷っていた。このまま尊厳を捨て、腐敗した川底を晒して、終わりのない日照りの下、川であることに終止符を打つか、逆襲の日は到来するのか、釣り人には分からなかった。水をあげたかった。そうすれば、残火の寿命が延びるかもしれないと、愚かな祈りをあげた。
解禁日から魚信が一度もなかった。春先に全てわかる。
『...その代りに十二三の乞食が一人、二階の窓を見上げながら、寒そうに立っている姿が見えた。
「わんと云え。わんと云わんか!」
主計官はまたこう呼びかけた。その言葉には何か乞食の心を支配する力があるらしかった。乞食はほとんど夢遊病者のように、目はやはり上を見たまま、一二歩窓の下へ歩み寄った。保吉はやっと人の悪い主計官の悪戯を発見した。悪戯?―あるいは悪戯ではなかったかも知れない。なかったとすれば実験である。人間はどこまで口腹のために、自己の尊厳を犠牲にするか?――と云うことに関する実験である。保吉自身の考えによると、これは何もいまさらのように実験などすべき問題ではない。エサウは焼肉のために長子権を抛うち、保吉はパンのために教師になった。....』(「保吉の手帳から」(芥川龍之介))
毎年季節になると、渓流に出かける。釣れないと、にわかに断末魔みたいな心境となって、魚を恨み、川を恨み、そして何故か、この世を恨むのである。釣り師は異常心理となる。
「はるか彼方のその高台の丘陵は、じっと目をこらして見ていると消えてしまうが、いいかげんにみていると、ちゃんとそこにあるのだった。」(「キリマンジャロの雪」(ヘミングウェイ)
この表現は好きだ。あまり深刻に求めると、手からうっかり離れた風船のように二度と戻ってこないのかもしれない。人は欲張りだ。もう十分なのにもっと得ようとして、台無しにすることはよくある。「いい塩梅」という意味かもしれない。「分を知る」という言葉もある。あるいは仏教で「色即是空」という表現がある。「形とは仮の姿で、本質は空である」という意味か、釣れない竿を何度も振り込みながら、もう会うことのない過去の人たちが川面に映っては消えていった。
「.....つまるところ、我々の言葉の悪癖から来るのである。言葉の不正確さが、意見の対立、差異化、反論、あらゆる知的闘争家の試行錯誤を生むのだ。それがまた、幸いなことに、我々の精神の活動を果てしなく保つ要因にもなっている...歴史書をひもとけば納得できることだが、決着がつくような論争は重要な論争ではないのである。....」(「知性について」(ポ-ル・ヴァレリ-))
少し離れたところで、カワセミが飛沫もあげず、早技で小魚を口にくわえて岩の中腹にとまった。こちらは遊技かもしれないが、あちらは命の糧である。質が異なっている。時々、梢がざざっ、ざざっと揺れると、長い竿が釣り糸と一緒に流れに逆らって風の方向にもっていかれた。
「....隣の娘が弾ひいても、代稽古に来る娘が弾いても、余り好い音がしたことはない。それが或日まるで変った音がした。言って見れば、今までのが寝惚た音なら、今度のは目の醒た音である。...あれは琴を商売にしている人ではない。...代稽古に来る娘が病気なので、好意で来てくれたということであった。...琴はいかにも virtuoso(名人) の天賦を備えている。これが若し琴を以て身を立てようとする人であったら、師匠に破門せられて、別に一流を起すという質たちかも知れない。...」(森鴎外、「ヰタ・セクスアリス」)
天賦の才、もって生まれた才能とは如何せん、争いようがない。しかし、才能なんてなくてもよいと、思える勇気も重要かもしれない。こよなく「平凡を愛する」ということも価値があるだろう。それでも、「神に祈る」時は、凡人でも人生で一度や二度あるかもしれない。大病をして死の淵に立たされた時、あらん限りの努力をしても、目標が達成できない時、いろいろある。人はある時に人生の岐路に立たされる。商人のように言葉巧みに生きるか、それとも「無口の職人」の道を選ぶか、迫られる。そして普通は中途半端な営業商人と、中途半端な「職人」が混合した人生だろう。大胆に極めることは、当然、至難である。翻訳という職業に向いているか、どうか、このへんを察すれば、分かることである。時々、調子のよい嘘つきが来る時がある。根が腐っているから、何をやっても、ものにならない。
「...トルストイの作品のうちにあった例だと思います。....或る冬の夜、非常に天候が荒れ(或いは雪の夜だったかもしれません)ました。慈悲深い男は、家外の寒さを思い遣り乍ら室内のストーヴの火に暖をとり、椅子にふかふかと身を埋めて静に読書して居りました。と、家外の吹雪の中に一人のヴァイオリン弾きの老爺の乞食が立ち、やがてそれは寒さのために縮んで主人の室の硝子扉に貼りつくように体を寄せました。主人はもとより慈悲の心で生きて居る人です。しばらくヴァイオリン弾きの乞食姿をあわれと思って見て居りましたが、やがて意を決して硝子扉を開けました。主人はそして、ひたすら恐縮するヴァイオリン弾きを室内へ招じ、暖い喰べものを与え、ストーヴの火をどんどん焚き足して長時間吹雪のなかにさすらってこごえて来た乞食の老爺の体をあたためて遣りました。
翌日、その翌日となり雪は晴れ道もよくなりました。ヴァイオリン弾きの老爺はしきりに主人の邸内から辞してまたさすらいの旅に出ようとしました。しかし、主人はきき入れませんでした。何処までも、自分の邸内にとどめて可哀想な乞食音楽師を安楽に暮らさせ様と心掛けました。それにもかかわらず老爺のヴァイオリン弾きはしきりに辞去したがる。するとなおさら主人は引きとめる。ほとんど強制的にひきとめる。
ある夜、主人はヴァイオリン弾きの老爺が、突然無断で邸内から抜け出し、何処とも知らず、逃げ失せたのを知りました。.....彼の生き方は、どんな憂き艱難をしても、野に山に、街に部落にさすらって歩くのがその性質に合う生き方なのでした。そういうものには、そうさせて置くのが好いのです。彼の幸福は、決して暖衣飽食して富家に飼われ養われて居る生活のなかには感じられなかったのです。....」(「慈悲」岡本かの子)」
何故こんな話を出したかというと、自由業を職業とする人種について考えてみたかったからだ。けっこう食えない時期が長い。社会には仕来りがあるから、そこから外れると、いつの世も辛くなる。もともと、翻訳などは本職と捉えることには無理があるかもしれない。定義の問題である。そこで思い浮かぶのが福沢諭吉だが、蘭学を学び、英語を学び、幕府の翻訳御用などつとめるのだが、たぶん、翻訳家になるために、外国語を覚えたのではないだろう。時代の行きがかりとでもいうか、外国文化が押し寄せてきた時に、すすんで吸収し研究したのだろう。
ある目的があって途中、やむない事情により、例えば、生活費とか、あるいは好奇心から寄り道して、翻訳の世界に入ってしまうこともある。もっとも、人生は寄り道が本道かもしれない。仮にかなり本気で真剣に目標を打ち立てたとしよう。常にコツコツ、時に激しく努力して目標を目指すのだが、思わぬ出会いや、脇に広がる絶景に見とれたり、怪我や病気をして休んでいると、へんな閃きがあったり、もちろん、結婚もあり、子供ができたり、様々なことが起きる。
職業とは目指すものではあるが、成り行きも職業である。大成することは重要なポイントだが、必ずしも目指した職業とは限らない。だから晩年に迷いが生じる。現実世界ではそれなりに成功とはいわないまでも、そこそこ地位も資産も得たが、何故か空虚感を覚えるときがある。それは若い時に目指したものでないからだ。人生は一度限りの反復のないプロセスかもしれない。過去は戻ってこない。やり残したものがあるのなら、やるほかない。人生とは完成するものと考えるならば、時すでに遅いとしても、ジグソーパズルの最後のワンピ-スを入れようとすることは、一生最大の値打ちがあるかもしれない。
人は平等であるというと、抱腹絶倒する人がかなりいるだろう。この世は平等でない。何故、平等でないのか、考えたことがあるだろうか。老いてくると、先祖の血が少しずつ蘇ってくる。母方の祖父は僧侶だった。十歳ぐらいまで寺の中で暮らした。僧侶になっていたかもしれない。これが最後のワンピースである。はめ込めと疼く。いまさら、出家する気などさらさらないが、カフカの「変身」みたいになったらどうしよう。
語学をやっていて、得することは多々ある。ある時、若いお母さんが、年子の次男がなかなか喋らないと嘆いていた。そこで、聞いてみると、最初の子、長男ばかりに話しかけていた。長男は喋り始めた時も早かったらしい。次男にも同じように話しかければ、やがて喋り出すはずだと、アドバイスした。これは語学を基本的に学んでいれば分かることである。会話はヒヤリングである。会話の言葉は聴覚を通じて、覚える。音声言語のことであり、文字をもたない。健康体で会話はできるが、「読み書き」のできない人を「文盲」といわれた。江戸時代後期の識字率は70~86%とされる。一方、英国の識字率は20~25%、フランスでは1.4%ともいわれる。西洋は天と地の階級社会だからだ。「読み書き」できなくても生活は成り立つし、社会は存在できる。勘違いされることは、会話ができると外国語ができると思い込んでいる人が多い。「文盲」の外国人になっただけである。
昔、中年の船員からスペインに4~5年いたら、何の予備知識もないのに会話には不自由しなくなった話を聞いたことがある。会話はヒヤリングの世界である。現地にいったほうが早い。学問でないからだ。口語は自然発生的なものである。一方、文語(書記言語)は視覚を介して習得する。いわゆる文字である。文字は意識的に学ばないと覚えない。
外国語を職業として使う場合を考えてみると、先ず思い浮かぶのは、学校の先生、外交官、商社マン、外国と頻繁に取引する企業、翻訳者、通訳者などである。学校の先生は教える場にもよるが、体系的に語学を習得する必要がある。企業で語学を使う場合、会話や、通信文、契約書の作成である。会話は外国人と密接に交流すれば、自ずと体得できるものだが、だが契約書の作成となると、かなり真剣に外国語を学ばないといけない。もちろん、見本はあるので、そう尻込みしなくてもよい。翻訳者は語学の職業人であるので、ある意味で完璧でないといけない。時代とともに言葉の壁も低くなり、外国語が遠い存在ではなくなり、身近な生活道具になってきた。異なるものが混ざり合い、長い時間をかけて融合してゆき、別のものが生成されるのだろう。
しかし、これは全て実利的な志向である。理想とは、邪念がないことである。読書でも、本は読んで知識を得るものだが、そうした目的のためではなく、ただ面白いから読み、興味があるから読むという、純真な気持ちで、見返りを求めない読書がしたい時がある。「ムダ」を嫌うようになった。すぐ経済で換算するから、長期的な結末が見えない。最近では、樹齢100年で伐採する植林ではなく、20年ぐらいで伐採するようにしている。世代をまたぐようなことはない。当人が生きている間に成果を求める。二代、三代にわたるようなことには、価値を見出さない。
人とは欠陥のかたまりだが、あげつらい、難癖をつけて、足を引っ張って憂さ晴らしをするのも困ったことだが、後ろ向きの人生である。落日の社会は、管理する社会である。その反対に「夜明け」「黎明期」は、新しい時代が始まり、それまでの価値観が破壊され、「自由」に解放される時である。「落日」がなければ、「夜明け」もない。
潔く諦めることは重要なことだが、結果が出なくても執拗に継続することは、人生は奥深いと思わせる。経験からいうと、嘲笑の周囲を無視してしつこくやっていると、すっかり落ち込み、ほぼ絶望の境地に一条の光が射す時がある。目的が達成されたのである。ほとんどの場合、忘却の恋人のように不意にやってくる。いつまでもしがみつくのもどうかと思うが、いつまでもしがみつかないと大きな成果はでない。憑かれ、偏執的になる。狂気漂う没頭である。
うまくいくときもあれば、いかないときもある。不可抗力がある。運ともいう。「天命を待つ」ということになる。我慢できず、あと一歩で投げ出してしまう。結局、能力の差というより、忍耐力、胆力のちがいなのだろう。老人になって、はじめて気づくことがる。人生の過信と、非病理学的な「認知症」である。とにかく「えばって」いる。寿命が延びると、「晩節を汚す」老人も増加する。あらゆる神経が鈍感となって、躊躇しなくなる。「この界隈で一番偉い」と思い始めたら、「死期が近づいている」のかもしれない。思い込みが激しく「自分だけが正しい」と頑なになる。
語学をある程度深く学ぶと、かなり音声がきになる。発音と音調である。専門の言語以外でも、ネイティブであるか、どうか、分かる場合もある。音の流れを常に注意する癖がついているからだ。どの言語にも一定のリズムというか、調子がある。それが乱れていたり、途切れ途切れになっていたりすると、ネイティブが疑われる。それとやたらに単文ばかり書く大人も怪しい。イントネーションや方言もきにかかる。訛りである。
例えば、固い日本文を書く人は、外国文も固い表現する。しなやかな日本文を書く人は、外国文もしなやかになる。不思議なことである。文の素質である。向き不向きである。向いている職業に就けば大成する確率は高い。これは自分では分からない。やりたい職業、好きな職業とはちがう。客観的助言を素直に受け入れることのできる人は、「筋がよい」と言えるのかもしれない。
それでも「努力」に勝るものはない。よほど「天性」に左右される分野でも目指さないかぎり、「努力」によってカバーできるだろう。自分で出来ることは、これだけだからだ。しかし、「怠惰」な人間には「怠惰」な人間の人生がある。だから面白い。困惑するのは、この世には「価値」が一種類しかないと思い込んでいる人が多いことだ。
だんだん取り留めが無くなってきた。くだくだと「戯言」いいながら、どんな仕事でもこなしていきたい。そうだ、テ-マは「ムラ」だった。すっかり忘れてしまった。次回は「ムラ」について、まとめてみる。
「私が自由なのは、私が自由と感じるときだけである」
(「精神の自由」(ポ-ル・ヴァレリ)
そろそろ魚釣りの解禁となるので、昨夜あたりからそわそわしだし、押入で埃をかぶって冬眠している釣り道具を出して、準備しようかと迷っている。だいたい、初っ端の成績はよい。それもけっこう大物をあげている。日々俗界で暮らす中、自然は心を洗ってくれる。昨年は、病気をして散々だったが、天命とおもっている。遂に周りに残ったのは、「どうでもよい人間」だけとなった。それでも、昔、ロシアの詩人S.エセ-ニンとか、石川啄木の手記とか、読んでいた時に「V NAROD」という表現が出てくるから、「どうでもよい人間」などこの世にはいない。
「僕なんかも、理窟は下手だし、まあ篤文家とでもいつたやうなこけの一念で生きて行きたいと思つてゐるのですが、どうも、つまらぬ虚栄などもあつて、常識的な、きざつたらしい事になつてしまつて、ものになりません。しかし、篤農家も、篤農家としてあまり大きいレツテルをはられると、だめになりはしませんか。」
「さう。さうです。新聞社などが無責任に矢鱈に騒ぎ立て、ひつぱり出して講演をさせたり何かするので、せつかくの篤農家も妙な男になつてしまふのです。有名になつてしまふと、駄目になります。」
「まつたくですね。」私はそれにも同感だつた。「男つて、あはれなものですからね。名声には、もろいものです。ジヤアナリズムなんて、もとをただせば、アメリカあたりの資本家の発明したもので、いい加減なものですからね。毒薬ですよ。有名になつたとたんに、たいてい腑抜けになつてゐますからね。」私は、へんなところで自分の一身上の鬱憤をはらした。こんな不平家は、しかし、さうは言つても、内心では有名になりたがつてゐるといふやうな傾向があるから、注意を要する。』(太宰治、「津軽」)
有名になりたいが、有名になるとだめになる、有名になりたくないが、有名にされて、だめになる。ボブデイランは逃げまくっていたが、とうとう諦めてもらってしまった。人は天才との距離を縮めようとし、平準化して安心する。善人は皆から愛されすぎて、悪人になる。
思い込みの強いのもこまるが、あまりにも軽薄な行為にも、唖然とさせられる。
「言語なくして、市場も交換もない。あらゆる交易の第一の道具は言語である。・・・すなわち“始めに<言葉>ありき”である。“言葉”が交易に先立たなければならなかったのである。」(「精神の自由」、ポ-ル・ヴアレリ-)
言葉は、人と人、人と物、人と社会、人と国の接着剤である。言語で完全に正確に伝えることは、不可能かもしれない。真意が八割ぐらい伝われば、ほぼ完璧とさえ見なすべきかもしれない。
一口に翻訳家といっても、千差万別である。職業とは、どのようなことを言っても、それだけで生活ができる収入がなければ、すべて「自称」ということになる。翻訳業みたいに国家資格をともなわない職業は、「自称」しやすい。しかし、これを国家資格にすることはできない。作曲家に国家資格を与えても何の意味もない。小説家に国家資格を与えてどうする。画家に国家資格を与えても、見事の絵が描けるわけではない。芸術的要素が強く、生活の安全を直接脅かすものでなければ、資格制度はなじまない。そもそも、一体誰が芸術家と認定できるのだろうか?
翻訳もかなり芸術的要素が強い。いつの時代も「素人」ほど、怖い存在はない。時に「一般大衆」というのかもしれないが、「デタラメ」でも、生きていけるから、「天下無双」なのかもしれない。ある程度の専門性を身につけるには、10年、20年の人知れぬ努力が必要となる。「素人」とは、軽薄に専門家を批判する特徴をもっている。専門性の重さ、価値がわからない。一つのことを何度も何度も繰り返し、体得していき、そしてある時に、「異次元の域」に達する。
翻訳の範囲は広く、技術的分野から文芸・文学とかなり領域が大きい。しかし、これはたんに範囲や分野の問題にとどまらない。最大の特徴は、言語を扱うということである。いうまでもないが、言語は唯一の思考手段である。これなくして、人はこの世界の全てについて、考えることはできない。無論、外国語を扱うわけだが、それも言語である。外国語という言語、国語という言語と向かい合う。言語とは何かという問題が必然的に提起され、回答するよう迫ってくる。ここが翻訳の原点である。
どの世界でもそうだが、「哲学」という日常生活からすると、きわめて融合できない違和感のある「フィロソフィー」の問題でもある。価値観といってもいいし、人生観といってもいい。人は頭で描いた世界の外には、いくら藻掻いても出られない。学業優秀で頭脳明晰であるのに、凡庸な人生はおそらく、このせいだろう。「哲学」の問題なのだろう。
「常識的思考」しかできない人は、「常識的人生」しかおくれない。常識がおかしいといっているのではない。これは人が社会人として生きていく上で、必ず必要なことだ。しかし、そのことと「創造」は次元が異なる。「創造」とはそれまで存在しなかったものを生み出すことである。これと翻訳がどう関係しているか、少し考えてみたい。そこに書かれている文を外国語に訳すと、どうなるか。
先ず意味の問題が出てくる。意味を目的の言語に転換する。つまり文意の把握である。そして訳者は、いつもの自分の文体か、その分野で一般的な文体で訳文を仕上げていく。ここまでは普通の翻訳プロセスであり、どの翻訳者もやっていることである。それでは文体問題を提起してみる。科学技術文では、なかなかこうした問題は浮上しない。実務文もほぼ同じである。何故ならここでは、内容が問題となるからだ。表現方法はできる限り、簡潔で理解しやすいものが求められる。正確さが求められ、かなり意味の厳密性が必要となる。意味はすでに定義されている。単語からの想像性はかなり制約される。無限に空想できない。
一般に技術文は普遍的な文章なので、著作権の対象にはなかなかならない。技術内容であれば、特許等を取得できる。文章だけで著作権を要求することは難しい。文化的創造物ではないからだ。いわゆる「産業財産権」にあたり、登録して初めて権利が発生する。ところが著作権は、登録しなくても、法的権利が自然と発生する。
結局、翻訳の問題も言語をどのように見るか、どのようにアプローチするか、どのように扱うか、こうした問題になる。辞書で調べて、文法を少々理解して、翻訳しても、一見、正確な訳文に見えても、おそらく「しっくり」こないだろう。意味だけ分かればよい、これは、プロからすると、翻訳ではない。「意味が分かったから、いいではないか」たしかにそうであるが、そうではない。「生きてるからいいではないか」たぶん、人はそれでは満足しないだろう。時に少し派手な服を着て、ご馳走を食べたい時もあれば、豪華な旅をしたい時もある。文も意味だけでは、いかにも味気なく、文化の香りがしない。しかし、そんな頼りない翻訳ではたして「正しい」とさえいえるのだろうか。そして本当に「意味が正しく分かったのだろうか」という、問いを投げかけられる。
翻訳とは、異国言語を介して、原文執筆者をそっくり登場させることである。もちろん、可能な限りである。ここで問題が提起され、そもそも原文執筆者とは、何者なのだろうか?一般人からプロの文筆者まで存在する。科学技術文であれば、意味そのものが重要であり、ある一定の水準にして、平易な文体で表現すれば、事足りるだろう。それでも、原文執筆者に会って、言葉を交わすだけでも、文にかすかとはいえ、彩りが出てくるだろう。場合によっては、科学技術文ほど、執筆者としっかり打ち合わせし、用いられた単語の語義をそれこそ「ミリ単位」で、すり合わせることが求められる。分野によっては、安全性、権利侵害、機密漏洩なども関わってくるからだ。
文体問題に入る前に意味の問題を整理したい。辞書に出てくる単語の意味と、文の中に位置した時の単語の意味は、さほど異ならない時もあるし、若干異なる場合もあるし、かなり異なる場合もある。コンテキストがある。文脈といって、辞書掲載の単語の意味では、うまく当てはまらない場合である。これも、二つの方法がある。単語の意味をどこまでも追跡する方法である。原語辞書でも調べ、しまいには語源辞書までいく。もう一つの方法は、語学者や言語学者が考えるほど、人間は言葉をそれほど厳密に使っていない点だ。どちらかというと、後者のほうが問題なのだろう。
人はけっこう適当に言葉を日常、使っている。辞書で定義された意味にそぐわないで、用いていることも珍しくはない。もちろん、本もあまり読まず、勉強不足もあるが、そもそも言葉は、生き物であり、行動しながら意味を変えていくものである。変異体なのである。現実が変われば、言葉もそれに合わせて意味を変えたり、新たな言葉の誕生を求めたりする。造語は御法度だが、時代は必ず新語を生み出す。まさに「始めに現実あり」で、その後に続いて言葉がついていく。
このへんに翻訳の難しさが存在する。前提が崩壊する。人は常に文を正確に書いていると思い込んでいるが、錯覚である。それほどきちんと形成していない。それが人間というものかもしれない。ところが正しく書いていると、幻想いだく。それに「正しい」とは何か、という本質的問題もある。辞書の定義を前提にしているが、これこそ本末転倒である。そうはいっても、辞書は否定できるわけもない。何故なら、基準なくしては行動できないからだ。言葉は約束事だからだ。
そこで原文執筆者の真意を探ることになる。ここでも、二つぐらい問題が出てくる。原文執筆者本人が自己の本意をきちんと認識できているケ-スと、認識できていないケ-スがある。つまり自分自身が自分の書いたことの本質を曖昧にしている場合である。それと、第三者の認識である。文とはおそろしいもので、いくら執筆者が主張しようが、第三者である読み手が客観的に評価する。これは全ての文にいえる。執筆者がこうしたつもりで書いたと言い張ろうが、読み手には通じないし、読み手は一つの文の語義や、コンテキストから、文意を客観的にも主観的にも解釈する。文は書き終わって他人に見せた途端に一人歩きする。
そこで翻訳者の立ち位置である。原文執筆者とどうやっても、連絡がとれない、会えない場合である。これがほとんどのケ-スである。翻訳者が原文執筆者と会うケ-スは稀で、原文を読みながら、基本的には客観的に、時に主観的に解釈する。つまり、原作者と会わないで、打ち合わせないで翻訳するのである。原文執筆者の真意は、まったく分からず、想像、空想の世界にならざるえない。しかも、原文執筆者が語義を厳密に使えない人であれば、まさに大意をとらえて、大雑把な翻訳になってしまう。
「一体、欧文は唯だ読むと何でもないが、よく味うて見ると、自ら一種の音調があって、声を出して読むと抑揚が整うている。即ち音楽的である。だから、人が読むのを聞いていても中々に面白い。実際文章の意味は、黙読した方がよく分るけれど、自分の覚束ない知識で充分に分らぬ所も、声を出して読むと面白く感ぜられる。これは確かに欧文の一特質である。
処が、日本の文章にはこの調子がない、一体にだらだらして、黙読するには差支えないが、声を出して読むと頗る単調だ。ただに抑揚などが明らかでないのみか、元来読み方が出来ていないのだから、声を出して読むには不適当である。
けれども、いやしくも外国文を翻訳しようとするからには、必ずやその文調をも移さねばならぬと、これが自分が翻訳をするについて、先ず形の上の標準とした一つであった。」(「余が翻訳の標準」二葉亭四迷)
これも文体に関わることだろうが、文体などどうでもよいというわけにもいかない。執筆者の真意と関係するからだ。和文を読んでいる時、例えば、家族からでも、知人からでも、恋人からでも手紙をもらったとする。先ず書いてある内容を知ろうとする。当然、文体など、ほとんどの人は関心ないだろう。しかし、心に響くような文とは、本人の個性がよく滲み出た文と思われる。書き手が彷彿され、手紙から浮かび上がってくる。逆に平準化された一般的な文、例えば「書き方」本などの模範文などで書くと、書いた人の個性は消され、きわめて印象の浅い、心にはなかなか残らない文となるだろう。
私信はできるだけ、自分の個性を出し、仕事など公に使う文は、普遍的な文が適しているのだろう。そこで業務文でも、少しは個性を忍ばせてはいけないだろうか。こうした問題提起はさすがに面白い。
さて原文執筆者の文体をどのように訳文に入れるか、反映させるか、とても悩ましい課題である。二つの異言語の事情がある。文法も異なるし、文字も違うし、発音もまったく違う。共通点があるとすれば、どちらも人間が使う言語というぐらいだ。きっと、もっと共通点があるはずだ。おそらく、形態的アプローチでは限界があるだろう。カンマ、コロン、セミコロンとあるが、そのまま日本文に打つのは、無理がある。ただし、音調というか、文調を反映させることは可能だろう。
すでに述べたが、最大の目標は、「原文執筆者本人に登場してもらい、そのまま語り書いて」もらうことである。もしこの世界に異言語が存在しなければ、当然、翻訳も存在しない。つまり、文字、音、文法の問題はなくなる。あるのは、互いによる概念、語義の解釈、定義付けである。同民族でも、知人でも、肉親でも、夫妻であっても、わかり合えないことがある。性格、価値観、思想信条、宗教等の相違によって、人は互いに理解できないことはある。これが普通である。
だがそれでも、語ったり、書いたりしたことが、正確に伝わっていないことのほうが多いのではないか。思い込み、錯覚が人をあらぬ方向へ駆り立て、行動させる。同じ言語で語っても、わかり合えない。それも、言葉の定義による誤解からすると、伝達手段として言語は、どこまで適切なのか、代わりうる手段はあるのか、いろいろ考えさせる。
そして映像と音声が出現する。現代は映像と音声の時代である。文字は追放されつつある。仮に文字がこの世から完全に駆逐されると、それは地上に文字が発明される前の状態になったとも言えなくはない。原始時代とはいわないが、古代以前となる。とても信じられないことだが、文字をもたないほぼ動物になってしまう。しかし、AIとか、ロボットとか、こうした未来のテーマに触れると、今回の主題が影薄くなるので、ここでやめておく。
もちろん、深読みしすぎてもいけないし、表面的な解釈もいけない。出来る限り原作者の真意に近い解釈に努めるべきだろう。ここからはきわめて個人的見解となるが、やはり形態への拘りは、可能な限り最少とすべきなのだろう。その理由は、形式に注目することで、「木を見て森を見ない」ようなことを避けるためである。先ず原文執筆者の真意をどのようなやり方でもかまわないから、しっかり把握する。どの世界でもそうだが、能力が低いと、選択肢が乏しい。
例えば、日本語の文体が一種類であれば、訳文は全て一種類の文体となる。文体は一般的に文語調(書き言葉)、口語調(話し言葉)、常体(である調)、敬体(ですます調)とあるが、これは大きく区分した場合のことで、現実は個性的な文調のことである。独特の文体といってもいい。これを何種類もこなすことができると、原文にたいし、かなり対応できるようになる。自分の文体にひきこむな、ということである。原文執筆者の文体をいかに反映させるか、工夫を要する。
文意をかなりしっかりと認識できたら、先ず自分の言葉に置き換え、文を形成して、何度も何度も声を出して読んでみる。それから原文のあらゆる特徴を可能な限り、訳文に散りばめていく。この段階が翻訳において、最も重要なプロセスと思われる。仕上げ工程では、大胆に行動する。すでにそこには原文執筆者も、訳者もいない。存在するのは、一つの文章しかない。ここに勇気をもって、思いっきりメスをふるう。
一種の「換骨奪胎」ということになる。これはよく翻訳者が使う「安っぽい」表現でもある。そのことより、いかに創意工夫するか、これにつきるかもしれない。若干興味深い点でもあり、摩訶不思議な点でもあるのが、時に翻訳を介すと、原文の陳腐な文が見違えるような芸術作品になっている場合さえある。たとえば、上田敏の『海潮音』に収められたドイツの詩人カール・ブッセの詩『山のあなた』などは、とても有名であり、原文より訳詩のほうが優れているといわれる。
たぶん、ここが翻訳の本質であり、「意味が分かればよい」という翻訳の解釈と決定的にちがうところだろう。二点あげておく。一つは「形式的な意味」が分かれば、事足りるとする考え方と、もう一つは、あくまでも原文作者の真意を可能な限り模索するという考え方である。前者を実務文、科学技術文、後者を文芸文学の文と言い換えることもできる。さらに前者は、コンピュータが主役となる時代が遅かれ早かれ到来するだろうが、後者は人間の本質の琴線に触れる部分であり、生身の人間が地球上に存在する限り、永遠のテーマとして問いかけるだろう。
とにかくいつになっても、翻訳が下手のままで、情けない。特効薬でもあれば、欲しいところだ。
ロシア語上達法(38)(翻訳と精神の自由)(耳下腺腫瘍) (2018年12月17日更新)
「...さん!...さん!」遠くから呼んでいる声がしだいに大きくなった。麻酔から覚めた。それから独り病院ベッドの上に一週間ほどいた。術後2日ぐらいして、少し時間をもてあまし雑誌翻訳の校正をしていると、ふと、トルストイが死の最期、一週間前に家出して、雪降る名もない田舎のちっぽけな駅舎で誰にも看取られずに死ぬ。これが目に浮かんだ。自分の理想なのかもしれない。有名流行作家、文豪であり、どのようなことがあっても危篤になれば、ベッドの周りに多くの人が集まって、号泣したり、嗚咽したり、ありとあらゆる愛情表現をしたことだろう。生まれたときも独り、死ぬときも独り、これをやりたかったのかもしれない。だから最期、大団円ではこまる。最後の小説の主人公は、自分自身だったのかもしれない。賑々しい終幕ではまずい、とにかく辺鄙なところがよかったのだろう。動物も死期が近づくと、そっと群れから離れて、どこか知らないところで、独り大地に戻る。
それでは本題に入る。
「細かい議論はさておくとして、現実にたとえば西欧ルネサンス期において北欧諸国民がはじめてギリシャ、ロ-マの古典文化へと目を開かれたとき、またわが国に例をとれば、かつて上代日本人が大陸文化に接触しはじめたとき、明治維新前後はじめて西欧近代文明を仰ぎみたとき、すべてこれらそうであったのであり、いわば一は他を無上のもとして敬仰し、憧憬したのであった。
こうした文化接触の場合、いわゆる低位文化の渇仰を充たしてくれるものは、なんといってもまず手はじめに翻訳であり、翻案である。そしてそれら翻訳、翻案こそは、移入側に立つ文化が従来まだもっていなかったいわゆる「新風」を送り込むものとして、やがてそれはその国の創造文化そのものに直接大きな貢献をすることになる。したがって翻訳者自身にしても、多くの場合その動機、目的は金銭ではむろんなく、単なる興味ですらない。ほとんどの場合、一種の使命感がそれをさせているのであり、だからこそそれら成果は、学者的検討からいえば多くの欠陥、批判の余地があるにもかゝわらず、後年改訳、新訳される「より正確、忠実な」翻訳よりも、はるかに文化的意義は大きかったという事例はむしろ普通である。.....」(「翻訳論ノ-ト」中野好夫)
はじめに突き動かす動機がある。衝動的なものだ。直感的な震えがある。新しいだけではだめだ、もっと本能を擽るような、圧倒的でそれでいて異質の価値観がひっそりと控えている。言葉というものは難しい。複雑である。語学でいう正確であるということが、一面的であることもしばしばある。このへんに理解がないと、話がかみ合わない。
いつでも、新しいものに挑むとき、ときめきがある。老いは不可避的であるが、精神の老いが最も怖い。萎えるのは肉体だけでなく、心も萎える。いかなる境遇でも、希望が必要だ。天空に漂う孤独の純白の雲に乗って、銀河の彼方に行ってみたい。
「瘋癲老人日記」(谷崎潤一郎)の心境が少し分かってきた。しかし、このテーマは、別の機会としたい。一見、新しい異文化は、ほとんど掘り尽くされたように思える。もっと深く突き進めば、新発見があるかもしれない。忘れられていた無名のものを発掘する、あるいはニュ-・チャレンジャーを見つけ出す。凡俗の中で汚染され、大人になっていく。それで社会は安心するとしたら、その世界には未来はないだろう。歴史を顧みると、時代は閉塞すると、必ずそれを突き破り、過去の汚泥を一気に押し流す、未知のものが登場する。日々満足するとは、堕落なのかもしれない。堕落とは幸福の別名かもしれない。ひょっとすると、幸福感に満たされる時、最早、あらゆる発展がないのかもしれない。
進歩しなくてもよい、発展しなくてもよい。それには絶望が必要だからだ。吾らは何万回もの絶望を通して、発展し進歩してきたが、はたして幸福はつかめただろうか。
翻訳をしていて、気づいた点は、言葉はやはり遠い。国と国の距離以上に離れていると、感じる時がある。人間だけが言語を駆使して、自由に表現できると信じていたが、はたしてそうだろうか。我々は未完成なのだ。だから誤解が生まれる。同国人同士でも、異国人とも、まして配偶者とも、日常の些事で誤解が生じ、大事になることもある。二つに点を指摘できる。言語という表現形式には限界があるのかもしれない。もう一つは、言語を発する人間の状態である。人間だけに理性が存在するが、人間は感情の動物ともいう。動物には感情はない。笑顔の動物を見たことはあるだろうか。
会話からばかり外国語を学ぶことはよくないかもしれない。人間と動物を区別しているものとして、記録がある。時間の発明である。文字を創ったことで、人間の思考は飛躍的に発展した。
でたらめ言いふらす人格破綻者、生活敗北者がけっこういる。一昔前ならば、これは文字通りの意味だ。スマホなどの最新通信手段がこの世を一変させた。大脳が行う空想、想像とは嘘のことである。バ-チャル・リアリティが優勢になりつつある。
老境に入ると、瘋癲老人がうようよいる。元気だから困るというのも、へんな感じだが、本当に困る。“認知症”である自分を“正常”と言い張られると、お手上げになる。これほど長寿になるとは、想定外なのだろう。「無職年金じじい」とは、まさに「言いえて妙である」。
言語で面白いのは時間の問題だ。最近は少し状況は変わってきたが、それでも日本人は外国語を学ぶ時、かなり意識過剰になる。緊張するのだ。別世界の文化を吸収するような錯覚に陥る。それは、日本という国の地理的位置、歴史的背景によるものだ。欧州では外国語の会話はそれほど価値はない。何故なら歴史的に、常に異国文化が入り乱れていた地域だからだ。日本は島国だが、対馬から朝鮮半島までは50kmもない。一方、ガラパゴス諸島は、大陸から千キロ近く離れている。日本は大陸から適度に離れ、ほどほどに異国文化が、時代時代に入ったのだろう。対馬から本土までは130kmぐらい離れ、絶妙の距離である。これからは分からないが、大量の異国民が流入することはできなかった。
師走になると、その年のことを振り返る。日常とはほぼ同じことの反復連続だが、そこからは誰も逃れることはできない。時折、旅行へいったり、田舎の自然を眺めたりして、都会の刺々しい精神を沈静化し、安らぎをあたえる。逃避でも離脱でもない、日常を超越するとなると、次元が異なる。たぶん、本音はこのへんにあるのかもしれない。「遠い国」に行きたいのだ。
人は新しいことに挑戦する時、根拠のない希望で充実感を覚える。「омоложение」は、ロシア語で「回春」の意味だが、へんな意味にとらないでほしい。これを「возвращение
к весне」といった愚か者もいたから、たまげる。「生ききる」という表現がある。天から与えられた生命を十分に使い切るということだ。健康人も病人も生ききることだ。
老いると、特に男の老人は何故か「えばって」いる。現役時代の肩書きには関係なく、遠い先祖は公家だ、城主だといい、働いていた時は、専務だ、部長だという。ほぼ全て虚像であり、虚偽の申告を真顔でおこなう。感情を抑えることができず、すぐ激高し、怒鳴り、暴力さえふるうことも珍しくない。若い人であれば、職場は当然、“クビ”だろうが、老人はほとんど職場をもたず、社会的制裁を誰も与えることは出来ず、野放しとなり、早朝から徘徊する。明らかに脳細胞が徐々に破壊され、自分自身を制御できなくなっている。悲しくなる、人とはこうも醜くなれるものか、情けなくなるが、晩年の一コマなのか、生の本能とは、言い尽くせないものがある。
出立する時だ。昨日と今日の自分とは決別して、 まだ遅くはない、明日の自分を探しにいこう。「つまらない絵じゃありませんか。あなた達は、お金持の奥さんに、おべっかを言っていただけなんだ。そうして奥さんの一生を台無しにしたのです。あの人をこっぴどくやっつけた男というのは僕です。」(太宰治、「水仙」)
これは昔からあらゆる分野でよくある。誰からも相手にされない老人の師範とか、老人の元教授とかがやるみっともない手口である。天才だ、才能があるとおだて、弟子から巻き上げる。それで一生を棒にふった文学や芸術に憧れた若い奥さんを描いた短編である。
老醜とは、避けがたい真実である。人とは、老いるとよくそこまで醜くなれるものか、つくづく生き物の憐れを感じる。
長い間、翻訳の仕事をしていてよかったことは、人によってまちまちかもしれないが、世界が広がったことである。異なる価値観のある社会が存在するということだ。人は様々な集団、社会、国で暮らしているが、それまで持っていた価値観が受け入れない世界が存在すると知った時だ。今までと、がらっと違う現実に柔軟に対応できるようになったことだ。
人とは身勝手なもので、つい先日まで遺書まで書こうとしたり、生死についてくよくよ悩んでみたり、いろいろ藻掻いたが、いざ手術をして摘出した腫瘍が生検で良性と最終診断されると、この手術、そもそも要らなかったのではないか、急に強気になるから、恐ろしいものである。平常心、淡々と生きるのは難しい。だめなら嘆き悲しみ、うまくいったら、笑い喜ぶ、自然に生きることはなかなか出来ない。自由とは何か、よく分からない。
もともと、鬱病体質なので、何があっても、極端に落ち込むことはない。孤独が好きなのだ。人間の最も優れている点を一つあげろと言われれば、想像力である。空想力といっていい。これが信用を生み、嘘も生む。人を笑わせる嘘は楽しいが、人を不幸にする詐欺の嘘は、最低である。人格なんて言葉はいつしか、死語になっている。生きる規範が崩壊してしまった。
尊敬される人間になりたいと、あの人は言っていた。これはお金持ちになっても、社長になっても、得られない。肉親以外に貢献しないと尊敬されない。見返りを求めてはならない。ひたすら第三者に貢献する。それを自慢してはいけない。誰に対しても平等でないといけない。人を見下してはいけない。間違っても、表彰されてはいけない。これは罠だから。
立派な人間だと思われ、表彰され勲章などもらうと、一気に俗人になって、貶められる。あまりにも優れ、桁外れに卓越した人間に、上から勲章を授与する。一方、あまりたいした人間でもないのに、それと同じ勲章を授与する。そうなるとしだいに尊敬が薄れ、ただの凡人にされてしまう。
群れることは、好まない。どのような肩書き、地位の人でも、常に同じスタンスで接する。家訓である。さて、今回のテ-マは、パイオニアのことだが、人に先駆け、また唯一無二のものを創り出すことは、たしかに価値がある。来年は、久方ぶりにパイオニアを目指してみる。晩年の挑戦である。
ロシア語上達法(37)(翻訳と精神の自由)(相対立する二つの説) (2018年5月28日更新)
「自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態の自分の定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。」(「人間失格」太宰治)
天からそっと風が吹いて、夢の木葉はゆらゆらと心の窓に入ってくる。
翻訳を仕事としているから、その価値や、仕組み、定義など、考えることも屡々あるが、もしこの仕事についていなかったら、そんなことは考えることもなく、翻訳した日本文も、原作の日本文も、ただそこにある日本文として特に感情をもつこともなく、大切にもぞんざいにも扱うことはなかったろう。ことさら意義があると気づくこともなかったろう。そこに知識があれば吸収したろうし、スト-リがあれば楽しんだことだろう。それだけのことである。
翻訳者であろうと、通訳者であろうと、特別な気持ちは抱かなかったろう。組織で翻訳を依頼する側に立ったとしたら、翻訳会社を探して翻訳を依頼するか、あるいは直接、翻訳者に頼むことになるだろう。予算に問題がなければ、よほどのことがない限り、表面的には相手を信頼して依頼するだろう。出来たものがよければ、機会があれば、再び依頼することもあるかもしれない。文に思い入れをすることもなく、凝視することもなく、解明、究明など思いもよらず、取り立ててて気負うこともなく、日常の普通の光景としてやり過ごしたろう。
縁とか、運とかいうが、そんなものは、あまり価値はないが、しかしそのことで、翻訳とは何か、文とは何か、熟考させる機会を提供してくれる。翻訳の仕事は緊張するが、単調で退屈でもある。それでも、この行為の本質を考える時は頗る楽しい時間でもある。世界にはいろんな仕事がある。どの仕事でも、それを深く考えていくと、何か人生の回答みたいなものが出てくるかもしれない。本当はもう少し違うことをやりたかったが、なかなか思うようにはならない。それでは本題に入る。
「翻訳の文体について昔から相対立する二つの説がおこなわれている。その一つは、いくら翻訳であっても、何よりも先ず完全な日本文になっていなければならないという説であり、他の一つは、日本文としては異例であっても、西洋なものはどこまでも西洋のものらしく移しかえなければならないという説である」(「翻訳論」、フランス文学者河盛好蔵)
大正時代の話である。西洋から文化が入ってくると、当然翻訳が介入する。スマホがあり、海外旅行・留学が容易な現代と異なり、常に本質的な議論が不可避な時代だったのだろう。日本語ばかりか、言葉がこれほど粗雑に扱われている今の時代に、この考察はあまり意味がないかもしれない。言葉が崩れて、言葉と言葉の壁が少しずつ取り外されていくと、外国語の存在感が薄れていく。それでもこのテ-マに敢えて触れることで、言語の位置をあらためて確認できたらと願うことは、愚かなことなのだろうか。
文といってもいろいろある。日常で使うメモもあれば、手紙もあれば、手記、日記、それに論文もあれば、技術文、新聞記事、小説、文芸文、法律文と、数え上げるとかなりある。文とは、人間の表現手段の一つである。表現手段としては、音声、絵画、映像、演劇などもある。どのような動きでも一種の表現である。表現手段とは、伝達手段のことである。文は文字を使って表現するだけで、第三者に伝達することを目的としない場合もある。完全に自己目的だけ、永遠に開示しないことを前提に書く日記などはこれに該当するだろう。ここでは、第三者に開示伝達することを前提条件とする。
文は文字、文字から形成される単語、単語を組み合わせた構造体(文)によって、意味を他者に伝え、記録する。文の主な機能は伝達と記録である。伝達媒体としては、古代であれば石、木片、近代であれば紙であり、現代であれば半導体をつかったメモリとなる。保存耐力が一番高いのは石であり、次は木片、紙となって、現代のメモリの順となる。単位当たりの保存量は、メモリが圧倒的である。最大の長所・欠陥は、瞬間に消えることである。
日常的、生活的、実務的、技術的分野では、正確な情報だけが欲しい。極論をいうと文体など、どうでもよい。事実を事実として、他者に伝達する。例えば、ほぼ同一のものが、日本に存在すれば、翻訳はそれほど困らない。幕末、西洋から「company」という「事業体」の概念が日本に入っていくる。これは「社中」(例:「亀山社中」(坂本龍馬)と「会所」が組み合わさって最終的に「会社」と訳されたようだ。このへんは調べれば分かるだろう。このように実体のないものを訳す時は、訳語は「考案」となる。
前者の日本語らしくは、こうした問題にぶつかる。いくら日本語にしようとしても、日本に訳す対象が存在しない場合である。さらに民族の性格や、風景、気象条件、地形などの相違もあるが、これはなんとかなる。完全な日本文とは、違和感なくスラスラ読める日本文のことである。大衆小説、新聞記事などさほど深く思考せずに読み飛ばせる文のことである。
かなりベテランで翻訳のやり方に熟知している翻訳者でも、読みづらいと、苦情ではないが、依頼者から嘆かれることがあると、本人から聞いたことがある。翻訳文の限界ともいえる。異文化の臭いを完全に払拭すれば、よいのか、或いは、完全に払拭できるのか。どうしてもたどたどしくなる。うまく語調が流れない。それを外国語として仮定して読んでみると、うまく流れる場合もある。
つまり、単語の問題だけでなく、語順や文構造の問題があるようだ。表現スタイルの問題もある。ロシア語の語順で、日本語に訳してどうにかうまく結合しながら日本文を作成して、読んでみるとかなりへんてこな感じになるだろう。それに言い回しがくどい。さらに日本語には関係代名詞がない。関係代名詞のような接続詞があると、どうしても文が冗長になる。日本人からみてやたらに長く思われる文は、訳してみると、日本文には馴染まないように思われる。
本来、日本文は短文なのかもしれない。だから主文が文の最後にきても、苛々しなのかもしれない。副文と主文の距離が短いから、結論部が最後にきても、支障がないのかもしれない。ところが西洋の文化が入ってくると、全てが冗長になる。関係代名詞型の接続詞が存在すると、確かに一つの代名詞が多くのセンテンスを受け持つことができる。そして文が長くなる。日本文でこれをやると、どうしても結論部、主文が文末にくるので、読み手は読み終えるまで、じっと我慢しなくてはならない。
形式的には、欧文をぶつ切りにして、一つの長文から多数の短文を生み出すことはできる。しかし、そんなことをしても、現代の生活にはマッチングしないだろう。現代文は長いのである。そしてくどく、しつこく、あっさりせず、潔くなく、だらだらしている。現代文の特徴は、そのまま現代人の特徴かもしれない。
日本語らしく完全にするということが、現代の日本文をさすとすると、今の日本文はずいぶん、西洋化しているといえる。しかし、この西洋化した日本文を江戸時代まで戻すことはできない。したがって、現代の日本文を仮に純粋日本文としておく。
さて、欧文の場合、基本的に主語、述語(動詞)、目的語となる。日本文の場合、主語、目的語、動詞となる。このへんからしても、語順が一致しない。例えば、露語、英語、中国語ではこの語順は一致する。これだけでも、日本文と欧文は、うまくかみ合わないのである。そのため、訳すと、「主語、目的語、動詞」の語順となる。これは単文だからよいので、複文になるとさらに面倒になる。欧文の場合、主文を文頭に置くことで、副文に冗長の権利を与えている。読者は最初に「結論」を知るので、副文における「説明」を比較的落ち着いて読むことができる。日本文の場合、文は副文から始まるので、文末にくる主文の登場を苛々しながら待つことになる。
日本語らしくとは流暢に読めることだろう。先にも述べた語調というものがある。こんなことを聞いたことがある。ある外国人が「午後中」と言ったら、語学の先生が「午前中とはいうが、午後中とはいわない」と説明したことがある。なるほどと納得していたら、テレビの報道番組で有名キャスターが「明日、午後中に・・大統領が来日します」と堂々と伝えていたから、驚く。午後とは、夜中の「零時」までさすという説もあるが、夕方までと考える人もいる。それとはまったく異なる解釈をしていた。すっかり語調の問題と思っていた。午前中は言いやすいが、午後中は言いにくい。濁音の問題かと思っていた。
そして意味として日本語らしいということだ。例えば「サモワール(самовар)」という言葉がある。「湯沸かし器」のことだが、まったく異なるものを想像するだろう。「茶釜」のほうが近いのかもしれない。ある言葉を他の言葉に移し替えるのが翻訳だ。そのもの自体は存在しないが、そのものに近いものに置き換えていくと、最初は僅かな相違だったものが、仕上がってみると文の景色が一変するかもしれない。ちょっとした違いも、積み重なっていくと、まったく異なるものが誕生するかもしれない。
「日本文としては異例であっても、西洋なものはどこまでも西洋のものらしく移しかえなければならないという説である」
これは、そもそも外国には同一のものは存在しないのだから、へんな料簡をおこさず、あるものはあるものとして、素直に受け入れるというものだ。日本語は便利でカタカナという表現法がある。外来語を発音のままカタカナ表記という手段もある。そこからが大問題となる。意味が分からないからだ。
「ロケット」という言葉がある。これは外来語で日本語ではない。今は誰でも宇宙へ向かって飛ぶ飛行物体であることぐらいは分かる。これは映像技術の発展と関係している。実物を写真、映像、ビデオを見ることができるから、「ロケット」のイメ-ジについて説明はいらない。その前の時代になると、写真も映像もビデオもない。言葉に説明的要素を入れるか、言葉とは別に説明を入れる必要がでてくる。仮にその時代に「ロケット」で押し通し、説明を入れても、それ以外の情報がないので、読み手はまちまちに解釈してしまう。これは単語の場合だが、表現様式もある。さらに考え方の相違、価値観の相違などもある。
少し切り口をかえてみる。たどたどしく日本文としては拙劣な部類に入るが、原作者の意向はよく反映している訳文を仮定してみよう。翻訳する場合、魚が川の上流を目指すようにひたすら日本語の語調、日本文化に融合しようと原文の本質を忘れてしまう傾向がある。読み手である日本人は、日本文として上手であると、訳文を意識させない文として賞賛することがある。しかし、そのことと、原作の意味、本質を正確に伝達できているかは、別の問題である。原作に忠実であろうとする時、母国語が二次的になってしまうことがある。これは直訳であるとか、意訳であるとか、そうしたレベルの問題ではなく、翻訳そのものがかかえる本質的な問題である。
訳者が日本文をこよなく愛する読み手を意識しすぎて、ひたすら日本語化にはしり、原文の意味から大きく逸れてしまうこともないとは言えない。これは、語学力の乏しい年配者と語学力はあるが、読み手に媚びるベテラン翻訳者にみられる。上手い日本文に訳されているからといって、訳文が正しいという保証にはもちろん、ならない。
「日本文としては異例であっても、西洋なものはどこまでも西洋のものらしく移しかえる」日本文として異例であり、違和感がある。読み手は、これを嫌う。それ故、翻訳者は異例とか、違和感のある部分を均し、平準的な日本文にして、場合によっては、大胆に飛躍させて換骨奪胎となる。プロの翻訳者をしばらくやった経験のある人ならば、分かるかもしれない。正確な翻訳文として自信をもって提出しても、日本語として馴染みのない表現が多々あると、下手な翻訳として評価されてしまう。
「初めのころは自分の作品の翻訳が自分に従属することを求め、フランス語の原文に最も近く行くものが最上のものと思われた。忽ち私は自分の誤謬に気がつき、現在では私の翻訳者にけして私の言葉や句に束縛されぬように、私の作品にいつまでも身をかがめぬようにお願いする」(アンドレ・ジイド、フランスの小説家)
すきに訳していいということだが、このテ-マは、今は触れない。実務翻訳の場合、一般に原作者は、翻訳の従属を求める。というより、翻訳について、さほど深く考えたことがないといったら、正確かもしれない。訳した文を読む。それだけである。読んで分かったら、良い翻訳で、分からなかったら、悪い翻訳に分類されてしまうかもしれない。
翻訳も新しい時代にぶつかっている。翻訳だけでない。文字文化が危機に瀕している。スマホを代表とする映像が瞬時に移動する時代となった。それに対応する言葉が誕生する前に現実の映像が目に飛び込んで来る。どうやら文字を書いて伝える必要性は刻々と小さくなっている。「あれはなんて言うの」と質問する前に次々と現実の映像が展開していく。考えさせない。思考する力を徐々に奪っていく。会話には文字は使わない。音声と映像だけの世界である。まさに動物の世界である。音と絵だけで全てが表現される。
これからは新しい訳語は生まれないかもしれない。原文の単語を、カタカナなどを使って、発音表記し、映像を添付して終わりかもしれない。母国語の単語が、一瞬に地球の裏側まで映像を飛ばせる通信技術のおかげで、国際語になってしまう。翻訳は最早いらない。そこに存在する単語はすでに国際語なのだ。原語が国際語のなれる時代となった。現代技術で人類はすでに一つの視界、映像を瞬時に共有できる可能性をもっている。ハイテク映像によってもたらされる共通環境の舞台に人類全てがのぼる日も遠くないかもしれない。
翻訳の長年の課題は、異文化の仲介であり、ある国の言葉を他の国の言葉に置き換えることである。しかし、一つの物体、現象を同時に知覚できることは、この課題の半分以上が解決される。それでも、これは具体的物体については言えるかもしれないが、例えば「哲学」のような概念は視覚の対象にならない。「心」は映像化できない。「痛い」という言葉は映像化できない。爬虫類の「ワニ」は映像化できる。「哲学」にしろ、「心」にしろ、「痛い」にしろ、物体でない。
これからは、映像化できない範疇が翻訳の対象となるかもしれない。カメラで撮影できない、映像化できない単語が翻訳の中心となるだろう。抽象名詞の世界が翻訳の対象となるのだろう。そうなると翻訳ロボットは精度さえ上げればすむかもしれない。散文的部分はそうやって、翻訳が単純化するかもしれないが、韻文的な部分はどうするか。
「西洋なものはどこまでも西洋のものらしく移しかえなければならない」こうした感覚そのものがそもそも時代錯誤なのかもしれない。異文化がもの凄い速さで流入してくる。うっかりすると、時代から置き去りにされるかもしれない。「何よりも先ず完全な日本文になっていなければならない」
すでに「西洋なものはどこまでも西洋のものらしく」なっているではないか。逆に日本的なものを探すのほうが難しいかもしれない。日本文化が消えつつある。それとも、新しい日本文化が始まりつつあるのか。これは、別のテ-マとして立てないといけない問題だ。ここでは翻訳のやり方だけに絞ることにする。
結論からいえば、日本文らしく装い、そして完全な日本文にしてしまうことである。外国語と異なり、日本文になると誰でも参戦してきて、一端のことを平気で言うから、始末に困る。一瞬、全ての日本人が小説家になれる時である。我々自身には、日本文とは何か、一定の定義がないのかもしれない。外国語の評論のほうが、比較的容易いかもしれない。何故なら批判できる人が極端に少なくなるからだ。
ネイティブにとって、母国語ほど奥深いものはないかもしれない。いくら外国語に堪能でも、母国語に比べたら、恥ずかしくなるほど少ないだろう。もちろん、バイリンガルなどもいるが、この場合、これは対象としない。思考言語のことである。あらゆる言語の中心にある言語のことである。翻訳も含め、そこから始まり、そこで終わる言語のことである。起点であり終点である。それが日本語だ。
いろいろアプローチして、究明してもどうも今ひとつよく分からない。少し実践論的に考えてみる。最近は外国文の文体、文構造は捨てるようにしている。ある一定の文の塊をとらえて、例えば、一頁全体とか、一段落で、何が言いたいのか、原作者の本意はどこにあるのか、そこに集中して文意の本質を探るようにしている。文意の本質を把握したら、自分の文章力だけを頼りに翻訳文を仕上げていく。そこに本当の実力が出てくるのかもしれない。しかし、実際には「文体、文構造」を捨てているようで、捨てていないのかもしれない。それに相応しい日本文の「文体、文構造」を探し出し、嵌め込んでいるのかもしれない。
下記に二葉亭四迷の苦悩について紹介するが、少しは参考になるかもしれまい。
「...で、外に翻訳の方法はないものかと種々いろいろ研究して見ると、ジュコーフスキー一流のやり方が面白いと思われた。ジュコーフスキーはロシアの詩人であるが、寧ろ翻訳家として名を成している。バイロンを多く訳しているが、それが妙に巧うまい。」「けれども、これをバイロンの原詩と比べて見ると、其の云い方が大変違う、原文の仄起(そっき)を平起(ひょうき)としたり、平起を仄起としたり、原文の韻のあるのを無韻にしたり、或は原文にない形容詞や副詞を附けて、勝手に剪裁(せんさい)している。即ち多くは原文を全く崩して、自分勝手の詩形とし、唯だ意味だけを訳している。」「其処で自分は考えた、翻訳はこうせねば成功せまい、自分のやり方では、形に拘泥するの結果、筆力が形に縛られるから、読みづらく窮屈になる。これは宜しくジュコーフスキーの如く、形は全く別にして、唯だ原作に含まれたる詩想を発揮する方がよい。」「何故かと云うに、ジュコーフスキー流にやるには、自分に充分の筆力があって、よしや原詩を崩しても、その詩想に新詩形を附することが出来なくてはならぬのだが、自分には、この筆力が覚束ないと思われたからだ。従来やり来った翻訳法で見ると、よし成功はしない乍らも、形は原文に捉つかまっているのだから、非常にやり損うことがない。けれども、ジュコーフスキー流にやると、成功すれば光彩燦然たる者であるが、もし失敗したが最後、これほど見じめなものはないのだから、余程自分の手腕を信ずる念がないとやりきれぬ。...」(二葉亭四迷「余が翻訳の標準」)
これをやるにはかなりの知識と才能が要る。この亜流程度で我慢するほか、ないのかもしれない。実務文では、文体はさほど重要視されない。それより、文構造である。この場合、シンプルこそベストである。情報伝達が最大目的であるから、簡潔、明瞭、単純であることが必須条件となる。文の雰囲気で読み手の心を揺さぶる必要はない。当然、文学青年や文学少女に実務文を書かせてはいけない。実務文は無個性であるほど、使命にかなっている。
たしかに、原作者の個性に合わせて「文体」や「文構造」を巧みに扱うことができるのならば、それは名人の域に達しているといえるだろう。それは不可能かもしれないが、翻訳者たるもの、そこは諦めてはいけない。理念としは常に堅持すべきである。
結局、問題の提起が現代環境の中では、あまりにも複雑すぎて、的が絞りきれなくなってしまうほど、大きすぎるのかもしれない。ヴァレリ-によると「人類最大の発明の一つ」は「過去と未来」の発明である。そこから必然的に言語が要求されるようになる。最初は「記録手段」として、そして後に「思考手段」となって、人間の知性を飛躍させたのだろう。
実務文は記録という点だけからみれば、「過去と未来」を受け持つわけだが、その意味では、何の工夫も、装飾も加工もない「文の原木」といえる。長年、文学好きから、文の原点は文学の文章と思い込もうとしていたが、科学的に考えれば、実務文が原点となる。人間が文学へ、小説へ、詩へ辿り着くまでには、だいぶ時間がかかっている。生活・生産の伝達関係にゆとりが出てきた時からだろう。人類がばらばらな生活圏、文化圏を形成するから、民族が異なり、ばらばらな言語が誕生したのだろう。そして時代がすすみ、科学技術が発展すると、民族と民族の距離を一気に縮めて翻訳が必要となってくる。
こうしてみると、翻訳というジャンルの歴史は短い。そしてその命もまた短いかもしれない。翻訳が存在しない世界とは、民族が一つになった時である。そんな時代が本当に来るのか、もちろん、確信などあろうわけもないが、それはそれで興味深いことでもある。民族が異なるから言語が異なり、翻訳が必要なわけだが、仮にそうした未来がやってきた場合、ある言語に他の言語を合わせるということではない。全ての言語が融合するという意味だ。未来の技術はそれを可能にするかもしれない。
提起した問題に関して、結論というものが出しにくい。昔は「相対立する二つの説」が成り立ったのだろう。現代では、このように対峙するような問題設定は意味をなさないかもしれない。考察しながら、焚き火に乾燥した薪をくべた時みたいに、ぱちぱちと小気味よい音を立て、次々と論破されていくような錯覚に陥った。
魚釣りの季節はすでに始まっている。土曜日になると始発に乗って、荒川の上流に向かう。独りだけで自然に分け入り釣りをする。これはこれで小宇宙なのだ。鉤に魚がかかったほんの一瞬だけが、全てを忘却する。その前後は、雑念で満たされ、翻訳のやり方とは、仕事のこととか、日常の些事とか、あれこれ考えている。無我の境地にいられた時は、人生であったろうか。
ロシア語上達法(36)(翻訳と精神の自由)(幸福と孤独) (2018年2月18日更新)
「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない-これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響をうけさせることが、果してこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるか、どうか、疑わしくなる。私は、質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも、より多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」(『日本滞在記』タウンゼント・ハリス著、アメリカ初代駐日総領事)
ハリスは、1858年に米国代表として、初めて日米通商条約を結んだ人物である。この滞在記を読んでいると、いろいろと考えさせられる。
昨夜まで雨が続いた。増水しているにちがいない。朝早く始発に一時間は乗る。まだ薄暗く、廃墟寸前の駅があった。かつては栄えたと思われる駅前広場は舗装もされず荒れて、商店はすっかり消えていた。途中、狭い畑で顔を白い布で包んで仕事をしている人たちがいた。カニのように屈んで動かなかった。ゆっくり坂道を降りていくと、遮断機のないちっぽけな踏切があり、急ぐ小さな自動車とすれ違った。道路を曲がると、凸凹の細い道が下っていた。左右には樹木が鬱蒼と続き、今にも小動物が飛び出してきそうな暗い竹藪を抜けると、丸石がごろごろしている河原がぱっと開けた。所々に大きな岩が、靄の漂う川面から突き出ていた。遠くで銀色の魚が跳ねた。深緑の苔にまだらに覆われた岩の上で小さなカワセミが狙っていた。朝陽が透き通った空気を水平に貫いている。小鳥の囀りとせせらぎだけの世界、対岸に連なる高い樹木は、まだ眠りから覚めなかった。
かなり前に、初めてロシアの地を踏んだ。吹雪いて、視界のない空港上空を長い間、旋回して厳寒の真冬がロシアだった。小説ならば、密命をおびて甘い誘惑が待っているのだが、現実はごつい顎のまわりが毛むくじゃらのシベリア熊みたいな大男が運転するタクシーに乗って、中心街のホテルに泊まった。二重窓から凍てついた白い高層ビルや広い道路を見ていると、異世界に迷い込んだと錯覚した。
地球が誕生して46億年、ヒトが誕生して500万年、恐竜時代の2億年と比較すると、はるかに短い。原爆が雨あられと降って、滅びたとすると、恐竜より劣等の生物ということになる。初めて大脳のきわめて発達した生物が人間だが、もし絶滅するようなことがあれば、大脳構造の設計に大きな欠陥があるのかもしれない。
新種の人類が誕生するまで、5000万年とか、1億年かかるとか、言われる。それは、最早、人類とは言えないかもしれないが、仮に人類バ-ジョン2としておこう。ほぼこのタイプの知的高等動物、大脳のきわめて発達した生物としておこう。この大脳の構造が完成するかもしれない。地球の寿命は後20億年から30億年と一般には考えられている。途方もない未来の話だが、新種の生物誕生には十分時間はある。
ハリスの時代に見た正直と質素は、今の日本には馴染まない。不誠実、虚偽、金銭欲が現代社会に充満している。もし、これが一人の人間を形成しているとすれば、その人間はどんな人だろうか?いろいろ調べてみたが、ぞっとすることだが、これが現代人の特徴である。つまり、特に異常なわけではなく、普通の人であり、凡人であり、俗物である証明でもある。芥川龍之介の「羅生門」に出てくる老婆も、下人も、羊頭狗肉の売り子も、千年前からいた。
「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺むかれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから」
「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己とに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」(夏目漱石「こころ」)
生きることは単純なことだが、複雑なことでもある。人は他人より偉くなろうとする。社会がヒエラルヒーであることから、必然的なことかもしれない。会社などでも、どうみても自分より能力の劣ると思われる人が上司になることも、けして珍しくない。この世、理不尽なことは山ほどある。それが現実であり、現実からは誰も逃れることはできない。全ては他人との比較で成り立っている。絶対評価というものは、なかなかない。唯一残されている方法は、自分のために生きることである。自分を大切にして、他人と比較しないで、自分独自の道を開拓することである。この世の枠組みから出る勇気を持つことである。
このことが分かったのは、かなり後のことで、40歳を過ぎた頃だったように記憶している。何事も深く考えないといけない。本当に困惑しているのは、「認知症」の門前で徘徊する高齢者である。
「生まれた時から嘘つきでした。生きるために嘘をつきました。死ぬ間際は、“認知症”になって嘘つきになりました。この世の“本当”は何でしょう」
とにかく「威張って」おり、すぐ「ぶち切れ」、語る過去が全て「嘘」であるのが、老人の特徴である。「往生際」が悪く、「死生観」などなく、迫り来る「死」を前にして狼狽える。これが人間なのかもしれない。
少し翻訳で気づいたことに触れておく。コンテキストには注意を払わないといけない。それが過去形で訳したらよいのか、現在形なのか、未来形なのか、文の前後関係から判断する。これは特に動作の名詞と前置詞を結合する場合や、仮定法が出てくる場合、重要になる。例えば「при его приходе」とある。これは「когда он пришел, когда он приходит,
когда оно придет」と三通りの意味が浮かぶ。仮定法では「он пришел бы」だと、「彼は来たろう、彼は来るだろう」と過去と未来になる。これもコンテキストから判断する。
こうした名詞と前置詞の結合は、文の作成で、必要になる時がある。特に前後の動作が近い時とか、同時の時とか、時間の関係を無くす場合とか、簡潔に書く時とか、文に一定のスタイルを与える時とか、いろいろな場面で必要になる。
ロシア語関係者は非常識な人が多い。特に大学の先生だと尚更だ。人生、一度は社会に出て真面目に働くことも必要だ。「だんな、人格など求めないから、上から目線で説教することだけは止めてくれ!勲章ばかり欲しがる“ちんけな奴”ばかりだ。自画自賛、自己陶酔、異常な自己愛、耽美主義、この社会を腐敗させる全て要素をもっている俗人のくせに...」と、歯のない乞食が橋の下から叫んでいた。怖くなって場所をかえた。
釣りをしていると思いがけない遭遇をする。一度、梅雨時、雨上がりに若い女性が背後を通り過ぎたことがある。朝、6時頃のことである。もちろん、人家などない、山深いところである。それも登山着ではなく、普段街にいる時の格好である。しばらく、こちらを見ていたが、少し釣りをして振り返ると、消えていた。今に至っても、合点がいかない。車では来られない所だ。山女の化身だろうか。憑かれて、よく人が溺れる。
コンプライアンス問題にも触れておく。真実を明らかにして、仕事を打ち切られた経験のある人もいるだろう。不正、違法行為は隠蔽すれば、一時は凌ぐことができるかもしれないが、これは表面的なことである。自社愛は誰も同じだろうが、最も怖いのは法律ではない。よかれと思ってやった幹部の行為が、ウイルスのように徐々に会社を腐敗させることだ。人の心は腐りやすい。超一流企業のデ-タ改竄など不正行為と、信じられないことが起こる。
「こんな奴は、クビにしても、へっちゃらだ」と、購買部の老人。常に発注者側にいるから、成長できない不幸な人間群。人権の価値も、言論の自由も、思想信条の自由も理解できない俗物という権力に従順の羊たちの群れ。
翻訳の質は、翻訳者と依頼先の関係によってかなり左右される。先ず信頼関係である。これには時間がかかる。さらに翻訳対象である。ライフワークにしてもよいと思えば、無償もありうる。生涯一度もないかもしれない。次に報酬問題がある。かなり敏感で微妙な部分だ。世間相場もあるし、それ以上もそれ以下もある。価値の問題だ。いくら市場経済でも、需要供給で価格が決まるとしても、真の価値は不変かもしれない。その時、安値でも将来、高値になることはよくあることだ。物品であれば、クールに判断できるかもしれない。無体財産だと、評価が難しくなる。血が通う人間が制作したものは、軽んじてはいけない。全てはブ-メランだ。メドゥーサのように必ず舞い戻って、目の前で睨み付ける真理が存在する。
最早、翻訳を量で計算して料金を決める時代から決別しないといけない。日本の産業全体にいえることだが、付加価値を高め、高品質のものを高い価格をつける発想にしないといけない。「品質の高いものを安く売って競争に勝つ」時代は終わりにしないといけない。これは後進国の産業スタイルであり、長時間労働と低賃金という前提の上で成り立つ。「品質の高いものを一円でも高く売って競争に勝つ」時代の幕を開けないといけない。短時間労働と高賃金の社会を形成するよう根本的に考え方を変えて、産業構造を改革しないと、少子化、高齢化社会を乗り切ることはできない。いつまで高齢者を働かせるつもりか、生産性が低く、低賃金の老人は生産に参加させてはいけない。有効労働人口の生産性を大幅に引き上げ、高賃金、短時間労働にして、税収アップさせ社会保障に回し、老後という第二の人生を豊かにする責任はある。
これには、漠然と高品質なんていっても意味がない。他社で出来ない、他国で出来ない技術を開発するほかない。次から次と、独創性の高い新技術を開発して、けして他を寄せ付けない技術のことである。世界で一つの製品であれば、高い値段がつく。国は大きく舵を切ったほうがよい。遅れれば遅れるほど、日本は埋没の深い闇の中を彷徨うだろう。理念、イメ-ジを変えることだ。比類無いオリジナリティの製品を開発し、世界に最高値で売り込み、沈没寸前の高齢者という巨船を救うことだ。時間が無い。金融商品など戯言だ。そんな暇があったら、ス-パ-新技術の開発に国力を全力投入すべきだ。事態は深刻で切羽詰まっている。
翻訳も少しでも高い翻訳をすることだ。料金は二倍三倍とれるように、工夫しないといけない。それには、難易度によって、内容によって、翻訳料金は変える必要がある。何でも、バナナのたたき売りみたいに一枚いくら、なんて方式は廃止すべきだ。高い翻訳料金が主流となるように関係者は努力する責務はある。これは前記の産業構造と同じことで、いかにして料金を上げ、良質の翻訳、高度で独創性の際立つ翻訳を考え出し、文化水準を上げることだ。翻訳者に豊かな生活をさせることだ。そうやってゆとりある精神空間から、内容ある翻訳が生み出される。日本全体の生活水準を向上させることが、今後の日本の生き残る道だ。
ロボットで出来るものはロボットにまかせ、人間にしか出来ないものに、全てのリソ-スを投入する。独創性、オリジナリティといっても、何のことかよくわからない。きわめて抽象的な表現だ。今の世界に立脚した考えでは、大発明は生まれないだろう。ここからは筆者も分からないが、問題提起だけとする。とにかく、現状が継続すると、深く暗い谷間に這入り込み、身動きも出来ず、立ち往生して、遠い豊かな昔を回顧しながら、絶望的な没落となるかもしれない。
昼頃、川から離れた。冬は太陽の位置が低い。背中から射す斜陽の影法師が息を切らしながら、崩れかかった細い坂道を登っていった。帰るところがないのに帰ろうとする帰巣本能に身をゆだねながら、徐々に解決策のない日常が迫ってくる。もし妥協がこの世に存在しなかったら、とっくの昔に全てが灰燼となって、生命のない荒野が無限に連続するのだろう。神仏混淆の建物の真裏に暖簾が逆さの蕎麦屋があった。強い力で早足になっていた。路傍にフキノトウがちょこっと淡い緑の顔を出し、生気のない、黙示録の街が春を待っていた。
「これが若し琴を以て身を立てようとする人であったら、師匠に破門せられて、別に一流を起すという質かも知れない」(森鴎外「ヰタ・セクスアリス」)翻訳もそうだが、どの世界でも、師匠に破門されるほどでないといけない。破門を奨めているのではない。「出藍の誉れ」ともいう。弟子とは師匠を超える義務があり、使命でもある。さぞかし超える弟子を頂から目を細めて眺める時には、過ぎし日々が去来してしみじみとするものかもしれない。これは立派な師匠だが、俗物師匠だと、弟子を食い物にして病臥から怒鳴って地獄へ邁進する。
寒椿一輪が足下にぽとりと落下した。熱に浮かされたように「もう一段、レベルを上げないといけない」と呪文のように聞こえてきた。こうなったら極限まで行こう、まだ見ぬ孤高の峠に行けるものなら、全てを捨ててもよい。とぼとぼと、どうでもよいことで喜怒哀楽する俗人たちの群れに帰る。ここに仲間がいる、ここが故郷だ!
ロシア語上達法(35)(翻訳と精神の自由) (2018年1月3日更新)
本年も宜しくお願い致します
東北の温泉に浸っている。ぱらぱらと粉雪、跳ね返る太陽が眩しい。今日から明日、明日から明後日と....。
温泉から帰ってきた。現地は大雪、朦朧とした湯気の中でぼんやりしていた。
灯りをもってサクサクと地面を踏む、一羽の鳩がじっとして動かない。森の遠くがゆっくりと橙色に染まる。今朝も息が白い。オフシーズンだから、釣りができない。3月が待ち遠しい。
太宰治の「清貧譚」は二度目である。江戸時代のこと、菊の精が人間に化身して、菊の栽培にぞっこん惚れ込み、全ての財を注ぎ込み、ひたすら見事の開花にのめり込む花栽培人に軽く手を差し伸べる噺である。ほのぼのとした短編で気に入っている。現実はそうはいかない。
翻訳といっても、実務関係、文学文芸関係、日常私的な関係がある。実務関係は、工業と商業に分かれる。契約書や業務関係の文書は、商社の人間が主に自分で訳す。工業関係になると、ほとんどが外注となる。このへんが収入のメインとなる。プロとして翻訳を生業とするには、一定のプロセスを誰でも通過しないと、なれない。先ず留学する。帰国して大手に翻訳会社に入る。そこで10年間くらい修行をする。そして独立してフリ-ランスとして生きる。実際は、これが様々に変形した複雑なものである。翻訳は誰でも出来るようで、誰でもが出来るわけではない。誰かにやり方を教えてもらう必要がある。しかも給料をもらわないといけない。これはプロの世界である。無給はない。給料をもらって教えてもらう。アマチュアの教養学習ではない。それには、翻訳会社に入って、教えてもらいながら、給料をもらうほかない。これはかなり難関だ。空きはほとんどないが、まったくないわけでもない。自己流でやっても、時間の無駄になる。翻訳会社といっても、しっかりと人材育成できる体制がないと入ってもしかたがない。
プロの翻訳者にとって最も重要な点は、いかなる場合も誤訳をしないことである。原因は、翻訳者の技能不足と原文の不完全。片方の場合もあるし、両方の場合もある。もっと深く考えると、原意がつかみ取れないことがしばしばある。作者に聞くほかないのだが、先方はけっこう不親切である。そこを理解するのがプロという人もあれば、どうせプロといっても、専門外なのだから、分からないのは当たり前といって、知らん顔の人もいる。しかし、いざトラブルになると、翻訳者のせいになるから、慎重にあたらないと、“冤罪”になることも珍しくない。
本当のプロはロシア語では10人くらいしかいないらしい。この人たちは、年収1千万ぐらいあるということだ。通常、年間2千枚ぐらいは訳す。ただ、コンスタントに毎年この枚数を維持するとなると、かなり大変だ。年齢と共にこの枚数は、質を変えて減少するが、収入水準は維持される。500万前後だと、もっといる。平均だと、300万ぐらいかもしれない。これは推定であり、客観的根拠があるわけではない。
最初は量をこなす必要がある。どこにあるか、大手翻訳会社である。もちろん、商社やメ-カからダイレクトにとることもできるが、最初はやめたほうが無難である。翻訳会社に空きがあったら、うまく這入り込み、“丁稚”をしばらくやる。そこでこの業界の実態を知り、また技能を向上させ、翻訳をさせてくれるチャンスを待つ。しばらく真面目にやっていれば、必ずやらせてくれるから、10年間ぐらい辛抱となる。そうなると独立はいつでも出来るから、慌てることはない。残留もできるし、出て行くのも自由である。後の運命は、腕しだとなる。
独立すると、営業をしないと仕事はない。これはかなり難儀でハ-ドである。会社にいた時のリソ-スも役立つ。どうにか時間をかけて励めば、そのうちに何とかなる。以上、簡単な顛末だが、価値があると思えば、やればよいし、そう思わなければ、他の道もあるし、それも山ほどあるから、楽観的に考えられるか、どうかだ。「...人間至る処青山あり」
翻訳を依頼する場合、当然、相手を確かめる。無闇に出すことはない。今まで、原石の中に光るようなものを感じたことは、そうはない。ほとんどが、どこにでもいるようなタイプである。それは望んでいない。ときめくやつだ。チャンスは誰にでもある。最も困るのは、不遜な高齢翻訳者。とにかく威張っている。年だけ取って腕の衰えた層である。仕事などあるわけもない。それほど大物でないにしろ、晩節を汚すことになる。
田舎に住んでいると、ロシア語どころが、外国語なぞ、まったく知らない。非文明的なところがある。それでいて、中国やロシアのことを物知り顔で語る。ほぼ全て間違っている。その原因は、事実について知識がないからだ。知らないことは、誰が語っても、不正確であり、意味すらない。例えば、韓国とロシアのGDPはほぼ同じという。しかし、ロシアには数千兆円にもなる天然資源がある。現金は少ないが、倉庫には物が山ほどある。
ロシアは自給自足できる国である。食糧から鉱物資源にいたる全ての原料を自前で調達できる。ほぼ現代の工業レベルを維持しながら、鎖国してもやっていける国である。世界で自給自足できる国はきわめて少ない。政治も経済も、同時代人はとかく見誤る。現実に立脚して物事を見ることは重要だが、大局的、歴史的視点も必要である。現代が今の文明でどのような位置づけなるか、この見方は判断する上で大きな役割をはたす。
いつのことだったか、正確には覚えていないが、たしか、プ-チン氏の大統領教書で「могучая держава(強国)」という発言があったように記憶している。この言葉を目にした時、かなり当惑した。どのように解釈すればよいのか、再び大国を目指すのか、それとも、たんに民族の精神性をいったのか、よく分からなかった。今日をみれば、大国の復活を意味してといえる。だからいつまでも辞めないのかもしれない。それが達成したら満足して、引退するのかもしれない。しかし、それほど重要なことなのか、他民族の一人としては、理解が及ばない。
一つの文明が終焉する時、前兆として必ず、規則や管理が厳しくなる。それは社会が乱れ、歯止めがかからなくなっている証拠である。乱れた原因はこの文明そのものにあると、認めても、すでに抜き差しならぬところまできており、対処療法、延命措置しかできなくなっている末期症状である。打てる手は限られており、その限られた方法でさえ、気休めにすぎない。座視するには、あまりにも精神が軟弱すぎ、いてもたってもいられなく、熊のように部屋の中を行ったり来たりする。
危機の前は常に静寂である。誰も気づくことのない微かな兆しで始まる。満天の星、快晴の空、至福の時に訪れる。不意を突かれる。たぶん、この文明は後退期に入ったのだろう。いくら努力しても、いくら多くの叡智を結集しても、いくら現段階の最新科学を駆使しても、突破できない時代がある。呪文を唱えるほうが精神安定剤になるかもしれない。
人類は虚構を覚えたことで、虚構が虚構を生みだし、さらなる虚構となって、ついには現実の価値を無くしてしまう。自然と調和できず、征服するのが人類の性かもしれない。それが人類たる所以かもしれない。しかし、やめられないし、やめることはできない。そのうち、もっと完成形の生物が登場するかもしれない。
空想しながら酔いしれ、浸って、川から這い出て小動物みたいに身震いさせ、はっと浮世に戻る。そろそろ東の空に一年最初の陽が昇るはずである。あらぬ方向でピカッときたら、どうしよう。雷光だったらよかったのに.....。
少し、文構造についてふれてみたい。文は単文と複文からなる。単文が結合したのが複文である。複文には並列複文と従属複文がある。一般的に文構造が簡単なのは、取説、技術書、契約書、法律文等で、普遍人称文や副動詞などを使うのが、文芸文学である。理由は言うまでもなく、前者は客観的情報を伝えるためのものであり、後者は感情にうったえるものであるからからだ。前者は人称文でも不定人称文でも、無人称文でも可である。ただし現在形であることが特徴で、ひたすら叙事的に記述する。後者は叙情的に表現する。説明文と描写文の相違である。前者は文構造こそ簡単ではあるが、専門用語がけっこう難解である。構造的単純さと、難易度は別である。
外国語を学んでいて最も苦労したのが、「時間」の概念である。それと日本語にない単数形と複数形である。もちろん、日本語でも単数にすることも、複数にすることもできるが、単語の形態そのものからはできない。さて「時間」のことだが、明日のことを語るのは未来形であり、昨日のことを語るのは過去形である。しかし、取説、契約書、法律文には過去形も未来形もない。全て現在形である。ここでは「時間」は意味をもたない。情報を伝達するだけだからだ。技術文も基本的に全て現在形である。実務文は現在形の世界である。こうしてみると、いかに現在形が日常生活でしめている割合が多いことか、若干驚かされる。
ではどこで過去形や未来形が使われるのか、先ず、レタ-、私信、日報等、文芸文学となる。書き手が登場してくると、「時間」が発生する。一人称文では、必ず「時間」の制約をうける。三人称文では、「時間」の関係をなくすことが可能である。文構造を眺めるのは楽しい。この人はこういう文構造を好み、あの人はあのような文構造を選ぶと、様々空想しているだけで、十分満足できる。
若い頃は複雑なものを好んだが、年齢を重ねると、複雑なものと単純なものの組合せができるようになる。そうなると、手法に幅、奥行きが出来て、描写が立体的になってくる。簡単そうで深みのある、燻したような文に惹かれる。
最後にロシアの来年について触れてみる。GDP2%の成長はどうだろうか?専門家の分析では、2018年、ロシアGDPの成長率は1.5%~2%程度。ただし、今年第四四半期、GDP成長率が減速している。注目は、米ロ首脳会談が来年にもありそうな点である。緊張が高まれば高まるほど、収縮圧力も強くなる。そろそろ緊張を解かないと、ロシアは経済モデルを変更するだろう。本格的に一国主義に入るかもしれない。周辺数カ国を仲間に引き入れ、経済圏を発展させる可能性がある。米国も保護主義の傾向があり、これがさらに強まると、世界はエネルギ-問題に直面することになる。来年は本当に波乱にみちている。偶発的なことで、過去に多くの文明が滅亡している。いくら知識を集めても、あまりにも確率が低すぎると、信じられないことになる。これ以上、想像するのはやめたほうがよさそうだ。
優秀な後継者を探している。こればかりは天命である。もちろん、ロシア語翻訳に十分な実践経験のあることが必須条件だが、そう容易いことではない。人事はデリケ-トなことで、互いの人生がかかっている。
来年は、さらにワンステップしたいと願っている。
ロシア語上達法(34)(翻訳と精神の自由) (2017年8月20日更新)
笹濁りの水面の朝靄、対岸がぼやけている。ぽつぽつとまた降り出した。段差から白波の泡に投げ込むと、竿が弓なりになり、今年初めての銀ヤマメの白く太い胴体が跳ね上がったが、取り込みでしくじった。尺はあった。
週二日は休む。土曜日は魚釣り、日曜日はただ漠然と読書。それ以外は翻訳の仕事をしている。鬱病になるから、朝早くウォーキングをする。
盆、故郷に帰ると、墓が真新しくなっていた。長く相続で揉めて、墓のない草ぼうぼう時のほうが、趣きがあった。
「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」
職業には向き不向きがある。不向きな職業につくと、不得手なことに努力して成果もでず、報われても、高がしれている。それでも結果を出そうとすると、アンフェアな行動に走る。同じ素材で同じ物を作らせても、十人十色となる。現実を見つめる能力は、一種の才能。この能力が乏しいと、現実を主観的に解釈する。
存在するものを存在するものとして、認識できる能力は、本質的なもので、持ち合わせている人は少ない。この能力のある人は、当然、人生で成功するだろう。大抵は、自分勝手に解釈する。現実を正確に把握できると、対応できる。現実とは自分自身の能力も含まれる。最も難しい部分で、勘違いが多い。だからうまくいかない。
翻訳の喜びの一つは、言葉の発見である。辞書に載っていない単語、載ってはいるが、他の意味があると分かった時、身震いすることもある。長い間、コンテキスト上、おかしいと思っても、裏付けがない時がある。適当に意訳して我慢するが、根拠が明らかになった瞬間、恥ずかしくなったり、胸をなで下ろしたり、新たな自信となったり、受け止め方は様々だ。この部分の訳がしっくりいかない、前後の流れが悪い、適当に糊塗してしのぐが、それでも、もやもやしたまま、すまし顔でいるが、ひやひやものだ。その意味を求めて、辞書や文献を山積みにして解明に没頭している時は、案外、徒労に終わる。ところが、何気なくロシアの新聞や雑誌を読んでいると、あれ!ここにあったと、発見の歓喜がある。
日本語が全てロシア語に当て嵌まらないし、ロシア語が全て日本語に当て嵌まらない。これは他の外国語にもいえる。言語発展の歴史が違う。互いに外国語だからだ。生活実態の過去が異なるといったほうが正確だろう。翻訳で難儀するのは、この当て嵌まらない部分に出会う時である。言葉だからそれなりに躱すが、未解決であることにかわりはない。現代技術であれば、ナノ精度で結合できるが、言葉は別の次元にある。その当て嵌まらない部分は、翻訳では昔からの問題だ。此方では存在するが、彼方では存在しない。その逆もある。物理的なものもあるし、精神的なものもある。しかし、曖昧なものも、稀ではあるが、発見があって具体的になることもある。これは思いがけない賜物である。人間関係みたいなものだ。
翻訳にもプロセスがある。先ず外形的正確さである。辞書に載っている語意に合わせる。次ぎに本質的な正確さである。これは辞書の問題ではない。作者の本意、文の本意の問題である。こうなると途端に難しくなる。神のみぞ知る分野だからだ。作者に直接会えればよいのだが、現実にはなかなかそうはいかない。想像の世界になる。そして翻訳対象にもよる。実務から文学と範囲は広い。生産性の高い分野から低い分野となる。
想像したものを文字化する段階が待っている。表現力が問題となる。想像しても、表現力が乏しいと、陳腐な出来栄えとなる。無視される。想像力と表現力に均衡がとれると、かなりとレベルといえる。このへんが一つの到達点かもしれない。「言うは易く行うは難し」
1.語意、2.文意(作者の本意)、3.想像力、4.表現力
全て巧みに融合し、総合されたものがベストだろう。
努力しても報われない、努力したから報われる、いろいろある。目標をもつことは重要だ。確固たる信念にもとづく目標でなくても、曖昧で仮の目標でもよい。兎に角、そうしたものを見つけ出し、そこへ向かって努力して、人生の旅をすると、発見もあるし、出会いもある。
時に自分を他人として客観視し、山の彼方から眺めてみると、案外愉快になるし、人生ドラマが描けるかもしれない。これも術かもしれない。
一点を見つめひたすら生きる、そればかり懲りもせずに続け、厭くことを知らない。極意となる。努力型の人間に警告、嫌いなことを努力して克服してばかりいると、嫌いなことが本職となって、後悔することがある。なるべく好きな道へ進めるように工夫しないといけない。
人生の欠陥は一回限りの本番。流れに逆らってはいけないが、流されるままでもいけない。帆船は、風上に進む。
薄らと、雲が切れて疎らに陽が射してきた。急に暑くなりベストを脱ぐと、納竿した。スマホにワ-キング・メ-ルが入っていた。石だらけの広い川原から背丈近い雑草の繁茂する暗い小道を急いだ。
ロシア語上達法(33)(翻訳と精神の自由) (2017年1月3日更新)
本年もどうぞよろしくお願いします。
元旦、ちらちら粉雪が揺れる。東北寒村の露天風呂で読書。
「孤独の中へ、友よ、逃げろ!」「激しく強い風の吹くところへ、逃げろ!」
(ニ-チェ、ツアラトウストラより)
「品川駅でどっと客が入ってきた。それでも三列席の真ん中は空いている。すっと電車が動き出すと駅弁を開けビ―ルを飲み始めた。走り出すと羞恥心がなくなった。ずいぶん長い間、新幹線に乗っていなかった。景気がよかった時もあった。今は無一文、立ち食いそば屋に入るにも、ポケットの軽い中身をかき回して確かめるようになった。食べられなくなった。
三島付近から右手に富士山がくっきり見えた。車窓から強い陽射しが差し込み、風一つない。朝から車内はほぼ満席、二日前に近所の旅行代理店で切符を購入したので、窓側の席を確保できた。半分ぐらいは背広を着た勤め人、残りはほとんど、時代から見放された老人客たちだった。普段さほどない食欲にも勢いが出たがほとんど箸をつけることもなく眺めるだけだった。突然忘れていた表舞台に出た売れない芸人みたいにまるで要領が分からなかった。通路側席の青年に隠すように駅弁を見つめながら音も立てずに少し口に入れ、ビ―ルの泡が微かに飛び散った。食堂車もなくなった。時間だけが羽根がついたように瞬く間に飛び去っていく。
浜名湖が見える頃になるとずいぶんと酔って、顔もほんのり赤くなっていた。すぐに消えると自信はあった。二三合はなんともなかった。その日、久方ぶりに仕事が舞い込んだ。このままいつまでも旅愁が永遠に続けば死んでもよいと思った。職業は仮の姿、こんなものではないと密かに思っているのだが、それが何か、とても怖くて徹底追求することはなかった。不満の仮の姿と妥協して、本当の姿は常に曖昧にして目を背けてきた。魔法の鏡を愛した。時折対向車と擦れ違うと、車窓が震動して、どすんと、衝撃音がした...。
...文献資料はかなり用意した。近くの図書館からもインタ―ネットからも外国のサイトにアクセスして収集した。それを整理しながら朝から晩まで目を通した。二週間ばかりただ読み続け、それから粗訳に着手した。A四判で三十頁ぐらいの日本語原稿をとりあえず訳した。いわゆる下訳でそこからが難しい。特に国際裁判を前提として権利行使を主張する翻訳はかなりデリケ―トで、神経をつかった。自信はまったくなかった。この分野はやはり素人だと震えながら諦め、迷いに迷った末、後ろめたい気持ちで、日本で一番出来ると評判の気位の病的に高い翻訳者に恐る恐る頭を深く下げ丸投げした。
「あなたなんて、ともて無理ですから、こちらにまかせなさい」
失礼なことを言われても、我慢するほかなかった。しかし、仕上がったものを見ると、もっと相手は素人だった。今更断れないので、今度はお高くとまった外国人にも見てもらったが、でたらめのアドバイスを何食わぬ顔でしてきた。馬鹿にしちゃあいけないと、腹も立ったがほとほと困った。こうなったら自分でやるほかない。この歳で新たな峰に挑戦するとはつゆとも思わなかった。しかし登りきらないとおぼつかない老後に極刑が下るかもしれなかった。いずれ訪れる事態だろうが、その途中で無理矢理に死の業火に乱暴に投げ捨てられことは嫌だった。どうしても残高ゼロから抜け出さないといけなかった。
四方八方手を尽くして集められる文献は全て集めた。それを絶望的な気持ちで隅から隅まで目を通した。さらに二度ほど現場にも足を運んで、専門家に執拗な質問を繰り返した。やっとどうにか本質を理解した頃には三ヶ月以上時間が経過していた。完璧は無理としても、そこに限りなく近づける必要があった。いわゆる剪定だ。どんどん削除し躊躇なく修正して、最初とはまったく異なるものになった。小雪が舞っていた。その年もおしつまる頃になってついに完成した。これで、権利問題で揉めて法廷に立たされ、心中するほかなかった…」
ずいぶん前の書いたものだ。絶望の淵を彷徨した時代もあった。ほんのちょっとしたきっかけで、全てが変化することもある。痺れるような翻訳をした時もあったのだ。あと何度、崖っぷちと達成の歓喜の間を彷徨えるだろうか。
「希望とは精神が下す厳密な予測に対する存在者が抱く不安感にほかならない」不安感と希望はシノニムか。
ソ連時代からロシアの新聞を読んでいる。崩壊前後、記事は連日、センセ-ショナルな刺激の強いものばかりとなった。クリミア併合後、同じような現象があった。ここにきて、面白くなくなった。マンネリ化している。特に経済関係の記事に注目しているが、目新しいものはない。社会が安定すると、つまらなくなる。もう一つ、この二つの時期には、ロシアからの迷惑メ-ルが増えた。セミナ-の招待、デ-タベ-スの売り込み、いろいろ様々な不埒のメ-ルが入ってきた。ところが、最近はめっきり少なくなった。
人心が乱れると、嘘が横行する。心が腐り、最後には社会が腐り、崩壊する。今は匿名でネットにおいて発言できる。表現、言論の自由があるようにみえるが、平気で虚偽の言動もできる。社会は信用の上に成り立っている。それがない社会とは、すでに成立基盤が失われていることになる。政治も経済もそのようなステ-ジになると、瓦解が間近になる。最早、積み木細工のようになっている。わずかなきっかけで、音を立てて崩れるだろう。
外は秋雨、近くの蕎麦屋に入った。入口の木戸は朽ちてかたく、ぐっと力を入れてこじ開けた。窓際の障子戸は、破れ煤けていた。老夫婦でやっている。ざる蕎麦一丁注文した。かなり待たされた。そうだ、すっかり忘れていた、胸内ポケットから一通の封筒を取り出し読み出した。出かける時、玄関の郵便箱が気になった。普段、郵便物は家の者がもってくるきまりなっていた。自分から中を見ることはほとんどなかった。それに年に四五通があればいいところだった。おまちどうと、萎れた嗄れ声で蕎麦が運ばれてきた。つるつるとちょっと音を立てながら、片方の手で手紙を抑えて、読み出した。
「もうわたしのことすっかり忘れたかしら、冷たい人ね、いえ、そんなこととっくの昔のことなので怒る気にもなれないわ、別れて後悔なんてしちゃいません、覚えているかしら、ほら、あの電車の中であなた、早とちりで反対側に走っていたでしょう、そろそろお気づきね、東京駅からずっと一緒なのよ、あの国のホテルの影でわたしを見ていたでしょう、これで分かったわね、わたしなのよ、いい女でしょう、だって落ちぶれているなんて見たくないわ、わたしのプライドが許さないから、生意気に見えない蜘蛛の糸を垂らしたのよ、恩着せがましいことなんて言うつもりなんてなくてよ、なんとなくそうしたかっただけ、どうってことないことなの、あなたはもう大丈夫、わたしの力ではないわ、わたしのほうが感謝したいぐらいだわ、いいもの見せてもらった、それって大切なものよ、愛することを知っているわ、ご迷惑かしら、今、忙しいの、お会いしたいけれど、全国飛び回って、人を探しているから、時間がとてもないの、それに本当のわたしの正体をしったら、興醒めでしょうから、見ないほうがよくってよ、惚れただけなのだから・・、たいがいはだめね、でもね、耳を澄まして見渡すと、いるわ、だからまだいるの、それが役割だから・・、わたしって操を守り通すタイプなの、いつでも捨てる覚悟ぐらいあるわ、お節介のたちなのね、これでお別れよ………、」
びりびりっと破いて、ゴミ箱を探した。老夫婦の姿はなかった。色褪せた紺暖簾の隙間から厨房を覗いたが、人影はなかった。代金をテ-ブルの上におくと、外に出た。小降りになっていた。
いろんな文章を書いてきた。どれもぱっとしなかった。特効薬でもあればと、祈ったこともあった。翻訳していて、一つだけ気づいたことがる。ただ努力を積み重ねても、明かりは見えない。ひたすら、続けていると、内部に熱がこもり、小っちゃな外的契機で十分発火する。大変動する時が必ず到来する。昨日と今日がまったく別世界になる瞬間だ。見限りと、執拗の狭間で苦悶する。自己を信じるか、他者に賭けるか。
家に戻ると誰もいなかった。仕事のメ-ルが入っていた。丁重に断り、手持ちの分を大切にしようとおもった。いくつも掛け持ちしていた時代もあった。仕上がりが荒れた。最近は絞っている。良い仕事をしたくなっただけだ。時間が足りない。
ロシア語上達法(31)(翻訳と精神の自由) (2015年6月27日更新)
感傷に焼きただれた混沌の人生の黄昏にどうにか倦怠の翻訳の仕事も一段落して、懐具合にもちょっと余裕ができ、痴夢を抱いてふらり旅に出た。
電車は欄干のない鉄橋を越えかかると、真下に誘い込む青ざめた深淵が絶壁の崖を削りだし蛇行しながら激しく流れていた。赤錆の橋に運命全てをまかせるほかなかった。用意しておいた酒を静かに口に入れた。甘苦い味が舌に浸潤し、口腔を満たし、ごくりと喉を通過するとゆっくりと染みた。
「自由業が病んで、死期を間近に感じ、力が萎えて仲間も減り、その威信も次第に弱まって、がんばっても報われず、存在感が希薄になり、先が見えてきた...」(ポール・ヴァレリー)
騎虎の勢い、虚仮の一念で学んで、それでどうにか生業とすることはできたものの、友人知己が一人去り二人去り、望まぬ孤独となって、つくづく因果な人生と思うようになった。部屋から出ない仕事なので、しだいに人間づきあいも億劫となって閉塞の空間に溺れ苦悶して、そして誰もいなくなった。
終点に近づくにつれ初恋の人に会うみたいに気持ちが高鳴ってきて、本当はあてもないのに先を急ぐ旅人になっていた。
普段朝遅い、だがこの日に限って熱病老馬の最期の迸りみたいに万年寝床から飛び起きると、食事もとらず出てきて少し空腹感をおぼえた。不揃いの木造住宅がぽつんぽつんとある田舎駅周辺の広場を囲うように林立する若い樹木が、括れた幹をゆやゆさ揺らしている。その隙間から微かな風が人影のないプラットホームを断続的に吹き抜ける。ふあっと漂う白く透明、濃厚な湯気の匂いに誘導されると、ひらりひらり翻る褪せた紺色暖簾に鈍い蓬髪頭を入れ、天ぷらそば一つと、淀んだ声でぼそっと注文した。
いつか来た記憶がある。立ち食いそば屋の面影は昔のまま、埃っぽいくすんだ木造の掘っ立て小屋がこの世と乖離した陸の孤島みたい浮かんでいる。にゅ-っと、しみだらけの手が無愛想にどっさり白葱を載せて淡い唐草模様のどんぶりをさっとつき出した。うまかった。
「決着のつくような論争は、重要な論争ではないのだ」
いろいろ決着のつかないまま、生き存えてきた。それを全て清算したら、さぞすかっとするだろう。貸しも借りもある。帳尻が合っているのか、分からない。
背丈ほどある深い草むらから、最初のルア-は、糸が絡んで川中央にも飛ばなかった。川底の石がくっきりと見える。ゴム長に小さな穴があいているらしく、湿ってきた。徐々に深みに入りながら、長い竿が何度も空を切った。腕に苦痛を覚えても、ぴくりともしなかった。希望は段々と絶望へ向かっていた。岸に這い上がった。朝陽を浴びた紅影の流木に腰を下ろすと、肌寒かった。リュックからお湯を出すと、真横の巨岩の上で鷹がじっと狙っていた。
「じっと待つこと、変わらないこと、この二つは我々の時代には負担なのだ」
進歩と変化は違う。
それより、翻訳の話をしよう。昔は、1枚いくらで請求した。それもかなり大雑把に..。時には2、3割多めに請求してくれと、言われたこともあった。予算にゆとりあって、せこせこしたところはなかった。いつしか、グロ-バル化、市場経済が入ってくると、しだいに単語数、文字数で請求するようになった。つまり一字いくらということだ。そうなると、翻訳者も自然と、文字数を多くして翻訳するようになった。適切な訳語より、文字数の多い訳語を選択するようになり、当然、品質も低下した。依頼者側がケチになった分、翻訳の品質も比例して悪化した。
価格というものは正直なもので、支払った額に見合ったものしか、結局、手に入れることはできない。どちらか、一方だけが得する甘い汁は、歴史的にみてもありえない。一時的幻想、錯覚だろう。流行とは、遅かれ早かれ終焉する。生産性が上がっていないはずだ。
そんなことより、このところ連続して釣果なしだ。朝露の草むらに焦げ茶色の帆布リュックを頭に寝そべると、青空が球状に浮かんでいた。深緑ハットの鍔にシオカラトンボがどこからともなく止まって動かない。しばらく目を閉じた。せせらぎだけが聞こえてた。この2年間、鬱病気味で、ポール・ヴァレリ-の100年近く前の作品ばかり読んでいた。そろそろ宗旨替えをしようと思う。どうやら苦悶の日々から抜け出せそうだ。しだいに淡白な文章を好むようになり、短編を探している。
同じことをひたすら反復していると、異なる世界が待っている。単純な行為を軽んじてはいけない。凡人と才人の違いは、夢と現実が一致していることかもしれない。夢は誰でも語れる、酔えばいっそう饒舌になって、一瞬天才になるが、醒めればただの人に舞い戻る。
ゆっくり起き上がると、リュックから道具箱を取り出し、餌釣りに切り替えた。今度は胸まであるウェーダーにした。そして深みのある川の中央へ向かった。大石回りの渦巻き際に何度も投げ込んだが、結果に変化はなかった。
「もし、すべての人間が等しく明晰で、批評的で、さらに勇気があるとしたら、あらゆる社会は存在できなくなるだろう」(ヴァレリ-)
我々は愚かでないといけないのだ。それを政治家は望んでいる。経済学ばかり学んでしまった。
対岸の河原で大きな犬が走りながら丸い帽子の婦人と戯れている様子が遠くから小さく見えた。さらに一歩進めると、川底がなかった。流れが急に早くなって、ひやりとした。ゆっくり後ずさりしながら、向きを変えて岸に戻った。前進より後退のほうが難しい。
表現をどこまで読者に接近させるか、悩ましい課題だ。翻訳となるとさらに微妙で複雑となる。原作者と読者の間に言葉が二種類かむからだ。一つの作品は当然、その国の読者が読むことになる。そこでさえ、読者にどこまで表現を妥協するか、迷う問題だろう。突っぱねれば、読者は離れていくだろう。あまりに寄り添いすぎれば、作者にとって不本意な結果となるだろう。それこそ、描きたいことでなくなるだろう。理不尽な誘惑と、孤高の間を彷徨うものかもしれない。きっとどこかで無意識に妥協しているのだろう。
そして翻訳となると、このプロセスをもう一度繰り返す。翻訳者は第二原作者だ。異言語が原文に割って入り、遠ざけようとする。母国語と融合させようと苦心するが、うまくできない箇所が必ず存在する。どちらに振るか、原語か、母国語か、堂々巡りとなる。
まさに決着のつかない問題だから、重要なのだろう。相手に寄るか、自分に寄るか、プロは前者に接近するだろうが、職業を捨てれば、自由な身となり、束縛から解放され、最上級のものを創造できるかもしれない。問題は、仮想意識の中で、この心理を維持することだ。勿論、実際に職業を放棄するわけではない。架空の精神状態を作り出すのも能力かもしれない。
近くで見えないもの、具体化すると毀れてしまうもの、ぼんやりとしか存在できないもの、本質とはそういうものかもしれない。曖昧模糊としたものをうっかり掌で握りしめると、乾いた砂みたいにさらさと指の間からすり抜け零れ落ちる。そっと遠くから目を細めて漠然と眺める。
またリュックを枕に空を見ると、太陽が頭上にきていた。両手を頭の後ろに回した。時折、微かな風が流れ、生草の匂いがした。断続的に静かに震える草葉の裏でカマキリがじっとして動かない。蟷螂の斧、頑張れ!初夏の草むらで眠る。
昔、ある先生がいた。二十歳ぐらいの頃、憲法前文をロシア語に訳して、教室で先生に見てもらった。勿論、文法も語彙も貧弱で話にもならないものだった。2、3カ所、赤ペンで添削を入れ、そこで手が止まった。「これはだめだが、プロになれるよ」と呟いた。そのことはすっかり忘れ、それから長い歳月が流れ、先生はすでにいない。予感みたいものがあるのだろうか。今は、そんな出会いを待っている。
ゆっくりと草にうもれた体を起こすと、リュックを背負い、草むらをかき分け、湿地に足を取られ、衰えた手足でどうにか岩を乗り越え、石だらけの平らな河原にやっと出た。それだけで息遣いが激しかった。陽がまぶしく川面に反射して、照っていた。群青の急流に別れを告げて、鋭い勾配の崖を登って行った。
「人の出会いに期待してはいけない。自分の努力に期待しないといけない。きっと降臨する時もあるだろう」汚濁された精神を自然が浄化してくれた。気分はさわやかだったが、疲労で足取りは重かった。古い造り酒屋の前で、観光に来たグル-プがはしゃぎながら木造り酒蔵の写真を撮っていた。
このまま家路に向かわず、どこ知れず消えてしまえば、どんなに爽快だろうか。思いに駆られても、決行したことはない。未知は、あらゆる可能性を孕んでいる。汗ばんだ鈍い頭脳はいつもの路を選択させる。瓦屋根の白い看板が所々剥げた和菓子屋で、買い物をすますと、人気のない駅待合室で電車を待った。
最近、やけに目標に嘲笑されている。手が届きそうで届かない歯痒さがある。近づけば離れる、離れると追いかける、それを永遠に繰り返している。振り返っても平凡な光景しか瞼に映らない。カンカンと踏切警告音が鳴ると、いつまでも走る二両編成の電車が疲れ切った様子で入ってきた。観念して乗ると、変化のない日常へ向かって動き出した。
ロシア語上達法(30)(翻訳と精神の自由) (2015年12月30日更新)
師走の早朝、釣り竿一本もって駅に向かった。かなり着込み、無風に白い息、少し前に複数の黒い影がばらばらに同じ方向に急いでいた。駅前のコンビニでおにぎりとパン、熱いコ-ヒを買うと、ホ-ムで始発を待った。休日なのでリュック姿の人がちらほら見えた。いつも先頭から二両目最後部の席に座るのだが、訳あって今日は一両目にした。
鉢形駅から玉淀駅の間に赤褐色の鉄橋がかかり、ゴトン、ゴトンと規則的に足下から響く列車音、深い崖と藍色の早い川の流れ、「表現する言葉が見つからなければ、それだけ、我々自身が言葉を開拓しなければなりません」と、ある本の著者の話が思い浮かぶ。「我々の精神に浮かぶ言葉は一般に我々自身から出てくるものではないということです」全てが借用だ。借り物の言葉で生きている。現象、現実、実態が変化すれば、それに合わせて対応する言葉が本来求められる。生まれた時から借り物を行使して、語彙数を増やしたり、表現形態を変えたり、これらの組合せを弄ってみたり、いろいろ工夫して現実表現を模索する。思考するコマ数がすでに限定されている。
「始めに言葉ありき」(新約聖書)というが、おそらく「始めに過去と未来ありき」とでも言うべきなのだろう。この概念が動物と人間を区別する最大の特徴だ。現実は動物にもある。だがこの話は以前にも何度も書いているのでこれ以上は控える。少し付け加えるならば、動物にも最小限の近未来はあるかもしれない。欲望が未来を想像させる。未来は欲望が満たされた時、完結する。人類の未来も、欲望が満たされ失せた時に完結するのだろうか。
思考には言語が必須とすれば、言語がないと思考できないことになる。言語には音の部分と文字の部分がある。遠い太古の昔、文字のない音だけの時代が長く続いたことだろう。音だけの言語でどれほど思考できるだろうか。
表現がかなり窮屈に思われる時、たぶん、この借り物という本質が顔を出すのだろう。だからといって、新語を造るわけにはいかない。言葉の歴史はかなり古い。一般に想像できるような状況は過去にすでに経験、実証済みでそうした適切な言葉を知らないだけだ。
朝焼けのくねくねした急勾配のけもの径をどうにか下った。遠くで焚き火をしていた。川原は一面、枯れ草色、大岩だらけの川縁から早い流れに釣り糸を垂らした。反応はない。背中でゴソゴソ、動く気配がした。振り返ると鼬だった。この前のやつらしい、冬支度か、俺もそろそろ自分の準備をしないといけない。釣れない、冷え込む川辺にいつまでもいられか、咆哮する力もなかった。このまま真っ直ぐ帰る気にもなれなかった。陽はまだ昇ったばかりだ。
悄然と竿を仕舞うと、川原を後にして崖沿いの細い道をぶらぶら歩いて、寄居駅まで行った。秩父線のホ-ムには立ち食いそば屋があったが、やめてしまった。しかたなく連絡通路を渡り、あてもなく八高線に乗った。赤錆びた三両編成の最後部に座ると、しばらくして田園風景が動き出した。
「何かに有用な知識人の一派と、何にも役立たない知識人の一派がある」
注目に値するのは後者だ。前者が普通であり、幼い頃からそうした考えで育ち教育されてきた。国、社会に貢献することには誰も異論はないだろう。そして学校に行き、そのための知識人が工場コンベアみたいに次々輩出される。それに貢献しない人は役立たない人と非難される。「...何にも役立たない知識人の一派がある」どんな群れが思い浮かぶだろうか、“何にも役立たない”とは言いえて妙だが、仮にそのような存在があるとすれば、いずれパンも食物も与えられないだろう。一般に何かには役立つはずである。どこをどう関連づけようが、まったく無駄な知識人が存在するかもしれない。
「自分も...」と一瞬動揺しながら、車窓から遠くを見ると、鎮守の森で嘲笑の雲雀が楽しそうに鳴いている。例えば山奥の仙人みたいな知識人がいるとする。一切の社会関係はない。そこで自給自足している。確かに国にも社会にも、いわゆる生産にも何の役にも立っていない。しかし社会の中にそうした人間が存在するとする。これが問題の核心だ。
向かい合った二席の一つに座った。強い陽差しで眩しかった。半分ほどカ-テンを閉め、缶ビ-ルを飲んだ。所々にまだ空席があった。それでも休日なので活気はあった。ほとんどが老人だが、気持ちは枯れ木ではない。我が身は忘却する。
「一個人の中に未来のしるしを読んではいけない」どんな立派な人間でも、その人だけの発言を信じることは危ういということかもしれない。「誰も信用しないということは自分だけを信用する」というおぞましい状態が目に浮かぶ。もし突然、この世に「信用」という概念が消滅したとしよう。先ず妻も夫も、子供も、友人も、ありとあらゆる人たちの間に信用関係がなくなる。口約束も書面による約束も、貨幣も、政治も、権力も意味がなくなる。そこに信用が存在しないからだ。リアルタイムの実物交換だけが機能する世界、きっと大昔はそうだったのだろう。信用とは時間の関係で存在する。未来という時間が存在して、信用は成立する。これからの行為、つまり未来を保証するという意味だ。
この沿線もずいぶん寂れた。小さな木造の駅舎と改札口、駅前には商店はほとんどない、しばらく歩くことになる。誰とも会わなかった。酒屋まで、十分以上歩いただろうか、やっとそれらしい店があった。中を覗くと、年の瀬、昼間から老人二人が年代物の木のテ-ブルをはさみ、焼いた肴で一杯やって談笑していた。入れる雰囲気はなかった。建物の横に販売機があったので、日本酒を二本買った。
自由より「鳥鍋、肉鍋」を選択したのに、両方とも得られなかった。地獄か、ため息がもれた。「自由の要求や自由の観念は不如意や束縛を感じない人には生まれない」「自由とは行動を起こした結果の回答」過去に酩酊しながら、ワンカップを開けると、臭気がすっと漂った。車中を見渡すと、だいぶ下車していたので助かった。ふと、「乞食のバイオリン弾き」のことが思い浮かんだ。さすらい、放浪、純粋芸術、“何の役にも立たない”人生、この角度から穴を掘ったら、浮き世の悩みも解消されるか。利己主義の慈悲か、うようよ..。
「危機とは変化」をさすらいしが、ある状態から他の状態へ変化するプロセスらしい。別の言い方をすれば、変化とは常に危機状態にあるといえる。不安定な状態とは危機状態なのだろう。進歩にせよ退歩にせよ、それは常に危機状態を通過することになる。何もしなければ、何も起こらなければ変化はない。何かを達成したければ、危機状態は必ず到来する。
終点に近づくにつれ初恋の人に会うみたいに気持ちが高鳴ってきて、本当はあてもないのに先を急ぐ旅人になっていた。血族の一人もいない故郷は寂しい。そこへ向かう私はさらに悲しくなった。思い出は胸の中にしかない、生きた現実で確かめることは最早できなかった。人の命なんてあっけないものだ。
最後の駅についたのは昼頃、改札を出ないで乗り換え新潟から山形の温泉にでも行きゆったり暢気に過ごすか、それとも出るか、苦悩の選択みたいになって迷いにまよい、改札付近まで来て、やはり引き返そう、それが無難だと足を止めると後ろの乗客に押されて外に出てしまった。まだ逆戻りできたのにふらっと郷愁に油断して愚かにも今日の運勢に身をゆだねてしまった。それがいけなかった。
駅舎はすっかり変わってしまい、手垢一つないぴかぴか透き通るお伽のシンデレラ姫が穿くような靴の並ぶショーウインドー、つるつる滑る大理石模様の通路、行き交う人の服装まで大都会文化に誇りも捨て売れない商人みたいに媚びてすっかり染まって、来たところを間違えたと思うほど、そこには遠い故郷の面影は消えていた。それでも人の声も音も仕草も、空気の匂いも肌触りも昔日のまま、それほど無節操に従順に憧憬しても、身も心も捧げた不実な恋人みたいに冷酷に突き放され、洗練された都会人になれない悲哀があった。昔の日記だ。
その日のことを過去形で書いても、昨日から見れば未来の行為となる。昨日の行為が現在形で表現されていても、今日から見れば、過去の行為となる。日記をぱらぱらと捲る。毎日、その日のことを現在形で書くとする。それを全て繋ぎ合わせると、過去全体が現在形で表現されていることになる。形態だけで、時間の位置を判断できない。コンテキストが重要だという意味はこのへんにもある。目標をもった文、つまりテ-マのある文は訳しやすい。目標のない漠然とした文は、どうしても捉え難い。中には文体を楽しませる文もある。気をつけないといけない。作者の意図が分かると、翻訳も滑りがよくなる。さっと文を上から眺めるように読んで、それで制作者の目論見が分かれば、翻訳はほぼ終わったようなものだ。細部だけを詰めればよい。それでも時に本質を外し、一からやり直す時もある。
このまま初詣に出かけるか、そして二本目の酒を開けた。
ロシア語上達法(29)(翻訳と精神の自由) (2015年8月12日更新)
カンカン照りの中、盆に帰省する。「ふるさとは遠きにありて思うもの…」。うっかり郷愁にかられると、嫌悪したものが向きになる。引きずられても執拗についてくる世俗の群れ、もう時がないから前へ進もう。
誰でも発言できる時代、篩にかけると全てがするりと通り抜ける。しだいに一色の世界、考える人はいらない、大きなテ-マは無知を陶酔させる。
暗闇の扉、心の鍵を差し込む。「職業は自分自身だ」メタファではない。人には思い込みがある。忙しくないと生きている実感がない。無意識にすり込まれる。暇また暇、ただ無為に時を過ごす。そして、正体が露わになる。それが原点、おそる、おそる凝視する。目を背ける。「幸福な人には精神がない」、「みんなが信じていることを信じないことは、自分だけを信じることだ」こんな言葉が時々思い浮かぶ。
存在しないものに限りなく魅せられ、存在しないものを限りなく信じ、存在しない世界で限りなく生きる。この眼で見える、この耳で聞こえる、この手で触れられる、それが故郷、はっと正気に戻る。ポケットの切符はよれよれ軽薄片道切符。
カルチャーのない生活、カルチャーのない故郷、カルチャーのない恋人、カルチャーのない翻訳。カリエ-ラ(キャリア)が死ぬほど好きな歯車、実のない日々、美しい正直者の笑顔が素敵。
迷子の緞帳はじっとしている。色素のない文体、薄っぺらの語彙、侏儒の言葉遊び。
小説でも翻訳でも、職業として行うと、根本的に異なる
様相が浮かびあがる。職業人とは何か、それだけで生計を立てている人である。素人と職業人の決定的相違はそこにある。やすやすとはなれない。やってみれば分かる。
翻訳には最低四要素がある。語彙、文法、背景知識、文章力である。この中で最も難攻不落なのが文章力だ。筆力ともいう。語彙と文法だけで訳すのは、素描つまりデッサンにすぎない。語彙、文法、背景知識は努力すればなんとかなる。最後のエレメント、文章力だけは如何せん、資質がものをいう。要するに筋がよいということだ。どの世界でも、自己の能力に気づいた人は成功するだろう。才能なんて、本人も他人も識別できほどの微少の胚胎で、存在していて存在していないようなものだ。何かの機会にちょっとした刺激で、長い眠りから覚醒するのだろう。
しかし勘違いしてはいけない。文章力があっても、翻訳はできない。前者三点が必須である。大抵は語彙、文法、背景知識だけは訳すから、普通の翻訳の域を出ない。資質とか才能とか、問うても無意味だが、本質的でとても悩ましい問題だ。さらに経済が加わると、複雑な方程式が形成される。経済的に成立しないと、限りなく主観の世界になる。下手でも上手でも経済的に評価されないということは、その有無に社会性がない。職業として成立するということは、少なくとも一定の水準をクリアしていることだ。上記三点が経済的評価点を突破していることだ。
さて悩ましい問題、文章力、つまり表現力の問題はなかなか壁が厚い。多く読み多く書くことか、それだけでは克服できない。ずっとそればかり考えてきた。たぶん、何かスイッチがあるのだろう。まだ発見していない。
日本人は日本語の文を無意識に書ける。けれども、それは普通の文だ。外国語を学ぶ時、外国人に教えてもらう。普通の外国人は普通の文しか書けない。ここでいう文章力や表現力の問題は提起されない。名人の弟子にならないと、掴めないものがある。名人は、弟子はとらない、何も教えないが、近づけば暗示の宝庫だ。教えてもらえるものは価値がない。名人でも教えられないものがある。教えても身につかないもの、分からないものがある。一代限りの秘技、奥技。最後の扉を開けても、空虚。その世界は自己内部にある。
普通の文ではプロとしては厳しい。独創の世界、本人だけの世界、ここに全てが集約される。「この価値にすべてをかける人々がいる、彼らの持てる希望、人生・心・信念の一切をかけるのである」こうした価値にはまったく無関心で、限りなく貶めようとする人々もいる。
星雲の中にいると、姿が見えない。遠くから眺めると、星雲の形はくっきりと見える。時々、現場から離れることも必要なのかもしれない。
浮子の動きの察知では遅すぎた。眼も遠くなり、渓流なのに浮子を使っていたが、これでも釣れるが思った成果は出ない。どうせ..と踏ん切り、青年時代のふかせ釣りに戻した。浮子を外し、餌と小さな重りだけで、流れにふあっと投げ込んでみた。今度は、自由気儘に糸は流れに身を任せた。一気に穂先が曲線を描き、見事な一匹が釣れた。うまくいかない時、やり方を変えるのも一つの方法だ。
夏もそろそろ終わる。仕事はタイトだったが、釣りもかなり出かけた。その締めくくりに海釣りに近々行く。
ロシア語上達法(28)(翻訳と精神の自由) (2015年2月9日更新)
寒中、淡々と仕事に埋没していく。ヴァレリーに云わせると「平和とは戦争で破壊するものを生産する期間」らしい。戦争とは欲望、とりわけお金によって引き起こされるのかもしれない。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中うちに、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」(夏目漱石、「こころ」より)
思うようにならないことのほうが多いのかもしれない。運もある、努力もある。それでもいずれ、結論は出る。俯瞰すれば、ちっぽけなものだ。お金が目の前にぶら下ると、豹変する。戦争、お金、欲望、平和、絡み合う複雑な方程式、桃源郷、極楽浄土、夢また夢、リアリズムの虚像、考えてもせんないことか。
いくばくかの名誉のために、いくばくかの虚栄心のために零落する。霜枯れの朝、雑木林を散策、鳩一羽とカラス二羽が凍てついた地面をつつく。「冬来たりなば春遠からじ」。
前回、約束事、決め事の文、つまり法律文とか契約書とかでは、完了体動詞を変化させないと、指摘したが、さらに言い忘れたことがあった。副動詞は使わないほうがよい。ロシアの六法全集では、ほとんど副動詞は使われていない。副動詞とは動詞と副詞の機能を兼ね合わせてもっている。二つの機能を同時にもっている。詳しくは文法書を読めば誰でも分かることだが、現実的用法となると、一般日常的な典型例は示されているものの、どうしても表層的になる。どのような書物も一定の制約はある。このへんは語学を学ぶ者にとって冥利に尽きることだが、自然と空想が膨張する。コンテキストと主観に左右される言葉は使わないほうがよい。元来、副詞は動詞にかかるものだが、もちろん形容詞にも名詞にもかかるが、動詞とは変化させると、形態からして運動するものだ。つまり一定の状態を表さない、動的なものだ。それと、「чтобы」も使わないほうがよい。可能性を表現するからだ。「~するように」などの意味が入ると、確定的にはならない。確定、断定する文では「что」で接続し、客観的事実、実態を表現したほうがよい。
これは性善説にもとづいているが、悪意のある第三者であれば、故意に悪用する可能性もある。当然、単数形と複数形も区別する。さらに「等々」みたいな表現も避ける。契約書とは原則的に裁判を前提とする。法廷に立つという気持ちで作成すると、かなり丁寧に出来る。勿論、文芸文学、私信などではこれは当てはまらない。翻って、曖昧な表現は文を豊かにする。その典型が恋文。これほど書き手と読み手の主観が影響する文はないかもしれない。人間は主観の動物だから、一つの事象に対し、関係する人たちの解釈が自然と異なる。それはまた曖昧な表現を求める。その意味では進化形ともいえる。曖昧な表現がなければどうなるか、想像すれば、云わんとした意味が分かるかもしれない。
過去の経験則や知識がまったく役立たない時代、あらゆる権威が失墜しつつある時代に未来を予想することは無謀な行為。そんなところで、今できることだけはきちんとやる。
ロシア語上達法(28)(翻訳と精神の自由) (2015年1月1日更新)
「我々は我々同様に環境にも、方針にも、指導者にも、幹部にも、友人にも、敵にも常に恵まれない、寡黙ながら愛すべき我が国のために乾杯する」(ノ-ヴィエ・イズヴェスチヤ紙編集者ワレリ・ヤコフ)。若干痺れた。誰も国を愛さない人はいない。そしてそれは抽象的な国家ではなく、もっと身近で具体的な国、故郷であり、家族だろう。こちらは俗人だから、それなりに生きる。人は思想でも宗教でも抽象的な話をすると、凡人でも瞬間天才になれる。未来は現在からしか出発できない。夢とは現在から見るものだ。現在という存在が夢を見させる。現在認識できない人は、夢は描けない。たとえ描いたとしても空虚なものだ。酩酊状態はいつかは終わる。
年末年始、忙しい翻訳の仕事がどこまでも続く。スランプもあるが、今は小康状態。若い時は質より量、荒れに荒れる。有限になると、良いものだけを作りたい。釣りはオフシ-ズン、時々陋屋から出て、小さな一人旅をする。想念に満され、空想がどこまでも広がる。世間は波乱の一年、早朝散歩で瞳に映るのは、草枯れの空地でマイクロバスを無言で待つ人間群の白い息、一握りの幸福、降臨するのか。様々なことがある。様々な人がいる。長い目でみれば一喜一憂しても、どうなるものか。なるべく大きな流れに翻弄されないよう意識する。「禍福は糾える縄の如し」。悪いことがあれば、次に良いことがあるのか。
天変地異、噴火、地震、そして世界秩序の溶解、確かなものが確かでなくなり、ますます不安定となって暴風に向かう船のように激しく揺れ始めている。流されるものは流される。精神の流浪、見果てぬ夢、揶揄する暗愚の現実、原点回帰、空虚な願望に溺れ、現実と未来の固い絆を失念。
未来と過去、そして現在、この中で現在だけが確かに存在する。法律文をみると、全て現在形、契約書も現在形、未来のことを定めるのに、その文形態は現在形。もちろん、例外はある。語学の文法的視点から離れて、もっと根源的にアプロ-チをすると、これは以前にも指摘したが、人類最大の発明は時間の概念である。過去と未来の発明。動物には時間の概念はない。リアルタイムにただ生きる。今以外の時間が存在するならば、記録も必要だし、未来の出来事について取り決めもできる。しかし、これを記録化する時、何故か、いや、かなり根拠をもって現在形を用いている。例えば、契約書では「三つ品物を納品する」と書く。「三つ品物を納品するだろう」とは書かない。中身は未来の行為を定めているのに、文章化する時、現在形を使う。やはり未来形にすると、そもそも未来そのものが不確定なのに、つまり今以外の将来には何が起きるか、地震が起きるか、戦争が勃発するのか、予想外のこともありうる。せめて文の中だけでも、現在形で安心したいのかもしれない。ちなみに、契約書も含め取り決め文でロシア語の場合、完了体動詞を変化させると、おそらく不合格だろう。こうした場合、未来のことを現在形で書くのが基本なのだろう。最も多く使われるのが「обязанный」で「должен」より確定性がある。「должен」は「予定、可能性、確実性」の意味もあるので、用法を熟知しないうちは避けたほうが無難かもしれない。
予報では暖冬だが、毎日寒くてしようがない。先のことは誰にも分からない。そのうち、全て収拾がつかない時代も近いかもしれない。うっかりパンドラの箱とも知らずに開けると、一巻の終わり。そんなことは滅相もない。何事も本質的、深くアプロ-チをする。時間間隔の短い人は類人猿、いや、動物に近いのだろう。「今がよければよい」とは無能な富者の生活実感のない頽廃の遊戯であり、最下層極貧者の自暴自棄、やるせない慟哭だろう。最早リアルタイムでも最悪、せっかく人類祖先が発明した先を見通す、未来を思考することを放棄した結末かもしれない。後ろには戻れない、過去には帰れない、が前進する方向はまだ変えられる。新年はいっそう混迷するだろうが、手遅れにならないうちに方向の変化に一縷の望みを託したい。そんなことを想いながら、そして翻訳能力を限りなく向上できるよう初詣に出かける。
ロシア語上達法(27)(巧い翻訳と正確な翻訳) (2012年12月1日更新)
翻訳とは何か、どのようなものか、様々空想しながらぶらぶら、遠い青春を回顧しながら大した文学好きでもないのに五能線に乗ったついでに、先日、青森県の金木町に行って「斜陽館」を見てきた。とても個人の家とは思えないほどの大豪邸だった。太宰治の生家だが、あんな家に生まれると当時流行った富者の原罪みたいなものを繊細な人間ならどことなく意識するのかもしれない。逆に貧者の羨望、下目づかいで見上げる反発の眩しすぎる星かもしれない。明治時代のことだから貧富の差も格別だろう。しかし最近はこの格差文化が再び復活し始めている。物的富の価値という外形的現象に際限のない夢のように魅せられている。その結末がどうなるのか、知るよしもない。”おぼれる犬は打て”か!
現代社会の必然条件である混沌の中で先行き不確かは自然のことだが、そこで翻訳という一ジャンルのプリズムを通して人生の本質にアプロ-チしたい。
翻訳は誰でも出来る。そう思える要素が落とし穴なのかもしれない。出来そうで出来ないことは世間には多々ある。近くの低い山も山登りだし、チョモランマも、マッキンリ-も山登りである。広義ではどちらも山登りだ。下手な例を出したが、翻訳も同じことが言える。だから誰でも出来るのだ。しかし、職業としては、また本質的な意味としては”チョモランマ”でもあり、”マッキンリ-”でもあるということになる。
それと文芸・文学の翻訳と実務関係の翻訳は基本的に区別してかかる必要がある。前者は感動を与える、心にうったえるものだが、後者は情報を読者に正確に伝えるものだ。前者は描写文だが、後者は説明文ということになる。したがって実務文における”意訳”の範囲は自ずと狭くなり、デジタル化の可能性、コンピュ-タ翻訳の可能性をもっている。
翻訳とは無縁というか、そもそも語学にまったく関心ない、関係ない人にとってどうでもよいことかもしれないが、大げさにいうとその道一筋に生きてきた人間とってかなり重要で切迫した問題なのだ。何十年間もなりわいとしてきたのに、そんなことも分からないのかと、職業能力を疑問視されるかもしれないが、案外そこにどっぷり浸かってしまった者は木は見ているが、森は見えないのかもしれない。一つの言語を他の言語の転換するぐらいのことは、誰でも分かる。異文化交流程度のことも分かる。
翻訳には最低二つの言語が登場する。翻訳の質は天秤ばかりで説明しても面白い。天秤ばかりの二つの皿に二つの言語を載せてみる。秤皿に載せた物体の重さは両皿とも同じでないと均衡が保てない。翻訳はこの均衡が保たれた状態でしか成立しない。必ずどちらかに合わせる。バランスがとれない場合、重い方を軽くするか、軽い方を重くするか、二つの方法しかない。即翻訳をするとなると、重い言語を軽くするしかない。何故なら、軽い言語を重くするには、時間がかかりすぎるからだ。一つの単語の概念について一つの意味しか知らない場合、その意味でしか翻訳できない。
例えば、いくら日本語の知識が豊富でも、ロシア語の単語の意味について一つしか知らない場合、一つの意味でしか和訳ができない。他の意味を入れたとすれば、誤訳であり推測であり、裏づけのないものである。それが五つも六つも意味を知っていると、初めて豊富な日本語知識が生きてくる。こうして考えると、先ずは母国語という言語を出来る限り豊かにしておく必要がある。次に他国言語をそのレベルに引き上げると、両言語とも重い状態で天秤ばかりは均衡がとれる。理論的には両皿とも同時に重くできそうだが、実践的には不可能である。必ずどちらかの皿を基準皿にして、その皿にもう一方の皿の重さを合わせて均衡状態を作り出す。基準さえ確定できれば、両皿とも同時に重くすることが可能である。この基準とは何か、目標であり、理念である。高ければ高いほど、内容豊かで質の高い翻訳になる。
無知とはかなり罪なことだ。無知によってあらゆる誤解、様々な偏見、差別、そして争いさえ起こる。噂、流言、政府発表、新聞記事、ブログなど、どれも確かめようもないものばかりだ。不確かなもの、裏付けのないものを信用しながら世の中で生きている。忙しい、厳しい現実の中、そうでないと生きていけない。あるいは怠惰な生活、虚栄の生活がそうさせるのかもしれない。だからますます不安になるが、それが現代社会の特徴でもある。しかし、無知は無知でしかない。無知によって判断したものは、ほぼ100%近く誤りであると断言してもよい。一つの外国語について、その外国語の国について、まったく知らない、あるいは断片的に少し知っている、これは無知とかわらない。外国語とは他民族の言語のことで、自分以外の民族の生活から生まれた言葉だ。当然、その外国語とその民族は一体のもので、両方を学ばないと成り立たない。
翻訳には直訳と意訳がある。直訳とは辞書の単語をそのまま当てはめ、前後のコンテキストも斟酌せず、大意など重視せずに訳す。意訳は大意を把握し、コンテキストを考慮し、原作者の意思も理解に努めて訳す。これだけの解釈だと、前者直訳のほうに分はない。こんな例がある。ある高度の専門分野をある専門家に依頼したことがある。たしかに専門家ならではの見事な翻訳だった。ついでに私信も依頼しておいた。ところが私信のほうはまったくのでたらめだった。
この専門家は語学が専門ではない。特定の狭い専門分野に関しては誰よりも知識がある。おそらく単語と単語、点と点を結びつけて類推するだけで、内容は正確に把握できたのだろう。前提となる知識が豊富なので、一つの単語が出てくればその後の結論は自明であったに違いない。だが見ず知らずの他人の私信となるとこうした手法ではまったく歯が立たない。そもそも前提となる情報が皆無だからだ。点と点を結んでも意味は分からない。
母国語に長けた人、一つの外国語の堪能な人は、その言語の知識をもって他の言語を理解できる時もあるが、そうでない時もある。上の例が実証している。下記に示した示した二葉亭四迷の述懐は面白いし、興味深いものがある。
二葉亭四迷の「余が翻訳の標準」を再度読んでみた。最初は音調、文体、コンマ、ピリオドまで濫りに棄てず、原文と同化をはかったようだが、結局、それではうまくいかなかったようだ。そして行き着いたところは、日本語の筆力と述べている。二葉亭もそれには自信がないと嘆いていた。だから単に素人の文章上手ぐらいでは無理なのだろう。我々の云う”意訳”とは、所詮”素人の文章上手”の範囲から出ていないものだろう。それならまだ”直訳”のほうが原文に敬意は払っている。少し長いが引用してみる。
「.....で、外に翻訳の方法はないものかと種々研究して見ると、ジュコーフスキー一流のやり方が面白いと思われた。ジュコーフスキーはロシアの詩人であるが、寧ろ翻訳家として名を成している。バイロンを多く訳しているが、それが妙に巧い。尤も当時のロシアは、其の社会状態が小バイロンを盛んに生んだ時代で、殊にジュコーフスキーの如きは、鉄中錚々たるものであったから、求めずしてバイロンの詩想と合致するを得て、大に成功したのかも知れぬが、兎に角其の訳文は立派なロシア文となっている。
けれども、これをバイロンの原詩と比べて見ると、其の云い方が大変違う、原文の仄起を平起としたり、平起を仄起としたり、原文の韻のあるのを無韻にしたり、或は原文にない形容詞や副詞を附けて、勝手に剪裁している。即ち多くは原文を全く崩して、自分勝手の詩形とし、唯だ意味だけを訳している。処が其の両者を読み比べて見るとどうであろう。英文は元来自分には少しおかったるい方だから、余り大口を利く訳には行かぬが、兎に角原詩よりも訳の方が、趣味も詩想もよく分る、原文では十遍読んでも分らぬのが、訳の方では一度で種々の美所が分って来る、しかも其のイムプレッションを考えて見ると、如何にもバイロン的だ。即ちこれを要するに、覚束ない英語でバイロンを味うよりは、ジュコーフスキーの訳を読む方が労少くして得る所が多いのである。
其処で自分は考えた、翻訳はこうせねば成功せまい、自分のやり方では、形に拘泥するの結果、筆力が形に縛られるから、読みづらく窮屈になる。これは宜しくジュコーフスキーの如く、形は全く別にして、唯だ原作に含まれたる詩想を発揮する方がよい。とこうは思ったものの、さて自分は臆病だ、そんならと云うてこれを決行することが出来なかった。何故かと云うに、ジュコーフスキー流にやるには、自分に充分の筆力があって、よしや原詩を崩しても、その詩想に新詩形を附することが出来なくてはならぬのだが、自分には、この筆力が覚束ないと思われたからだ。従来やり来った翻訳法で見ると、よし成功はしない乍らも、形は原文に捉まっているのだから、非常にやり損うことがない。けれども、ジュコーフスキー流にやると、成功すれば光彩燦然たる者であるが、もし失敗したが最後、これほど見じめなものはないのだから、余程自分の手腕を信ずる念がないとやりきれぬ。自分はさすがにそれほど大胆ではなかったので、どうも剣呑に思われて断行し得なかった。で、依然旧翻訳法でやっていたが、……
併しそれは以前自分が真面目な頭で、翻訳に従事した頃のことである、近頃のは、いやもうお話しにならない。」(二葉亭四迷、余が翻訳の標準)
こう読んでみると、なかなか苦悶しているようだ。どこまでやっても埋まらないジズソ-パズルのようなものかもしれない。
ロシア語文法は基本的に形態論(モルフォロ-ギ-)と措辞論(シンタクシス)(統語論)に分類されるが、形態論のほうは語の形態を論じたもので、措辞論は文章について論じたものである。語学の場合、特にやっかいなのは形態論でこれは丸暗記しないといけない。品詞や語の形態変化など、ただ黙って覚える以外に方法がない。大抵の場合、語学学習者はこの段階で匙を投げてしまう。余りにもつまらないからだ。措辞論のほうが、日本語も言語であるし、さらに他の外国語を知っていれば、そこそこ勘が働くものである。
前記の技術の専門家は、おそらく形態論をきちんと学んでおらず、勘で訳したから、平明な新聞雑誌の翻訳で多々誤訳をしたのだろう。
形態論は文と文の関係を理解する以前の絶対条件であり、その言語の基礎と言えるだろう。ひたすら丸暗記しないといけない。勘が役立たない分野である。いわば、言葉の素材、材料、パ-ツということになる。これがきちんと正確に製造されないと、いくら絵図面(統語論)を描いても、図面通りには構築されない。
巧い翻訳の条件:
1 原文の出来がよい
2 訳文の文章が上手
3 原意をそれなりに伝えている。
4 読んでつかえない。淀みなく読める
5 簡潔で難解な表現は極力回避
6 訳者の独自の文化がある
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何よりも「原文の出来」がよくないといけない。この部分は素材にあたる。素材が良くないといくら巧く調理しても、仕上がりに限界がある。これは翻訳者には直接関係ない部分でもあるが、よほどのことがない限り、翻訳者は素材の選択権がない。その解決方法の一つとして、翻訳者と原作者が協議する方法もある。原作者の合意の上、翻訳者が素材に手を入れるやり方である。
一般に原文に極端な悪文も名文もない。そこそこ書けているから厄介なのだ。例えば原文が拙文の場合、自然と翻訳の出来も良くないものとなり、訳文の読み手は、たぶん、翻訳が悪いというだろう。そこで翻訳者はそんなことを言われないように工作をして、読み手の不評を回避する。場合によってはかなりの名訳になっていることすらある。勿論、山を川と言ってはいけない。大河を小川と言ってもいけない。渓流を清流ぐらいなら、許容範囲かもしれない。真紅を赤ぐらいならどうだろうか。悪いを良くないではどうだろうか。といろいろ考えてみると、翻訳は所詮、原文に制約されるのが分かる。
一度、外国語をまったく知らない編集者に会ったことがある。訳文を全て自分の日本語へ引き込もうとする。これで流暢に読めるようになったと云う。たしかに文は流れるようになったが、原作者の表現とはかなり異なってしまった。これはすでに翻訳ではないだろう。部分的な創作だ。白地の上に自分の思うように表現することは創作だ。翻訳と創作の違いは、翻訳には原作があることだ。あくまでも原作を中心にして原作の意味を大切に扱うことになる。
つくづく原作がなければと思う時がしばしばある。しかし原作なければ翻訳ではなくなるという堂々巡りとなる。そして原作があるからこそ、外国の文化が入ってくる。原作を翻訳することは、外国文化の紹介でもある。それ故、全てを日本化してしまうと、異文化交流を絶つことにもなりかねない。異文化交流とは大きな意味ではコミュニケ-ションである。相手が誰か、どこで生まれ、何を考えているか、いろいろと推察したり、考察したりすることでもある。
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生まれつき文才のある人がいる。しかしそれはあらゆる才能と同じように確かめようがない。文才があると思い込んでいるほうが無邪気で無難かもしれない。けれども文才があるにしろ、最低の精進は求められる。逆に文才がないにしても、研鑽すれば一定の水準に到達することも確かだ。一般に400字詰め原稿用紙3000枚に創作的描写を行うと文は見違えるように上手くなる。日記みたいなものではない。創作表現をする。一人の人間、一本の梢をあらゆる角度から描写してみる。さらにリソ-スが必要になる。読書である。
日本の小説全て読破するぐらいの意気込みがあってもよい。時間はかかるが、努力に値するだろう。読書をしない限り文は上達しない。仕込みということになる。これを怠ると、後々大後悔するはめになるが、すでに手遅れとなる。読書量の少ない人は文は巧くないと言えるだろう。名作を読んでいくと、表現が精緻でよく計算されているのが分かる。これは実務文ではけして味わえないものである。
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これは1に重複するが、あえて別項目とした。巧い翻訳という意味だからだ。原意を”それなり”に伝える。どちらかというと”そこそこ”に近いかもしれない。要は直訳しないということだ。直訳とは辞書に載っている単語を文のコンテキストも考えず、いたずらに挿入することだ。辞書の単語とは目安にすぎず、こうした意味、ニュアンスがあると示しているだけである。
4 「読んでつかえない。淀みなく読める」ということになると、母国語でもかなり難しい。しかしこれは文章作成の最低条件かもしれないが、この最低条件を持ち合わせている人は、意外と少ない。読み手のことを考えていないからだ。極秘の日記などなら、他人に読まれることもないだろうから、主観的世界に埋没することもできるが、一般に文とは自分以外の読み手が必ず存在する。だから文とはその他人に向かって書くものとなる。さらに読み手の能力もある。ある読み手はつかえず、淀みなく読むが、別の読み手はその逆で、すらすらと読めないとする。したがって、読み手の対象も絞る必要がある。当然、依頼者も含めその背後にいる無数の読者ということになる。さらに補足すると、必ずしも淡々と読めればよいわけではない。支障なく読める文は上手く書かれているが、欠点をあげれば平坦すぎ、退屈になるおそれもないとは言えない。少し工夫してメリハリをつけると、読者の注意力を喚起するかもしれない。
5 ここはどちらかというと、実務文に関係する。冗長でない短い文ということになる。体言止めという手法もある。「昨日は雨だった。」を「昨日は雨。」と名詞で止め、「だった」と削除するとたしかに文は短くなる。しかしこれは本質的ではない。短くするという目的だけであるなら、専門用語を使うのが最も手っ取り早い。ここには専門家同士が取り決め約束した一定範疇の概念があるからだ。その専門用語の背後に多量の情報が含まれている。
だが最大の欠点は、専門家以外は誰も分からないという点だ。普遍性がない。言い方を換えれば、科学のようで科学でないのが専門用語かもしれない。多分、専門化、細分化とは、科学的根拠にもとづきながら、ひたすら科学から遠ざかり、普遍性を喪失していくのかもしれない。何故なら普遍性のないものは科学ではないからだ。そして知性が萎縮、退化していくのだろう。それでも、限られた専門家だけの会報や雑誌などでは適切かもしれないが、読者の対象範囲を拡大する場合、特殊性ではなく、普遍性が求められる。読者の対象範囲を拡大するといっても、そこには自ずから限度がある。誰もかも分かる表現などこの世に存在しない。
少し視点を変えてみる。専門用語を使わないで、分かり易く、しかも文全体が短くなる方法とはどのようなものだろうか。専門用語を使っても文の長い人がいる。そもそも普段書いている日本文が長い。一度自分の作った文を検証し、余分な表現はないか、確かめてみるとよい。これはかなり難しい。何故なら人の性格、癖と関係するからだ。性格や癖は一朝一夕には変わらない。長い生活に根ざしているからだ。しかしクリアしようと思えば、可能なはずだ。考える価値はあるだろう。
6 文は人を表すというが、その軽重はその人の思想的、思考的深度により決定されるのだろう。いくら難しい言葉や表現を使っても、自身の内容が乏しければ自然と色褪せた文となるだろう。盲目的思想をもつ人、あるいは盲目的信者は理念についてさほど思考思索することがないから、上手そうな文でも、例えば10人いても、どこか型で判を押したような没個性的なそつの無い一律スタイルの文となるだろう。思想とは言えないまでも、オリジナルなものには筆者の人生観みたいなもの、何か打破するような例え幽かであろうと輝くものが感じられる。それは時々、忘却の半鐘となって心に響いてくることがある。この響きこそが訳文の生命かもしれない。
年の瀬、身も心も凍えるほど冷え込み、若かりし頃のロマンチシズムが瞬間蘇生し、起源と終末へふらり出かける旅人の身軽な本質に触発され、小さな心の暖流となって見果てぬ夢に酔いしれながら、日常の目眩く倦怠に反逆して新たな年の刺激に期待を抱いてしまう。逆行できない時と迫真する断崖、甘美な過去と曖昧な未来、腐敗した肉片に群がる日常の蟻、来年こそはと思うと、つくづく情けなくなる。今を大切にできない来年はけしてないと知りながらも、否やそれだからこそユ-トピアの来年に渇望する。
いずれにしても新年はやってくる。そろそろ人生の旅たちをしないといけない。年末年始はどこか温泉に行って、朦朧なる湯気の中、もう少し思索してみる。
(下記は機会があったら書くことにして、今回は省略する)
正確な翻訳の条件:
1 原文が正確である
2 原意を厳密に訳している
3 訳者が対象言語の文化に精通している
4 意訳を極力排除している
5 原文と訳文が対比でき、基本的に等式が成立する
6 主観的表現を極力回避している。
7 造語がない
ロシア語上達法(26)(翻訳というもの) (2011年12月24日更新)
「汚名もなく誉れもなく、世を送ったものらの悲しい魂が
この惨めな状をつづける。
神に逆らいにもあらず、また忠なりしにもあらず、
ただ己のことをはかりし天使の卑しい一団が彼らにまじっている。
天は己が汚れんため彼らを逐い
深き地獄は罪人らのこれによって誇ることなきよう、彼らを受け入れず。
これらの者には死の望みがない。
またその盲目の生涯はいと卑しく、他の運命をすべて彼は嫉む。
世は彼らの名声の存在をゆるさず、憐憫も正義も彼らを蔑む。
我らは彼らのことを語らず、ただ見て過ぎよ。
神にも神の敵にも喜ばれない卑劣者の群れ!」(ダンテの地獄編)
これが人間の本質だとしたら、とても恐ろしいことだ。年末だからこうした抜粋も許されるかもしれない。この一年間のことはすっかり忘れて、新しい頁をときめきながら捲りたいものだ。ほんの小さな邂逅で人生は逆転するかもしれない。暗く長い低迷の後に不意に雷鳴が轟き、閃光が走り、全てが一変する。それを奇蹟とよぶのかもしれない。ところが現実にもしばしばありうることだ。
運命の星は人をあらぬ方向へ導き、幸福にも不幸にもなりうる。人間自体が不安定な存在なのだろう。常に確かのものに寄り添い、縋り、それが夢想だと気づく頃は晩年となっている。今日より明日と夢見るが、明日などない。それは夢で幻。今、その瞬間の有り様が悲しいかな全てなのだ。来年こそは今その瞬間に生きるように努めたい。
「われわれは現に存在しない時を夢想し、実在する唯一の時をうかうか過ごしてしまう。これは普通、現在がわれわれを苦しめるからだ。われわれがそれを見まいとするのは、それがわれわれを悩ますからだ」(「瞑想録」、パスカル)
長い間、職業として翻訳の仕事をしてきた。良い面は自由な時間がもてること、それに社会的にはそこそこ尊敬されることかもしれない。その反対に悪い面は収入が不安定なことだ。しかし、安定とは今日も明日も変化しないと定義するなら、そのようなことはこの世にはありえない。進歩とか発展とか、それは不安定を引き起こすのだろう。人類史が発展史とするなら、不安定な連続ということになる。
所詮、人間は未完成であり、完成することなどありえないのだろう。だから不安なのだろう。翻訳という仕事が不安定としても、この世の存在が全て不安定なのだから、恐れることはないのだろう。どの職業も不安定なもので、今日盤石でも、明日は無常の風が吹き、零落することは自然のことだ。結局のところ、自分の信じる道をひたらすら進むことが限定された人生という時間の中で、後悔しない唯一の生き方かもしれない。
「職業に対する信仰の喪失-、これは大きくいえば、産業革命が人間にもたらした悲劇の一つだろう。人間はそこをもって己の死所とすべき固有の熟練を失って、極度に分業化され機械化された。そこからくる天職意識の喪失は、近代産業の特色である。日本は明治以来、急速度にこの悲劇を味わった。
もっとも道徳的な人間とはいかなる人間であるか。道徳的な言葉を弄する人間でもなく、徳の修行を旨とする人間でもなく、善を施す人間でもない。私の考えるもっとも、道徳的な人間とは、純粋な職人なのである。その道の徳をそなえた人だ。職人といえば今では大工や左官を思い出すが、私は特殊技能に熟達した専門家のいっさいをふくめて考えたい。ある一つの仕事に、二十年三十年の年期を入れて、その職域では達人名人といわれるほどの人、かかる人物だけが、たとい善事をなさずとも、そのままで最高の道徳の具現者ではないか。彼は仕事をつくして天命を待つという「死所」の所有者だからだ。死所をえたものは美しい。何の誇張もなく、在るがままで道の徳をそなえているから。真の道徳は、中世の職人気質のうちに生きていると私は思っている」(「戦争と自己」亀井勝一郎)
翻訳は年季を積むと、次第に上手くなってくる。そしてしまいには職人みたいになるのだろう。上に引用したようになるには、さらにいくつもの険しく厳しい岩壁を克服しないといけないのだろうが。
ところが年季を積む途中では、次のようなことが起きるからなかなか簡単にはいかない。
「経験を積んでくると、工夫を加えて釣り方を変えてみたくなる。そうすると段々に釣れなくなって下手くそみたいになる」(井伏鱒二「川釣り」)
翻訳もベテランの人の翻訳だと、かなり凝っている文章に出会う。一見、上手そうに見えるが、加工し過ぎたものは、読者にとって難解になったり、感動が希薄になったりしている可能性がある。初心とは簡潔明瞭な文である。やはり、この原則に立ち戻り、素朴な文にするほうが説得力があるのだろう。
翻訳者はとても孤独である。場合によっては狭い空間で一人作業をしないといけない。たとえ、空間の中で複数の人がいて、アシストする人がいても、孤独であることにかわりない。責任転嫁できないからだ。社会の中でも孤独だ。周囲にはその職業の本質を理解できる人はほとんどいないだろう。
「水中に落ちた一滴のブドウ酒は、ほとんど水を染めることなく、一抹の薔薇色の煙をのこして消え去ろうとする。これが物理的事実であります。しかし今度は試みに、こうして消え去り、透明に復してしばらく後に、純粋な水に帰ったかにみえたこの器の中のここかしこに、濃い色の純粋のブドウ酒の幾滴かができると仮定してごらんなさい。何たる驚異でありましょう」(ヴァレリイ)
これは精神の昇華をいっているのだろう。人間も始めは社会という懸濁液の中で融合し没個性となり、平均化され、姿も形も消え去り、社会の海の中で跡形もなくなるだろう。その中で揉まれながら苦しみ、努力の末結晶化したものが本来の人間の精神なのかもしれない。自覚した自由を内包したあらゆる束縛から解放された人間なのだろう。翻訳者というものは、元来そういうものかもしれない。
怯懦(きょうだ)という言葉がある。臆病で気の弱い人をさすらしい。この怯懦の群れから抜け出すにはどうしたらよいだろうか。最初に引用した「ダンテの「地獄編」」は、おそらくほとんどの人間があてはまるだろう。市場経済はこの怯懦の群れを正当化した。ヴァレリ-ではないが、人間のもつ本質的矛盾を少しでも克服しない限り、そこから脱却するのは絵空事かもしれない。
いろいろ思索してみたが、最後に素人ながらロシア政治と経済について少し触れてみる。ひょっとすると来年、ロシアでは政権交代がある可能性がある。大方の見方では、かろうじてプ-チン氏は大統領選に勝利して逃げ切るとされている。先ず野党が統一候補を出すことはほとんどありえない。あまりにも立場が違うからだ。先にカオス状態が発生して、統一ロシア党が分裂すると、本格的な政権交代となるだろう。カオス状態が大統領選前なのか後なのか分からないが、それを契機にロシア政治は大きく舵を切り、国民意識が反映する政治風土が芽生えるかもしれない。どのような政治形態も国民意識を基本的に投影したものだろうから、それが変わらない限り、政権も交代しないだろう。
経済をみると、ロシアの外貨準備高は5450億ドル(2011年9月)、GDPは53兆ル-ブル(2011年予想、経済発展省)、ロシアの対外債務は360億ドル(2011年11月)でGDPの3%、対内債務4.5兆ル-ブル(2011年末予想、ロシア財務省)でGDPの約8.5%、国家予算規模収入7.5兆ル-ブル、支出9.4兆ル-ブルとなっている。かなり安定した経済数値といえる。経済では数値の大きさではなく、バランスが重要らしい。
年々、年末年始の過ごし方が分からなくなる。狭い書斎でちびりちびり酒を飲むか、それとも旅行に行くか、スケジュ-ルが立てられないでいる。来年こそ「狭き門」を通過したいのだが、悲しいかな凡人なので常に「広き門」を通っている。「狭き門」を通るには捨てるものが多すぎる。そもそも「通れない」のではないか。
「信じるより他はないと思う。私は馬鹿正直に信じる。ロマンチシズムによって、夢の力によって、難関を突破しようと気構えている時、よせ、よせ、帯はほどけているじゃないか等と人の悪い忠告は、いうものではない。信頼してついて行くのが一等正しい。運命を共にするのだ。一家庭においても、また友と友のとの間においても、同じ事がいえると思う。
信じる能力のない国民は、敗北すると思う。だまって信じて、だまって生活をすすめて行くのが一等正しい。人のことをとやかくいうよりは、自分のていたらくについて考えてみるがよい。私は、この機会に、なお深く自分を調べてみたいと思っている。絶好の機会だ。
信じて敗北することにおいて、悔いはない。むしろ永遠の勝利だ。それゆえに笑われても恥辱とは思わぬ。けれども、ああ、信じて成功したいものだ。この歓喜!」(太宰治、「もの思う葦」)
自信のない人はおそらく、人を信じることはできないだろう。よく何もかも疑う人に出会うことがある。たぶん、その人は自分に信念がなく、価値の基軸をもっていないのだろう。全てぶれまくりである。こんな人には弁明する必要はない。「我らは彼らのことを語らず、ただ見て過ぎよ。」ということだ。
翻訳もベテランの領域に入ってきた。後何年、職業人として第一線に立てるか、分からないが、来年こそいつも秘めたものは捨てないでいたいと思う。
ロシア語上達法(25)(翻訳の文体) (2011年5月29日更新)
三月のカタストロフィ後、我々は変わらないといけないが...。1986年旧ソ連のウクライナ共和国でチェルノビリ原発が爆発事故を起こし、そして5年経ちソ連邦は崩壊した。チェルノビリ原発事故当時、すでにソ連は超債務国家に陥っていた。この事故はヒュ-マンファクタ-に起因するものだが、すでに国家そのものが硬直した官僚体制で朽ち果て崩落寸前だった。無能、無責任、無力の官僚機構が膨大な債務など無視して、冷戦に対応するためと称し、戦車やミサイルなど財政事情など顧みることもなく、次々発注して呆気なく国を破綻させてしまった。大惨事の前には必ず何等かの兆候がある。千兆円近い国家債務のある日本は、果たしてこの二の舞とならないだろうか。
昨年末からここには何も書いていない。忙しいこともあったが、あまりいろいろ書いても、どうもおこがましい気がした。それでもおこがましいことを承知の上、また駄文を書いてみる。変な性分だ。しとしと梅雨となって、鬱陶しい季節になると人生みたいに気分も沈む。四季の薄れた日本から脱出したいものだ。ロシアにでも行こうかしら!
年々と直截の表現には飽き足らず、半透明のベ-ルをかぶせてみると、遥かに効果のあるのが分かった。直截の表現は、おそらく相手の印象をほとんど考慮していないせいかもしれない。扉の無い家には誰も入れるが、誰も期待していないだろう。扉のある家には誰も入れるわけではないが、ぞくぞくするものを期待するかもしれない。半開きだらどうだろうか。
前々から気づいていたことだが、外国語を知らない人は、外国語は日本語の延長線上にある異なる外国の言語だと思っているようだ。これは甚だ勘違いだ。日本語の延長線上には外国語はない。我々は日本で生まれ育ち、伝統や習慣、生活のしきたりなど、否応なしに背負い込まされ、文化という抽象的な表現で括られ、その中の一部分が言語である日本語にすぎない。つまり、日本の生活文化を背景に日本語を使っている。単語だけが独り歩きしているわけではない。生活文化が一枚貝のようにぴたっと貼りついている。外国語も同じことだ。どの外国語も各々それなりの文化背景があり、様々な歴史がある。体形も、皮膚も、眼の色も、食事も全て異なる。同じものは無い。それが異文化であり外国語といえる。
そうしたことを認識しないと、外国語のことを単語だけが異なっている言語だと思うのも頷けるところだが、そうではない。言語は全体の氷山の一角にすぎない。そしてこの氷山の中身は各民族全て違う。英語もフランス語もドイツ語もロシア語も単語だけが異なっていると思い込んでいる。だからそもそも辞書には限界があるのだが、そうしたことを少しも斟酌しないのが、外国語を知らない人々と云えるかもしれない。いくら外国語を知らないとはいえ、その国の歴史ぐらいは紐解いておいても、無駄にはならないはずだ。
最初は誰しも無知だが時ととも経験を積み知識が増えてくる。いつまでも無知でいるのはいかがなものだろうか。偉そうなことを言い過ぎたかもしれない。何故なら経験や知識は時に無知より劣る場合もあるからだ。へんに自信過剰で傲慢な人より、無知でも謙虚のほうが、日常生活では価値があるかもしれない。では無知で傲慢となるとどうだろうか。
今回も訳し方について議論してみる。これは何度も触れているテ-マだが、もう少し掘り進めてみる。職業として翻訳をしていると、このことは常に頭から離れない。依頼者は「お任せしますから、ご随意に」と薄笑いして意にも介さないが、翻訳者はそれどころでなく真剣なのだ。
読者に分かりやすい翻訳を最上とするか、それとも日本語の慣習を無視して外国のカルチャ-をできる限り伝えようとするか、大きく意見の分かれるところである。しかし、実務文に関してみれば、これはあてはまらないかもしれない。実務をこなしている人間同士のやり取りだからだ。簡潔で正確で客観的であればよい。感情移入などもってのほかだ。こうした世界で上手い日本文を書こうとすると、却って裏目にでるものだ。それより明確な情報を伝達することに重点を置くべきだろう。
「翻訳の文体については昔から相対立する二つの説がおこなわれている。その一つはいくら翻訳であっても、何よりもまず完全な日本文になっていなければならないという説であり、他の一つは、日本文としては異例であっても、西洋のものはどこまでも西洋のものらしく移しかえなければならないという説である。.......」(河盛好蔵)
「在り来たりの日本語の表現能力の適応範囲と西洋(英語、仏蘭西語、独逸語、露西亜語など)のそれとが、寸分の隙間もないように重なり合いうる場合には「作者」にも誠実であり同時に「役者」にも親切である翻訳が可能となる。「作者」に最も誠実であり「役者」に最も親切である翻訳が、価値に於いても最も高い位置を占めることが出来るのである。然しもし在り来たりの日本語が西洋語に比べて遥かに狭限せられた「適応範囲」しか持っていないとすれば、厳密にいって「作者」に最も誠実であると同時に「役者」にも最も親切であることとは竟に両立しない。従って「役者」のみ親切であることの度合によっては一つ戯曲の翻訳の価値は極められ得ない。此際「役者」に親切であると云うことは、何等かの点に於いて「原作」をVergewaltigen(暴力を加える)すると云うことになるからである。
在り来たりの日本語が、思想感情情緒気分の的確な精到な表現として、まさに西洋語に拮抗し得るとは、幾ら暢気に又幾ら贔屓目に見ても、私には考えられない。西洋語に比較するとき在り来たりの日本語は、遥かに貧弱で無力で粗大で曖昧である。我等は在り来たりの言葉に磨きをかけ在り来たりの排列法を改め新しい言葉を作り新しい言葉の排列法を工夫することなしには、到底日本語の表現能力を豊富にすることは出来ない。
絶対の立場から云えば、さうして多少の誇張を加味して云えば、此際西洋語の戯曲を日本語に翻訳する、恰も其の翻訳すると云うこと自体が一種のVergewaltigungであると云うことも争われない。然しかかるVergewaltigungの罪を、何等かの手段によって軽減し得た翻訳が、翻訳として価値あるものだとすれば、日本語の「適応範囲」を広め深め高め確め精しくすることによって、西洋語のそれに迫らむとする「努力」の有り無しこそ、翻訳評価の標準とせられるべき筈である。
日本語の「現在」から「未来」へ行かむとすること、然も其「未来」の日本語に出来うる丈のrealityをもたせむとすること、それ等の「努力」に理解も要求も持たず、役者に親切な翻訳のみ価値ある翻訳として推賞せしむとする者は、安価な日本語謳歌論者かそれでなければ頑迷な鎖国攘夷論者である。......」(小宮豊隆)
「右は主として戯曲の翻訳についていわれたものだが、文中の「役者」を「読者」と変えるならば、一般の翻訳についても立派に通用する議論であると思われる」(河盛好蔵)
読者に親切ということは、プロの翻訳者は常々心がけていることだろうが、作者に誠実となると、些か疑わしい。読者は一般に翻訳依頼者の近くにいるからだ。翻訳依頼者と作者が同じの場合、これはかなり困ったことになる。外国語にまったく無知でないとしても、あるいはかなり堪能であったとしても、大概は分かり易い表現を求めるだろう。中には作者への誠実を強く要求する依頼人もいるだろう。そして上記のテ-マで論争になるケ-スも珍しくない。
完全な日本文か、それとも西洋のものは西洋ものらしくと、はっきりと見解が分かれるにちがいない。本質的には表現能力の「適応範囲」が問題となる。仮に外国語をほぼ完全に理解しているとする。ところがどうしても日本語に寸分違わず匹敵する表現が存在しない場合、どうしよう。読者を選ぶか、作者を選ぶか、苦悩する。足して二で割ればよいという話ではない。信念がないと中庸な道を探るかもしれない。それではこの議論の核心とはならない。確かに読者に親切なほうが、読者も依頼者も喜ぶだろう。しかし、それだけだと真実を伝えたことにならない。realityはないが、自己耽美、自己陶酔を固有とする日本人にとってはうってつけかもしれない。
年配の翻訳者に依頼すると、大抵日本語が上手い、そして分かり易い。だが上記の問題点を意識しているのだろうか。若い人の訳は、日本語は直訳調でたどたどしいが、”西洋らしい”雰囲気をもっている。しかし、これもこの問題を意識しているだろうか。”西洋らしいもの”これが、異国の文化なのだろう。べつに西洋でなくてもよい。日本以外の外国であれば、同じことが言える。その異なる点をどうにか伝達するのが、翻訳者の役目ではないか。時には訳のわからぬような翻訳のほうが、気分を高揚させ、見知らぬ異国の地を旅させてくれる場合もあるから不思議だ。
日本人は横並びが好きで、隣人と同じ身なりをしていると安心する。突出するものを見ると急に動揺し、不吉な予感がするらしい。それを隠蔽するか、消滅させると、穏やかな気分になれるらしい。だから赤毛のアンは大嫌いなはずだ。しかし最近では赤毛に染めた日本人も珍しくないから、これは最早突出ではないのだろう。外国人と同じだと日本人はたしかに不安はないだろう。そして言語も同じなら違和感がないと、慰められる。こうして日本語万能論が生まれる。だから全て日本語に置き換えられると思い込んでしまう。
新語、造語はどの程度まで許されるのか。少なくても実務の世界ではやってはならない。何故なら必ず読み手が存在し、それも利害関係があるからだ。
「・・・異を樹てようとするな、と云うことに帰着するのであります。それをもう少し詳しく、箇条書きにて申しますと、
1.分り易い語を選ぶこと、
2.成るべく昔から使い馴れた古語を選ぶこと
3.適当な古語が見つからない時に、新語を使うようにすること、
4.古語も新語も見つからない時でも、造語、-自分で勝手に新奇な言葉
を拵えることは慎むべきこと、
5.拠り所のある言葉でも、耳遠い、むづかしい成語よりは、耳なれた外
来語や俗語の方を選ぶこと・・・・」(谷崎潤一郎:文章読本)
ここで曖昧なのが、新語と造語の相違だ。流行り言葉とか、新たな外来語のことなのか。造語とは、本人が勝手に造り、まったく普遍的な言葉でない、本人だけしか理解できない言葉だ。上記のように文芸の世界でも、使い馴れた分かり易い言葉が表現力が高いとされている。まして実務の世界であれば尚更である。言葉のプロとはボキャブラリが豊富で、分厚い脳内辞書から古語から最新の言葉まですんなりと引き出してくる。”素人”はそうはいかないので、まさに言葉に窮して、造語をやらかすのだろう。
実は新語、造語は”西洋のものらしく”と、密接に関係している。つまり日本文化にない言葉に遭遇した場合、新語、造語は不可避となる。最近よく見られるのが、外国語をその発音のまま、カタカナで表現するやり方だ。うまい訳語が見つかないのと、言葉の響きの効果を狙っているにちがいない。これもうまく日本語に納めると、引き締まってくる。”在り来たり”のもので表現できない言葉が外来語となって、日常に押し寄せてきて、当然のことのように権利主張している。それは必然的に日本語の表現能力を相対的に低下させているにちがいない。この意味では、適切な新語が求められる。これが上に挙げた著名者が要求した日本文化の開発であり、新しいものへの挑戦なのだろう。
実務文では、こうした問題を提起する機会はまずない。取引に関係することや技術に関係することだからだ。昔見たのがロシア語訳での造語だ。これはやってはならない。当時はロシア語の情報も少なく、適切なロシア語訳を探すのが一苦労だった。辞書や文献はかなりあったが、それも限定的なもので、英語辞書にはあっても、実物に対応するぴったりのロシア語はなかなか発見できなかった。最近ではかなり環境が良くなり、インタ-ネットなど駆使すると、その国から適切の文例、単語を探しやすくなっている。
上記の点は外国語訳にもあてはまる。外国人にとって分かり易い表現、言葉、その国の慣習に合わせた表現は必ずしも日本文化を反映していない。場合によっては、日本の文化を蔑ろにしている。母国文化の伝達者としてむしろ失格者と言える。グロ-バル化の中、生活の多様化の中、各民族のオリジナリテイ、アイデンテイテイを守ることは、互いを尊重し合う上できわめて重要だ。無原則に融合をはかっても、それは分裂を起こすだけで、けしてうまくいかない。言葉はやたらと機械で置き換えても、伝達範囲を狭めるだけ、豊かに広がる未来を保証するものではない。
くどいようだが、ここの議論は実務文ではそのまま適用できない。けれども、このような本質的背景をもっていることを認識しておくことは意味があるだろう。実務文の場合、作者は基本的に実際の事実を客観的に叙述、説明する。そこには本来、感情や情緒が入り込も余地はない。だから使われる言葉はかなり限定的なものとなる。したがって訳者は作者と読者の暗黙に合意された範囲の限られた言葉を訳すことになる。それでも新しい分野、新しい技術、新しい商形態が誕生すれば、当然、新語が要求されることになる。それは時に日本語にはなく、時に外国語にない。それを分かり易くするため、その国の在り来たりの言葉に置き換えてはいけない。これは異国文化、異国の情報を伝える上で、翻訳者にとって重要な使命の一つと言えるだろう。
雨が降り続く一日、夢と絶望が回転しながら頭の中を際限もなく通り抜けては回帰する。太宰治に云わせると、「孤高」なんて存在しない。本当は皆俗人で「孤低」で生きているそうだ。
「...私の家の庭にも、ときたま、蟹が這ってくる。君は、芥子つぶほどの蟹を見たことがあるか。芥子つぶほどの蟹と、芥子つぶほどの蟹とが、いのちかけて争っている。私、あの時、凝然とした」(もの思う葦、太宰治)
いつの世も虎の威を借る狐がいるが、現代では虎はそんなに多くはいない。最早絶滅危惧種ではないか。日本の歴史が大きく変わろうとしているのに...。
ロシア語上達法(24)(翻訳と嘘) (2010年12月4日更新)
急に冷えてきた。まるで今年の酷暑が嘘のようである。近所の公園の銀杏も、鮮やかな黄色となって、美しい自然の景色にうっとりとしている間もなく、いつしか枯葉となってどことなく寂しくなり、もうすぐ今年も終わると思うと、時間の流れの早さに戸惑う。
翻訳の仕事をしていると、上達する時期と横ばいの時期がある。くっきりと克明に翻訳できる時もあるが、どうも気分ののらない時もある。やる気のある時もない時もあるが、少なくとも一定以上のレベルで仕事をしないといけない。そうしないと職業人ではない励ましてみたくなる。進歩と停滞を繰り返しながら上昇していければ理想的なのだが、どうも螺旋階段みたいにはなかなかいかない。停滞が長すぎると、頽廃がおとずれる。長引かせないのがプロなのだろうが...。
最初は辞書と文法があれば翻訳できると思う。そしてそれでは不十分だと気づいて、いろいろな知識を身につけ経験もするが、それでも何か足りないような気がする。仕事の先にあるものが見えないからだろうか。報酬だけで満足できる時もあるが、それに飽き足らなくなって、別のものを求めたりすることもある。
何かを極めようとすると、自らの欠点を見つめないと前には進めない。不遜、傲慢、権威などはお話にもならないが、虚栄心となるとけっこう厄介なことだ。あるがままの自己を受け入れることは簡単ではない。自己評価は当然、主観だが、さらに他人の評価も主観だからだ。その欠点で最大のものが虚栄心かもしれない。これが究極へ到達する上で足枷となる。社会的人間である限り、多少なりとも誰にでもある。虚栄心、羞恥心がなければ、そして積極性があれば、人生かなりのことが達成できるかもしれない。
仮に目標、目的が定まったとしても、それだけで実現するわけではない。強い信念みたいなものが求められる。それは様々の原因から生まれてくるのだろう。ちょっとした日常的なコンプレックスからもっと高尚な哲学的な要因にいたる、いろいろなところから出てくるのだろう。よく「好きだからこそ達成できた」と言われるが、好きだからといっても何かを実現できるわけでもない。分かりやすい表現だが真実を曖昧にしている。「好き」だというのは具体的な感覚だろうが、そのずっと奥には本人でも認識していないかもしれない核心があるのではないだろうか。突き動かす何かがめらめらマグマのように炎を上げているのかしれない。その見えない「炉心」が静かに音もなく飽きることなく燃え上がっている人が達成できるのだろう。
晩年になると知人、友人が少なくなり、最後は一人だけの船旅になるのだろう。道がそれぞれ異なるせいだろう。はっと気づくと、周りには誰もいなくなっている。そして唯我独尊と依怙地となって、老いてますます盛んなのは虚栄心だけ、人によっては名誉欲がこれに加わるのかもしれない。こうした状態だけは回避したい。
翻訳者にも二通りのタイプがある。言葉を機械的に定義して訳す者と、その裏の裏まで読んで本質的に訳す者がいる。ちょっと見ただけでは差は分からない。どちらも同じように見える。前者は実務的分野の翻訳者に多く見られる。言葉を文字通り解釈する世界だからだ。無論、メタファなどとは無縁の世界で、リアルの情報だけを扱う。一方後者は文芸・文学などに見られ、一つの表現の中に別の意味を埋め込んだりする。文体も前者は簡潔・平明なほど歓迎され、後者は感情・感覚にうったえるものなのでどのような形式でもかまわない。
翻訳は当然、言葉と文に直接関係する。言葉とは何か、文とは何か、理解しないと、優秀な翻訳にはならないだろう。これはなかなか難しい。ちょっとした言葉遣いで、相手は上機嫌になったり不機嫌になったりする。沈黙は静的なもので、一切が動かないのかもしれない。そして暗いイメ-ジがする。言葉を発すると、周囲は確かに動き出すだろう。それほど言葉は力をもっている。だからどう表現するか、これが問題なのだ。その手段が単語と単語の連なりである文だ。表現は文をどう扱えるかにかかっている。これはそのまま翻訳にもあてはまる。若干異なるのは起点が外国語ということだ。けれども、単語や文法を理解したとしても、最後の表現段階において文でどのように表現するか、これが結果である。
こんな例がある。日本語の文はとても上手なのに、外国語を経由して翻訳すると文が稚拙になる。何故だろうか。たぶん、人間はどのような文を書くか、理解していないせいかもしれない。普段、自分の書いている私信や日記を見れば十分だろう。なんと肩に力の入らないリラックスした文のことか。翻訳文もそのように書ければ良いのだろう。外国人が書いた文だと思わなければよいのかもしれない。書き手が外国人であることを忘却すればよい。ところがそうもいかない。眼前にあるのが外国文字だからだ。
人は時に真実より嘘が心地よい場合がある。「胡蝶の夢」ということもある。全てが真実とも言える。どれが真実の姿か、それはたしかにどちらでもよいのかもしれない。あるがままに受け入れてみてはどうだろうか。無為自然ということなのか。
文も少し嘘を入れると、艶が出てくる。嘘というと穏やかではないが、いわゆる嘘のことではない。表現法のことだ。文字という平面、二次元の世界では事実をそのまま書いても事実として受容されないことがしばしばある。現実が三次元だからだ。事実を事実として伝達するには、本質的特徴を表現するほうが読み手には理解しやすい。誇張も割愛もあるが、それでもって事実が伝えやすくなる。これが意訳なのかもしれない。
軽薄鍍金の翻訳なら誰でもできるかもしれない。自由奔放に訳してよいのが意訳とばかり考えていた。実は本質的特徴を把握して訳すのが意訳だと最近理解したばかりだ。ここで初めて原文に忠実なのか、このきわめて理解しがたい問題が提起される。実務文では単語は機械的に狭義に定義されるが、それでもあまりにも難解の文では本質的にとらえたほうがよいかもしれない。この場合、前提として出てくる単語の意味は書き手と読み手の間で一定の協定が成立されている。けれども現実はそのような都合のよい語意協定があるケ-スは稀だろう。ここでも意訳と原文に忠実というテ-マが顔を出す。
そもそも完全なる文が存在しないのだから、完全なる翻訳も存在しないのは極々自然なことかもしれない。面白い現象がある。原文より翻訳文のほうがより正確で完成された文の場合がけっこう多い。プロの翻訳者は若い頃から文章ばかり弄くっている。語意から表現法までいろいろ研究もしている。だから文が上手いのは当たり前といえる。一方、依頼者は必ずしも文のプロではない。時に”素人”とも言える。文を書くことは仕事の一部で、本来の目的を達成するための手段である。ところがプロの翻訳者にとっては目的である。その意味では”文の達人”であるはずのだが、....そうとも言えないからまたまた分からなくなる。文の才能には先天的なものもあるから、職業とは関係なくなる。しかし 天才を論じても意味がない。
「人はいろいろと嘘の素振りをする。世間には自分を自分とはちがったものにいつも見せたがる嘘の人がある。それよりは正直であるが、そもそもの生まれが嘘で固まっていて、自分自身を嘆きはするし、物事をあるがままに見ようとは決してしない人もある。またその心は正しいが、まちがった趣味をもっている人もあるし、心が嘘で固まっていても、趣味となると、何かしら正しさを見せる人もあるし、趣味にも心にも何一つとして嘘らしいものをもっていない人もある。ところで、この終わりのような人は至って稀である。というのは、一般にいって、心や趣味のどこかに嘘のものをもっていない人は、この世にただひとりもいないからである。かように嘘がだれにもあるのは、われわれ人間のもっている性質が不確かで曖昧であり、我々の趣味がまたそうだからである。人は物事をそのあるがままにきちんと見ようとはしない。その実際の価値をより以上に見つもったり、より以下に見つもったりする。物事とわれわれとの関係を、われわれの身分と性質とに当てはめてしかるべく見究めようとはしないのである。.......」(「考察」(嘘について)、ラ・ロシェフコオ)
水面に映る自らの姿に惚れるのはけっしてナルキッソスだけではない。多かれ少なかれ誰にも自己愛みたいな部分があるだろう。だが現実はこの逆だ。自己を客観視できる人ほど、良い仕事ができるのだろう。自分の能力が正確に把握できるからこそ、その能力を存分に発揮できる。齢を重ねると自己認識が弱くなる。それでいて社会の中で小さな権力を振り回しているから困るのだ。
まだ大晦日まで少し時間はあるが、今年は平坦な一年だったと総括しておく。なかなか「出藍」とはいかないようだ。
ロシア語上達法(23)(原文に忠実) (2010年9月3日更新)
燃える地面の陽炎に遠い昔の幻影を見つめながら、蝉の抜け殻がからからところがっている細いジグザグの階段を登って重厚な灰色鉄扉を両手で開くと、強い日射しと轟音が待っていた。ベンチ一つが灼熱の太陽の餌食となって、じっと耐えていた。この世の一切を燃え尽くして、全てリセットさせようと世紀の悪巧みの太陽を仰ぎ見ると、クスクス笑うような蝉の声が聞こえてきた。フライパン地獄のようなバス停で10分間ぐらいぶらぶらしていると、やっと高速バスが到着した。
席につくと、リュックザックからペットボトルを飲み出した。焼酎入りのやつを二本用意していた。一本空ける頃になると、陽気となって過去も現在もどうでもよくなった。うっかり眠ったらしく、どうやら降車場を一つやり過ごしたようだ。次のバスまでかなり時間がある。しかたないので鉄道に乗り換えようと、見知らぬ町中を歩いて鉄道駅まで行くことにした。大きな鉄橋を渡ってどんどん坂道を上ると、赤煉瓦の建物が聳え立っていた。古い建造物でコンクリ-トの門柱に富岡製紙工場とあった。世界遺産候補らしい。入ってすぐ左に受付があって観光名所となっていた。パンフレットをもらって読むと、1873年にフランス人によって建設されたらしい。この2年前1871年にパリコミュ-ンが成立している。女工は8時間労働で週休二日、厚生施設も充実していた。たぶん、フランス人はパリコミュ-ンの高揚した精神をもって、異国の地に革命的気分をもたらしたかもしれない。
中をぶらりと見て、門の外にでると目の前に蕎麦屋があった。そこで“冷やしぶっかけ”という蕎麦を食べながら、なかなか上達しない翻訳についてあれやこれや考えていた。
「・・・第一に先ず文体の「特異性」とは何ぞやという問題がある。ある外国語の文体がもつ「特異性」などということを、往々人はひどく簡単に口にするが、事実それが正しくわかるということはよくよくその外国語に熟した人、ほとんど母国語と同じにできる人にしてはじめていいうることなであり、生半可の語学力で勝手に「特異性」がわかったような顔などされた日には、ほとんど酢豆腐の滑稽になる。ところが通常、とりわけ日本では語学のあまりできぬ人間に限って原作の文体のニュアンスを移すとか移さぬとか御託を並べるのだから、問題にならぬ。個々の語乃至句に対するいわゆる「忠実さ」を積み重ねた総和が、決して文体そのものの「特異性」などになるものでないということから学び直す必要があるのではあるまいか。ましてそうした部分的「忠実さ」の総和である訳業そのものに日本文それ自体としてのリズムも調子も出ていないとすると、いよいよお話にならぬ。ついでながら一頃日本で非常に流行った「忠実な逐語訳によった」という断り書きが、ほとんどすべてといっていいくらい、語学力の欠陥をごまかすための遁辞であって、原文脉の特異性を生かすどころか、正しい意味では翻訳ですらなかったということも想起してほしい」(中野好夫、翻訳論ノ-ト)
「原文に忠実」とは何か、原文の意味が分からないと「忠実」には訳せない。これに似た言い方として「直訳」というものがある。辞書の意味でそのまま訳すことだ。無論、これはお話にもならない。辞書の意味が最大公約数だからだ。語だけの意味なら辞書の意味もかなり近いものがある。けれど文は単語だけで形成されているわけではない。動詞も形容詞も副詞もある。そうした諸々のものが絡み合って一つの文を形成している。
実務文の場合ならかなり「原文に忠実」に訳すことができる。何故なら単語の概念がしっかりと定義されているからだ。だから全て狭義に規定してある。そこにちょっとでも文芸的表現を挿入すると、途端に厄介となって意味が取りづらくなる。時にはかえって人間味を出すなど、一種インパクトを与えるが極力回避すべきだろう。
和訳は魔物で誰でも訳せる反面、誰でも間違いをおかす可能性がある。原文の意味を正確に把握していなくても、日本語でうまく調整してとり繕い、場合によってはかなり巧みな日本文に仕上げることもできるからだ。つまりデタラメでも、日本文としてはしっかりしていることも往々にある。それと大胆な意訳に誘惑されるおそれがある。和訳の場合、どうしても読者である日本人を意識してしまう。上手く見せようと余分な気持ちがふらふらと沸き上がってしまう。さらに最悪なのは文学趣味が加わると、最早翻訳ではなくナルシズムの創造物となってしまう。
翻訳は自己とも原作者とも少し距離をおいて、自分以外の第三者が訳していると思ってやると、案外きちんとしたものに仕上がる。人間だから欲もでるが、一歩二歩退くと、かなり冷静となって対象への焦点が合ってくる。
そうはいっても自分はどうだろうか、そんなに冷静に仕事ができるものだろうか、ちょっとしたことでも一喜一憂するではないか、やや情けなくなったが、蕎麦屋の勘定をすませて店外に出ると、またもや熱風がおそってきた。かんかん照りの炎天下、家前の狭い道路に水を撒いている老人に駅までの道順を訊ねたが、どうも要領を得ず、何度かすれ違う人に聞きながら、くねくねした細い路地を歩いてやっと駅に着いた。駅の中では子供たちが走り回って騒いでいた。この沿線の駅舎はほとんど古い木造で、駅員が切符に鋏を入れている。
翻訳とは孤独な職業だが、人生だって孤独な生業ではないか、死生観のない人間に出会うと落ち着きを失い苛々してくる。結局俗塵に埋もれると、とりとめのないことを考えながら、いっこうに沈静化しないけだるい暑さに負けまいと藻掻きながら、電車を一人だけで待っていた。線路の木柵内にぽつんと数本の細長いヒマワリが微かな風に揺れても、秋の来ない夏は長すぎる。
ロシア語上達法(22)(外国語のすすめ) (2010年7月10日更新)
朝から小雨と曇空、鬱陶しい日が続き、じめじめした気分となる。湿った気持ちは力を蓄えさせてくれる。いつか必ず来る未来の晴れ間、その日のために今日があるのかもしれない。
外国語のよさは、誰よりも先に世界の情報、先端技術を知ることができることだ。外国語を知らないと、新聞雑誌を経由した二次デ-タとなる。それも記者の主観で選択した要約的なものだ。もし自分で読め、自分の必要で文献を選ぶことができたなら、他人の嗜好に左右されることもない。外国語は世界への窓、そこからあらゆる情報、知識が入ってくる。人は自分の生活圏から外に出られないが、この生活圏が国際的であると、グロ-バル化した現代の要求に応えられる。
古い因習、慣習の風土が躊躇うことなく皮膚感覚となって違和感なく日常に没しつつ狭い遅れた空間から世界を見ても、無自覚の歪曲が待っているだけだ。たまに田舎に帰ると、外観は過去を彷彿させるものはどこにもないが、内心は古い価値観のまま、うんざりするシンプルな常識の中にとても時代を語る資格などないだろう。何の進展もなく進歩もなく、物理的なものだけが嘲笑するが如く幻影の輝きを放つ。
「…..一字一字訳して、それを排列したからと云って、能事畢ると云うわけではない。故らに足した語を原文に無いと云って難じたり、わざと除いた語を原文にあると云って責めたりしても、こっちでは痛痒を感じない。……..日本固有の物で、ふさわしいものにして書けという教えであるが、予なんぞは努めて日本固有の物を避けて、特殊の感じを出そうとしている。それもふさわしい物ならまだしもである。日本固有に物として、しかもふさわしくないと来てはたまらない。……」(森鴎外、「翻訳について」)
時代の違いはあるが、考えさせるところもある。当時は今みたいにグロ-バル化など想像もできなかっただろうが、本国と外国の間には巨大な障壁が聳え立っていた。それに小さな穴を開けたのが翻訳だろう。翻訳を通してしか多くの人は異国を想像するほかなかった。現代はその気さえあれば、世界の果てまで行ってその目で確かめることも可能かもしれない。それでも、本質的なものは変わらないだろう。
外国について何も知らなくても生涯を終えることはできるだろうが、それはいつしか小さな自分の世界だけを全宇宙と思い込んでいるに過ぎないだろう。外の世界へ出ることは、無能を隠蔽する自己愛の殻を割って出て自分の内面と対峙する瞬間かもしれない。これには外国語ができないといけない。これが外界に向かって内界を見つめる武器であり保護装置かもしれない。
人は老いたり出世したりすると、どうも天動説の信徒になるようだ。今夏は作家ヘミングウエイが云う「凝視すると何も見えないが、ぼんやり見るとはっきり見える」を肝に銘じて、こよなく愛する因果な翻訳という仕事に精を出すつもりでいる。さて、気晴らしに居酒屋に行くとする。
ロシア語上達法(21)(闇の中の黒い馬) (2010年3月7日更新)
朝から小雨と曇空、鬱陶しい日が続き、じめじめした気分となる。湿った気持ちは力を蓄えさせてくれる。いつか必ず来る未来の晴れ間、その日のために今日があるのかもしれない。
外国語のよさは、誰よりも先に世界の情報、先端技術を知ることができることだ。外国語を知らないと、新聞雑誌を経由した二次デ-タとなる。それも記者の主観で選択した要約的なものだ。もし自分で読め、自分の必要で文献を選ぶことができたなら、他人の嗜好に左右されることもない。外国語は世界への窓、そこからあらゆる情報、知識が入ってくる。人は自分の生活圏から外に出られないが、この生活圏が国際的であると、グロ-バル化した現代の要求に応えられる。
古い因習、慣習の風土が躊躇うことなく皮膚感覚となって違和感なく日常に没しつつ狭い遅れた空間から世界を見ても、無自覚の歪曲が待っているだけだ。たまに田舎に帰ると、外観は過去を彷彿させるものはどこにもないが、内心は古い価値観のまま、うんざりするシンプルな常識の中にとても時代を語る資格などないだろう。何の進展もなく進歩もなく、物理的なものだけが嘲笑するが如く幻影の輝きを放つ。
「…..一字一字訳して、それを排列したからと云って、能事畢ると云うわけではない。故らに足した語を原文に無いと云って難じたり、わざと除いた語を原文にあると云って責めたりしても、こっちでは痛痒を感じない。……..日本固有の物で、ふさわしいものにして書けという教えであるが、予なんぞは努めて日本固有の物を避けて、特殊の感じを出そうとしている。それもふさわしい物ならまだしもである。日本固有に物として、しかもふさわしくないと来てはたまらない。……」(森鴎外、「翻訳について」)
時代の違いはあるが、考えさせるところもある。当時は今みたいにグロ-バル化など想像もできなかっただろうが、本国と外国の間には巨大な障壁が聳え立っていた。それに小さな穴を開けたのが翻訳だろう。翻訳を通してしか多くの人は異国を想像するほかなかった。現代はその気さえあれば、世界の果てまで行ってその目で確かめることも可能かもしれない。それでも、本質的なものは変わらないだろう。
外国について何も知らなくても生涯を終えることはできるだろうが、それはいつしか小さな自分の世界だけを全宇宙と思い込んでいるに過ぎないだろう。外の世界へ出ることは、無能を隠蔽する自己愛の殻を割って出て自分の内面と対峙する瞬間かもしれない。これには外国語ができないといけない。これが外界に向かって内界を見つめる武器であり保護装置かもしれない。
人は老いたり出世したりすると、どうも天動説の信徒になるようだ。今夏は作家ヘミングウエイが云う「凝視すると何も見えないが、ぼんやり見るとはっきり見える」を肝に銘じて、こよなく愛する因果な翻訳という仕事に精を出すつもりでいる。さて、気晴らしに居酒屋に行くとする。
幽かに梢が震え、瞬間突風となって激しく樹木が軋みだし、地面を容赦なく叩きつけながら、疾風怒濤の如くあっという間に突っ切ると、段々と小さくなって再びいつもの静寂の闇世界に戻る。
もし暗闇の中で黒馬が直ぐ傍を全速力で通り抜けたら、おそらくこのような情景となるのだろう。これはある有名作家の作品タイトルだが、翻訳者の形容とすればこれほど的を射た表現はないかもしれない。
「翻訳家というものは人目につかないものである。彼は一番最後の席に座っている。彼はいわば施物を以てしか生活しない。彼は甘んじて最も下賤な職務、最も控えめな役割を果たしている。“他人のために奉仕する”ということが彼の標語である。彼は自己自身のためには何物をも求めない。彼は自らの選んだ師に忠実であること、彼自身の知的人格を絶滅させるほどまでに忠実であることに、あらゆる彼の栄光を賭けている。しかも世人はこの如く人間を無視し、彼に対するあらゆる敬意を拒絶し、多くの場合、彼は翻訳紹介せんと欲したものを裏切ったといって非難する。それもはなはだしばしば何等の根拠なしに非難する場合にしか彼の名を挙げず、彼の仕事が我々を満足させたときにさえ彼を軽視して顧みない。このような態度は、自己犠牲、忍耐、仁愛、細心なる誠実さ、理解力、鋭敏なる精神、広汎なる知識、豊かにして迅速なる記憶力のごとき、最も貴重なる稟性、最も希有なる美徳を軽蔑することである。すべて以上のような美徳や稟性は、最も優れた精神にもしばしば欠くところのものであり、また凡庸な人間にはそれらが結合して見出されないものである。それゆえにわれわれは堪能な、良心的な翻訳家のなかに、われわれが最高の人々のなかに認めて賞賛するところの、これらの完成した美徳の跡を辿り、それに対して公の敬意を払わなければならない」(フランスの翻訳家、ヴァレリ-・ラルボ-)
翻訳とは地味な職業だが、「闇の中の黒い馬」の如く姿こそ見えないが激しく躍動していることも事実だ。これは文芸にしても技術翻訳にしても言えるだろう。どの分野でもそうだが、深く接すれば接するほど、混迷して自己が行方不明になる時がある。そして辛苦を嘗めながら長い闇を突き抜けると、異次元の世界が待っている。この道程は長い。長いが価値はある。プロの翻訳者が自立するまでには20年間ぐらいかかるが、それに相応しい見返りがあるわけではない。また周囲に理解されがたい職業でもある。それでもプロの翻訳者になりたい人は多数いるが、それ以外に選択肢がない場合でなければ、やめた方がよい。
言うまでもないが、どの部門でもプロとはその職業で生計を立てている人のことである。いわゆる専門の職業人である。これは一朝一夕にはいかない。知識と経験の他に、取り憑かれたような希求みたいなものが心底に存在していないと、暴風雨には耐えられないだろう。極めることはできないとしても、熱に浮かされたように極めようと突き動かされる。それがある一線を越える資質のあるプロのことだ。
翻訳が原作より優れることはありえないが、原作の本質を十分生かして最高のものを紹介することはできる。「闇の中の黒い馬」が「白い馬」になるとまったく価値はない。読後、余韻に酔いしれる垣間にうっすら正体の現れる翻訳者が理想かもしれない。
すでに三月の節句も終わり、今日は雨模様。
「年々にわが悲しみは深くして、
いよよ華やぐいのちなりけり」(岡本かな子、「老妓抄」より)
老いて枯れるのではなく、ますます開花する情念の凄さには驚かされる。今年はこの心境で翻訳に励み、さらに開発に挑みたい。
ロシア語上達法(20)(形式論と本質論) (2009年12月28日更新)
一つのものを作り上げるのに、形から入り本質を通過して作品になる場合と、本質から入り形式を通過して作品になる場合がある。文型や例文から学ぶやり方がある。例えば、文豪の名文を模倣しながら文を学び、それに若干のオリジナリテイを加えていくうちにしまいには自己の文体と思い込み、世間の評価も高くなることも珍しくない。
この欠陥は本質を把握していないにもかかわらず、本質を理解していると外観上、思える点にある。いくら上手い文を書いても、それが模倣である限り価値はまったくない。きわめて下手でも唯一無比のものであれば、そこそこの価値はある。いわゆる独自性のことだが、仕事にしても、プライベ-トにしても、人生にしても、他と比較できないものがあれば新たな発展につながるだろう。独自の芽を育めば、それはいつか大きく開花して生きる確信となって市井に輝く希望を与えるかもしれない。
しかし、いくら本質を理解しても形式をふまないと作品にはならない。形式とは最終的な作品形態であり、現実的な表現方法のことである。言い方をかえると、現実的な具体化する技巧ともいえる。よく本質が形式を決定するといわれるが、この形式がきちんとしていないと、受け手は十分には理解できない。そのためには新たな形式の開発が余儀なくされる。
語学における本質とは、言葉のもつ意味のことだろう。けれども意味が分かっても、読者が認識できるように表現できるわけではない。表現形式は無限大に存在するだろうが、既成の概念からではそう多くの選択肢があるわけではない。本質を完全に反映させるにはおそらく独自の形式が要求されるのだろう。既成の概念に依拠することは飛びつきたくなる選択肢で、妥協ということになる。多くの場合、断腸の思いで妥協しないと現実が成立しない。それでも本質から入ることは、独自の形式への道を開拓する余地を残すのだろう。
人生でいえば、独自の生き方といえるかもしれない。周囲に影響されない生活のことかもしれない。それには自己に確信というか、内部に堅牢な核がないといけない。勿論、最初からそのような堅い核が存在するわけはない。まさに本質を把握してからの茨の闘争となるのだろう。その葛藤を通して人間も発展し進歩するのかもしれない。これが本質論の優位性なのかもしれないが、きわめて危険性を伴うもので発展も進歩しないで破綻することも多々ある。どこまで辛抱できるか、それによって存在価値が決定されるのかもしれない。
ややもすると表面的な形式に流され、手打ちをして譲歩してしまうこともある。容易い選択から独特なものも、新たなものも発生しないが、現実の濁流の中で押し流され、木の葉のように翻弄されてしまうかもしれない。それでも本質へのアプロ-チは最も価値があると断言できるだろう。本質の扉はとても狭く徒やおろそかに通過できるものではない。経験とか勘だろうか、否や激しい希求、情熱なのだろうか。だがこの扉を運よく突破できても、実体という形式を完成させる難題が待ち受けている。
では言葉のもつ意味とは何だろうか。翻訳では大意ということになるが、これは事物の一面に過ぎないかもしれない。訳者が一方的に思い込んでいる可能性もある。例えば、どれほど愛し合っても、相手を理解できないという話を耳にする。おそらく価値観が異なっているせいかもしれない。あるいは、生活習慣の相違かもしれない。日本人同士でいくら議論してもかみ合わないことがある。勿論、言わんとしていることは言葉としては理解している。しかし、どうしてそのような考えなのか理解できない。これが相手の本質なのだろう。それが分かると、相手を理解できるのだろう。
語学の一つの欠点は形式論に陥りやすい点かもしれない。真実まで到達せずとも、事が足りるからだ。形だけを整え既成の概念を積み重ねても、軽薄になるだけで表面を闊歩するばかりで実存感が出てこない。おそらく形式と本質は一体のもので、どちらが欠けても作品とはならないだろう。外国語の形式性はそれだけで魅力があるから尚更、表層的な習得で満足してしまうかもしれない。後一歩、果敢に進めばもしかしたら、真理に達するかもしれない。
残念なことにほとんどか形式性で破綻するか、本質性ばかりに重点を置いて陶酔して自己認識できないでいる。自らを認識することは恐怖だが、これなくしてリアリズムは成立しない。甘い虚飾のベ-ルを剥ぐと、醜悪の実像が浮かび上がるかもしれないが、それが原点なのだろう。
このようなことを考えながら、今年も終わろうとしている。年の瀬はいつも忙しく、景気のよい人もあれば、調子の悪かった人もあろうが、人生一割の努力、九割りの運。だがこの一割の努力は血も滲む全てのベ-スかもしれない。
太宰治の「津軽」を読むと、あちらの地方では凱旋将軍をしてはいけないそうだ。全てが「武運強く」らしく、出世して不遜な態度で高級服など着て帰郷すると、顰蹙をかって相手にされないそうだ。
ロシア語上達法(19)(翻訳文における文の転換) (2009年10月13日更新)
「翻訳文における文の転換」
翻訳していて文の流れが変わる時が屡々ある。下記に抜き出した単語は必ずしも文の転換点に出てくるわけではないが、頻繁に出会う単語でもある。
«а»,
«но»,
«впрочем»,
«ведь»,
«при
этом»,
«однако»,
«правда»,
«причем»,
«в
том
числе»,
«включая»,
«учитывая»,
«с
учетом»,
«несмотря»,
«хотя»,
«хоть»,
«к
тому
же»,
«между
прочим»,
«между
тем»,
«тогда
как»,
«тем
временем»,
«в
то
же
время»等々
辞書に出ている語意をそのまま当てはめると、文がどうしてもギクシャクしてしまう。何故だろうか、そこが外国語の錯覚だからだ。日本文を書く時、誰しも単語の持つ文法的意味など意識しない。だから文に流れがあり読みやすい。訳す時はどうだろうか。上記の単語はそれぞれ意味もニュアンスも異なる。しかし露文の中に平気で登場し、文を形作っている。そして辞書を引いていくつかある語意から一つを選び文に挿入する。ところが読んでみると、どうも音調やら文を噛むというか、流れがよくない。これが翻訳文の短所なのかもしれない。一つはコンテキストから判断して、流れをよくする方法もあるだろう。
しかしそれだけではうまく解決できない場合もある。書いているのが人間だからだ。必ずしも理路整然と記述しているわけではない。さらに人によって言葉の概念の定義がまちまちだ。かなり自己流に解釈しているケ-スもある。それも無意識に行われている。よく書き手の言わんとするところと、読み手の解釈が異なることがある。文学作品など読み手である評論家の解釈でかえって作品の本来の価値より高くなってしまうことも珍しくない。
これは文学だから許されることで、実務文などでは本来あってはならないことだ。書き手と読み手が同じ解釈を共有するものでなくてはならない。しかし、ここでも同じ現象が文学ほどではないとしても起きる。原因の一つは言葉の概念が主観によって左右されるからだ。いくら辞書で客観的に定義しても、現実はもどかしく人それぞれ勝手に理解してしまう。まさに同床異夢とはこのことなのだろう。つまり、文法や辞書の語意をいくら適正に駆使しても、その前提となる原本にも執筆者の意識しない曖昧ともとれる部分を内包している。
学術論文などが典型的で、言葉の定義が書き手も読み手も同一の概念を共有していると楽観主義に依拠し、正確な情報伝達が可能と思い込み、そして難解となって文には流れはなく停滞淀んだまま、すまし顔で名文気取りの時さえある。これは法律文にも、公文書にも、身近な技術文書にもよく見られることだ。さらさらと流れないと読み手の心の襞まで正確に情報が届かない。必要かつ十分な情報量を適確に伝達することと、流暢な文章とは矛盾してくる。これは相互に排他的でもある。文がこの世に誕生した時から宿命の敵同士かもしれない。回避方法として冗長な文をやめ、短文にすればよいのかもしれないが、今度は一つの文を短くできても、文全体が途方もなく長く量も増えてしまう。主語や固有名詞を何度も反復しないといけなくなる。簡潔、簡単な文の欠陥はこうした点にあるのだろう。
こうして考えてくると、辞書の語意が正確であろうと、それをもって正確な文が形成されるわけではない。だから語意ばかりに気を取られ、本質的な意味を見失うと、元も子もなくなってしまう。そもそも辞書の語意の定義は集約的なもので具体的個別的な意味ではない。言葉自体が個別の状況を指すのではなく、行動や状況の共通性を指すものであろう。だから言葉という伝達手段の使用価値があるわけだから、その枠組みからけしてはみだすことはできない。実際の文は個別的具体的であるから、当然言葉という意味の共通性が持つ抽象性から曖昧性を含有することになる。
こうした点を前提とすると、完全なる文も完全なる翻訳も存在しない。これは言語自体のもつ構造的、本質的特徴だからどうしようもない。文を転換させる場合、つまり前文を否定したり、反対の意味を述べたり強調したり後文でする場合、“しかし”、“けれども”、“だが”、“とはいえ”、“一方”、“それでも”、“だからこそ”等々といろいろあるが、どれを使うか、筆者自身の判断による。しかし各々それぞれ若干ニュアンスが違うから厄介なことになる。仮に筆者がこの若干のニュアンス相違をきちんと把握していたとしても、読み手が同レベルに認識していないと、全く意味がない。さらに読み手が一人の場合と、不特定多数の場合とでは状況はがらりと変わる。
ベストの環境であれば、筆者と直接会って本人の性格やら特徴やらに触れ、また文意を確かめることもできるが、一般にはまず会う機会はない。それでも筆者について考えてみることも無意味でないだろう。それから原文の本質的な文意に注意を向けてみる。結局何を言いたいのか、きちんと認識する。あとは各部分を細かく分解して意味を確認する。再び全体に戻り翻訳に入る。可能な限り文が流れるように訳しながら、転換点で摩擦が発生しないように辞書の意味は忘れてもよい。
良い翻訳とはおそらく、翻訳者の姿が見えない翻訳だろう。翻訳者の個性を抑えるのではなく、それが筆者の個性を際立たせるような黒子的なエネルギ-を出せると、最良の訳文となるのだろう。どの分野でもそうだろうが、自己が前面に出るようなものは良くない。自己の存在が分からなくなって初めて自己の価値が発揮されるのだろう。言い方を変えると、文にトラップを仕掛けるようなものかもしれない。人工的なものが自然に見えるようになれば最高なのだろう。明るく描こうとするなら、暗く描かないと明るさを出せないのと同じ原理で、訳者が黒子になればなるほど、筆者が前面に出てその背後に必ず存在する訳者が存分に活躍できるのかもしれない。ある意味で人形遣いなのだろう。
一つの場面に辞書の単語を入れ、意味が通るようになったら、その場面を自分ならどのように描写するか考えてみると、原作者の真意に近くなるかもしれない。翻訳文は様々な制約、足枷があるが、文という存在そのものも本質的には同じような制約も足枷もある。この制約、足枷は誰も取っ払うことは出来ないが、そのことを認識することで、読者に訳文を意識させない訳文が誕生するかもしれない。勿論、文化の相違もある。日本人なら十を数えるのに親指から折り曲げていくが、外国人によっては小指から折り曲げたり、掌を拳にして指を開きながら数えていく。こうした場面を翻訳する場合、小指から折り曲げたり、あるいは拳を開いて数えると異国文化が醸し出され、親指から折り曲げると日本文化的となって、すんなりしたものとなる。それぞれ使い分けていく必要がある。
一日一日と秋も深まって、翻訳文の転換点など思索しながら政治の転換があった今年も残すところ後三ヶ月を切った。新しいものを得ようとするなら、古いものは破壊しないと新生はないのだろう。これには大きなエネルギ-が求められるがそれを失わないようにしたいものだ。
ロシア語上達法(18)(翻訳の純粋価値) (2009年4月11日)
今回は、純粋に翻訳の価値について考えてみたい。どうも職業がからむと生々しくていけない。ある一面を強調すると他を批判したことになり、他の一面を強調すると別のものを批判したことになる。利害関係があるからだ。
昔だったら、異文化の紹介とか、外国の知識を得るとか、あるいはおのれの見識を広めるとか、そうした重要な役割があったが、今日みたいにインタ-ネットが普及し、テレビでは外国の情報が手に取るように分かり、コンピュ-タでは簡易翻訳ができるようになり、一般の人も海外によく出かけるようになると、その役割も自然と変わってくる。
本質的な意味では真実の認識かもしれない。いくら国際ニュ-スが流されても、それは一方的な情報にすぎず、自分では確かめようがない。その情報が正しいのか、それを確認するには、自分で外国語ができないと、不可能になる。それは他人の翻訳が不安だからだ。間違っていると言っているのではない。人、それぞれ得手不得手、関心も異なる。自分の関心がある、利害がある点になると誰も真剣になって、緊張する。このへんがポイントかもしれない。もし外国語ができると、これについてかなり調べることができる。現在、インタ-ネットでほぼ世界中の新聞を読むことができる。疑うというこはあまり褒められたことではないが、そこが全ての原点と思う。信じることも、疑って根拠が見いだせるからこそ可能なのだろう。さらに外国人に対する偏見も少なくなる。偏見とは噂であり、人から聞いた話を鵜呑みしただけで、ほとんどの場合、根拠がない。
例えばロシアについてもそうだ。いつしかきまったイメ-ジが出来上がっている。暗さ、閉塞性、自由のなさ、貧しさ、強権、秘密警察、軍事力、独裁、ツア-リとどれをとっても、評価できない。陽気さ、寛大さ、気さくさ、率直性、広大な土地と豊富な資源、思いやりなどはけして顧みられない。つんとすましたロシア人の権威志向の中に、悲しさが見えてくる。そうやって厳しい自然に虐げられ、打ち勝とうと片肘を張って、つぱってしか生きられない民族の意地にたじろぐこともある。日本人は狭い島に住み、長い間鎖国などあったが、そもそも島のせいか、さほど外国との交流は太古の昔から盛んではない。そうした事情からか、排斥性、排他性もかなりものだ。常に内向き志向で、保守的だ。外国語を学ぶと眼が外に向かい、古い日本人から少しは抜け出せるかもしれない。
公正、公平とは真実を見る勇気なのだろう。やはり本当のことを知ると、大変なことなのだろう。常にオブラ-トに包まれ、甘い空想にうっとりしながら、現実も自己もきちんと対峙しないで認識しないと、いんちき賢人に騙されるのだろう。外国語で外の世界を見て、内なる自分に視線を向けると、何かがかすかに見えてくるかもしれない。おそらく外国語は自己認識の旅立ちに手を貸してくれるだろう。
翻訳の純粋な価値はたぶんそのへんにあって、自己回帰への道筋を示してくれるだろう。結局、他山の石で、ロシアを知ると日本とオ-バ-ラップして、ほとほと嫌になることもあるが、互いに自省しないと新しい時代から取り残されるかもしれない。やはり外国語は生きる上で最も重要な自己認識をさせてくれるから、それだけも十分価値があるかもしれない。
ロシア語上達法(17)(翻訳の職業的価値) (2009年3月30日更新)
今回は翻訳を職業として見て、その価値について考えてみたい。最も価値のないのが時事の翻訳で、少し頭の回転の良い人なら半年、普通の人でも二年もやれば、辞書を引き引きでも、何とか訳せる。つまり十人中十人が訳せるわけだ。こうした分野では収入を得るのはほとんど不可能だから、プロにとっては無価値と判断した。但し、時事の文型は基本的なものが多く、会社での仕事などの基礎となるので、ここはしっかりマスタ-しないといけない。
文芸・文学だが人気ばかり高いものの、さほど収入にはならない。一般の辞書でほとんど訳せるから、あえて投資はいならない。部屋からも出ないでできるからコストがかからない。この分野はほとんど日常の言葉で用が済む。一冊当たりの翻訳料が泣けてくるほど安い。希望者もきわめて多く、他の定収でもない限り、とても専業として継続するのは困難。したがって職業としての価値は低い。もちろん、文学、芸術の価値が文化的にきわめて高いことは言うまでもない。
次は商業関係の翻訳だが、商社やメ-カで海外関係の仕事を十年間ぐらいすると、契約書などの関係用語は自然と身につく。契約書の文型もパタ-ン化しており、用語も限られている。それに社員が自分で契約書を作る場合が多いので、翻訳の仕事はあまりない。さらに最近ではロシア人も企業で多く働いているので、ほとんど業務関係の翻訳は内部で処理できるようになっている。
さて工業関係だが、ここは範囲が無限大だ。自分自身の肉体を除けば,下着、上着、靴下、眼鏡など全て技術と関係しないものは存在しない。部屋の中を見ても、机、椅子、照明具、パソコン、床、窓、筆記用具など、どれも生産技術で作られている。一歩外に出れば、道路、ビル、看板、電線、自動車、電車、店舗、どれも技術生産されたものだ。現代社会では技術と関係なくして生活は成り立たないと言える。だからこの分野の翻訳の対象は無限にある。それも日々新技術が開発され、新製品が生産される。まさにここに、翻訳の職業的価値がある。技術翻訳をマスタ-すれば、プロ翻訳者として生活自立の道が開かれるだろう。だが、技術はかなり難しい。日常で使っているテレビ、洗濯機、自動車、コンピュ-タにしろ、結果としての製品を利用しているだけで、そこに組み込まれている技術について一般の人にはほとんど馴染みがないだろう。まして工場内の設備など見たことがない人が多いと思う。製品を生産する技術を訳すとなると、工場に行って自分の目で見ないと分からない。どんなに頭脳明晰な人でも、想像の域を出ない部分が多々あると思われる。翻訳者のほとんどは技術者ではない。そんな人が技術の翻訳をするとなると、現場で先ず実物を見るほかない。知識はなんとでもなる。辞書を揃えたり、文献を集めたり、優秀な翻訳者に訊いてもなんとかなる。しかし、なんとでもなるものはあまり価値がない。体験、経験はなんとでもならない。本人がその場に行かない限りどうしようもない。だから、どうにでもなる知識のほうは後回しにする。では具体的にどうやるか、考えてみる。
先ず会話をどうにかしてしっかり覚える。それから翻訳会社に行って、通訳者として、うまく登録してもらう。そこまでは案外、容易くいくかもしれない。そこからが難関となる。翻訳会社から紹介され、企業に行くと、必ず、それとなく試験される。大手企業だと、ロシア語堪能の専門家を一人ぐらいはいる。自己紹介しながら、会社の人間は身分を明かさないで、何気ない会話して「そうそう、パイプラインてロシア語でなんて言いましたっけ」などと、とぼけた質問をしてくる。「трубопровод」とラッキ-にも一発で答えることができた。それで当時(何十年も前のことだが)私は海外プラントの通訳として採用された。白状すると実は、その時、技術のことなどまったく知らなかった。まだ二十代の頃のことだ。国内でアルバイトみたいな通訳や、技術関係の簡単な翻訳の経験も少しはあったが、ほとんどでたらめだった。何故うまく答えられたのか、一夜づけで単語帳に眼を通しただけだ。たまたまその単語だけを覚えていたのかもしれない。しかし、気をつけないといけないのは、どの単語を訊いてくるか、皆目見当がつかないからだ。それともう一つ、別のメ-カだが採用してもらおうと出かけ、椅子に座って待機していると、社員が来て「急いでこの文を訳してくれないか」と言ってきた。見ると、英文で二行の連絡文だ。適当に訳して出すと、満足したらしく、それで合格となった。そこでもプラントの通訳として雇われた。そうやって、二十代の頃はロシアに四五年、仕事をして技術ロシア語を覚えた。
技術翻訳を覚えるには、ただロシアの工場にいても意味がない。日本の技術者と一緒でないと、ロシア語の技術名が日本語で分からない。ロシア語名だけでは、日本語名だけと同じで、翻訳はできない。現場で、実際の設備を前に日本の技術者とロシアの技術者の説明を受けるのが最も懸命なやり方だ。だからロシアに何年いても技術は覚えられない。当然、日本で技術と関係ない生活、普通の日常をいくら過ごしても、技術は覚えられない。
そうしたロシアでの生活を終えると、日本で翻訳の仕事を始めた。運も手伝って、年間三千枚程度を翻訳をした。ほとんど英文から露文への翻訳だった。これが約10年間続いた。英語はさほど得意ではなかったが、これでかなり理解するようになった。訳したものは、今思えば、ぞっとするぐらい拙訳で、かなりいい加減なものだったろう。だが、多種多様、大量の翻訳の経験は、その後精度を上げる上の下地となったのは確かだ。結局、この段階までに約20年間の歳月が流れた。やっとプロ翻訳者の下っ端ぐらいにはなれたが、まだまだミスが多く、よく叱責され、悩んだこともあった。それからかなり歳月が流れ、最近になってどうにか、自分の翻訳に確信をもてるようになった。
こんなエピソ-ドもあった。「大学出て二年間ロシアに留学したから、技術翻訳なら簡単にマスタ-でいます」と自信満々に電話かけてきた若い人がいた。大学出て二年間ということは、入社して二年目ぐらいの新入社員だ。一体どこで、二年間で一人前になれる世界があるだろうか。会社でも一人前になるには最低でも十年間はかかる。それも会社は組織、チ-ムプレ-だから可能で、パ-ソナリテイの世界ではもっと時間がかかる。自己完結の世界だからだ。製造、販売、人脈、経理など全て単独でしないといけない。倍はかかる。翻訳など文法を学び、辞書があれば誰でも出来る。だから安易に考えるのかもしれないが、技術知識、技術体験など、どうしようと思っているのだろうか。それがなければけして技術翻訳のプロにはなれない。
よく定年退職した人、わけあって退職した中年の人がプロ翻訳者になろうと思って留学するが、(商社やメ-カにいて現場経験豊富な一部の人を除けば)残念ながらけしてプロにはなれない。遅すぎる。どの分野でもそうだが、職業人となるには若い時から始めないと道は開かれない。それと会話が堪能でも、年配者は雇ってくれない。特に海外に出張する仕事などでは、敬遠されるから、そもそも実践経験する場を与えられない。ただ可能性があるとすれば、上記の時事、文芸関係だろうが、人手は十分足りている。基本的には若い人しか、長期通訳の場合、雇ってくれないから、現実的にかなり難しい。趣味、道楽程度に考えたほうが気楽なのかもしれない。
ざっと翻訳の職業的価値を考えてきたが、格好良い分野ほど仕事がなく、格好悪い分野のほうがはるかに多い。いずれにしても地味な職業なので、これでしか生きられない人だけが選択したほうがよいのかもしれない。ただし、これはすべて職業的、経済的、所得面からのみ価値を判断したもので、他の面から判断すれば、自ずと順序は変わってくる。
最後に最も価値があるのは、独自の世界を作り上げることだろうが、これさえあれば鬼に金棒、だがそのやり方は秘密にしておく。
ロシア語上達法(16)(雑感) (2009年1月31日更新)
仕事も一段落して「抜け殻」状態。あまりにも集中して放心してある「作品」が完成した。しばらく休みたいので年末年始、温泉一人旅で孤独の晩年に陶酔したいと思っていたらやはり実現しないどころか、二月も間近になっていた。群れから離れる淋しさ、そこから幽かに見える一条の光の幻覚、信じられなかったものがしだいにリアリテイをおび、現実となってほんのすこし触感がでてくる。暗闇から抜け出た瞬間、振り返ると誰もいなかった。
嫌な一年だった。素晴らしい一年だった。大不況の時代、めらめら燃焼した廃墟の跡、本物、本質だけが残る。不安と確信の狭間で動揺する中、さらさらこぼれ落ちる一握の砂、掌で嘲笑するちっぽけなダイヤモンドの輝きに跪く。
ロシア変革の立役者はゴルバチョフとエリツインだが、新生ロシアの建国者はプ-チンといえる。今、その真価は歴史の審判にかけられようとしている。最大の懸念は石油の国際価格で、1バレル32ドルぐらいになると、2009年度ロシア国家予算は2.5~3兆ル-ブル(約10兆円)不足になるが国家予備基金(旧安定化基金)に4.3兆ル-ブル(2009年2月1日時点で約8兆ル-ブル(予備基金と国民福祉基金の合計))あるからこれで補填して国債は発行せずにすむらしい。つまり今年ロシアの国家予算執行には特に問題はない。石油国際価格が42~43ドル程度であれば、ロシアの国家予算は赤字にはならないが、国家予備基金に回す資金はなくなる。問題は2010年度だが世界各国同じ状態だから未知数としか言いようがない。いずれにしても支出カットは避けられないかもしれない。
もう一つの注目点は昨年7月、約2500ポイントあったロシア証券市場(RTS)の株価指数が現在その五分の一、500ポイント以下になっていることだ。いかに人為的な投機市場であったかよく分かる。
さて市場原理主義は破綻したが、まだ懲りない面々も多々いるらしく、同じパタ-ンで利潤を模索しているから笑止千万。新しい経済発展モデルを構築しないといけないらしいが、当面期待できない。人材が枯渇しているからだ。市場原理主義で価値を金銭だけに特化したから、歪曲された人間群だけが国や社会の中心にいるようになった。文化も思想も、幸福感だって、ゆとりも価値の一部だ。そのような価値の総体が新しい開発の基盤だろう。胸をときめかすような画期的な技術が必要だ。昔貧しい長屋で5年、10年の月賦でテレビを多くの人が購入した。それを持っているだけで生活に希望と潤いがでるようなまったく次元の異なる商品が待たれる。
翻訳もただ仕事で同じようなものを反復しても上手くならない。企業で語学を使っている人は自社の目的の手段として駆使しているだけだから、その枠からは本質的に脱けられず、かなり制限のある語学力となってしまう。プロの翻訳者だって語学は生活手段だろうが、もし異なる点をあえてあげることが許されるなら、語学、言語そのものが目的となっている。言葉や描写の美しさに関心のない人はプロとして向いてないのかもしれない。
「職人」という言葉は響きがいいが、プロの翻訳者も「職人」と言えなくもない。物作りの原点がここにあるのかもしれない。依頼者の要求に応じてどのようなものも製作できるのだが、そのうち安物は作らなくなって「名品」ばかり作るようになると「匠」だ。見方をかえれば生産現場に群がる市井の民なのだろう。現場で物作りをしている人々が豊かにならないと社会は発展しない。
昔ソ連で仕事をしていた時、雪解けの小春日和、労働者一人がパイプラインをせっせと溶接していが、その傍で五六人の幹部がけんけんがくと工程や月間目標、工事の遅れなど真顔で論争しているさまをぼんやり煙草を吹かしながら近くで見ていたことがある。生産していたのは一人、残りの人々は口だけを動かして将来のことばかり思案していた。考えるのは一人もいれば十分で、五人で溶接すれば目標は簡単に達成されたはずだ。こうした社会はたしかに崩壊したが、非生産部門が肥大化した社会の運命は零落以外にない。
若い頃、一生懸命努力してうだつの上がらない年配の人を見ると急にばかばかしくなって見下すような気持ちになったが、同じような年齢になってあまり表層的に判断するのもどうかと思うようになった。そこにはもっと本質的なものが潜んでいるのではないか。スキルは仕事を真面目に長年こなしていれば自然と身につくが、歳とともに人の能力の伸びるテンポが遅くなる。さらに能力成長の伸びしろも余裕がなくなる。しかし、この限界を突破しないと、「頂上」に向かうことはできない。
努力とはおそらく、そのものの意義もあるがそれより無益と思われる同じ事の反復プロセスの中で、「神が囁く」瞬間があるのかもしれない。大きなヒント、発見があるのだろう。小生のような俗人にはなかなか「囁いて」くれないが、たぶん、その瞬間の邂逅のため、評価されない日々に悲嘆しつつも憑かれたように追い求めているのだろう。
これから大不況となって風雨強かりし時代、春待つ球根は積雪の下すくすく育ち、新しい時代を切り開くのだろう。長い間、文法と語彙、知識があれば翻訳できると勘違いしていた。もっと重要なことは自由な発想、開発してゆく目的意識性ではないだろうか。原著者の気持ちが分からないとなかなか良い翻訳にはならない。原文を書いた本人に直接会って話をうかがうと、気持ちがビンビンと響いて伝わってくる。相手の姿勢、レベルがさほど高くないと、翻訳者がいくら頑張っても生きた翻訳にはならない。原著者と翻訳者が一心同体となるとまさに「ビッグバ-ン」が起きて、「名作」となるのだろう。技術翻訳や商業翻訳しているとこうした機会はほとんどないが、それでも時にはある。
激しい風雪で虚飾は剥ぎ取られ、本当の姿が眼前に出現、本質的価値あるものだけが新たな時代への伝承者になる。峻烈な人生を一気に駆け抜けると「燠」(おき)が残って晩年を暖めてくれるかもしれない。刻苦勉励の積み重ねでそこそこの峰には登れる。それがないと大恐慌の波濤に浚われ翻弄され、自分を見失って人生の藻屑となってしまうかもしれない。
「職人」は寡黙で美辞麗句は言えない。おそらくプロの翻訳者も無口で木訥なのだろう。ひたすらの生き方から創造される未知の小宇宙は満天の花星にきらきら点滅しながら救済の羊の群れに念願の道標となるのだろう。
長い間、専門家たることを目標としてそうなってみると、狭い「世界観」の自己に驚愕慄いてはっとした。「素人」となって第三者の眼で自己や業界、社会を眺めると、まったく次元の異なるものが発見できる。時にプロ意識は新開発の阻害となる。
今年は「他の短を挙げて、己が長を顕すなかれ。人を譏りておのれを誇るは甚だいやし」と芭蕉行脚掟に従順にして慎み、深い時代の流れに木葉のように揉まれつつも、意識的に新たな模索をしてみたいと思う。
それにしてもプロの翻訳者がなかなか育たない。多分、意識に何か発展を妨げるものが存在しているとしか思えない。やんなっちゃった!
ロシア語上達法(15)(簡潔な翻訳) (2008年9月16日更新)
翻訳の仕方も対象によってかなり異なる。実務文(商業・工業文)、新聞記事等、論文、文芸文(小説、エッセイ等)となる。実務文は簡単簡潔で、情緒感情的な表現はさける。新聞記事も簡単簡潔だが、出来る限り読者を意識して分かりやすく書く。論文は読み手が限定され専門家対象なので、専門用語をきちんと使う。文芸文と実務文の決定的に違う点は、描写、セルフ、それに言葉にいくつもの意味をもたせる。
文は簡単、簡潔に書く。これには誰も異論はないだろう。小説・エッセイなど抜かすと、全て説明文だからだ。
翻訳で簡単、簡潔に訳すには、語彙数が多くないといけない。成句、慣用句も多く知っている必要がある。さらに文法力が十分でないとだめだ。文を短くする最も手っ取り早い方法は短い単語を使うことだ。逆に長くするには長い単語を使うことだ。最近は実務文の翻訳ではワ-ド数で計算する場合が増えている。しかし、以前は枚数計算だったので、長い単語を使うと翻訳料を多くもらえた。しかしこれは一種の神業でそうとう語彙数の多いプロ中のプロでないとできない。それと無神経さも要求される。
簡単、簡潔、明瞭に訳せる翻訳の名手には相応の報酬を支払わないといけない。なにしろ短い文で多くの情報を提供し、読み手もよく分かる訳文だからだ。その反対に複雑、難解、不明瞭な訳文をすると、現実は翻訳料が多い場合もある。読み手にもさほど理解されず、翻訳依頼主は“善良”の被害者になってしまう。
簡単、簡潔に訳すことはできそうで、できそうでない。具体化する行為は、原文の意味を本質的に把握していない無理だ。言い換えると、簡単、簡潔でないということは、原文を正確に理解していないと言える。ただ正確に理解していても、うまく変換できない人もいる。これは筆力の問題だが、これもかなり修行がいる。翻訳には最低、二カ国登場するわけで、どちらにも長けていないといけない。例えば、日本人なら和文を正確に把握できているかもしれないが、外国語に訳せるわけではない。その逆も同じでロシア人なら露文を的確に理解するかもしれないが、日本語に訳せるわけではない。
その中間にいるのが未熟な翻訳者ということになる。どちらの言語もバランスよく、理解している必要がある。ここでは翻訳教室もやっているので、先日英露の技術翻訳をあるベテラン受講生に課題として出したことがある。技術翻訳の和訳ではとても上手く訳せていたので、露訳もいけると勘違いした。まったくなっていなかった。下手、上手の問題ではなく、文法をよく知らなかった。技術翻訳の難しさは、先ず技術知識が求められることだ。技術を知らないと訳せない。しかしその前に、文法をしっかり身につけておくことだ。技術用語や技術知識が不十分でも、露文としてきちんとしていれば、第一関門はクリアということになる。
技術翻訳や実務文の翻訳は、紋切り型が多く10年間も真剣に取り組めば誰でも覚えられる。だからそうレベルが高いとも言い難い。やはり和訳だけをやるのは危険のようだ。日本人であれば、誰しも一定水準の日本語能力をもっているからだ。そこへ外国語を訳してうまく置換すればすむ。だが逆だと、一定水準の外国語能力のない人が多い。当然と言えば当然だが、プロの翻訳者になるには、この外国語能力が求められる。
恥ずかしいことだが、最近になってやっと和製ロシア語訳の“桎梏”から抜け出せたようだ。読書量が決定的だった。約10年間、ロシアの新聞5~7紙、毎日欠かさず記事を読んで訳した。今ではほとんど辞書を引かずとも細かいところまで理解できる。読書量もある絶対量を超えると、自ずと筆力がついてくる。うまく露文を書けるようになるから不思議だ。先にあげたベテラン受講生も、おそらく読書量が足りないのだろう。とにかく読んで読んで読みまくることだ。
けれども、多読すれば自然と文章がうまくなるという意味ではない。文を構成する技術を知らないと、ただ努力だけではうまく書けない。しかしこの技術を知っているからといって、うまく表現できるわけでもない。多読の次に待っているのは、多く書くことだ。読書量の少ない人がただ多く書いても、けして巧みな表現はできない。
日本人として生まれ育ち、毎日会話を日本語でして年輪を重ねても、文章はうまくならない。会話と文章は直接関係ないからだ。試しに自分の喋っている言葉をそのまま文字にしてみると一目瞭然だ。日本人はいつまでも外人コンプレックスが抜けないようで、外国人だと文章を上手く書けると勘違いする。会話の上手なことと、文章が上手なことは関連しているようで、まったく関係ない。だから通訳者に翻訳をまかせるのは不安になる。
日本人は外国文化の影響を強くうけているので、べたべたするくどい文章が多い。本来和文は淡泊なものと思う。外国語を専門としている人は外国語ばかり勉強するから、どうしても偏重して日本語がおろそかになりがちだ。ロシア語をそのまま翻訳するとかなり回りくどい表現になる。それで正確に訳したと思っても、異文化のもどかしさが払拭されたわけではない。ロシア語に限らず、こうした訳文を常に読んでいるから、おそらく最近の日本語もくどいのかもしれない。さらっとした脂気のない文が書けるとよいのだが…
話はがらりと変わるが、つい最近、興味深い表現に出会った。
「Мир ещё не заканчивается」
二通りに訳せる。「世界はまだ終わっていない」と「平和はまだ終わっていない」となる。
このスピ-チをしたのはレトリックの名人、プ-チン氏だ。普通であれば、コンテキストからどちらか選択するのだが、こうした表現の匠、天才的政治家の発言には要注意だ。一つの表現の中に複数の意味を埋め込むからだ。
ロシア語上達法(14)(グルジア紛争とロシア語) (2008年9月2日更新)
しばらく書き込まないうちにロシアはグルジアと戦争を始めてしまった。崩壊から16年で完全復活した。ソ連時代と比べて国が強くなったとはいえない。さほど本質的構造が変わっていないからだ。国営企業志向が相も変わらず健在だ。たしかに政治体制は抜本的に異なるものとなった。
ロシア連邦憲法第1条「ロシア連邦は、共和国制の民主主義連邦法治国家である」
資本主義体制で国営企業が国の中心経済を支配しているということは、これはいわゆる国家独占資本主義体制ということになる。独占企業の取締役会の議長はほとんど閣僚である。国営企業は倒産しない。赤字になれば国庫で補填してくれる。最初、基幹産業だけが国営化されると思っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。その他の分野も国営化の波が襲っている。全て石油ガスマネ-が根源ともいえる。おそらく1バレル25ドル時代には今みたいな野心を国家指導部は抱かなかったにちがいない。75ドルを超えるあたりから雲行きがあやしくなった。
現在でも国家予算における石油ガス収入の割合は約4割で10年前とほとんど変わっていない。ロシアの国家歳入は来年約50兆円ぐらいになる。それでもこの比率が変わらないということは、いかにロシア経済が資源収入に頼っているか証明している。
この二三年がロシアに本質的変化をもたらした。その象徴的な出来事は2007年に起きた。この年3月にボリス・エリツイン(初代ロシア大統領)が逝去した。それまでウラジ-ミル・プ-チンは口酸っぱく何度も任期二期で政界を引退すると表明していた。ところがボリス・エリツインが死ぬとその発言ニュアンスに少しずつ変化が見られるようになった。「大統領職を辞しても政界からは完全去らない」みたいことを口走るようになった。箍が外れたのだ。たぶん、ボリス・エリツインとの密約は二期で政界を引退することだったのだろう。
歴史に「もし」はないとしても、もしエリツインがあと一年間生きていれば、プ-チン首相もメドヴェジェフ大統領も誕生しなかったろう。彼だけがプ-チンの野望を体張って阻止できたからだ。まだ記憶に新しいだろうが、ボリス・エリツインが言論の自由のないソ連体制を破壊した張本人だ。ソ連時代の特徴は国営企業と政治的言論の自由がないこと、それに一党独裁だ。この三点がロシアの労働生産性向上にブレ-キをかけていると考えたからだ。エリツイン時代の約8年間、国営企業はことごとく民営化され、政治的言論は自由となり、一党独裁はなくなり多党政治体制が生まれた。だが今、過去へ回帰、逆行が始まっている。
ソ連時代、「侵略」のスロ-ガンは「万国の労働者のため」だったが今は「国益のため」となっている。レ-ニン流の定義でいえば、ロシアは現在「帝国主義」段階に明らかに入っている。エリツインは政治家としての自分の使命、役割をきちんと理解していた。それで若き有能な無名プ-チンを一躍抜擢したのだろう。ロシアの国家建設は彼に委託したのだろう。これは一面では的確な判断とも言えるが、もう一面は誤算かもしれない。これほど野心の強い人間だとは思わなかったかもしれない。
ウラジ-ミル・プ-チンの大統領教書に出てくる「強い国家」の正体が今明らかになりつつある。ロシアのグルジアへの対応を見ていると、1920年のベルサイユ条約が思い浮かぶ。あれでヒットラ-のファシズムへの道を開いた。崩壊後の10年間、ロシアはおそらく屈辱の日々だったろう。いつかこの屈辱感を東ドイツで若かりし元KGB中尉ウラジ-ミル・プ-チンはベルリンの壁崩壊を目の当たりにして、きっとはらそうと胸に誓っていたのかもしれない。二十一世紀のキ-ワ-ドは「エゴイズム」といえるだろう。個人も社会も国も「エゴイズム」で動いている。
気がかりな点はテレビ演説やマスコミインタビュ-を受ける時のドミトリ・メドヴェジェフの表情だ。のっぺらぼうの無表情だ。一見冷静沈着に映るが、原稿の棒読みに思える。もしかしたら、誰かから渡された原稿を丸暗記して発言しているのかもしれない。顔の表情から自分の意志、感情の起伏が読み取れない。まだ記憶に新しいだろうが、大統領後継者の指名争いの時、年齢を見るとセルゲイ・イワノフ54歳、ヴィクトル・ズプコフ66歳、ドミトリ・メドヴェジェフ42歳で全てレニングラ-ド派だ。当時ウラジ-ミル・プ-チンは55歳だった。身長は172cmぐらいで、これより低いのがドミトリ・メドヴェジェフだけだ。年齢も13歳も違う。もし院政をしくのであれば、誰を選ぶか、こうした点からも明らかだ。他の二者が大統領になると、年齢も上あるいは近い、さらに風采堂々で、ロシア人の大柄、強者好みを考えると、一気に国民的人気がでて、政治的力学も加味すると、ウラジ-ミル・プ-チンがいくら院政をしこうとしても、ほぼ無理だったに違いない。
ロシアや米国、中国など大国は基本的に貿易しないでもやっていける。中でもロシアには鉱物資源もあり、食糧も自給できる国家だ。国境を閉鎖してもさほど影響しないだろう。保護貿易ならまだしも、「エスカレ-ション」となると、列強による地政学的再編が始まる可能性がある。今回のグルジア(人口約400万人、面積日本の約5分の1、GDP約1兆円、国家予算約1千億円、兵力約3万人)との軍事衝突はウクライナやバルト三国にいるロシア人のナショナリズムに火をつけるかもしれない。市場原理の時代はそろそろ終焉をむかえ、投機マネ-は最後にはゼロになるのだろう。いずれにしても、「焦臭い」時代になってしまった。
政治の専門家でないのでこのへんでやめる。少し翻訳について考えてみる。最近ロシア語のレタ-を書く機会が多いが、語彙、表現力の乏しさに嘆いている。やはり読み込まないといけない。読書量が少ないと、当然語彙も少ない。表現も貧弱になる。実務文は曖昧な表現は許されず的確、明瞭な表現を求められが、その反面、使う単語も限定されるので、語彙も限られてくる。そのため、用いる単語数も比較的少なくてすむ。ところが私信などになると、言いたいことを十分いうには、ボキャブラリ-の多さが重要になる。
乏しい表現力の手紙など読むと、相手の水準を疑われるかもしれない。下手に和露辞典で引いて単語を使うと、座りの悪いことが多々ある。語呂がよくない。どの言語でもそうだが、文には流れ、調子がある。この名詞にはこの動詞となっている。紋切り型という意味ではない。文の調子、音調のことだ。文法だけを頼りに単語をばらばらに挿入して文を組み立てると、かなり違和感のある文章となって、意味も伝わりにくくなるはずだ。これを解決する方法はただ一つ、新聞、小説など大量に読む以外にない。特にエモ-ショナルの部分、感情表現が難しい。ロシアの新聞を毎日何紙も読んでいるが、他人のことはあまり言えないが(こちらもかなり多い)、どうしてミスタイプが多いのだろうか。
先日ある法案についてロシアの議員が嘆いていた。国の法律でも誤字、脱字が多すぎるらしい。今日、ロシアでは大量の法案を次々作成しているので、専門の官吏の数が足りず、困っている。誰でも法案文書を作れるわけではないからだ。
ロシア語上達法(13)(工業翻訳) (2008年4月5日更新)
感傷に焼きただれた混沌の人生の黄昏に、あまりにも寒い冬がきたと思ったら、あっとういう間に春雨がしとしと、窓辺の樋から一滴一滴、かすかな音をたてしたたり落ちて、いつしか満開の桜花が透きとおるような嬋娟の美女みたいに、そよそよ淡い風にのってひらりひらり散り始め淋しくなると、懐具合も急にあやしくなった。
騎虎の勢いで心中しながら学びつづけたロシア語、知悉はるか及ばず、軽薄の鍍金に動揺しながら、不治のキンデルクランクハイトの激痛に追いつめられるも、微醺を帯びると春風駘蕩の閑雅な心境となるが、つくづく蟷螂の斧と知らされる。
大人になって図々しく開き直ることも身につけると、急に世の中ぱっと明るくなって、生きるって心の持ちようで天国にも地獄にもなる、でも黄金色の無い袖の生活にもうんざりはするものの、峻拒できないお人好しでけして屈服しない家系を恨むよりしかたない。「人生いたるところに青山あり」と気合いを入れて一瞬生気漲るも束の間、すぐへなへなとなって虚空に誘惑された長旅の吟唱詩人みたいに路傍にやたら腰を下ろす罪万死に値する薄志弱行の性格はそう容易く変わらない。それでも鼓腹撃壌しながら、常に瀟洒の姿は保ちたい。
さて今回は約束通り、工業関係の小さな特集としたい。現地ロシアで実体験した分野は石油関係(主にパイプライン)とアルミ表面処理、日本でも通訳者として三菱重工、川重をはじめ主なメ-カの工場現場は一通り見ている。書籍で覚えたものは歳月とともに忘却され易いが、体験のイメ-ジはいつまで色濃く記憶の襞に刻みこまれているようだ。
もちろん、完璧に把握しているわけではないが、所々あやふやな面もありつつも、この方面に進みたい人には少しは役立つかもしれない。先ず以前の書いたものを整理し、その後時間をゆるせば、さらに深めたいと思っている。
「Follow the steps in this section to unpack and set up your typewriter」
1. Следовать пунктам, указанным в данном
разделе, для того, чтобы распаковать пишущую
машинку и установить её.
若干直訳調だが、「распаковать коробку с пищущей машинкой」とすることもできるし、「установить」の代わりに「собрать, смонтировать」でもよい。
2. Произвести работы в порядке, указанном в пунктах данного раздела, с тем
чтобы распаковать и установать пишущую машинку.
こちらのほうがやや分かりやすい。「данный」は「настоящий」でもよい。「в порядке」は「手順で、やり方で」の意味。
「タイプライタ-を開梱してセットアップするためには、
このセクションのステップにしたがってください」
とりあえず二通りに訳してみた。例文1のほうは直訳調で、例文2は少し咀嚼して訳している。
「For assistance with setup, operation, or problem determination,
call IBM Direct at 000-000-0000」
「セットアップ、操作その他問題解決のお手伝いが必要な場合、
IBM社に直接電話(000-000-0000)してください」
1. Для получения помощи в установке, управлении
пишущей машинкой или разрешении каких-либо проблем, позвонить фирме ИБМ прямо по номеру
000-000-0000.
「пищущая машинка」は書いても、書かなくてもどちらでもよい。
2. При необходимости обратиться за помощью в установке, управлении или устранении каких-либо проблем
прямо в фирму ИБМ, позвонив по номеру 000-000-0000.
興味深い点は、「Нет необходимости обращаться」となり、不完了体になる点。
「обратиться к чему, кому」か、「во что, в кого」か、両方使えるが、後者のほうが文献で多く見られる。
露訳例を四文掲げたが、どれも大体意味は似たようなものだ。ただしいて選択するなら、例文2のほうだろう。何故なら例文2のほうが咀嚼し、明確だからだ。
あまりにも簡単すぎたのでもしからしたらあまり参考にならなったかもしれない。
プラント翻訳のコツは、まず翻訳者が現地の技術に通暁していること、具体的技術に詳しいこと、直訳でない、意味を捉えて訳す能力があること、これに要約される。
だから日本人であるか、ロシア人であるか、まったく関係ない。日本人の大半はプラント技術などしらない。これはロシア人も同じことだが、外人だと何故か正しいように錯覚するのが日本人の癖。
もっとつっこんでみることにする。秋葉原などでは英文マニュアルの製品はぐっと値段が下がる。日本語マニュアル付きだと、正当な値段を請求できるらしい。ロシアでも最近、英語マニュアルが増えているが、やはり母国語ロシア語だと、うけが違う。
SERVICE INSTRUCTIONS FOR DRUM AND DISC BRAKE LININGS
(ドラム型及びデイスク型ブレ-キのライニング用メンテナンスマニュアル)
These brake pads are intended for fitting on the vehicles listed on the package and in the supplier’s application catalogues.(本ブレ-キパッドは、パッケ-ジ及び納入者の適用カタログ記載の自動車に設置するためのものです)
このへんの英語はあえて日本語に訳すほどのものでないが、和訳がないと無味乾燥に思えるので、入れておいた。
Инструкция
по техобслуживанию фрикционных накладок для барабанных и дисковых тормозов
(1) Данные тормозные колодки
предназначаются для установки на автомобили, перечисленные
на упаковке, а также в каталогах применения,
составленных поставщиками.
「упаковка」には、「梱包包み、梱包箱」の意味もある。
(2) Эти тормозные колодки устанавливаются на автомобили, указанные на упаковке, а также в каталогах применения, подготовленных поставщиками.
「составить」も、「подготовить」もこうした場合、だいたい同じ意味。
(3) Настоящие тормозные колодки
служат для комплектования
автомобилей, перечисленных на упаковке, а
также в каталогах применения, сделанных поставщиками.
「комплектовать」は「составить комплект」の意味で、直訳すれば「セットにする」などとなるが、この場合「自動車部品の一つとなる」ぐらいの意味。
三通りに訳してみた。三つとも意味はさほど変わらない。ただし、(3)には「設置」の意味がないが、十分分かるはずだ。訳に入る前に、技術について確認する。ブレ-キライニングとか、ブレ-キパッドについて技術的によく理解しておく。
出だしによく用いられるのは、「данный, это, настоящий, предлагаемый」など。 さらに「предназначаться для чего-либо」だが、これは「рассчитанный
на что-либо」でもよい。前者も被動形動詞を使えるが、後者は被動形動詞だけ。
似たような表現では「служить
для чего-либо」などもある。
例:Это служит для управления системой(これはシステム制御するためのものです)。
またマニュアルなど文書の作成・製作には、「составить, подготовить, сделать」等が使えるが、本質的意味はほとんど変わりがない。ただしニュアンス的には「作成、準備、製作」となる。
参考としては、(3)の文で「предназначаются для комплектования автомобилей」の個所だが、英文と若干異なるけれど、「комплектование」は「補充、補強、セットにする」などの意味だが、「構成部品の一つ」と訳してもよいだろう。
三文の中でどれが、ロシア語的かというと、(3)だろうが、原文に忠実なのは(2)で、読みやすく簡単にしたのは(1)だろう。
(3)の文をもう少し良くすると、下記のようになる。
Данные тормозные колодки предназначаются для комплектования
автомобилей, перечисленных на упаковке, а также
указанных в каталогах применения, составленных поставщиками.
工業文は基本的に全て英語だが、今時英語を知らない人はいないだろうから、その点は問題ない。
この分野は文体より、正確さ、厳密さだ。注意する必要があるのは、原文著者自身も必ずしも、技術用語の概念を正しく用いているわけではない。だから、一つひとつの単語を逐一辞書で調べても、正しい文になるとは限らない。そのため、背景の技術をきちんと頭に入れておかねばならない。
そして、ほとんど説明文なので、動詞変化形では完了体を用いて時間の関係を作らないようにする。基本的に動詞変化形は不完了体となる。それでも時間の関係を表現する必要がある場合、その他の手段、例えば副詞、接続詞、助詞などで代用し、文中の動詞は不完了体を変化させる。
上のケ-スでは、「предназначатся」とはできない。何故だろうか、考えてみよう。叙述・説明文だからだ。例えば、「с 1689 года
начинается прием чая」などと表現できる。もちろん過去形でもよろしいのだが、叙述・説明文は時間の関係は無視され、その行為、状況そのものをただ描写する。
今回は分かりやすいようで、分かりにくい言葉について考えてみる。
工業文書でよく出てくるのが次の単語だ。
「аппарат, аппаратура, агрегат,
деталь, механизм,
оборудование, установка, устройство, схема,
чертеж, рисунок,
узел,компонент」など。
先ず「аппаратура」は集合名詞なので、「аппаратуры」とは言わない。これは辞書に集合名詞と記載されているから分かる。
では「оборудование」はどうか、これは集合名詞の指示がない。しかし、実際には集合名詞扱いである。「五つの設備」を「пять оборудований」とはいわない。こうした場合は「пять комплектов оборудования, пять единиц оборудования」とする。例えば「二つの機器から構成される実験室」は「лаборатория из двух аппаратур」とはいわないで、「лаборатория из двух единц
аппаратуры」などとする。
「аппарат」を辞書で調べると「прибор, механическое устройство」と載っている。
Фотографический аппарат(写真機)、телефонный аппарат(電話機)などという。
ところが、「телефонный прибор(電話回線計測器), телефонный
механизм, телефонное устройство(電話装置)、телефонное оборудование(電話設備)」も存在する。それぞれ役割、機能が異なる。
「агрегат」となると、もっと複雑だ。辞書では「механическое соединение нескольких машин, работающих в комплексе」(一体で稼動する、幾つかの機械が機械的に結合されたもの)となっている。一般に農業機械などに適用されるらしいが、例えばトラクタ-耕運機など、この単語が使われる。しかし、この意味であれば、「устройство」でも「оборудование」でもよい。そうなると分からなくなる。
問題を少し整理してみる。工業翻訳、つまり実業分野の翻訳では、辞書による基本的語意より慣用性が重んじられる。例えば日本では空調設備とはいうが、空調装置とはなかなか言わない。あるいは扇風機とはいうが、扇風装置とはいわないし、冷蔵庫とはいうが冷蔵装置とはあまりいわない。
ところがロシア語では「кондиционное устройство」も「кондиционное оборудование」もある。日本でいう扇風機は「домашний переносной вентилятор」というのだろうが、「вентиляционное устройство」(換気装置)もある。
少し混乱させてしまったが、この続きは次のミニ講座で行う。良い翻訳者とは集合名詞の使い方や、個々の単語をその国の習慣に合わせて適切に訳せる人のことだろう。
次は内容は簡単なのであえて日本語にはしない。
For best results and
safety, it is recommended that all brake service should be carried out by a
trained fitter, mechanic or other professional help.
1.В целях обеспечения наилучших результатов
и безопасности рекомедуется, чтобы техобслуживание всех тормозов
было произведено квалифицированными слесарями, механиками или
другим профессиональным персоналом.
この文章は比較的オ-ソドックスな訳し方である。ちなみに「что」と「чтобы」の用法の違いをいうと、「Важно, что
он узнал это」(彼が知ったことが重要だ)と「Важно, чтобы он
узнал это」(彼が知ることが重要だ)となる。
2. Для достижения наилучших результатов и безопасноти рекомендуем
Вам осуществить техобслуживание всех тормозов с помощью квалифицированных слесарей, механиков или другого профессионального персонала.
この文章は主語を立てたわけである。「техобслуживание」(メンテナンス)は「техническое обслуживание」の「短縮形」である。これも複数形がないようです。「персонал」は集合名詞。しかしこの文章はあまりよくない。どのへんかと言うと、「с помощью」を用いたことので、若干間接的ニュアンスが出ている。
3. Хотелось бы обратиться к
Вам с тем, чтобы техобслуживание всех тормозов было произведено
квалифицированными слесарями, механиками или другим профессиональным
персоналом, в целях обеспечения наилучших результатов и безопасноти.
この文章はかなりかしこまった感じだ。しかし、きわめて丁寧な表現だが、「it is recommended」の訳に若干忠実でないが、やや品のあるものだ。
覚えるとすれば、「обратиться к кому-либо с чем-либо」の表現法。
4.Техобслуживание всех тормозов квалифицированными слесарями, механиками или другим профессиональным персоналом рекомендуется с целью обеспечения наилучших результатов и безопасноти.
この文章はかなりシンプルだが分かり易いものだ。こんな感じの文のほうがベストかもしれない。
「The manufacturer cannot
be held responsible for any damage caused by incorrect fitting.」
Завод-изготовитель не может нести
ответственность за любые повреждения, вызванные из-за неправильной установки.
この文章は「не может нести ответственность」がポイントである。
これは「не носит ответственности」ということもできる。不定動詞は「能力、可能」の意味もあるので「может」の意味も含まれる。「несет ответственность」も「носит ответственность」も言うが、「не может носить ответственность」とは言わないだろう。
外国語はもちろん、言葉の本質を理解するのはなかなか厄介とひしと感じる今日この頃。蕪辞ながら今回はこれで失礼する。しばらく実務関係(工業、商業など)の翻訳実例を出しながら、ともに考究できたらばと、願っている。
ロシア語上達法(12)(リアリテイある翻訳) (2008年3月24日更新)
このところ文学かぶれみたいなものを書いてきたが、今回は少し本職に戻る。これまで「ロシア語通訳プロ入門編」、NHK「“希望”を振る指揮者」(ワレリ-・ゲルギエフ、マリンスキ-劇場)(聞き取り翻訳)、国際裁判(カムチャッカ沖海難事故)、「日本植物図譜」(シ-ボルト、ア-トライフ社)と、それに現在は“秘密”だが、大きな仕事をこなしてきた。その間は常に技術翻訳か、商業翻訳で凌いできた。仕事としてみればさほど能のない人間のわりには運のよいほうかもしれない。
国際裁判については「ロシア語上達法(10)」でそれとなく触れたが、本当にきつい仕事だった。なにせプロ翻訳者同士のバトルにもなり、さらに弁護士も入り賠償額も膨大で微妙な言葉の駆け引きで互いの運命がきまった。たまたま手元にロシアの「六法全集」があって、それだけが敵方より唯一の優位点だったかもしれない。やはりくどいようだが、辞書や資料は多少無理しても投資したらよいだろう。こうした場面ではただ外国語ができてもあまり力にはならない。ある程度、人生のイバラの道で引っ掻き傷を存分うけていないと、勝負勘みたいなものが生まれないかもしれない。
例えば「ロシア語通訳プロ入門編」では、ミスタイプなど目を皿のようにして探し出して、評判を落とそうとした者もいた。いわゆる「出る釘は打たれる」というやつだ。しかし、見方を変えると、感謝もしている。相手の意図とはかかわりなく、それで「貶める」コツが分かったからだ。「貶める」なんて、けして褒められたものではないが、プロの仕事ではかなり威力を発揮する。だが「ロシア語通訳プロ入門編」の特徴は、つまり教授法が画期的なことだ。それまでは音声学習はステップバイステップで、ゆっくりの音声からしだいに速度を早めて聴覚を慣らすやり方だった。発見したのは、最初から早い音声のほうが効果的だということだ。ただし、正確できれいな発音が絶対条件となる。音節と語尾の音が最も重要だ。そうなると発音のプロフェッショナル、アナウンサ-の音声が教科書としてはきわめて条件に合っていた。聴覚能力は訓練でかなり向上させることができる。
若者の待合で雑踏とする渋谷ハチ公前から道路を横切り、少し細い道をしばらく歩いていくつかの信号を超えて左に曲がり、四五分でNHKの大きな平たい建物がある。あたり一帯は民間放送会社のビルも多く、その中にNHKエンタ-プライズのビルもあった。最初ビデオテ-プとカセットテ-プを二三十本渡され、必要な箇所だけ訳して提出すると、直接スタジオを来てくれと言われ、田舎住まいもありあまり乗り気もしなかったが、渋々出かけてみた。ちょうど朝の出勤時だったので、職員が大勢入り口からつぎつぎとビルの中へ吸い込まれていった。入り口で待っていると担当者がわざわざ迎えにきてくれた。かなり緊張しながら後ろからついてエレベ-タに乗り、そして10メ-トルぐらいの大きなスクリ-ンのある部屋へ案内された。字幕の長さと音声を合わせないといけない。画面、字幕の長さ、それに音声の長さが一致していないと不自然になる。
この仕事を通じてワレリ-・ゲルギエフについてかなり興味をもった。彼はオセチア人だ。これは「ベスラン市テロ事件の背景について」を読んでもらえば、若干理解できるかもしれない。一級の音楽家、芸術家だ。しかしその出身からもっと複雑なことを想像する。今ではロシアは零落状態から完全蘇生したので、いっそう権威が高まったことだろう。当時多くの芸術家は海外へ活路を求めた。国内にいてもほとんだ活躍の場もメリットもなかったからだ。ずいぶん、先を見通せる能力のある人物でもある。やはり、苦境時の立ち振る舞いが人の評価を決定するのかもしれない。こちらはただ狼狽おろおろするだけで、だらしがなくなるばかりだ。
タマラ・チェルナ-ヤ女史(シ-ボルト「日本植物図譜」図録の監修者、コマロフ植物学研究所図書館司書長)と会ったのは夕暮れ時の四谷のホテル。日が落ちてもまだかなり暑く、たぶん夏頃のことだ。黒髪でとても神経質そうだった。グルジア出身だ。シ-ボルト死後、その妻が「日本植物図譜」全てロシアへ売却して、一世紀ぐらいお蔵入りとなった。それが偶然にも国立コマロフ植物学研究所で発見されたことで、あらためて日本との関係が強くなった。チェルナ-ヤ女史の文はかなり凝ったもので、日本流に言えば純文学的。ロシア語もこうした表現方法もあるのかと若干感銘もした。シ-ボルト本人の数奇な運命にも惹かれるが、妻がロシアに売却したことにも女の復讐みたいなものも感じた。遺書とのことらしいが、とてもそうは思えない。しかし、そのことがロシア、日本、川原慶賀となっていく。慶賀の鮮やかな描写力を見せつけられると、江戸時代に優れた絵師がいたと、強烈な印象が残った。シ-ボルトの翻訳にあたり、膨大な資料にあたった。多くの日本人絵師が登場するので、その経歴やら作品名を調べるのは容易ではなかった。
翻訳者にとって出版物や翻訳したものの公表はきわめて有益だ。必ずクレ-ムがつく、クレ-ムまでとはいわないまでも、いろいろ流言が飛ぶ。かなり悩ましい時間を過ごしながらしだいに腕前があがる。自信を失いかける時もある、萎縮する時もある。「貶す」のは誰でもできると思い直して、出来るだけ臆することなく気持ちを切り替えてやってきた。しょっちゅうはまずことだが、人生何度か恥をかくのも為になるかもしれない。長らくプロの翻訳者として働いていると、時々若いのに資質みないなものが備わった人に出遭う。文法的には少々誤りもあるのだが、どことなく触感みたいない、感覚みたいな、他の翻訳者に見られない才能の持ち主がいる。こういう人は努力さえ怠らなければ、きっといつか翻訳の大家になるにちがいない。翻訳も分野別に向き不向きがあるようだ。実務文に向き、文芸文学向きと様々だ。実務文は何よりも正確さを求められるが、文芸などではそれより感情的表現が豊かにできる人のほうがよい。ただし前者は金になるが、後者は貧困だ。
プロの翻訳者になるには好き嫌いは言えない。依頼主から提出されるものをどれもうまくこなす技量がないと、プロとしてはとてもやっていけない。ここで最も厄介なのが技術関係だ。翻訳に回される文章は理論系より応用系が圧倒的に多く、特にマニュアルが一番多い。これは言語以前に技術をかなり理解していないと訳せない。ここがそもそも本質的対立点で、そもそも文系の人は技術に関心がない、関心があっても少数だ、が現実にはほとんど文系出身の人が技術翻訳をしている。摩訶不思議だろうが、涙が出るほど努力をしている。
技術翻訳を身につける最も手っ取り早い方法は、ロシア向け輸出プラントの仕事に通訳者としてうまく入り込んで、三四年もロシアで仕事をすれば、会話は当然、技術用語も一式覚えてしまう。昔は家の半分ぐらいは買えたが、今や柱の二三本も手に入らないかもしれない。素人の場合、現場を踏むのが確かな結果がでる。辞書の言葉と現実の言葉がその場で照合できるからだ。発音じたいはそれほど期待してはいけない。現場の人の発音はよくないからだ。以前にも指摘したが、語学の事始めは発音からで、澄んだ標準の音をしっかりと耳にたたきこむ必要がある。若い頃、現場で苦労しておけば、後は辞書と文献さえきちんと揃えれば、たいがいの翻訳はこなせるようになるだろう。しかし歳をとっても、たまには現場を踏まないとまずい。先日ある翻訳でいつものやり方、デスクワ-ク方式でやっていたら、裁判状況まで要求する高度な翻訳と認識し、慌てて依頼主に電話して何度も現場で確認しながら翻訳したこともある。技術翻訳の原点はやはり現場だ。
一月ぐらい前、あるセミナ-に出かけた。久しぶりに都会に出てエネルギッシュに動き回る人の群れに触れ、気持ちが高ぶった。この早い人の群れの中で長い間生きていた。ぶ厚いレジュメが渡され、講義内容が書かれていた。講師はロシア人で英語の通訳がブ-スの陰で訳した。厚いレジュメを一頁、一頁とめくっていくと、「当該発明が使用されている製品のロシアへの輸入、準備、使用、販売、販売申込、その他市場への導入またはこうした目的のための保管」という項目で「準備」という言葉が目に飛び込んだ。すぐ誤訳だと思った。「製造」だろう。英文併記だったので見ると「preparation」とあった。それで「準備」と訳したのかもしれない。「manufacture,
fabrication, make, production」と書くべきだったのだろう。ロシア語原文がないので、推測するよりしかたないのだが、おそらく原語「изготовление」となっていたにちがいない。英語の辞書数冊調べると、「preparation」が真っ先に記載されている辞書もあった。しかし「изготовление」は現在、基本的に「製造、生産」などの意味以外に使うことは稀だ。誰かロシア人か、日本人か「preparation」と訳したのが事の発端。それでもこうした語意の解釈より、意味の流れからして「準備」などという単語が入る余地はない。つまり考えないで訳している証拠ともいえる。
ロシア語で「готовить」に関係する単語、例えば「подготовить, приготовить」など、「準備」という意味も含有するから、さらに複雑になる。あながち翻訳者ばかり責められないけれど、それにしても常識の範囲と言いたい。それに「準備」という言葉自体かなり曖昧で抽象的なものだ。「旅行の準備」をするといってもトランク、チケットなど買いに行くのか、歓送会に出席するのか、書類の整理をするのか、はたまた旅行に関する全てのことをさすのか全く分からない。だがこの一言ですべて済ませてしまえる便利さもある。「21世紀の準備」、「バラ色の人生への準備」、「生活の準備」、「決戦の準備」等々、分かったようでまったくわからない。全て受け取る側(読者、聞き手)の想像しだいだ。しかしこうした言葉、表現方法がないと、事細かく書かないといけなくなり、生活する上で時間の浪費にもなる。受け取り側の想像能力、推察能力の高低がコミュニケ-ションの進行をスム-スにする。
いずれにしても、言葉は思案すればするほど深い。日本文でさえ、筆者の意思をよく知らないと誤解する。それと行間を読まない、ダイレクト読みみたいな人が増えたようにも思える。「反語」という表現方法、文学などよく用いられる。そのまま書かない、裏に他の意味を埋め込み、いっそう強調するやり方だ。「美人」と書いて「醜女」、「劣等生」と書いて「優等生」とにおわせる、かなり捻くれ皮肉る方法だ。ある意味、文学はこれなしに成立しないかもしれない。それでも「真に幸福な人」はそんなことに頓着しないで、皮肉られようが、反語だろうが、大河みたいに悠然として、その「愚かさ」を愉快に眺めているのだろう。
人間の書いた文など、筆者が何を考えて書いているのか誰も分からないのだから、文字からしか判断できない宿命にある。さらに誰しも辞書通りの概念で言葉を使っているわけではないから、余計疑念が生じる。だから外国語の翻訳となると、いっそうこうした組み合わせが錯綜して、五里霧中になる場合だってしばしばある。長年、翻訳、文字を扱う仕事してきたので、深読みもいけない、さりとて表面の字面だけ判断するのも危険だ。うまく訳せた時は必ず手応えがあるものだ。そうした事はこれまで数回しかない。体調、精神の高揚、意欲、創造性、十分な時間と報酬、豊富な知識と資料など、こうしたものが偶然にも完璧なほどに整合している場合で、きわめて希有なケ-スだろう。
次回にでも「技術翻訳特集」でもやりたい。技術翻訳についてはきわめて強い。何故ならこの分野に関してプラント現場の人間だったからだ。あまり文学マニアみたいな文を書いていると顰蹙をかうので、今回は実際の翻訳の仕事だけに限定した。
世の中には少数の「はぐれガラス」や「外道」が存在する。医師や弁護士とは異なる。これは自由業というより自営業者だからだ。それでも生きられる悲しいほど気品のある職業の人たちのことだ。組織の中で棲息できず、孤独に一人旅して俗塵に埋もれ、時に千億光年のダイヤモンドとなって生涯を終えるプロフェッショナルの一つ翻訳という分野、真性自由人だ。もし組織の中でうまく活躍場を見いだせない人は、特殊カテゴリ-に挑戦する選択肢もあるから、そう悲観することもないだろう。ただし「脱藩」すると、過酷な環境になる。奨励などとてもできないが、そこにしか道がないのならやむを得ないのかもしれい。きらきら輝く「虹」もある方向からしか見えない。
こんな僻地の翻訳者でも人生、一つだけ自矜していることがある。誰が何を言おうとかまわない!
ロシア語上達法(11)(音と手紙)
(2008年2月26日更新)
「拝啓 唐突で失礼かと思いますわ、でもどうしてもこの原稿、わたしの夫、すでに故人ですの、それを世に出せないかと思い、筆をとったしだいなの、いえ、けしてそれほど価値のあるものではないかもしれません、せめてどなたか、ロシアに詳しい方にでも拝見していただければ、故人も満足するのではないかしらと、わたしが勝手に思い込んでいるのかしら。
死んでからすでに半年近くにたって、やっと遺品を整理するだけの冷静さと余裕も出てきて、残すものとそうでないものを仕分けしていたら、この大学ノ―トに気づき、ぱらぱらとめくり、彼なりの作品なのかしら、それともただ思いついて書いただけなのかしら、本人がすでにこの世にいないの、何とも申し上げようもございませんわ、どことなく彼の好きなロシア、その破壊を目の当たり、つくづく考えたことではないでしょうか。
人の一生は過ぎてしまえば短いもの、彼との甘い出会い、燃え滾るような青春の日々、そして還暦の年に亡くなったこと、それが走馬灯のようにぐるぐると思い出の中で回転している毎日ですの。
誠に押しつけがましく心苦しい限りですわ、ゴミ箱に捨てる気にはどうしてもなれない、もしお役に立つのであればと思って、不躾は重々承知しているの、でも送ってしまったの。
敬具 」
今年の二月は雪が多い、すでに二度も降っている。先日の晩、旅人が道に迷って冷える深夜に、誰かいますか、もしもし、まだ起きていますか、旅の者ですが、あやしい者ではありません、寒くて凍えそうで一夜だけ、お願いしますと窓ガラスをノックするような、哀れ救いをもとめるような不気味な音がして、勇気をふるいおもいきってガラガラと開けると、弱い風吹に乗って旅人は雪の精となって入ってきた。慌てて閉めたがもう遅かった。机の上の原稿やら書類が全て散乱して、床に落ちて気を取り直しながら整理していると、この手紙がはらりと床に落下した。十五年ぐらい前も同じよな晩だった。早朝、降った雪がとけて氷となってつるつるした地面の林の中を散歩して家にもどったら郵便箱にこの手紙があった。
「太陽のない暗闇、嘲るようにのた打つ黒い高浪に激しく揉まれ弄ばれ、不定期に揺さぶられ、いくぶんでも宥めるように前と後ろから四個の巨大錨を苦しまぎれに狂人の海に悲鳴のように落下させた。横殴りの氷風が剃刀のように頬を無惨に切り刻み、視線を遠くに向けると、黄色い光の筋が水平にでこぼこ続き、断崖絶壁の頂上を照らし、くっきり黒白二色に分離した明暗の雲が時計のセコンド針みたいに刻々と移動して、その少し向こう、まるで大火災の現場のように赤々と燃え、雷光の巨大蜥蜴が瞬間走り抜け、てっぺんのほんのわずかな空間に異様な光景の世界があった。
高さは想像を越え光遮り、この世から切断され永遠の反逆地獄のようで、間欠的な突風、見えぬ怒濤、昼間の暗黒、神から許される者しか入りえぬ場所に生涯一度だけ運命に導かれた。」
「大昔、まだ世界の地面は固まっておらず、海は流れておらず、空気は透きとおっておらず、みんなまざり合って混沌としていたころ、それでも太陽は毎朝のぼるので、ある朝、ジユ-ノ-の侍女の虹の女神アイリスがそれを笑い、太陽どの、太陽どの、毎朝ごくろうね、下界はあなたを仰ぎ見たてまつる草一本、泉ひとつないのに、と言いました。太陽は答えました。わしはしかし太陽だ。太陽だから昇るのだ。見ることができるものは見るがよい。…..」
ミケランジェロとダビンチ、劣等生には、神の純白羽毛がほんのちょっと微かに擦ったかどうか、あやふやな手助けが千年に一度くらいあるらしい。
間抜け面の青い狐目のロシア税関「Много. В них что?(多すぎる。何が入っている?)」「Музыка (音楽だ)」まんまとうまくやって通過させたのはかなり昔、鬱陶しいソ連時代、中はモスクワ放送の録音カセットテ-プ約20巻。これがほとんど読者のいない(それでも千部は売れたか)「ロシア語通訳プロ入門編」(オ-デイオ教材)のベ-スだった。
真夜中に表戸をトントン叩く音、秋雨のもの憂うシトシトと降る音、梅雨の水溜まりにぴちゃぴちゃと跳ねる音、五月晴れに大きな鯉のぼりが強風でばたばたとたてる音、しんしんと降る雪、勝利の号泣、破滅の噎び泣き、せせらぎの音、飛行機の離陸する轟音、夜会の上流階級の見下した豪華宝石のチャリン、チャリンの音、チリンチリンのママチャリ、ド-ン、ド-ンと夢花火の天を劈く音、ケセラセラと梢の戯れる音…….。
たぶん音の世界は生命誕生のずっと、ずっと前からあったにちがいない。音は媒体がないと伝達しない、真空状態では伝わらない、空気があると音は伝達する。その空気を吸って人類は誕生した。それから気の遠くなるような長い時間をへて文字が生まれた。音は生命の母なのかもしれない。外国語も音として考えると少々面白い。
二つの単語がある。「врать(嘘をつく)」と「брать(~を取る)」だ。「в」と「б」の一字違いで、天と地の差。アクセントとイントネ-ション、平坦音の日本語。その昔、日本語にも強調も抑揚もあり、感情表現が豊かにできたらしい。家系なのかしら、耳があまりよくない。それでも音をマスタ-したいと思った。発音と耳は直接関係する。いわゆるヒヤリングだ。精密に聞き取れないと、発音は悪い。発音が悪いと、誤解を生む。ここが語学学習のスタ-ト、根幹で、おろそかにすると、一生祟る。かつてはラボ教室なんて気のきいたものはなかったので、年寄り語学者は悉く発音がよくない。年配になってから外国に行っても、発音はさほど改善されない、これは体の器官の問題だからだ。
「この心地よい時間さえあれば、今死んでもよい、空は透き通るように蒼く、ただ小さな純白の柔和な雲がくっきりと二つ、三つあるだけ、上半身裸になって、オホ―ツクの束の間の太陽に身を焦がした。
どこまでも広がる静寂の凪の海、カモメさえまったく波のない平和の海でまるで眠っているように漂流、極北の地にゴミ溜めのように吹き流され、人生のあらゆる自信を喪失、牙が折れそれでも生きるために力なく吠えつき噛みつく海の男たち、それが今、聖者に思えた。」
ゆくりなく陋屋に女の手紙が投函されて長い間、放置したままだった。添えられた大学ノ-トにも一度だけ目を通したが、それっきりだった。英雄気取りで思い上がったようで信じる世界が破滅し回顧して自己陶酔する、気障で甘ったれた根性が気に入らなかった。荒涼の現実、懊悩呻吟しながら臓物が引き裂かれ、引きちぎられ、魔物メデウサにも時折襲撃され、全身毒が回り、目がつぶれ、人生の航路を見失って、庶民の群像は弱々しく力なくとも、そして善人どうしは宿命みたいに憎しみあいながら今日も明日もどうにかして生きている。本当にゴミ箱に捨てようとしたが、残しておいたわけは、それでもロシア語仲間だったからだ。内容は高級ではないがちょっと陶然とし心に染みた。
音の世界は奥が広く深い。光は優等生に輝くだろうが、音は暗闇の中ではじめて耀き、ぱっと花開き、ああ、この世は生きている、生命が存在する、脈々と流れる時の未来、失われた過去からひと思いに雲の彼方に消え、リアリテイを忘却する、そんな自己愛の強い男の手紙、なんと鬱陶しい、なんと直向きさのない迂愚な人間の生きざまにとても共感などできず、横町の盗み猫だって半分尻尾が切られたって生きている、ファ-ブル昆虫記の虫けらって踏まれても踏まれても再生産される、情けない男の大学ノ-トを紹介しているうち、こちらまで気分に雲がかかり雨までけちくさく降ってきた。
かつて偉大な老語学者に「ロシア語通訳入門編」の書評を書いていただいたことがあった。あまり褒めないので偉い人は容易く賞賛しないものと少々首を項垂れていたが、後になってやっと気づいた。白地に墨汁を二三滴さっと振りかけると見事なコントラスト、リアリズムとなって本当の批評ができる。絶賛も完全否定も現実感がない。嘘なのだ。これは技巧で表現方法を知っている人のみ可能、過分な褒め言葉にも、病的な全面否定にも、信憑性どころか、まだまだ未熟を意味するだけだろう。完璧に讃辞を述べるにせよ、否定するにせよ、この技を体得していないとできない、そんな上等な書評は興味索然、あらためて愚かさを知らされる。
音についてはかなり時間をつかった。生きていればこそ音が発せられ、人生の幕が閉じれば永遠に音は生まれない。これが語学の入門、悲しいロシア語の音色に憧れ魅せられ、流星のごとく流れる時にゆだねながら、分かったことはたった一つ無知、それでも価値があると思った。刻舟と不易流行、ロシア語がなかなか一般化しないのもこのへんにあるのかもしれない。
「Милая, рядом
сядим!.....」うっとりとエセ-ニンの詩を読んでいたら、「やあ、兄弟」乞食から電話があって、興醒めして急に実生活に引き戻された。「大学ノ-トの男」には同時代人のシンパシ-をおぼえるものの、呆れたやつだ。最早ロシアの国家予算収入は40兆円前後、完全に蘇り不死身だというのに…….
(註: 今回は完全な創作)
ロシア語上達法(10)(国際裁判)
(2008年1月23日更新)
冬枯れの車窓から見えるジゴロのように濁り重く垂れ下がった景色、気障ったらしく小意気に斜めに座ると、一合酒瓶のアルミ蓋を開け、ゴトンゴトンと過ぎゆく小高い山々、深い樹木の群れを眺めながら、はるか昔を思い出すと別離の足音がわずかな隙間から吹き込みすっかり飲み終えて、また次の瓶をあけた。いくぶんほろ酔い気分になった。
「きた!」
竿先から伝わるたしかな手ごたえ、ぐいぐいと引き込む力、さらに川底に強く引きこみ闘争を挑む正体見せぬ未来の獲物、落ち着け、慌てるな、冷静こそが勝利者の絶対条件だ、その心の囁きとは裏腹に我を忘れ、ゴム長に川の水が入り、もう腰近くまで水につかり勝利を決定的なものしようと、竿を急角度に立て一気に勝負を出た。
突然、竿先から反応が消え、急に軽くなると、微かな風に白い吐息が小刻みに震え、朝靄を水平に切り裂く紅い小さな円い火炎が目にしみた。対岸で鳶がのんびりと旋回しながら、突如怒ったように鋭い眼光で睨み急降下すると水面から大きな魚を掴み、水しぶきぱっと散らし瞬時に凍てついた白い結晶をぱらぱらと空中に漂わせ、飛び去った。
再度竿を投入しようと、水中でゆらゆらする濃緑の藻の大石に忍ぶように片足をかけた時、携帯電話のメロデイが鳴った。
「国際法律事務所ですが、・・・・」翻訳の仕事だった。喉嗄れのない、透明水のように澄んだ声、歳の頃は三十代後半らしい。声質は年齢とともにがさがさ、ぎざぎざになってどうも嗄れてくる。弁護士からだ。
急いで事務所に戻った。それでも電車で二時間ほどかかった。ファックスには原稿が二枚ほど入っていた。ロシア連邦「自然環境保護」法の抜粋らしい。しばらくして訳し終えた翻訳原稿を弁護士事務所に送り返した。
翌朝弁護士から電話があった。どうやら依頼主は最初から翻訳者を決めていたようだ。どこをどう辿って田舎の無能な翻訳者に行き着いたのか、知るよしもない。守秘義務があるので詳しくは明かすことはできないが、大体の内容はこうだ。ロシア領海近くで時化による漁船の海難事故、乗組員全員死亡、沈没した漁船から流れ出た重油が海域を汚染した。ロシア側の賠償請求額は約20億円。一般に船舶は高額な保険に加入しているので、事故が起きても、保険補償金が入るので船主は経済面でさほど損出はでない。だがロシア側の請求金額は法外だった。
動揺が山津波のようにごうごうと胸中を走り、いつまでも去ろうとしない。受けるべきか、断るべきか、仕事のハ-ドルはかなり高い。手元にロシアの原語六法全集(約25巻)があるとはいえ、所詮法律の素人だ、難関をうまくクリアできるだろうか、まったく自信がない、辞退すればどうなる、たぶん、適当に他の翻訳者を探すだろう、それだけのことだ、他に探せるのならば、敢えて自らリスクを冒すこともないだろう、受ければ途中で仕事を投げ出すことはできない、それはプロとして最低のことだ、しかし貫徹できるか不安だ、誤訳は敗訴に繋がるだろう、さらに訴訟相手はロシアの行政機関(ロシア政府)だ、仮に勝訴しても、「江戸の仇は長崎で」ということも十分ありうることだ、翻訳報酬は普通の四五倍とはいえ、商売相手の国を直接敵にまわすことは得策ではない、それを知っているからどの翻訳者も引き受けなかったのかもしれない、そして盥回しのあげく依頼が来たのかもしれない、どうしようか、かなり悩んだ。
それでもプロとして見れば、仕事には十分魅力があった。国際裁判に直接関与する機会などそう滅多にあるものではない、おのれの能力を超えていたが断ればその能力は向上することもなく、今まで通り安穏と無理のない仕事をしてストレスのさほどない日常をおくれるだろう、しかしそれだと能力は永遠に飛躍しないことは分かっていたが、どうしても何故か後ろ向きに考えてしまい、断ろうと思った。
弁護士はいいだろう、ロシアだけと仕事しているわけではない、仕事全体からみれば本当に偶然なようなもので、終わればいつもの仕事をやればよい、ロシアを敵に回してもこれといってリスクがあるわけではない、それに訴訟金額が大きいから報酬はそれに比例するはずだ、だがこちらは違う、在郷の無力、無防備の翻訳者だ、常時取引相手ロシアには好意的な顔をしていたい、それがメリットというものだ、それでもと思った、相手側から見たらどうだろうか、調子ばかり合わせ打算だけの人間を信用するだろうか、世渡りばかに腐心する者をパ-トナ-として見たら価値があるだろうか、人間の本質の大きな側面は私利私欲かもしれないが、それは多かれ少なかれ誰も否定できないだろう、しかしそれだけだと信用の担保とはならないだろう、正義感でも義侠心でもない、何だろうかと思った。
プロとはおそらく、与えられた仕事をほぼ完璧にまで遂行する人間のことだろう、そのために時に無情、無慈悲であってもよいのかもしれない、そこに私情が入ると、失格なのだろう、そう考えると、相手が誰であろうと、例えロシア政府であろうと、関係ないのかもしれない、それでも躊躇した、プロなどと言っても、仕事あってのプロだ、この仕事を引き受けて仕事が無くなれば、プロなどと言ってはいられなくなるからだ、場合によっては無職だ、勝訴し仕事を成功しても、それに見合って評価はないだろう、所詮この世、他人の成功は低く評価する、だが失敗はその数倍千倍となり、悪噂は一夜で千里を駆けめぐる、やめたほうがよさそうだ。
「ロシアの六法全集をお持ちですか」気鋭の弁護士が朝から電話してきた。
「無い」素っ気ない返事をした。
「あれば、全巻訳してほしかったのですが…」後の祭りだ。今さら前言を翻すこともできない、ただまだ引き受けるかどうか、逡巡していたことも事実だ、たしかに悩ましい話だった。「заманчивый」(魅力的)な話だ。全巻訳せばいくらになるか分からない、当面は凌げる額となるだろう、がそれは依頼を受諾し、完全に依頼者の拘束下に入ることも意味する、受けるにしても長年の経験からどこかに「выход」(出口)を作っておくものだ、若干のフリ-ハンドは常に必要なものだ、そう考えるあたりが小心者の性、だからいつまでも貧乏なのだろう。
弁護士はたぶん、一番リスクがあるのはロシア語翻訳者だと重々理解していたのだろう。それで船主も説得して見返りを提供しようとしたのかもしれない。
結局、引き受けた。プロとしての技量をさらに引き上げたいという、野暮な本能的欲求からだ。弁護団は五人で、日本人弁護士三名、ロシア人弁護士二名の構成で本格的な訴訟に突入した。ロシア側は手懐けた日本の中堅商社を窓口に使った。その配下にはベテランの優秀な翻訳者が多く揃っている、よく知っている手強い相手で普段はこちらがやられっぱなしで、いつも悔しい思いをしていた。当然簡単に勝てるとは考えていなかった。
日本の弁護士からファックスが入った。敵方が訳した露文だった。
「この翻訳の欠陥を是非探してほしい」弁護士はへんな注文をつけてきた。どうやらこの中堅商社は船主側に執拗に接近をはかり、ロシア側との仲介を申し出ていたようだ。そのついでに翻訳もしてあげると提案したらしい。無論、こちらの弁護士は訝しく思ったのは当然で、それでも訴訟要求の一部を翻訳させた。見ると、翻訳したロシア語は上手かった。これに「けち」をつけろというのか、どう見ても非の打ち所がない、お手上げて思いつつ、「瑕疵無し」として送り返そうか、ぼんやりと一服しながら書棚のほうに椅子を回転させると、草臥れた辞書が所狭しと天井まで並んでいた。そして最上段の濃い苺色のロシア六法全集がぼんやりと目に入った。
そうだ、定義の問題がある、もしかしたら専門用語ではなく、一般表現かもしれない、そう閃くと一字一句、日本語と照らしてみた。勘は当たった、先方の翻訳者は経験もあり、ベテランで知識も豊富だが、文献を背景とした翻訳ではなかった。意味は明瞭に読み取れた、が定義上不的確な表現が何カ所かあった。まさかこちらに原文のロシア六法全集を持つ翻訳者がいるなど想像もしなかったことだろう。それにロシア六法全集が相手方にないことは最初から知っていた。一部の大学図書館にあるぐらいで、翻訳者とはいえ個人で持っている人は数えるほどだと、ある洋書輸入の専門店から聞いていた。
ヘミングウエイの「キリマンジャロの雪」に登場する凍豹が不意に眼前に浮かび、「誰にも当てなどないさ、虚栄と過信だけだ」と少し自棄気味にステンレスポットから熱いコ-ヒを注いだ。湯気と煙草のけむりが混ざってゆらりゆらり黄ばんだ液晶画面を窶れた舌で這うように舐めつくしている。数カ所について法律の定義を厳密に説明した。素人とはこんなものだ、「盲者蛇を怖じず」。例えば「門限に遅れ母さんから罰金をとられた」、「返済日の返済できず、銀行から罰金をとられた」、「懲役三年または罰金10万円」とあるとする。この関係では「штраф, неустойка, пеня」が思い浮かぶ。
三つの単語全て民事に関係するが、この内「штраф」だけが刑事にも関係する。
さらに中堅商社経由で流されるロシア行政機関の意見レ-タの翻訳も、訳文が不正確だと悉くクレ-ムをつけた。しかし、これは相手方には大きなインパクトだったようだ。先ずこちら側のロシア人弁護士にロイヤリテイが現れた。それからロシア側の中堅商社の動きがぴたりと止まった。背後に強力な翻訳者が存在すると暗示するだけで効果は十分だった。レタ-のやりとりは相当の量にのぼったが、結局このへんが天王山で、流れが一気にこちら側に向いた。
こうした際どい場面では、手元にそのものズバリの辞書があるかどうかで、勝敗がきまることも多々ある。少々値段ははるが、無理して買っておくものだと思った。この原語のロシア六法全集は購入してから約10年間ほとんど出番もなく、棚で埃をかぶってルンペン無職だったからだ。一回の出動で利子までとれた。もし本職で翻訳をしようと考える人は良い辞書に出遭ったら、借金まですることもないが、家族や知り合いを口説けるのであれば、資金不足でも取得しておいてほうがよさそうだ。
若い頃から辞書はかなり買いそろえた。神田にあるナウカ(今は倒産して消滅してしまったが)や日ソ図書に出かけたり、友人のやっている洋書輸入代理店に頼んだり、とくかく手当たりしだい購入した。辞書だけでも数百冊はある。全てロシア語だ。まさか本職で翻訳をやるとは思っていなかった。作家になろうとしていた。いくども応募したが「неумолимая мечта」(叶わぬ夢)だった。才能がなかった、いや才能はあったのかもしれないが、遅すぎた。どの世界も若い頃からやらないとだめだ。翻訳は職業とする気もないのに、若い頃から生活費稼ぎにやっていた。だから自ずと技量は身についた。「プロ翻訳」の世界には簡単に入ることができた。こちらは偶然の伝手があり運があった。一度入ってしまうと、後は楽だった。この世、あるラインを突破すると、何もかもスム-スに進むようだ。そのラインの突破は努力というより、ほとんど運のように思える。人との出会いと言ったほうが適切なのかもしれない。
主に技術関係の翻訳だがよく稼いだ。その分、日本語、文学の修行はおろそかになった。はっきり言って日本文は下手で、上手くならなかった。文学の修行を再開したのはかなり歳をとってからだ。手遅れだった。ロシア語と日本語の関係ではロシア語に費やした時間を百とすれば、日本語は一ぐらいのものだ。今は連日、読書している。しかし一旦ついた職業癖みたいな文体はそう容易く変わるものではない。つくづく職業とは怖いものだと思った。その道に長ければたけるほど、染みついたペンキみたいにどんな洗剤を使い拭ってもぬぐっても、落とせない、悪女のようにどうまでも付いてくる。それでも“聡明”なる女房でも、愛おしくなる。その気もないのに職業となった翻訳も愛着が出てくる。
翻訳は文法と語彙があれば、誰でもできる。しかしそれはまだ技術的レベルの段階だ。それからがおそらく資質みたいなものだろう。生き方、生きざまみたいなものだろう。それを越えた領域が翻訳者の独自世界なのだろう。これは自分で模索するものだが、模索したからといって、そう容易く手に入るものでもない。指の間からさらさら零れる砂のごとく掴んでもつかんでも、逃げていくのかもしれない。キリマンジャロの高峰で凍てつき屍となった豹も獲物をどこまでも追いかけて、帰れなくなったのかもしれない。パ-ソナリテイの世界はその豹に似ている。もし勲章をあげるとしたら、孤独に高峰まで登って力尽きたことぐらいかもしれない。しかし豹は少なくとも、仲間から別離して雲下に地上のあさましい生活を眺めて、一吠えしただけで満足したかもしれない。
「ロシア側は仮に地方仲裁裁判所で負けても、どこまでも控訴するらしい」
国際弁護士も覚悟を決めたようだ。だが控訴審になると、日本側に分がないかもしれない。だんだんモスクワに近づき、国の上層部も注目すると、不可解な力が作用しないとも限らない。なんとしても地方レベルで決着させないと会社一つぐらいは簡単に倒産してしまう。それに「搦め手」も使いづらくなるだろう。控訴審に関する資料を訳して弁護士に渡したが、いずれにしても費用も時間もかかる。それにロシア側弁護士も入れ替える必要もあるかもしれない。場合によっては中央の弁護士でないうまくいかない。
それから暫くして地方仲裁裁判所の決定が出た。「自然環境保護法」違反を構成する証拠がないと確定された。任意の和解となった。控訴しないと合意し、最初の賠償額の数十分の一になった。日本側の完全勝利だった。だがこれ以上具体的に明かすことはできない。仕事はかなりしんどいもので、互いに「揚げ足取りの連続」だったが、プロ翻訳者としては貴重な体験をした。言葉の世界、特に訴訟となると、専門用語を適確に使わないといけない。さらに外国で裁判を起こす場合、言語の壁が立ち塞がり、なかなか思うようにならない。翻訳者も弁護士もどこか共通点がある。言葉を扱う仕事であるし、原告側にも被告側にもつく。自嘲ぎみに言えば「蝙蝠か鵺」みたいな職業かもしれない。それでもこの「蝙蝠」をうまく使うか、味方につけるか、全て依頼者の手腕にかかっている。
急に冷えこみ、外を見たら絹の白雪、異端者の慟哭ような風の音が断続的に聞こえた。小生意気に喩えに「豹」などうっかり出してしまったが、こちらは「溝鼠」か「はぐれ鴉」、地べたに這いつくばり物乞いするか、あるいは枯れた柿木の残飯みたいな萎れ干からびた実を神の恵みだと合掌しながら悲しいほど幸福感を覚えている。
ついつい本を読んでいたら、いつしか白んで、あざれた人生の終着駅に向かう一羽の鴉にそっと「Ты живой(生きているか)」と囁くと、くるっと身を翻し、雪の雑木林を突き抜けて大鷲が翼を大きく広げるように眩しく輝く紅い朝陽に向かってさっと飛び去った。
裁判は勝利した。プロの仕事ができた。
ロシア語上達法(9)(ロシア2008年の展望)(2008年1月10日更新)
ロシアの画家クラムスコイの「見知らぬ女」(«Неизвестная», 1883 г. Иван
Николаевич Крамской)を見ると、深い憂鬱な溜息がもれる。「見知らぬ女」の魅力の秘密とは、感覚的な美と見下すような眼差しの奥底に潜んだ苦悩、それに神秘性が見事に統一されているからかもしれない。
たぶん、人は時に生活に喘ぐ日常からちょっと離れて、功利的、実利的でない人生に魅力を感じるのかもしれない。人生は主観と客観の振り子に揺られ葛藤させられながら、流れ星みたいに過ぎていく。「Жизнь - подобная
падающим звездам」(人生は流るる星のごとく)これは、ゾルゲ事件(1941年)で死刑となった尾崎秀実の手記だが、2007年ロシアでは元ロシアの情報将校リトヴィネンコ事件で騒動になった。現場はロンドン中心街のすしバ-、そこで有毒放射性物質ポロニウムをふりかけられ殺害されたらしい。黒幕にロシア当局から国際指名手配されている政商B.ベレゾフスキ-(両親ユダヤ人、2003年英国亡命)がいたと言われる。
90年代、新興財閥7名のうち6名(ベレゾフスキ-、ウラジ-ミル・グシンスキ-、アレクサンドル・スモレンスキ-、ミハイル・ホドルコフスキ-、ミハイル・フリ-ドマン、ワレリ・マルキン)は全てユダヤ人だった。ソ連時代、ユダヤ人はけして出世することができず、閉塞した社会の中で闇経済を支配するよりしかたなかった。ソ連崩壊すると闇経済が合法化され、市場経済になると彼らの才能がいっきに開花した。
おそらく、エリツイン元大統領はこうした事情をよく理解していたから、彼らをある意味で認めようとしたのかもしれない。ソ連解体、ソ連共産党の活動禁止、その理念の一つは人種差別の廃止だったのだろう。ところが2000年ウラジ-ミル・プ-チンが大統領になると、事態は一変して彼らの多くは政財界から追放された。ロシアは連邦国家、多民族国家なのにその官僚機構、権力機構の中枢部にはロシア人以外はいない。つまり、ロシア人官僚・政治家とユダ人の闘いだったとも言えるかもしれない。
それでもこの内何名かは、政権とうまくやっている。その典型的なのがロマン・アルカジエヴィッチ・アブラモヴィチだ。雑誌「フォ-ブス」によると、ロシア最大の富豪、個人総資産約200億ドル、チュクチ自治管区知事、実業家、1966年にサラトフ市(ヴォルガ川中流の川港)に生まれる。身分証明書(паспорт)ではウクライナ人だが、小学校の生徒調査名簿ではユダヤ人。母方の祖母ファイナ・ボリソヴナ・グル-トマンはユダヤ人だった。母はミュ-ジシャン、父は建設会社の資材調達係り。
アブラモヴィチは幼少の頃すでに両親を亡くしている。一説ではトラクタ-事故だが、もう一説では母親は“もぐり”の堕胎で血液感染によって死亡したとも、白血病ともいわれ、また父親はその一、二年後、クレ-ンのブ-ムが当たって両足を骨折、脂肪塞栓症で死亡したと言われる。アブラモヴィチは父方の祖母と二年間暮らした後、1970年ウフタ市(コミ自治共和国、ウラル山脈北西部)に住む父の弟レイブ・ナヒモヴィッチ・アブラモヴィッチに祖母と一緒に引き取られる。1974年アブラモヴィッチは祖母と共にモスクワに住むもう一人の叔父アブラム・ナヒモヴィッチ・アブラモヴィッチのところに引っ越しする。
アブラモヴィッチはモスクワで大学受験に失敗すると、親族のいるコミ自治共和国に戻り、一説ではウフタ産業大学に入り数ヶ月学んだといわれるが、別の説ではウフタ市ではどこにも入学していないとも言われる。
1984年にソヴィエト軍に召集され、ウラジ-ミル州(モスクワの東北部)の砲兵隊で一兵卒として二年間兵役をつとめる。兵役後、1987年1月から1989年まで建設会社の溶接斑の班長として働いていたとされるが、別の説ではそこで働いていないとも言われる。あるデ-タによると、モスクワで玩具の販売員をしていたとも言われる。
1987年12月、アブラモヴィチはオリガ・ユリエヴナ・ルイソワと結婚した。ある説では彼女は親類筋の伝手を利用して、子供向け玩具製造の協同組合事業の立ち上げで夫の力になったとも言われる。別の情報ではウフタ産業大学から転学してグプキン記念モスクワ石油ガス大学に入学した。そこで何人かの仲間と知り合い、プラスチック玩具製造協同組合「ウユ-ト」を彼らと一緒に設立する。そこでイリナ・ヴヤチェスラヴォヴナ・マランジナと知り合い、1991年10月に二度目の結婚をしている。
1991年~1993年、アブラモヴィチはモスクワの中小企業「ABK」の役員になっている。この会社は石油製品の転売など、主に商取引、仲介業をした。あるデ-タでは彼は石油製品を旧ソ連諸国とはまだ無関税状態であったため、モルダヴィア経由でル-マニアやドイツに輸出する仕事をしていたらしい。
1992年、国家財産横領のかどで刑事事件の関係者となった。1992年2月、「AVEKS-コミ」社の仲介でウフタ石油精製工場から鉄道デイ-ゼル燃料タンク車55輛(3600トン、総額380万ル-ブル)が出発した。アブラモヴィッチはモスクワで貨車を迎え入れ、偽造委任状で石油製品をカリングラ-ドのある軍部隊へ転送した。ところが燃料の積まれた貨車はラトヴィアの首都リガ市に到着した。1992年6月、アブラモヴィッチはモスクワ検察による国家財産横領のかどで訴追され逮捕された。彼は積極的に捜査に協力し、ウフタ石油精製工場の損害は実際の受取人、ラトヴィア・米企業「チコラ・インタ-ナショナル」社により賠償された。1992年12月、事件は犯罪構成する要素がないとして、幕引きされた。
1993年から彼はノヤブリスク市(ヤマル・ネネツ自治管区、西シベリア北部)の石油売買を始める。そこで「ノヤブリスク石油ガス」社製品の専門輸出企業となる「メコング」社を設立し、やがて同市の石油販売高では二位となる。アブラモヴィッチの成功は、「ノヤブリスク石油ガス」社社長の御曹司アンドレイ・ゴロジロフと知己であったせいとも言われる。
1994年、アブラモヴィッチはピョ-ト・アヴェンのヨットでボリス・ベレゾフスキ-と知り合いになる。これは「アルファ・バンク」銀行による招待で、アヴェンがベレゾフスキ-を招待し、ミハイル・フリ-ドマンがアブラモヴィッチを招待した。
アブラモヴィッチはベレゾフスキ-と共同でジブラルタルに登記された海外会社「Runicom Ltd.」と、欧州に5つの子会社を設立した。アブラモヴィッチ本人はスイスの会社「Runicom S.A.」のモスクワ支社の代表となる。アブラモヴィッチ自身の言葉によると、彼は1994年からしばらく最初のロシア資源取引所でブロカ-をやり、石油製品の売買をした。ところが1995年初め、石油輸出は自由化され、輸出許可証のない石油採掘企業にとっては輸出専門の仲介会社は必要なくなった。そこでアブラモヴィッチは事業発展について別の方法を考えるほかなかった。
1995年アブラモヴィッチはベレゾフスキ-と一緒に石油産業分野で共同プロジェクトを立ち上げる。二人は「オムスク石油精製工場」社、石油採掘企業「ノヤブリスク・ネフテガス」社、「ネフテヒムバンク」その他シベリアの企業を中心に巨大な石油会社か、金融産業グル-プを設立しようとした。その年前半は金融産業グル-プの設立を支持した「オムスク石油精製工場」社社長イワン・リツケヴィッチと、「ノヤブリスク・ネフテガス」社社長でアブラモヴィッチの友人の父、単一会社設立を支持するヴィクトル・ゴロジロフとの間で対立が続いた。
1995年8月、リツケヴィッチはイルトウイシ川(西シベリア、オビ川の支流)で溺死した。司法鑑定資料によると、肺には水がなく、遺体に損傷もなかった。死因は心臓の局所貧血による心不全とされた。1995年8月24日、当時のエリツイン大統領の命令で「シブネフチ」社が設立され、一気に世界第20位、国内第6位の石油会社が誕生した。9月、「ノヤブリスク・ネフテガス」社最大の石油トレ-ダ「バイカル・トレ-デイング」社社長ピョ-トル・ヤンチェフが逮捕される。専門家によると、その収入は「シブネフチ」社全体を買収できるほどだったらしい。ヤンチェフは禁固二年の有罪となり、「シブネフチ」社の民営化には参加できなかった。
この会社の取締役会にはヴィクトル・ゴロジロフ(シブネフチ社の初代社長)と「オムスク石油精製工場」社社長代行コンスタンチン・ポタポフ、それにスイスの会社「Runicom S.A.」のモスクワ支社でその息子アレクセイ・ポレジャエフがアブラモヴィッチの下で働いているオムスク州知事レオニド・ポレジャエフが入った。ある資料ではアブラモヴィッチは当初からシブネフチ社発起人の一人で、ベレゾフスキ-は大統領府で同社設立のロビ-活動していただけと言われる。アブラモヴィッチとベレゾフスキ-はそれまで設立した多くの会社をシブネフチ社株式の取得のため利用した。
1995年12月競売が行われ、国は1億30万ドル(初値1億ドル)でシブネフチ社の株式51%をアレクサンドル・スモレンスキ-の「首都貯金銀行」とベレゾフスキ-の「石油金融会社」に売却した。この保証人はミハイル・ホドルコフスキ-の「メナテプ」銀行だった。競売で二位となったのは、「メナテプ」銀行と「トヌス」社で、その保証人は「首都貯金銀行」だった。このように競売一位と二位は密接に繋がり、入札価格が上がることはなかった。株式は市場価格の25分の1で譲渡された。
1996年6月、アブラモヴィッチはシブネフチ社の中心採掘企業「ノヤブリスク・ネフテガス」社の取締役となり、またシブネフチ社モスクワ支店の代表となった。9月、株主総会でシブネフチ社の取締役になる。アブラモヴィッチはシブネフチ社で戦略プランを立て、ベレゾフスキ-は政府機関で同社の利益を擁護した。1998年5月、その年1月から進められていたアブラモヴィチのシブネフチ社とホドルコフスキ-のユコス社との合併が中止となった。合併失敗の要因となったのは、ロシア最大の石油会社二社の合併による分け前にアブラモヴィッチが不満であったと言われる。
この時がアブラモヴィッチとベレゾフスキ-の最初の衝突で、二回目の対立は大統領府副長官の指名をめぐる争いだった。マスコミに初めてアブラモヴィッチが登場するのは、1998年11月で、元大統領安全局長官アレクサンドル・コルジャコフが彼のことをエリツイン大統領側近、いわゆる「ファミリ-」の出納係と言った時だ。ある説では、アブラモヴィッチはベレゾフスキ-のおかげで、「ファミリ-」に最も近いグル-プに入れたとしているが、別の説では大統領府長官ワレンチン・ユマシェフと知り合いであっとせいとされる。
アブラモヴィッチは大統領「ファミリ-」の資金の流れを管理していた。ユマシェフや大統領の娘タチヤナ・ジヤチェンコに資金を供給していた。さらに1996年のエリツンの大統領選挙でも資金問題を担当していた。また副首相ニコライ・アクセネンコや燃料エネルギ-相ヴィクトル・カリュジヌイ、原子力相エフゲニ・アダモフの任命にも関わったとも言われる。
1999年8月、アブラモヴィッチはウラジ-ミル・プ-チン新内閣の各閣僚と会談を持ち、後に統一ロシア党への資金援助を行う。その年9月、チュクチ一人区下院選で当選し、下院では北部地域及び極東委員会で活動した。2000年アブラモヴィッチはモスクワ国立法科大学を卒業している。2000年12月24日、チュクチ自治管区の知事選で90.61%の得票率で当選した。2001年1月下院議員を辞職する。チュクチにはアブラモヴィッチと一緒にシブネフチ社から事実上、古くからの全ての仲間がやってきた。2001年3月、彼はチュクチ住民の生活改善のため自己資産から1800万ドル拠出すると表明した。それで飛行機により食品、冬用衣類、医薬品など届けた。また年金受給者の旅行を組織したり、チュクチの子供3千人を黒海へ連れて行ったりした。
2001年5月29日、アブラモヴィッチはシブネフチ社経営をめぐる刑事事件で、最高検で事情聴取をうける。刑事事件はシブネフチ社払い下げに関する会計検査院の報告書にもとづき下院議員の請求により提訴された。それによるとシブネフチ社は市場価格よりはるかに低い価格で売却されている。さらに同社経営陣は1997年~1998年の期間、中央アジア、モルダヴィア、ウクライナ、ベラル-シ向け石油をめぐり、総額1400万ル-ブルの不当な税優遇、付加価値税の未納の容疑がかけられた。
専門家によると、この事情聴取は1995年のシブネフチ社談合競売や、1996年~1997年の期間、公金4億5千万ドルの紛失事件に関係するものらしい。ある資料では、ヴィクトル・チェルノムイルジン(ロシア元首相)、ユ-リヤ・チモシェンコ(ウクライナ現首相)、リュボフ・クウデリナ(ロシア国防次官)、アレクサンドル・マムウト(実業家)、アンドレイ・グロリオゾフ(銀行家)も関与したと言われる。シブネフチ社経営陣に対する事件は、エリツイン時代の新興財閥を経済界から追放しようとしたプ-チン新大統領とその大統領府の陰謀とも見られている。一方、ガスプロム社会長はレム・ヴヤヒレフからアレクセイ・ミレルに代わった。2001年8月、ロシア最高検はシブネフチ社に関する刑事事件の捜査を打ち切った。犯罪を構成する証拠がなかったとされる。
2000年春、アブラモヴィッチとオレグ・デリパスカは対等条件で「ルスキ-・アルミニウム(ルスアル)、世界最大のアルミメ-カ」社を設立した。2000年末アブラモヴィッチはベレゾフスキ-からその持株49%の内、ORT(ロシア公共テレビ)社株式42.5%を買い取った。2001年夏、これを国営銀行「スベルバンク」に売却する。しかし彼は国への株式譲渡で仲介に立っただけで、転売で儲けていないとも言われている。2001年春、シブネフチ社はアエロフロ-ト社株式26%を8500万ドルで取得する。2002年12月、シブネフチ社はTNK社と共同で、ロシア・ベラル-シ合弁会社「スラブネフチ」の株式74.95%を買収する。
2001年夏、アブラモヴィッチは雑誌「フォ-ブス」の世界富豪リストに入り、資産14億ドルと言われた。2001年10月24日、アブラモヴィッチの誕生日、シブネフチ社により設立され、同社全資産を管理する「ミルハウス・キャピタル」社がロンドンに登記されたと発表された。ミルハウス社はアブラモヴィッチ帝国の管理センタ-として設立され、役員数は25名。2003年夏、破産寸前の英国のサッカ-チ-ム「チェルシ」を買収した。「チェルシ」を買収したことで、彼は英国社会で有名人となったが、これはマスコミや当局の注意を逸らす目的もあったようだ。
シブネフチ社に対する検察の追求がまたもや、2003年下半期に始まった。2003年7月、ロシア最高検と税務省はシブネフチ社の金融・経営活動の調査を始め、16時間にもわたり同社事務所の家宅捜索をしたが、何も出てこなかった。2004年1月、会計検査院がシブネフチ社を再度調査すると報道された。同年3月、ロシア税務省は同社に対し、2000年~2001年の税未納分として約5億ドルを請求した。2005年春、シブネフチ社の税債務額は三分の一に軽減され同社は支払ったと報道された。しかし専門家によると、事は全てマスコミに隠れて秘密裏に処理され、市場関係者にとってはまったく意外のものだったらしい。
2003年、アブラモヴィッチとホドルコフスキ-は再度両社を合併しようとした。10月ユコス社にシブネフチ社株式92%が譲渡された。ユコス社はシブネフチ社の株式57.5%を自社増資株17.2%を受取り、さらに8.8%をシブネフチ社株式14.5%と交換し、残り20%はユコス社が現金30億ドルで購入した。合併の最終的手続きを完了させるには両社は株主総会が必要で、その年末に予定していた。だがホドルコフスキ-が逮捕され、ユコス社に多額の追徴課税が要求されると、この合併はアブラモヴィッチのほうから中止にされた。事実上このシベリアの会社はアブラモヴィッチとは関係なくなっても、彼の会社が支配していたが、ユコス社にはシブネフチ社の支配株が残ってしまった。シブネフチ社取締役会は取締役を再選する株主総会の日時を決めなかった。ロシアの法律では年次株式総会は6月以前に実施する必要があった。2004年秋、アブラモヴィッチは裁判でユコス社増資株無効の決定を勝ち取り、シブネフチ社株式57.5%を取り戻した。その後、2004年10月シブネフチ社が株主総会が行われた。2005年夏、チュクチ調停裁判所はさらにシブネフチ社株式14.5%をアブラモヴィッチに戻す最終決定を下した。
2007年6月になってやっとミルハウス・キャピタル社はユコス社管財人エドワルド・レブグンとの和解案を受け入れた(ユコス社は、30億ドルと契約破棄賠償金として10億ドルをミルハウス社に要求してロンドン国際調停裁判所に告訴していた)。ヴェドモスチ紙によると、この後、アブラモヴィッチはユコス社への未返還金問題で、西側で裁判にかけられる心配がなくなった。そして誰もユコス社には一銭の借金もないが、ユコス社には債務が残っていると、国は判断した。和解の中身は明らかにされなかった。ところが無名な会社「プラナ」によるユコス社資産取得取引(2007年5月、ユコス社の資産は本社ビルも含め破格の価格1000億ル-ブルで競売にかけられた)では、アブラモヴィッチが資金提供したと言われる。
2004年5月、セルゲイ・ステパ-シンの会計検査院はチュクチ自治管区の予算調査報告書をだした。同自治管区は破産していると宣告された。2004年1月1日の時点で自治管区の国への債務は93億ル-ブルあり、自治管区の収入は39億ル-ブルだった。法律では国への債務額は地方自治体の収入額を上回ってはいけない。会計検査院は利益・資産税の優遇で投資家はチュクチ自治管区で137億ル-ブルも優遇されたと判断した。2006年7月、ステパ-シン会計検査院長官はあるインタビュ-で「2004年12月に特別優遇地域が廃止されるまで、アブラモヴィッチは毎年、140億ル-ブルも少なく国庫へ納税し、その一部は横領していた」と発言。何人かの専門家はステパ-シンとアブラモヴィッチには明らかに敵対関係があったと指摘した。これはアブラモヴィッチがステパ-シンによる独自の組閣を妨害し、そして1999年首相辞任に追い込み、ステパ-シンに代わり、エリツンが後継者として指名したプ-チンが首相となった。
2003年春、アブラモヴィッチはアエロフロ-ト社の株式26%を国立積立銀行に約1億3300万ドルで売却する。その年の秋、アブラモヴィッチの会社ミルハウスはデリパスカの会社「バゾヴィイ・エレメント」に「ルスアル」社株式25を売却するが、ミルハウス社に残された「ルスアル」社株式25%の購入優先権は5年間維持した。またアブラモヴィッチは「イルク-ツク・エネルゴ」社及び「クラスノヤルスク水力発電所」社の自己持株もデリパスカに売却した。2003年11月、ロシア最大の自動車メ-カの一つ、「ルスプロムアフト」の株式37.5%もデリパスカに売却した。2004年10月、アブラモヴィッチは残っていた「ルスアル」社株式25%を約20億ドルでデリパスカに売却する。2005年9月、ミルハウス社は「シブネフチ」社株式72.7%を131億ドルでガスプロム社に売却する。ある専門家によると、この売買取引でアブラモヴィッチはロシアにある最後の大資産を手放すことに成功し、最終的に英国の実業家になった。
2005年1月、アブラモヴィッチは欧州復興開発銀行により、総額1700万ドルの横領の嫌疑で告訴された。この融資はスモレンスクの「SBS-アグロ」銀行により、シブネフチ社の子会社で、欧州で石油製品の販売を担当していたスイスの会社「Runicom S.A.」に行われた。1997年「SBS-アグロ」銀行はそれまでの融資返済の担保として、この債権を欧州復興開発銀行に譲渡したが、1998年8月の金融危機で同銀行は倒産した。1999年から欧州復興開発銀行は「Runicom S.A.」社から融資返済を何度も求めたが無駄だった。2000年「Runicom S.A.」社はすでに債務返済しているとロシアの裁判所で主張した。2002年ロシアの裁判所は「Runicom S.A.」社に欧州復興開発銀行へ債務返済するよう命じた。しかし4ヶ月後、このスイスの会社は倒産宣言をした。この件は結局、スイスの裁判所にはかけられながったが、2006年1月欧州復興開発銀行総裁ジャン・レミ-ルはロシアの実業家に再度請求し、アブラモヴィッチと合意できなけば、裁判で債務返済を求めると表明した。
2005年夏、ベレゾフスキ-はアブラモヴィッチを告訴するつもりだと表明した。ベレゾフスキ-によると、アブラモヴィッチは言うとおりにしないと彼の資産を当局が没収すると脅して、ロシア国内の資産を破格の値段で売らせた。2000年~2003年の間、ベレゾフスキ-はアブラモヴィッチにシブネフチ社の株式50%を13億ドルで、ORT社の株式49%を1億5千万ドル~1億7千万ドルで売却し、2003年~2004年には「ルスアル」社株式の25%を5億ドルで売却した。
アブラモヴィッチは知事二期目に出ないと表明したらしい。ところが2005年10月、プ-チン大統領の推挙でチュクチ議会により知事に再選された。2006年1月20日、アブラモヴィッチは「自治管区社会経済発展貢献」賞を授与された。2006年12月20日、アブラモヴィッチは地域での一連の経済プロジェクトを実現したいので知事職を辞退したいと、プ-チン大統領に願い出ている。だが両者会談後、プ-チン大統領の広報は、ロシア大統領は知事辞職願いを受理しなかったと伝えた。
2006年初め、アブラモヴィッチは資産182億ドルを持ち、雑誌「フォ-ブス」の世界富豪ランキングでは世界第11位、ロシア国内第一の富豪となった。2006年4月、英国紙「サンデ-・タイムス」の英国富豪ランキングではアブラモヴィッチは資産108億ポンドで第2位、インド人ラクシミ・ミッタルが第1位であった。アブラモヴィッチはボ-イング社の旅客機二機(BOEING737、BOEING767)、世界最大最高級と言われるヨット、「エクスタシ-」号、「レ・グラン・ブレ」号、「ペロルス」(ミサイル探知システム搭載、小型潜水艦付き)など数台所有している。2006年6月、その内の一隻「レ・グラン・ブレ」号をミルハウス社代表エフゲニ・シヴドレルにプレゼントしている。これらヨットの年間維持費だけで4千万ポンドかかると言われる。アブラモヴィッチは、ウエスト・サックス州ファイニング・ヒルとパ-スシャ-州Aberuchillに土地を所有した。パ-スシャ-州の土地は2005年12月、ロシアの実業家ウラジ-ミル・リシンに680万ポンドで売却し、この取引はスコットランド不動産取引で過去最大のものと言われた。
2006年3月、アブラモヴィッチのパ-トナ-はロシア国内にミルハウスの投資会社を登記して、ロシアの様々な産業部門に投資しようとした。2006年7月、ミルハウスは酒造品雑誌専門の出版社「クリエル」の株式60%を取得した。一方ロンドンではアブラモヴィッチは孤独な生活をおくり、サッカ-の観戦で外出するだけだった。彼についてのほとんどのマスコミ記事は
サッカ-チ-ム「チェルシ」に絡めたもので、彼が選手選びに直接関わっているとか、練習風景を頻繁に見に訪れているとか、自分のサッカ-チ-ムの公式試合はほぼ常に観戦しているとか、細かく記事で紹介された。アブラモヴィッチは記者や上流社会のパ-テイはつとめて避け、古い友人や仕事仲間とだけ交際している。
2006年10月、妻アブラモヴィッチャ・イリ-ナは離婚訴訟を起こした。告訴理由は夫と若い23歳のダリヤ・ジュ-コワ(マラト・サフィンの元恋人)との関係だった。彼女とは2005年2月バルセロナで「チェルシ」の試合後のパ-テイで知り合った。それ以来、ジュ-コワはあらゆるパ-テイや行事で常にアブラモヴィッチの傍にいた。イリ-ナ・アブラモヴィッチャは五人の子供、アンナ、アルカジ、ソ-ニャ、アリナ、イリヤを産んでいる。彼女は英国の有名な弁護士事務所の一つ、「Sears
Tooth」に弁護依頼をして、勝訴すれば史上最高の離婚賠償額、夫の資産の半分、約102億ドルが入る予定だった。
2007年3月14日、ロマンとイリ-ナ・アブラモヴィッチャは財産分割で和解し、誰のもとに子供を残すか合意、その後ロシアで離婚が成立した。離婚賠償額は明らかにされなかったが、英国紙「デイリ-・ミラ-」は記録的な金額だと報じた。それまで英国で離婚賠償額で最高だったのは、保険会社「Axis」のオ-ナ、ジョン・チャ-マンで、2006年8月ロンドン高裁はチャ-マンの全財産の37%、4800万ポンドを妻へ支払うよう命じた。
2007年3月15日、ロシア紙「ヴェドモスチ」はアブラモヴィッチの妻はたった3億ドルを受け取るだけで、子供は全養育費を受け取ると伝えた。2007年3月19日英国紙「デイリ-・エクスプレス」はチュクチ自治管区の首都アナドイルでの離婚訴訟でアブラモヴィッチの妻はどうやら約116億ドル受け取ったらしいと報じた。そうであれば、アブラモヴィッチは世界富豪ランキング上位ではなくなり、ロシア最大の富豪の称号も返上することになる。
2007年4月19日、雑誌「フォ-ブス」はロシアの富豪ランキングを公表した。上位100名中トップはアブラモヴィッチで、2007年3月時点の資産総額は192億ドルだった。二位はデリパスカで、一年間で78億ドル資産を増やし、168億ドル。三位はウラジ-ミル・レシンで151億ドル、また「インテルロス」社のオ-ナ、ウラジ-ミル・ポタ-ニンとミハイル・プロホロフは各々、一年間で資産を倍増し、76億ドルから150億ドルに増やした。四位と五位だ。その後にミハイル・フリ-ドマンで135億ドル、このランキングリストに女性で唯一入っているのは建設会社「インテコ」代表、モスクワ市長ユ-リ・ルシコフの妻エレ-ナ・バトウリナ、資産は31億ドル。
2007年7月13日、アブラモヴィッチの会社ミルハウス・キャピタルがチュクチ自治管区最初の金鉱山を取得したと報じられた。ミルハウス・キャピタル筋によると、アブラモヴィッチの会社は近々、チュクチでさらにいくつかの産出地を取得する意向で、将来隣りの地域、マガダン州やヤク-トの産出地もタ-ゲットにしているようだ。
2007年10月6日、ベレゾフスキ-がアブラモヴィッチに裁判所召喚状を渡そうとしたと、マスコミにアブラモヴィッチの名前が登場した。ベレゾフスキ-はロンドン中心街のある流行の店でアブラモヴィッチを見つけると、書類を渡そうとした。アブラモヴィッチは意図的に両手を背中に引っ込め、書類は床に落ちた。ベレゾフスキ-がラジオ局「モスクワエコ-」のインタビュ-や通信社「クロソル」記者との話から、これは裁判所召喚状で英国の法律では目撃者がいれば、受取人の足下に投げても渡したと見なされる。目撃者は警備員、買物客、店の店員だ。
それでもベレゾフスキ-の弁護士は店の経営者に売り場のビデオ録画の提出を求めた。ベレゾフスキ-によると、半年間もアブラモヴィッチに裁判所召喚状を渡そうとしたがうまくいかなかった。チュクチ知事は逃げ回っていたようだ。かつての仕事仲間への告訴理由についてベレゾフスキ-によると、“「ORT」社、「シブネフチ」社、「ルスアル」社に関係する。アブラモヴィッチはプ-チンとヴォロシンと一緒になって脅しその他違法なやり方でベレゾフスキ-の合法的事業を頓挫させた”としている。アブラモヴィッチの行為の結果被った損害額についてベレゾフスキ-は50億ポンドと計算している。アブラモヴィッチの広報はこれについてコメントを拒否。
これは「LENTA.RU」紙の記事内容の翻訳を中心としたものだが、ロシアの現状を考察する上、一助になるかもしれない。一つの国家、社会は多面的な要素から形成されているから、これはロシア社会の裏、経済の側面からアプロ-チしたものだ。勿論、これだけで判断することは全体の把握にはならず、本丸は専門家に譲るとする。
新年おめでとうございます。今年が最良の年となるよう祈ります。
口は災いのもとと言うから、今年はあまりこうした方面の発言は控え、ロシア語とロシア社会の人間的側面だけに絞り発言できたらば、と思っている。
それでも発言する場合、見事なまでの本当の馬鹿者、翻訳者と思ってご容赦ねがいたい。こちらはただ先祖が恨めしいばかりとなる。
そしてとうとう、クラムスコイの名画「見知らぬ女」をうっとりと眺めた正月の夢旅も終わり、うら寂びた路地裏の飲み屋に入り、今年一年の元気づけをして、ぶらりぶらり千鳥足で電柱にぶつかりながら、日常生活の底冷えした暖炉に戻るとする。
ちなみにこの世に自分から美人と言う人はいない。
ロシア語上達法(8)(驕るプ-チン)(2007年12月17日更新)
街角にクリスマスの音楽が流れ、正月飾りが売り出されると、急に忙しくなって落ち着かなくなる。今年も残すところわずか、あっという間に終わりになる。年齢とともに時間が短くなる。充実していないわけでもないのに早く感じられる。忘却する術を覚えたのかもしれない。人は忘却しないと生きられないのかもしれないが、忘れられないこともある。そこで新年の頁をさっとめくって、全てちゃらにできたらよいのだが….
「Гордыня до добра не доведет, гордыня предшествует падению」-「驕る者久しからず」とでも訳すのだろうか。「酔っぱらい」は勢いででまかせばかりだから、信用できないが「全く飲まない人」(もともとアルコ-ルアレルギ-などで飲めない人は別だが)はさらに信用できない。「酔っぱらう」と陽気になり、饒舌になり、急に虚しくなったり、突如気分が高揚して輝かしい未来の幻想が見えたりしたり、そしてついうっかり口を滑らせたり、路上で転倒したり嘔吐したりするが、そうやっておのれの「だらしない」ところを開陳すると、飲み相手もいつしか同志となってさらに「だらしのない」ところを見せてくれる時がしばしば、あるいはしょっちゅうある。
「酔っぱらい」政治家でぱっと頭に浮かぶのがボリス・エリツイン前ロシア大統領だが今年4月、77歳でその生涯をとじた。ボリス・エリツインはスヴェルドロフスク州の貧しい農民の子として1931年に生まれた。1955年ウラル工業大学を卒業してから、この地方で30年間働く。政治家として表舞台に立つのは、1981年ソ連共産党中央委員会委員に選ばれた時からだ。そして1991年にロシア初代大統領になって8年、1999年12月31日大晦日、辞任声明を出し政界から引退した。晩年、マスコミ政策やベラル-シ関係で後継者の政治に何度か批判したこともあったが、それ以上政界に口をはさむことはなかった。
元大統領府長官セルゲイ・フィラトフは「晩年、ボリス・エリツンは、つとめて政権のしていることに口出さないように我慢強かった。それでも、目の前で自分のしてきたことが壊されていくのを見て、とても苦悩していたことも事実だ。この苦痛と失望が彼の死を早めたと思っている」「エリツインは“私にはもう心臓はない(訳者注:心臓病だった)。残っているのは自分についてあれほどの辛辣な作り話、誹謗中傷や侮辱などでただ苦悶だけだ”と言っていた。これはとても辛いことだと思う。特に自分の事業を後継する人物を選んで、その人物が、自分が獲得しようと闘ったそのものを破壊している場合、尚更憂鬱だ」
「エリツンは本当に民主主義を信じていた。おそらく当初はそれほど固い民主主義の信念がなかったかもしれない。しかし世界を見ると民主主義が形成されていた。そしてそれまで体制が何をしてきたかはっきりと分かった。彼は、これは人間の政権ではなかったと理解した。エリツンは人々が自由に呼吸できるように、つまり自分のために生きることができるようにあらゆることをした」「彼の民主主義への志向を理解しない人々がいた。その多くは今でも、ロシアは自由な国にはなれず、帝国であり、君主制であると考えている。これもまた彼の晩年の深い苦痛になった」
「彼は現大統領(プ-チン)の二つの任期の間、辛抱強く我慢した。一度も公然と発言することはなかった。政治的マナ-を守った。実際国は民主主義的、リベラルな指導者がいないため、とても難渋している。こうした面からも、エリツインがこの世から去ったことで我々は丸腰となった。以前、彼が何か発言をし、行動してくれると、少なくとも期待をしていた。彼はある意味で政権に対する抑止力だったと思う。今日、このポストは空席のままだ」と胸の内を述懐した。
人間は神ではないから、全能ではない。ただ人間から生まれた若干知的な動物にすぎにない。どうも誰でも勘違いするようだ。若い頃、貧しい頃、あんなに腰が低く謙虚な人もいつしか地位も権力も握ると、「知的な動物」から自分の欲望だけの「ただの動物」になって、周囲は落胆してよく嘆くことがある。まさか「画竜点睛を欠く」などと思って、うっかり「点睛」すると、何もかも台無しにしてしまうこともよくあることだ。有能な人ほど「退き際」が難しいのかもしれない。気がついたら民衆の真ん中で投石され殴打されている自分がいるかもしれない。軽率にモ―ゼ気分になったら、お門違いだ。
先日ある解説記事を読んでいたら「сыр-бор」という言葉に出遭った。「сыр」だから「チ-ズ」かな「бор」は「泥棒」、いや違う泥棒は「вор」だ、スペルが異なる。で辞書を調べると「сыр-бор:Откуда
(из-за чего) сыр-бор
загорелся (горит) (いったいどうしてそんな騒ぎになったのか(原義:どうして(燃えぬはずの)湿った松林が燃えだしたのか))となっていた。解説記事のほうは「К чему сыр-бор」となっていた。
「К чему」は「что это сулит, предзнаменованием чего является」(何かの前触れ、予兆)の意味もある。もう少し調べてみた。
「Сыр-бор:
"Из-за чего это у вас сыр-бор?"
- спрашиваем мы, желая узнать, по
какой причине началась шумная ссора, возник переполох. "Сыр-бор" - это
произносимое по-старому словосочетание
"сырой бор". Но каким же образом "сырой бор" стал символом шумной
ссоры или большого и хлопотливого дела? Загадка прояснится, если вспомнить, что в полной форме выражение
звучало так: "загорелся сыр-бор из-за сосенки", а также
"от искры сыр- бор загорелся".
Согласитесь, пожар большого леса (тем
более "сырого бора") - страшное
стихийное бедствие. Когда горит сырой лес, нет
спасения ни зверю, ни птице. И смысл здесь
совершенно определенный: большая беда может возникать из мелочей, из-за пустяков.」
これから分かるように、「どうして大騒ぎが始まったのか、大騒動が発生したのか?」知りたくて尋ねる時「Из-за чего
это у вас сыр-бор?」と言うらしい。「Сыр-бор」は「сырой бор」(生木の松林)から派生した言葉。上の露文から「大森林火災(まして“生木の松林”の火災)は恐ろしい天災だ。生木の林が燃えだすと、動物も鳥も助からない。意味はきわめて明瞭だ。“大きな災難も些細なこと、ほんのちょっとしたことから起こりうる”」と理解できる。つまり「сыр-бор」(生木の林)は「мелочи, пустяки」の意味なのだろう。「くだらないこと、些事、そして事の端緒、火種」と意味が拡大するのかもしれない。
解説記事「сыр-бор」はどうやら「首相案」をさすようだ。「К чему сыр-бор」は、「首相案は何か大騒動の前触れだろうか」あるいは「首相案という小火の焔はどこへ向かうのだろうか」と訳してみてはどうだろうか。
Алексей Толстой
Репка (大きなかぶ)(原意:かわいいかぶちゃん、あるいは小さなかぶ)
Посадил дед репку и говорит:
- Расти, расти, репка, сладка! Расти, расти, репка, крепка!
Выросла репка сладка, крепка, большая-пребольшая.
Пошел дед репку рвать: тянет-потянет, вытянуть
не может.
Позвал дед бабку.
Бабка за дедку,
Дедка за репку -
Тянут-потянут, вытянуть не могут.
Позвала бабка внучку.
Внучка за бабку,
Бабка за дедку,
Дедка за репку -
Тянут-потянут, вытянуть не могут.
Позвала внучка Жучку.
Жучка за внучку,
Внучка за бабку,
Бабка за дедку,
Дедка за репку -
Тянут-потянут, вытянуть не могут.
Позвала Жучка кошку.
Кошка за Жучку,
Жучка за внучку,
Внучка за бабку,
Бабка за дедку,
Дедка за репку -
Тянут-потянут, вытянуть не могут.
Позвала кошка мышку.
Мышка за кошку,
Кошка за Жучку,
Жучка за внучку,
Внучка за бабку,
Бабка за дедку,
Дедка за репку -
Тянут-потянут - и вытянули репку.
(おじいさんが小さなかぶを植えました。
「おおきくなれ、おおきくなれ、かぶちゃん、甘いかぶちゃん!
おおきくなれ、おおきくなれ、かぶちゃん、じょうぶなかぶちゃん!」
とおじいさんは、いつもかぶにむかって言いました。
すると甘くじょうぶなかぶが、とてもとても大きく育ちました。
おじいさんはかぶを抜きにやってきました。ところがいくら引っぱっても、
かぶは抜けませんでした。
おじいさんは、おばあさんを呼びました。
おばあさんは、おじいさんをつかみ、
おじいさんは、かぶをつかみ、引っぱりました。ところがいくら引っぱっても
かぶは抜けませんでした。
おばあさんは、孫娘を呼びました。
孫娘はおばあさんをつかみ、おばあさんはおじいさんをつかみ、
おじいさんはかぶをつかみ、引っぱりました。ところがいくら引っぱっても
かぶは抜けませんでした。
孫娘は番犬を呼びました。番犬は孫娘につかまり、孫娘はおばあさんをつかみ、
おばあさんはおじいさんをつかみ、おじいさんはかぶをつかみ、引っぱりました。
ところがいくら引っぱっても、かぶは抜けませんでした。
番犬は猫を呼びました。猫は番犬につかまり、番犬は孫娘につかまり、
孫娘はおばあさんをつかみ、おばあさんはおじいさんをつかみ、
おじいさんはかぶをつかみ、引っぱりました。
ところがいくら引っぱってもかぶは抜けませんでした。
猫は子鼠を呼びました。子鼠は猫につかまり、猫は番犬につかまり、
番犬は孫娘につかまり、孫娘はおばあさんをつかみ、おばあさんはおじいさんをつかみ、おじいさんはかぶをつかみ、引っぱりました。そしてやっとかぶが抜けました。)
これは誰も知っているロシア民話の一つなので、説明の必要はないだろう。最後に登場する「Мышка」(小さな鼠)が主役で、この小さな鼠が引っぱらないと「大きなかぶ」は永遠に抜けない。
日本からモスクワまで1万キロ以上ある。「ねずみ」年の来年、ひょっとしたらこの「Репка」が小ネズミ一匹で抜かれるのだろうか、それと「сыр-бор」はどうなるのだろうか。年の狭間に来ると、いろんな思いが去来する。あいつはどうしているだろうか、さて無学な田舎の翻訳者は「酔いどれ」旅の切符でも買いに行くとしよう。(続く)
ロシア語上達法(7)(さて、来年のロシアは?)(2007年12月11日更新)
先日の選挙でプ-チン大統領を選挙名簿筆頭とした統一ロシア党が圧勝した。これで憲法をいつでも変更できるという、きな臭い状況となった。来年三月、新大統領が選出されるわけだが、その後プ-チン首相という説も囁かれているが、あまりありそうもないシナリオだ。メドヴェジェフとイワノフの両第一副首相が新大統領になるという話もある。しかし、統一ロシア党がこの二人のうちどちらかを候補者として指名すると、たぶん両勢力の間で内紛が起きるかもしれない。最も安定した確かなシナリオはプ-チン氏の続投だが、これは三選禁止の憲法に阻まれる。
帝政ロシア、ソ連邦、現代ロシアと政治体制は変遷するわけだが、常に強い指導者が存在するか、「一党独裁」の体制だった。現代ロシアでは「一党支配」はできても、「一党独裁」はできない。現憲法下では普通の選挙をしないといけない。だから政党が11も下院選挙に参加したわけだが、統一ロシア党が得票率64%、ロシア共産党が11.6%という結果だった。それにロシア自由民主党と正義のロシア党が各々8%前後で、辛うじて下院議員選出最低基準の得票率7%を突破することができた。その結果、450議席をこの四党で配分することになる。
大統領教書など読むと、プ-チン大統領の最優先課題は「強いロシア」を構築することだ。「強い」という意味は、おそらく軍事的、経済的大国をさすのだろう。国際資源価格が今後4~5年間、今の高値とは言わないが、そこそこの高水準に維持されれば、向こう10年間にロシアは軍事的にも、経済的にも目標の「強いロシア」という大国になれるだろう。
生活水準の向上や貧民層の激減は、現実政治では最も重要な点だから、とりあえずこれはクリアできるかもしれない。
けれども「強い」という意味は、視点を変えれば「弱い」という意味にもとれる。「盲目的」有権者にいくら支持されたからといって、盤石とはほど遠い。たしか、大統領教書には「自覚的」とか、「自己認識」する国民という表現もあったと思う。これはロシアに限ったことではないが、市民社会を示唆しているのだろう。これがプ-チン氏というより、ロシアの政治レジュ-ムのもう一つの課題だろう。ソ連が崩壊した最大要因の一つは、国民が国の「主人公」という意識がまったくなかったせいだろう。
大統領イコ-ル与党という構図は、プ-チン氏本人からすれば本当はとりたくなかった方向かもしれない。大統領が中立であればこそ、多数与党の「暴走」も牽制できたのだろうが、このカ-ドは捨ててしまった。ずっぽりと「現実政治」に嵌った格好だ。こうなると絶対多数与党を抑えるのが難しくなる。そして市民社会の形成という理念からもかなり遠くなる。しかし、これはどこの国でも難しい課題で、何世代もかかるようなものかもしれない。
最もありそうな公算は、ヴィクトル・ズブコフ首相を大統領後継者に指名して、自らは大統領最高顧問という形式をつくることかもしれない。ズブコフ氏は65歳ぐらいだから、座りはよい。ただ国民的人気に欠ける。しかし、現体制を当面維持し、政治の力のバランスを保とうとするならば、これは最も可能性のある選択肢だろう。両第一副首相はどちらも実力者だから、一方を選択すると、抗争は避けられないかもしれない。仮に院政をしくにしても、プ-チン首相という形は大統領の権威をあまりにも下げかねない。
ロシア人は「大陸的性格」だから、良く言えば「大局的、大胆」、俗な表現を使えば「太っ腹」で、悪く言うと「雑」なのだろう。だから独楽鼠みたいにひっきりなしに苛々奔走する「市場経済」など最初からむいていないのかもしれない。生活が安定すると「本性」が出るのが人間の「性」だから、みんな「国営化」して暢気にのんびりやりたいのかもしれない。そうしたことからか、WTOの加盟にさほど乗り気がないようにどうしても見える。「あんなところに加盟して」せせこましい生活など、モスクワ周辺で十分だと思っているのかもしれない。政府は言葉では「国営化」を国際競争力の強化とはいっているが、どうも民族の「体質」が表面化したようにしか思われない。
中期的には経済的面で「統一経済地域(EEP)」(ベラル-シ、カザフスタン、一部中央アジア諸国など)と軍事面で「上海協力機構」を発展させ、第二の局を構築するつもりだろう。ロシアは資源大国だから、地球面積約六分の一の国土の国境線を守れば、閉鎖したル-プの中でも経済的には困らない国だ。そうした方向に今後進むことになるだろう。
ただ日本としてはある意味で「チャンス」かもしれない。プ-チン大統領がこの下院選挙であらためて絶対権力を握っていると確認されたわけだから、もしかしたら「四島問題」も解決できるかもしれない。すでに中国との国境問題はだいぶ以前に解決している。アジアで国境問題が解決できない場所は日本とだけだから、おそらく政治日程に上ってくるだろう。「若干の覚悟」さえあれば、プ-チン氏と直接交渉すれば、その糸口が見えてくるだろう。
浅学非才の場末の翻訳者が政治についてあまり多弁を弄すると、ろくなことがないので素人の発言はこのへんで終わりにする。それにしても今年の冬は寒い。年末旅行をしようと思って、いろいろプランニングしてみたが時期が時期だけになかなか厄介だ。本を正すと太宰治の「津軽」のせいだ。この旅行印象記を読むと、急に旅に出たくなる。それで東北地方はどうかと調べると、空いている所などほとんどない。
話題は変わるが、ロシア語に「時制の一致」はない。つまり、主文の動詞の時制と従属文の動詞の時制が異なってもかまわない。これは日本語と同じだ。日本では外国語教育は主に英語なので、どうしても外国語となると、すぐ「時制の一致」が頭に浮かぶ。英語だと、主文の動詞が過去形だと、従属文の動詞もそれに合った過去形にしないといけない。例えばロシア語では「Он
думал, что придет вовремя」(彼はちょうどよい時に到着できると思った)と表現できる。これは文法上の形態として求められるだけで、日本語、ロシア語、英語も意味は全て同じだ。
それと、完了体と不完了体という、日本語に馴染みのない概念がある。先ず、手元にロシアの六法全集があれば、ちょっと見てもらいたい。無ければ、大きな図書館へ行けばあるかもしれない。動詞の単独変化形は全て不完了体だ。つまり完了体の変化形は用いない。完了体動詞を変化させると、自動的に未来形となり、時間の関係が発生する。これは法律文では適切でない。何故ならこれから到来するであろう未来というのは、どこまでいっても結局、不確定なものだからだ。完了体動詞にも、不完了体動詞のような機能もあるが、これはあくまでもコンテキストなどの関係から成立するもので、つまりさらに多くの解釈ができる曖昧さがある。
こうした点から契約書などでは「Продавец поставит детали」(売手は部品を納入するだろう)とは書かないで、不完了体を用いて「Продавец
поставляет детали」とするか、完了体動詞を用いるであれば、述語「должен, обязан」等を使い「Продавец
должен (обязан) поставить детали」としないといけない。これにより、完了体の時間の機能は消え、行為としての機能だけに限定されるからだ。いずれにしても、悩ましい場面には違いない。
歳とともに外国文学より、日本文学のほうが馴染む。若い頃は頭で文学を理解していたが、年齢を重ねると、体に染みこむような作品のほうがしっくりいく。どうしても生活習慣が異なると、翻訳のせいもあるだろうが、違和感もある。文調とか、そういうことではなく、日本文学のほうが、一体感があるから不思議だ。若い頃は逆だった。(続く)
ロシア語上達法(6)(時代に翻弄されながら)
(2007年11月25日更新)
いつの時代も、古いものは過去へ捨て去られ、新しきものが、時代の覇者となる。そして過去へ捨て去られる。時は移ろいやすく、万物は流転する。不易流行というが、変わるものと変わらないものがある。
ソ連が崩壊してロシア語が変わった点は、ステレオタイプがなくなったことだ。判で捺したようなロシア語の文章にうんざりしていたが、一つの権威が失墜すると、しばらくの間、真空の時間帯が生まれ、そこで多くの試行錯誤が繰り返される。この15年間に多くの独創的なものが生まれたにちがいない。日本でも戦後10年ぐらいの間に多くの価値あるものが生まれている。ロシアの15年間はよく掘り起こしてみる必要がある。たぶん、数え切れないぐらい宝が埋まっているはずだ。
ロシアは長い歳月をかけてやっと「второе дыхание」(蘇生)した。思い起こすまでもなくこの間、急激な経済自由化や過度の市場原理主義がロシア社会をカオスに陥れたが、ここにきて「国営化」の動きが加速している。政府の立場はグロバリゼ-ションに対抗して巨大企業にすれば国際競争に勝ち抜けるとしているが、はたしてそれだけだろうか。巨大国営企業が誕生して市場が独占されると、競争のない社会となる。熱病にかかったように新製品を連発する必要もなく、商品開発など無頓着でゆったりとした日々をおくれるようになる。どうも、ボルガ河やアム-ル河の広大なる緩慢な流れを眺め、対岸の見えない大地に立つと、「市場原理主義」など唱えると恥ずかしくもなる。おのれの愚かな野心が見透かされたようで、そこで跪いてうっかりすると懺悔するかもしれない。「主よ赦したまえ、愚かな無学無思想の経済学者で多くの人々を騙し不幸にしてしまいました」
先日、ロシア下院議長ボリス・グルイズロフが「ロシアを捨てたロシア人には年金を支払わない」と発言して物議をかもしている。やっとロシアは経済が安定して「明日の生活を心配しないですむ」身分になると、冷静さと怒りが出てきたのかもしれない。「一家が零落して、家族全員乞食となって極寒の冬空の下、街角にて凍える手で腐ったような缶詰をやっとのことで売りながらその日を生活を繋いでいたのに、零落した一家を立て直そうなどさらさら思わず、派手好き贅沢根性の二三の者が最も家族が困っている時に国外へ出てしゃあしゃあと生活していた」ことが突如、脳裡を過ぎったのかもしれない。「そんなやつには年金をお支払いしません」とグルイズロフ下院議長のぷっつん憤怒発言。しかし、これは感情論だから、実際は「年金法」にしたがい、粛々と支払われるだろう。
人それぞれ事情もあることだから、単純には批判できないが、マリンスキ-劇場の芸術監督、指揮者ワレリ・ゲルゲエフは崩壊して零落しても国にとどまり、「一家立て直し」のために活動を続けたから、一流なのだろう。ただ技量だけが高くても、尊敬もされないし、一流とはほど遠い。
崩壊して多くのロシア人が日本に殺到したが、あれを見て本物のロシア人と思ってはいけないのかもしれない。そろそろロシア人の「本隊」が日本にやってくるだろう。自らの手で国を立て直した自信も自負心もあるロシア人だ。今度のロシア人は強いかもしれない。「地獄」から這い上がった連中だからだ。
長い間、ロシア語の文章に接していると、一つ気づくことがある。つくづく語尾変化の言語だと思う。だからいくら単語だけを辞書で調べ意味をとろうとしても、正確に訳せない。よほど分かり切った場合以外、点と点をどう結び合わせても意味がとれない。特に長い文ともなると、どこがどこに係るのか、分かりずらい。頼りになるのは、コンテキストと語尾だけの場合もしばしばある。多くの誤訳は語尾変化を見逃しておかしてしまう。それと辞書は隈無く読んだほうがよい。二三の意味だけで思いこんでいると、けっこう間違う。手間はかかるが、念のためもう一度辞書をひくことが肝心かもしれない。
ロシア語にせよ、どの言語にせよ、所詮言葉の世界に他ならない。そしてそこにはいくつかの法則がある。ただそれだけだ。それさえ覚えれば誰も使いこなせるようになる。会話だけは現実的なものだから、現地にしばらく身をおかないと、うまく喋れない。そこで言葉とは何かというと、文字という二次元の世界であり、音という三次元の世界だ。文字は平面の世界だが、音は立体の世界だから、はるかに複雑だ。だから会話を文で表現するのは厄介なのだろう。喋ったことをそのまま文字で表現しても、リアリテイがない。
ロシア語のもう一つの特徴は形動詞と副動詞だ。形動詞は形容詞と動詞の機能を合わせもち、副動詞は副詞と動詞の機能を合わせもつ。中でも副動詞の機能は興味深いところがある。例えば、「Услышав
шум на улице, она подошла к окну」という文があるとする。これは、二通りの意味にとれる。「Когда
она услышала шум на улице, она подошла к окну (彼女は通りで物音が聞こえた時、彼女は窓のほうへ行った)」ともとれるし、「Она
подошла к окну, потому что услышала шум на улице(通りで物音がしたので、彼女は窓のほうへ行った)」ともとれる。これはコンテキストによって左右される。ということは副動詞は、契約書など限定的、狭義の表現を要求される文書では避けたほうがよく、逆に文学などで、隠喩などにより含みをもたせる表現には向いているのだろう。
実践的に翻訳している立場からすると、一つ面白いことに気づく。言葉の意味を狭くとらえる訳者と広くとらえる訳者がいることだ。少し日本語で考えると、すぐ言葉尻をとらえるタイプが前者で、形式論者であり、事の本質をとらえようとするのが後者なのかもしれない。法律文の訳には前者が向いているのかもしれないし、文芸文学などには後者が向いているのかもしれない。例えば「花が咲いている」という表現では、前者は「季節が来て花が咲いている」と文字通り解釈するだろうし、後者は「性描写」かもしれないと解釈するかもしれない。
現実には型にはまった前者も後者も存在せず、どちらの傾向が強いかということだろう。ただ前者に語学力があまり高くない、どちらかというと初学者に多く見られることも事実だろう。そこには「ただ言葉を置き換える」だけという、翻訳者にとって痛烈な批判が待っている。辞書を金科玉条という人も困る。辞書は現実の言葉の集約にすぎず、それ以外の意味が多々あるのは当然のことだからだ。言葉は状況やコンテキストによって意味が変化する。
それと語学学習についても少し触れてみる。どの世界も結局、「根気」だろう。語学をものに出来ない人には、たぶん、そうしたものが若干欠けているのかもしれない。人生、邪魔も妨害もあるだろう。平坦な人生などそうそうあるものではないだろう。お誂え向き条件など、空想の世界でしか存在しない。そうした厳しい現実の中でも、なんとか学んでいく「根気」が語学をものにさせるのかもしれない。
ここのところ仕事が忙しい。年末どこか旅行でもしたいものだが、…….
ロシア語上達法(5)(2007年8月6日更新)
人は自分の思考枠の外では行動できない。これは考えていないことは行動できないという意味ではない。その人の描くイメ-ジの外には出られないという意味だ。つまりその人の世界というか、宇宙というか、心の中に描けるそうした漠然とした空間の外では行動できないと言われる。そう思うと、人はかなり限られた狭い枠の中で生きているということになる。この枠が大きい人ほど、幸福感も大きい。幸福の価値観の範囲も広いということになる。勿論、人生観、生き方も違ったものとなるだろう。例えば、ある志を抱いても、この枠の小さな人は大きな空間に生きることができないので、大成したとしてもかなり制約されたものとなるだろう。
小さな価値観からは大きな価値を生み出すことはできない。これはどれほど出世しようが、どれほど裕福になろうが、幸福になれないのと似ている。価値観が小さいからだ。その小さな思考枠で全てを判断するからだ。物的なものしか価値を見いだせない人は、物的な世界でしか生きられない。自分の心の中で描かれる世界の外に出られないとすると、いろいろと考えさせられる。生きるということはかなり窮屈に思える。この思考枠という空間は拡大できるのだろうか。千利休の茶室の入口は人一人がやっとどうにか通過できるほど狭いものだ。武士は脇差しを外さないと中には入れない。これは身に纏っているもの全てを脱ぎ捨てろという意味だろう。肩書きも地位も、一切のこの世の虚飾をはぎ取り、精神の世界だけにする。そして精神の宇宙に没頭し、内なる世界を見つめることはできるだろう。けれども、だからといって、その人の心の中に描ける世界が拡大するわけではない。狭い世界の人は狭い世界を見つめるだけで、広い世界の人は広い世界を見つめるだけかもしれない。たぶん、心の中に描ける世界という漠然としたイメ-ジ空間は、天性のものだろう。鍛えたからといって、そう拡大できるものではないのだろう。
言語、言葉はたんなる記号にすぎないのだが、そのまったく意思のない記号から人は、意思も感情も、それ以外の背景まで想像する。だからたんなる記号のようで、たんなる記号ではない。まさにこの記号が人の意思や感情を表現し、人格の匂いまで漂う。この世に型にはまったような悪人も善人もいない。悪人が書いても、善人が書いても、その人の本質的内面を仄かに暗示するのも、文字という記号だ。以前著作物のない翻訳者はいまひとつ物足りないようなことは言ったわけは、その翻訳者の内面をそっと覗いてみたかったからだ。だから、会話教科書や文法書ではあまり意味がない。その翻訳者の世界観を知りたかったのだ。それでその人物がだいたい分かるからだ。どんな世界をもっている人なのか、非常に興味深いものだ。
翻訳に対する態度も、同じようなことが言える。どのような世界をもつ人が訳すのか、それによって深みのような抽象的な重みが異なってくるように思える。もちろん、翻訳だから最低限の規則や知識をしらないといけない。しかし、十分な知識があり、文の規則をしっているからといって、深みのある翻訳ができるわけではない。美しいものを美しく描いても、他者はそれを見て美しいと感じるわけではない。素人は美文を好む。美しい文を書けば、感動させられると勘違いしている。型にはまった形式からはさほど大したものは生まれない。形式の外にオリジナリテイがある。オリジナリテイは悉く美しいと言えるかもしれない。しかし、この世のものはほとんどが模倣の域を出ていない。
翻訳ばかりしている人の欠陥は衒学的な傾向だ。やたらと難しい漢字や表現を好む。そこにどこか鬱屈したコンプレックスが潜んでいるように思えてならない。難解がおのれの無能を糊塗している。だから難解な翻訳文をみるとうんざりする。しかし、分かり易ければよいというものでもない。そこには絶妙なバランスが求められる。文にはその人の人生が反映する。特に感性を表現する領域では顕著に現れる。だがどのような文でも片鱗を見せるはずだ。
和訳が最も簡単で最も難しい。和訳で始まり和訳で終わるのかもしれない。老翻訳者には難しい表現を弄する傾向がある。しかし、年老いた翻訳者で分かり易い翻訳するとすれば、おそらく何かを掴んだのだろう。何だろうか。複雑とは単純のことだ。単純とは複雑のことだ。難しいことを分かり易く書くのではなく、難しいこととは分かり易いことなのだ。分かり易いということは、複雑なことなのだ。それが本質だ。
凡人には欠点しか目に映らない。才人は長所を見つける能力がある。人の長所を見つけることはきわめて難しい。何故なら人は欠陥の塊だからだ。人間とはどこから見ても欠点だらけだ。そこで長所を見つけるとなると、特殊な才能が要る。長所とは賞讃や美辞麗句の社交辞令ではない。まさに深い密林の中で一粒のダイヤモンドを探すようなものだ。たぶん、ヘミングウエイだったと思う。「ぼんやり見るとはっきり見える。だが目を凝らして見ると、何も見えない」それ故、よく見ると美人だったというのは、嘘なのだろう。なに気なく、つまり無意識に見た時の感情が本当なのだろう。長所もぼんやり見ると、はっきり見えるのかもしれない。
ここでも翻訳教室をやっているが、主観や経験で添削することは極力避けている。出来るだけ、文献を示して客観的評価をするようにしている。学ぶ場合、普遍性や客観性が必要となるが、実践では主観と経験がものをいう。それでも、人の主観や経験ほど当てにならないものもない。一個人の狭い経験など、広大な世界から見れば、ほとんど目に見えぬ塵芥のようなものだ。だからその人の描く世界の大きさによって、あらゆることのアプロ-チが違ってくる。「古池や蛙飛び込む水の音」という松尾芭蕉の有名な俳句がある。どんなに由緒正しいと誇っても、たかが蛙の音でかき乱され、屁みたいものだという意味だ。
若い頃、ロシアでプラントの仕事に長い間、従事していた。その経験は今でも多く役立っている。そこで知ったことは、もちろんロシア語の会話だが、それより技術についてだ。これが技術翻訳する上で役立っている。個々の単語のことではない。素人ながらも、技術について若干分かった。やはり現地で技術の現場にいないと、辞書をいくら引いても分からないことがある。前回も「遮断弁を開けて流量を調整する」という話を出したが、英文では「遮断弁を閉めて流量を調整する」となっていた。数年前、ある造船所で通訳の仕事をしたことがある。そこでロシア側は日本製のコピ-機を購入した。勿論、電圧も周波数も船舶の仕様に合わせたものだ。ところがうまく作動しなかった。そしてメ-カの技術者を呼んで調べてもらった。電圧の変動でうまく動作しないと説明した。造船所側は変圧器(スタビライザ-)用意して、電圧を安定させようとした。それでもうまくいかなかった。コピ-機の調整に二三日も費やしていた。そこで「その機械はそもそも異常だ」と指摘した。何故なら、日常陸地で使う電気も、その電圧は常に変動するからだ。5%から10%ぐらいの電圧変動で、もし家電が動かないとしたら、使いものにならないからだ。それで造船所で使っているコピ-機を船舶に設置したら一発で動いた。
プラントにもよるが、自然界は技術の本質を教えてくれる。例えば、耐荷重1トンのワイヤ-ロ-プがあったとする。実際何トンで破断するか、現場で試してみないと分からない。もちろん、メ-カは実験室で破断テストをしている。スペックにも破断荷重が記載されている。しかし、現場は違う。雨も降るし、風も吹く。ちょうど黒海沿岸でプラントの仕事をしている時だった。ここは風速40mぐらい日常だった。そうした条件でどれだけワイヤ-ロ-プが耐えられるか、やってみないと誰もわからない。すると、スペックの破断荷重と違う結果が出た。これはメ-カによって異なる。そのように書類上の数値と現実が違うことを教えてくれるのが現場だ。これは実際に目の当たりにしないと理解できない。
ロシアにどれほど長くいても、そうした技術の現場の経験がないと、このことは分からないだろう。それは日本人が日本に生まれてこのかたどれほど住んでいようが、技術が分からないのと同じことで、ロシア人だからといって、技術が分かるわけではない。
良い翻訳とは何かと問われると、かなり返答に困る。言うまでもなく、文法的に正しく、原意をきちんと反映していることだろうが、アンドレ・ジイドみたいに「どうぞ、お好きに訳してください」という人もいる。彼は作家であったが、同時に翻訳家でもあった。その難しさを痛いほど理解していたのだろう。作品は作家の人格なり本質なりをどれほど隠蔽しようが、程度の差こそあれ、たとえ片鱗といえども、反映するものだが、それでも作品と作家は別なのだ。作家の性格や癖を知ったとしても、それで作品をきちんと翻訳できるわけではない。特に文学作品は読み手によっては、様々に解釈されうるし、またそれが時として、作者が考えている以上に作品そのものの価値を引き上げる場合すらある。だから厄介なのだ。作家はたぶん、誰が訳しても、どうせ本意をうまく訳せないのだろうから、「お好きにどうぞ」と言うのかもしれない。端から匙をなげている。とりわけ、文体重視の作家にとっては、翻訳に絶望的になるかもしれない。異文化作品の文体など、うまく反映できるわけがないからだ。
以前「日本で一番できるという人は信用しない。また人をそのように言う人も信用しない」と言ったことがある。そうした人たちが悪人といっているわけではない。そうした考え方が誤っているということだ。それは「唯我独尊」の思想だからだ。ソ連はそうやって崩壊していった。戦前の日本も滅亡した。しかし、これは個人単位にもあてはまる。自分だけが「正しい」と考える人には進歩がない。こうした現象は年寄りに多く見られる。他人の意見を聞けなくなる。だから年寄りは進歩しないで、社会から孤立していく。人間の退化、劣化だ。他人の意見に傾聴するということは、若い瑞々しい頭脳が要る。だから若者は進歩するのだ。それは自分の意見を主張するより、はるかに骨の折れることだ。必ず意見と意見、見解と見解の衝突が起きる。大きなストレスになる。そして進歩する。
どの世界でも「一流」というのは難しい。その道に完璧なほど通じていると同時に誰からも尊敬されている。専門の完璧性と尊敬はおそらく一体のものだろう。完璧でないものは尊敬されない。尊敬されないものは完璧でない。当然、人格に欠陥のある人など尊敬されない。欠陥のある人ほど尊敬されたいと願うが、けして尊敬されることは永遠にない。つまり、完璧と尊敬が一体となったものとは「神」だからだ。それはこの世に存在しないが、無知な人間が憧れる。偽善者は尊敬されないが、欲望がままに生きている人は論外だ。近辺に「尊敬」に値する人は一人も見られないが、いかに猥雑の中に生きているか、よく分かる。しかし、これがけっこう楽しい世界でもある。
以前、ワレリ・ゲルギエフ(マリンスキ-劇場芸術監督、NHK)のインタビュ-発言を聞き取り翻訳していたら、「ロシアには一人の天才は生まれるが、一人々はばらばらだ」と発言していた。トルストイ、ドストエフスキ-、チェ-ホフなどの文豪、チャイコフスキ-などの作曲家、多くの天才がいることでは有名だ。ところが道行く市井の人々はさほどたいしたことがない。日本人は平均点はかなり高いが、一人の天才を生む民族ではない。その意味ではロシアは極端に思える。市井の人々を見れば、ロシアはたいした国家でないし、ロシアの天才を見ればロシアは偉大な国家なのだ。日本がノモンハンなどで敗北したのも、こうしたことが遠因かもしれない。市井の人々を分析して、侮ったのだろう。まさか軍事の天才ジュ-コフ将軍がいるとは思わなかったのだろう。
くどくどと本題から外れた話ばかりなので、少しロシア語にも触れてみる。ある文の中で「табак-другой」という表現があった。「別の煙草、その他の煙草」では意味が通じないので辞書を調べてみた。(「-другой」で「おおよその数量」を示す。(употребляется при приблизительном указании количества чего-либо)
: Бригадиры приходили получать наряды,
кое-кто - выкурить цигарку-другую в компании(作業班長は作業命令書を受け取りによくやってきたが、中には手巻き煙草一本ぐらい仲間と一緒に吸おうとやってきた者もいた);Прошла
секунда-другая (一秒ぐらい(あるいは数秒)過ぎた)(ロシア語大カデミ-辞典、第五巻、p395)
「煙草一二本」の意味だ。「неделя-другая」(一二週間)。ちなみにロシア語大カデミ-辞典はまだ全巻出版されていない。
ロシア語上達法(4)(2007年5月19日更新)
実務実用文など、よく簡潔簡単な文章が優れているといわれる。冗長な文は良くないといわれる。これにはそれなりの理由がある。情報伝達量の問題だ。客観的事実を正確に明瞭に読み手に伝達するためには、より多くの情報をコンパクトにまとめて伝達するのがベストだ。この場合、主観が介在する文はよくない。その分だけ書き手の感情という不必要な情報が入り、文が長くなる可能性がある。そして必要な情報が迅速に伝わらなくなる。こうした分野では多量の情報を素早く伝えることが求められる。情報を多く伝えるには凝った文は邪魔になる。出来る限り簡単簡潔に表現することで、多くのデ-タが伝達できる。
実務実用文(時事記事や学術論文なども入る)では、文は手段でしかない。情報内容を正確に伝達する機能でしかない。文とは文字で構成される。文字は平面の上に書く。縦書きであろうが、横書きであろうが、書き手は上から順番に並べて書き、読み手は上から順番に読む。それ以外のやり方はない。文字は立体空間を一瞬で表現することはできない。比較してみるとよく分かる。目の前の景色を肉眼であれば、人間はリアルタイムに一瞬に全ての情報をキャッチすることができる。目の前のパソコンから窓の外に浮かぶ遠くの山まで一瞬に認識することができる。パソコンの色にしても、きめ細かく認識できる。パソコンモニタ-のフレ-ムの色がホワイトであっても、肉眼は白色の状態を繊細に識別できる。ちょっとした黄ばみも見落とさない。机の上の微少な塵さえ見ることができる。部屋の中の机、窓、本棚、それに窓の外に鳥が飛んでいればそれも認識できる。それもリアルタイムに一瞬に把握できる。三次元の世界だ。
ところがこの一瞬の場面でさえ、文字で表現しようとしれば、文字を上から順々に丁寧並べて書いていくほかない。そしてA4用紙三枚も四枚も費やしてしまう。それでいて肉眼のように完全には認識できない。それも一瞬の場面でさえ、文字では再現が不十分なのだ。けしてリアルタイムには表現できない。A4用紙三枚も四枚も読んでいるうちに、現実の場面はもの凄い早さで変化している。三次元空間を二次元空間に押し込もうとすると、こうしたことが必ず起こる。肉眼のほうが圧倒的に多くの情報を把握できる。
したがって、文字は情報伝達の手段ではあるが、多くの情報を短い間に正確に読み手に伝える手段としては完全ではない。こうした点を考えると、実務実用文では文体も文構成もシンプルなほどその力を発揮できる。文構成を出来る限り単純にする。用いる単語はきわめて重要なエレメントだ。何故なら文体・文構成を最大限にシンプルにすると、文形態がもつ力は削がれるが、それに反比例して単語の役割が飛躍的に大きくなる。単純な文に正確、適切な単語を嵌め込むことで、情報伝達量が一気に増加する。
実務実用文では誰が書いたか、あるいは誰が翻訳したか読み手に分かるような文は、こうした観点に立つと、よろしくない。つまり、書き手固有の属性が文に介在して、本来伝えるべき情報に不必要な情報が入り、その分だけ文が長くなるからだ。A4用紙一枚で伝えるべき内容を表現できると仮定すれば、これをA4用紙三枚で書いたとしたら、A4用紙一枚で伝達された情報量は三分の一ということになる。ところが仕事という面から見ると、三枚で書いた人のほうが、三分の一の情報伝達で、同等の稿料をもらえる。これは書き手にも、読み手にも、情報伝達について共通の認識がないからだ。
実務実用文書きの名手の文は、おしなべてシンプルだ。これは翻訳者にもいえる。この分野の翻訳名手の翻訳は、簡単簡潔だ。だから多く情報が伝達され、読み手の評価は自ずと高くなる。高い評価を得ようとすれば、限られた空間に出来る限り多量の情報を伝達できる技術をマスタ-することだ。ほとんど訳者の姿が見えず、読み手が翻訳文に集中でき、容易に情報を取得でき、最後に誰が訳したのか、そんな印象を読み手がもてば実務実用文では最高の翻訳だ。
ところが文芸文などでは、二次元空間で三次元空間を再現しようとする。動画を描写する、人物を動かす、風景を立体的に描く。これにはあらゆる手段を投入する。単語、言葉つかい、文体、文構成、文構造などである。簡潔簡単な文であるかどうか、これはあまり意味がない。立体的、幾何学的に表現できるか、これが文学などでいう描写なのだ。生き生きと描かれているということはこういうことなのだ。
だがこうした趣味や癖が実務実用文に挿入されるとどういうことになるか。読み手からするときわめてもどかしい気分になる。実務実用文では、ある特定の情報を読み手に伝達するのが目的だからだ。その情報とはすでに結論をもっている客観的な情報である。書き手も読み手も主観で変更できない客観的事実という情報である。タ-ゲットは読み手の知性と理性だ。文学だとこれに感性が追加される。それも最も肝心なタ-ゲットとなる。
感性にうったえる表現として、例えば絵画や音楽がある。人はそこから、感覚器官、聴覚や視覚を通して無限の想像をしながら感動する。あるいは文学で一つの言葉が読者に深い感銘をもたらすことがある。それは理性ではなく、感性にうったえているからである。もしこれを実務実用文でやると、とんでもないことになる。読み手は戸惑うばかりか、結論をもつ客観的事実でない、これから読み手により結論がどうにでもなる情報を得るからだ。
その意味では、実務実用文では無味乾燥というより、簡単簡潔な文がベストなのだろう。
うまく説明できたか分からないが、この話はまた後に戻ってさらに深く解明するつもりでいる。
ロシア語上達法(3)(2007年4月24日更新)
少し訳語について調べてみた。「Контрольные
испытания」という単語だ。英語だと「control test,
blank test」のことだが、「品質管理試験」とという訳が正しいのか、若干検証してみた。専門的になるので、今回はプロ翻訳者向けで恐縮する。以下長くなるが参考文献:
「Испытания на надёжность,
испытания технических устройств в целях определения
достигнутого уровня надёжности или установления соответствия устройства
заданным требованиям по надёжности. Испытания первого вида называют
определительными, второго - контрольными. Определительные И. на н.
устанавливают численные значения показателей надёжности (например, вероятность
безотказной работы, готовности коэффициент, среднее время восстановления и
др.), а также выявляют схемно-конструктивные и производственные недостатки,
влияющие на надёжность изделиня. При контрольных И. на н. проверяют, имеет ли
место расхождение значений действительных показателей надёжности и заданных в
нормативно-технической документации. И. на н. проводят с учётом реальных
условий, в которых будет работать устройство.
Государственные
испытания средств измерений
Все средства измерений, предназначенные для серийного
производства, ввоза из-за границы, подвергаются со стороны органов
Государственной метрологической службы обязательным государственным испытаниям,
под которыми понимается экспертиза технической документации на средства
измерений и их экспериментальные исследования для определения степени
соответствия установленным нормам, потребностям народного хозяйства и
современному уровню развития приборостроения, а также целесообразности их
производства.
Установлены два вида государственных испытаний:
приемочные испытания опытных образцов средств измерений новых типов, намеченных
к серийному производству или импорту в РФ (государственные приемочные
испытания); контрольные испытания образцов из установочной серии и серийно
выпускаемых средств измерений (государственные контрольные испытания).
Государственные приемочные испытания проводятся
метрологическими органами Госстандарта или специальными государственными
комиссиями, состоящими из представителей метрологических институтов,
организаций-разработчиков, изготовителей и заказчиков.
В процессе государственных приемочных испытаний опытных
образцов средств измерений проверяется соответствие средства измерений
современному техническому уровню, а также требованиям технического задания,
проекта технических условий и государственных стандартов. Проверке подлежат
также нормированные метрологические характеристики и возможность их контроля
при производстве, после ремонта и при эксплуатации, возможность проведения
поверки и ремонтопригодность испытуемых средств измерений.
Государственная приемочная комиссия на основании изучения
и анализа представленных на испытание образцов средств измерений и технической
документации принимает рекомендацию о целесообразности (или нецелесообразности)
выпуска средства измерения данного типа.
Госстандарт рассматривает материалы государственных
испытаний и принимает решение об утверждении типа средств измерения к выпуску в
обращение в стране. После утверждения тип средств измерения вносится в
Государственный реестр средств измерений.
Государственные контрольные испытания проводятся
территориальными организациями Госстандарта. Их цель – проверка соответствия
выпускаемых из производства или ввозимых из-за границы средств измерений
требованиям стандартов и технических условий.
Контрольные испытания средств измерений серийного
производства проводятся: при выпуске установочной серии, при наличии сведений
об ухудшении качества средств измерений, выпускаемых
предприятием-изготовителем; при внесении изменений в конструкцию и технологию
изготовления средств измерений, влияющих на их нормируемые метрологические
характеристики, а также в порядке государственного надзора за качеством
выпускаемых средств измерений в сроки, устанавливаемые Госстандартом.
Контрольные испытания проводятся периодически в течение
всего времени производства (или импорта) средств измерений данного типа на
испытательной базе предприятия-изготовителя. По окончании испытаний
составляется акт о контрольных испытаниях, содержащий результаты испытаний,
замечания, предложения и выводы. На основании акта контрольных испытаний
организация, проводившая их, принимает решение о разрешении продолжения выпуска
в обращение данных средств измерений, или об устранении недостатков,
обнаруженных при контрольных испытаниях, или о запрещении их выпуска в
обращение.
По результатам контрольных испытаний материалов и изделий
из него вносятся соответствующие корректировки в Технические условия (ТУ),
после чего проводятся сертификационные испытания партии или серийно выпускаемой
продукции. На основе результатов испытаний подготавливается сертификат
соответствия и выпускается сертифицированный альбом типовых решений конструкций
с применением этих материалов.
Сертификационные испытания электроустановок проводятся по
расширенной программе в сравнении с обычными контрольными испытаниями. Зачастую
объем необходимых испытаний оказывается таков, что обычный способ определения
стоимости работ при помощи нормативных баз и поправочных коэффициентов
оказывается неприменим из-за слишком высокой конечной цены. Мы знаем про эту
ситуацию, постоянно отслеживаем предложения рынка на услуги по сертификации и
готовы предложить Вам самую выгодную цену. Мы возьмем контроль над сдачей
электроустановки в эксплуатацию и проведем работы в полном объеме. Узнайте нашу
цену прежде, чем обратиться в другую компанию.」
こうして見ると、「
Контрольные испытания」と「Сертификационные
испытания」は定義が異なるようだ(但し、同じ場合もあるから注意も必要だ)。
「Контрольные испытания」は「品質管理試験」と訳すほうが適切だろう。これは各メ-カにより、やり方や規模は異なるが、国内外の規格要求に合わせ行う。技術特性の範囲や程度は企業によってまちまちだが、最近は国際規格の主な要求に合わせて行っている。一方「Сертификационные
испытания」は「品質認証試験」で品質認定証を交付するために行う。これは第三者認定機関が実施する。国の場合もあるし、民間の場合もある。「品質管理試験」と比較すると、試験の規模も範囲も広く、高い費用がかかる。しかし、ISOの認定など受けている場合、国によっては品質認定機関は、「品質認証試験」を各企業の「品質管理試験」で代替することもある。
余談だが、昔「blank gas」という単語を「пустой
газ」と訳していたロシア人翻訳者がいたので、指摘したが考慮されなかった。たぶん「контрольный газ」(対照ガス、基準ガス)のことだと思う。
「Инспекционный контроль」という単語がある。ИНСПЕКЦИОННЫЙ КОНТРОЛЬ
Л.Кураков. Экономика и право: словарь-справочник.
- контроль, осуществляемый специальным уполномоченным
органом или лицом для проверки действенности ранее выполненного контроля.
Инспекционный контроль аккредитованной организации -
проверка, проводимая аккредитующим органом с целью подтверждения соответствия
деятельности аккредитованной организации установленным требованиям.
Аккредитация организаций
Инспекционный контроль осуществляется с целью
установления факта, что выпускаемые и находящиеся в эксплуатации изделия
продолжают отвечать требованиям, на соответствие которым они были
сертифицированы, и Держатели сертификата выполняют требования системы
сертификации при производстве сертифицированного изделия в период действия
сертификата.
「Инспекционный
контроль」は「公認検査機関による検査」のことで、品質認証済み製品などは「品質認証機関」等が行う。
「Технические характеристики
и параметры」などと出てきたら、「技術特性と指標」などと訳さず「技術特性」とか「技術仕様」と訳す。ロシア語で単語が二つあっても、日本語では一単語で表現するケ-スは多々ある。
ちょっと前のことになるが英文で「遮断弁を閉めて流量を調整する」という文があった。おかしいと思い「遮断弁を開けて流量を調整する」と露文では意図的に変えて訳した。しばらくしてあるメ-カからクレ-ムが出た。「露訳が間違っている」というのだ。普通ある程度大きな会社になると、社内に翻訳のチェッカ-がいる。日本人の場合もあるし、ロシア人の場合もある。それで「遮断弁を閉めて、どうやって流量を調整するのか」と冷静に反論すると、事態の深刻さが急に分かったようだ。それから一切のクレ-ムはなくなった。これは翻訳の問題ではないからだ。一般に英文が正原稿だ。これには関係する全ての技師が目を通しているはずだ。つまり正原稿が誤っていたことだ。一体「遮断弁をしめてどうやって流量を調整」するつもりだったのだろうか。その会社の技術に対する姿勢が問われるかもしれない問題なのだ。もし翻訳チェッカ-が技術についてある程度理解していれば、そこで食い止めることができたかもしれないが、これはチェカ-の責任ではない。正原稿の誤りは会社の責任だ。
以前ある企業に依頼され、プラント翻訳のチェッカ-をやったことがある。かなり時給が高い。一日に何百枚も翻訳原稿をチェックしなければならない。しかし、ある程度の翻訳会社や翻訳者が訳したものであれば、そう誤訳があるわけではない。初日ノンエラ-にして、翻訳原稿を素通しさせて煙草をふかし、のんびり窓の外など見ていたら、会社の人間がきて「どのくらい間違いがありましたか」と聞いてきたので、「ゼロ」ですとは言えず、「今全体を見て、しっかりチェックしたい」と答えてしまった。「そうか、チェッカ-なのだ、何か欠陥を探さないと、高い時給をもらえないのだ」と自覚しなおし、「どちらでもよい誤訳らしきもの」を探しては、翻訳会社や翻訳者に電話しまくったことを記憶している。チェッカ-も大変なのだ。
「последовательность」は「シ-ケンス」だがこの後の名詞は、複数生格が基本だ。例えば、「プログラム・シ-ケンス」とあれば、「Последовательность
программ」として、けして単数生格にはしない。
「制御盤」は横置きテ-ブルの場合、「Пульт
управления」で、縦置きの場合は「щит
управления, шкаф управления」となる。
「Оборудование,
установка, устройство, аппарат, аппаратура, агрегат, прибор」等の設備機器の単語があるが、この内、「оборудование,
аппаратура」には複数形はない。
ロシアは国外らの資金流入が止まらないらしい。ル-ブル高がすすみ、外貨準備高も急増している。住宅価格は若干下落傾向が見られ、国会議員選挙と大統領選挙が終わる来年上半期までは住宅価格は下落基調が続くと見られる。エリツイン元大統領が死去したが、プ-チン大統領の後継者はいまだ分からない。ただ最近のマスコミ報道を見ていると、イワノフ第一副首相のあつかいが増えている。
それと電力産業全体が国の直接管理下に入るらしい。こうした動きをみると、覇権なくして大国は存続できないのかもしれない。
ちなみにロシアはとっくにソ連ではない。
ロシア連邦憲法第1条
「ロシア連邦は、共和国制の民主主義連邦法治国家である」
ロシア連邦第3条
「ロシア連邦における主権の保持者及び権力の根源は、多民族からなるその国民である」
ロシア語上達法(2)(2007年1月10日更新)
語学を学ぶ場合、誰に師事するかという問題がでてくる。「日本で一番できる」と本人が言ったら、まずやめたほうがよさそうだ。計り知れないことを断定する人は信用しないほうがよい。これはすでに病理学的問題だ。またそうした計り知れないことについて、噂を流す人も、怪しいと思ってもまちがいない。
それと体系的な「翻訳論」なり、普遍的価値を表現した書物のない人も、師事する上で十分な価値がないかもしれない。ゴルフなどではプロコ-チという人がいる。プロゴルファ-を指導する人のことだ。しかし、プロコ-チが試合に出たからといって、優勝できるわけではない。それなのにどうして多くのプロゴルファ-が師事をあおぐのだろうか。そこには卓越した理論があるからだ。どの世界もそうだが、技術であると認定された段階ですでに過去の技術になっている。新たな技術を開発するために、過去の技術をいくら学んでも参考程度にしかならない。新たな技術を開発するには、理論が必要であり、哲学が必要だからだ。プロの世界では新たな技術を開発した者が勝利者となる。
語学のマスタ-もそれに通じるものがあるかもしれない。単なる語学教師では、技術指導しかできないだろう。発音も、語彙も、文法も確かに大切だろう。しかしそれらをどのように体得して、その向こうの価値観として結実させるという問題はまったく別のことだ。この価値観は各人が独自に創り上げるほかない。独自の世界観だ。それを獲得できるように導いてやるのがいわゆる「プロコ-チ」かもしれない。だから普遍的価値観を表現した「理論書」が必要となる。
翻訳の大家といわれる人は、こうした「理論書」なり、「翻訳論」なりをもっている。これはまたカリスマ性を誕生させる機能もはたすだろう。それを通じて、読者は著者の人生観や世界観を覗くことができる。普遍化された理論は一つの分野にとどまらず、あらゆる分野の理解を助けるものといえる。語学を学ぶことは一見、技術手段を学ぶように見えるかもしれない。しかし学習者はそれを通して自分の人生を見つめてもいる。教える側にも、教えられる側にも、それぞれ人生がある。語学は人生のほんの一部分にすぎないかもしれないが、語学学習を介してもし人生の哲学が獲得できるのであれば、それだけで生涯の最大成果ともいえるかもしれない。
学ぶということはたぶん、その究極的目的は人生の生き方のことではないだろうか。一つの契機が、一つの邂逅が人生を変え、その深淵に旅発たせるかもしれない。語学は異国への旅発ちでもある。異なる世界への出発かもしれない。異なる自分の人生への飛翔かもしれない。
語学をビジネスのために利用することも、生活のためだ。生きるためである。職業に貴賎がないと言われる。どのような職業であろうと、生活費として金銭を受け取るからだ。人間も生物であるから最低限の食欲を満たさないと生存できない。働くということは、動物的、本能的行為をしているとも言える。だからつきつめていくと、その行為に貴賤をつけることができないのだろう。
ビジネス手段として語学を学ぶことは、生きるためでもある。その向こうに人生がある。幸福をもたらせてくれるかもしれない人生がある。仕事として異国文化の一つ、語学を学ぶことで、もし幸福がつかめるならば、最高の恵みかもしれない。学ぶということはけして知識の収集ではない。知識の結集が織り成す幸福の果実とならないと、さほど価値がないのかもしれない。
おそらく語学をたんに技術手段としてとらえるならば、異国文化のもたらす新たな世界観が、おのれの人生観の奥底にまだ見ぬ価値の萌芽を宿すことはないだろう。生きることとは、幸福との戦いかもしれない。語学を通して充実した幸福感がえられたならば、人生の最上の目標が達成されたとも言えるかもしれない。(続く)
-本来はこの号で「ロシア展望-2007年」を書く予定でいたが、あまり気持ちが集中しないでいる。-
ロシア語上達法(1)(2006年10月25日更新)
現代の言語はどれも音と文字で形成されている。音は耳から入り、口から出る。この耳から入る音を解析する能力がヒヤリング能力と言われる。最初耳から入ったデ-タが正確でないと、口から出る音も当然正確でなくなる。会話、喋るという行為は、聴覚能力の程度でほぼ100%近く決定される。したがって、会話能力はかなりアプリオリなものだ。
先天的に聴覚能力が高い人は、外国語会話のマスタ-はさほど難しくないだろう。だからこの分野は文字が書けずとも、流暢な会話を約束してくれる。標準的聴覚能力の人はかなり努力が要求される。ヒヤリング分野は二つのパ-トで考えるとよい。一つは、アルファベットの音そのものだ。その一つひとつの音を正確に区分できるように、日々聞き取り練習をして、ゆっくりとした音で聴覚を鍛えながら、発声する。もう一つは、文字の繋がりブロックである単語で形成されている文の音だ。これにはいくつかの方法がある。最も効果的と思われるのは、通常の早さ、日常の早さだ。これは初心者にはかなり早く聞こえるが、聴覚を集中させながら、一週間、一ヶ月とヒヤリングしていくと、自然と慣れてさほど早く思えなくなる。
一つの言語集団の中で長年寝起きし生活すると、文法を知らないでも、会話も文章も書けるようになる。日本人でも文法をさほど正確に理解していないのに、きちんとした文を平気で書く人が多くいる。それ故、言語とは生きるために不可避的に要求される生活手段の一つ、きわめてプリミテイブな生活の道具の一つとも言える。
しかし外国語となると少し事情が異なる。かなり限られた条件、限られた時間の中でしかそうした環境と接触できない。日常的方法はとれないので、否が応でも非日常的方法を選択せざるえない。会話に必要な音と文を書くうえで必要な文法だけだ。これをマスタ-するのには、そうとうな時間と努力が求められるが、多分多くの人が実感するのは、音をマスタ-するほうがはるかに困難であることだ。音が先天的な要素で決定されるからだ。ところが文法は後天的要素、つまり努力によりきちんとマスタ-できる。それと言語は有限の存在なので、対象範囲はすでに限定されている。単語にせよ、文法にせよ、限られている。研究者になる目的でなければ、そう深く足を踏み入れることはない。日常のロシア語程度であれば、初級、中級の文法書を数冊丹念に読み理解すれが、事足りる。それでも新聞の解説員や作家の書いたものは、プロの文章だから、その程度の知識ではなかなか歯が立たないこともしばしばある。
一度、ここの翻訳教室について質問をうけたことがある。「逐次翻訳ですか、それとも大意をつかんで翻訳するのですか、どちらの指導方針ですか」と聞かれた。少し面食らった質問でもあった。辞書なしでさっと大意がつかめるのであれば、あえて学習する必要がないからだ。大意が分からないから、逐一翻訳しなければならなくなる。辞書を片手に単語を一つ一つ調べながら、文法も確認しながら、一行一行逐一訳していくのが、どうしてもスタ-ト地点となる。逐一訳していくと、自分が今、どの地点にいるのか分からなくなる。コンテキストも全体の流れも、無視して作業をしているからだ。
しかしながら、この面倒な滑走路を通過しないと、語学という飛行機は空に飛び上がらない。四苦八苦しながら我慢して文全体の7割、8割の単語が辞書なしで理解できるようになると、そこでやっと大意を把握できるようになる。つまり大意を把握してから、一つ一つの文をきめ細かく理解して、定義できるようになる。ここまでが助走路だ。ここから離陸という語学の本格的学習が開始される。
飛行機は上昇時と下降時が最も危険といわれる。上り坂と下り坂が最も危ういのだ。知識を急速にため込み過ぎて失速することもある。上昇角度が問題なのだ。能力に合わせて負荷をかける必要がある。知識という荷物が散在していると、バランスがとれない。知識が一つの塊として、また相互に結びついた連鎖として存在すると、重心もベクトルも一定になる。このような状態で飛行機という進歩に整然と積み込むと、少々急角度でもあまり失速しない。
語学でいう失速とは、自己の能力に絶望感を覚える時だ。そこで諦めてしまう人もけっこういる。これが墜落だ。しかし、語学は飛行機ではないのだから、墜落しても犠牲者が出るわけではない。多少精神的に滅入ったり、自信を喪失したりするだけだ。先ず語学学習の目標を具体化させることだ。これはかなり重要なことで、曖昧な目標より具体的目標のほうが、おのれの能力を集中させることができる。行き先を決めずに飛行機を飛ばせば、紆余曲折しながらも、いつかはどこかに到着する。けれでも、最早人生という燃料を使い果たしている。
それとおのれの能力をきちんと把握することだ。しかし、これは若い人には無理な課題だ。自身の能力が1であるのに、100と思えるのが、若い頃だからだ。とはいえ、そうでないと、大志はいだけない。若者には常に無限大の可能性を秘めている。そこで一つの方法だが、恣意的に自己をこの世で最も無能な人間と一時的に思いこませる。すると飛行機は軽量化され、たとえパワ-が小さくとも、比較的容易に離陸ができる。
ロシア語の文法書を開くと、モルフォロ-ギ-(形態論)とシンタックス(構文論、措辞論)という言葉が目に飛び込んでくる。最初の頃は、シンタックスが重要と思われ、興味がわいたので、こればかりに重点をおいて学習をした。だがこれが後々に祟った。考えるまでもなく、ロシア語の単語は語尾ばかりか、単語そのものが姿を変える。勿論、語幹のことだ。日本語などでは、語形は絶対変化しない。せいぜいカリグラフィで変化が見られる程度だ。しかしこれは視覚上の美的表現、あるいは芸術的作品として存在できるが、言葉のもつ機能が変わるわけではない。ロシア語では一つの単語そのものが変化することで、ほとんどの機能を遂行することができる。
例えば「говорить」という単語がある。「говорю」とすると「私は言う」となる。「говоришь」とすると、「君は言う」となる。「говорите」(あなた方は言う)、「говорит」(彼は言う)、「говорят」(彼らは言う)となる。これは一つの動詞の形態を変化させただけで、行為の主体を示さずとも、主語が分かる簡単な例だ。日本語で「言う」と書いても、誰が「言う」のかまったく分からない。
昔ロシアにいた頃、知り合いの初老の男が「何になりたいか」と聞いたので、うっかり心にもないことを考えずに「ロシア語の専門家」と言ってしまった。それからしばらくして初老の男は零下40度近い冬の晩、厚い本を机に上にそっと置いた。「これをやる」と言う。千頁近いモルフォロ-ギ-の辞典だった。中は記号で分類された語形変化表が永遠と続いていた。この程度のことは分かっている。語形変化、格変化など一通りのことは知っていた。「どこかそのへんの本屋で気まぐれに買ってきたのだろう」とその程度に甘く考え、ほとんど使うことはなかった。シンタックスが基本と思っていたからだ。それから三十年近く歳月が流れた。そしてこの初老の男のほうが、はるかにロシア語の本質を理解していた。数ある文法書の中から意図的に選択したのだ。
こうしてみると、ロシア語は語形変化を基本とする言語といえる。会話にしても、文を書くにしても、ほとんどの場合、動詞や名詞のどれかの形態が必ず変化する。このような手段を利用すると、文形成のプロセスは複雑にはなるが、表現力は他言語と比較して、圧倒的に有利になる。世界的な作家や詩人を多く輩出している一つの理由も、高い表現力を保障する文形成方式にあるのかもしれない。ロシア語を学ぶ場合、この言語は語形態が変化すると、しっかり意識しておく必要がある。
「欧文は唯だ読むと何でもないが、よく味わってみると、自ずから一種の音調があって、声をだして読むと抑揚が整っている。即ち音楽的である。・・・・いやしくも、外国文を翻訳しようとするからには、必ずその文調をも移さねばならぬと、これが自分が翻訳をするについて、先ず形の上の標準とした一つであった。・・・・」(二葉亭四迷:余が翻訳の標準)
これはロシア語の専門家、ツルゲ-ネフ作品などの翻訳家、小説家二葉亭四迷の翻訳についての考えだが、音調に注目している。「浮雲」などの小説も自ら書くので、文字から発生する音に特に関心があったのかもしれない。文章は主に三つの機能要素をもっている。書き手の意思を読み手に伝える。視覚にうったえる。聴覚にうったえる。
この視覚にうったえる点では、日本文のほうが優れているように思える。日本文は漢字とひらがな・カタカナという三つの道具をもっている。これで視覚上のアクセントがつけやすい。欧文はアルファベットだけなので、単語の長さか配列により美しさを表現できそうだが、配列を変えるとしばしば意味が変わってしまう。
聴覚にうったえるとは、文を読み発生した時の音、朗読した時の音色、音調のことだ。名文あるいは美しい文であるか、これは音調がきわめて大きな役割をはたしている。たとえ単語の意味や文法の関係が正確であっても、読み上げた時、音がひっかかるような文は、人に伝わりにくい。さりとて、単調な音の流れも、読み手、聞き手の集中力を緩慢にする。同じ意味の漢字や表現を模索して入れ替え、前後の音を調整し、平坦にしたり、強弱をつけたりする。静寂をかすかにやぶる川のせせらぎのようであり、時に轟音を発する雷の閃光、そしてのどかな田園風景、行間にメタファが潜む、それでいて正確な意味が伝わる。マイスタ-のなせる技だ。
文学を少しやると、「ライテイング(文体、書き方)」をどうしても学ぶ。文体は限りがあるようでもあり、無限にあるようでもある。それでも、何種類かの文体を使いこなせるようにしておくことも、翻訳では重要で、訳に幅も出てくる。作家の翻訳が上手に思えるのは、音調、文調の意義を理解し、それにライテイングの技法をマスタ-しているからだ。
「・・・翻訳者の資格ということが問題になる。翻訳者は、まず、翻訳すべき作品を十分にその書かれてある国語で理解し鑑賞し得る能力の所有者であらねばならぬ。・・・・・自覚ある、すぐれた翻訳者について見ると、その態度は自然に二つに分かれ、一つは、何よりも原作者を重視し、飽くまで原作に忠実であろうとするものと、今一つは、反対に、読者を重視して、読者の理解と趣味を目標にしようとするものと、・・・・いわゆる受容的態度と適合的態度である。・・・しかし、想像し得るかぎりの最上の翻訳者は、この二つの態度を併せ持ち、・・・・・」(野上豊一郎:翻訳の態度)
これは英文学者・能楽研究家、野上豊一郎(1883-1950)の翻訳者についての考え方だが、ここでどうしても気にかかるのは「何よりも原作者を重視し、飽くまで原作に忠実であろうとするもの」の箇所だ。外国語辞書の質の問題がある。「原作に忠実」であることと、「辞書に忠実」であることとは、本質的に違うだろうが、それでも辞書は介在する。この場合、辞書には二種類ある。原語辞書と訳して編纂した辞書(例:露和辞典など)だ。
「・・・・。元来辞書というものは、多くの海外の作家の優れた翻訳が発表されたあとで、それらの翻訳を参考にして編纂されるのがとうぜんの順序であり、また最も願わしいことである。しかし、わが国においてはその順序が全く逆になっている。辞書はまず言葉のジェニ-に鈍感な外国語の教師によって作られる。従って、・・・・原語の語義を著しく曖昧に拡張することがしばしばである。原語の辞書を使用する能力も便宜ももたない翻訳家がそれらの辞書によって翻訳する場合を想像するならば、何人も戦慄を禁じ得ないであろう。・・・・」(河盛好蔵:翻訳論(1902-2000)、仏文学者、モーロワ、モーパッサン、ジード、コクトーらの作品翻訳で有名)
露和辞典に関しては1988年に初版を出した研究社の「露和辞典」(編集東郷正延他)により飛躍的、画期的に進歩し、やっと英語辞書なみの水準にたどりついた。したがって、それ以前とそれ以降では、日本国内におけるロシア語翻訳の質が際立って変化している。初めて詳細な解説も入り、語も体系的分類もされるようになった。それでも「・・言葉のジェニ-に鈍感な・・」という指摘に十分応えられているとは思わない。外国語の専門家は概して外国の文献に浸かる日常をおくるが、日本語を学ぶ機会がきわめて少ない。往々にして日本語を扱う時が翻訳だけの場合も、けして稀ではない。外国語と日本語の関係が10:1、あるいは100:1かもしれない。
しかし辞書には自ずと限界をもっている。一般的に考えれば、編集者は先ず使用者の範囲を定める。それから辞書の規模をきめる。版の大きさとおおよその頁数だ。さらに語彙の範囲や語意の基準をもうける。語の体系的分類などもおこなう。それ故、かなり制約された条件で辞書は作られる。これは日本語の辞書も原語の辞書も、辞書である限り同じ宿命を背負う。辞書だけを頼りに翻訳をすることは、それが日本語辞書であろうと、原語辞書であろうと、こうした宿命の虜から逃れることができない。
脇道に入る。話をモルフォロ-ギ-に戻し、少し現実的考察をしてみる。
「Недра являются частью земной коры, расположенной ниже почвенного слоя, а при его отсутствии - ниже земной поверхности и дна водоемов и водотоков, простирающейся до глубин, доступных для геологического изучения и освоения」
これはロシア連邦地下資源法の最初の出だしだ。「地下とは、土壌層より下位に、土壌層無き場合、地表面、及び地質調査と開発が可能な深さまで広がる湖沼や河川の底より下位に位置する地殻の一部である」とAさんの誤訳。正しい訳は「地下資源とは土壌層の下にある、また土壌層が無い場合、地表及び湖沼・河川水底などの下にある地殻部分とし、地質調査・開発可能な深さにあるものとする」
ここで一番迷う箇所は、「простирающейся」がどこにかかるかという問題だ。Aさんの場合、前の二つの名詞「земной поверхности и дна водоемов и водотоков」か、「земной поверхности」だけにかかると考えたのだろう。「простирающейся」は形動詞単数女性形(生格、与格、造格)なので、かかるとすれば、「земной коры」か、「земной поверхности」の二つに限定される。しかし、関係代名詞は直前の名詞にかかるのが原則、遠く離れた名詞であっても、その名詞以下の名詞がそれにかかるかたまりでないといけない。ただし二つ以上の名詞を先行詞としてもつこともできる。
「“Постижение национальных традиций - самый верный путь
к доверию и взаимопониманию, из которых вырастают чувства
добрососедства и дружбы, духовной близости народов",- отметил президент РФ. Об этом сообщает ИТАР-ТАСС」(民族的伝統の理解が、信頼と相互理解の最も確かな道であり、そこから両国民の善隣友好、親近感が大きく育つ)
この実例では先行詞として二つも名詞がある。「доверию и взаимопониманию」だ。関係代名詞をみると複数形になっている。こうしたことから考えると、「простирающейся」は単数生格なので「земной
коры」にかかるとみるのが妥当だろう。それ以外にかけられる所がない。要するに、「простирающейся」の語尾形態について、Aさんは、見逃したのだろう。
もう記憶も確かでないのだが「その場所に入る単語はこの世で唯一ひとつだけだ」とアンドレイ・ジイドだか、ヴァレリ-だか誰か有名な人がどこかで述べていたと覚えている。何を大げさな表現をするのだろうと、怪訝な気分だった。記憶に定かでないことを例に出すのも不見識なことだが、大まかなニュアンスは間違っていないだろうから、これをとりあげてみる。だいぶ長い間、この意味が分からなかった。それが分かった。但し、数十年もたってからのことだ。当時、辞書の中で五個、六個ある単語の意味から最も適当と思われる一つ選択して文に挿入すれば、事足りると思っていた。まだ辞書そのものの持つ限界も、言葉の限界もあまり深く知らなかった。
有名な文学作品はそのほとんど、文中の言葉や表現、文体は緻密、繊細によく計算されて用いられている。作家は計算尽くで一つ一つの単語、その配列などからくる効果、機能、影響を深く考えて、文中に鏤めている。単語一つ変えただけで、またその位置を変えただけで、作品全体の意図するところが変化する。だから「その場所に入る単語はこの世で唯一ひとつだけ」なのだ。これは文学作品だけでなく、新聞記事などにもあてはまる。いや、その他の文全てにあてはまるかもしれない。こうした問題をより明らかにするため、欧文と邦文の関係ではなく、邦文、すなわち日本文だけで思考してみる。他人の手紙を読んで添削する人がいたら、これは個人に対する冒涜だろう。新聞記事を読んで、誤字脱字は別としても、添削する人はまずいないだろう。他人の手紙の文体が上手、下手、あるいは漢字の使い方など、第三者が入れない範疇なのだ。用いられている文体、単語、表現など、これは書いた人の人格に直結するものだ。その人そのもの、その人の総体を表すものだ。他人から見て上手であれ、下手であれ、その人の知性が文体や単語を最良なものとして選択している。その人はその人のやり方で自己表現し、自己の本質を見せようとしている。仮に達筆な他人がその人の手紙に手を入れたとすれば、それは最早、その人の人格から生まれる自己表現ではない。すでに他人のものだ。
これは欧文も同じことだ。本来、直訳も意訳も存在しない。直訳だ、意訳だとするのは、多くの場合、語学力不足をカモフラ-ジュする遁辞だともいえる。存在するのはオリジナルの文と単語だけだ。それ故「その場所に入る単語はこの世で唯一ひとつだけ」なのかもしれない。考慮しなければならないのは、相手の国には存在するが、こちらには存在しない、あるいはその逆なことだ。一つの見方からすれば、何もかも存在しない。文法も単語、文体も全て異なるとも言える。しかし、注意深く見ると、共通点も多くある。日本語の単語は語形変化しないが、ロシア語の単語は語形変化する。漢字はその形態からかなりの意味が連想できる。アルファベットではそれができないが、文字を組み合わせて単語を作ることがはるかに容易だ。それでも単語は単語である。日本語には時制の一致という決まりはない。ロシア語にも時制の一致という決まりはない。
オリジナルの語は唯一である。したがって訳語も唯一とならねばならない。これが翻訳のタ-ゲットだ。例えば、時事の記事がある。これは起きた出来事などは主観抜きで、客観的に表現する。ここには筆者の考えや感情は基本的に入らない。こうした文は、誰が訳しても単語も、文体は若干異なることもあるが、それでもほぼ同じになる。法律文も、制度上の相違や、法解釈の違いはあるものの、これも明確に定義できれば、訳文は誰が訳しても大体同じになる。技術文などさらに同一になるはずだ。では文学作品はどうか、ここが最も翻訳の本質をついていると思われる。文学作品の翻訳に入る前提条件は、筆者の意思や感情が排除された日常の時事記事などを正確に理解できる能力が要求される。フィクションという虚構の世界、主観で構成されている世界の中で「その場所に入る単語はこの世で唯一ひとつだけだ」という所まで到達するにはただ語学力があるだけでは不十分だ。相手の歴史、伝統、文化、政治、風土、現実生活などに深く通暁していないと無理だ。文学作品を「私信」と仮定すれば、文体、単語、文調は「絶対不可侵」なものかもしれない。
いかなる主観といえども、直接的でないとしても、また全てでないとしても、少なくとも現実のある部分を反映している。虚構とは、複雑なプロセスを通過した現実の変形ともいえる。その中で「その場所に入る単語はこの世で唯一ひとつだけ」を模索する。原作がこの世で唯一絶対であるにしても、訳文も理論的とはいえ、この世で唯一絶対であらねばならないのだろうか。現実には様々な訳本が存在する。「源氏物語」一つとっても、異なる解釈本が存在する。仮に異性からの手紙が来たとする。その異性に好意をよせている人はおそらく「自分に都合のよい」ほうに解釈するだろう。嫌いな人もおそらく「自分に都合のよい」ほうに解釈するだろう。どちらも相手に感情をもっているからだ。では無関心な人ならば、冷静に客観的に読むかというと、無関心なるが故にしっかりと読まない可能性がある。つまり深読みをせずに、言葉の表層だけから解釈して、書手の感情について斟酌しないかもしれない。
最良の読手とは、筆者に格別の感情を持ちつつも、常に他人の意識を併せ持てる人かもしれない。いずれにしても可能な限り、この「私信」を正確に解釈する能力が求められる。それから翻訳という作業が待っている。どう母国語で表現するかという問題だ。筆者の意図するところは、せいぜい多くて二つだ。普通であれば一つだろう。「私信」の場合はこれでよいだろうが、「作品」となると、隠喩なども挿んでくる。それをどの程度の膨らみをもたせて筆者が描いているのか、そして読者が意図したとおりの程度に膨らませて解釈するか、未知数となる。その塩梅の絶妙なのが名作と言われるのかもしれない。
「作品」を読みながら、自己の体験、自己の現実というプリズムを通して、さらに感受性という人様々な性能であるリトマス紙で浸しながら、まさに本質そのものを異なって解釈する。けれどもどのようなプリズムを使おうが、どのような感受性のリトマス紙に浸かろうが、オリジナルがこの世で唯一ひとつである事実に変化はない。だからといって、作者が「作品」を全て支配しているわけでもない。平凡な「作品」に多くの「隙」がある。「名作」にも時々なる。マイスタ-は平易な表現を好むようだ。本質からさらに濃厚なエキスだけを抽出したい欲望にかられるか、表現に関して多様な解釈を許さない。
漱石の「こころ」、あるいは太宰治の「斜陽」など、文章表現はきわめて簡単だ。こうすることで読者の恣意的解釈を排除している。本質だけを剥き出しにして、まさに内容で肉迫してくる。これを「普通の人」が真似ると、「自己の無内容」を白日の下に晒すことになる。こうした作品は、表現こそ簡単だが、文そのものから奥深い格調高さみたいものが、漂ってくる。だから名作のほうが、訳しやすいかもしれない。「普通の人」はおそらく無意識に「自己の無内容」を隠そうとするのか、平易でない、難解な表現を好む傾向がある。作者だけが理解して、「無理解」の読者をあざ笑うようにも思えば思える。しかし、これが意図的な場合もある。あるいは単に表現能力が劣っている場合もあるから、単純には決めつけられない。
言語の「инфаллибилизм」(無謬論)と「монизм」(一元論)という思潮もある。表現の自由の最大の道具の一つである言語は、それが制約されている条件下では発達しずらい。むしろユニット化され、後退することがある。(続く)
ロシアの現状と今後 (2006年6月17日)
「ソ連が崩壊してから15年、歳月は地上の全てを忘却させ、快い春の風のごとく寡黙に路上の乞食の群れを夢の彼方へと導き、幻影の墓標に祈りを捧げた」
陽はまた昇る
ロシア外貨準備高は2006年6月9日時点で2479億ドルである。安定化基金も、石油の国際価格高騰で増え続ける一方で現在717億ドル、年内に1000億ドル突破するかもしれない。さらに連邦投資基金が200億ドル程度ある。いずれも、ほとんど出所は資源輸出関税がらみだ。国家建設では保健、教育、住宅、農業の四部門に対し、「国家プロジェクト」を立ち上げた。対外債務総額は2006年第一四半期終了した時点で、751億8180万ドル。昨年だけでも対外債務は320億ドル返済しているので、今年中に全額返済はできるはずだ。
ロシアの国防費は2006年度、238億ドルである。しかし、元大統領経済顧問アンドレイ・イラリオノフが2006年5月10日、プ-チン大統領が教書演説した後、ラジオ局「エコ-モスクワ」で、2005年国防費191億ドルを為替相場でなく、実購買能力で換算すると450億ドルと指摘していることから、2006年度の国防費は実質570億ドル程度になるのかもしれない。
ロシアは2005年、石油2億3314万7千トンを輸出し、売上高は前年より43.98%増え、792億1600万ドル。安定化基金は、石油価格1バレル25ドル以上の分が対象となり、その差額の90%が安定化基金に繰り入れられる。例えば1バレル70ドルとすると、差額は45ドルで、その90%、42.75ドルが安定化基金に入る。
天然ガスの輸出高は2005年、約260億ドルで、その内約20%が付加価値税として国庫に入る。それに付加価値税、利益税、所得税など入れると、歳入は約20兆円となる。
年内にル-ブル決済による石油ガス等の取引所をロシア国内に開設する。これにより、外国の銀行にル-ブルが蓄積される。表向きは、ル-ブルによる国際決済を自由にできるためと言っているが、本当の目標はユ-ラシア経済共同体(ロシア、ベラル-シ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン)におけるル-ブルの立場を確固たるものにするためだろう。さらに軍事同盟的色彩の強い上海協力機構(加盟国:ロシア、中国、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン;加盟申請国:モンゴル、インド、パキスタン、イラン、アフガニスタン)がある。
「…世界におけるロシア対外貿易の地域的志向性からみると、その特徴は欧州との協力方向に力点がおかれている。2005年貿易高全体の約64%は、EU各国との貿易である。…..」とロシア財務相アレクセイ・クウドリンは語っている。元来ロシア人は欧州志向型の国民である。だから基本的にはアジアにはあまり関心がないとも言える。常に気にしているのはEUとNATOの動向かもしれない。ロシアの国益からすると、EUやNATOに加盟するのは得策でない。何故ならば中国も、インドも、さらに中央アジアの諸国も、EUにも、NATOにも加盟できないからだ。ロシアがNATOに加盟すれば、ロシアは戦略核兵器や宇宙技術など、軍事面の優位性を失う可能性がある。
ロシアは中国及び中央アジア諸国と膨大な国境線をもっている。この国境線が堅牢で安定的なものでない限り、ロシアの国家安全保障は成立しない。したがって、中国と中央アジア諸国との関係は軍事面でも、経済面でもきわめて重要となる。
ウクライナとグルジア、バルト三国は当面去るのであれば、去ってもよい、いずれ戻ってくるというのがロシアの現在のスタンスだ。もともと東スラブ三大民族(ロシア(語源:舟こぐ人)、ウクライナ(辺境地)、白ロシア(自由、独立))の一つで、民族起源はほぼ同じである。その意味ではウクライナのEU志向は、また欧州地域のロシア人の願望の代弁とも見ることもできる。けれどもロシア連邦は地球面積の6分の1程度を占める広大な多民族国家である。欧州地域の人々だけで連邦国家が成立しているわけではない。それにさほど国境線が長いわけでも、貿易高が大きいわけでもない。ウクライナにはロシアの欧州向け天然ガスパイプラインが通過しているので、これは懸念材料だろうが、ロシアは欧州向けにウクライナ経由しないル-トでパイプラインを近々建設することになる。
統計では賃金格差は15倍程度ある。石油関連企業の従業員の平均所得は約3万ル-ブルに対し、農業従事者の平均所得は約3千ル-ブル。この格差幅はここ数年変化していない。
モスクワ市の税等の収入は年間約2兆円で、モスクワ市が国庫に納める税額は、各地方自治体が国に納める税総額の約40%にあたる。
ロシアは今人口問題をかかえている。女性一人が子供を産む人数は1.3人。この傾向はソ連崩壊が顕著になり、現在さらに加速している。プ-チン大統領が5月10日にロシア連邦議会向け演説で「二番目の子供を出産した場合、1万ル-ブル補助金を出す」と発言しているくらい深刻である。ロシアは急激に経済成長し始めているので、労働力不足は経済発展のブレ-キにもなりうる。2年前の国勢調査ではロシアの総人口は1億4500万人だが、昨年だけでも人口が約75万人減少している。
2005年外国からロシア経済への投資額は約110億ドルで、2006年は160億ドルになると見られている。2006年初め、ロシア経済への外国からの累積投資額は1000億ドルを突破した。ロシア市場の評価額は2005年倍増し、2006年に入ってからも大きく伸びている。昨年、ロシア企業が調達した資金総額は約300億ドルで、その内3分の2は海外の市場で調達している。
2006年4月28日、ロシアイルク-ツク州タイシェット市郊外で、溶接バ-ナが点火され、東シベリア-太平洋石油パイプラインの建設工事が着工した。太平洋沿岸ナホトカまでの総距離4188km、総工費115億ドル。第一期工事はスコヴォロジノ地域までの敷設で、完了予定2008年半ばとしている。ここからは中国大慶向けに分岐パイプラインが建設され、年間3千万トンの石油が中国に供給される。第一期工事完了時点で、第二期工事にプランニングをあらためて行う。このパイプライン全体に流れる予定の石油量は年間約8千万トン。中国へ3千万トン供給されるのでは、残り5千万トンが太平洋沿岸まで輸送されるはずである。またロスネフチ社は現在、太平洋沿岸地域に年間生産能力2千万トンの石油精製工場の建設について検討している。半分は国内向け、半分は輸出向けとなるらしい。
以上がロシア現状の概観である。
ロシア型政治経済体制の模索
2005年度のロシアGDP総額は21.6兆ル-ブル(約97兆円)で、2006年度は100兆円を超えると見られ、初めてソ連時代1991年の水準を超える。これはおそらくロシア政府のみならず、国際アナリストの予想より10年近く早いものだろう。プ-チン大統領も6月13日、サンクト・ペテルブルグ経済フォ-ラムの開会の辞で「…. ロシアのGDP総額は購買力で換算すると、1.5兆ドル(約170兆円)以上はある….」と発言している。これも国際石油価格の高騰のおかげだろうが、仮に1バレル70ドル台の状況があと4~5年続くと、ロシアの政治経済に本質的変化するかもしれない。
一人当たりのGDPは現在では約1万ドルとなっているだろう。数年前は4千ドル程度であったことからすれば、驚異的増加とも言える。ロシアの分析では、ここ1、2年がきわめて重要で、まさに2005年から経済モ-ドのギヤチェンジが起きている。
ユ-ラシア経済共同体(ロシア、ベラル-シ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン)は加盟国のほとんどが資源輸出国である。ロシアは、基本的には市場原理主義の道は辿らないだろうし、これはロシアの歴史、文化、伝統、それに風土になじまないはずだから、辿れないかもしれない。グロバリゼ-ションと市場原理主義にそろそろうっすらと翳りが出ていることからすれば、遠大な目論見があっても不思議ではない。その後に待っているものは、おそらく古い伝統的価値を過度に評価する、保守的な規制社会ではないだろうか。もしかしたら世界はそのうちに保護貿易の時代を迎えるかもしれない。つまり、大きな世界から小さな世界を目指す時代が到来するかもしれない。
統一経済地域(ЕЭП)(ロシア、ウクライナ、カザフスタン、ベラル-シ)構想はウクライナがどうやらEUを選択したようなので、仮に今後実現されたとしても、形骸化されたものとなり、必然的に軸足はユ-ラシア経済共同体に移ることになるだろう。ロシアは160を超える民族から構成される多民族連邦国家である。連邦制を放棄しない限り、これほど多くの民族を一つの統一国家の下、統治することが要求される。国勢調査結果によると、ロシアにはイスラム教徒は約1450万人(2400万人の説もある)で、ロシア総人口の約1割である。さらに69の宗教が存在し、宗教団体は約2万2千もある。チェチェン共和国をはじめ、中央アジア諸国の国民はほとんどがイスラム教徒だ。さらにこうした地域に米軍やNATOの軍隊がアフガニスタンのテロリスト根絶としょうしていまだ一部駐留しつづけ、ロシアに脅威を与えている。
こうしたこと全てを考えると、ユ-ラシア経済共同体(ロシア、ベラル-シ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン)を堅牢にすることは、ロシアにとっても加盟各国にとっても、凄まじい早さで流動する世界経済の中で、取り残されず孤立しないための不可避的なテ-ゼなのだ。これに軍事色の強い上海協力機構(加盟国:ロシア、中国、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン;加盟申請国:モンゴル、インド、パキスタン、イラン、アフガニスタン)を結合させると、ロシアの政治経済、軍事戦略が完成する。
一つのシナリオとしては、ユ-ラシア経済共同体がいつか訪れる保護貿易主義の母体となる可能性がある。スノ-米財務長官がサンクト・ペテルブルグのG8サミットまでにロシアがWTOに加盟する可能性があると予想しているにもかかわらず、何故に保護貿易主義に注目するのか。ロシアは最後の交渉国である米国とのWTO加盟交渉で国内での外国銀行の支店開設には一貫して断固認めようとしていない。これがどのように結着しようが、遅かれ早かれロシアはWTOに加盟するだろう。それでも、ロシアはその枠組みの中で自国にさほどメリットをもたらさないのではないか、かなり疑念をもっているかもしれない。
それより自国を中心とした経済ブロックを形成したほうが、複雑な民族問題や、文化的、歴史的価値観からみて、安定した政治体制、経済体制を保障できると考えているかもしれない。ロシアにはあらゆる資源が豊富にそろっている。もともと一国経済体制ができる国家ではあるが、さらにユ-ラシア経済共同体というブロックがあれば、他国と最小限の貿易だけでやっていくこともできる。
プ-チン大統領の後継者
今ロシアマスコミに候補として名があげっているのは、第一副首相ドミトリ・メドヴェデフ(1965年生、レニングラ-ド出身、レニングラ-ド国立大学法学部卒、1999年現プ-チン大統領が首相に就任すると、内閣官房副長官に任命される。大統領選挙ではプ-チン陣営の選挙本部長をつとめる。妻、息子一人)と副首相兼国防相セルゲイ・イワノフ(1953年生、レニングラ-ド出身、レニングラ-ド国立大学文学部卒、ミンスク市ソ連邦KGB課程修了、1998年連邦保安庁副長官、1999年ロシア連邦安全保障会議書記、2001年国防相)それにロシア鉄道社社長ウラジ-ミル・ヤク-ニン(1948年生、ヴラデイ-ミル州出身、レニングラ-ド機械工学大学卒、2000年ロシア連邦交通省次官、2002年ロシア連邦運輸省第一次官、2005年「ロシア鉄道社」社長)で、全ていわゆるレニングラ-ド派である。
「…それ以外の可能性も十分ある」とプ-チン大統領は先日記者から質問され発言。しかし、誰が後継者になるか、これはあまり重要ではない。2008年の大統領選挙の時点、ロシアにどような社会政治基盤が形成されているのか、これが最も重要な点だ。どの程度市民社会が成長しているのか、民主主義が社会に一定程度定着しているのか、プ-チン大統領以外にロシア国家をきちんと統治できる人物がいるのか、帝政ロシア、ソ連邦と長い間、権力で自由を圧殺されてきた民に自由意志で大統領を選択できる能力がそなわっているのか、エリツイン前大統領のように、プ-チン大統領も任期切れ寸前に大統領代行をおくようなことはないのだろうか。
このまま、もし予想外の大事態でも発生しなければ、プ-チン大統領が提唱した「強いロシアとGDP倍増」はそれなりに順当に達成されるかもしれない。そうなると、プ-チン路線を継承するものが後継者となるだろう。おそらくプ-チン大統領は政界から完全に引退したいのだろう。エリツイン前大統領が指名したやり方は、非民主的な方法であり、旧ソ連権力者の手法を踏襲したものであり、それこそ、まさにそこにソ連崩壊に導いた大きな原因の一つであり、それこそ脆弱な国家たらしめた国民の意志に依拠しない国家観があり、真の強い国家たらんとする、万民に支えられる国家作りのため、ウラジ-ミル・プ-チンは初めて、負の遺産を清算するため、その地ならしに成功するだろうか。
「強い国家」とは、万人にしっかりと支持されている国家である。おそらくプ-チン氏はこのことを「ベルリンの壁崩壊」を目の当たりし、そして運命の矢が彼を国家元首にさせ、権力中枢の中で教訓として学んだだろうか。
当面の日露貿易
今年6月13日、日産自動車社長カルロス・ゴ-ンはサンクト・ペテルブルグ市で、ロシア経済発展通商相ゲルマン・グレフと、「組立て工場建設」協定に調印した。トヨタ自動車に次ぎ、日本の自動車メ-カとしては二番目の決定である。投資規模はほぼ同程度で、約2億ドル。現在日露貿易高は約100億ドルで、日本の輸入超過である。日本の石油輸入量は約2億5千万トンで、その約90%は中東からのものである。これがもし東シベリア・太平洋パイプラインが完成し、日本へ年間約5千万トン輸出されると、石油に関する日本の中東依存度は65%程度まで下がる。これを1バレル55ドルから60ドルで計算すると、年間2兆円前後の輸入となる。いかに東シベリア・太平洋石油パイプラインプロジェクトが与える影響が、日本のエネルギ-安全保障にとっても、また日露貿易の発展そのものにとって大きいかよくわかる。日露貿易が本質的に変貌する。
ロシアは中国向け3千万トンについてはすでに確保している。問題は残りの5千万トンだ。ロシアはエネルギ-・資源部門をことごとく国有化する方針である。これにはいくつかの原因はあるが、一つは大きな意味で地球の資源に限界がそろそろ見えてきたこと、一つは出来る限り早い時期にG7先進国並みのGDPを達成するため、エネルギ-・資源部門から効率よく税収を上げるため、一つは国際社会でエネルギ-・資源をもってロシアの地位を高めること、一つは国営化により情報管理を徹底することなどだろう。したがってどこまで本当の埋蔵量を公表するか不確定な要素がある。
証拠をそろえて考えてみる必要がある。ロシア太平洋沿岸にいつ、石油出荷タ-ミナルの建設に着工するか、それに極東に年間生産能力2000万トンの石油精製工場をいつ建設に入るのか、これも太平洋沿岸まで石油が届くかどうかの判断材料になる。
日本におけるロシア語の将来
先ず人的交流の問題である。人は魅力あるところに集まり、魅力ないところには誰も来ない。現代社会といわず、古今東西最も魅力あるものは経済である。何故なら経済は人々の生活の基礎を支えるからだ。日露の経済関係が発展しない限り、大きな人的往来はおこらない。異国間交流が活発になれば、当然互いの言語知識が求められる。もし東シベリア・太平洋石油パイプラインが完全に完成し、日本へ石油が年間5千万トンも輸出されるようになれば、日露貿易高は年間3兆円規模になるだろうから、ロシア語の需要も質的に根本的に変化するだろう。しかしたとえ、このプロジェクトが未完に終わったとしても、ロシアの現在の経済水準はそろそろ、ソ連時代末期水準に近づいているので、その当時レベルのロシア語需要は起きるはずである。ただこれは経済的な視点からのみ予想しているものだが、ロシア連邦の外交戦略にも注目すると、また違った結論も出てくる。
諸外国との文化交流発展に関するロシア外務省の活動基本方針の中で「….ロシアの対外文化政策実施において、特に重要なのはロシア語の地位の安定化と強化、国際組織の活動分野も含め国際交流においてロシア語の使用を拡大すること、ロシア語の世界的地位を確保することなど、こうした活動である。ロシア語は他国民をロシア文化に接触させる上で最大の道具であり、ロシアについて世界の好印象を作り出す基本要因の一つでありつづけるはずである….」(訳出:飯塚)と述べている。
ロシアのような多民族国家にとって、母国語であるロシア語は各民族をまとめる統一言語としての役割が大きい。それと文化、特に言語の力をよく心得てる民族でもある。ロシアは今、若干経済的ゆとりも出てきた。これから本格的にロシア文化を世界へ普及させる活動を始めるだろう。その要をなすのは各国のロシア語使用者である。ここがロシア文化の外国での発信源であることはロシアは十分承知しているはずだ。したがって、翻訳も含め、それなりの活動場を提供することは彼らの必然的な論理であるし、実践してくるだろう。
ロシア人はこよなく自国言語を愛する民族である。トルストイ、チェ-ホフ、ドストエフスキ-、ツルゲ-ネフ、プ-シキンとあげればきりのないほど文豪が目に浮かぶ。今後ロシア市場ではロシア語中心の取引が行われるようになるだろう。あらゆるドキュメントもロシア語になるかもしれない。日本の企業も、早い段階でロシア語堪能者を確保しておかないと、遅れをとるかもしれない。プ-チン大統領は2006年2月22日、アゼルバイジャン大統領との会談で「隣接国におけるロシア語への態度により、ロシアへの態度も判断できる」と発言している。
頂上をめざす (2006年3月25日)
若い頃よく渓流釣りに出かけた。山奥深く分け入り、先端の尖った巨大な岩石をいくつも乗り越え、源流へ源流へとより上へ上へと向かった。それで大物が釣れた時もあれば、まったく魚一匹出会わなかったこともあった。
その日はほとんど釣れず、たまに20センチ程度のイワナが餌に飛びついたぐらいだった。一人険しい山道を下り、どうにか平坦な農道をぶらぶら歩きながら、バス停に向かっていると、「釣れたかい、…あんな高いところまでいって、….イワナならそこの川にいるんだ」と老農夫が単調な野良仕事の手も休めないで、独り言のように振り向きもせず畑の地面につぶやいた。
まさか、と疑いつつ、しまい込んだ釣り竿をほどいて伸ばした。足下に流れるみすぼらしい小川ははるか彼方の頂上から山間の田園の狭い脇を蛇行していた。川幅は2メ-トルもなかった。大石回りの淵に竿を入れると、一発でアタリがきた。一尺もある見事なイワナが川面に光った。
ロシア語を習い始めの頃、とにかく上を目指した。そして上に行けばいくほど、上達すると思っていた。なるべく出来る人と近づき、なるべく難解な原文を読むことに心がけた。そうすれば頂上に到達できると考えていた。
ここ5、6年、大上段に構えたわけでもないが、一日といわず休まず、ホ-ムペイジでロシアに関するニュ-スをストイックに翻訳しては掲載していた。大げさに言えば、目的はロシアの実情を広く知ってもらうためだ。プロ級のレベルであれば辞書なしでも、時事文の翻訳は容易い部類にはいる。そうしたこともあり、毎日休まず愚直に続けた。ある時、何の気なしに文学の原文を読む機会があった。そうしたら、わりと苦にならず読めるので、自分自身驚き、大感動した。さらに副産物として、ロシアの政治経済情勢の分析が自然とかなり正確にできるようになった。1月1日のコラムは大晦日忙しい中書いたものだが、かなり的中しているので、少し感激して、あやうく自己満足するところだった。
気がついたことは、難解な文が読めるようになるには難解な文を読むことより、簡単な文を絶えず読み続けることかもしれない。もちろん、新聞のコラムや評論、社説の意味だ。
イワナの例をあげたが、宝は足下にあるのかもしれない。頂上に立つことは、足下を見つめることかもしれない。そこに頂上があるのかもしれない。
ロシア展望-2006年(2006年1月1日)
ロシアの2006年度予算では、歳入は5兆461億ル-ブル、歳出4兆2701億ル-ブル、予算黒字7760億ル-ブル、インフレ率7~8.5%、対ドルル-ブルレ-ト28.6ル-ブル、ウラルスブレンド石油価格1バレル40ドル、GDP総額は24兆3800億ル-ブル、2006年末の安定化基金の額は2兆2423億ル-ブル、投資基金697億ル-ブル、国防費6672億5730万ル-ブル、国家安全・治安活動費5413億5700万ル-ブル、GDP総額は約100兆円となる。
この数値を四倍するとほぼ日本円の額となる。換算すると、歳入は20兆1844円となる。国防費も安全保障・治安費など含めると、約5兆円となる。どちらも、日本国家予算と比較すると、ほぼ半分の規模になる。
少し過去をふりかえると、ロシアの2002年度予算歳入は約10兆円、国防費は約1兆円、GDP総額は約45兆円であった。
この三年間で歳入が約2.4倍、国防費関連が約5倍、GDP総額は2倍以上になっている。2006年中にも、旧ソ連債務も完済するつもりである。現在の国際石油価格高騰のトレンドは少なくとも、今後四五年高値のままと専門家は見ている。このまま推移すれば、日本の国家予算歳入に追いつくのは時間の問題だ。
ロシア財務相アレクセイ・クウドリンは「2007年にもロシアはソ連時代の生活水準に到達し、2008年には追い抜く」と自信たっぷり述べている。
実効政治財団代表グレプ・パヴロフスキ-「今年最大の出来事は正確には一つではないが、これはわが国の対外政策、対外経済戦略をエネルギ-部門に方向転換したことだ。先ず北欧ガスパイプライン建設の取り決めをあげることができる。さらに「ガスプロム」社が本格的に強化されたことだ。そしてロシアは真のエネルギ-超大国となった。私見だが、このようにして、ロシアが世界の隊列から脱落した15年間は終わった。最初は物乞いをしていたが、その後自国の立場を確保するため、大いに努力した。今日、このプロセスは完了した。ロシアはG8の一員として、また1月1日よりG8の議長国として、国際社会にとって必要な国際秩序の一要素である。まさにこの意味においてプ-チン大統領はソヴィエト連邦が完全に過去に葬りさられた1991年12月の屈辱をはらしたのである」と分析している。
この発言で特に注目に値するのが「わが国の対外政策、対外経済戦略をエネルギ-部門に方向転換したことだ」とする発言だ。ロシアは早い段階で、国際社会で優位に立つ手っ取り早い方法は、エネルギ-と見ていたのだろう。それが、国内最大石油会社になったとたんユコス社を脱税容疑で攻撃し、実質的に国営石油会社「ロスネフチ」の傘下に入れてしまった。これは民営化に逆行する動きであるが、国家、国益という視点で見ると、様相は一変する。
ロシア大統領府長官セルゲイ・ソビアニンは「ロシアは石油中心の自国経済に恥じる必要はない。ロシアはいずれにしても石油国、石油やガスを産出する国家で、それがまさに世界における立場である。何故ならロシアの石油ガス採掘水準に今日、世界市場においても世界経済においても、多くが依存しているからだ」と発言したことでも裏付けられる。
IT部門とかハイテク部門の発展は勿論のこと、それよりロシアはエネルギ-部門を国策の中心、国の力を集中する分野と決めて、国家再建の早道と気づいたのだろう。したがって、たんにエネルギ-資源の輸出が高収益だから、促進しているというよりも、エネルギ-問題の今日的意義を十分認識した上で、エネルギ-企業の国営化をすすめている。これがロシアの対外経済世界戦略だ。何も不得手の分野で無理して競争するよりは、有利な条件を生かして戦略を策定したほうが得策であることは誰しも分かることだ。
今年、日露貿易高は1兆円規模となると見られる。これでもまだ対中貿易高と比較すると二十分の一だが、これは政経一致路線の破綻も意味する。「四島問題」は日露貿易の大きな障害になっていたが、市場原理主義が見事に政経一致主義を破綻させてみせた。この世で最高に崇高な真理は市場原理主義で、政治より上にある絶対権力であるとし、政治はその下僕となる、もう誰も止められない。国家、国益より上なのである。「四島主戦論者」は政治から追放され、市場原理主義者は市場の利益が国益だと唱えるが、経済利益だけが国益ではないことを認識していない。これは日本民族の誇りの問題だ。
「四島返還」の可能性が最もあったの時期は、ソ連崩壊直後、90年代の前半であったが、日本の政治は対応できる状況にはなかった。細川、羽田、村山(1993年~1996年)歴代首相と続く期間、日本の政治は一貫した外交戦力を打ち立てることはできなかった。それからバブルが崩壊し、もうロシアどころではなかった。そして日本は巨額の財政赤字の時代に突入していく。
ロシアは1998年デフォルト後、急激な国内改革を進めてはいたが、それは目を見張るほどのテンポとは言えなかった。ところが2002年頃から事態が一変する。石油価格が急激に上昇し始める。ロシアの国家収入の約40%は石油関税であるので、国際石油価格が二倍、三倍にもなると、税収ははかりしれないものがある。このあたりで自国のポジションを理解したはずである。そして日本の財政赤字約800兆あり、その意味をきちんと認識しているはずである。外交の攻守が変わった。現在の日本は有効な対露カ-ドを一枚も持ち合わせていない。ただ自国の長年の主張を反復するだけである。したがって、「四島問題」は完全にデッドロックに乗り上げたと言える。ロシア経済が好調である限り、また日本の市場原理主義が続く限り、この問題の政治における比重は限りなく小さくなるだろう。
上記で「2007年にもロシアはソ連時代の生活水準に到達し、2008年には追い抜く」としたロシア財務相アレクセイ・クウドリンの発言を紹介したが、2008年にはロシア大統領選挙がある。もしクウドリンの主張が正しいのであれば、そしてそうした史上最高の経済状態になるのであれば、プ-チン大統領の三期目はないだろう。政権は静かに後継者こそまだ不明だが、移譲されるだろう。そして、市民社会が本格的に芽生え始め、「統一ロシア」党は分裂し、政権は連合により維持されるようになり、エリツイン前大統領、プ-チン大統領など、旧ソ連邦時代の人々は政界からずっと遠く離れることになるだろう。したがってロシアにとっては2008年が鍵で、この時の政治経済情勢が特に重要である。もし、そうした情勢が作り出されなければ、プ-チン政権の第三期もありえるだろうし、硬直した強権国家になるおそれさえある。
2006年ロシアの政治は、これまでにないほど安定したものとなるだろう。プ-チン政権にとって最早、政界にも経済界にも強力な敵は存在しない。それにしても、ボリス・エリツインという人はどんな人物なのだろう。無名のウラジ-ミル・プ-チンを探し出した炯眼には驚かされるばかりである。たかが旧東独にいたKGBの将校ではなかったのか。
仕事柄、少し露語翻訳の仕事についても触れてみるが、今後需要は急速に増加するだろう。その最大の理由は、ロシアに購買力がついたことである。ロシアは今、借金せずとも外国から物を買う能力がある。ソ連が冷戦時代に対応する経済力の破綻により崩壊したとすれば、今度はオイル・マネ-で大きく発展しようとしている。「金」こそ全てとすれば、ロシアには今それがある。社会主義が資本主義に敗北したとすれば、ロシアは資本主義で今勝利しようとしている。これこそ歴史のパラドックスではないか。
もう一つの理由は、ロシア国民が自国社会に対する自信を回復すると、ロシア文化を大切にするからだ。その中にはロシア語も含まれる。「当面の生活凌ぎ」のため外国語を覚える動きは鈍くなり、自国文化を大国独自の論理で押し付けるようになるだろう。文書提出も、自然とロシア語を求めるようになるだろう。ロシアはもともと「対外文化戦略」をもっている国で、国際社会の中でロシア語普及を目指している。ソ連崩壊後、その条件がなかっただけだ。
今からロシア語を学んでもプロとしては間に合わないが、それでも日露経済活動は必ず活発になるはずだから(ロシアに資金力があるから)、それなりのメリットはあるだろう。一方これまで学んできた人たちには、十分かどうか確信はないが、相当の恩恵があるはずだ。(続く)
雑想:人の頭の上に足を載せる (2005年8月15日)
尊敬されるということは、どれほど地位が高くても、勲章を多く胸に貼り付けても、まして大金持ちでもありえない。「ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ねる以上の赤恥をかかせられる、それが「尊敬」されるという状態の自分の定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされてことに気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか」と太宰治は「人間失格」で語っているが、人間はおそらく見せかけの地位でも、膨大な財産でも、一瞬幻想を抱き「尊敬」に近い感情をもつかもしれない。
しかし、無意識の意識、形而下の意識も人間にはあるからして、「真に尊敬する」とうことになると、感情の支配が優先してしまう。一見とてもつまらない人間を本当に尊敬する。経済人や政治家は生の現実で競い合っている人間群だから、その勝利者には「尊敬」という王冠が載せられるものと信じて疑うことはない。ある意味で「狭いサ-クル」内の「尊敬ごっこ」とも言える。それでいて実は自分たちは互いに誰も尊敬していない。この世では嘘、虚偽、背信、裏切り、恫喝などあらゆる手段を駆使しないと、とても出世できない。だからお互いに尊敬に値しない人間であることは百も承知のくせに、尊敬されたいと欲するのは人間の悲しい性かもしれない。
漱石は「こころ」の中で「かつてその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです」と述べている。それほどまでに「尊敬される」ことには慎重だった。
「こころ」の中に登場する先生は無位無冠無職である。それを一人の若者が尊敬する。それが「先生」の理想型かもしれないけれど難しい、現実にはありえないことかもしれない。
職業とは生活の糧を得るために就くものだから、そこには制約もしがらみも存在する、とても中立公正などほど遠くなる。「無職」とは「この世の現実から超然としていられる」わけだが、生活の糧をうることができない。作品に出てくる「先生」には若干資産があったが、普通はそうはいかない、働かないと生きていけない。けれども、もし「先生」という尊敬に値する人が存在し、常に公正でいられるとすれば、世俗から隔絶した状態でしか保障されないのかもしれない。それでいて知識人であらねばならないが、今の世の中、「そんな人」尊敬されないだろう。
これは社会に「ゆとり」がないとありえないのだろう。機械などの分野では「アイドル、プレイ」といって「無駄や遊び」がある。隙間無くぴったりと作ったものは、必ず「がた」がきて、機械の心臓部まで破壊してしまう。だから、わざわざ予め「隙間」を設けて「人為的にがた」を作っておき、いざという時でそれでトラブルが吸収されるように設計する。
人の社会にも「遊び人」である「先生」が昔は存在した。市場経済では「切羽詰った失業者」は巷に溢れているけれど、そして地位や名誉ばかり渇望する見せかけの「先生」は存在するが、公正に物事を判断して町内で愛される「無名な先生」は存在できない。ありえないことだが、もし仮に存在したとしたら、すすんで「教え」を乞うだろう。
雑想: 自己愛と自己破壊 (2005年8月5日)
「自己愛」とはおのれを慈しみ、大切にすることだが、「自己破壊」とは長年培ってきたもの、築き上げたもの、地位や名誉を捨てることかもしれない。若い時の「自己愛」は臆病や内気な性格に起因するかもしれないというのも、あまり蓄積、地位など営々と築き上げたものが少ないからだろう。歳をとると、苦労して獲得した地位も名誉もある。だがこれからさらに大きなものと築く時間はもうない。それは本当に大切なものなのだ。それを愛することは至極当然なことだ。
進歩発展という言葉がある。これにはどうしても「破壊」がともなう。それまで血反吐をはくおもいて構築したものを「破壊」しないと前進できない時がある。名誉も地位も過去のものとして捨てる。その勇気なくして進歩発展はない。ある時点で停滞が生じる。新たなやり方が求められている。それには栄光あるベストであった過去の方式を放棄し、新方式を採用するしかない。栄光を過去のもとのして「破壊」する。「自己破壊」だ。
傲慢、不遜ということも若い頃なら正常かもしれない。年寄りは多く傲慢、不遜だ。頭脳が硬化して己の名誉だけを何よりも価値あると思うからかもしれない。そこにはもう進歩はない、ただ幻想的な名誉に異常愛を感じている。歳をとっても腰の低い人はまだ若い証拠だ。まだ自己改革するつもりでいる。趣味としてではなく、新たな目標のため、過去の栄冠を投げ捨てることは「革命」なのかもしれない。
けれども高齢者の場合、この「革命」は「自殺行為」にもつながる。人生のスケジュ-ルの終わりがはっきり見えているからだ。「部分革命」、改革程度ならば歳をとっても可能だろう。やはり高齢者には「大改革」は無理のようだ。
はっきりしていることは、「新たな進歩を要求するなら」、それはどんなに辛いことであろうと、「自己破壊」しかない。ただこれは「破壊」の後に「進歩」がやってくるわけではない。「進歩する希求」が自ずと結果的に「破壊行為」を伴うだけのことだ。どの程度「進歩する希求」が強いかによって、「破壊」程度が決定されるのだろう。
語学について考えてみる。今にも崩れ落ちそうな積み木を丁寧に根気よく積み上げる努力の結果、語学も修得できる。しかし、その積み上がって姿にはいろいろある。ミラミッド型もあれば、矩形のものあり、土台は堅牢で広く頑丈だが高さのないもの、様々だ。だがこれ以上積み木が積めない時、どうしよう。最初から積み上げるにはもう時間がない。大半の者は積み上げた積み木を呆然と眺めながら、丁寧に研磨して諦観するかもしれない。
そして「人生を成し遂げた」と傲慢になってしまうのだろうか。
雑想: 人の評価 (2005年6月9日)
スタ-リンは1953年3月1日脳卒中で倒れると、五日間の昏睡状態の後その人生に幕が下ろされた。当初レ-ニンと並んでレ-ニン廟で永眠するつもりでいたが、それから8年後、1961年ソ連共産党第22回大会でレ-ニン廟からスタ-リンの遺体は担ぎ出され火葬されると、廟の裏手、クレムリン城壁沿いに埋葬され、そして独裁者、悪の権化のレッテルを貼られたが、レ-ニン廟からスタ-リンを追い出したフルシチョフも、その三年後1964年に最高指導者の地位を解任され、71年9月に死去、モスクワのノヴォデ-ビチ修道院に埋葬された。
「人がこの世の中に生まれて来た以上は、どうしても生き切らなければいけないものならば、この人たちのこの生き切るための姿も、憎むべきものではないかもしれぬ」と太宰治の「斜陽」の中で主人公は語っている。肯定していないが、ソ連共産党史のアブノ-マルな権力闘争、指導者の業績全面否定の反復、不毛な時の流れ、そして崩壊、新たに始まる新生ロシアの権力闘争の結末….。
「人の評価も死ぬ前半年間もあれば、180度がらっと全面的に変わることもある」と叔父(飯塚繁太郎:前日本大学教授、政治学者)が父の葬儀の帰りに呟いたが、後でしみじみ考えてみると、死後ならまだしも、死ぬ前というとかなり残酷になる。まだ意識もある、頭もしっかりしている、そしてその生涯を全面否定され、名誉を剥奪される。
潮時、引き時の判断ほど難しいものはない。年齢とともに多かれ少なかれ、「認知症」の傾向が出てくるのは回避できない。脳の制御装置が麻痺して、躁と鬱の極端な状態、中庸がなくなり、羞恥心も乏しく、反省することもなく、一方通行でコミュニュケ-ションがとれない。
翻訳の依頼もあまり高齢者だと、無理かもしれない。厳しいプロの世界だから甘美な情操だけでは殺伐とした現実の要求に耐えきれないだろう。「人の評価」もいつまでも綿々としていると、「誤訳の連発」でそれこそ「180度変わる」こともまったく不思議なことではない。
いすれにしても自己判断することだが、良きアドバイザ-でもいれば、しかし脳機能低下でやたらと「自信過剰」だけが際立ち、とても他人に耳をかす力などなく、謙虚なつもりで厚かましく「一直線」に突き進んで全てを失う。団塊の世代がそろそろ一斉に定年退職するから、こうした問題もリアリテイをもつだろう。
「人の評価」ほど移ろいやすく、不確かなものはないが、それだけに地位があるほど、落葉に抒情の響きがある。
ワレリ-・ゲルギエフ (2005年5月18日)
「1953年、オセチア人の両親の間にモスクワで生まれ、コーカサス地方で育ったゲルギエフは、レニングラード音楽院でイリヤ・ムーシンに学んだ。最初はピアニストをめざしていたが、23歳でヘルベルト・フォン・カラヤン指揮コンクールのためにベルリンへ行き、2年後に現在の彼の家族であるキーロフ劇場の指揮者に就任した。この「家族」は常に彼の心の中にあり、彼の音楽活動はいつも、マリインスキー劇場のオペラとバレエ(キーロフのカンパニーの正式名)がいかに恩恵を被るかという同じテーマに行き着く。
ゲルギエフは1988年に35歳でキーロフ・オペラの芸術監督に選ばれ、'96年にロシア政府は彼に劇場のオーケストラ、オペラ、バレエすべての完全な指揮権を与えた。彼の「使命」はマリインスキー劇場のカンパニーを世界一にするというものである。10年前には西側では全く無名だったものの、現在の彼は実際、世界最高のオーケストラやオペラ・カンパニーから引く手あまたの、世界最高の指揮者の一人として認められている。」
ロシア革命の内戦当時、チェチェン人とイング-シ人(イスラム教徒)はボリシェヴィキ側についたが、キリスト教徒のオセチア人は白軍に加担した。赤軍勝利後、共産主義思想に忠誠であったにもかかわらず、チェチェン人もイング-シ人も期待通りのものがもらえなかった。チェチェン人は約束した自由はもらえず、一方スタ-リンはイング-シ人より、ソ連権力のかつての敵オセチア人を贔屓した。そうしたことで第二次世界大戦時、この両回教徒はヒットラ-を歓迎した。その仕返しとして戦勝後ただちにチェチェン人とイング-シ人は家を追われ、中央アジアに移された。その後政権についたフルショフは彼らの帰郷を許した。ところが自分たちの家にイング-シ人はオセチア人が住んでいるのを見た。
コ-カサス地方はグルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、チェチェン、イング-シ、ダゲスタンなど、多くの民族が住んでいる。この中でオセチア人の人口は約50万人ぐらいである。マイノリテイだ。憎悪が復讐をよび、復讐が憎悪を生む。
ソ連崩壊後、少数民族の運命は厳しい瀬戸際に立たされた。多くの文化人、知識人はロシアを捨て、一時海外に避難したが、ワレリ-・ゲルギエフは別の選択をした、いや余儀なくされたのかもしれない。当時ゲルギエフはロシアを代表するマリンスキ-劇場の芸術監督をつとめていたが、海外で仕事場所を見つけることは容易いことだった。それでもロシアに踏みとどまった最大の理由は、同胞オセチア民族の将来が気がかりだったのだろう。
もし崩壊時彼がロシアを去れば、中央の政治はオセチア人に冷たく対応し、オセチア人自身もロシアから気持ちが離れ、一部はグルジアに靡いたかもしれない。民族自決できない弱い立場の民族である。オセチア人の英雄であるゲルギエフの選択は正しかった。ロシアに止まることが、オセチア民族の中央に対する関係を強めていることは間違いない。
このマイノリテイ民族出身の芸術家にいち早く注目したのが、小林和男先生(作新学院大学教授・NHK元モスクワ支局長)である。文化人の条件として見識、知識量、社会貢献度などあげることができるが、さらに最も重要な条件はマイノリテイの評価である。
マイノリテイとは、少数者、底辺の大衆、弱者、被差別者などのことだろうが、ここは文化の源泉、芸術の原木が目に見えない形で存在している。この目に見えない原木が見える人が第一級文化人の資格がある。何故ならここが文化芸術の苗床だからだ。
芸術とは絵画、音楽、文学など匠の名作で具象化されるが、これは卓越した成果の一面にすぎず、本質的な意味では人間生活の豊かさが表現されたものだろう。この豊かさが貧しいマイノリテイに潜伏しているということは、いかに人間生活が奥深い複雑なものか証明している。第一級文化人は常にこの豊かさのル-ツに強い関心をもち、時には遙か彼方の僻地まで足をのばし、「掘り当てる」意味を理解している。
数年前、渋谷のNHKに行った。ワレリ-・ゲルギエフの「希望を振る指揮者」の聞き取り翻訳をするためだ。あらかじめカセット・テ-プ、ビデオ数十本渡され、ほとんど聞き取れたが何カ所か聞き取れないところは、知り合いのロシア人にアドバイスしてもらった。
大きなスクリ-ンに再現されるゲルギエフの指揮する姿を見ていると、ロシア文化の深淵さと、少数民族の悲しみが伝わってきた。
第一級の通訳者の条件 (2005年4月2日)
聴覚である。耳の良し悪しが決定的な役割をはたす。通訳者は翻訳者と比べはるかに肉体器官を使う。耳と口、この器官の性能が重要だ。音を正確に識別できる聴覚能力は発音と連動する。鮮明に聞き取れる能力、アルファベットの音を全てミクロン単位のように聴取する。かなり先天的要素が求められる。
第一級の通訳者とは国際同時通訳者などさしている。ガイド、逐次通訳者などこの対象ではない。肉体器官の性能の影響出るのが、チャンピョンスポ-ツだ。短距離ほどこの資質に左右される。世界のトップクラスになると、努力だけで補えない部分がある。肉体器官は生まれ持ったもので、その役割の比重が大きく占める職業では争う余地はない。
頭脳を使う分野のほうが努力の幅を大きいように思われる。努力の仕方、量などによりかなりの部分をカバ-できるからだ。ところが先天的要素が五割以上も占めるところでは最初から大きなハンデイキャップを背負うことになる。こうした分野ではその要素に恵まれない場合、他を選択したほうが得策だ。
もうだいぶ以前のことだが旧ソ連に仕事で五年間ぐらいいたことがある。まだ二十代の頃で半年くらい滞在すれば、会話は自由にできると考えていた。日常の簡単な会話はそれで十分だが、ちょっと深くなるとそうはいかなかった。二年目あたりから夢もロシア語で見るようになると、かなり難しい表現も意識することなく会話できた。しかし語彙が不足していた。知らない単語は喋れないし、聞いても分からないの当然のことだが、これは知識量が増加すればおのずと解決する。ところがすらすらと自由な会話できるようになっても、まだ聞き取れない部分がある。八割ぐらいは聞き取れる。残りの二割はどうするか、そしてとうとう発見した。これは聴覚問題だった。
ホテルの一室でモスクワ放送のテ-プ録音を始めた。約一年間で一時間テ-プが50本ほど集まった。部屋で空いている時間に録音していたので当局にだいぶ睨まれたが、それでも続けた。帰国後、テ-プを整理して自己学習用に一冊の教材を作ってみた。目的は聴覚能力の向上だった。ただ通訳者としては音と同時に日本語訳がどうしても必要であった。音に合わせて日本語訳を同時に頭の中で瞬時に作り上げるプロセスが不可欠だった。それで教材に和訳もふり、これで自己学習教材の原型が完成した。当時ロシア語に関してはこうした教材は日本にはなかった。
出版にあたり故東郷正延先生(研究社露和辞典編者)に何度となくアドバイスをいただき、「ロシア語通訳プロ入門編第三巻」は若干の欠点はあるものの、プロトタイプとしては完成の域に到達した。しかし事情がありそれ以降出版されていない。翻訳に転向したからで、それと自己学習用に考案したものだから、目的は達成していた。この段階で理論的には整理ができていた。会話の本質は聴覚であることが分かった。
一般的に言えば、日本語の発音が良くない人は聴覚も良くない。母国語の発音が良くないということは、それだけで第一級の通訳者として資質が不十分である。アナウンサ-などは特別に訓練するが、一分間にどれほど鮮明に読誦できか、何文字(単語)きちんと正確に速読できるか、重要な鍵だ。
聴覚は鍛錬すれば一定程度、少なくとも現状よりはるか向上する。それには先ず、アルファベットの音(音節)を正確に発音できることが前提となる。ゆっくりテ-プを回し、それに合わせ何度も何度も発声し、自分の声を録音して原音と比較しながら調整する。体に完全に吸収させないとだめだ。この部分は思考ではなく、体得だ。
それから実際のアナウンサ-のスピ-チを聞く。一気に早くなるが、じきに慣れる。これを二三十分間毎日聞き取り、一年、二年と続けると聴覚の機能はロシア人の日常の発声スピ-ドについて行けるようになる。ロシア人と日本人では音の周波数帯も若干異なるがこれも気にならなくなる。
そうやって学習して、どんな語尾もぼやけず、しっかりと鮮明に聞き取れるならば、第一級の通訳者の資質がある。
国際同時通訳者など第一級通訳者は40代がピ-クで、50代、60代になると困難になる。聴覚能力が年齢とともに劣化するからだ。劣化した聴覚能力で聞き取るストレスに耐えられなくなる。
聴覚能力には個人差があるので、おのれの資質を早い段階で認識して、ガイド通訳者、会議通訳者など逐次通訳の道を模索するのも一つの方法だろう。ここの部分だけは肉体器官が大きく関与するから、しようがないことだ。
出来る翻訳家との出会い (2005年3月18日)
かれこれ十年近くも翻訳教室を運営してきたが、この間多くの受講生に恵まれた。
通信教育なので一度も会うことなどなく互いに全く面識ないが、印象的だった受講生がいた。
翻訳を見てその人が出来る人か、そうでない人か、ほとんど一目で分かる。勿論、文法上の誤りとか、そうしたレベルのことではない。訳語が違った。
露和辞典に載っている単語の意味をそのまま使用するのは基本的なことだが、それはまだ翻訳者として腕前がさほど高いものではない。
通訳など長年経験している人の翻訳はたしかに分かり易い。これはとても重要なことだが、厳密性という点からすると、些か不安でもある。
翻訳は原文に忠実であることを基本とする。これには正確な文法知識、語彙の厳密な定義、原文内容とそれに関連する知識、さらに文体も写すことが求められる。
これが翻訳者のスタ-ト台だ。ここから本当の意味で翻訳者の真価が問われる。
語学も四五年学べば、新聞程度なら大体の翻訳は出来るようになる。単語の意味はほとんど露和辞典を引用するだけで、数ある意味の中でどの意味が適切なのか確信をもてない段階だ。それでも翻訳は翻訳だ。
文法知識も完全にマスタ-するとなると、一朝一夕にはいかない。先ず日本で出版されている文法書を全て目を通し、さらに原文の文法書を何冊も読む、これに何十年間もかかるだろう。
翻訳で最も苦労するのは、語義の定義だ。ここが最も難しいように思える。いろいろな要因が交錯し、複雑だからだ。単語の原意があり、コンテキストがあり、専門用語があり、作者の意図・癖がある。その意味では新聞の時事記事は最も平易な文であり、あまり深くない。時事記事は多くの読者に素早く正確なニュ-ス内容を出来る限り分かり易く伝える使命があるから当然である。
文芸文になると、新聞ほど公共性がないから、正確さより表現性が重視される。そして場合によっては作者の癖があからさまに出ているような本もある。
訳語が違うと言った。どう違うか、露和辞典の知識を超えていた。この人はおそらく原語の辞書を使用しているのだろう。はっとするような訳語にも遭遇した。露和辞典を調べてその意味がない。何十巻もある原語辞書で調べるとあった。それもすらすら駆使していたので、付け焼き刃ではなさそうだ。ぐっぐっと押され気味にもなり、まるで詰め将棋の対局者の気分に陥ってしまった。それほど出来る受講生だった。十年間で一人だけだが、後にも先にも、これほどの人には会わなかった。わずか半年の期間だったが、最後にはきちんと感謝の言葉で締めくくり、やはり出来る人はどこか違う、人種が違うようだ。
かつてある先生に戯曲の翻訳を見てもらったことがある。総枚数で四百枚ぐらいあっただろうか、先生は最初の二三枚にだけ添削され、送り返してきた。それで原稿は没になった。添削を見て自分の欠陥と、レベルの差を思い知った。当時まだ四十歳でちょうど翻訳の仕事も軌道にのり、勢いづいて天狗気分の頃だった。その鼻っ面をぺしゃんこにされた。しかし頂上が見えた瞬間でもあった。これが日本のトップ翻訳家の仕事だ、目標が定まった。それから翻訳の実力は一気に上昇した。
もしこの出会いがなければ、仕事をどうにかこなす在り来たりの翻訳者にはなっていただろうが、今日のような一人前になっていなかったろう。自分の翻訳原稿を出来る人に見てもらうことは、美術館で名作を見る価値があるのと同じで、大きなステップのたしかな助走路になるはずだ。
ロシア-2005年展望(2005年1月1日)
人口約1億5千万人、ロシアの来年度の国家予算(歳入)は3兆3260億ル-ブル(約9兆円)、国防国家安全分野に約9275億ル-ブル(約2兆5千億円)である。2004年のGDP成長率は約6.5~6.8%、GDP総額は約18兆ル-ブル(約98兆円)、石油輸出高約500億ドル(約5兆2千億円)と予想されている。現在失業者数は約550万人(失業率7.6%)である。
ロシアは共和国体制となり、経済は市場経済が導入された。問題は民主主義が「本質的」には存在しないことである。民主主義基盤のない社会で市場経済が主導権を握るとどうなるか、まさに地獄となる。モラルハザ-ドの社会なのだ。国の最上部から路上のルンペンまで、モラルのない社会が構築されてしまう。
ホドルコフスキ-は生きているのだろうか。べつに特別の関係があるわけでもないから、支持も擁護もする気は毛頭ないが、ただ人権が気になる。たしか記憶では2003年夏に脱税容疑で刑務所に入れられ、そのままらしい。一年以上も刑務所暮らしである。当初大統領選が終わるまで刑務所から出られないと見ていたが、甘い予想だった。はなから抹殺しようとしていたらしい。首謀者は誰か、ミスタ-・プ-チンなのか、その手下なのか、それとも我々の知らない「影の存在」がいるのか、よく分からない。
ミハイル・ホドルコフスキ-はロシア最大の石油会社「ユコス社」の社長だった。二度と現在形に戻ることのない過去形である。2004年12月19日、ユコス社最大の採掘子会社「ユガンスクネフテガス」社が競売にかけられ、誰も知らない「バイカルフィナンスグル-プ」社という会社が落札した。その会社を今度は国営会社「ロスネフチ」社が買収した。ガスプロム社も参加していたが、最後まで傍観者だった。結局最初からシナリオライタ-が存在した。2005年春にガスプロム社とロスネフチ社は合併する。つまり、ユコス社解体はプ-チン政権の「エネルギ-産業の国営化」プランだ。
だが事の本質はそんな単純なことだろうか。
ちょっと長いが引用してみる。
「ユコス社元代表ミハイル・ホドルコフスキ-は2003年10月24日、「メリジアン」航空旅客機TU-134でイルク-ツクに向かう途中、給油のため着陸したノヴォシビルスクのトルマチェヴォ空港で午前五時、連邦保安局の覆面特殊部隊により逮捕された。旅客機が停車位置に近づくと、数台のトラックが給油車のかわりに飛行機の移動を封鎖するように包囲した。しばらくすると、車内の見えない窓ガラスのバス二台が飛行機の前方と後方に停車し、覆面をした迷彩服の部隊が機内に突入した。
ミハイル・ホドルコフスキ-は1963年6月26日、両親が技術者の家庭に生まれ、モスクワの二室ばかりの狭い共同住宅で幼年期を過ごした。彼は自分の幼い頃をあまり話したがらない。所有する数々の会社のどの公式サイトにも、彼の正式な経歴を見つけることはできない、その片鱗さえない。小中学校時代、好きな科目は化学で「独創的な、しばしば危険をともなう実験が好きだった」と回顧している。化学を学ぶため学校を三つも替えるが、その都度教師の水準に満足できなかった。結局のところ両親の生き方をするわけで、1981年メンデレ-エフ記念モスクワ化学工業大学に入る。どうやら彼は合間をみて建設会社「エタロン」で大工のアルバイトして小遣い稼ぎをしながら学んだらしい。しかしソヴィエト権力の下、処世術の核心をすぐ理解して積極的に社会活動を行った。
1986年ミ-シャ(ミハイルの愛称)は早くもモスクワ化学工業大学にあるコムソモ-ル(共産主義青年同盟)の副書記となり、全ソ連邦共産青年同盟スヴェルドロフスク地区委員になった。ちなみにここは首都における最も「精鋭」の地区委員会で、まさにここに全ソ連邦共産青年同盟の幹部全て登録されていたのである。
それでも彼は生まれて初めて大学の人事で「時代の不公平な空気」を感じだ。学科で最優秀なので提案されている職場の中から自分の職場を独自に決める権利があった。当時ある「ポチト-ヴィイ・ヤ-シック(郵便ポスト)(筆者注:郵便ポストの中は覗けないという意味から“機密企業”)」を選択したと言われている。しかし、「非機密」企業から選択しろとアドバイスがあり、真実の探求は自分の「第五項」(身分証明書の第五項目で、民族性を示す(筆者注:ロシア人でないのだろう、ユダヤ人かもしれない)をよく見ろと賢明な同志の助言でピリオドをうたれのであった。(筆者注:ロシアには「パスポ-ト」と呼ばれる、海外渡航旅券とは別の国内旅券制度がある。いわゆる身分証明書である。姓名、父姓、生年月日、出生地、民族、職業などが記入されている。この制度はスタ-リン時代、1932年末に導入された
だがミ-シャは挽回した。コムソモ-ルを足がかりにそれを利用して最初の独立した事業を始めた。先ず若者向けカファを立ち上げ、これは後に「青年創業基金」になるのだが、こうしたことでコムソモ-ル地区委員会所属の「青年科学技術創造センタ-」の所長になる。この名称こそが後の「メナテプ」の名称の起源となる。
当時ホドルコフスキ-はポ-ランドから「ナポレオン」の密造酒を大量に仕入れ大儲けしたと言われるが、今となってはその真偽は検証もできない。米国人記者ポ-ル・フレブニコフのインタビュ-で彼は1988年には年収8千万ル-ブル(公式両替レ-トで1億3千万ドル、闇レ-トで1千万ドル)あったと自慢していた。
ホドルコフスキ-の元部下は「彼が人生で最も得意であったのは、金儲けである」と回顧している。元部下はロレックスの腕時計をうまく譲ってもらったことがあった。はやりの型でペレストロイカ時代のソ連では貴重なものだった。ホドルコフスキ-は元部下に買った値段に500ドル乗せて譲ったらしい。
その反面、部下思いでも有名で自分の仲間を見捨てるようなことはなかった。この元部下はホドルコフスキ-の会社でプログラマ-として雇われるが、「とても驚いたことは“首きり”されなかったことより、“相当な給料”をくれたことだ」と述懐している。
1988年、もう一つの大学、プレハ-ノフ国民経済大学も卒業している。そこで両親がソ連国立銀行(ゴスバンク)で重職についているコムソモ-ルの友人ができる。その交際のおかげでおそらく、ホドルコフスキ-は共同出資銀行の設立ができたのだろう。その当時出資者の一人にソ連「ジルソチバンク(住宅公共事業・社会発展銀行)」のフルンゼ支店が名を連ねていた。
1990年5月、銀行グル-プ「メナテプ」が正式に登記される。その年にこのグル-プはモスクワ市から「青年科学技術創造センタ-」を買取り、「メナテプ・インヴェスト」と改称する。「メナテプ」グル-プは急速に膨張し、傘下企業数を増やしていった。「メナテプ・インペクス」社はキュ-バ砂糖輸入の中心管理組織となり、またモスクワにも食糧を供給した。
ホドルコフスキ-は権力との関係では目立たないようにして、古いコムソモ-ル時代の友人とか、その両親、両親の知り合い、またその知り合いなどを介し、さらに多岐にわたる人脈、それもしだいに「国家的」人脈を用いて行動する方法を選んだ。
ミハイル(ホドルコフスキ-)は短期間だがソ連最後の首相イワン・シラエフの顧問になったことがある。しかし燃料エネルギ-省のポストは辞退している。それでも国家予算のついた儲かる取引は一つたりとも取り逃がしたことはない。だからメナテプグル-プを通して“黒い資金”が政党に流れたという、後を絶たない噂にもそれなりの根拠があった。
例えば、銀行にチェルノブイリ原発事故処理基金口座がいくつも開設されたことは事実である。また「メナテプ・インペクス」社はロシア・キュ-バ「石油・砂糖」貿易に関与していた。専門家は、これは1993年大統領側への現金による支援の支払いと見ている(エリツインは口髭のフィクサ-、ミ-シャを1994年スペイン訪問の公式代表団の一員に加えた)。
1990年11月、「メナテプ・グル-プ」社は初めて一般向けにグル-プ各社の株式を売り出し、これは同社の大規模な宣伝ともなり、株式の売上は12億8千5百万ル-ブルにもなった。1991年、「コムソモ-リスキ-」銀行は民間機関の中でトップを切った企業の一つとして個人向け外貨交換業務を始めた。ホドルコフスキ-側近の一人はあるインタビュ-で「我々は単なる顧客はいらない。我々は国民銀行ではない。クラン(一族集団)は正規のコミュニテイであり、互いに深入りし合う関係であり、クライアント(平民)はクランがどのように生活しているか知っているし、クランはクライアントがどのように生活しているか知っている」と述べている。まさにイタリアのマフィアではないか。
彼の直属の部下レオニド・ネヴズリンは「国家機関の動きを予見し、自分たちの予測したがい、より的確に言えば、行政機関が予定している決定について手持ちの情報にしたがい行動できることが要するに力なのである」と述べている。(知的な表現で言えば、これは現在インサイダ-情報と言う。現在は法律の追及対象である)
まさにこれこそ、ロシア式ビッグビジネスなのだ。人脈により前もって知っている国家のスキムを強硬に実現しようとする。こうした裏情報を適時に入手することこそ、不敗プレ-の根拠なのだ。ホドルコフスキ-にこうしたやり方をコムソモ-ルが教えた。「メナテプ」社は1993年11月設立され、ただちに1兆ル-ブルもの無利子の国家融資がなされた国営企業「ロシア兵器」社の指定銀行となった。
1992年10月、「メナテプ」社役員会は会社発展構想を変更し、純粋な銀行ビジネスから産業グル-プを形成する方向に切り替えるため、「金融・産業財閥」の形成を目指すと表明した。こうして個人相手の小物商いは戦略的に終了した。
1994年から1995年の間、ロシアのどの銀行も「メネテプ」社にようにしっかりした方針をもってロシアの産業を育成しようとはしなかった。「メナテプ」社は「アパチト」社、「ヴォスクレセンスク鉱物肥料」社、「ウラルエレクトロメジ(鉄鋼会社)」社、スレドネウラリスクとキロヴォグラドの精銅所、ウスチ・イリムスク製材コンビナ-ト、「AVISMA」社(チタン・マグネシウム製造)、ヴォルガ鋼管所など、次々買収していった。
いかに資金不足になろうと、それでも魔法の力をもつホドルコフスキ-は役人が規則を決めた投資入札では常に勝利した。1995年石油会社「ユコス」を買収することで、新方針は絶頂に達した。
あるジャ-ナリストは「ロシアの新興財閥のおかげで誕生したのは市場経済ではなく、封建体制であり、その中で権力は高収入をもたらす金融の道具なのである」と厳しい結論を出している。
ミハイル・ホドルコフスキ-のもう一つの特徴はできる限り早くメナテプ銀行との直接の関係を断ち切り、自分のイメ-ジを変えようとしていたことだ。1995年までメナテプ金融グル-プの社長、1995年9月から「ロスプロム」社社長、1996年6月からユコス社社長となり、一般人と司法警察機関に良くないイメ-ジを抱かせる「重い過去」からできる限り遠ざかろうとしていた。
わが国最初の「協同組合企業王」は大衆、そして権力中枢のイメ-ジ向上につとめた。このためにはユコス社は金を惜しまなかった。ある資料では「イメ-ジアップ」に年間3億ドル使ったと言われる(もちろん、この額は「優良」マスコミだけでない。マスコミはそれほど高いものではない)。
時々ホドルコフスキ-は地方の「金融関係者」を「メトロポ-ル」ホテルのどこかに招待して、例えばロシアにおける投資展望などテ-マにアカデミックな講演をしていた。首都の記者を招待するのは危険で厄介なのだろう。彼らは噛み付くのだ。ところが地方の者は羨ましそうに眺めるだけだ。
そこで生活に密着した具体的な質問を誰かしたとする。するとホドルコフスキ-は「なんて小さなことで質問するのですか。ロシア最大の問題は頭脳の流出ですよ。頭脳が流失しないためには、マンハッタンの給料の70%は払う必要があります」と語るのである。
たしかに彼らはロシアが嫌いで去るのではない。交通警官は乱暴をはたらき、特殊警察署の床に顔を押し付けられるから去るのである。おそらくホドルコフスキ-も他の「玄人」同様に分別はないが絶対的権力をもつ警官がいる土壌の上で病的な意識を育んだことだろう。「モスト・バンク」のセキュリテイシステムは伝説となっている。メナテプ社にも同様のシステムはあるが、若干脆弱である。
ホドルコフスキ-の個人警備は当時、モスクワ化学工業大学のハンドボ-ルチ-ムOBを中心に作られたと専門家は見ている。メナテプ社のセキュリテイ管理(約250人が担当している)で機密情報漏洩がたった一度だけだ。
さてホドルコフスキ-の私生活だがあまり知られていない。結婚は二度している。最初の妻エレ-ナはモスクワ化学工業大学のコムソモ-ルメンバ-で、一男をもうけ。旅行業をしている。二番目の妻インナは1969年生まれである。彼女は大学中退で将来の夫となる銀行の為替業務をしていた。二度目の結婚で娘アナスタ-シヤが1991年に生まれている。1999年にはホドルコフスキ-に双子が誕生した。
ミハイル・ホドルコフスキ-は一見控えめで親切な人間にさえ見えるが、複雑な性格の持ち主だ。「集団で決定する」場合でもけして「わたしたち」とは言わない。そこからも野心が読み取れる。かならず「わたし」「わたしの」という言葉を使う。
反省することを好まず、文書のやり取りも嫌いだった。常にコンピュ-タを使用した。「彼は自分の仕事部屋に客を通すと、客だけを丸テ-ブルに座らせ喋らせる。自分の意見は言わず、歩きながらタバコを吸い聞いている。時折もっと話せと要求する。沈黙を守り、他のものが自分を見せるようにする。オ-デイションは一時間にも、一時間半にもおよぶ。その結果はまったく明らかにされない。後に決定が伝えられる。何もなければ不合格だ」と「モスト」社の元セキュリテイ部社員はホドルコフスキ-について書いている。」
(「ミスタ-・セロファン」エゴル・ルミャンツエフ著、抄訳 飯塚俊明)
ミハイル・ホドルコフスキ-はまさに「ペレストロイカ」の落し子だ。当時の事情からすれば、ソ連共産党とKGBの庇護なくしては彼の事業、いやあらゆる行為は遂行できなかったろう。彼はエリツン前大統領を支援し資金提供したと言われる。そしてその指名後継大統領ウラジ-ミル・プ-チンに抹殺されようとしている。
90年代初頭に誕生した新興財閥の首領はほとんどユダヤ人である。言い方を換えれば、ユダヤ人によって新生ロシアが誕生したとも言える。ウラジ-ミル・プ-チンが大統領に就任すると、ほとんど全ての新興財閥は追放の運命にあっている。そしてエリツンの「ファミリ-」と言われた側近たちもこぞってクレムリンを追われている。
ここからは推測の域に入るが、エリツン前大統領はかなり早い段階で権力闘争に敗北している可能性がある。つまりエリツイン前大統領がウラジ-ミル・プ-チンを後継大統領に指名したかのように見えるが、本当はすでにプ-チングル-プが実権を掌握していたのかもしれない。
プ-チングル-プがボリス・エリツインにウラジ-ミル・プ-チンを次期大統領に指名しろ、そうすれば生命、身分そして「家族」も保障すると婉曲に迫ったかもしれない。
おそらくKGBは二つに割れていた可能性がある。ゴルバチョフ打倒までは歩調は表面的には一致していたのだろう。あるいはユダヤ人を経済に支柱にすえる点では共通の認識があったかもしれない。
ヨセフ・スタ-リン(1879~1953)の時代約30年間(約450万人の党員など粛清したと言われる)に共産主義の理念は完全に破壊され形骸化し、国内精神は閉塞化して出世、つまり権力奪取だけが人生の生甲斐になっただろう。普通、思想や宗教など放棄すると、長崎のキリシタンではないが、その後は「廃人」と化す「転向」現象が見られるものだが、いっこうにその形跡はない。つまり「ク-デタ-」だったからだ。彼らの目的は「権力奪取」であり、「思想信条」その手段にすぎない「装飾品」過ぎなかったのだろう。それがスタ-リンに忠実な「末裔」の姿だったのだろう。
主義思想としての共産主義はスタ-リン時代にすでにソ連では消滅していたと考えたほうがいい。その後はソ連という名の国家が存在したにすぎないとも言える。
ホドルコフスキ-はプ-チン政権が誕生すると(この時点で彼は敗北していたのだが)、ジュガノフ率いるロシア共産党やヤブリンスキ-の政党「ヤブロコ」としきりに接触を求め、資金提供をしようとする。彼には新たな政治権力が必要になったからだ。実はこの時が潮時だったのだろうが、彼は前にも後にも進むことはできなかった。何故ならプ-チン派が新興財閥を追放することは既定の路線で時間の問題だったからだ。
そして「シブネフチ」社を吸収合併しユコス社はロシア最大の石油会社になるのだが、そうなろうとなるまいと、この「既定路線」は微動たりともしないで、彼は破産させられた。
ロシア連邦「地方議会首長選挙」法が下院、上院で可決され、プ-チン大統領が署名した。来年からロシア国内の地方首長選挙は間接選挙となり、事実上プ-チン大統領が地方首長を決定することになる。
モスクワのミュ-ジカル劇場、地下鉄、航空機、ベスラン市の小学校など、テロ事件が勃発し、これだけで千人近くも死亡して、治安関係の法規が厳しくなっている。ロシアの治安は緊急事態なのだ。
それでもプ-チン政権は安定している。下院では与党「統一ロシア」が議席の三分の二以上を占め、政府の法案はどのようなものでも通る。プ-チン政権はいつ終わるか、来年は完全に安泰である。憲法では任期は二期と規定されているので、原則では三年後の再選はない。
ロシアが中央集権化していることは特に驚くことではない。この国はロマノフ王朝時代からずっと政治は中央集権が続いている。これがロシア人意識なのだろう。
そうでいながらプ-チン大統領は「ロシアに市民社会を発展させる必要がある」と矛盾する発言をしている。おそらく国家元首本人が「痛いほど理解している」のかもしれない。それがきちんとした基盤をもたない限りこうした「暗室の権力闘争」がいつまでも続き、前近代的な中央集権政治が継続すると、きちんと認識しているかもしれない。はたして片方の手で「市民社会の芽を摘み」ながら、もう一方の手でそれを育てることが可能なのだろうか。
ロシアで家庭や「居酒屋」などで話をしていると、ロシア人はなんと「民主的」でジョ-クが好きで、大らかな西洋の民族と思える時もあるが、しかしこれは「横の関係」、つまり「庶民レベル」ではそうした一面もうかがえるにしても、「縦の関係」、つまり政治の関係になると、とたんに「農奴意識」が頭をもたげ、「お上に逆らう」など、つゆほどもなくなってしまう。これは何世紀にもわたり培われた民族の体質だから、この壁は厚い。
だから下院で三分の二以上の議席を占める与党「統一ロシア」を基盤とするプ-チン大統領の終焉も、「唐突」なもの、そう見ても不思議ではない。知事選出を間接選挙としたのがロシア人の意識構造とすれば、大統領の選出が間接選挙、つまり「密室で決定」されても、それこそ意識構造なのだ。
少しロシアの2005年の経済見通しにも触れておく。ロシア経済発展通商相ゲルマン・グレフは「2005年ロシアのGDP成長率を約6%」と予想している。2005年度ロシア連邦予算では石油価格1バレル28ドルで計算していたと記憶している。アナリストの大方の見方は国際石油価格は当面大幅に下落しないと見ているので、ロシアの国家予算における税収の約40%も占める石油税収にさほど落ち込みがあるとは思えない。
そんなことより世界の投資家が最も懸念しているのは、「ユコス」社事件のようなことが今後も反復されないか、この点である。これには「外国からの投資保護」法みたいものをロシアは成立させないと、ロシアへの投資、資本の流入には自ずと限界があるだろう。それとも「民事不介入の原則」みたいなものを法律で保証する必要があるだろう。
2005年春、プ-チン大統領が訪日する予定だ。残念なことだが、今回も「北方四島」問題は解決しないだろう。何故解決しない、この問題は長くなるからここでは言及しない。ロシア大統領訪日の最大の目玉は東シベリア・極東の開発問題だろう。ロシア政府はどうやら東シベリアから太平洋への石油パイプラインル-トを最終的に選択したようだ。これは東シベリアから沿海州のペレヴォズナヤ湾までパイプラインを建設するという計画だ。しかしグレフ経済発展通商相は「最終的なル-ト、工期などはもっと後に決定する。政令案は“建設についての原則的な決定”だ」と述べているので、まだ流動的な要素があるものの、これがプ-チン大統領訪日の中心議題となるだろう。ロシアは中国も日本も石油を必要としていると重々承知している。中国向けは鉄道ル-トで輸送し、太平洋沿岸に石油タ-ミナルを建設したほうが得策と考えているのかもしれない。大慶向けだけのパイプランを建設したのでは、ロシアには戦略的メリットはない。問題は優先順位と工費だ。おそらく「四島問題」と「投資保護」問題で日本側がこのプロジェクトに投資をためらっても、ロシアは太平洋まで約五兆円の「安定化基金」と十兆以上の「金外貨準備高」その他資金とやりくりして自前で建設するかもしれない。
(工業翻訳ミニ講座№4(2004年11月18日)
少し本業に熱を入れ、今回も英文露訳をしてみる。内容は簡単なのであえて日本語にはしない。
For best results
and safety, it is recommended that all brake service should be carried out by a
trained fitter, mechanic or other professional help.
1.
В целях обеспечения наилучших результатов и безопасности рекомедуется, чтобы техобслуживание всех тормозов было произведено квалифицированными слесарями, механиками или другим профессиональным персоналом.
この文章は比較的オ-ソドックスな訳し方である。ちなみに「что」と「чтобы」の用法の違いをいうと、「Важно, что он узнал это」(彼が知ったことが重要だ)と
「Важно, чтобы он узнал это」(彼が知ることが重要だ)となる。
2.
Для достижения наилучших результатов и безопасноти рекомендуем Вам осущест- вить техобслуживание всех тормозов с помощью квалифицированных слесарей, механиков или другого профессионального персонала.
この文章は主語を立てたわけである。「техобслуживание」(メンテナンス)は「техническое обслуживание」の「短縮形」である。これも複数形がないようです。「персонал」は集合名詞。しかしこの文章はあまりよくない。どのへんかと言うと、「с помощью」を用いたことので、若干間接的ニュアンスが出ている。
3.
Хотелось бы обратиться к Вам с тем, чтобы техобслуживание всех тормозов было произведено квалифицированными слесарями, механиками или другим профес- сиональным персоналом, с целью обеспечения наилучших результатов и безопас- ноти.
この文章はかなりかしこまった感じだ。しかし、きわめて丁寧な表現だが、「it is recommended」の訳に若干忠実でないが、この文章は品のあるものだ。
覚えるとすれば、「обратиться к кому-либо с чем-либо」の表現法。
4.
Техобслуживание всех тормозов квалифицированными слесарями, механиками или другим профессиональным персоналом рекомендуется с целью обеспечения наи- лучших результатов и безопасноти.
この文章はかなりシンプルだが分かり易いものだ。こんな感じの文のほうがベストかもしれない。
「The manufacturer cannot
be held responsible for any damage caused by incorrect fitting.」
Завод-изготовитель не может нести ответственность за любые повреждения, вызванные из-за неправильной установки.
この文章は「не может нести ответственность」がポイントである。
これは「не носит ответственности」ということもできる。不定動詞は「能力、可能」の意味もあるので「может」の意味も含まれる。「несет ответственность」も「носит ответственность」も言うが、「не может носить ответственность」とは言わないだろう。
翻訳と小説文学(2004年11月13日)
前者は常に受身で、後者はアクテイブである。前者にはオリジナル(原著)が存在し、その前でしか翻訳は存立しない。後者は創造であり、何もない(実際には程度の差こそあれ何かは存在するのだが)無から有を創り出す故、膨大なエネルギ-が求められる。
翻訳に必要なものは受身の忍耐力であり、黒子という影の存在に徹する、極端に控えめな性格である。小説に必要なのは閃きであり、生まれ持った鋭い感性と、ちょっとした表現力(これは努力で補うことが可能だが)である。翻訳には小説のような天性の才能は必要ないが、これには一定の法則のマスタ-が不可避となる。先ず外国語の文法という法則を理解していなければならない。そして語彙、単語の保有量、それから原文の背景知識である。これは絶対条件で、それなくしては誰も翻訳できない。
つまり翻訳の条件は具体的であり、そしてそれは一朝一夕に獲得できない、絶え間ない努力を必要とする長い年月がかかる。ある水準に到達するまでの絶対知識量は大体決まっている。だから若年の者は若年の者なりの、中年の者は中年の者なりの、老年の者は老年の者なりの翻訳をする。
文法は比較的短い期間で修得できると考えている人もいるかもしれないが、もしこれを本格的に理解しようとすれば一生かかっても無理なほどの膨大な文献が待っている。我々が文法を知っていると言っているのは、そのほんの一部、おそらく全体の百分の一もないかもしれない。
語彙、単語も然りで、多く所有しているにこしたことはないが、それより問題は中身だ。「記号論」というものが存在する。単語を記号化してしまうことだ。「山」という単語、「女性」という単語を限りなく狭義に定義する。例えば「山」は数字「1」であり、「女性」は数字の「2」という具合にしてしまい、一切の属性なり背景なりを排除してしまう。これだとコンテキストやそれに連なる状況は無視される。
工業用語や法律用語などは概念を厳密に定義して主観の入り込む余地(あるいは現実の変化に適時対応する裁量の余地)を完璧に近いほどに阻止している。だから技術翻訳者が文系の翻訳をするときわめて下手になる。現実に存在する「山」には数字「1」の「山」は存在しないし、きわめて多種多様で様々に日々変化する存在である。
原文の背景知識と言ったが、これはどちらかというと経験知識のことだ。文献から得られる知識もさることながら、実地経験によって得られる知識は第一級の知識だ。これが翻訳の質に決定的に作用する。しかしこれは文献から得られる基礎知識があって、それが触媒となってはじめて意味をもつもので、それなくしてはただの狭い個人的経験であり、何の普遍性も客観性もない、翻訳の質とは無縁のものである。
「普通の人」が並々ならぬ努力の末、高いレベルの翻訳という技量を身につけるわけだが、所詮「普通の人」だから、悲しいかな「本質的差異」はほとんどない。もし「差異」をつけようとすると、とんでもないことになる。「傲慢、不遜、倣岸、誹謗中傷」などまだいいほうで「唯我独尊」までなり、我が翻訳は「無謬」なりと、一種の「思考麻痺」状態におちいる。
小説はきわめて才能に依拠するアクテイブな行為だから、傲慢であろうと不遜であろうと謙虚であろうと、作品の質にほとんど影響ない。ところが翻訳は特殊な才能に依拠するものでない、厳しい努力が必要な「普通の人」の受身な行為なので、常に「聞き手(読手)」であり、「静かで謙虚」でないとオリジナルから見放されて理解できない。
それでも自分も翻訳者の端くれであるから、あまり「蛸が自分の足を喰うような」ことばかり言える立場でもないので、翻訳者の資質、才能をあげれば「根気、忍耐力、旺盛な好奇心、幅広い知識の吸収力」など、こうして面ではたとえ「普通の人」であろうと、他の人たちからは抜きん出た特別な才能の持ち主であることはまちがいない。だから「無能」ではないが、「芸術的才能」がないだけのことで、「受身の作業」をしている「特殊才能」の持ち主だ。
理想的な翻訳者のモデルパタ-ンを想像すると、「無口、大人しい、謙虚、物静か、謙譲、聡明、該博」で「聞き上手」となるが、これだと生存競争についていけない「無能な人間」を連想してしまいそうだが、この意味は「本質的、内面的な」ものをさせているだけで、現実の職業とはまったく無関係である。「営業畑の会社にいるとか、商社にいるとか、建設会社にいるとか」、こうしたことは職業上の外面であって、その人の内的本質ではない。
こうした「内的本質」の生来の持ち主がおそらく「理想的な翻訳者」の資質なのかもしれない。
ようするに内向的な人が翻訳者、外向的な人が通訳者とも区分できるが、これは背反する性格なので、翻訳と通訳を同時にこなす人は気をつけないといけない。特に極度に専門化した職業として考えた場合はそうだ。
「営業センスのある」翻訳者は翻訳が下手で、「無口で大人しい」翻訳者は翻訳が上手ということになるから、世の中はますます複雑で、売り込みがなければ誰にも知られることはないので、「名人翻訳者」を探し出すの至難な業となる。通訳者のほうは性格からしてどんどん「売り込み」にいくが、これに翻訳をまかせるととんでもないことになる。近そうでまったく水と油という職業が世の中にはけっこう存在するものだ。
ロシア語工業翻訳ミニ講座-№3(2004年11月)
今回は分かりやすいようで、分かりにくい言葉について考えてみる。
工業文書でよく出てくるのが次の単語だ。
аппарат, аппаратура, агрегат, деталь, механизм, оборудование, установка,
устройство, схема, чертеж, рисунок, узел,компонентなど。
先ず「аппаратура」は集合名詞なので、「аппаратуры」とは言わない。これは辞書に集合名詞と記載されているから分かる。
では「оборудование」はどうか、これは集合名詞の指示がない。しかし、実際には集合名詞扱いである。「五つの設備」を「пять
оборудований」とはいわない。こうした場合は「пять комплектов оборудования, пять
единиц оборудования」とする。例えば「二つの機器から構成される実験室」は「лаборатория из двух аппаратур」とはいわないで、「лаборатория
из двух единц аппаратуры」などとする。
「аппарат」を辞書で調べると「прибор, механическое устройство」と載っている。
Фотографический аппарат(写真機), телефонный аппарат(電話機)などという。
ところが、「телефонный прибор(電話回線計測器),
телефонный механизм, телефонное
устройство(電話装置), телефонное оборудо-
вание(電話設備)」も存在する。それぞれ役割、機能が異なる。
「агрегат」となると、もっと複雑だ。辞書では「механическое соединение нескольких
машин, работающих в комплексе」(一体で稼動する、幾つかの機械が機械的に結合されたもの)となっている。一般に農業機械などに適用されるらしいが、例えばトラクタ-耕運機など、この単語が使われる。しかし、この意味であれば、「устройство」でも「оборудование」でもよい。そうなると分からなくなる。
問題を少し整理してみる。工業翻訳、つまり実業分野の翻訳では、辞書による基本的語意より慣用性が重んじられる。例えば日本では空調設備とはいうが、空調装置とはなかなか言わない。あるいは扇風機とはいうが、扇風装置とはいわないし、冷蔵庫とはいうが冷蔵装置とはあまりいわない。
ところがロシア語では「кондиционное
устройство」も「кондиционное оборудова-
ние」もある。
日本でいう扇風機は「домашний
переносной вентилятор」というのだろうが、「вен-
тиляционное устройство」(換気装置)もある。
少し混乱させてしまったが、この続きは次のミニ講座で行う。良い翻訳者とは集合名詞の使い方や、個々の単語をその国の習慣に合わせて適切に訳せる人のことだろう。
ロシア語工業翻訳ミニ講座-№2
今回は少し難しくしてみた。前回はちょっとした注意書きの翻訳練習だった。もっとつっこんでみることにする。秋葉原などでは英文マニュアルの製品はぐっと値段が下がる。日本語マニュアル付きだと、正当な値段を請求できるらしい。ロシアでも最近、英語マニュアルが増えているが、やはり母国語ロシア語だと、うけが違う。
SERVICE INSTRUCTIONS
FOR DRUM AND DISC BRAKE LININGS
(ドラム型及びデイスク型ブレ-キのライニング用メンテナンスマニュアル)
These brake pads are intended for fitting on the vehicles listed on the package and in the supplier’s application catalogues.(本ブレ-キパッドは、パッケ-ジ及び納入者の適用カタログ記載の自動車に設置するためのものです)
このへんの英語はあえて日本語に訳すほどのものでないが、和訳がないと無味乾燥に思えるので、入れておいた。
Инструкция
по техобслуживанию фрикционных накладок для барабанных и дисковых тормозов
(1) Данные тормозные колодки предназначаются для установки на
автомобили, перечисленные на упаковке, а также в каталогах
применения, составленных поставщиками.
(2) Эти тормозные колодки устанавливаются на автомобили, перечисленные на
упаковке, а также в каталогах применения, подготовленных
поставщиками.
(3) Настоящие тормозные колодки предназначаются для
комплектования автомобилей, перечисленных на упаковке, а также в каталогах
применения, сделанных поставщиками.
三通りに訳してみた。三つとも意味はさほど変わらない。
訳に入る前に、技術について確認する。ブレ-キライニングとか、ブレ-キパッドについて技術的によく理解しておく。
出だしによく用いられるのは、「данный, это, настоящий, предлагаемый」など。
さらに「предназначаться для чего-либо」だが、これは「рассчитанный на что-либо」でもよい。前者も被動形動詞を使えるが、後者は被動形動詞だけ。
似たような表現では「служить для чего-либо」などもある。
例:Это служит для управления системой(これはシステム制御するためのものです)。
またマニュアルなど文書の作成・製作には、「составить, подготовить, сделать」等が使えるが、本質的意味はほとんど変わりがない。ただしニュアンス的には「作成、準備、製作」となる。
参考としては、(3)の文で「предназначаются для
комплектования автомобилей」の個所だが、英文と若干異なるけれど、「комплектование」は「補充、補強、セットにする」などの意味だが、「構成部品の一つ」と訳してもよいだろう。
三文の中でどれが、ロシア語的かというと、(3)だろうが、原文に忠実なのは(2)で、読みやすく簡単にしたのは(1)だろう。
(3)の文をもう少し良くすると、下記のようになる。
Данные тормозные колодки
предназначаются для комплектования автомобилей, пере-численных на
упаковке, а также указанных в каталогах применения, составленных поставщиками.
工業文は基本的に全て英語だが、今時英語を知らない人はいないだろうから、その点は問題ない。
この分野は文体より、正確さ、厳密さだ。注意する必要があるのは、原文著者自身も必ずしも、技術用語の概念を正しく用いているわけではない。だから、一つひとつの単語を逐一辞書で調べても、正しい文になるとは限らない。そのため、背景の技術をきちんと頭に入れておかねばならない。
そして、ほとんど説明文なので、動詞変化形では完了体を用いて時間の関係を作らないようにする。基本的に動詞変化形は不完了体となる。それでも時間の関係を表現する必要がある場合、その他の手段、例えば副詞、接続詞、助詞などで代用し、文中の動詞は不完了体を変化させる。
上のケ-スでは、「предназначатся」とはできない。何故だろうか、考えてみよう。
ロシア語工業翻訳ミニ講座№1(2004年6月)
翻訳にもいろいろ種類があるのは誰しも知るとおり。
今回工業翻訳を取りあげてみる。簡単な英文を参考し露訳してみた。
「Follow the steps in this section to unpack and set up your typewriter」
1.
Следовать пунктам, указанным в данном разделе, для того,
чтобы распаковать и устано-
вить
пишущую машинку.
2.
Произвести работы в порядке, указанном в пунктах данного
раздела, с тем чтобы
распаковать
и установать пишущую машинку.
意味は誰もが分かる容易なもの:
「タイプライタ-を開梱してセットアップするためには、
このセクションのステップにしたがってください」
とりあえず二通りに訳してみた。例文1のほうは直訳調で、例文2は少し咀嚼して訳している。
「For assistance with setup, operation, or problem determination,
call IBM Direct at 000-000-0000」
「セットアップ、操作その他問題解決のお手伝いが必要な場合、
IBM社に直接電話(000-000-0000)してください」
1.
Для получения помощи в установке, управлении или
разрешении каких-либо
проблем,
позвонить фирме ИБМ прямо по номеру 000-000-0000.
2.
При необходимости обратиться с помощью в установке,
управлении или
устранении
каких-либо проблем прямо к фирме ИБМ, позвонив по номеру
000-000-0000.
露訳例を四文掲げたが、どれも大体意味は似たようなものだ。ただしいて選択するなら、例文2のほうだろう。何故なら例文2のほうが咀嚼し、明確だからだ。
あまりにも簡単すぎたのでもしからしたらあまり参考にならなったかもしれない。
プラント翻訳のコツは、まず翻訳者が現地の技術に通暁していること、具体的技術に詳しいこと、直訳でない、意味を捉えて訳す能力があること、これに要約される。
だから日本人であるか、ロシア人であるか、まったく関係ない。日本人の大半はプラント技術などしらない。これはロシア人も同じことだが、外人だと何故か正しいように錯覚するのが日本人の癖なのだ。
1992年にソ連は崩壊し、それ以降の12年間日本からロシアにプラント輸出はまったくと言っていいほどされていない。これは空白の12年間で、この間プラント関係のロシア語翻訳者は実践の場がないので一人も育っていない。現在日本でプラントの翻訳ができる翻訳者は皆50歳以上でそれもごく少人数だ。
日本にいるロシア人も最新技術など机上では理解しているかもしれないが、現実に体験していないから、一部理論的分野を除けば応用技術についてはほとんど分からないだろう。
それでも現実は、生活は進行する。知らない人が技術の翻訳をすれば、誤訳もあるだろうし、訳文は長くなるだろうし、しまいには稀有とはいえ、プラントそのものが破綻することだってあるだろう。
短期的経済メリットが主流である今日、その枠外にいることは不可能かもしれないが、それでも組織、企業として考えてみる意味は十分ある。
悪貨は良貨を駆逐するかもしれない。うまく逃げ果せればいいが、必ずブ-メランは戻ってくるのもので、それが歴史なのだろう、宗教でいう輪廻なのだろう。
そうは言っても花より団子なのだから、メリットのある選択をする必要がある。それには上記の三条件の揃った人間を探すことほど、安上がりなことはない。
語尾変化の多い言語の会話(2004年5月)
外国語会話を覚える上で、先ず最初にその言語の特徴を理解してから習うのも一つの方法だ。ロシア語は語尾変化を特徴とする言語である。したがって語尾変化に注意を払うことは、この言語の本質を理解することにもなる。
例えば、「Я взял её руку」(私は彼女の手をつかんだ)、「Я взял её рукой」(私は彼女を手でつかんだ)となる。問題としているのは、「руку」と「ру-
кой」である。前者の語尾は「у」で、後者の語尾は「ой」である。これが文である場合は一目瞭然だが、会話となると、この部分をしっかり発音しないと、意味がまるで異なってしまう。
もう一つ例をあげてみる。「Нет пыла」(情熱がない)、「Нет пыли」(埃がない)となる。語尾が「а」となるか、「и」となるかではまるっきり意味が異なる。
なかでも、名詞の形態が変化することに特徴がある。
「郵便で」(日本語)、「by post」(英語)、「почтой(原形:почта)」(ロシア語)を例にとると、ロシア語以外は助詞や前置詞により「で」の意味を表現しているが、ロシア語は名詞原形の形態を変化(почта
-почтой)させることにより表現している。
日本に長く在住し、日本語の上手なロシア人ほど、そのロシア語の発音が聞きとりずらい。なぜなら、日本語はアクセントやイントネ-ションがきわめて弱く、ほとんど抑揚をつけずに発音するからだ。ロシア語を日本語みたいにアクセントもイントネ-ションもつけずに発音すると、ちょうど僧侶の読経のようになる。すると語尾も弱く発音され、ロシア語の意味がとりにくくなる。
例えば「пойти」という動詞がある。これをそのまま発音すると、「出かけろ、進め、出発するんだ」と命令形になる。ところが「пойду」と変化させると、「私はこれから出かけます、出発します」という意味になる。
日本語の名詞形態はどこまでいっても変化しない。「社会」という名詞は永遠に「社会」という形態が保たれる。だがロシア語でいう社会「общество」は「обществу」(社会へ)にも「обществом」(社会によって)にもなる。
日本人は名詞は変化しないものと潜在意識があるので、ロシア語に語尾変化があると頭の中で理解していても、いざ発音すると、語尾を日本語並みに弱く発音するから、ロシア語が聞き取りにくい。
興味深いのは日本人にとって「ти」も「чи」も「ци」も似たようなもので、さらに「у」などはほとんど発音していない。例えば「улучшение」(改善、改良)では語頭の「у」は抜かして「лучшение」と発音するだろうし、「получил」(受け取った)では「пол-чил」と発音するだろう。
「-овать」系の動詞は、「-овать」を取り除いて「у」を挿入し、第一変化式で動詞は変化するが、例えば「действовать」の三人称単数形「действует」となるが、日本人が発音すると「действет」となりがちだ。このへんも注意が必要だ。
最初のテ-マに戻すと、ロシア語で会話する場合、日本人は特に語尾をいっそう強調して発音するとよりきれいに正確にロシア語を喋ることができる。そこに二倍ぐらいの力で二倍ぐらいの長さで発音するとよい。そのぐらいの気持ちでやって丁度よいぐらいだ。
ロシア語は語尾変化の言語だから、語尾をきちんと発音してこそ、正確な会話が成立する。ところが日本語の名詞語尾など変化しないものだから、日本人は語尾をはっきり発音せずとも、語頭さえ分かれば、あとは変化しないから理解できる。
ヒヤリング練習では何よりも語尾変化に特に注意して聞き取り練習するとよい。そこの聞き分けこそがロシア語の意味を決定するからだ。
言語会話はその国、その環境に身をおけば、特別に学習しなくても自然を体得するものだが、そうした環境がない場合などは意識的な学習方法、例えばその言語の本質的特徴を理解して学ぶ方法も、かなり効果あるとも言える。
翻訳の依頼方法(2004年4月)
翻訳には文芸、社会政治、工業・商業など多々種類がある。ある知識の表現形式を他の表現形式に変換するのが翻訳とすれば、この知識の理解力なり、把握力なりが翻訳の質を決定するわけだが、これは外国語の文法理解以前のことである。知識も文献から得る知識と体験を通して獲得する知識と大別できる。
文献知識の長所はあえて現場にいて体験せずとも、膨大の知識を獲得できる点であるが、欠陥は実物、本物を見たり、触れたり、体験していないことで、時には体験したことより優れた想像も掻き立てるが、それとは逆に現実とまったく異なるものを思い浮かべてしまうことのほうが多い。
体験知識は「木を見て、森を見ない」ようなもので、そのもの自体の理解は秀でているものの、普遍性に乏しく、統一した知識にはならない。「木」を体験とすれば「森」は文献となるが、この関係のバランスこそが翻訳の良し悪しをきめる。
けれども体験知識は文献知識に比べるとはるかに貴重であり、それは体験が限られた条件でしか得られないからだ。特に年齢や性別に制約があり、ある時期でないと体験できない経験が最も重要と言える。森深く分け入り最も高い大木に触れ、肌で感じ、細々とした枝葉や幹を観察し、その頂上によじ登れば森全体が見渡せる、そんな木に出会えば、体験はすでに普遍性をもっている。だから若い時の体験はその人生において大きな意味をもつ。貴重な体験は学問への入り口であり、そして体験が体系的な科学に変貌する。
それでも体験ほどあてにならないものもない。ロシア留学して四年間学び、さらに四年間現地で生活したという人の翻訳を拝見したことがある。文章を全て時間の関係でしか表現できない。だから過去のことは過去形、現在のことは現在形、未来のことは未来形になってします。例えば「Завтра
самолет прилетит」(明日飛行機が到着するだろう)と書いてしまう。未来のことだからこれで間違いないのだが 「Завтра самолет прилетает」とは書くことを知らない。未来を限定する言葉があれば、たとえ未来のことでも不完了体を使えることを知らない。
つまり叙述文が書けない。どうして八年間もロシアにいてきちんとしたロシア語が書けないのかと不思議に思い、あれこれと推測してみると、明治維新のことが頭に浮かんだ。江戸時代、文盲が多くいた。それでも日常生活に支障があったわけではなく、きちんと生活できたのは、多くの農民には文のやり取りが必要なかったからだ。
会話こそ体験を通じて体得するもので、現地に長いこといれば特別に学ばなくても、自然と流暢な会話ができるようになる。江戸時代、文字が書けなくても喋ることに不自由した日本人はいないはずだ。それ故流暢に外国語が話せるからといって、きちんとした外国語が書けるわけではない。書く能力は「寺小屋」行かねばならない。
さらに重要なことは言葉や文化に対する関心の問題である。言葉はいわゆる文化の表層部分にすぎず、ほんの一部分であるから、その土台となる文化に興味がないと、言葉そのものは空疎なものとなる。
もう一つの例をあげてみる。日本にすでに十年近く滞在し日本語会話を自由にできるロシア人に翻訳を依頼したことがある。ロシアで日本語学科を出ている、日本にも長いこと滞在している、それで安心して翻訳をまかせたが、出来上がった翻訳を見て愕然とした。間違いはほとんどなかったが、翻訳の質としては良くなかった。分野は技術関係で、その分野の知識がまるでなかった。だから辞書や参考文献など駆使して訳したのだろうが、ロシア人がたどたどしいロシア語を平気で書いていた。
どの分野でもそうだが、その分野の基礎知識がないと、単語を逐一訳して文を構成するから、文全体がギクシャクし悪い翻訳文になってしまう。とりわけ語学の専門家ほどこうした状態に陥りやすい。それは正確に訳すこと基本としているからだが、翻訳対象分野の基礎知識がないから、語意だけが重要視され、文全体の流れが死に伝達目的が達成できない場合もある。
文芸関係の文は長かろうが、短かろうがどちらでもよい。何故なら読み手の心にうったえるものだから、文体は手法であり、技法であるからだ。ところが実務文は仕事に使う文であるので、簡潔であるのは当然である。できる限り短時間で相手が伝達意図を理解できるものでなければならない。時間と正確こそが全てである。だから簡潔、単純な文が実務文である。
実務文翻訳で冗漫なものは、ほぼ誤訳に近いと言える。文が長くなるのは専門用語を知らないから、その代わりに説明して表現するせいだろう。これには二つの原因がある。一つは翻訳者の能力が低いこと、もう一つは翻訳料金が廉価なので翻訳者が字数で稼ごうとするからだ。
最後に日本人は地理や歴史の関係から外国人に弱い体質があるので、完全にシンパシ-を感じるか、完全にネグレクトするか、選択肢が二つしかない。それだから外国人の翻訳を鵜呑みする傾向がある。けれどもこれまで述べたように若い外国人にきちんとした翻訳ができるわけはない。
閉塞した社会状況の中で大きな志や夢のもてない現代、足元ばかりに注目して小さな幸福で満足せざるえない今、ロシア語を学ぶことは一見、リスキ-で実利的でないかもしれないが、長い人生では夢がもてる、躍動的な時代も必ず到来することは歴史を回顧するまでもなく自然なことだから、異文化のロシア語に興味を抱くこともけして実利性がないともいえない。何事も播種をしないと収穫期は来ない。
ロシア展望-2004年 (2004年1月) ここ数年ロシアは政治、経済とも安定期に入っている。今年ロシア大統領選挙が予定されているが、対抗馬も立てないぐらい現職プ-チン大統領の支持率は高く、70%ぐらいある。再選は確実だ。プ-チン大統領は「強いロシア」、つまり「強国」をめざしている。軍事費も年々増加の一途をたどっている。与党「統一ロシア」の下院会派数はすでに300議席を超えている。これで憲法改正できるので、もしかしたら大統領任期をもう一期延長する改正を行う可能性もある。そうなるとウラジ-ミル・プ-チンは三期12年間大統領ポストにつき、本懐である「強国」ロシアを達成するかもしれない。これはロシア帝国主義の復活を意味し、CIS諸国及びバルト三国に領土膨張政策の触手を伸ばすだろう。米国は旧ソ連領土(CIS諸国)に自国軍隊を配備したり、NATO加盟を促したりして、こうした動きを警戒しているが、そもそもロシア自体もNATOに加盟してこの機構そのものの存在価値が薄れてしまうおそれさえ出ている。
チェチェン民族問題は当面解決するめどはない。ロシア政府は公式にはチェチェン問題は平定したと表明しているが、テロ事件は跡を絶たない。グルジア、北コ-カス、チェチェン地域は国際テロ組織の棲家でもあり、たんなるチェチェン問題ではなく、かなり複雑な要因がある。
経済関係ではここ数年、GDPは7%近くあり、2003年は6.7~6.8%程度で、2004年は5%前後とIMFなどは見ている。ロシアの国家収入の約40%は石油関連税であり、国際石油価格が1バレル20ドル以上であれば、ロシアの国家財政は常に豊潤であり、現在の経済成長は継続できるだろう。国際石油需要と国際景況から判断すると、今後四五年は石油価格が中期トレンドでは大幅に崩れないだろうから、ロシアの経済成長に大きな不安要因は見当たらない。ロシアの課題はこの国家収入の構成を早急に石油依存から脱却し、多角的な収入の道を確立することだろう。
日露関係では昨年は貿易高では前年比約30%増加した。日露経済問題で大きなタ-ニングポイントになるのは、東シベリアの石油ガス資源開発だが、どうやらロシアは大慶向け石油プロジェクトを先ず堅持して年間三千万トンの石油供給を中国にするだろう。そして残り五千万トンについては、東シベリアのインフラ整備(石油ガスパイプラインも含め)にたいし日本からの投資に大きな期待をかけているだろう。シナリオとすれば、アンガルスク大慶プロジェクトも契約し、アンガルスク・ナホトカプロジェクトも契約するつもりだろう。これが一本の契約になるか、個別になるか、それともロシア、中国、日本など加えた国際協定になるか不明。ただし、アンガルスク・ナホトカプロジェクトの石油はいまだ未知数であり、実際の埋蔵量はしっかりとした試掘調査をしないとわからない。
北方領土問題は、日本が交渉のたびに議題にし、ロシアがただそれに一定の理解を示すという、形式的なやりとりに変化し、おそらく次元の異なる状況や事態が発生しないかぎり解決することはなく、十年以上も先にならないとその糸口が見つからないだろう。現在は日本もロシアも、戦略的な意味で双方を必要とせず、たとえ国交が断絶しても双方あまり痛手がない状態である。だが一方では日露の人的交流は拡大し、文化芸術分野にかぎらず、あらゆるレベルで人の往来が盛んになっている。これは直接経済には影響しないが、理解しあえる人材が増えることは、双方にとって戦略的決定に参加するメンバ-の中にそうした人々が関わる可能性が高まることを意味する。まさに日本に求められているのは戦略的アプロ-チであり、最も日本人が不得手な分野ではあるが、これなくして日ロ関係は打開できないだろう。日本人は元来、当面の課題を的確、巧みにこなす資質や能力では卓越しているが、遠い将来を見て計画を立てる能力は乏しい。だが日ロ関係の打破にはこの乏しい能力を歴史的に飛躍させるほかない。
2003年ロシア社会の本質を露呈したのは、ロシア最大の石油会社「ユコス社」の社長ミハイル・ホドルコフスキ-の脱税容疑での最高検による逮捕だろう。ホドルスキ-はまだモスクワの拘置所にいる。次期大統領選が終わる三月にならないと釈放されないと言われている。この事件についてロシア人と西側の人間では若干受け止め方の差がある。特に多くのロシア知識人はロマノフ王朝、ソ連社会主義政権、新生ロシア連邦に一貫して流れる前時代的意識がもたらす恐怖政治の再来を皮膚感覚的に予感し、的中し慄いたろうが、世論調査では国民の約70%はこの逮捕を支持している。一方西側の人間はソ連社会主義政権の体質がいまだ温存され健在だと再確認したことだろう。だがロシア社会はこの二世紀、王朝であれ、社会主義政権であれ、官僚政治であり、エリ-ト選別社会であり、農奴制以来国家上層部に無意識に平伏すという精神構造に変化はなく、民が国家の主人であるという意識は希薄である。ホドルコフスキ-は国家権力という絶対機構の逆鱗に触れたのである。ホドルコフスキ-自身、国家機構のエリ-ト集団の一員でありながら、エリ-ト集団全体の約束事を反故にし、何の事前協議もせずに一足飛びに自らが最高権力を手中におさめようと野望を抱いた結果、エリ-ト集団のメンバ-から外されてしまった。
ソ連時代、人口は約二億五千万人でソ連共産党員数は千五百万人、社会全体の約6%がロシアで選ばれたエリ-トであった。この6%が現在もロシア社会を支配している。ミハイル・ゴルバチョフ(初代ソ連大統領)も、ボリス・エリツイン(初代ロシア連邦大統領)、ウラジ-ミル・プ-チン(現ロシア連邦大統領)も旧ソ連共産党幹部であり、この6%の一員なのである。ロシア社会ではどのような政治体制であれ、一部エリ-トが国を支配するという意識構造が常に許容されている。こうした意識基盤は徐々にではあるが変化の兆しは観察されるが、これが本当に変化するのはまだ先のことである。ミハイル・ホドルコフスキ-はこの意識基盤を無意識とはいえ破壊しようとしたのかもしれないが、相手はとても彼の資金力をもってしても歯の立つものでないことが証明された。これが変化するには後何回か国政選挙し、世代交代が政財界に起きないとありえないだろう。だがらロシアの政治経済の民主主義化にはまだ時間が必要となる。脱税は犯罪だが「罪と罰」の対応に人権意識や民主主義の精神が欠落しているので、「脱税」は重罪ではあるものの、されどたかが「脱税」でロシア最大の石油会社社長を半年近くも拘留できるのである。
ロシアは今、もの凄い勢いで経済成長している。だかこうした本質的問題、国民意識の問題はおそらくポストプ-チン政権(後二期八年後)最大の課題となろう。とはいえ、旧ソ連時代と比べれば、民主主義ははるかに飛躍発展し、西側の正式な一員になったことも事実だろう。(T.I)
翻訳の複雑さと奥深さ(2003年10月)
語意と文法、それに文献内容の知識があれば翻訳は完成する。ただし、それは科学技術と学術論文、商業・工業文に限る。これは、人間とは理性と論理の存在であることを根拠にしている。人類の知性は言語の発達とともに始まったと言われる。たしかに理性と論理思考は発展した。けれでも喜怒哀楽などという感情の分野はこのカテゴリ-の外にある。意思や知識の伝達手段、相互理解の手段としての言語はここで壁にぶつかる。どれほど多弁を弄しても最愛の相手同士、意思疎通ができないこともある。ところがわずかな肌の触れ合い、ちょっとしたしぐさにより、瞬時にすべてが理解できてしまうこともある。それは人間が感情の存在でもある証拠でもある。翻訳を異言語のみ対象として考えると、よく分からないことが多い。言葉は非日常的なものを除けば、誰しも無意識に理解できるはずである。これは脳機能が入ってきた言葉を自動的に翻訳し分かるようにしているからだ。つまり概念づけ作業が行われている。概念づけの典型的なものは辞書である。そこで言葉の意味の範囲を制限し普遍化する。もし意味を無制限にすれば、言葉はその言語機能を失うことになる。そうやって言葉は自己制限を設定されることになる。これが言葉の限界なのである。読手は言語という論理的手段を介しながら、書手の意思を模索するが、それでも理解できない時がある。もし書手が言葉の中に感情を挿入すると、読手はその言葉の概念を超えた世界に導かれてしまう。逆に読手が一つの言葉の中に書手が予定していない感情を発見すると、書手の思惑と異なる世界が読手の中に展開する。文学作品は評論家により評価が決定されるのは、作者の意図とは別の部分が芸術作品には存在するからだ。翻訳文のほうが原文より優秀になる場合が多々ある。翻訳者は先ず原文の最初の読手であり、作品を通じて原作者の人物像や性格、作品の真意を探ろうとする。だからこうした作業は本来作家自身のほうが得意なのであり、作家の翻訳したものは見事なものが多い。フランスの作家アンドレイ・ジイドは翻訳家でもある。「私は一冊の本を書くに必要な時間以上を翻訳のために費やしている。勿論、原著者が私の訳した本を書くに必要な時間以上だ」「初めのころには自分の作品の翻訳が私に従属することを求め、フランス語の原文に最も近く行くものが最上のように思われた。たちまち私は自分の誤りに気がつき、現在では私の翻訳者にけして私の言葉や句に束縛されぬように、私の作品の上にいつまでも身をかがめぬようにお願いする」と述べている。言葉には感情という重要な意思伝達力が潜伏していることを思うと、このことは十分考慮して翻訳にとりかかるべきである。よく行間を読めと言われる。それこそそこは読手が自由に無制限にはるか彼方まで想像しうる宝庫なのだ。翻訳の技量は最も重要なものだが、さらに価値あるのは翻訳のセンスかもしれない。翻訳のセンスのない人に翻訳を委ねると、外国で覚えた言葉に味も素っ気もなく訳してしまう。
手紙について思うこと(2003年2月)
ロシア語を覚えたての頃、ロシア人の文章を見てはそれを真似して書こうとつとめた。そうしたことを繰り返しているうちにロシア人ほどとは言わないものの、それに近い文章を書けるようになった。ロシアに何十年もいた日本人の文を拝見すると、ロシア人が書いたのと間違えるようなロシア文を平気で綴る。そして発想も行動も、食事の仕方もロシア人と同じである。そこには日本の文化はない。手紙のやり取りにしても、それは異なる文化の交流である。ロシア人と同じような文章を書いたのでは、日本人の文化、ニュアンスはどうなってしまうのだろうか。ロシア人の発想もあるし、日本人の発想もある。考え方も違うし、育った環境もちがう。例えば、日本人は手紙の書き出しによく季節の情感を表現するが、ロシア人にはそうした習慣はない。ロシア人の文は論理的であるが、日本人の場合は感性的で、主語述語の関係が曖昧なだけでなく、全体としてもぼやけた感じのするものである。ビジネスの場合、肝心なことは的確、論理的に書く必要はあるが、それ以外のところは日本人の情緒的な文ほうが気持ちが伝わるような気がする。訳す時、その箇所はそれに相応しいロシア語にすべきである。けしてロシア式に論理的に置き換えてはいけない。何故ならそれが日本人の文化、精神だからである。たかが手紙のやり取りではあるが、異文化交流でもある。固有の日本人としてロシア人と交流することはかなり重要なことで、ロシア化された日本人として交流してもあまり意味がない。それは互いの文化の相違の中に全ての本質が濃縮されているからだ。そのことを分かり合うのが真の文化交流だと思う。もしこれをロシア式に、つまりロシア人が書いたように翻訳すると、おそらく読手は容易に文意を理解できるかもしれないが、文化の相違や日本人が拠りどころとする文化精神構造については気付かず素通りしてしまうだろう。例をあげれば、日本人の特徴の一つに謙譲の精神がある。ところが彼らにほとんど見られない。欧米の歴史や宗教観からすれば、理解できないわけではないが、こうした謙譲の精神は日本でも最近とみに少なくなったが、それは誰にとっても必要なことで、互いに譲り合うことこそあらゆる摩擦をなくしてくれる。日本人はとにかく外国の文化しきたりに容易に合わせる癖がある。しかし合わせたところで、日本人の真意が理解されるわけではない。ここまで大げさにしなくてもよいが、個人の手紙でもその真意は伝わりにくいだろう。たしかにロシアではそうした表現は使わないとしても、あえて日本人の表現を使い、そのまま翻訳されることをすすめる。それではじめて互いの民族の顔が脳裏に浮かぶだろうし、誤解されないですむかもしれない。こうした考え方は他の民族との交流でも意味があるだろう。
日ロ関係の今後の見通し(2002年12月20日)
この二年間でロシア経済は大きく安定してきた。特に昨年9月11日以降米・EC・NATO・ロシア協調の枠組みが出来上がり、政治軍事面でも不安定要素はあまり見られなくなった。今年のロシアGDP成長率は4%強で、IMFの予想だと大体来年もこの程度の成長は見込める。中国、インドとの政治経済の協調も拡大し、新しい枢軸を模索している。今ロシアは地政学的に見てきわめて有利なポジションを占めている。モスクワ市民の平均所得は現在日本円換算で4万円前後まで伸びている。外貨準備高も500億ドル近くまでになっている。2003年度のロシア連邦予算案を見ると軍事と教育に重点をおいているのがわかる。いよいよプ-チン大統領のいう強いロシアの実現に向けて歯車が回転しはじめたようだ。ロシアは内政面でチェチェン問題がアキレス腱となりつつある。問題が複雑なのはこの地域に世界のテロ組織が入り込み、チェチェン内の純粋の独立派との交渉だけでは問題が解決しないことである。今年秋行われたロシア国勢調査の中間集計では、人口は1億4千5百万人でモスクワの人口は1010万人となっている。一方、日本の企業は大きく体力を消耗しているので、ロシアに敢えて投資や進出する条件はあまりない。当面、日ロ関係は政治経済面とも低迷の時代が続くだろう。来年、日本政府は「ロシアにおける日本年」と称し、日ロ関係の打開の一つにしようとしているが、決定打にはならないだろう。1月に日本首相は訪ロするが、四島問題の解決の糸口を見出せないまま、はたして何ができるだろうか。日本経済の立て直しもできない人間とロシア側は本気で交渉するつもりになれるだろうか。日本人は今、心の病にかかっている。これは厄介な病気で根か深い。とにかくエネルギッシュの野心家が企業や政治の中に存在しないと、こうした沈滞した局面は打開できないだろう。それでもロシア語の魅力は日露の政治経済に当面展望がないとしても、それをはるかに凌駕する価値はある。実利面は必要なことだが、外国の文化、他民族の生活習慣を知ることは、それだけでも自己の生活を豊かなものにしてくれる。それと自分の外国語で話すほうが、他人から聞いた話で解釈するよりはるかに正確であり、本人の求めることに適うはずである。ロシアは徐々に安定して国家作りに成功しつつあるが来年2003年、今度は日本が正念場に立たされることになる。日本には豊かな精神文化の伝統は多くある。そうしたものをもう一度掘り起こし覚醒すれば、日ロ関係にも良い影響をあたえるはずである。(年末になり今年の日露関係について若干まとめるつもりですので「ロシア語に魅せられて」は半ばフィクションですが、しばらく続編は休みます)
-ロシア語に魅せられて-(その5)(2002年12月5日)
黒くひかる重い巨大な木製の扉を両手でこじあけるように開けると、がやがやと騒々しい人声、視界を曇らす灰色の煙草の煙、酒と体臭、オ-デコロンの匂い、それが一気に押し寄せてきた。待合室に入ると、あたりを見回す間もなく、ネ-リは笑みを浮かべ駆け寄ってきた。ビュッフェはどこも満席で相席となった。フィルタ-のない太い煙草を隣に座る作業着姿の中年労働者はぷかぷかとすっていた。それが雲のように目の前をゆっくりと通過した。カウンタ-からコニャック二杯とサ-モンの薄切りをもってきた。がたついたテ-ブルと下手の床作りのせいでグラスが少しゆれた。山ほど荷物を抱えている者、疲れた背広姿の者、派手な衣装をまとう若い女性、人生の末路を寡黙に受け入れる老女、軍人、警官、出迎えの者、見送る者、陽気な若者集団、売れないジャズ楽団一行、ほころびた背広姿で怪しげなものを売る中央アジア系の商人、様々な人々が集まるの駅の待合室だ。「Почему
не нашли номер(何故、部屋を見つけなかったの)」「Времени не было(時間がなかった)」ネ-ルは突き刺すような目つきで見つめた。人が大勢いるのに寒かった。誰も上着を脱ごうとはしなかった。外はマイナス40度の厳寒。ネ-リはミンクのコ-ト姿で毛皮の帽子をかぶっていた。背が高く170cm以上あった。西に一万キロも行けばモスクワ、東に300kmでウラジオストックだ。話す言葉もあまりなく、時間だけが過ぎていった。月光の映えるアム-ル川の長い土手沿いを深夜二時に散歩したこともあった。夏の夜、蚊に刺されてもあまり気にもならず、ポプラの白い花粉舞い散る並木道をいつまでも歩いた。川幅数キロもあるアム-ル川をモ-タ-ボ-トで横断し、蛇行した狭い支流に入り、川辺の草地にテントを張って一週間も過ごしたこともあった。見渡す限り草原だ。二人でカヌ-を走らせ、そこから釣りをすると、鯉やカマスが面白いように釣れた。真夜中の静寂、焚き火の明かりが水面に赤く映り、丸い月がその横に浮かんでいた。ネ-リは一冊の小さな本をテ-ブルの上に置いた。S.A.エセ-ニンの詩集だ。タイトルは「Хулиганство(放蕩生活)」と書かれている。そして目の前に差し出した。「Уж много
не пейте(もう多くお酒飲まないで)」とつぶやいた。待合室の高い天井から冷たい風が吹き付けた。彼女の美貌に回りの男たちの視線が注がれているのが分かった。汽車を待つ飲んだくれたちは鼻を赤くし、不思議なほど陽気であった。汽車の出発がアナウンスされた。彼女は立ち上がり、そして近づき、私の手を軽くつかみ、一瞬ぎゅっと強く握ると、微笑んだ。それからしばらく歩くともう一度振り返り手を振り、ホ-ムの人ごみのなかに吸い込まれ、消え去っていった。
-ロシア語に魅せられて-(その4)(2002年11月30日)
ところどころ残雪のこるなだらかな坂道、さわやかな春風、白樺林にはわらびが繁茂し、それを採りリュックに無造作に放り込んだ。車は再び山頂に向け走り出した。時々大きな門構えの別荘が通り過ぎていった。林を通りぬけると見晴らしのよい草原、名の知れぬ黄色い花が一面どこまでも続いた。そしてまた白樺林。坂を登り下りしながら、しだいに目的の場所に近づいていった。峠に一軒、木造の雑貨屋があった。入ると、中はタバコの煙でかすみ、ウオッカの匂いが鼻をついた。酒とチョコレ-トを買った。そして暫く走り小さな橋に通りかかった。車を止め川沿いに歩くと、少し広い場所に出た。水は冷たく流れは速い。川を木の枝で覆っているので、光はところどころしか射し込まなかった。友人のデニセ-ヴィッチはおもちゃのようなプラスチック製の短い竿を出した。「Этой удоч
кой можно поймать(その竿で釣れるのか)」 「Посмотри!(ちょっと見てろ)」と言った瞬間、銀色の鱗が水面にはねた。キングサ-モンだ。デニセ-ヴィッチは30分ほどで二匹吊り上げ、得意満面であった。そこから湿地をしばらく歩くと、釣り橋のかかった大きな川に出た。釣り橋の板は何箇所も朽ち落ちて、足元に真っ青の川が流れていた。辺りにぽつん、ぽつんと釣り人の姿が見えた。支流を見つけ、そこでは大きな岩魚が黒い塊となって泳いでいた。もう釣竿はなかった。さきのキングサ-モンとの格闘でばらばらに折られてしまったからだ。引き返し車にもどると、大きな虻が二匹車中を飛び回っていた。そして鬱蒼と樹木に覆われた別荘に着いた頃には日は傾いていた。金髪の美人管理人が鉄の門を開け、中に案内してくれた。別荘は白樺材作りでその前に大きな露天風呂があった。リュックから蕨とサ-モンを取り出すと、管理人に渡した。木の葉浮かぶ露天風呂はちょっとしたプ-ルの広さがあった。そこから太平洋が見えた。振り返ると山の向こう、青い空のキャンバスの上、巨大な火山が二つくっきりと描写されていた。原発の煙突のような形で、頂上は白く雪で包まれていた。「Паратунка」(パラトウンカ)はカムチャッカ半島最大の温泉地である。州都ペトロパヴロフスク・カムチャツキ-市から南西70kmのところ、車で約1時間。広い露天風呂につかり、サ-モンの燻製とシャンパンは格別な味であった。空は快晴、時折そよぐ風はとても心地よかった。露天風呂から上がると、今度はサウナに入った。ロシア式サウナは正面に大きな釜がある。そこに時々水をかけ、蒸気を部屋中に蔓延させる。出ると、食卓が用意されていた。そこでウオッカ一杯、一気に飲み干すと、雪解け水のプ-ルに飛び込んだ。するとヴィソツキ-の歌がどこからとなく流れてきた。古い時代は終わったのだと、もう一度自分に言い聞かせ、五杯目のウオッカで意識を失った。
-ロシア語に魅せられて-(その3)(2002年11月24日)
モスクワ、ヴヌコヴォ空港のロビ-に入ると、ロシアの公共施設のどこでもする酸っぱい匂いがした。搭乗案内にしたがいでこぼこした飛行場に出ると、離れたところに二三飛行機が待機していた。どこにでもある旧式のトラックがゴトゴトと飛行機一台引いてきた。その日、客は三十名ぐらいしかいなかった。機長が出てきて、安定をとるため左右に分散して座れと言った。飛行機はトラックから切り離され、轟音がしたかと思ったら、するすると急上昇した。三時間ばかり飛ぶと、クラスノダル空港に着いた。暑かった。そこからバスに乗ることにした。途中退屈なので隣に座る初老の農夫に話しかけることにした。「Что-нибудь интересное есть (何か面白いことありますか)」「Что именно?(どういうことだ)」「Лю-
бое интересное(なんでもよいですから、面白いことです)」「Интерес-ное или неинтересное,не знаю,
но есть внусное(面白いか、面白くないか知らんが、美味いものはある)」「Внусное!(美味いもの)」「Вино(ワインだよ)」 バスの窓から外を見ると、棚の低い葡萄畑が果てしなく続いていた。そして大きな建物が遠くに見えた。ワイン工場であった。「Остановите!(止めてくれ)」と運転手に叫ぶと、バスは急停車をした。急いでバスから飛び降りると、バスは土埃と黒煙を残して去っていった。しかし思ったよりワイン工場は遠かった。三十分は歩いたと思う。やっと看板らしきものを発見した。そこから道はぶどう棚でア-ケ-ドにように延々と続き、棚にはぎっしりと葡萄が実っていた。時々、葡萄樽を満載したトラックが横切っていった。工場の入口にどうにか着いたが守衛はいなかった。しばらく敷地内をぶらぶら歩いていると、大きく手招きする者がいた。高い天井の建屋の前に立っていた。どうやら男は葡萄職人らしい。「おれが作ったぶどう酒だ、飲んでくれ」と目の前のタンクのコックからワインを注いで、鉄のカップを差し出した。たしかに口あたりがよく、いくらでも飲めそうな気がした。しかし、ワインはただではなかった。葡萄職人のいつ終わるとも知れない葡萄酒作りの話を長々と聞かなければならなかった。それがワイン代であった。「ほんとうなら、これは最高級品だ、輸出向けだ。ところがこの地方でしか出回っていない。地元のやつには味なんかわからない。あんた、外国人だ。どうだ、味は」 たしかに舌触りは滑らかで、ほんのちょっと甘味があり、絶品であった。腕自慢の話を聞いているうちに、ワイン一本はかんたんに終わってしまった。ほろよい気分になった。これではとても今日中に黒海までたどりつく自信はなかった。土産に二十五年ものコニャック二本もらった。辺りはもう薄暗くなっていた。夕焼けに映える広大な葡萄畑を通り、舗装のない道路まで歩いた。バスはもうなかった。そこへボルガが通り過ぎようとした。手を上げてみると、運よく止まってくれた。ボルガはきれいによく手入れされていた。おそらく個人の所有物ではないと思った。「Заберите
меня!(ひろってくれないか)」「Хорошо(どうぞ)」とても気品のある、落ち着いた感じの中年女性で、少し気後れした。たぶん、どこかの幹部にちがいない。次の町まで乗せてもらうことにした。
-ロシア語に魅せられて-(その2)(2002年11月20日) 紺碧の天空、そして水平線を見ると一面黒色の海、それが黒海であった。その日朝から快晴、昨夜は鳴り響く暴風雨で何度も夜中に起きた。黒海は嵐になると、容姿を変貌し、純粋の黒色となる。ノヴォロシイスク、それはモスクワから千キロ離れた美しい港町。埠頭に立ち手を上げると、一隻の小さなタグボ-トが近寄ってきた。「Куда
хочешь?(どこへ行きたいか)」「Проглука!(散歩)」 ケビン・コスナ-に似た若い船長に並んで小さなブリッジに立ち、果てしない海原をみつめた。ここの海岸には「マ-ラヤ・ゼムリャ」という第二次世界大戦当時の激戦地で有名な場所がある。それを沖合いから眺めてみると、とても小さな三角形の海岸であった。白兵戦には旧ソ連共産党書記長故L.I.ブレジネフが若き兵士として参加した。大型商船の波にゆれていると狭い食堂に招かれ、大きな氷の塊の入ったボルシチをご馳走してくれた。しばらくしてから、海水浴場の前で降ろされ、ポケットから未封のケント一箱渡した。ロシアはすでに夏期休暇に入り、砂浜のところどころに大きな図体の群れがころがっていた。緑色に塗られた掘っ建て小屋で遊覧船のチケットが売られていた。そこで陽射しを避け、クワスを注文すると、厚い濁ったグラスに溢れほど注いでくれた。少し生温かいが喉の渇きは癒すには十分であった。チケット売場からシ-トをかり、熱い砂の上に敷いて横たわり、原色の青空を眺めていると、全てを忘れることができた。坂の上の停車場で待つと、前方が丸く大きく突き出た昔田舎で見たバスが土煙をたてながらやってきた。ホテルの名は「ブリガンチ-ナ」、ブリガンチン型帆船のことである。ここが宿舎だ。ホテルからしばらく歩くと、森がある。そこにテ-ブルが点々と配置されていた。照明はほとんどなく、テ-ブルの上にある蝋燭だけがあたりを照らしていた。この地方はワインが美味しいことで知られている。それを一本、民族衣装を着た背の高い絶世の美女に注文した。少し離れた隣のテ-ブルでは結婚式を賑やかにやっていた。新婦はポルトガル系の血をひくらしく極端に鼻が高く、細長い顔をしていた。この地方は混血が多い。そのうち料理が次ぎ々へと運ばれてきた。結婚式のおすそ分けとウエ-トレスは説明した。案の定、酩酊したロシア人が数名をテ-ブルに騒がしく座ると、氏素性も尋ねず、民謡やコサックダンスを披露してくれた。まだ飲みたりなかったので、レストランが閉まると、森の中央にある地下室のバ-に入った。このバ-は地上には建物はない。樹木の中にすこし地面が盛り上がっているところが入口である。だからよく探さないと見つけることはできない。そこにさきほどの“絶世の美女”がまっていた。翌朝埠頭に行くと、黒海はいつもの姿に戻り、淡いスカイブル-であった。
-ロシア語に魅せられて-(その1)(2002年11月15日)- 「ラス、ドヴァ、トリ….、ラス、ドヴァ、トリ」とロシアの演出家の合図でNHKホ-ルの舞台で踊り子が練習していた。もう三十年ぐらい前のことである。その日、舞台がはねるとロシアバレエ団は都内の邸宅に招待された。待っていたのは元帝人社長未亡人の大屋まさこであった。宴たけなわ、会場が突然静寂になった。知らずにロシアの美人バレリ-ナとテ-ブルの料理を食べながらお喋りをしていると「静かに!」と唇の前に人差し指一本立て注意された。屋敷内の大ホ-ルに大勢の人が集まっていた。その中央は丸く大きな空間が自然とできあがっていた。一瞬照明が消えると、突如その中心に白いバレ-衣装の女性がスポットライトに現れた。低い背、寸胴、短足、突き出た腹、細い目、大きな口。大屋まさこであった。それをすらっと背の高いロシア人のバレ-ダンサ-が少し重そうにかかえると、両手で頭上に高く持ち上げた。そして「白鳥の湖」のクライマックスのシ-ンをまね、両手両足を広げ満足した笑みを見せポ-ズをとった。会場から大きな拍手が起きた。生前大屋まさこは世界の文化、とりわけソ連のバレ-団などを日本に連れてきては紹介し、日露交流には大きな貢献をしていた。文化は金にならない。それでこうした篤志家の存在は今でも貴重である。公演は毎日行われ、町から町へ、バスや列車で移動した。舞台の袖にはきまって同じ顔のファンが花束やなにかプレゼントをもって立っている。そして公演が終わると、夜の街中に食事などを招待していた。北海道の旭川に公演に出かけた時、当時はまだ蒸気機関車が走っていた。車窓から石炭の燃え滓が時々入ってきた。硬い木の客席に座り旅をしていると、車掌がロシア語で話し掛けてきた。そしてロシア人の隣にすわると、上手なロシア語で話し出した。そのうち自分の弁当やら、お菓子などをもってきた。楽しそうに和気藹々にやっていた。聞くと、十六歳までサハリンにいたらしい。敗戦でサハリンから引き揚げたのである。その時はまだ鉄のカ-テンがあった時代で北海道にロシア人は今のようにいることはなかった。バレ-団は総勢100名近かったと思う。バスを二台貸切り、深夜に移動することもあった。一度新幹線で移動中、岡山か神戸あたりで、客室に入ろうとしたロシア人が自動ドアの前に立ち、力まかせにドアを閉めようとしていた。どうして閉まらないのかと聞いてきたので、そのまま前に進めば自動的に閉まると言った。当時モスクワには自動ドアはなかった。これはずっと後になって理解したことだが、それにしてもロシア人は文化好きな民族だ。家の中には何もないのに、トルストイの全集やゴ-リキ-の全集があったりする。そうとう僻地にいっても、劇場はある。腹がすいても、バレ-やオペラを見ていると幸福になれる民族かもしれない。第二次世界大戦中、東部戦線で厳寒の冬、ソ連軍が追い詰められ、包囲された時、連合軍は武器や弾薬を援助補給したことがある。それでも戦線は好転せず、援助要請リストに記載されていたウオッカを大量に届けたら、突然士気が高揚し、膠着した戦線を打開したという話を聞いたことがある。当時の米軍マ-シャル将軍は「あいつらは、ウオッカさえ与えておけば何もいらない。信じられないことだ」と述懐している。
-夢は枯野をかけめぐる (2002年11月10日)
いつの世も時代は移りゆき、世代交代を繰り返し、少しずつ新しい時代となり、気がつくと何もかもすっかり変わっている。ロシアも大きく変貌し、新しい若い人々が社会の中心に踊り出ている。ちょっと知り合いのロシア語技術翻訳者が離婚とともに、ベロル-シに去った。もう六十歳ぐらいの年齢からしてそこの大地で眠るつもりだろう。かつて若い頃、技術翻訳も生活のためてがけたこともあるが、今はとんと縁がない。もう一人若い頃ロシアのダンチェンコ劇場バレイ団が来日した時、共に通訳をした仲の人がいる。今ス-パの店員をしている。ソ連崩壊後、対露貿易、経済文化交流していたあらゆる分野は激しい変化の波に襲われた。いまさら職業変えできる年齢でもないので、そこにしがみついてますます時代から取り残された階層になっている。流れに逆らい何事も執着すると、時に人格まで破綻し、生きる屍にもなる。今年はロシア人の履歴書がもう十件近くも届いた。みな求人である。日本の大学や企業にいる。モスクワから成田行きの飛行機は今日ロシア人で満席である。すごい数のロシア人が今日本で生活している。そしてロシア語技術翻訳者はますます窮地に陥る。ロシア語技術翻訳の時代は終わった。技術翻訳といっても皆若い頃には一端の大志をもっていた。生活の一時凌ぎとしてはじめ、とうとう還暦をむかえる年齢になっている。ソ連崩壊も大きな要因だろうが恵まれない人々である。ロシアはここにきて経済成長は落ち着いた発展をし、特に昨年9月11日のニュ-ヨ-クテロ事件後、政治戦略上も経済戦略上もかなり有利なポジションに立てるようになった。パラドックスだが米国ブッシュ政権が継続し、世界にテロの恐怖が続くかぎりロシア経済は堅調である。ところが先日のモスクワ劇場テロ事件は事態が足元まで及んでいることを証明した。この事件はプ-チン政権の今後を占う上で重要なポイントになるかもしれない。今年ロシアのGDP成長率は約4%だが、IMFの試算によると来年も大体この程度の経済成長を遂げる。たしかにロシアは安定経済成長期に入ったと言える。しかしそこには知り合いの顔はない。芥川龍之介の「枯野抄」を読んでいると、TBSテレビのバイク便が真夜中の二時に黒い革ジャンパ-姿で訪問した。ロシア人の出演番組の翻訳をしながら、ロシア語界から去った古い友人の遠い面影をおっていた。
-通訳者と翻訳者のアプロ-チ-通訳者と翻訳者のアプロ-チ(2002年8月2日)
前からこのことについて書こうと思っていた。というのは、ここでは翻訳教室を開いているが、翻訳を見るとその経歴が若干分かる。通訳者は意味を解釈する立場から翻訳している。したがって訳文はかなり分かりやすい日本文になる。ところが、翻訳者は文法を正確に把握すること、語義を厳密に定義すること、それに基づき翻訳をしている。そうなると日本語が少したどたどしくなる。読手は前者を好むだろうが、正確であるかは別問題である。何をもって正確であると言えるか、それは後々説明する。例えば「私は数学を勉強している」と「私は算数を勉強している」では同じようで意味が異なる。「私はコンピュ-タを操作している」と「私はパソコンを操作している」も意味が違う。この二例は意味そのものに若干の相違がある。「わたしは本を読んでいる」と「私は読書をしている」では、意味はほぼ同じだが、ニュアンスが異なる。意味を解釈する立場から、こうした文章を翻訳すると、全て同じになる。そこにある微妙なニュアンスの相違が表現されない。通訳とは話し言葉を扱う分野で、だいたいが手振り、身振り、さらに場の状況が通訳表現に加味される。それと話し言葉の特徴は断定的な表現を避けるのが一般的である。なぜなら、相手との直接コミュニケ-ションを前提としているからだ。相手に選択の余地を与えない、相互に逃げ場のない表現は日常会話ではしない。あるべく結論に曖昧さを残し、その場の関係を維持するように努める。ところが、文章となるとそうでなくてもよい。むしろそうあるべきではない。文章は書手の主張を明確にすればするほど、読み手はよく分かる。文章では会話における身振り、手振りの分までの表現しなければならない。そうなると、一つひとつ表現を明確に区別する必要がある。また外国語は全て日本語に翻訳できるという神話、幻想がある。元々民族誕生の場所も、歴史も、生活習慣も異なるもの同士では、どうしても一致しない部分があるのは当然のことである。そうした部分までよく分かる日本語に訳すと、だいたいが間違ってしまう。それと分かりやすい日本語とは何か、という問題もある。読解力の乏しい人が分かる日本語という意味なのだろうか。子供の表現力では多くの人は理解できない場合が多いだろう。つまり、誰もが分かる表現とは、その国民の理解水準に左右される。それが高ければ、豊かな難解な表現も、分かりやすいということになる。文字による記録性は昔ほど重要ではない。今はあらゆるメデイアで、発言であろうが、文章であろうが記録することができる。やはり、通訳と翻訳の最大相違は話し言葉と文章語ということになる。ただ言えることは、意味を解釈することは、どうしても主観が入る。人によって解釈が異なる余地がでてくる。これが通訳の最大の弱点である。正確に表現することには普遍性が求められる。誰が訳しても骨格は同じでなければならない。まさにそれが翻訳の長所である。もちろん、通訳も翻訳も各々役割分担がある。厳密で正確な表現が必要な場合は翻訳だろうし、日常の意思疎通は通訳の役割だろう。言葉の難しさは、各人その概念の定義がまちまちであることだ。科学などの専門分野ではそうした定義はきちんとできるが、その他の分野はそうはいかない。それと日々発展変化していることだ。
-ロシア人と賄賂-(2002年7月15日)
先日ワレリ-・ゲルギエフ(マリンスキ-劇場芸術監督、指揮者)のインタビュ-発言を翻訳した。これはNHK BS1で「"希望"を振る指揮者」の題名で7月6日(土)(夜10時)放送された。取材テ-プの長さは6時間余りもあるが、実際に使用されたのは、数十分である。せっかく厳密に翻訳してもデイレクタ-が分かりやすい日本語と映像編集の制約から次から々へと削除や変更していくと、なんだか身を削られる思いであった。最近気付いたことだが、"分かりやすさと簡潔さ"をモット-に翻訳を続けてきたが、よく見るとどの作者の文章も、みな同じになっていた。人には個性もあり、感覚も異なる。もちろん、文体も違う。言葉の意味とはおそらく、語意だけではなく、文体の中にも潜んでいることに気付いた。だから言葉を標準化し画一化すると、実用性はあるが、意味全体を正確に伝達できないかもしれない。異国文化を紹介する時、言うまでもないがその国の事情に明るくなくてはならない。しかし、もっと重要なことはその国が好きなことである。シ-ボルトがあれほど豊富な資料を収集し、あれほど日本について通暁していたことは、仕事上の立場よりも、おそらく彼は日本をこよなく愛していたせいだろう。ただの資料収集家であれば、これほど日本人はシ-ボルトに感動しないだろう。本題の賄賂について戻るが、もう昔の話だがロシアに駐在していた頃、当初はあらゆるトラブルを金銭で解決した。そうしたことを二三年繰り返していたが、結局ロシア人は心を開くことはなかった。ただ持ち上げられていただけで、尊敬されていたわけではなかった。尊敬しない人間には、誰も本当のことは言わない。そして思い切って金銭を使うことを止めてみると、最初は少しギクシャクしたが、本当にロシア社会に馴染むことができるようになった。それからは、仕事は無論のこと生活面でも揉め事はほとんどなくなった。別にロシア人に限ったことではなく、これは人にたいする接し方の問題である。画家がモデルに恋愛感情を抱くのは、対象により肉迫しようとするからである。ロシアを紹介するカメラのファインダ-の目にももっと愛情が欲しいものである。ちなみにロシアに賄賂が横行していたのは、ロマノフ王朝時代からである。なにしろ官僚制度のさかんな国であるから、ソ連時代も賄賂がはばをきかせていた。けれども、ロシアもグロ-バル化が進むと、この問題は急激に減少するかもしれない。
-町人翻訳家-(2002年4月31日)
先日フィリップ・フランツ・フォン・シ-ボルト(1796年~1866年)のフロ-ラ・ヤポニカ(日本植物図譜)について翻訳した。シ-ボルトが日本から膨大な資料を持ち出したことは知られるところである。だが何故、シ-ボルトとロシアは関係しているのだろうか、そう多くの人は疑問をいだくかもしれない。実はシ-ボルト死後、未亡人がシ-ボルトの膨大なコレクションを現在ロシアのV.L.コマロフ植物学研究所に売却した。ソ連時代このコレクションは長い間封印状態のままで、90年代に入りソ連が崩壊すると、その実体が明るみにでた。こうした経緯でシ-ボルトコレクションオリジナルが現在ロシアにある。当時シ-ボルトは長崎の出島で日本の動植物の収集をしていた。医師であり、植物学者であるシ-ボルトはそれを絵にして保管しようとした。その絵の大半を描いたのが川原慶賀(1786年~1862)であった。町人絵師である。 シ-ボルトはこの絵師に西洋画を多く見せ、西洋画法を習得させた。しかし彼の多くの作品を見ると、日本画伝統の技法と西洋画技法が見事に統一されているのが分かる。ヨ-ロッパでフロ-ラ・ヤポニカ出版の段になると、川原慶賀のオリジナル作品はほとんど西洋画家により改ざんされていた。オリジナルのままでは西洋人には理解されないと判断したためらしい。ところが150年以上たってそのオリジナルが発見され、その作品の芸術性に世間はあらためて驚かされる。現在川原慶賀の作品は多くの人間が研究し評価している。小説などにもなっている。依頼人の注文にあわせて絵を描く絵師がそこに自己の意思を挿入することは許されることではないが、慶賀の芸術的情念がそれを突き動かし、もう注文がこないかもしれない恐怖心さえ凌駕する。
シ-ボルトは彼に学術的植物画を求めるが、それが西洋学問で要求する学術図画に相応しくないとはいえ、一目見ると強い感動の衝撃を受けるのである。そうしたことからシ-ボルトは彼の絵画作品オリジナルをすべてオランダに持ち帰り、学術出版用には慶賀作品をもとに西洋画家にわざわざ模写させている。もし川原慶賀がシ-ボルトと出会わなければ、そしてそこで西洋画を見なければ、彼の才能はこれほどまでに開花しなかったかもしれない。シ-ボルトと出会ったからこそ、およそ150年間ものあいだ眠りにつき、一枚も紛失されることもなく外国の地下蔵で時代の光を待つことができたのかもしれない。もしシ-ボルトと会わなかったら、おそらく一介の町人絵師で生涯を終えていたことだろう。現実には当時でも慶賀は町人絵師としてはそこそこ評価されていたが、芸術家川原慶賀としては誰も評価することはなかった。
シ-ボルト帰国後、相変わらず町人絵師として絵の注文をとり生活を凌ぐのであるが、晩年どこでどのように生活し、死亡したか知られていない。ロシアの美術評論家T.チョルナヤの批評を翻訳したのが一介の町人翻訳家であるのも何かの巡り合わせかもしれない。
2002年ロシアの状況(2001年12月31日)
ロシア首相ミハイル・カシヤノフも、経済発展通商相ゲルマン・グレフも、その他のロシア首脳もこぞって2002年度ロシアの経済成長率(GDP)は約4%とかなり自信をもって予測している。当初はGDP伸率5~6%見込んでいたらしいが、どう見ても国際石油価格が来年1バレル平均18~19ドル維持できないと悲観的予測に傾き、4%前後と判断したらしい。この場合の国際石油価格は1バレル15~16ドルを前提としている。そして1%下げて下方修正したのだろう。こうしたことから伺えることは、ロシア経済において石油輸出の比重はかなり高いものであるが、実際現在ロシア経済の牽引車は内需であることが分かる。さらに経済成長の皮肉というか、昨年ロシア経済への外国からの直接投資は42億ドルで政府予定の四分の一にすぎなかった。これは視点を変えると、ロシア経済が外国の資本にあまり依存しないで成長していることを意味し、世界経済のリセッションの影響を強く受けにくい体質にもなっている。元来国力という点では資源は豊富である。石油も鉱物資源も無尽蔵にある。日本のようにシ-レ-ンを確保する必要はない。鎖国しても経済成長できる国なのである。
2002年ロシアはCIS諸国との経済協力関係をさらに強化するとともに、EUとの協力連携をさらに進めるだろう。国内においては軍備近代化を強力に推進するはずである。最近の情報から見ても、この十年間に見られなかったハイテンポで最新型兵器を開発している。当面世界の覇権は米国に譲り、軍事力を含めた国内インフラ整備に重点をおくはずである。しかしもっと注目すべき点がある。ロシアのインタ-ネットの普及である。ソ連時代国内には国営企業しか存在しなかったが、現在はその多くは民営化されている。そればかりではない。新しい型の企業が勃興している。こうした企業は経営者も若く、さらに旧財閥系でもない、新しいセンスの経営者群である。インタ-ネット普及のおかげで世界の産業情報が無料で瞬時に入手できる時代である。つまりあえて開発したり、製品を輸入したりせずにそうした情報をヒントに国内製造できるようになった。内需が伸びている原因もどうやらこのへんにあるらしい。つまり日常の商品であれば、外国産と遜色ないものも生産できる状態になっている。そして資源は全て国内調達できるのである。
日本との関係に少し触れると、ロシアのマスコミ論調を見るかぎり、日本経済にはほとんど期待していない。日本はロシアに対し経済カ-ドは最早切れないし、ロシアもそのことを十分承知している。むしろ日本のほうが自国の状態を国際社会がどう見ているか、自覚が足りないのかもしれない。日本は四島を返還すれば、その見返りに経済援助をするという戦略は時代の変化で最早全く機能しなくなった。第一にロシアは日本の経済援助を既に必要とはせず、自力により経済成長する自信を抱くようになった。第二に日本の700兆近い財政赤字はほぼ絶望的数値であり、他国には援助する能力がないばかりか、本当のところ援助されたほうも、こうした資金の信用性に疑いをもつはずである。第三に日本の資本は中国に向かって大きく流出している。日本の経済にとって中長期的戦略より、当面の利益、日銭が必要なところまで零落している。第四はいつものことだが、日露関係、というより日本人とロシア人にはまったく信頼関係がない。こうした点を考えただけでも、今年に日ロ関係に進展があるとはとうてい予想できない。もしかしたら、今年はロシア経済だけが堅調な成長を遂げるかもしれない。
若干ロシア語関係にも触れてみる。ロシア語業界では通訳の仕事、翻訳の仕事も今年は低調であった。おそらく来年もこの傾向は継続されるだろう。原因はいくつかあるが、一つは、日露経済交流はソ連時代の水準にさえ戻っていない。第二は昨今ロシア企業が英文を使用する傾向が出てきたこと。だがこれはいずれロシア語中心になるだろう。第三に国内にロシア人が多く滞在するようになり廉価で通訳、翻訳を引き受けるようになった。第四に相変わらず大手企業神話が横行し、大手企業から通訳・翻訳受注する習慣から脱却できていない。現在日露経済交流の主体は中小のベンチャ-企業に移行しつつある。しかしこれは全体から見れば小さな問題で、滅びる産業にはそれなりの歴史的必然性があるのかもしれない。だがロシア語の人気そのものは上昇している。
いずれにしても今年はかなり厳しく淘汰される一年になりそうだ。ソ連崩壊後の十年間を見ていると、結果的に言えることかもしれないが、やはり改革は一気に断行したほうが成功するようだ。ロシアは今その成功の果実をゆっくりと味わっている。日本は旧弊をなかなか絶てないので、敢えて言うと改革は成功しないかもしれない。昨日までロシア人を嘲笑っていた日本人がわが身をもってそれを体験することほど悲しいことはない。
2001年7月19日
今回のテ-マは小さいが、本質的には他の分野と共通するかもしれない。翻訳者にも二つのタイプがある。生活のためだけの翻訳者と文化性に価値をみる翻訳者である。価格競争は前者のタイプで発生する。生活のためというと、かなり聞こえはいいが、現代日本社会では少し意味が異なる。終戦直後であれば、これは生存権の問題として正当性がある。だが今日の日本では、全面的に否定できないとはいえ、これは生存権の問題ではなく、ただ個人の現状生活維持の強い欲求であり、生活レベルさえ落とせば、どうにでも生きられるのが今の日本である。だから生活のためというのは、自己の非社会性と身勝手な性分をあたかもミニマム生活者のみに許される聖なる表現“生活のため”と言って、自己の軽薄の人生をカモフラ-ジュしているにすぎない。会社にしても、給料さえ貰えばよいという社員は役に立たないだろう。何故なら会社の未来を考えないからだ。そして現在のあり方が会社未来の存亡を決定する。経済成長している時代、こうした社員を野放しにしてきた。これが今日経済破綻の一要因でもある。価格競争とは給料さえもらえばよいという社員と同じ根源である。どの部門でも生産原価を割る販売は長続きしないし、所詮成立しない。生産原価を割る価格でしか販売できない時、それはその部門の存在意義は無くなり、消滅する時である。けれでもそれは新たな商品を開発する時でもある。翻訳産業について言えば、新たなサ-ビスを模索提供する時なのである。旧来型の受注を大幅に縮小し、時代を先取りする商品を販売すべきである。さらに翻訳者とは元々パ-ソナリテイの世界に存在し、オンリワンなのである。いつの日か横並びになり、没個性となり、経済性だけに価値を見出すようになってしまった。それがまた価格競争に拍車をかけている。こうした翻訳はコンピュ-タにより駆逐され、人間が翻訳する時代は早い段階で終わるだろう。だが文化性の高い、オンリワン型の翻訳は大きな需要が見込めるだろう。何故ならコンピュ-タの翻訳には芸術性がないからである。現代人は機械が作る精巧で画一的な製品に疲れている。だから今後科学技術が発展すればするほど、人間性を求める動きは強まるはずである。もし時代の要請に応える翻訳者でありたいなら、十九世紀のロシア文学を読むといい。そこにヒントがある。これは文学の翻訳のことを言っているのではない。日常の生産と関係する翻訳のことを言っているのだ
ロシアの司法改革(2001年6月14日)
1年以上の前のことである。日本の漁船がオホ-ツク海で嵐のため遭難し、乗組員22名死亡するという痛ましい事件があった。あの海域は時化になると、逃げる入り江が少ないことで知られている。ある時、一通の損害賠償行政命令が沈没船を所有していたある水産会社に届けられた。その額はなんと約20億円。その根拠は、ロシア自然環境保護法であった。日曜日、事務所で書類整理していると、休みなのに珍しく電話が鳴った。それは弁護士からのものであった。もちろん、面識はない。法律の翻訳はできるか、そう聞いてきた。たまたま、ロシアの六法全集11巻が手元にあった。数年前、友人からいただいたものだ。それで引き受けることにした。この水産会社弁護団には、日本人弁護士3名、ロシア在住ロシア人弁護士2名、計5名の弁護団と代表翻訳者として私が加わった。もちろん、日本人弁護士にはロシア語の知識はないし、その上ロシアの法律事情に暗かった。さらに私自身も当初、こうした争いは不毛のように思えた。ある意味ではロシア社会を知りすぎているせいかもしれない。あのような官僚社会の中で民間人が、それも異国の民間人がロシア政府相手に訴訟を起こすことは無謀にしか映らなかった。訴訟はロシアの地方仲裁裁判所に持ち込まれた。約半年間の裁判審理の後、勝訴した。その間、様々な妨害はあったが、どうにか解決することができた。そして実感したことは、ロシアは変わったと思った。裁判を起こしても勝てる社会に変わったということだ。ソ連時代、無論のこと、建前こそ三権分立であったが、共産党の権力だけが法律であった。1民間人など、裁判所に行く前に対処された時代だ。ところが今は、地方裁判所がロシア政府の行政命令に異をとなえる決定を出せるようになった。ようやく普通の国になってきた。おそらくこの改革の10年間で裁判官の意識が大きく変わったことが大きな一因だろう。今後ロシアに進出しようとする日本企業は、過去の経験話を聞くより、現実を直視して、なにもかも新しい感覚でロシアとつき合うほうが、成功する可能性は高いだろう。そこで気がかりなのが、日本人のセンスである。まだ大統領に直訴すれば、ロシア社会は動くと判断していることだ。ソ連時代は共産党書記長に耳に入れれば、何もかも変わった。そうしたセンスがまだ、特にロシアをよく知っている専門家ほど多くもっている。そうした時代は終わったと、今回この裁判を通じて私自身が反省し、実感したことだ。
2001年6月10日
日露経済関係の発展にはいくつかの必然要因がある。その第一は日本側の事情によるものである。先ずますます深刻化する日本の経済状態である。100兆円近く公的資金を投入したにもかかわらず、今日の状況は再び景気後退局面に入りつつある。第二は対中関係である。米中、日中関係とも今後悪化しさえせよ、良好な関係にならない点である。ましてや現米国政権は中国を“仮想敵国”と見なしている。日本は同盟関係にあるので、この戦略に組み込まれることは明らかである。政治的には中国を孤立させる方向が試みられるだろう。この点では、ロシアは中国と“準同盟関係”にあるとはいえ、ロシア自身にとっても中国は潜在的脅威なのである。最近、ロシアは中国と敵対関係にあるインドに急接近している。さらに日本は中国を政治的に牽制し、中国に代わる経済パ-トナ-の見つけ出しは不可能とはいえ、そうした演出効果を模索する必要がある。日本の選択肢はきわめて狭い。ロシアはここ数年経済回復を見せているが、老朽化した大型設備刷新は避けて通ることはできない。石油、鉄鋼、化学、宇宙科学部門など、多くの分野で古い設備が使用されている。この意味ではロシアの市場は大きい。日本がこうした分野で最新設備輸出を目指すのは当然のことである。第三に、これは第二と関連していることだが、日本が“ロシアカ-ド”を握ることである。このカ-ドは対中にも、対米にも行使できる。このカ-ドをちらつかせることで、中国を軟化させる可能性がある。さらに米国も日本がこのカ-ドを持つことを期待しているはずである。何故なら米露関係は手詰まりだからである。第四は、これが経済関係発展要因の最大のものだが、日本がロシアを必要としている点である。これまで何度もロシア側が投資要請しても、日本側は前向きな回答を出すことはなかった。日本の経済界にとってロシアは魅力的投資対象ではなかったからだ。その原因はいくつもあるが、記憶に新しいのはソ連崩壊後の合弁会社設立ラッシュであり、それもことごとく失敗したことである。勿論、進出した日本側企業の姿勢やロシア側の無責任体質に問題があったことは事実だが、それよりもロシアという国家、民族にたいし無知に等しいことに起因しているように思われる。ロマノフ王朝、ソ連と数世紀にわたる官僚的無責任体質を理解しなかったことである。こうした体質は国家から一般国民まで染み込んでおり、一つの習慣、文化と言えるほどのものとなっている。では日ロ経済関係発展の障害となりうるものは何か。一つは日本経済界の体質が古いことである。目立つのは財界のリ-ダに老人が多いことである。問題はその意識構造である。おそらく新生ロシアの変化についていけないかもしれない。第二は日本に今、海外に投資する余力がないことである。はたして日本企業は自力でロシアに投資する力はあるだろうか。それがないとしても、政府がそれを支援する能力があるだろうか。ロシア政府は日本企業の輸出代金を保証できるだろうか。日本政府もロシア政府もその保証をできないのであれば、貿易が発展する根拠がなくなる。まして日本の民間銀行はそれどころではない。投資した金が利益を生み、確実に戻るのであれば、誰も投資に躊躇することはないだろう。だが現実はかなり失望させるものかもしれない。日ロ関係の今後のことを考慮すると、急激な進展よりも、堅実で着実なそれも経済戦略的枠組みを模索したほうがよいかもしれない。
2001年5月24日
もとよりプ-チンの信条は「強い国家」であり、ロシア民族の名誉回復であるから、ドイツ、米国が求める“改革”とは異なる。それは合理主義に立脚したナショナリズムであり、軍事大国である。経済再建は軍需産業を中心におしすすめるつもりである。全てを民需転換することが国益に合わない、そのことを理解したようだ。このことを米国と、特に国境の近いドイツが懸念している。それとロシアは新型宇宙ステ-ションを開発し、米国のNMD構想に対抗するかもしれない。IMFは当面、ロシアにたいし新たな融資を認めない意向である。ただここにきて、国際石油価格が1バ-レル30ドル近くにあるので、ロシアの国家収支はそれほど悪いとは思えない。現在、ロシアGDPの5%前後で推移している。大方のロシア人エコノミストの予測では、2001年度ロシアGDPは5%近いとふんでいる。このまま推移すれば、2000年度GDP7%、2001年度GDP5%となり、二年連続してロシア経済GDPは、5%近くキ-プすることになる。今年過去四ヶ月のインフレ率は9%であるが、今後低下すると予想され、年間を通じて14%以内におさまると見られている。こうしてみると、ロシア経済は回復基調にのり、プ-チン改革が順調のように思われる。これがおそらく、ドイツと米国を苛立たせているのであろう。実はIMFカ-ドがあまり有効ではなくなってきている。ロシアはIMF依存から徐々に脱却しつつある。ロシアが自力再建に成功すると、世界は再びあらたな火種をかかえることになる。だが日露政治関係の進展は望めないとしても、経済関係は次第に、それも大きく発展するはずである。年間GDP5%程度常に堅持できれば、もう立派な経済パ-トナの資格をもつことができる。
2001年5月17日
最近は翻訳依頼人が平然とよく値切ってくる。家具など調度品だと、仕上がりが目で見て分かるから、何をどれだけ値切られたかわかるが、翻訳の場合品質評価が一部の人間に限られ、客観性に乏しく、往々にして翻訳依頼人自身はどれも一様に評価してしまうことがある。当然のこと、依頼人の多くは外国語がよく分からない。分かっていても生半可である。横文字がきちんと並んでいれば、素人から見れば、どれも同じなのである。無論のこと、これは外国語に翻訳した場合である。ところで翻訳者という一種の職人が丹精こめ製作したものを値切っていいものなのか。そこで急浮上してきたのが翻訳ソフトである。それで翻訳者を駆逐できるかもしれない。しかし、翻訳ソフトを製作している人も職人であろうから、職人が職人を駆逐する皮肉となる。新しいテクノロジ-が古いものを追放するのは世の常だが、これは余りにも単純な構図にすぎない。20世紀マスプロダクションと規格化、画一化が生産を急激に伸ばした。ここにきてその限界に直面し、先進国では新たな思考の模索が始まっている。言語のデジタル化はそれを画一化することである。技術的に可能なことと、その行き先は別に考える必要がある。画一化とマスプロダクションはたしかに地球に一時富をもたらしたが、人間の精神、文化、自然を破壊したことも事実である。
2001年5月15日(飯塚)
遥かかなたの天空から日ロ関係を眺めると、広大なロシアの大地からまたまた一人、また一人、泥沼からロシア人が這い出てくる。その約50分の一、狭い窮屈な日本の泥沼にまた一人、また一人、日本人がはまりこんでいく。670兆の負債は禁治産者寸前の状態である。これも毎年最低30兆円増えていく。十年後には約1000兆円となり、今日本人の手元にある1000兆円近い預金とほぼ同額になる。そこで銀行預金はゼロになり、掛けでは何も買えなくなる。無論のこと、これは単調に推移した場合だが....。一方、ロシアは次第に回復しつつある。もしかしたら、信じられないことだが、十年後日本はロシアの人道支援をうけるかもしれない。この世に絶対ということはないのだから、そうした事が起きても不思議ではない。借金王国日本と病み上がりのロシアでは、どう見てもいなかる交渉もうまくいくはずもない。片方は朝から晩まで借金帳簿にくぎ付けであり、もう片方は病み上がりの半病人で朦朧とした精神状態にある。ロシアの経済成長率は今のところ4~5%だが、これが今年末まで維持されると、かなり自信を回復してくる。そうなると、日本に何の恩義も感じていないだろうから、領土交渉はますます高いものにつく。戦争に負けたせいもあるのだろうが、戦後の日本には外交というものがなかったのかもしれない。多額な支援をロシアにしているにもかかわらず、日本は目立った対露支援国となっていない。これも外交の不在かもしれないが、根底は日本人のロシア人観であり、ロシア人が嫌いだからである。この嫌いが曲者で、次元の低い、昔の田舎で見られた偏見の類にちかい。たしかに戦後、米国の対ソ戦略の影響もあるだろうが、そればかりではない。何世紀にわたる日本人の心底にある偏見と差別意識にもよる。隣人が貧乏人だからといって、つき合いを拒否してきた日本だが、自分が貧乏国になり、相手が豊かな国になったらどうするつもりなのか。このままいけば、後半世紀かかっても領土は返ってこないだろうし、後半世紀も日露間に平和条約がない状態がつづく。そろそろパッケ-ジ方式は見直す時期かもしれない。平和条約だけでも結んだほうがよい。そうでないと、日露間は永遠に戦争状態である。50年間も平和条約のない状態に何か意味を見出せるだろうか。これも本当のところ、優先順位が経済のせいだろう。ロシアと経済関係がなくても、今まで日本は痛くも痒くもなかった。そうした点から見ると、どちらでもよい国なのである。さらにロシア人の中に日本の経済支援を本当に期待している人間がはたして存在するのだろうか。所詮終戦直後の混乱期に乗じて手に入れた持ち主がれっきと存在する四島をロシアもいい加減、日本に一括ですっきりと返還したらどうだろうか。
2001年4月21日
最近、企業や翻訳会社から翻訳の問い合わせがある。気になることは、値引きと品性である。とにかく安く上げたいらしい。そこにあるのは文化性の欠落であり、翻訳という文化の蹂躙である。明治時代、祖先は多くの文化を翻訳を通して外国から取り入れた。翻訳には新鮮な臭いがあり、なにか尊いもののように感じられた。人々は翻訳により世界の文化、事情を知ることができたし、おおくの感動を覚えた。時代が変わり、人心が変わり、ナショナリテイを喪失した我々は、エコノミストにはなっただろうが、見識のない人間にもなった。唯一の価値観は経済性であり、それ以外の世界は見失ってしまった。コンピュ-タによる翻訳もちらほら聞こえてくるが、デジタル化できない世界もある。言葉には襞があり、琴線がある。誰しもどうやっても到達できない部分である。
すこし長くなるが引用紹介する。フランスの翻訳家ヴァレリ-・ラルボ-の言葉である。「翻訳家というものは人目につかいないものである。彼はいちばん最後の席に座っている。彼はいわば施物を以ってしか生活しない。彼は甘んじて最も下賎な職務、最も控えめな役割を果たしている。“他人のために奉仕する”ということが彼の標語である。彼は自己自身のために何物をも求めない。彼は自らの選んだ師に忠実であること、彼自身の知的人格を絶滅させるほどまでに忠実であることに、あらゆる彼の栄光を賭けている。しかも世人はこの如き人間を無視し、彼に対するあらゆる敬意を拒絶し、多くの場合、彼は翻訳紹介せんと欲したものを裏切ったといって非難する。それもはなはだしばしば何等の根拠なしに非難する場合にしか彼の名を挙げず、彼の仕事がわれわれを満足させたときでさえ彼を軽蔑して顧みない。このような態度は、自己犠牲、忍耐、仁愛、細心なる誠実さ、理解力、鋭敏なる精神、広汎なる知識、豊かにして迅速なる記憶力のごとき、最も貴重なる稟性、最も稀有なる美徳を軽蔑することである。すべて以上のような美徳や稟性は、最も優れた精神にもしばしば欠くところのものであり、また凡庸な人間には決してそれらが結合して見出されないものである。それゆえわれわれは堪能な、良心的な翻訳家のなかに、われわれが最高の人々のなかに認めて賞賛するところの、これらの完成した美徳の跡を辿り、それに対して公の敬意を払わなければならない」
ものつくりを軽視する風潮がある。あまりにも職人が少なくなった。翻訳も職人技と言えるかもしれない。それを機械で代替することは基本的に不可能である。それは言葉のジェニ-を無視した者だけが可能となる。そうやって最低限の伝達手段が確立し、突然意味が通じていないことに気づくが、もう手遅れである。待っているのは無機質の世界だ。
市場原理は職人を市場から締め出し、ロ-コストで文化性の低い多機能なものがチャンピョンになる。そんな世界で我々は生活しなければならないのか。もっと豊かな感受性をもてる日常でありたい。
2001年1月1日
ロシア2001年の見通し
“2000年末までに日露平和条約締結に全力を尽くす”というは約束は、“2000年末までに日露関係暗礁に乗り上げるために全力を尽くす”結果となった。こうしたことは多くのことを示唆している。日ロ関係は政治の演出舞台以外のなにものでもない、そうしたことをあらためて証明するかっこうとなった。俗な表現に言い換えれば、“パフォ-マンス外交”とでも言いたくなる。これについては、別の機会に論文で詳しく解明してみる。
さて、気になるのはロシアの2001年のGDPの予想である。2000年度は結局GDPは7.6%まで伸びた。予想外の大幅な増大である。ところが2001年度、ロシアGDPは失速する可能性があると言われている。しかし、さほど大きくGDPが下落するとも思われない。その根拠は、1998年8月経済危機後、ロシア政府の身を張っての努力にもかかわらず、外国人投資家はロシアの投資に関してはきわめて慎重となり、ほとんど魅力を感じないで、多くは米国IT関連株に集中した結果、ロシアへの投資は膨張加熱することはなかった。したがってただでさえ安い株価で、その上外人投資家がほとんど参加していないので、証券市場で株価が大幅に下落することはないだろう。昨年度、経済好調の主因は、高騰した石油輸出を中心とするものであった。それと住宅建設ラッシュを中心とする内需の拡大である。今年は当然、石油価格が調整局面に入るので、平均で1バ―レル当たり、20ドルから25ドル程度で推移するだろう。これでおそらくGDP2%程度下落する。現在のロシアで最大の弱点は、石油にかわる輸出産業がないことである。最も安直容易にできる方法は、兵器の輸出である。今年はロシアの兵器輸出ラッシュが起きると思われる。その理由の一つは、石油輸出高減少分を兵器輸出で補填することである。二つめは、プ-チン大統領の信念の問題がある。“強い国家”というのは、どう見ても“大国の復活”意味する。この意味で巨大で最新の軍需産業は欠かせない。
2001年度の政治局面については、プ-チン政権にたいしさほど大きな政敵が見当たらないし、それどころかプ-チン体制は安定局面に入るだろう。今後ロシアは内向きな政策をとるだろうから、外交面で西側諸国をぶつかることもありえうる。
総じて言える事は、2001年はロシアにとって、大切な時期である。1992年に始まった改革がロシアの国情に合わせた堅実なものとなり、はじめてロシア経済が二年連続でGDPを5%以上伸ばし確かな進展をするのか、それともこの十年間の試行錯誤をただ反復し、再び経済破綻と政治破局の道にはいるのか、全てはロシアのこの一年にかかっている。
10月11日
日露貿易の展望
ロシアのマクロ経済は2000年度、GDP約5.5%の伸びである。こうした成長は1999年後半から始まるのだが、この傾向は今日まで続いている。問題は2001年度である。来年度もしGDP5%以上の成長が現実のものとなれば、ロシア経済は本格的に回復基調にのる。石油価格だけでも、1バレ-ル20ドルあたりで推移すれば、こうした数値は達成可能であろう。ちなみに現在の石油価格は約30ドルあたりである。GDP成長の要因は内需の拡大、失業者数減少、所得増加など、石油価格高値以外にもあるが、二年連続してGDPが成長すれば、ロシア経済は安定状態に入ったと言える。これが確実なものともなれば、当然日露貿易にも反映されるはずである。先ず日本から輸出が大幅に伸びるはずである。日本企業はソ連時代の債務問題、最近では98年8月のロシア経済危機により、ロシアにたいし一般的に積極的に動くことに二の足を踏んでいる。それと“北方領土”という政治問題をかかえているので、ロシアにたいする投資には歯止めがかけられている。だが日本企業の状態はそう楽観できものではないし、こうした厳しい経済状態が続けば、経済が政治を突き動かすのは必至である。ロシアは現在残された唯一の巨大マケ-ットであるが、日本から見れば貿易空白地帯とも言える。プ-チン政権はかなり安定してきているので、これで来年度GDPが5%以上伸びると、事態は大きく変化する。日露貿易はもしかすると、来年がタ-ニングポイントとなるかもしれない。(T.I)
8月22日:意訳と誤訳
所詮翻訳に直訳も意訳もない。翻訳とは原著者の真意をできるだけ正確に読手に伝える作業だからである。意訳とは一語一語に訳さず、全体の意味の重点をおいて訳すことだろうし、直訳はその反対である。こうした区分が出てくる背景はおそらく外国語にたいする対応が一様でないせいもあるが、本質的には言語そのもにたいする把握の問題でもある。さらに伝達手段としての言語が完璧でないところにも原因がある。文字を媒介した言語形式だけでは全てを完全に表現することはできない。それはさておき意訳の大半は誤訳の場合が多い。一つの文章の中で知らない単語がいくつかあり、それで前後の関係で文意を把握する。それで意味が正確にとれる場合もあり、そうでない場合もある。こうしたことは日本語で考えてみるとよく分かる。日本語の文章を読んで意味の分からない単語が二三出現しただけでも、神経質な人でなくとも、その文章の意味に不安をおぼえるはずである。なぜなら、意味が分かっている日本語の単語でさえ、時に多く誤解している場合もあり、さらにその正確な概念定義となれば誰しもおぼつかなくなるからである。つまり単語を全て知っているからといって正しく意味を把握できるとは限らない。日本語でさえこうした条件に制約されるのであるから、ましてや外国語の場合、過剰に神経質になっても不思議でないはずだ。それに文法とイデイオムがある。こうしたことをきちんと修得していないと、意訳と言われても信用しかねる。では直訳ならばよいのかと言えば、そうもいかない。単語の意味は独立して存在しているわけではない。文を構成してその意味が自ずときまるものである。ですから単語と単語は相関関係にあるが、文全体とも相関関係にある。翻訳と言っても文章をあつかうこと、外国語に注目する以前に母国語である日本語を熟考してみると、思わぬヒントが眠っているかもしれない。(T.I)
8月20日 翻訳家の資質
翻訳家の資質として真っ先にあげると、謙虚と寡黙である。なんと現代という時代にそぐわないものかと思われるかもしれないが、これにはそれなりの根拠がある。謙虚ということは冷静に物事を見つめることができるるし、一歩退いて自己の翻訳をチェックすることもできる。昔から匠、腕のよい職人で饒舌なものはいない。自分をあまり誇示するような体質な人は翻訳家には向いていないようだ。正確だが味も素っ気もない翻訳をする人もいれば、不正確だがメリハリのある翻訳をする人もいる。それでも不正確は原著者の真意をとられていないことだろうから、これはよくない。できれば正確で味のある翻訳が最も好ましい。それと翻訳家の資質にもう一つ加えるとすれば、志向性だと思う。どんな志をもっているか、それにより翻訳に接する心構えがかわってくる。こうした分野はあまり現実的な見方をする人には向かないようだ。優れた翻訳ができるようになるまでには、どうしてもある程度の歳月は要求される。それは現実的思考だけでは乗り切れるものではない。少し現実から離れたところに身をおくような性格の人のほうがよい。とかく則結果を求める現代社会ではなかなか翻訳家も育ちにくい。最後に資質として最も重要と思われるのが、“楽しむ心”である。どんな世界でも、喜びとか楽しみを見出せないと、成功はないだろう。(T.I)
8月18日 ロシア語の現況
いつの間にか日本におけるロシア語は古典的、封建主義的遺物となってしまった。十九世紀のロシア文学の問題提起は宗教と封建的慣習の克服ではなかったのか。ロシア語学習者の数がここにきてふたたび減少傾向にある。現代の若者は実利主義的であるが、合理主義的でもある。しかしロマンチズムに乏しい。こうした状況に追い込まれた若者は悲惨ではあるが、若者には時代を看過する鋭い感覚がある。若者の澄んだ瞳に投影する現代社会は淀んだ退廃の構造かもしれない。閉塞状況下で大きな夢をもとうとすると、自己破綻だけがそこに待っている。ロシア語が夢を感じる言語として再生するためには、こうした閉塞状況を一掃する以外方法はない。小手先のことをしても何の回答も見出せないだろうし、何も解決しないだろう。この閉塞状況の本質を正確に把握し、認識する必要がある。我々からふたたび封建主義的体質が芽を吹き出し、保守主義に回帰しようとしている。ロシア語の世界は激しい改革が求められる。とりわけ意識改革である。けしてピラミッド社会を構築しようとしてはいけない。時代の雰囲気を吸収できる風通しのよいフィ-ルドにする必要がある。(T.I)
8月12日 露大統領の人物像
プ-チン大統領の人物像はどういうものか。たしか両親は独ソ戦中、レニングラ-ド攻防戦の体験している。戦後貧窮の中でしかも高齢出産で一人っ子である。レニングラ-ド大学法学部を主席で卒業している。その後、KGBに勤務し、東ドイツに赴任し、その崩壊を目の当たりにしている。柔道家でもある。物欲に乏しく、ストイックな性格である。そこで注目すべきは、ストイックな性格である。物欲、金銭欲、出世欲、名誉欲、性欲、食欲、こうしたものは人間臭さなのだろうが、これが少なくなればなるほど、いわゆる神の世界に近づいてゆき、カリスマ性が出てくる。レ-ニンもスタ-リンも、特にスタ-リンは凄惨な権力闘争は繰り返し、謀略には一切躊躇せず、権力を手中におさめた人物である。だがプ-チンにはこれまでの経歴からすると、権力闘争の痕跡がない。だとすると権力欲がないのかもしれない。予見できぬ運命が彼を大統領職に導いたとすると、神秘性と戦慄さえおぼえる。もちろん、冷静に見れば、それなりの根拠はある。エリツインはソ連邦を解体したが、引退後の身分保証と後継者問題ではおそらく長い間悩んだことだろう。何故にプ-チンを後継者に選択したのか、真相は不明だが、その理由の一つにストイックな性格も含まれていたにちがいない。プ-チンが本当に人間らしい欲望が希薄であるとすると、国家に貢献するとか、社会に貢献することが生きがいとなっているかもしれない。こうした人間が全権を握り、独裁者となると、理念を前面にだした国家作りが行われるにちがいない。大衆、一般国民には高く飛躍することを求めるだろう。高く飛躍できない庶民は厳しく監督されるはずである。それと彼の運命の強さを甘く考えてはならない。九月にプ-チンは訪日するが、日本は彼をエリツインの延長線上の人物と考えてはならない。彼は実務派、現実主義であるが、最大の特性は理想主義者である。(T.I)
8月11日 日本人の意識
日本人はロシアのことをあまりよく知らない。米国のこともよく知らないし、欧米社会を理解していない。日本人は国際社会に出るとき、最初のボタンを掛け違えたのかもしれない。人のことを定義するためには、自己という存在の定義は不可避的である。日本人を定義していくと、羞恥心と情けない気持ちに陥る。我々はあまりよく考えずに国際社会に船出してしまった。それも最早引き返すことのできないぐらい、遠くにきてしまった。我々は自己のことをきちんと定義できないで、ロシアのことを定義することはできない。日本にとってロシアは必要なのか、ロシアにとって日本は必要なのか、こうした問題提起は何の意味もない。せいぜい当面の問題提起としての意味はあるが、これではちょっと分かったような錯覚に陥るだけである。日本人は元来外国人は嫌いである。そうした日本人が突如外国人を好きになるの目の当たりにすると驚くばかりである。日本人がロシア人を嫌いなことはこうしたたぐいのことである。しかし日本人が外国人を嫌いであろうと、どうでもよいことである。日本人は自己のことを好きなのだろうか。自己を愛せない人には、本当の意味では他人を愛せないだろうが、ロシアとの関係が一世紀にもわたりぎくしゃくしているのも、こうしたことが真因なのかもしれない。(T.I)
8月9日 日本の対露政策
しかし日本は対露政策をどうするつもりだろうか。この五十年間、基本的に何も変わっていない。北方領土問題は未解決なまま今日にいたっている。ソ連時代であろうと、新生ロシアの時代であろうと、日露関係に大きな変化はない。最大の原因は、日露の経済関係にある。ロシアの資源を日本に導入するには、あまりにも条件が悪すぎる。現在サハリン大陸棚の石油開発がすすめられているが、これは日本で利用することができる。中国と比較すると、投資環境がよくない。工場建設コストが高いこと、それに労働力が少ない。人口の大半は西部に集中し、極東では潤沢な人材を確保しずらい、インフラ整備が不十分である。これは経済面から対露関係を見たものだが、問題は経済面からしか対露関係が成立しないことが今日の日露関係の本質なのである。つまり日本人にとって当面経済的メリットのない国との交流は二次的なものである。こうなると日本の外交を批判せざるえないが、本当の意味で長期的プランなどない。戦前も戦後も、日本の国力のなさを思い知らされる。常に経済第一主義で、そのための外交でもある。もちろん、経済は人間生活の根底であるから何人も否定できまい。しかし経済活動も人間生活の一部であることも事実である。もっと大きな視野にたって日露関係を冷静に凝視してみたらどうだろうか。これは日本人に今提起されている自己意識の独立性の問題でもある。(T.I)