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索引

対応する体のない完了体動詞

動詞の機能別定義

行為を数量的・時間的に表す方法 (一回の行為又は短さを表す動詞)

時間の長さ(継続性)又は反復性を意味する動詞

行為に特定の結果の意味のある動詞

体の用法


対応する体のない完了体動詞

 対応する体のない完了体動詞とは主に、接頭辞を付けると動詞の意味が変化し、又各々の理由により二次未完了相の形成が不可能である、接頭辞付き動詞のことである。語意の変化により、この接頭辞付き動詞は不完了体一次動詞に対応しない。例えば、動詞“pfrhbxfnm”の接頭辞“_pf_”は動作の始まりを意味するが、動詞“rhbxfnm”との語意の同一性はなく、又対応する体は形成されず、動詞“pfrhbxfnm”から二次未完了相化方法によっても対応する体を形成することはできない。この場合、動詞“pfrhbxfnm”は対応する体のない完了体動詞のままである。

 

対応する体のない完了体動詞には又、接尾辞“_ye2__fye_”又は接頭辞・接尾辞混合パタ−ンにより不完了体動詞から形成され、語意の異なる動詞も含まれる。例えば、動詞“rhbryenm”は、不完了体一次動詞“rhbxfnm”に対応する動詞ではない。それは、この動詞が一回行為の意味を固有にもっているからである。

 完了体動詞のこの意味からすると、動詞“rhbxfnmrhbryenm”は語意に同一性はなく、体は対応関係にない。

  動詞“cjcyenm”と“dplhtvyenm”は各々、動詞“cgfnm”と“lhtvfnm”と体が対応していない。これらの動詞には補足的意味“gjcgfnm- gjlhtvfnm ytvyjuj”があるからである。動詞“njkrfyenm(俗語)”には、一回行為の意味と豊かな表現性の意味がある。このことにより、多回動詞“njkrfnm”とは体の対応関係にはない。

 通常、対応する体のない完了体動詞の中には、二次未完了相化方法により、一時的に対応する不完了体動詞を形成することができるものがある。例えば、動詞“dphtdtnm”(dytpfgyj bplfnm htd)の場合、動詞“dphtpsdfnm”を形成することができる。

  動詞“ghjvjkxfnm!ghjvfkxbdfnm

  動詞“hfpdtctkbnmcz!hfpdtctkznmcz

 このことは、対応する体のない完了体動詞と対応する体のある完了体動詞との間に明確な区分が存在していないことを意味する。このことからして、対応する体のない完了体動詞の場合でも、未完了相化方法による、対応する体の形成が絶対に不可能であるとはいえない。このことは、きわめて多くの動詞において、二次未完了相化方法が不可能ではあるが、対応する不完了体動詞の形成方法として二次未完了相化方法には汎用性あると言える。

 

動詞の機能別定義

概説

  動詞の体の定義は、“動詞の機能別定義法”と呼ばれる、動詞の語意や文法的定義と密接に関係している。“動詞の機能別定義法”とは、これは動詞を語意と語形成により定義することで、ここでは時間的・数量的特性や特殊結果を生む特性に関し、接頭辞のない動詞(主に非派生動詞)の語意変化が形式的に表現される。

  例:行為の始まりの意味は、

    各々の接頭辞(pf_gj_dp_djp_)により表現することができる:

     pfujdjhbnmgjqnbdcrhbxfnmdjpujdjhbnm

    行為を時間的に制限する意味は、

    接頭辞(gj_ghj_gtht_)により表現される:

      gjcgfnmghjcgfnmgjkxfcf)、gthtpbvjdfnm

  

行為を時間的に制止する意味は、接頭辞(jn_)で表現される:

Jnujdjhbkf hjof pjkjnfz <thtpjdsv dtctksv zpsrjv
(金の木立は白樺の陽気な言葉で話を結んだ)

その他の動詞の機能別定義法は、行為の一回性(vbuyenm)や多回性([f;bdfnm)を区分するものや、行為の結果をニュアンス別に定義したりする:
   ljujdjhbnmlj rjywf);ljujdjhbnmczlj xtuj_kb,j

  

動詞を機能別に定義する場合、接頭辞、接尾辞、接尾辞・接尾辞混合等のフォルマント(接辞)が関係する。

 動詞の機能別定義と、体の定義とは密接に関係している。この中のあるグル−プは、対応する体のない不完了体動詞に関係し:

     多回行為動詞:[f;bdfnm

     断続的・弛緩的行為:gjghsubdfnm

     無制限の行為の継続性及び反復性を意味する一連の動詞;

 又他のグル−プは、完了体動詞に関係する:

(例:限定的:gjkt;fnm;一回行為:ghsuyenm)。

  対応する体のない完了体動詞の多くは、“動詞の機能別定義グル−プ”に属する。しかし、対応する体のないことを、動詞を機能別に定義する手段によってのみ、常に根拠とすることはできない。例えば、“行為の始まり”の意味の動詞の多くは、対応する体のない完了体動詞であるが、機能別定義に従えば、対応する体のある若干の動詞も含まれる場合もある(pfgtnmpfgtdfnmpfwdtcnbpfwdtnfnm)。動詞の機能別定義は、対応する体の形成能力からすると、様々にできる。

  動詞の機能は、各々最も共通している意味に基づき三つのグル−プに集約される:

1)行為の時間的経過の性質を明確にするもの;

    2)行為の数量的・時間的特性を明確にするもの;

    3)行為により達成された結果を明確にするもの;

 

これら全ての意味は、動詞に各々のフォルマント(接辞)を付接することにより、形式上表現される。第一グル−プは、行為の時間的表現方法(開始、制限、継続的・制限、終了)であり、第二グル−プは、さらに二つの小グル−プに区分される(第一小グル−プでは、行為が一回の行為又はその完了の簡潔性に関し明確にするもの、即ち一回行為の方法及び行為の減少・弛緩方法のことであり、又第二小グル−プでは、行為は無制限で継続性があり、何度も反復されるものとして扱われる。これは、行為の多回性、断続・弛緩性、継続・弛緩性、継続・反復性、随伴性、同時・集中性、継続・反復・相互性を表現するものである。第三グル−プに関係する動詞は、補足的に結果の達成のニュアンスを表現するものである。これは行為の結果達成の表現方法である。この中には、方向性、補完性、集中・結果達成性、累積・総和性、配分性の表現方法がある。

 

 動詞の時間的表現:

 “行為の始まり”意味の動詞(始動動詞)は、行為の開始を表現する。この意味には二通りある:

 “行為の開始、行為の初期段階”と、各々の段階に区分されず一連のものとし、行為の開始と継続が一体(行為の発生過程において結果の達成)の意味のものがある: 例:gjqnbdcrhbxfnm

  第一パタ−ンの場合、開始は継続性のある今後の行為への突入を意味している。このような動詞は常に、<yfxfnm ltkfnm xnj_kb,j>の意味で用いられる。

  例えば、pf[jlbnmyfxfnm [jlbnm”、pfujdjhbnmyfxfnm ujdjhbnm”。このタイプの動詞のフォルマント(接辞)は、接頭辞“pf_”である。これらの動詞は、語根に限界の意味のない不完了体自動詞から形成される。

 

注:唯一、他動詞に接頭辞“_pf”を付けて動詞を形成する場合がある: 
 Dtnth pfredshrfk le,jdst kbcnmzZ jcj,tyyj pfedf;fk Hzpfyjdf

  

このパタ−ンの動詞は、様々な語意の動詞から形成される:

 例:多方向運動動詞(不定動詞)の場合:pf[jlbnm(歩き始める)、pf,tufnm(走り始める)、pfktnfnm(飛び始める)、pfldbufnmcz(動き始める)

 

音響・発声の動詞の場合:

pfievtnm(ざわめき始める)、pfcnexfnm(打つ音を出し始める)、pfgtnm(歌

い始める)、pfujdjhbnm(話始める)、pfpdjybnm(鐘・鈴などが鳴り始める)、pfrhbxfnm(叫び始める);

 

多回性の動詞の場合:

pfghsufnm(跳び始める)、pfvbufnm(瞬き始める)、pfbrfnm(しゃっくりを始める)、pflthufnm(引っ張り始める)、pfrbdfnm(うなずき始める);

 

状態の動詞の場合:

pf,jktnm(病み始める、痛み始める)、pfcrexfnm(退屈し始める、淋しがり始める)、pfnjcrjdfnm(もの思いに沈み始める)、pfuehcnbnm(憂鬱になり始める);

 

その他の意味の動詞の場合:

pflj;lbnm(雨が降り出す)、pfwdtcnb((花が)咲き始める)、pfgskfnm(燃え上がり始める)、pflsvbnm(煙り始める)、pfcdtnbnm(光を発し始める)、pfhf,jnfnm(仕事をし始める:hf,jnfnmし始める)、pfltqcndjdfnm(行動し始める)(pfltqcndjdfkf gkfdbkmyfz kf,jhfnjhbz:製鉱試験場が機能を開始した);pfgkfrfnm(泣き出す)、pfhslfnm(大声で泣き始める)、pfifkbnm(ふざけ始める/子ども)、pfeks,fnmcz(微笑み始める)、pfcvtznmcz(笑い始める)

  第二パタ−ンには、語幹に限界の意味のある又はない自動詞及び他動詞と結合する、接頭辞“gj_”、“dp_”、“djp_”、“hfp_”、“dp_”と接尾辞“_cz”の付いた動詞が属する。

  最もはっきりとこの動詞の始動的性格を表すのが、接頭辞“gj_”の付いた動詞である:gjqnb(出かける)、gj,t;fnm(走り出す)、gjgksnm(泳ぎ始める)、gjt[fnm(乗り物で出かける)、gjktntnm(飛び立つ)、gjvxfnmcz(まっしぐらに駆け出す)、gjlenm(吹き始める)、gjntxm(流れ出す)、gjk.,bnm(好きになる、惚れる)、gjxedcndjdfnm(感じる、感知する);

 この意味の接頭辞“gj_”は、多方向運動の動詞(不定動詞)、音・音声の動詞とは結合しない。接頭辞“dp_”の付いた動詞は、強調と表現性を高める補足的ニュアンスをもっている。

 

 接頭辞“dp_”:

 音声の動詞と結合する場合:

dcrhbxfnm(大声で叫ぶ)、dphtdtnm(急にうなりだす、急に吠えだす)、dpdsnm(急に吠え出す、音を立てる);

 

 思考の動詞と結合する場合:

dplevfnm(急に思い立つ、考えつく);

 

 感情の動詞と結合する場合:

dpdjkyjdfnm(波立たせる、不安にする)、dcnhtdj;bnm(不安にする、心配させる);

 このような動詞はしばしば慣用句にみられる:

 Dcrhe;bnm ujkjde- yt dpdbltnm cdtne(のぼせ上がると、我を失う);

 

 接頭辞“dp_”と接尾辞“_cz”の付いた場合:dpf[fnmcz(ひどく嘆き始める)、dcgkfrfnmcz(口語:はげしく泣き出す)、dplehbnmcz(ばかなことをし始める)、dcnhtgtnfnmcz(体を震わせ始める):

 

 接頭辞“djp_”の付いた動詞には、古風、荘厳さのニュアンスがある。これは、情緒、感情の意味のある動詞から形成される:djpytujljdfnm(憤慨する、怒る)、djpytyfdbltnm(憎む)、djpk.,bnm(惚れる、好きになる);

 

感情の発露の場合:djphslfnm(はげしく泣く、慟哭する);

思考の場合 djpvtxnfnm(旧文:空想に耽る、夢想し始める);

叙法動詞の場合 djp;tkfnm(欲しくなる、したくなる)、

djc[jntnm(欲する、したいと思う);

 

音声の動詞の場合:djpuhtvtnm(旧文:雷鳴がとどろく)、djpujdjhbnm(言い出す、喋り始める);

具体的目的のある動詞の場合:djp;tnm(点火する:pf;txm

 

 接頭辞“hfp_”と接尾辞“‐cz”の付いた動詞には、始動の意味に加えて強調の意味がある。これらの動詞は、感情の発露の意味の動詞から形成される:hfccvtznmcz(げらげら笑い出す)、hfphslfnmcz(激しく泣き出す)、hfcgkfrfnmcz(泣き出す);状態の動詞の場合:hfccthlbnmcz(怒り出す);

 第二パタ−ンの動詞は、動作の開始とその後の動作の結合、動作の開始とその後の動作の一体性を表現する。この動詞は、“yfxfnm ltkfnm xnj_kb,j”の意味と置き換えることはできない。

注:若干のコンテキストによっては、このタイプの始動的意味を、接頭辞“pf_”の付いた動詞が表すこともある:Gtne[ dlheu pfrhbxfk b [kjgjnkbdj pf[kjgfk rhskmzvb(雄鳥は突然叫びだし、慌ただしく羽をばたばたさせた);

  

行為の開始の動詞は主に、対応する体のない完了体動詞である。この中の若干の動詞から、二次不完了体動詞が形成されうる。しかし、この造語方法は不規則で造語力に乏しい。それでも、接尾辞“bdf_df__f- ”を利用すると、若干の完了体始動動詞から同じ接頭辞の付いている、体の対応する不完了体始動動詞が形成される:

pfwdtcnbpfwdtnfnmpfgtnmpfgtdfnmpflenmpfledfnm
pf,jktnmpf,jktdfnm

Yf recnf[ pfwdtnftn rhs;jdybr- b dtpen rbhgbxb pf juhfljq
(潅木林にスグリの花が咲き始め、塀の外では煉瓦が運ばれている);

Jcnjhj;yj pfgtdfkb d gkfnfyf[ yf ,ekmdfht gnbws
(並木道のプラタナスで小鳥が警戒しながらさえずり始めていた);

Rfr njkmrj pfledfk dtnth c Djkub- 'njn xthysq ghf[ yfxbyfk rke,bnmcz
(ボルガ川から 風が吹き始めだすとこの黒い塵は舞い上がり始めた);

Jlbyht,tyjrpf,jktdfk- lheujq vju pf,jktnm
(一人(幼児)が病気にかかりだすと、他の幼児も病気にかかる可能性があった);

dphtdtnmdphtdsdfnm(急にうなり出す):

Yfrjytw- c flcrjq vhfxyjcnm. dphtdsdftn dlfkb gfhjdjp
(最後に、地獄のような陰鬱さで遠くで汽船の汽笛がなりだしている);

djp;txmdjp;bufnm(点火する):

Vs djp;buftv yfi ajyfhm djkit,ysq
(我々は、幻燈の灯をともし始めている)

 

接頭辞“gj_”のついた始動動詞からは二次不完了体動詞は形成されない。行為の限定動詞は、時間的限界、時間のひと区切りによって行為の制限を表現する。これらの動詞は、接頭辞“gj_”の付いた完了体の自動詞、他動詞から形成される。

 接頭辞“gj_”の付いた動詞は通常、短い時間に行為を限定する。

多方向の運動動詞(不定動詞)の場合:

gj[jlbnm(しばらく、ちょっと歩き回る)、gj,tufnmgjktnfnmgjgkfdfnmgjyjcbnm

 

移動の動詞の場合(多方向運動の動詞に近いもの):

gjuekznmgjikznmczgjakfybhjdfnm(しばらくあてもなく歩き回る);

何らかの仕事をしている意味の動詞の場合:gjxbnfnmgjibnm

 abkkbg lftn vyt gjghfdbnm kjiflmvb
 (フィリップは、しばらく私に馬の操りをさせてくれる);

 

音声の動詞の場合:

gjievtnm(しばらく、ちょっとざわめく)、gjxbhbrfnm(しばらくさえずる)、

gjujdjhbnm(ちょっと話をする);

 

存在の動詞の場合:

gj,snm(しばらくいる、すごす)、gjujcnbnm(しばらく(客として)・・のところにる);

 

空間における状態の動詞:

gjcnjznm(しばらく立っている)、gjcbltnm(しばらくすわっている)、gjkt;fnm(しばらく横になっている、しばらく横にして置いてある);

 

 時間的制限のある行為の動詞は、狭く限定した意味となりうる:
 Lj;lm gjrfgfk b ghjitk(雨がぽつぽつと降ったと思ったら止んだ)  

 

継続的制限のある動詞は、ある一定の時間継続した行為の終了を表現する。これらの動詞は、接頭辞“ghj_”付けて形成され、終了した行為は継続した時間に関係していることを意味している。通常文中において、これは(ljkujdtcm ltym等々)によって表現される。このような動詞は語幹に限界の意味のない動詞から形成される。

 

多方向運動の意味の動詞(不定動詞)の場合:

ghj[jlbnmdtcm ltym)((一日中)歩き回る)、ghj,tufnmldf xfcf)((二時間)走り回って過ごす)、ghjgkfdfnmljkuj)((長い間)泳ぐ);

 

存在の動詞の場合:

ghj;bnmdtcm dtr)((一生の間)暮らす)、ghj,snmldf lyz)((二日間)滞在する);

 

音声の動詞の場合:

ghjxbhbrfnmdtcm ltym)((一日中)ちゅちゅん鳴く);

 

空間における状態の動詞:

ghjcbltnmldf xfcf)((二時間)すわって過ごす)、

ghjkt;fnmlj dtxthf)((夕方迄)横になっている)

 

何らかに従事している意味の動詞の場合:

ghjhf,jnfnmnhb lyz)((三日間)働いて過ごす)、ghjxbnfnmlj nht[ xfcjd yjxb)((夜中の三時迄)読書する);状態の動詞:ghjcgfnmlj j,tlf)((昼まで)寝て過ごす)、ghj,jktnmlj dtcys)((春まで)病む);

 

 継続的制限のある動詞には、“一定の時間過ごす”意味のある接頭辞“gtht_”の付いた若干の動詞も含まれる。gthtpbvjdfnm(越冬する)、gthtyjxtdfnm(夜を過ごす、泊まる)、gthtlytdfnm(一日を過ごす)(口語);

  継続的制限の意味は又物理的、精神的状態の意味のある若干の動詞にも含まれている:

  動詞に時間的期間の意味のある場合:gtht,tljdfnmgtht;bnmdsytcnb)(耐える、我慢する)pbve(冬に耐えぬく)(口語)、gthtcbltnm ltym(口語)(一日すわっている);

 

 接頭辞“ghj_”、“gtht_”の付いた動詞から対応する体が形成することができるが、このような用法は希である:

Gjl ptvktq ghjcb;bdfkb yjxb lj enhf(地下は朝まで闇夜がつづいた);

Ghjujdfhbdfkb wtkst xfcs(何時間も語り合い続けた);

Jxtym xfcnj hfcnbntkmyst jhufybpvs gthtpbvjdsdf.n b hfpvyj;f.ncz
(植物はよく冬を耐え抜き、繁殖する)

 

 行為に限界をもたせるやり方又は終了させるやり方により、継続行為の停止を表現する動詞:行為はその途中において停止、遮断されるが、完全にし尽くされているわけではない(中断の意味)。

これらの動詞は、自動詞から形成される:

1)接頭辞“jn_”の場合:

  多方向運動(不定動詞)の動詞:

  jn]tplbnm(ある距離を乗り終える、乗物による往来をやめる)、

   jn[jlbnm(通うのを止める)、jn,tufnm(走り終わる)、

   jngkfdfnm(航海を終える、船を下りて陸に上がる);

 

 音声の動詞:jnievtnm(鳴りやむ、騒ぎが終わる);

   jnujdjhbnm(話を止める);

 

 状態の動詞:jn,jktnm(痛みが消える、痛くなくなる)、

   jnuhecnbnm(悲しまなくなる);

   Jnhtdyjdfd- jnvexbdibcm- jngkfrfd- Jyb eujvjyzncz b ghjcnzn
  (嫉妬をやめ、苦しみが通り過ぎ、泣き止むと、彼らは落ちつき、許すのである)

 

 何かに従事してる意味の場合:jnhf,jnfnm(仕事を終える)、jndjtdfnm(戦争を終える)、jngbnm(飲み終える)、jngtnm(歌い終わる、さえずりがやむ);

 

2)接頭辞“jn_”と接尾辞“_cz”の場合:

  jndjtdfnmcz(戦争を終わる)(口語)、

  jnhf,jnfnmcz(仕事をすます)(口語)、

  jnrhbxfnmcz(叫びを止める);

  行為を終結させる若干の動詞は、対応する体を形成する:

   jnwdtcnbjnwdtnfnm

  :fhrj====== gbjys jnwdtnf.n(暑い、、、シャクヤクの花はもう咲き終わっている);

 

  jnujhtnmjnujhfnm

  Gj;fhs jnujhfkb= Hfphsdjd ,jkmit yt cksiyj:火の手は消えかかっていた。破壊              音はもう聞こえなくなった。)    

 

行為を数量的・時間的に表す方法

一回の行為又は短さを表す動詞

  一回の行為を表す動詞は、一回又は瞬間に達成される行為を表現する。これらの動詞は、多くの同一行為に分割できる、反復性のある動詞の語幹に接尾辞“_ye2_を付ける方法により形成される。

ghsufnmghsuyenm(跳ぶ、跳びはねる)、vbufnmvbuyenm(瞬く、点滅する)、

brfnmbryenm(しゃっくりをする)、nhzcnbnhz[yenm(揺り動かす、揺さぶる)、
rjkjnmrjkmyenm(針でちくちく刺す)、gfkbnmgfkmyenm(射つ、一斉射撃する)、(口語);

  分割できない行為の意味のある動詞の語根に接尾辞“_ye2_を付けた動詞の多々ある:

  rhbxfnmrhbryenm(叫ぶ)、heufnmheuyenm(罵る、叱る)、

  geufnmgeuyenm(おどかす、びっくりさせる)(口語)

 

抽象的意味のある動詞に接尾辞“_ye2_が付いた場合、行為の一回性に加えて、表現が強調される。この場合、行為の瞬間性は消える:

cgtrekbhjdfnmcgtrekmyenm(投機する)、
rhbnbrjdfnmrhbnbryenm(批判する);

 

不完了体の運動の動詞のない動詞は、意味上一回行為の動詞に近い:

[ksyenm(どっと流れ出す・込む、さっと差し込む等)、

lhjuyenm(凍える、冷える)、hbyenmcz(突進する、没頭する)、

ht[yenmcz(気が狂う:cjqnb c evf(俗)

 

転義に用いた場合:

cnhtkmyenme,t;fnm”(さっと走り去る)(口語)

[kt,yenmujhz)(悲しみを味わう)(口語)

 

接尾辞“_fye_”の付いた俗語的意味のある動詞は、一回行為をさらに明瞭に表現する:

ljk,bnmljk,fyenm(強く打つ、押す)(俗語)
he,bnmhe,fyenm(俗語)(かっぱらう、盗む);

Cjkjvby gjlji/k===== lfdfyek vjkxf here rf;ljuj bp yb[
(サロ−ミンは近づき、黙って各々の手を握りしめて);

gcb[fyenm(気違いじみたことをする、精神異常者を装う)(俗語)
lhfgfyenm(あわてて退却する、遁走する);

 

若干のケ−スでは、語幹に限界の意味のない動詞に接頭辞“c_”を付けて、一回行為が表現される:

cukegbnm(ばかなことをする(言う)(口語)cjcnhbnm(しゃれを言う)、ckjdxbnm(要領よく(抜け目なく)立ち回る(きたない手段で))(俗語)chj,tnm(おじける、ひるむ)、cjpjhybxfnm(腕白なことをする、いたずらをする)、cjhbubyfkmybxfnm(風変わりなことをする(言う)、奇をてらう)(口)

  一回行為の動詞とは、対応する体のない完了体動詞のことである。

  

行為の減少・弛緩の意味のある動詞:

 行為の減少の意味のある動詞は、“行為を小さな力で、短時間少し”行うことを表現する動詞のことである。このような動詞は、接頭辞“ghb_dp_c_”と接尾辞“_ye2_を他動詞、自動詞に結合する方法で形成される。全てこれらの動詞は口語である。

接頭辞“ghb_”と接尾辞“_ye2_の付いた動詞:

ghbkuyenm(話に少しうそをまぜる)、ghbgeuyenm(〜を〜でちょっとおどす)、ghb[djhyenm(軽い病気にかかる、少し体調をくずす)、ghbdjkjryenmcz(少し機嫌を取る、ちょっと(女に)言い寄る)、ghbrjhyenm(ちょっともたれかかる、うとうとする);

 

接頭辞“dp_”と接尾辞“_ye_”の付いた動詞:

dplhtvyenm(ちょっとまどろむ、うとうとする)、
dcgkfryenm(ちょっと泣く、涙を流す)
dpuhecnyenm(軽い悲哀を覚える、しばらく悲しむ)、
dc[hfgyenm(一寝入りする)

Bdfy atljhjdbx jnghfdbkcz d cdj. rjvyfne- gj j,sryjdtyb. ytvyj;yj dc[hfgyenm

(イワン・フェドロ−ヴィッチは、例の如くちょっと一寝入りする為に自分の部屋に入った);

dpuhecnyenmcz(急に悲しくなる);

 

接頭辞“c_”と接尾辞“_ye2_の付いた動詞:

cjcyenm(しばらく眠る)、c,ht[yenm(ちょっとうそをつく、ちょっとでたらめを言う) c,jknyenm(うっかり喋ってしまう、口をすべらす)、cgjkcyenm(軽く洗う、ざっと洗う)、cnhe[yenm(少しぶちまける);

 

このパタ−ンには、接頭辞“ghj_”、“gj‐”、“gtht_”と接尾辞“_ye2_”の付いた動詞も含まれる:

ghjcnbhyenm(少量洗濯する)、gjptdyenm(ちょっとあくびをする):

vfkmxbr ,tcgtxyj b ckflrj gjptdyek(少年はのんびり、気分よさそうに軽いあくびをした)

gthtlj[yenm(ひと休みする、一息入れる):

vj;tn ,snm- ds e vtyz ytvyjuj gthtlj[ytnt gjckt ljhjub
(たぶん、貴方は旅の後で私のところでひと休みすることだろう);

 

注:接尾辞“_ye2”の付いた相互作用の意味のある再帰動詞にも行為の弱化の意味がある:
gthtvbuyenmcz(軽く互いに目くばせする)、gthtitgyenmcz(ちょっとひそひそ話をする)、
gthtrbdyenmcz(軽く会釈を交わす);

 

 縮小の意味のある全ての動詞は、対応する体のない完了体動詞である。 弱化の意味のある動詞には、原動詞の意味に行為の弱化、中庸性又は不完全性のニュアンスが付加される。これらの動詞は、原動詞に接頭辞“gj_gjl_ghb_又はgtht_”を付けて、接頭辞無し及び接尾辞付きの他動詞及び自動詞から形成される。

 

接頭辞のない動詞に接頭辞“gj_”を付けた動詞の場合:

gjtcnm(少し食べる)、gjgbnm(少し飲む)、gjuekznm(ちょっと散歩する)、gjujdjhbnm(ちょっと話す); 

Vs gjujdjhbkb tot ytvyjuj- b z clfkcz
(私たちは更に少し話し合った。そして私は譲歩した);

Jy vyt gjgtyzk pf jgjplfybt
(彼はわたしが遅れたことにたいし少し非難した);

"n.l ctqxfc ytcrjkmrj gjgjhxty(エチュ−ドは今では若干いたんでしまった);

:tyf vjz dplevfkf gjgeufnm vtyz
(家内は私を少しおどかそうと急に思った);

 

接頭辞の付いた動詞の場合は常に口語のニュアンスがある:

gjhfplevfnm(しばらく考える)gjjnkt;fnmcz(ちょと時を過ごす(横になって))、 gjecgjrjbnmcz(少し平静になる)、gjhfccrfpfnm(少し話す)、gjhfpvsckbnm(しばらく考える);

 

注:接頭辞“gj_”の付いた動詞は、減少・弛緩の意味では、限界の意味のある、同じ接頭辞のある動詞        との相違ははっきりしない。時々、両方の意味が混在する。

  例:Gjujdjhbkb ytvyjuj b hfpjikbcm(暫く話をすると解散した)

 

接頭辞のない動詞に接頭辞“gjl_”の付けた動詞:

gjlhfcnb(少し成長する)、gjlnfznm(少し解ける(雪や氷))、
gjlpfrecbnm(少しつまむ(食事))(口語)、
gjlctcnm(少し低下する(電気やエネルギ−)(口語)

vfuybnjajy d gjhzlrt- yj rf;tncz gjlctkb ,fnfhtb
(テ−プレコ−ダ自体は正常だが、電池が少し低下しているようだ);

gjlrhfcbnm(少し塗る)、gjlrktbnm(少し貼る)、
gjlpjkjnbnm(少し金メッキする)、gjl,jlhbnm(少し元気つける)、
gjlcjrhfnbnm(少し短くする)(口語);

 

この条件で接頭辞の付いた動詞にこの接頭辞つけた場合:

gjldsgbnm(ほろ酔いかげんになる)(口語)、gjlpf[vtktnm(少し酔う)(口語)、 gjlyfuyenmcz(少し折れ曲がる)(口語)、 gjlhfcctznmcz(少し気が晴れる)(口語);

Gjlpfhjckb recnbrfvb cdtnkst rjulf_nj gjkzys
(明るいかつての草地に潅木が少し茂っていた)。

 

  接頭辞“gj_”、“gjl_”の付いた動詞には、通常口語的又は俗語的ニュアンスがある。

接頭辞“gjl_”の付いた動詞から、不完了体を作ることができる:

gjlhfcnbgjlhfcnfnmgjlnfznmgjlnfbdfnmgjlcjrhfnbnmgjlcjrhfofnm

 接頭辞“gj_”の付いた動詞は、対応する体のない完了体動詞である。

 

接頭辞のない動詞に接頭辞“ghb_”の付いた動詞:

ghbneibnm((光・火を)弱くする)、ghbne[yenm(弱まる、衰える、消えかかる(光・火・電波等)、ghbvthryenm(少し暗くなる)、ghbgelhbnm(少し粉白粉をつける)、ghbvjhjpbnm(少し凍らせる)、ghbktxm(しばらく横になる)、ghbctcnm(ちょっと腰かける)、ghbdcnfnm(ちょっと腰をうかす)、ghbdzyenm(少ししおれる、しぼむ);

 

この条件で接頭辞の付いた動詞にこの接頭辞つけた場合:  

ghberhfcbnm(少し飾る)、ghbenb[yenm(少し静かになる);

 

若干の動詞では、二次不完了体動詞が形成される:

 ghbne[yenm ghbne[fnmghbdcnfnmghbdcnfdfnmghbrjdfnmghbrfgsdfnm

 

接頭辞のない動詞に接頭辞“gtht_”の付いた動詞:

gthtrehbnm(一服する、一休みする)(口語)、 gtht,bnmcz(途切れる、中断する)

 

動詞“gtht,snm”((しばらく)いる、滞在する、時を過ごす等)(俗語)、gthtujlbnm((...終わるのを)を待つ)(俗語)は、“弱化”の意味の他に、制限の意味がある:

Dctuj jcnfdfkjcm lj dtcys gtht,snm rfre._kb,j ytltk.; 
  (春までたった一週間ぐらいであった)

Gthtujlb ltymlheujq b gjtp;fq(一日待って、翌日にでも出かけなさい)

  (比較:gthtpbvjdfnmgthtyjxtdfnm);

 この意味で、接頭辞“gtht_”の付いた動詞は、対応する体のない完了体動詞である。

 

時間の長さ(継続性)又は反復性を意味する動詞

反復性の意味のある多回行為の動詞は、接尾辞“_bdf__df__f3_”を多方向運動、知覚、音声、存在、位置、空間における位置の変更、具体的物理行為等の意味のある若干の不完了体動詞の一連の限られた語幹に接続することにより形成される:

[f;bdfnmyfibdfnmtp;fnmtp;bdfnm)、 ,tubdfnm

Yfnfif ntv ,scnhsv ifujv- rjnjhsv jyf ,tubdfkf d ujhtkrb- gj,t;fkf
 gj pfkt d gthtly..(ナタ−シャは鬼ごっこで走り回っている時のような速い歩調で客間を    通り、玄関の間に走り出ていった);

 gtdfnmujdfhbdfnmcb;bdfnmkt;bdfnm;bdfnmdblsdfnmcks[bdfnm

 Gjkeahfxrb cibns d j,nz;re- yt nfr- rfr yfv d lthtdyt ibdfkb=
 (燕尾服は村で縫製するやり方と異なり、身体にぴったりとあったものであった)

 

現代ロシア語では、多回動詞は特に一般生活を表現する場合に利用されている:これらの表現方法は、又文体を古語調で表現する手段でもある:

 Yf ,fhbyf tlbyjuj lyz yt hf,fnsdfk(旦那の為には一日たりとも働かなかった); 

 Dc. djqye yt gkfrbdfk=(戦争中一度も泣かなかった) 

 

 多回行為の動詞は、主に過去形で用いられ、過去における多回反復性を表現する。多回動詞は又その他の 形態においても見られる:

 

 不定形:

Djn jy evtk tlfnm ,kbys(ほら彼はクレ−プを上手に食べることができた)

K.,bk- ,sdfkj- cb;bdfnm dtxthfvb d ghfdktybb rjk[jpf
(コルホ−ズの本部で毎晩腰かけているのが好きな時もあった);

 

 形動詞:

ahfywe;tyrf- ufobdfdifz e ryzubyb
(公爵夫人のところによく客にきていたフランス人女性);

Dczrbq- ;bdfdibq yf xthlfrf[(屋根裏部屋に棲んでいたあらゆるもの);

Vfndtq- d ne gjhe tot [f;bdfdibq yf hs,fkre
(その当時まだよく釣りに出かけたマトヴェイ);

 

 現在形:

Vtldtlb e djkrjd yt ufobdf.n(熊が狼のところに客に行くものか!);

Kbcs r pfqwfv yt [f;bdf.n(狐が兎のところに通うものか!);

 

動詞“,sdfnm”は、全ての形態で使用される:

<sdf.n ckexfb(それらはよくあることだ);

Ds ,eltnt e yfc ,sdfnm(あなたは、我々のところによく来るようになるでしょう);

<sdfqnt e yfc gjxfot(もっと頻繁に我々のところに来てください);

<sdf.obt e yfc ghjbcitcndbz(我々のところによく起こる事件)、

Lfdyj yt ,sdfdibq d wthrdb(教会にはだいぶ以前から訪れていない者);

 

 多回行為の動詞は、接尾辞“_bdf_”、“‐df_”により、接頭辞付きの不完了体の運動の動詞からも形成される(pf[jlbnmghjdjlbnmghbdjlbnm): 

 

 Ghjdf;bdfk gj ldjhe vjtuj rkbggthf
(中庭で私の駿馬をゆっくりと走らせていた);

 

Cnfhfz Vjycb[f ghbdf;bdfkf d pflybt rjvyfns ,f,_djhj;tq
(老いたモンシハは、女呪い師たちを奥の部屋によく連れてきていた。)

D vfcnthcre. pf[f;bdfkb vjhzrb(工場に船乗りがよく立ち寄った);

 過去形の多回行為の動詞で否定形の場合、表現が豊かになり強調の意味合いができてる:

J, 'njv jy b yt cks[bdfk(このことについて、彼は聞いたこともなかった);

"njuj ybrjulf b yt dblsdfkb(こんなことにはお目にかかったこともなかった);

 

行為の断続的・弱化の意味のある動詞:

  この動詞は、時間的に断続し、時々行われる、弱化した行為を意味する。これは不完了体動詞に接頭辞“gj_”と接尾辞“_bdf_”、“_df_”、“_f3_”を付けて形成される:

gj[f;bdfnm(ゆっくり歩き回る;時々通う);

gjcdbcnsdfnm(時々(軽く)口笛を吹く);gjujdfhbdfnm(時折口にする)

gjcvfnhbdfnm(時々見る);gjukzlsdfnm(時々見る);

gjiexbdfnm(時々(軽く)冗談を言う);gj[dfkbdfnm(時々ほめる)

gjgbdfnm(時々飲む、少しずつ飲む);gjnbhfnm(時々(軽く)こする)

これら上記の動詞はすべてに口語的ニュアンスがある。

継続的に行為が弱化する動詞:

 これらの動詞は継続的で弱化した行為を意味する。

 

 不完了体動詞の語幹に接尾辞“_bdf_”、“_df_”と接頭辞“gj_”、“ghb_”、“gjl_”、“gtht_”、“yf_”を付けて形成される:

gjkt;bdfnm(ちょっと横になって時を過ごす)、gjvfkrbdfnm(しばらく口をつぐんでいる)、ghbgf[bdfnm(少し臭う)、ghb[dfhsdfnm(軽い病気にかかる、少し体調をくずす)、gjliexbdfnm(少しからかう)、gjllhfpybdfnm(軽くからかう)、gjldjhjdsdfnm(ちょっと盗む)(全て口語);

Yf rjkjrjkmyt e;t gthtpdfybdfkb(鐘楼では鐘が何度もならされていた);

yfgtdfnm(低い・小さな声で歌う)、yfcdbcnsdfnm(静かに口笛を吹く);
yfrhfgsdfnm((雨)がぽつぽつ降る);

  

継続的多回行為の動詞:

  この動詞はゆっくり進む行為や、従事していることを表現する。これらの動詞は、接頭辞“hfp_”と接尾辞“_bdf_”、“_df_”と付けて、不完了体動詞から形成される:

hfplevsdfnm(熟考する、躊躇う)、hfcgtdfnm(歌をうたって過ごす);

Hf,jns nmvf- f jy hfcrehbdftn(仕事は山ほどあるのだが、彼はゆっくり煙草をすっている)(口語);

  

時には、様々な方向に行為が拡大するニュアンスを持つ:

hfc[f;bdfnm(ゆっくりと行ったり来たりする)、
hfpuekbdfnm(気の向くままにゆっくりとぶらつく);

  

随伴行為の動詞:

 この動詞は、行為が若干ゆっくりと進行しながら、他の行為を同時に行うことを意味する。これらの動詞は、接頭辞“ghb_”、“gjl_”と接尾辞“_bdf_”、“_df_”と付けて、不完了体動詞から形成される:

ghbotkrbdfnm(何かをしながら又は何かに合わせて音を出す);

ghbnjgsdfnm(何かの行為にたいし足拍子をとる)、

ghbujdfhbdfnm(...しながら、言う)、

ghbcdbcnsdfnm((歌・踊り・動作に合わせて)口笛をふく);

gjlgtdfnm(伴唱する)、gjllfrbdfnm(相づちをうつ)、

gjldsdfnm(まねて吠える);

これらの動詞は全て口語のニュアンスがある。

 

強意・反復の行為の動詞:

 この動詞は、行為を反復・独立させ、集中的(強意)に行うことを意味する。不完了体動詞に接頭辞“ds_”、“jn_”、“yf_”、“pf_”と接尾辞“_bdf_”、“_df_”を付けて形成され、口語のニュアンスをもっている:

dspdfybdfnm(長時間(熱心に)鐘を鳴らす)、

dsltksdfnm(一生懸命行う;細かく仕上げる)、dsgkzcsdfnm(熱心に踊る)、

yfpdfybdfnm((強く何回も続けて)ベルを鳴らす;方々に電話をかける);

yf[ktcnsdfnm((雨等が)叩きつけるように降る)、

jngkzcsdfnm(夢中で踊る)、jnrfksdfnm(威勢よく巧みに踊る)、

dsrfvfhbdfnm(意外なことを熱心にやる)、

yfzhbdfnm(夢中になって何かをやる);

  

反復・多回・相互作用の動詞:この動詞は、幾つかの主体により行われ、多くの行為から形成される行為を表現する。

接頭辞“gtht_”、小詞“_cz”、接尾辞“_bdf_”、“_df_”、“_f3_”を付けて形成される:

gthtujdfhbdfnmcz((短い)言葉を交わす)、

gthtcvtbdfnmcz(顔を見合わせ、互いに合図を送りながら、小声またはこっそりと笑う)、

gthtcnhtkbdfnmcz(撃ち合う)、gthtukzlsdfnmcz(顔を見合わせる)、    

gthtvbubdfnmcz(互いに目配せする)、gthtrjhznmcz(罵り合う、非難し合う)、gthtrkbrfnmcz(呼び合う、声をかけあう);

Lfvs gthtcskfkbcm pfgbcrfvb(夫人たちは、メモのやり取りをしていた);

 

 注:減少・弛緩の動詞、例えば動詞“gthtvbuyenmcz”(互いに目配せする)、“gthtitgyenmcz
   (ひそひそ声で囁き交わす)は、反復・多回・相互作用の動詞に意味上対応すると考えることが                      できる。共通の意味が“相互性”の場合、これらの動詞は一回限りで弱められた行為を表現する。

  上記の動詞に対応する体のない不完了体動詞のみが属する理由は、数量的・時間的意味の動詞グル−プの性質による。

 

行為に特定の結果の意味のある動詞

  一連の完了体動詞には、行為の結果の到達の意味に追加の意味が加わる。例えば、動詞“ljxbnfnm”の意味には、結果の到達の意味に行為の最終段階の完了の意味が加わる。この動詞は、行為の完遂の動詞と呼ばれている。行為に特定の結果の意味のある動詞のグル−プとは、不完了体一次動詞と対応する完了体動詞を切り離し、補足的意味を結果の達成の意味に加える動詞グル−プのことである。しかし、二次未完了相化の方法により、多くの場合これらの動詞は対応する体を形成することもできる。行為に特定の結果の意味のある動詞には、終止・完遂・強意・蓄積総和・分配の意味のある動詞が該当する。

 

  終止の意味のある動詞は、ある時間継続した行為の終了を意味する。これらの動詞は、接頭辞“ghj_”と付けて形成される。これは主に音声の動詞に関係する:

ghjujdjhbnmghjotgnfnmghjktgtnfnmghjxbhbrfnmghjuhtvtnmghj,bnmghjvbnmghj,bkb xfcs:時計が時を打ち終わった);ghjcnjyfnmghjdjhxfnmghj,ehxfnmghjcbuyfkbnmghjvjkxfnm

 

対応する体も形成できる:

Jy ghjujdfhbdfk dct 'nj ytj,sryjdtyyj ,scnhj- ukfpf tuj ,ke;lfkb
(彼は全てこれらを異常の早さで話し続け、その目を忙しくきょろきょろさせていた。)

Gj;fkeq- z ghjvfkxbdfk xfot- xtv ye;yj
(おそらく、私は必要以上に頻繁に黙り続けていた)

Byfxt ds ,eltnt njkmrj ghj,fknsdfnm cnb[b
(さもなければ、貴方はただ詩を喋り続けているだけだろう)

 

 注:完了体動詞“ghjujdjhbnm”は、継続した行為の終止の意味の点で、完了体動詞“crfpfnm”(対 
            応する不完了体動詞“ujdjhbnm”)と異なっている。

例:−Yte;tkb 'nj ghfdlf?(本当にこれは事実なのか)−crfpfk jy(と彼は言った)..−Lf!(そうよ)−pyfxbntkmyj- vtlktyyj ghjujdjhbkf jyf(と、きわめてゆっくりと彼女は言い切った);また行為の継続性の意味がない場合もある:−Lj pfdnhf!(明日また)−ghjujdjhbkf jyf b bcxtpfkf(と彼女を言うと、去ってしまった)

 

  行為の完遂の意味のある動詞:結果の到達の意味に“完遂”、“完了”、“最終段階迄行為の遂行”の意味が伴う。これらの動詞は、接頭辞“lj”を付けて形成される: ljtcnmljrehbnmlj;fhbnmlj;fnmljlevfnmljuekznm

  

若干の動詞では、コンテキストによっては、ある限界迄の行為の達成を意味する:

ljxbnfnm rybue lj rjywf(本を最後まで読む)b ljxbnfnm rybue lj cthtlbys(本を途中まで読み終わる);ljbuhfnm gmtce lj rjywf(芝居を終わりまでやる)b ljbuhfnm gmtce lj dnjhjq xfcnb(芝居を第二部迄終える);

完了体動詞から形成される若干の動詞は、行為の終了を基準の到達として表現する:

ljgjkexbnm(不足分を受けととる)、ljj,jheljdfnm(設備を補充する)、

ljregbnm(買い足す);

 

行為の完遂の動詞は、接頭辞なし及び接頭辞付きの不完了体動詞から形成される。時には、完了体動詞からも形成される(ljgjkexbnm)。対応する体は不完了体形成方法により規則的に形成される。

  結果の意味を強める強意の動詞は多くの場合、結果の完全性・完遂性、綿密性を表現し、時には強意と豊かな表現性が結合される場合もある。これらの意味は、若干の接頭辞によりもたらされ、場合によっては小詞“_cz”を付けるケ−スもある。各々の接頭辞は動詞に固有のニュアンスを付け加える。

  

接頭辞“ds_”の場合:集中的完了・完遂、綿密性の意味があり、他動詞から形成される:

ds,tkbnm(真っ白にする)、dscrhtcnb(すっかりきれいにする(掻き出す、削りだす))、dscnelbnm(すっかり冷やす);

 

自動詞の場合:

dsphtnm(完熟する、成熟する)、dscgtnmdscgtdfnm(熟しきる)(口語);

接頭辞“ds_”と接尾辞“_cz”の付いた動詞又は接尾辞“_cz”付き動詞(限界の意味のない自動詞):

dskt;fnmcz(長い間寝かされる:熟する)、dscgfnmcz(熟睡する)、dsrjkjcbnmcz(穂を出す)、dsbuhfnmcz(十分発酵する)(口語);

 

 完結性、以前の長い努力の最終完成、結果の到達(屡々否定的意味)の意味のある、接頭辞“lj_”と接尾辞“_cz”の付いた動詞:自動詞・他動詞から自動詞の意味で形成される。これらの動詞は全て口語のニュアンスがある:

ljrhbxfnmczrhbxfk- rhbxfk b ljrhbxfkcz:叫んで、叫んで、とうとう人を呼んだ);

ljcnexfnmcz(ノックをして応答を得る)、ljpyfnmcz(つきとめる;探り出す)、

ljrjgfnmcz(掘って...に達する)、lj;lfnmcz(..来るまで待つ);

ljujdjhbnmczlj xtuj_y)(話し合って...に達する)、

ljbuhfnmcz((遊びすぎて、不快な結果)を招く)、

ljghsufnmcz(軽率な行為による不快事を招く)、

lj,jknfnmcz(お喋りで不愉快な結果を招く)、

ljifkbnmcz(悪ふざけがすぎて不快な結果を招く);

  

 接頭辞“pf_”の付いた動詞は、他動詞から形成され、目的語を限界から出たある状態迄導くニュアンスのある、行為の完結、完了の意味がある。屡々結果の否定的ニュアンスがある:

pf,bnmrjuj xtv)(殴り殺す)、pfvjhbnmujkjljv)(餓死させる)(口語)、pfvexbnm(虐殺する)、pfujyznm(ひどく疲れさせる)、pfnjvbnm(へとへとに疲れさせる)、pf,fkjdfnm(甘やかしてだめにする)、pf,f.rfnm(子供を寝かしつける)

 

自動詞では、行為の完結性の意味は薄れる。この場合、結果の否定的ニュアンスはない:

pfgjntnm(ガラスなどが曇る)、pf,ehtnm(褐色になる)、pfuhe,tnm(皮膚などがざらざらになる)、pfndthltnm(凝固する)、pfukzywtdtnm(光沢・つやがでる)(pfukzywtdtdibt jn yjcrb gjkeievrb:着込んでつやのでた半毛皮外套);pfuybnm(腐敗する;堕落する)、pfke,tytnm(凍える)、pfle,tytnm(かじかむ)、pflhz[ktnm(老いぼれる);

  

接頭辞“pf_”と接尾辞“_cz”の付いた、強力に没頭する意味のある動詞:

pfujdjhbnmcz(話しに夢中になる)、pfuekznmcz(散歩に夢中になる)、pfcgfnmcz(ひどく寝すごす、寝坊する)、pfabkjcjacndjdfnmcz(空理空論を弄する、屁理屈をこねる);

  

行為に限界のある、完全性や強意の意味のある、接頭辞“bp_”の付いた動詞:他動詞の場合、行われた行為による変化の完結性の意味がある:

bpkjvfnm(すっかり折る・こわす)、bp,bnm(打ちのめす)、

bcnhtgfnm(使い古す・履き古す)、bcgbkbnm(鋸で挽きつくす)、

bcrhjibnm(細片にする・微塵にする);

時に多くの事物・者にたいする強い作用の意味もある:

bcrktdfnm(鳥が全部ついばむ)、bphfybnm(満身創痍にする);

自動詞の場合、主語の状態に変化の完結性の意味がある:

bpuybnm(すっかり腐る・朽ちる)、bpdtnifnm(老朽化する)、

bppz,yenm(すっかり凍える);

 

接頭辞“bp_”と接尾辞“_cz”の付いた場合:

bp,jktnmcz(苦しみで疲れはてる)(口語)、bpysnmcz(疲労困憊する)(俗語)、bpvfznmcz(疲れはてる)、bccnhflfnmcz(憔悴する);

 

綿密性・強調の意味のある接頭辞“yf_”の付いた動詞:

他動詞から形成した場合:

yfxbcnbnm(念入りに磨き上げる(靴))、yfukflbnm(念入りにアイロンをかける)(口語);

 

自動詞と結合すると、接頭辞“yf_”は、行為の充実性・徹底性を意味する:

yfghjrfpybxfnm(さんざんいたずらをする)、yf,tljrehbnm(さんざん悪さをする)、yfifkbnm(さんざんふざける);

 

接頭辞“yf_”と接尾辞“_cz”を付けると、行為の完全な満足又は満ち足りた状態の意味がでてくる:

yfxbnfnmcz(たくさん(心ゆくまで)読む)、yflbdbnmcz(すっかり驚く)、

yfcvjnhtnmcz(心ゆくまで見る)、yfckeifnmcz(心ゆくまで聞く)、

yftcnmcz(満腹する)、yfcvtznmcz(思う存分笑う)、

yfgkfrfnmcz(思う存分(さめざめと)泣く);yfhtpfnmcz(思う存分割る)、

yflhfnmcz(さんざん殴り合いの喧嘩をする)(俗語);

 

対象にたいする念入りな仕上げ・調整の意味のある、

接頭辞“jn_”の付いた動詞:

他動詞の場合:

jncnhjbnm(波長(ラジオ)を調整する)、jnkflbnm(整備(機器)する)、

jn,tkbnm(漂白する)、jnrjdfnm(鍛えて作る)、

jnhtgtnbhjdfnm(稽古(劇)して仕上げる)、jnhtuekbhjdfnm(調整・調節

する);

 

主体側で生ずる行為又は状態の完全の完了の意味のある自動詞の場合:

jnvzryenm(湿って柔らかくなる:完全に柔らかくなる);

 

接頭辞“jn_”と接尾辞“_cz”を付けると、主体側の行為の調整・綿密性の意味がでてきる:

jnkflbnmcz(よく調整される)、jncnhjbnmcz(波長(ラジオ)をよく調整する)、jnkt;fnmcz(熟する);

念入りに最後迄遂行された行為の意味のある、接頭辞“ghj_”の付いた動詞:

他動詞の場合:

ghjceibnm(すっかり乾かす)、ghjdfhbnm(十分煮る)、

ghj;f_hbnm(十分に焼き上げる);

 

自動詞の場合、上記の意味に加え、主体側の行為の満足性の意味がある:

ghjcgfnmcz(すっかり眠りしらふの状態になる)(口語)、

ghjrfikznmcz(咳払いをする)、ghjxb[fnmcz(くしゃみをしてさっぱりする)(口語)、

ghjlsifnmcz(何度か深呼吸する);

 

 行為の頻繁又は長期間の遂行の結果による慣れ・適応の意味のある、接頭辞“ghb_”と接尾辞“_cz”の付いた動詞:

自動詞・他動詞から形成され行為は主体側にのみ関係する:

ghbuhtnmcz(暖まる・住み慣れる)、ghb;bnmcz(住み慣れる・住みつく)、

ghby.[fnmcz(匂いに慣れる)(口語)、

ghbcvjnhtnmcz(何べんも見ているうちに慣れる)、ghbukzltnmcz(見慣れる)、

ghbnthgtnmcz((いやなものに)慣れる);

 

否定的ニュアンス:ghbtcnmcz(食べ飽きる)、 ghbvtkmrfnmcz(見飽きる);

完全性・集中性・強調性の意味のある、接頭辞“hfp_”の付いた動詞:

hfc[dfkbnm(ほめそやす・ほめちぎる)、hfcwtkjdfnm(強く何どもキスする);

 

屡々対象を通常の状態から逸脱させるニュアンスがある:

hfpj,bltnm(ひどく怒らせる・侮辱する)、

hfcnhtdj;bnm(ひどく不安にする、ひどく心配させる)、

hfcrjhvbnm((家畜を)肥育する・(十分餌を与えて)肥らせる);

 

自動詞の場合:hfcghjgfcnm(少しずつなくなる;消滅する);

接尾辞“_cz”の付いた場合:

hfcgbcfnmcz(書くことに夢中になる)(口語)、

hfpleibnmcz(自分にたっぷり香水をかける;強い芳香を放つ)、

hfpujdjhbnmcz(話しに夢中になる);

 

結果が完全に充実して達成される意味のある、接頭辞“e_”の付いた動詞:この動詞は、他動詞・自動詞から形成される:

egbnfnm(十分に肥育する・十分栄養を与える)、

ecf[fhbnm(こってり甘くする)(俗語);

egjvybnm(記憶にとどめる)(口語)、

eukzltnm(じっと見ていて、気づく・目にとまる)(俗語)、

e,kfujndjhbnm(すっかり満足させる);

 

 接頭辞“e_”と接尾辞“_cz”を付けると、主体側の継続行為の終結性の意味がでてくる:

ektxmcz(ゆったり横になってしまう)、ectcnmcz(ゆったり座りこむ)、

euhtnmcz(十分暖まりきる)(俗語)、

eujvjybnmcz(落ち着く・静かになる)(口語)、

e;bnmcz(生活になじむ・新しい生活環境に慣れる)、

edthyenmcz(..にくるまる)(口語);

主体による過去の集中的行為の結果、行為の続行が不可能の意味:

e,tufnmcz(走ってへとへとになる)(口語)、

eghsufnmcz(飛び跳ねてくたびれる)(口語)、evjhbnmcz(へとへとに疲れる);

 

  強意の不完了体動詞は、時間的、数量・時間的性質のある動詞グル−プより、規則的に形成される。場合によっては、不完了体の形成が、他の語根の動詞から行われることもある:ektnmczerkflsdfnmcz

 あるケ−スでは、不完了体の形成が形式上の性質から不可能の場合がある。これには、接尾辞“_jdf_”、“_cndjdf_”の付いた動詞が該当する。

 

行為に蓄積・総和の意味のある動詞:

 この動詞は結果の達成の意味の他に、行為によって一連の客体(又は複数の客体)を網羅する意味があり、行為による蓄積・全面的網羅又は消滅のニュアンスがある。これらの動詞は、他動詞・自動詞から形成される。これら動詞の形成に様々な接頭辞が関係する。

 

 行為に蓄積・総和の意味のある動詞には、二種類ある:

  蓄積の意味のあるグル−プ:

結果の達成の意味の他に、蓄積の意味がある

  総和の意味のあるグル−プ:

   何らかの行為により、網羅又は消滅の意味が表現される

 

1)“蓄積”グル−プの動詞:この動詞グル−プは“蓄積”を意味し、接頭辞     

  “yf_”を付けて形成される:

 a)客体又は行為の結果の蓄積:

yfgbkbnm((ある量を)鋸で挽いておく:例えば、薪にして蓄えておく)、

yfhdfnm((ある量を)摘む:例えば、花)、

yfcnhtkznm((ある量)射止める:〜pfqwtd(ウサギを数匹射止める))、

yfkjdbnm((ある量)捕獲する:〜hs,s(魚を大量に捕獲する))、

yfljbnm((ある量)搾乳する)、yfdfhbnm(たくさん煮(ボイル)て作る);

 

b)行為自体の程度の強化:

yf,tljrehbnm(さんざん悪さをする)、

yf,tpj,hfpybxfnm(さんざんみっともないことをする)、

yfukegbnm(さんざんばかげたことをする)、

yflsifnm(吐く息で空気が暖まる);

c)ある時間・距離の運動の意味(運動の動詞から形成される):

yf,tufnm(走りすぎて悪い結果を招く)、

yftplbnm(ある距離・時間、車に乗る)、

yfktnfnm(ある距離・時間を飛ぶ)、yfgkfdfnm(ある距離を航海する);

 

接頭辞付きの他動詞と結合すると、充満・充実の意味がでてくる:

yfc,bdfnm((ある量を)たたき落とす)、

yfc,bhfnm((少しずつ何回かに分けてある量を)集める)、

yfhfccrfpfnm(たくさん物語る)、

yfdslevsdfnm(あれやこれやと色々考え出す)(口語);

 

  1. “総和”グル−プの動詞:何らかの行為による全体的網羅又は消滅の意味がある。これらの動詞は、接頭辞“j,_”、“c_”、“ds_”、“bp_”を付けて形成される。 

接頭辞“c_”の付いた動詞:

j,ibnm(縫いつける・縫いくるむ)、

j,cnbhfnm((全員の洗濯物を)洗ってやる);

 運動の動詞の場合:

j,,tufnm((方々を)駆け足で回る)、j,kfpbnm(いたるところを這い回る);

 

接頭辞“c_”の付いた動詞:

ある行為による、“一掃・絶滅・消滅”の意味:

crjhvbnm(飼料として使い果たす)、cyjcbnm(着古す・履き減らす)、

cukjlfnm(かじって食べ尽くす);

 

接頭辞“ds_”の付いた動詞:

ある行為による、“一掃・絶滅・消滅”の意味:

ds,bnm(一掃する・追い出す)、ds;fnm(全部刈り取る)、

dsgjbnm(乳を飲ませて育て上げる);dshtpfnm(皆殺しにする);

運動の動詞の場合、行為による空間を埋め尽くす意味がでてくる:

ds[jlbnm(くまなく歩き回る);

 

接頭辞“bp_”の付いた動詞:ある行為による、“一掃・絶滅・消滅”の意味:

bcgbcfnm(書くのに..を使いはたす)、bccnhtkznm(銃砲弾を)使いはたす);

運動の動詞の場合、ある行為により全ての対象を網羅する意味がある:

bc[jlbnm(あちこち歩き回る)、bpkfpbnm(方々を這い回る);

 

 分配・配分の意味のある動詞:結果の達成の意味の他に、一連の客体に交互の及ぶ行為 又は一連の主体に起因する行為を意味する:これらの動詞は、接頭辞付き・接頭辞なしの他動詞・自動詞から形成され、接頭辞“gj_”と“gtht_”が使われる。

 

 接頭辞“gj_”の付いた動詞:ある行為による、幾つかの客体に交互の作用する意味がある。

接頭辞なしの他動詞の場合:

gjrecfnm(入れ替わり立ち替わり方々を噛む・刺す)、gjhe,bnm(めった切りにする)、gjrblfnm(めちゃくちゃ・次から次へと投げる)、gjcybvfnm(次々と取り外す)、gjltkfnm(次々と作る・行う)、gjibnm(次々に縫う)、gjvjhbnm(次々に殺す)(全て口語);

 

配分の意味は屡々特別の表現により強調される:

dct[ gjhe,bkb- gjrblfkb- gjrecfkb全てを次々とめった切りにし、投げつけ、噛んだ);
dc/ gjcybvfkb- gjltkfkb- gjibkb(全てを次々と取り外し、作り、縫った);

 

自動詞の場合:幾つかの主体が漸次交互に行為に参加する意味がある:

gjdzyenm(次々に萎れる)、gjgflfnm(次々に落ちる)、

gjujhtnm(次々に焼ける)、gjvthpyenm(次々に凍死する);

接頭辞“gtht_”の付いた動詞:ある行為による、幾つかの客体に交互に作用する意味がある。

接頭辞なしの他動詞の場合:

gtht,bnm(全て又は多数を次々に殺す)、

gtht,hfrjdfnm(全て又は多数を次々に不良品にする)、

gthtltkfnm(次々に作り直す)、gthtukjnfnm(全部・多数を次々呑み込む)、

gthtkjvfnm(全部・多数を次々こわす)、

gthtyevthjdfnm(全部・多数に次々番号を付ける);

 

運動の動詞の場合:

gthtyjcbnm(全部・多数を次々運ぶ)、

gthtdjlbnm(全員・多数を次々連れてくる)、

gthtrfnfnm(全部・多数を次々に転がす)、

gthtdjpbnm(全部・多数を乗り物等で次々輸送する);

 

自動詞の場合:幾つかの主体に起因する行為又はある行為により、一連の客体を網羅する意味がある:

gtht,jktnm(全部・多数がある病気にかかる;多くの病気に次々とかかる)、

gthtufcyenm(多くの灯が次々消える)、

gtht,sdfnm(全部・多数が次々にやってくる)、

gtht[djhfnm(多数・全員が次々に病気にかかる);

 

 分配の動詞は、完了体・不完了体の接頭辞付き動詞からも形成される。この場合、フォルマント(接辞)は、接頭辞“gj_”のみである。造語する場合、不完了体・完了体動詞から完了体動詞が形成される。

他動詞の場合:一連の客体にたいし、行為が順次(交互)に作用する意味がある(全て、口語又は俗語):

gjdsnjkrfnmgjdsnfkrbdfnm(次々に押し出す・つまみ出す);

gjds,bnmgjds,bdfnm(たくさん・全部を次々たたきこわす);

gjjnrhsnmgjjnrhsdfnm(全部・多数を次々にあける);

gje,bnmgje,bdfnm(全部・多数を次々に殺す)

Cnfhib[ csyjdtq gje,bkj yf djqyt:上の兄弟が次々と戦争で殺された)

Lkz xtuj hfp,jqybrfv d wthrjdm pflbhfnmcz

(何故に追い剥ぎどもが教会にいんねんをつける必要があるのだ?)..

 

cnjhj;tq gje,bdfnm(門番を次々に殺すためだ));

gjdsrblfnmgjdsrblsdfnm(全部・多数を次々にほうりだす)、

gjdsdthyenmgjdsdjhxbdfnm(全部・多数を次々にねじって抜く)、

gjdscghjcbnmgjdscghfibdfnm(次々にほじって聞き出す)

gjdsnfobnmgjdsnfcrbdfnm(全部・多数を次々に引っぱり出す)

Dtcm crfh, bp kfdrb gjdsnfofn:寝台から全てのがらくたを次々に引っぱり出してしまう。);

Dct kbiytt gjdsnfcrbdfkb−余分な物全て次々に引っぱり出していた;

 

自動詞の場合:

gjdcnfnmgjdcnfdfnm(全員・多数が次々に立ち上がる)、

gjdcrfrfnmgjdcrfrbdfnm(全員・多数が次々にさっと立ち上がる)、  

gjdsghsuyenmgjdsghsubdfnm(全員・多数が次々に飛びだす);

 

 分配(配分)の動詞は常に対応する体のない完了体動詞である。

 

体の用法

完了体・不完了体の文法上の意味は、コンテキストにより決定される。コンテキストとの関係において、体の用法パタ−ンは分類される。これらは、動詞の体により表現される、各々の状況パタ−ンに基づいて更にグル−プ分けされる。状況のパタ−ンには、下記の四つがある:

1.“単一の(反復のない)具体的行為”の状況パタ−ン:

  限界のある具体的完全な事実として完了体を用いて表現される具体的行為及び、限界のない具体的プロセスとして不完了体を用いて表現される具体的行為(広義の場合、行為の経過だけでなく、状態の継続性も表現する):

  例:Z djitk- cnfhbr xbnfk uptne d rhtckt
     
(私が入った時、老人は長椅子で新聞を読んでいた)   

完了体動詞のこの用法パタ−ンを、“具体的事実”の用法と言い、不完了体動詞のこの用法パタ−ンを“具体的プロセス”の用法と言う。

 

2.“反復行為”の状況パタ−ン:

  無制限の反復行為(不完了体)又特別の条件においては、他の類似の事実を表現する限界のある完全な事実として表現する反復行為(完了体):

Ght;lt z rf;lsq dtxth gthtl cyjv pf[jlbkf d gfgby rf,bytn....F ntgthm- rjulf yb pfqltim- nfv jy (嘗て、私は毎晩寝る前に父の書斎に立ち寄った..が今では何時立ち寄ろうが、彼はそこにいる)

  

このタイプの不完了体動詞の用法を“無制限・反復の用法”と言い、完了体動詞の場合は、“実物・実例的用法”と言う。

 

3.“不変の関係”の状況パタ−ン:

   不完了体動詞により表現される:

   Cevvf eukjd nhteujkmybrf hfdyztncz 180°= 
 
   (三角形の角の総和は、180°である)

 

4.“普遍的事実”の状況パタ−ン:

  不完了体により表現され、行為の事実そのものを一般的に指摘する:

  Ye- f ;tyoby- ltleirf- ;tyoby ds dcnhtxfkb k.,zob[
  
(ところで、おじいさん、あなたは愛情の深い女性に出会ったことがありますか)  

このパタ−ンによる表現の場合、強調されるのは行為の過程ではなく、行為の有限性や無限性、単一性や反復性(通常一回行為の場合でも)である。行為事実の有無そのものが重要であり、行為の性質とは関係なく行為を一般的に言及し、又は行為を簡潔に指摘する。不完了体のこの用法は、“普遍的事実の用法”と言う。

上記に掲げた体の用法とその各パタ−ンにより、文の前後関係と結合し、動詞の体により表現される意味が明らかにされる。例えば下記の文例のように、コンテキストにより決定される不完了体の用法の相違が明確にされる:

 

 (具体的プロセスの用法)

Jy xbnfk- rjulf z djitk (私が入った時、彼は読書をしていた)

 

(“無制限・反復”の用法)

Jy xbnfk gj dtxthfv (彼は毎晩読書をしていた)

 

(“普遍的事実”の用法)

  Ns xbnfk 'ne rybue?(おまえ、この本を読んだことあるか)

  −Xbnfk (読んだことがある)

 

 体の用法を規定するものとしては、コンテキストだけではなく、動詞の語意により、不変の関係を表現する不完了体の用法もある:

Jn 'gbxtcrjuj fdnjhcndf jnkbxftncz fdnjhcndj- rjnjhjt vj;yj yfpdfnm crfpjxysv

(叙事詩作家と、“童話作家”と呼べる作家とは異なる。)

 

不変の関係の表現において特徴的なことは、関係の意味のある動詞グル−プにこれら動詞が属していることにある。

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