ペイジ末↓

索引

動詞の体で表現される状況のパタ−ン

具体的プロセス(不完了体)及び具体的事実(完了体)の用法

反復行為の状況

“無制限・多回行為”(不完了体)の用法

実物・実例(完了体)の用法

不変の関係の状況

不変の関係の状況を表現する際の不完了体動詞の用法

普遍的事実の状況

一般化された事実の不完了体の用法

完了体及び不完了体の用法及び、そのパタ−ン

相のカテゴリ−

他動詞と自動詞

−他動詞と自動詞−

対挌補語を要求する動詞と対格補語を要求しない動詞の関係

 


 

動詞の体で表現される状況のパタ−ン
単一(非反復)の具体的行為の状況

具体的プロセス(不完了体)及び具体的事実(完了体)の用法

  不完了体用法の最も本質的な特徴は、過程中にある行為を表現する能力である。この特徴は、不完了体の文法的定義によるもので、即ち行為の限界を指摘できないことによるものである。行為は限界により制限されず、経過するプロセスとして表現される:

  「Ifh vtlktyyj gjlybvfkcz:球はゆっくり上昇していた」

 完了体は、経過中の行為を表現する場合には用いることができず、全面的かつ発展中のプロセスを表現することができず、それは限界のある“一面的”、集中的、完全なる事実を表現する:

  「Djndjn ifh gjlybvtnczJy e;t gjlyzkcz
  「今にも球が上昇しそうだ;球は既に上昇してしまった」

  完了体には行為の経過を表現する能力がないことにより、発話時点に経過している行為を完了体では表現できない:

  「Gjcvjnhb- ifh gjlybvftncz:見てごらん!球が上昇している」

 “始まり・終わり・継続等”の意味のある動詞との結合は、不完了体の不定形のみが可能である。この場合、プロセスの開始・継続・終了が表現される。具体的事実に関する体の用法と具体的プロセスに関する体の用法の場合、行為の有限性、行為の完結性の意味(完了体)と行為のプロセスの意味、即ち限界のない完結しないプロセスとしての行為(不完了体)の意味との間に明確な相違がある。不完了体を説明する際に用いられる特殊の概念の一つである、“プロセス”(過程)の概念は、文の一部として動詞に応じて用いられる“プロセス”という、いわゆる一般的概念とは区別する必要がある。

 “具体的事実”の用法は、完了体の基本的用法である。それは、コンテキストの様々な条件において実現される。又最小のコンテキストでも十分明らかにすることができる(「不拡大文も含まれる):

  Pfvjkxbnt!(黙っていろ)、Yfitk!(見つけた)、

  Ghbyzkb?(受け入れたか)」

  この用法の場合、コンテキスト中に状況の反復性(慣習性、典型性)を表現しなければ、その目的は達成できる。完了体によるこのような状況の表現は、特定の条件に限り可能であり、従って完了体は主に“具体的事実”の用法において用いられる。

 “具体的プロセス”の用法は、不完了体動詞の基本的用法の一つである。

  幾つもの完了体動詞の組み合わせは、事実の逐次性(連続性)を表現する際に用いられる:

  Fcnhtby vjkxf yfltk gfkmnj- dpzk ifgre b eitk
  (アストレインは黙って外套を着て、帽子をとり去った)

  幾つもの不完了体動詞を用いると通常、各々のプロセスの同時性が表現される:

  Jy hfljcyj- ghbcnfkmyj b dvtcnt c ntv hj,rj cvjnhtk yf d[jlbdie. b vtlktyyj ghbgjlybvfkcz= D ujcnbye. d[jlbkf Fyyf=彼は喜びながら、じっと見つめ、はみかみながら入ってきた女性を見て、ゆっくりと立ち上がった。客間にアンナが入ってきた。)

  行為の逐次性(連続性)と同時性の相違は、各体の文法的定義と関係する。完了体に固有である限界のある完結行為の意味とは、各々の行為を独立させ、区分することをさす。これは、最初に一つの事実がその行為の限界に到達し、その後二番目の事実が到来し、そそて三番目の事実がその代わりにやってくる意味である。このように、事実の逐次性(連続性)が表現されるが、又それにより出来事の連鎖の中で一つの事実から他の事実への移行も表現される。しかし、一連の不完了体の用法では、事情が変わる。一つの無制限で不完結のプロセスと他の同様のプロセスが結合すると、通常同時性の関係が生まれる。連続する不完了体では、出来事の時間的進行を表現することはできない。叙述文では、完了体は動的要素であり、不完了体は静的要素である。

 

 完了体動詞が逐次性(連続性)を、又不完了体動詞が同時性を常に表現するとは限らない。若干のケ−スでは、完了体により、コンテキストの意味上同時性のある幾つもの事実全体を表現することができる。このような用法は、特に“限定”の意味のある動詞と“始動”の意味のある動詞に特徴的なことである:

  Jyb gjcbltkb- gjujdjhbkb- gjcvtzkbcm
(かれらはちょっとすわり、ちょっと話し、ちょっと笑った);

  Dct pfievtkb- pfldbufkbcm- pfujdjhbkb
(全員騒ぎ、動き、喋り始めた);

 

  完了体の用法でも、結果の状態の同時性が表現される:

  Jy gjcnfhtk- hfcgjkytk b j,h.pu(彼は老け、太り、たるんだ体になった)  

 不完了体動詞も、逐次的(連続的)な行為の表現の際に用いることができる。現在形で過去のことを表現する場合(現在過去):

Ghb[j;e dxthf ljvjq- cf;ecm pf hf,jne- dlheu rnj_nj pdjybn
(昨日家に帰り、すわって仕事に取りかかると誰かが電話をしてきた)

(完了体過去でも表現できる:ghitk- ctk- gjpdjybk

反復行為を表現する場合、過去形で用いることができる:

Rf;lsq dtxth ghb[jlbk ljvjq- cflbkcz pf hf,jne...
(毎晩家に帰り、すわって仕事に取りかかった...)

異なる体の動詞を組み合わせることもできる。この場合、“プロセス”と“完結の事実”の様々な諸関係が表現される。

例えば、“プロセスと事実の到来”の場合:

Jlyf;ls dtcyj. j[jnybr ghj[jlbk djpkt ,thtpjdjuj ,jkjnf b dlheu ecks[fk uhjvrjt [kjgfymt rhskmtd (ある春の日、狩人は白樺の茂る沼の周りを歩いていると、突然翼の羽ばたく大きな音を聞いた)

 

“事実の到来とその後のプロセス”の場合:

Ghbdfkjd gjpljhjdfkcz c ltdeirjq b ytcrjkmrj vuyjdtybq cvjnhtk yf yt/eldktyysvb ukfpfvb(プリヴァロフは若い女性に挨拶をした。そして暫くの間、驚いた眼差しで彼女を見ていた)

 

補足的意味が加わることを特徴とする、体の特殊な用法が幾つかある。“具体的事実”の用法の場合、その特殊の用法とは、“可能性”、“完結性”、“限定された継続性”及び“総合性”の各用法である。“具体的プロセス”の用法の場合、その特殊の用法とは、“試行・努力・志向性”と“強調・継続性”の用法である。この完了体・不完了体の特殊用法の中、若干の用法は意味上対応している。

 “可能性”の特殊用法には、叙法的特徴がある(限界のある具体的完結の事実の意味に、行為の実行の可能性のニュアンスが加わる(否定文では、不可能の意味)):    

  Yflj,yj ,skj crfpfnm xnj_yb,elm b ntnrt- f xnj crf;tim
(叔母にも何か言う必要があったが、何を言ったらいいのか);

 

  単純未来形と不定形を用いて表現されるこのニュアンスは、完了体そのもによるものである。これを不完了体に代えることはできない。“具体的事実”の特殊用法に区分する規準となるものは、このような文と述語“vj;yjytdjpvj;yjdjpvj;yj”を含む文との意味上の関係である:

 Xnj crf;tim?(Xnj vj;yj crfpfnm)(何を言ったらよいか);

  Jlyjve yt gjlyznm- dbyjdfnj crfpfk cke;rf ujcnbybws- gjghj,jdfd dsnfobnm bp rb,bnrb zobr c gjlfhrfvb(一人じゃあ持ち上げられません、とおみやげの入ったケ−スを馬車から引きだそうとして、ホテルのボ−イはすまなそうに呟いた)(ytdjpvj;yj gjlyznm

  注:“可能性”の用法は、“実物・実例”の用法に基づき、 単一行為でない、反復行為を表現する際によく見られる。

  “試行・努力・志向性”の用法(具体的プロセス)の場合、不完了体動詞が用いられる。ここでは、具体的プロセスが目的の達成を目指す志向及び試行として表現される。それに続くコンテキストは、この試行の失敗又は成功を指摘する。

例:「FynbgfF pfntv veylbh cyzk- cke;,e ,hjcbk
   (でどうして制服を脱ぎ、勤務を放棄したのだ);

    NfhfrfyjdJ,]zcyzk z 'nj(これを説明しようとした);

FynbgfJ,]zcyzk- lf yt j,]zcybk(説明しようとしたが説明しなかった)

 例: E,bdfkb- lf yt e,bkb(殺そうとしたが、殺さなかった)

 

結果の達成への方向性は、結果の実際の達成を指摘することとも結合することができる:  

  Ljkuj ljujyzk b yfrjytw ljuyfk
(長いこと追いつこうと努め、とうとう追いついた);

 この用法の叙法的特徴は、未だ現実となっていない又は全く現実とならない結果の達成への志向にある。このタイプの文を理解するには、次のように語を結合してみるよくわかる:

gsnfkcz- ghj,jdfk j,]zcybnm(説明しようとした);

[jntkb- gsnfkbcm e,bnm(殺そうとした);

  

“具体的事実”の特殊用法の中には、実際の結果(完結)を表現するものがある。この用法の場合、過去形、形動詞及び副動詞も用いることができる:

  Ns- yfdthyj- jpz, d cdjb[ nfywtdfkmys[ neakz[
(おまえはおそらく、バレ−シュ−ズなので寒かったにちがいない);

 Ujhjlbot ,eltn pfnjgktyj(町は浸水するだろう);

 

Djn tot-gjlevfk Zrjd- hfpukzlsdfz eukjde. abuehe vjyf[f- ghbckjybdie.cz r cndjke ,thtps- bv ;t b gjcf;tyyjq

(ヤコブは、彼が植えた白樺の幹によりかかった修道士の骨ばった体をじっと見つめながら、「とんでもないことだ」と思った);

 

  Ghb;fd herb r uhelb- vfnm..cnjzkf e tuj gjcntkb(胸に両手をあてて、母は彼の寝床のそばに立っていた);

 

 “完結”の用法は、基本的には完了体動詞の特質による:

完全行為の有限性とは、行為の実行そのものではなく、行為の結果を強調するという前提に立っている。実際の結果を表現する為には、その原因となった行為が進行中のプロセスとしてではなく、完結した事実として表現される必要がある。

 

注1:不完了体動詞で“完結”の用法も行うことができる(希有のケ−ス)が、具体的プロセスにおい                         てではなく、普遍的事実の状況を表現する場合である:
Jy vyjujt dbltk(彼は多くのことを見てきた)

注2:“実際の事実”の表現は、通常時制との関係では、過去形機能の一つとも考えられている。

 

 “実際の結果”の意味が最もはっきりしているのは、完了体動詞の被動形動詞の場合である。上記に掲げたその他の形態の場合、これは単に用いることのできる機能の一つなのである。その機能が有効になるのは、コンテキスト、語意及び動詞の行為並びに対格補語の有無による。行為の実際の結果の表現は自動詞の大きな特徴である。

 下記に最も基本的な例文パタ−ンを掲げる。ここでは、過去形を用いて“実際の結果”の意味が表現されている。

 1)主体の物理的・心理的状態及びその外見の状態の確認:

  物体又は現象の状態の確認:

Xedcndjdfk z ct,t nfr- njxyj dct vecrks dscj[ks
(まさに全ての筋肉が衰えてしまったと、私は感じた);

Ob yf j,tl dfhbkfLf ntgthm e;- xfq- jcnskb- xenm ntgktymrbt(お昼のシチュ−を煮ていた。が今では、たぶん、ちょっと熱めのシチュ−もさめてしまったににがいない)

 

2)主体又はその外見の状態の確認:

   Rfrjdf Hfcrhfcytkfcm- ukfpf ,ktcnzn
  (どんな様子だった?顔を真っ赤にし、目が輝いていた)

3)何らかの有無又は消失の確認:

  F ;bdtv crexyj ve[b b nt dsdtkbcm

  (だが退屈な生活だ。蠅さえ消え失せてしまった) 

Cntrkzhec_nj dtcm jcsgfkcz- ybrelf yfrbljxrf- dsrbyenm
 (ビ−ズ玉さえとれてしまった。頭巾はもう使えない、捨ててしまえ!) 

 

 “完結”の用法の特徴は、動詞の形態がコンテキストの他の成分と結合しうることにある。例えば、この用法では、完了体動詞過去形が現在短語尾形の被動形動詞及び、長語尾・短語尾形容詞と結合する特徴がある:

Jy rhfcty b dcgjntk(彼は顔を赤らめ、汗だくになった);

Nthgtnm yt vjue GjkzycrjujNjkcnsq- j,h.pu- f rjulf [jlbn bkb nfywetn- otrb nhzcencz(ポリャンスキ−には我慢ならない。太ってぶよぶよだし、歩いているときやダンスをしていると、頬がふるえる);

<kbprj r ytdtcnrt cblbn Ybrbnf- yjdfz cbyzz gjlltdrf ehjlkbdj b cvtiyj dp]tfkf c ujh,f yf pfnskjr- tuj cbybt ukfpf ibhjrj hfcrhsns(兄嫁の近くにニキ−タはすわっている。新しい青い半コ−トが不自然に滑稽に背こぶから首筋にかけて持ち上がっており、彼の青い目は広く大きく開いていた);

 −F gjxtve ctyj yt e,hfyj b yfvjrkj
(何故干し草を取り入れないのか、湿っているのか)   

                

“完結”の用法で完了体の幾つかの過去形を結合すると、幾つかの状態(前の行為の各々の結果)に同時性の関係が生まれる:

{jlbn pf ytq- rfr ghbdtltybtBpvexbkcz dtcm- bc[elfk- gjxthytk(亡霊のように彼女の後を歩いて行く。すっかり疲労困憊し、やせこけ、真っ黒になっていた。)

 “実際の結果”の意味は、相対的に独立した単独の形態でしばしば表現される:−Z r yfhjlyjve fhnbcne Crelbye.−F_f=====Et[fk(私は、人民芸術家スクジンのところに、..とうとう、出かけてしまった)

 “完結”の用法は、一定の存続の結果を表現する動詞の特徴でもある。特にある状態に移行する意味のある自動詞にあてはまる:

dscj[yenmj,h.pyenmjpz,yenmjrhtgyenmjcnsnmgj,ktryenmgjxthytnmgjcnfhtnmcrbcyenmedzpyenm

 

行為の中に、主体の状態(例:完結、疲労、充満(過飽和)、前の強力な行為により引き起こされ状態)の指摘を含有している動詞:

bp,jktnmczbpujkjlfnmczbpvexbnmczbccnhflfnmczbcnjvbnmczpfkt;fnmcz- pfcbltnmcze,tufnmczerfxfnmcz

 

注:“完結”の用法は、単一状況だけではなく、反復状況も表現する場合にも使うことができる。例え         ば、反復行為の現在時制のコンテキストにおいて、完了体動詞過去形を利用する場合:

Bnfr- ,thtujdjq kjd yfvtnrj. ghjljk;ftncz dtcyjq njkmrj lj nt[ gjh- gjrelf htrf yt dsikf bp ,thtujd(斯くして、沿岸漁は川が氾濫しない限り、たも網をつかい春に続けられている) 

Nfkfyn b ,tplfhyjcnm yt e;bdf.nczNfv- ult djcnjh;tcndjdfk nfkfyn- ,tplfhyjcnb ltkfnm ytxtuj(才能と無能は両立しない。才能が勝利するところでは、無能のなすべきことはない)

  

 しかしながら、“完結”の用法は、基本的には単一で反復しない状況の表現する際に用いられる。従って、この機能は、“具体的事実”の用法の特殊なタイプと考えるほうが妥当である。

 “具体的事実”の用法の特殊なタイプの中に、“総和”の用法がある:

<ekfnNeufyjdcrbq gjcnexfk nhb hfpf rjhjnrj b htibntkmyj
(ブ−ラト・トウガノフスキ−は、三度短く、はっきりと叩いた) 

 

行為を限定する(正確なまたは大体の)回数は、“ldf hfpfnhb;lshfp gznmytcrjkmrj hfp”等の語句を用いて表現される。完了体の形態自体は限定した回数を表現するものではなく、それは単一の具体的事実を表現する。

  不完了体動詞もまた行為の回数の表現と結び付くことができる:

tuj ldf;ls edjkmyzkb(彼は二度ほど首になったことがある)。しかしながら、このような場合、不完了体は“具体的プロセス”の用法としてではなく、“普遍的事実”の用法として機能している。   

 “具体的プロセス”に関する不完了体動詞の用法の特殊なタイプの中に、“強調・継続”の用法がある。これは、行為又は状態の継続性に関するもので、“ljkujdc. yjxmwtksq vtczw”等により明確に表現される:

  Jyf ljkuj yt ldbufkfcm(彼女は長い間動かなかった);

  Djn vs jn 'njq cjgrb- pyfxbn- gjgksdtv- ,eltv gksnm dtcm ltym
(さあ、我々はこの丘から、じゃあ泳ぎ始めましょう、一日中泳ぎましょう);

 

 完了体は通常、継続の表現とは結合しない。この結合が唯一可能の場合、継続・制限及び制限の意味のある動詞を用いる時だけである:

   ljkuj ghjkt;fk:長い間横になっていた

   wtksq vtczw ghj,jktk:丸一月間病気した

gznm vbyen gjcbltk:五分間すわっていた

 

   これは、“具体的事実”の用法における特殊なタイプの中の、“強調・継続”の用法である。ここでは、時間で制限される具体的完結の事実が表現される。

注:若干の完了体動詞は継続の表現と結合できる。しかし、これは希のケ−スで、例えば、否定の未来        形などがある: Z ntgthm ljkujwtksq vtczwdfc yt edb;e

  

反復行為の状況

無制限・多回行為(不完了体)の用法

実物・実例(完了体)の用法

  反復の状況を表現する場合、主に不完了体が用いられる。不完了体に固有である、行為に限界のないという文法的定義により不完了体は、行為の無制限の反復性を自由に表現することができる。“無制限・多回”の用法は“具体的・プロセス”の用法と並んで、不完了体動詞の基本的用法の一つである。

  条件によっては、行為の反復性の表現は、不完了体にのみ限られる。過去形の用法がこれに該当する:

Tckb <thbycrbq cbkmyj ujhzxbkcz b pfrfikbdfkcz- Uthwty ujdjhbk rfre._yb,elm jcnhjne- rjnjhfz cvtibkf <tkbycrjuj b lheub[(ベリンスキ−がひどく興奮し、咳き込んでいると、ゲルツエンはベリンスキ−やその他の者を笑わせる何らかの洒落をとばしていたものだ)

注:“実物・実例”(完了体過去)の用法で反復行為を表現できるケ−スは、きわめて希である。例え          ば、条件構文で過去のことを表現する場合:
  <sdfkj- yf Kbcmb[ Zvrf[ c ujks[ rekfrjd yfxbyfkjcmGthdsv jy c ,fnj;rf yt yfxbyfk chjle- yj tckb rnj yfxfk- jndtxfk ntv ;t cgjcj,jv b yt vtirfz.(キツネの巣穴では、素手の喧嘩がよく行われていた。誰も一度たりとも自分から棒を使って喧嘩をしたものはいなかった。もし誰かがやれば、すかさず同じやり方でお返しをしたものだ)

 

完結の意味を表現する場合:
Jy regbk vjnjwbrk b ntgthm etp;fk yf hf,jne yf vjnjwbrkt- f gjnjv- yfdthyj- ujyzk gj ujhjle bkb lf;t pf ujhjljv- gjnjve xnj ghbtp;fk- rjulf dct e;t lfdyj dthyekbcm c hf,jns(彼はオ−トバイを買い、それで職場に出かけたが、その後たぶん、町を走り、もしかしたら郊外迄のり回しいたのだろう。なぜなら、全員がもうとっくに職場から帰った時に彼が到着したのだから)

 

 不完了体を用いて行為の反復性を表現する場合、通常コンテキストの方法が用いられる。又反復性の意味は、動詞の行為の意味によっても表現できる。下記の文例はその結合例である:

   例:F gjxtve ds cnfkb nfr htlrj ,sdfnm e yfc  
     (どうしてあなたは、めったにしか来なくなったのですか)

 

  若干の不完了体二次動詞は、主に又はもっぱら反復行為の表現に利用される。このような場合、反復性の表現に動詞の語意が加わる:

Z yt pyfk- ult b xtv gjj,tlf. e;t ctujlyz- ult b rfr ghjdtle yjxm<elen gjgflfnmcz ytdtljvst lthtdyb- yj dtlm ybrnj yt ;ltn vtyz nfv(わたしは、すでに今日、どこで何の食事をし、どこでどうやって夜を過ごすのか知らなかった。何度と無く見知らぬ村にでっくわすだろうが、そこでは誰もわたしを待っているはずもない)

  

反復状況を表現する場合の完了体の用法は、“実物・実例”の用法である。この場合、反復行為の一つが抽出され、他の類似行為に関する実物描写として一種の実例となる限界のある完結行為として表現される。

 例:<sr- jy dtlm dctulf nfrcyfxfkf ifuytn- f gjnjv cnjbn levftn雄牛はまさに常にそうなんだ:最初一歩踏みだし、その後立ち止まり、考えるんだ)    

完了体の用法の“実物・実例”タイプは、“具体的・事実”の用法から派生したものである。多くの類似のエピソ−ドを表現する“エピソ−ド実例”の用法では、具体的事実が“幻想”となり、行為があたかも一度起こったように描かれる。しかし、この比喩的意味は、前後のコンテキストによる日常の一般的意味とは対立する。このように、行為の反復性の意味は、典型性と具体性が結合して表現される。典型的行為は具体的で単一な行為を通じて表現される。反復の状況を描写するこのやり方には、形象性、造形性及び表現性の要素が関係する。完了体のこの用法は文体的に制約され、通常、会話と芸術文にのみ見られるものである。

 

  完了体の用法の“実例・実物”タイプは、反復行為にたいし現在又は過去の意味で単一未来が機能している場合の単一未来形の特徴である。この用法での過去形及び不定形の使用は珍しく、例外的に仮定法、被動形動詞短語尾形及びその他の形態が用いられている。

Gjckt j,tlf ,f,eirf bvtkf j,sryjdtybt jnlj[yenm
(昼食の後に、おばあさんは休む習慣があった);

Ye;yj j,zpfntkmyj- xnj,s xtkjdtxtcre. leie c[dfnbk byjulf pfvjhjpjr- xnj,s jyf c;fkfcm yf vbu jn xedcndf ytgjdnjhbvjcnb xtuj_nj jxtym df;yjuj b ye;yjuj- njulf jyf cnfyjdbncz ujhzxtq- jnpsdxbdjq(心が時に軽い悪寒に襲われ、何かきわめて大切で、大事な二度と反復することのない感情で瞬間締め付けられることはとても必要なことであり、そうすれば、心は情熱のある、感受性豊かなものになるだろう。)

完了体動詞の単一未来形及び過去形の“実物・実例”の用法(通常反復行為が現在時制のコンテキストにある場合)は、幾つかの行為(二つ以上)が相互関係にある場合(或いは、この行為が動詞以外で表現される状況と関係している場合)に用いられる:

  Uytplj c zqwfvb nofntkmyj j,thtuftncz==== Tckb uytplj gjnhtdj;bk xtkjdtr bkb pdthm- cnhfecs hfp,bdf.n zqwf b boen lkz uytplf yjdjt vtcnj(卵の入っている巣はしっかり保護されている。仮に人間や獣が巣を脅かすと、ダチョウは卵を割ってしまい、新しい場所に巣を探す);

Dct ds- ,f,s- nfrbt rhextystdthxtystE,m.n rhbxfn- ;bdjq jcnfkcz jgznm rhbxfn.(貴方々ご婦人は全てかように軽薄な存在である。殺そうとすれば喚くし、生き残れば又喚くのである)

 “反復”の状況は、完了体に限らず不完了体の動詞を用いて、反復されるエピソ−ドの一つを例にとり、表現することができる:

 !Pyftim- rfr jy 'nj ltkftn Ghbcnfdbn xtkjdtre gfktw r cfvjve yjce b herjq cjdctv yt ldbuftn- f njkmrj kbim jlby gfktw e ytuj rfxftncz- b rhbxbn Z- celfhm- 'njuj yt gjnthgk...!>

(彼がこれをどのようにやるか知っているか。相手の鼻面に指をあて、手を全く動かさないで、そしてその一本の指が揺れ動くと、「俺は立派な紳士だ。こんなまねには我慢ならん!」と叫びだす)

 Bkmz gjxnb yt ;bk ljvf- vtkmrytn enhjv pf xftv b e[jlbn d ujhjl r lzlt   (イリヤは殆ど家で生活せず、朝お茶に現れると、町の叔父のところに出かけるのであった)

 

 この場合、反復されるエピソ−ドにおいて、不完了体で表現される行為は、具体的プロセスとして描写される。同時にこのようなプロセスに、エピソ−ド全体の広義の反復性の意味が加わる。完了体による、行為の反復性の“実物・実例”の伝達方法が体の用法の特殊タイプとすると、不完了体では、これは“無制限・多回”タイプの変形の一つである。この用法では、このタイプの基本的意味、即ち無制限の一連の反復表現の意味は保持される。反復表現の“実物・実例”の方法は、この基本的意味に補足的ニュアンスを与えるだけである。

 

 “無制限・多回”に関する不完了体動詞の用法の特殊なタイプの中に、“可能性”の特殊用法(可能性・慣用、可能性・性質)と“実物・実例”の特殊用法がある。“実物・実例”の完了体の特殊用法には、“可能性”と“完結”の用法がある。

 反復の状況を表現する際に、不完了体・完了体動詞を用いると、“可能性”の補足的ニュアンスが加わると言える。これは、各々の体の用法における“可能性”の変形タイプである:

1)不完了体動詞の用法における“無制限・多回”タイプの中の“可能性” の       特殊用法:

    無制限の反復性の表現に、ここでは補足の叙法的ニュアンスが加わる。 

a)必然・当為(通常行われていること;行う必要のあること)のニュアン        スで通常の行為が表現される(普通、現在形)。“可能性・慣用”の用法        は屡々、学術文や公式・業務文に見られる:

  Ghb yfkbxbb yf rthfvbrt ukfpehb ghb gjvjob vbrhjcrjgf dszdkztncz gkjnyjcnm tt cwtgktynz c jcyjdfybtv b pfvthztncz njkobyf ckjz gjrhsnbz (陶器の表面にうわ薬が塗られている場合、顕微鏡を使えば、母材との密着性を明らか にすることができるし、又うわ薬層の厚さも測定することができる)   

 このような用法では、被動文における再帰動詞や、不定人称文における三人称複数形の動詞、又“ytj,[jlbvj”、“cktletn”等と結合した不定形の動詞がよく使われる:

Ghb ;tcnrjv uheynt cktletn rjgfnm j,sxyjq ,jkmijq ifywtdjq kjgfnrjq- ghb vzurjv ytgjchtlcndtyyj jncfcsdf.n uheyn cjceyjv(硬い地盤の場合、一般の建設用大型シャベルで掘る必要があるが、地盤が軟らかい場合、直接吸い込み装置で土壌を吸いとることができる)

 

b)行為実行の潜在的可能性が主体の特質として表現される(“可能性・性質”の用法) この用法では、通常現在形が使用される(希には、過去形):

  −Ns nfywetim?−Nfywe.- njkmrj gkj[j(あなたはダンスができますか。
  −ダンスができますが、ただ下手です);

 Cnhtkjr ,sk cevfcitlibq gektvtnjv hfcgbkbdfk ,htdyj- rfr gbkjq射撃手は気違いじみていた。機関銃で丸太を鋸のように割ることができた)

(この場合の意味は、“vju hfcgbkbnm”である) 

人称の意味のある主体の場合、主体の能力の有無及び行為の上手・下手を指摘できる動詞に限られる。又主体が不活動体の場合も、行為を顕在化し(常に又は一定の条件において)主体の性質を明らかにする、“潜在的”行為も表現される:

Ghb yfuhtdfybb ntkf hfcibhz.ncz(加熱すると、物体は膨張する);

Cbyntnbxtcrbq vfnthbfk yt vytncz(合成材はしわになりやすい);

Lthtdj d djlt yt njytn(木は水に沈まない)

 

2)完了体動詞の用法の中、“実物・実例”タイプに属する“潜在”の用法:

  行為の反復性を表現する“実物・実例”の方法に基づき、ここでは行為 の“可能・不可能”及び“必然性”のニュアンスが表現される。この行為の常時潜在能力の一つが顕在化され、限界のある完結の事実として表現される(通常、単一未来形)。    

 Ds ;bdtnt yf jlyjv cj vyjq ldjhtpltcm dfv vfksq vfkmxbirf crf;tn- rnj z b xnj z nfrjt(あなたは私と隣近所なので、もしかしたらここで小さな少年が私が誰であり、どんな人物であるか、あなたに言うかもしれない)

(“vj;tn crfpfnm”の意味);

B e; 'nj dctulf e,m.n njuj- rnj yfghfibdftncz(あれじゃあ、いつも、思い浮かんだ奴が殺されてしまう);

 

不変の関係の状況

不変の関係の状況を表現する際の不完了体動詞の用法

  この不完了体動詞の用法は、大きく二つに区分される:

  1. 時間的長さと関係ない存在及び不変の関係が確認される(この用法は、 学術文や教科書の特徴である)。この場合、主に現在形が使われるが、その他の形態も可能である:

C 'nbv ltktybtv bcreccnd gthtrhtobdftncz lheujt- yt vtytt ceotcndtyyjt

(このような芸術と、その他の劣らず本質的なものとは一致する);

Djjhe;tybt ktubjythjd 'njuj dhtvtyb cjcnjzkj bp yfcnegfntkmyjuj b j,jhjybntkmyjuj jhe;bz(この時代の軍隊の装備は攻撃兵器と防御兵器であった);

Cj[hfyzz dct jcyjdyst xthns Chtlytlytghjdcrjq pfhe,bytwrjq rekmnehs- vfnthbfkmyfz rekmnehf ltcybycrb[ gjctktybq- jnyjczob[cz r gthdsv dtrfv yfitq 'hs- bvtkf hzl jcj,tyyjcntq=(スレドネドネプロフスクのザルビイネツ文化のあらゆる基本的特徴を保ちつつ、紀元後の前半世紀のデスニンスキ−居住地の物的文化は、多くの独自性をもっていた)

 

  1. 無制限の時間的長さの行為(通常、関係及び状態、しかし時には一定の変化・発展に関する行為)に関して表現する。この行為(状態、関係)は、ある時間(現在、過去、未来)にたいするものであり、その範囲内において、不変かつ連続の行為として表現される:

     J,hfpf d ljvt lth;bnt lkz j,vfyf

(ごまかすためには、家の中の体裁を常に整えておきなさい);

D rjvyfnt tuj pfdtkbcm rfrbt_nj ytye;yst- yj rhfcbdtymrbt inexrb- yf cntyt dbctkf dsibnfz ,bcthjv rfhnbyf ltdbxbq [jhjdjl(彼の部屋には、余分なものだが綺麗なものが見られるようになった。壁には、乙女の輪舞を描いたビ−ズ刺繍の絵が常にかけられていた);

Yfctktybt ecnhjbkjcm ;bnm djpkt ,jkmib[ htr
(人々は、大きな川の周辺に定住するようになった);

Gjctkjr 'njn cnjbn e htrbHtrf ntxtn ibhjrj- vtlktyyj b ctht,hzyj
(この村は川の畔にある。川は雄大にゆっくりと銀色に輝きながら流れている)    

不完了体のこの用法は、“具体的プロセス”のタイプとは異なり、一区切りの時間に行為を制限する意味のないのが特徴である。ここでは、あたかも時間の経過とは関係ないような不変の関係又は行為が表現される。しかし、不完了体のこの用法は、“具体的プロセス”の用法とはっきりとした区別がない。不変の関係の意味ある用法の特徴と“具体的プロセス”の用法の特徴を兼ね備えている場合もある。この場合、行為に関係する広範な時間的期間において、この期間に含まれる、ある具体的一区切りの時間が表現される。

 特に“dctulf”、“ctqxfc”等が含まれる文にたいして該当する:

Djkytybt tt e,tlbkj tuj- xnj jy ltqcndbntkmyj ljhju tq- k.,bv t.(彼女の動揺は、彼が彼女にとって大事であり、彼女に愛されていると、彼を確信させるものであった);

Yjuf e vtyz dhjlt ikfu,fevfJlyf yjuf ldf gelf dtcbn(私の足は、踏切の遮断機のようだ。片方の足の重さが二プ−ドもある)

 

  不変の関係を表現する不完了体の用法は、“具体的プロセス”の用法(“dctulf b ctqxfc”と“ctqxfc b gjcnjzyyj”の場合)と“無制限・多回”の用法(“dctulfytghthsdyj”と“dctulfj,sxyj”の相違が表現されていない場合に連続的なものから特定のものに移行する際)の間の中間的位置にあたる:

B dczre. vbyene z ,ele gjvybnm ,tcgkjlye. dtkbrjcnm cdjtq ;thnds(そし て常に私は、報われることのない自己犠牲の偉大さを忘れないだろう);

   Njcrf vtyz jljktkfye djn uhsptn ltym b yjxm
  (侘びしさが私を苦しめた。それで日夜さいなまされたものだ)

 

−普遍的事実の状況−

一般化された事実の不完了体の用法

  このタイプの用法において重要な役割を演ずるものは、行為実行性の他に、話し手による行為の知覚及び評価である。ここでは、行為の事実そのものが表現され、注意は行為の有無の事実のみに向けられる:

 Lf- rcnfnb Zhjgtujd gbcfk dfv Jlby hfp
(ところで、ヤロペゴフは手紙をあなたに書いてよこしたか。一度だけあった)

  この場合、行為が一回であるか、反復されるものかは重要ではない。行為の事実自体が重要なのである。行為実行の各々の特性に関係なく、行為を指摘するだけで十分なのである:  

Lf z yt pyf.- [elj 'nj bkb [jhjij- njkmrj jyb dbltkbcm(私だって、このことが悪いことなのか、いいことなのか分からないが、彼らだけが会った);

Ntgthm djn- ytlfdyj- ghbikjcm gjcskfnm Bkmt ltytu relf_nj d Cb,bhm(それで最近、シベリアのあるところにいるイリヤに金を送る必要があった);

Jntw Fyfcnfcbq===== pf,sd ghj cdjt htitybt e[jlbnm ljvjq- jgecnbkcz yf cnjk (父アナスタシイは、家に帰る決心を忘れて、テ−ブルに腰をおろした);

Gjpdjybk- xnj,s lfdfkb vfibye(車をよこすように電話をした);

Pfdnhf yflj dsgkfxbdfnm cjnhelybrfv ;fkjdfymt(明日、従業員に給料を払う必要がある);

  この用法では、不完了体の文法的意味は、完了体に対応するものとしてではなく、行為の有限性にたいし中立的な関係として捉えられる。行為は、その有限性・無限性や、完結性・非完結性に関係なく表現される。完了体は中立な関係を表現することができない。完了体では、限界のある完結行為の意味が不変であるからである。不完了体は普遍的状況を伝達するが、完了体は具体的事実を表現する:

 −Rjyz gjbk Gjbk- yt[jnz jndtxftn Uhbujhbq(馬に水をやっているのか。いつもやっている、としぶしぶグリゴリ−は返事をしていた)

 完了体の場合:−Rjyz yfgjbk?−yfgjbk(馬に水をやったか。やった)

 

この場合、限界のある完結行為が表現され、行為は動詞の語意に従い、結果が達成されたものとして表現されている。行為の主体を強調する場合、行為の経過を具体化しないで、行為の事実を一般的に指摘するだけで十分である:

  −Bvz- Bvz Rnj gbcfk gbcmvj(名前は、名前は?誰が手紙を書いたんだ?)

 不完了体の用法の中、“普遍的事実”のタイプの特徴に従い、更に次の四つの小タイプに区分される:

“否定”、“有限多回”、“完結”、“結果の取消し”

 

“否定”タイプ:

このタイプは、完了体を含む肯定文に対応する否定文中の不完了体動詞を用いて表現される。不定形及び命令形を伴う否定文中の不完了体は一定の条件では、肯定文中の完了体に必ず対応する。例えば、行為の必要性の否定を表現する語句“yt ye;yjyt cktletn”等の場合の不定形を伴う文がそうである: yt ye;yj (yt yflj- yt cktletn- yt cnjbn) jnrkflsdfnm- ytpfxtvytxtujpflth;bdfnmcz (この場合、“yt ye;yj jnkj;bnm”、“ytpfxtv pflth;fnmcz”等の表現はできない);

nj yflj ghjlfnm k.,bntk. nbobys- 'nj vtcnj lkz jnls[f leib.=====(これは静寂を嗜好する人に売る必要がある。この場所は心を休める場所だ);

Gtnh crfpfk:−Ghjlfdfnm yt yflj(ピョ−トルは言った:売る必要はない);

 不完了体はまた次のような文では、必ず用いる:

 “Yt dcnfdfnm!(立ち上がるな)(肯定文:Dcnfnm!(立て)

これには又命令形の否定文も該当する:

Jngecnb tuj!(彼を自由にしろ)−Yt jngecrfq tuj(彼を自由にするな);Hfccrf;bnt j, 'njv!(このことを話してください)

Yt hfccrfpsdfqnt j, 'njv!(このことを話さないでください);

Pfgbibnt!(記録してくだいさい)

Yt pfgbcsdfqnt(記録しないでください);

否定の場合の完了体の使用は、“警告”を表現する場合などにみられる:

  Yt pf,elm!(忘れるな);Yt jgjplfq!(遅れるな);

  Yt egflb!(落ちるな);Yt jib,bcm!(間違えるな);

  Yt gjnthzq!(なくすな);Yt ghjcnelbcm(風邪をひくな);

 

過去形の場合でも、肯定文における完了体動詞と否定文における不完了体動詞に、同様な関係が見られる:

Pfxtv ;t ds yf,hjcbkbcm yf vtyz?(どうして貴方はわたしにおそいかかったのだ)

 Z yt yf,hfcsdfkcz(わたしはおそったことなどない);

F yf crjkmrj ;t ns tuj d fhtcnfycre. egtr?(どうして、おまえは彼を留 置所にぶちこんだのだ)

Z tuj yt egtrfk(おれは、かれをぶちこんだことはない);  

  しかし、否定文における不完了体の使用は、必ずしも絶対的なものではない。完了体を使用すると(yt yf,hjcbkczyt egtr)、具体的事実の実行が否定されない可能性がある。不完了体を使用することにより、事実全体と事実にたいする主体の関与が否定される。したがって、不完了体の使用は情緒的かつ表現豊かに強く否定することができる。

 

 “有限多回”のタイプ:

  この用法では、不完了体動詞は限界のある多回行為の語句と結びついて用いられる;「ldf hfpfnhb;ls等」

 Pf dhtvz ,jktpyb cnfhjcnb Fhnfvjyjd ldf;ls ghb[jlbk r ytve(村長の病気のあいだ、アルタモノフは二度ほど彼のところに行った);

Dtxysq cneltyn E;t ldf hfpf edjkmyzkb bp eybdthcbntnf(永遠の学生だ。既に二度も大学を首になっている)  

コンテキストによるが、この用法は完了体の“総和”の用法と類似している。しかし、行為自体の表現に相違がある。例えば、“Vs ldf;ls dcnhtnbkbcm”(我々には二度ほど会った事実がある)の完了体文では、具体的事実の回数が表現されているが“Vs ldf;ls dcnhtxfkbcm”(我々は二度会っている)の不完了体文では行為実行の具体的性質と関係なく行為の回数が表現される。  

“完結”のタイプの用法:不完了体動詞の過去形を使用すると、現在の主体の状態を特徴づける、過去における事実の有無が確認される:

 −Dct_nfrb jy vyjujt dbltk- j,hfpjdfy?(彼は多くを見たことがあるが、教養はあるのか);

 −Ns- Ybrbnf- ghj Bkm.- pyftim Cksifk(ニキ−タ、おまえはイ−リャのこと知っているか、と聞いたことがあった);

Jcnfdmnt @ Xbnfkb @ rhbryek cthlbnj atkmlith(おいていきなさい!読んだものだろ!、と准医師が怒りながら叫んだ。) 

Gj ljhjut jy jukzlsdfk ghj[j;b[ b levfk:<njn yt xbnfk Rfgbnfkf”.

  B 'njn======= B njn- c ,jhjljq- yt xbnfkF z djn xbnfk(彼は道路の通行人を見ながら思った:こいつも「資本論」を読んでいない。そして、 こいつも、あご髭のあいつも読んでいない。だが俺は読んだことがある)

  この用法は、語意に知覚・認識の結果を表現するニュアンスが秘められている若干の動詞に限られる。

 この用法のタイプには、否定形で不完了体を使用して、実行されなかった行為の結果により引き起こされた状態が表現されている場合も含まれる:

<skj [jkjlyj- z nhb yjxb yt cgfk- bpvexbkcz b yfxfk cthlbnmcz(寒かった。私は三日寝ておらず疲労困憊し、そして腹が立ち始めた);

Yt dsgmtv kb [jkjlytymrjuj- Vjrbq Gfhvtysx

Xnj ds- enhjv_nj Z tot yt pfdnhfrfk (冷たいもので飲みませんか、モ−キ−・パルメヌイチ。なんだって、あなた朝から!わたしはまだ朝食をとっていないんだ);

  Bim bc[elfkfC enhf yt tkf(見てよ、やせこけちゃったわ。朝から食べていないのよ);

  この用法は、行為が行われなかったことにより一定の状態(飢え、疲れ等)を引き起こすことを前提としている語意のある若干の動詞の特徴である。現実の結果はここでは、行為の有無の事実自体の一般的指摘に伴う補足的ニュアンスとなる。

  “結果の取消し”の用法では、過去における事実の表現に、発話時点とは反対の行動によって、結果の取り消し及び、変更の補足的ニュアンスがでてくる:

E; yb d rfrjv ckexft z lj;blfnmcz yt vjueGjnhelbcm crfpfnm- vbkfz- xnj z cfv pftp;fk (わたしは、もうこれ以上待つことができない。すまないが、あなた、私は立ち寄ったが、そのまま帰ったと伝えてくれないか):

Xnj tq yflj?(彼女には何が必要なのか)Pf gjhnhtnjv ghb[jlbkf(肖像画をとりにきて、そのまま帰った);

  このように、不完了体動詞は、完了体動詞と比較して、より広範で多様な条件において用られる。各々の体の動詞で表現することのできる“状況”の表現パタ−ンの他に、不完了体に限り表現できる上記のような“状況”の表現パタ−ンもある。また反復の状況を表現する場合、完了体動詞の使用には制限がある。不完了体動詞が、完了体動詞と比較してより広い範囲で用ることができるのは、その文法上の定義の一般的特徴である。完了体は、上述したように不変の肯定的な性格があることを特徴としており、このことは一定程度、その活用範囲を制限する。不完了体には、このような意味がないので、その活用が多様なのである。不完了体には不変の肯定的性格はないが、不完全かつ限界により制限されない行為を表現する、“不変”の文法的意味がある。これは、コンテキストや、行為の手段、動詞の語意により、一連の用法において表現される。用法のひとつ(普遍的事実)では、行為の有限性と無限性、行為の完結性と未完結性の表現にたいし、不完了体は中立的関係にある。全ての不完了体の用法を検討すると、不完了体動詞には完了体動詞と同様、明らかに文法的に独自性がある。

 

完了体及び不完了体の用法及び、そのパタ−ン

  状況パタ−ン           

動詞の体

完了体

不完了体

1“単一行為”  

“具体的事実”の用法

“具体的プロセス”の用法

(反復しない)  

用法パタ−ン:

潜在、完結、

時間的制限のある継続、総和

  

用法パタ−ン:

能動、強調・継続的

2“反復行為”

“実物・実例”の用法

“無制限・多回”の用法   

    

用法パタ−ン:

潜在、完結

用法パタ−ン:

潜在(潜在・慣用、潜在・性質的)

実物・実例

3“不変の関係”

 

“不変の関係”の意味のある用法

4“普遍の事実”

 

“普遍的事実”の用法

 

 

用法パタ−ン:

 否定、有限、反復、結果の取消し

  

相のカテゴリ−

他動詞と自動詞

  ロシア語における相とは、形態論及び統語論の方法を用いる文法カテゴリ−である。相とは、意味上の主語、述語及び目的語の関係を、表現の仕方により異なる動詞形態で表現するカテゴリ−のことである。この意味の相違は、主語として表現される動詞の所有者と動詞との関係にある。これは、能動文と被動文により表現される。

   能動文(J,]tv cnfnmb jghtltkztn fdnjh:著者が論文の内容を決定する)では動詞は動詞の所有者の発信者として表現する。

  被動文(J,]tv cnfnmb jghtltkztncz fdnjhjv)では、動詞は動詞の所有者の受信者として表現する。この相違は、能動文における動詞の所有者は意味上の主語であり、被動文では意味上の目的語だからである。それにより、主語、述語、目的語の関係が、能動文及び被動文により、動作を行う主語側から、或いは動作を被る又は動作を体験する目的語側から、各々表現される。

 

  能動文({elj;ybr gbitn gjhnhtn:画家が肖像画を描いている;Heccrbt dsuhfkb chf;tybt:ロシア人は会戦に勝った)では、行為を行う意味上の主語(活動者)は、“主格”と呼ばれる。これは、意味上の主語を指摘する為に言語上定めた形態である。ここでは、意味上の目的語は“対挌”又は、否定の場合、“生格”([elj;ybr  yt yfgbcfk gjhnhtnf)と呼ばれる。これは、目的語を指摘する為に定めた形態である。(不定人称文、普遍人称文及び無人称文に関しては、後に触れる)

 

 被動文(Gjhnhtn gbitncz- yfgbcfy [elj;ybrjvChf;tybt dsbuhsdftncz- dsbuhfy heccrbvb)では、主体(活動者)の意味は、“造挌”(即ち、動作の手段を表す意味のある形態)により表現される。造挌の形態自体に起因する主体の意味の低下により、被動文における主格の形態で、対象と主体との間に複雑な関係(曖昧な意味)が生ずる。下記の例文を検討してみる:

 Extybr k.,bn exbntkz(生徒は先生が好きである:能動文)

 Exbntkm k.,bv extybrjv(先生は生徒に好まれている)前者は能動文であり、主体は主格で表され、又動詞の所有者である。被動文では、主体は造挌になり、動詞の所有者は補語(対象)である。“exbntkm”は目的語の意味と主語の意味を兼ねている。

 被動文では、行為の主体の意味のある造挌の語が存在しない場合もある: Chf;tybt dsbuhsdftncz- dsbuhfyj

  能動文及び被動文は、主語、述語及び目的語(補語)の関係を表現する為の統語的手段なのである。能動文では、活用形において他動詞が使われる。

  被動文では形動詞短語尾形(chf;tybt dsbuhfyj)又は、接尾辞“_cz”の付いた動詞活用形(chf;tybt dsbuhsdftncz)が使われる。能動文における動詞は、能動相の動詞であり、被動文では被動相の動詞である。

  このように、相のカテゴリ−とは、意味上の主語、述語及び目的語の関係を異なる表現法で、文法上の能動性と被動性を明らかにする。この相違は、又動詞の形態及び能動文、被動文で表現される。

  文法上のカテゴリ−としての相は、全ての動詞に関係する。相に関係ない動詞は存在しない。このように相の範疇には、不定人称文(Cnfnm. gbien- R dfv ghbikb)と普遍人称文(Gjpfdbletim nfrbv k.lzv- Tujyt ghjdtltim)が含まれる。この場合、同一の語形式で動詞も、不定人称又は普遍人称である動詞の所有者も表現される。無人称文(Cdtnftn)には、動詞の所有者はない。普遍人称文、不定人称文及び無人称文は、能動文に属し、その動詞は能動相の動詞に属する。

  相のカテゴリ−と、他動詞及び自動詞は密接に結びついている。他動詞は、対挌の形で名辞により表現される目的語(対象)に対する動作を表現する。(否定文では、この対挌は通常、生格に変わる:xbnfk rybue- yt xbnfk rybub

  大半の他動詞には、固有の文法的特徴がある。その語形変化体系には、被動形動詞も入る。自動詞は、対挌の形で表現される目的語を前提としない動作を表現する。通常、自動詞は、その語形変化体系に被動形動詞を含めない。被動相は、対挌補語をとる形式と直接結びついている。他動詞と自動詞に動詞を分類することと、再帰動詞の分類は関連する。再帰動詞とは、動詞に接尾辞“_cz”のついたもので、形式的に対挌補語をとらない自動詞のことである。ある場合では、被動性があり、これは接尾辞“_cz”の付いた動詞が被動文で使われ、又他の場合では、この意味はなく、再帰動詞が能動文で用いられる。

 

−他動詞と自動詞−

 既述したように、全ての他動詞は対挌を支配する。

rjkjnm lhjdf,tkbnm gjnjkjrxbnfnm rybuek.,bnm ltntq

  大半の他動詞は、被動形動詞を形成する。自動詞とは、対挌支配しない全ての動詞のことである。多くの場合、自動詞の行為は主語の範囲内に制限され、目的語に向けられない動詞のことである:

,tkttn gfhecgnbwf cblbn yf dtnrt 

 

 自動詞からは被動形動詞は形成されない(例外に関しては、後述する)。自動詞の一部には、対挌補語を求めない接辞“_cz”が付いている:

  例:cj,bhfnmczccjhbnmcz

    その他の自動詞には、この接辞はない:,tktnm,t;fnmcnjznm

 

  接尾辞“_cz”の付いた自動詞の中に、接尾辞“_cz”が被動の意味だけを表現するグル−プがある。

例:fdfycbhjdfnmcz(前金を受け取る)、fvybcnbhjdfnmcz(恩赦を与えられる)、fvgenbhjdfnmcz(手足を切断される)、fcafkmnbhjdfnmcz(アスファルトで舗装される)、fyfkbpbhjdfnmcz(分析される)、fyjycbhjdfnmcz(広告される)、,frnthbpjdfnmcz(細菌が作用する)、,fkmpfvbhjdfnmcz(防腐処理される)、,tnjybhjdfnmcz(コンクリ−ト打ちされる)、,bynjdfnmcz(包帯される)、,jqrjnbhjdfnmcz(ボイコットされる)、,jvvfhlbhjdfnmcz(爆撃される)、,hji.hjdfnmcz(綴じられる)、dfkmwtdfnmcz(圧延される)、dtynbkbhjdfnmcz(換気される) 

 他動詞の中には、否定文以外で生格支配のものがある。一つは、結果達成の意味と数量の意味を兼ね備える若干の動詞である:

yfhdfnm wdtnjd(花を摘む)、yfltkfnm jib,jr(たくさんの間違いをやる)、yfregbnm rybu(本をたくさん買う);

 もう一つは、生格も対挌も使用できる他動詞である:

;lfnm gbcmvj;lfnm gbcmvf[jntnm ghzybrghzybrfghjcbnm vbkjcnsy.vbkjcnsyb

 他動詞は、目的語(対象)に対する行為を表現する。これには、作られる対象物(cnhjbnm ljv)、変えられる対象物(,tkbnm gjnjkjrrjkjnm lhjdf)、壊される対象物(;txm gbcmvf,bnm gjcele)等が該当する。又いかなる変化も引き起こさない対象物への作用もある:

  xbnfnm rybue,kfujlfhbnm jnwfgjplhfdkznm ctcnhe[dfkbnm extybrfjlj,hbnm blt.

 

他動詞は、

  感情・知覚:dbltnm rfhnbyeckeifnm vepsrexedcndjdfnm ,jkm

  関係:k.,bnm xtkjdtrfytyfdbltnm dhfuf)を表現する。これらの動詞の目的語は、知覚される対象及び、関係する対象を意味する。

 

自動詞は、

  物理的状態:,jktnmcgfnm

  心理的状態:uhecnbnmujhtdfnmhfljdfnmcz

  運動:,t;fnm,tufnmblnb[jlbnmgksnmt[fnmktntnmvxfnmcz

  存在:;bnm,snmceotcndjdfnm

  空間における状態:cnjznmcbltnmkt;fnm

  特性の顕在化及び確定:,tktnmrhfcytnmhfcnbnfznmcj[yenm

  職業性又は非職業性:cktcfhybxfnmexbntkmcndjdfnmrfitdfhbnm

  性質・性格:ktynzqybxfnm

  能力:ujdjhbnm gj_ahfywepcrb

   を表現する。

−対格補語− 

対挌補語を要求する動詞と要求しない動詞の関係の関係

多義動詞がある意味においては対挌補語要求になるし、又ある意味においては、対挌補語要求しない。例えば、動詞“xbnfnm”は、“書いたもの”を知覚する意味では他動詞であり、対挌支配である:xbnfnm rybuegbcmvj

 又この動詞は、“書いたもの”を知覚する能力(Vfksi e;t xbnftn)の意味や、“読書に従事する”(Vfksi cblbn b xbnftn)の意味ででは、自動詞である。後者の場合、対象は捨象され、プロセス自体に注意が向けられている。これは、動詞の“絶対活用法”と称している。接頭辞付き完了体他動詞では、希に“絶対活用法”で用いられる。この場合通常、対象(目的語)は表現される。

  既述したように、相の関係自体は、能動文と被動文を対比することにより表現され、それは主語、述語及び目的語の関係である。

  相の対比(対応)は、特に完了体他動詞を用いて被動相を被動形動詞短語尾形(Gjhnhtn yfgbcfy [elj;ybrjv [elj;ybr yfgbcfk gjhnhtn)で表現する場合、明らかになり、規則的である。行為により引き起こされた状態の意味は、完了体動詞の被動形動詞短語尾過去形のある文に最もはっきりと現れる:

  Gjxnb gjkjdbyf ljvjd ,skf gjrbyenf [jpzqdfvb
  (ほぼ半分の家屋は、持主に放棄されたものであった);

Repmvf yt ,sk dfvb ljghjoty
(クジマは、あなたに問いただされたことはなかった);

Ybrjkfq Bdfyjdbx ,sk jrhe;ty ghb ds[jlt bp celf njkgjq ;tyoby(ニコライ・イヴァノヴィッチは、裁判所から出る時、婦人達に取り囲まれた);

Rfr dct ghjcnj- rjulf e;t cltkfyj lheubvb(他の者により既になされた後は、なんと全て簡単なことか)

 

不完了体動詞の被動形動詞短語尾形過去の形態(gbcfyxbnfypdfy)による被動相の表現は、まれである:

Pfrhfcytdibcm bpdbybkfcm- Xnj_lt d ujcnb r ybv pfikf- [jnm pdfyf b yt ,skf

(招待もされてもいないのに、客に来てしまったことに赤面し、謝った)

Lheubt xfcnb ,skb xbnfys Cthuttv Bdfyjdbxtv(その他の部分は、セルゲイ・イワノヴィッチにより読まれた);

Jy ,sk ,bn bvb(彼は、かれらに殴られた);

Ljv cnhjty ,sk ntv ;t bnfkmzywtv(家は、そのイタリア人によって建てられた);

Gjhnhtn gj'nbxty b gbcfy yt cnfhbrjv(肖像画は詩的であり、老人によって描かれたものではない);

  不完了体動詞では被動相はまた被動形動詞短語尾形現在の形でも表現される:

Ybrjkfq ,sk edf;ftv- yj ytk.,bv d j,otcndt(ニコライは、社会の中で尊敬されたいたが、愛されてはいなかった);

F z djn ,sk ytyfdblbv- ytyfdblbv [jhjityrjq ltdeirjq

(それで、私は憎まれていた、可愛い女の子に憎まれていた);

Vfhbybyj dkbzybt yf vtyz- vfktyre.- vskj juhjvyj- ybxtv b ybrtv yt gtht,bdftv(小さな私にたいするマリ−ナの影響は大きく、何によっても、誰によっても消し去ることのできないものであった);

Jy ,sk nhtdj;bv yteljdktndjhtyysv ;tkfybtv xnj_nj dbljbpvtyznm(彼は、何かを変えようとする叶わぬ望みで心が揺れていた);

Rfr dthysq extybr- z ,sk kfcrftv dctvb(誠実な生徒として、私は皆に大切にされていた);

Dct 'nj==== ,skj dk.,ktyj d Geirbyf b k.,bvj- lhfpybvj- vexbvj b djcgtnj bv(全てこれらは、彼をしてプ−シキンに夢中にさせ、燃え立たせ、悩ませ、賛美されたものであった):

  しかし、文語的文体のニュアンスのあるこのような形態は、通常規則的には形成されない。

  このように、不完了体動詞を用いて被動相の被動形動詞短語尾の表現は、規則的ではなく、不完了体動詞を用いての被動形動詞の形成範囲には制限があり、この形態の利用範囲は狭く、文体的にも制約がある。

  不完了体動詞には、相を対応させる別の方法がある。これは、接尾辞“_cz”により被動の意味が付加される再帰動詞を被動文において用いる方法である。この場合、他動詞が能動相の動詞である能動文(Jyb gjcnbuf.n lj,hj b pkj:彼らは善と悪を究めようとしている)にたいし、再帰動詞を利用した被動文(Lj,hj b pkj gjcnbuftncz bvb:善と悪は、彼らににより究められている)が対応する。この対応関係を成すのは、二つの異なる動詞形態である。他動詞(gjcnbufnm)と再帰動詞(gjcnbufnmcz)である:

 

Wtkm 'nf ljcnbufkfcm ltqcndbzvb yfhjlyjq djqys(この目的は、人民戦争により達成された);

Dct kexitt d vbht ,skj r tt eckeufv b gjkexfkjcm t. cjdthityyj lfhjv (世界における最もよいもの全て彼女は提供され、彼女はそれを全くただで手に入れた);

E,hfycndj b gjhzljr ljvf dtkbcm Nfnmzyj. Ctvtyjdyjq gj_cnfhbyyjve(家の整理や整頓は、タチヤ−ナ・セメノ−ヴナにより昔風に行われていた);

Cfl jnlfdfkfcm c dtcys [jpzqrjq dyfqvs(庭は、春から女主人が賃貸ししていた);

Jnnjuj- xnj keyf pfujhf;bdfkfcm t.- lhj;fkj b kexbkjcm djuheu ytt crfpjxyjt cbzybt (月は彼女に遮られると彼女の周りでは、奇跡の光輪が明滅し、輝いていた);

 

 これらの場合全て、相の意味は、被動形動詞現在形で表現することができる(形動詞が形成できる場合に限り)。

  被動文において、接尾辞“_cz”の付いた動詞は、三人称の単数及び複数形で用いられる。この場合、その他の形は希である:

Gjnjv z ult_nj === ghbukfif.cm e;t ghzvj Ve[bysv(その後私は何度となく..ム−ヒン直々に招かれるようになった);

Z- ,hfn- djj,ot egjnht,kz.cm byjulf gj bysv ltkfv(とにかく私は兄貴なでの、他の用事でも時々使われている);

 

注:被動の意味の接尾辞“_cz”は、時に完了体動詞にもある:

Bpdtcnbt j celm,t 'njq ;tyobys dsiktncz vyt c.lf(この女性の運命についての知らせが、ここにいる私に伝わってくるだろう);

Crjhj bp 'njuj cfvjdfhf ljkm.ncz rhegysv rbgznrjv cnfrfys(まもなく、このサモワ−ルから多量のお湯がコップに注がれるはずである);

Pltcm gfktw yt gjht;tncz yj;jv(ここでは、ナイフによる指の切傷は起こらないだろう);

   但し、これらの用法は、希れである。

  対応する相の表現は、多くの場合、動詞の体と関係している。完了体動詞は、被動相を主に被動形動詞短語尾形で表現し、又不完了体動詞は、被動相を主に、被動の意味のある接尾辞“_cz”の付いた再帰動詞による表現する。被動の意味のある不完了体再帰動詞は、先行する行為により引き起こされた状況を表現しない。

 比較例:Dfujys- cnjk,s- k.lb- dct- xnj ,skj dblyj ,skj pfytctyj c jlyjq cnjhjys cytujv b pfyjcbkjcm dct ,jkmit b ,jkmit(車両や支柱、見えるもの全て、一方の側が雪ですっぽり被われ、益々埋もれてゆくのであった)

 

 相の文法カテゴリ−は、混合タイプのカテゴリ−である。完了体動詞及び若干の不完了体動詞では、能動相と短語尾被動形動詞は、一つの動詞の異なる形態により表現される(Cneltyns gjcnhjbkb rke, Rke, gjcnhjty cneltynfvbTuj k.,zn lhepmzJy k.,bv lhepmzvb);

 

  その他の不完了体動詞では、対応する相の関係は、次の動詞により表現される:能動相他動詞及び被動の意味のある再帰動詞である(この意味は、被動文に限る:Ghjatccjh xbnftn ktrwb. Ktrwbz xbnftncz ghjatccjhjv);

 

  能動相の動詞には、次のものがある:

1)相が対応関係にある、完了体/不完了体の他動詞;

2)相が対応関係にない、完了体/不完了体の他動詞;

3)形式的に対挌補語要求の性質のある、全ての完了体・不完了体の自動詞:  

 例:pfrhbxfnmgjqnb;bnmceotcndjdfnm cbltnm

  これらの動詞には、対挌補語要求のない自動詞も含まれる:

  例:Vfkmxbr k.,bn xbnfnm(少年は読書をすることが好きだ)

  例:Ckfdyj gbitn- gthtdjlbn(巧く書き、翻訳する)

 

  1. 形式的表現に対挌補語要求の性質のある他動詞、即ち能動文において、能動の意味の接尾辞“_cz”の付いた再帰動詞(Ltnb regf.ncz d htrt(子供たちは川で泳いでいる)- Yjdjctks cnhjzncz ktnjv(新しい住宅を夏に建設している);

 

5)無人称文

  相に対応関係のない全ての動詞(上記グル−プの2〜5)は、対応する体のない能動相の動詞である。これらの動詞は、受動文を形成することができない。

 被動相(受動)文は、文の成分が二つないし三つになりうる。この場合、行為の主体は表現することも(Gjks vj.ncz e,jhirjq hfp d ytltk.:床は週に一度掃除夫により掃除される)、表現しないことも (Gjks vj.ncz hfp d ytltk.)できる。三成分の文では、行為の主体は特別の形態(行為の主体の意味のある“造挌”と呼ばれる)で表現される。通常これに該当するのは、活動体名詞である:

 

K.lb e,bns 'nbvb cfvsvb ytdbyjdfnsvb d 'nb[ cvthnz[ k.lmvb(人々は、これらの死に最も罪のない人々により殺された);

Gjxnb gjkjdbyf ljvjd ,skf gjrbyenf cdjbvb [jpzqdfvb(家々のほぼ半数は、持ち主に放棄されたものであった);

Hjkm buhftncz nj,jq dtkbrjktgyj(役割は、おまえにより立派に演じられる);

Jnxtnkbdj lbaathtywbhetncz Ijkj[jdsv gjyznbt yfhjlf(人民という概念は、ショ−ロホフにより明確に区分されている);

 しかしながら、動作の主体は、具体的或いは抽象的意味の不活動体名詞によっても表現することができる:

Cktps cbb jnxfcnb djp,e;lftvs ,skb geyitv
(その涙は、しばしばポンチによりさそわれる)

Cjdtcnm ghtrhfcyj pfukeiftncz hfcce;ltybzvb
(良心は理性によりきれいにかき消される)

"nj jnxfcnb nht,jdfkjcm j,otcndtyysv vytybtv(これは、部分的には世論の求めるものでもあった)

Ctkj uecnj pfvtyzkjcm cflfvb(村は、多くの庭園で鬱蒼としていた);

"nj ;tkfybt ghjlbrnjdfyj cjj,hf;tybzvb rjyrehtynyjq ,jhm,s(この願いは、競争心にもとづくものだ);

  

動作の主体の意味のある造挌のある文は、文語的性格がある。

  実際には、屡々二成分の被動文が用いられる。即ち、行為の主体の意味のある形態のない文がある:

Crjhj crfprf crfpsdftncz- lf ytcrjhj ltkftncz(言うは易し、行うは難し);

Ljghjcs ghjbpdjlbkbcm e;t dnjhjq vtczw

(取り調べは、二カ月目になっても行われていた);

Jnhzls gtht,hfcsdfkbcm xthtp uhfybwe(部隊は越境していた);

  被動文に行為の主体を意味する造挌がない場合、若干被動の意味が減少する可能性がある。この場合、被動の意味の程度は、多くの点でその表現方法に関係する。例えば、不完了体動詞被動形動詞短語尾現在形の文では、被動の意味は、行為の主体が表現されない場合でも、明らかに存在する:

Jy k.,bn b k.,bv(彼は愛し、愛される);

Dfyz ,sk ljgecrftv d ltncre.(ワ−ニャは子供部屋に入ることを許されていた);

Cdznjcnm exbntkmcrjuj ltkf dctulf ,skf xnbvf dscjrj(教職の神聖さは、常に高く敬われていた);

Vjb ghbvths vjuen b ljk;ys ,snm rhbnbretvs(私の例は、批判されうるものだし、されるべきものである);

  不完了体再帰動詞のある文において、行為の主体が存在しない場合、被動の意味は弱められる。このことは、接尾辞“_cz”の付いている動詞が二通りに解釈できることを意味している。即ち、被動相の動詞としても、能動相の動詞としても解釈できる:

  Bim- rfr d cnfhbye_nj k.lb [jhjybkbcm-! crfpfk vyt rfrjq_nj cnfhbr
  古い時代に人々がどのように埋葬されていたか、考えてみろと、ある老人は言った) 

  Yj ;ukbcm rjcnhs b j,;bufk jujym(しかし、焚き火をたき、灯がまわりを暖めた)

  <jkmyjt cfvjk.,bt hfplhf;fkjcm bpj lyz d ltym
(病的な自尊心は、日に々にたかまっていた)  

 再帰動詞に被動の意味だけがある場合、この意味はコンテキストにより、きわめてはっきりと分かる。

  完了体動詞の短語尾被動形動詞過去形が用いられ、行為の主体の意味の造挌がない場合、状況の意味が行為の意味を支配する:

 

Rke, gjcnhjty cneltynfvb d rjhjnrbq chjr
(会館は短期間に学生により建設された);

Vfufpby ,sk jnrhsn ghjlfdwtv d 10 xfcjd
(店は、売り子により10時に開けられた)”

  この場合、形動詞には、客体(対象)が蒙る行為の意味がある。“Rke, gjcnhjty(会館が建設された);Vfufpby jnrhsn(開店した)”:この場合、状態・状況の意味が強調される。

   同様な文の例:Ltkj e;t ckf;tyj(仕事がうまく片が付いた);

 不完了体の被動形動詞のある被動文と、不定人称の能動文とは、屡々対応関係にあり、同一の意味となる:

Gj hflbj gthtlf.ncz gjcktlybt bpdtcnbzGj hflbj gthtlf.n gjcktlybt bpdtcnbz

 Ekbws fcafkmnbhe.ncz ktnjv Ekbws fcafkmnbhe.n ktnjv

ペイジのトップ↑

索引