横浜の息づかいと景観を写真でお楽しみ下さい。横浜は、ウオーターフロントを中心に日毎に変貌しております。変わる横浜と変わらない横浜を、今度はあなたがご自分の足で探訪されては如何でしょうか。2014年に鎌倉市に転居しましたので、今後は湘南鎌倉情報についても興味を持ち、アップを試みたいと思っております。
その後は、MSN Messengerをインストールして友人と交信を試みてきました。マイクロソフトのhotmailアドレスをkeyにして利用するシステムです。映像もたいへんきれいに送受信できるとても面白いソフトだと思いました。今はもっぱらSkypeを使っています。
のお世話になっています。
WEB環境は目覚ましく進化し、現在も日毎に進化し続けている状況である。脅威と言うほかない。以下「言いたい放題」へ続く。
私は会社生活の後、地球環境に関する財団 に勤務していましたが、2002年6月に2回目のリタイアメントをして現在に至っております。地球環境のプロジェクトを担当した者として、地球環境の将来については人一倍心配しております。以来、この数年で地球温暖化問題もやっと注目を集めるようになり、2008年の洞爺湖サミットでも現在の炭酸ガス発生量を2050年に半減させる方向が話し合われた。ついにそういう時が来たと言わなければなりません。
しかし2009年のコペンハーゲンCOP15では数値を伴った合意には至らなかった。2010年のCOP16は、メキシコのカンクンで開催された。」
2011年の第17回気候変動枠組締約国会合と第7回京都議定書締約国会合(COP17・COP/MOP7)は、11月28日から12月9日まで、南アフリカ共和国・ダーバンで開催。2012年末で期限切れとなる京都議定書の次の枠組み合意へ向けた議論が期待されている。我が国では、東日本大震災を経験し、今まだ将来のエネルギー政策が合意形成されておらず、立場は微妙。アメリカや発展途上国の立場も多様で、問題山積である。
2013年のCOP19・COP/MOP9は、11月11日から23日まで、ポーランド・ワルシャワで開催された。
2014年のCOP20・COP/MOP10は、ペルーのリマで開催されることになっている。
またCOP21はフランスでの開催がきまっている。一歩いっぽ成果に結びつくことを期待したい。
地球環境問題に対する啓蒙の書「生存の条件:公益財団法人 旭硝子財団より刊行」が言う「生命力溢れる太陽エネルギー社会へ」向けた確かな道筋が求められている。
長い間、横浜市保土ヶ谷区釜台町に住んでおりましたが、シニアライフに変化をと平成16年(2004年)3月に横浜市栄区のマンションに転居しました。鎌倉が近いこと、大船の駅からモノレールに乗れば湘南の海が近いことなどとてもよい環境でした。
2014年には、横浜市から隣接する鎌倉市に2世帯住宅を準備して転居しました。鎌倉のいわゆる歴史的市街地ではなく、森に囲まれた住宅街です。湘南鎌倉を満喫したいと思っていいます。
「Oh!myLife」:インターネット・エンゲージメントメディアで私が記事を書いていました。
2008年9月に「Oh!myNews」が模様替えしたものですが、経済状況の悪化を理由に2009年4月に廃刊になりました。
市民によるネットニュース紙として期待されていただけに残念です。そこで投稿記事は「Windows Live」に保存・転載しました。
会場は水彩画の花で曼荼羅の世界に(第5回風景スケッチ展)
ヴィルヘルム・ハンマースホイ展──静かなる詩情(第3回)(体験レポート)
ヴィルヘルム・ハンマースホイ展──静かなる詩情(第2回)(体験レポート)
ヴィルヘルム・ハンマースホイ展──静かなる詩情(第1回)(体験レポート)
世界人口4分の3の発展と、再生可能エネルギー(トピックス:第17回ブループラネット受賞者記念講演会)
80万年で未曾有の高濃度を生きている(トピックス:第17回ブループラネット受賞者記念講演会)
ネット・ニュース紙:「Oh!myNews」 の市民記者として文化関係の記事を書いています。私の場合は特ダネとは関係のない世界です。発刊時の編集長が鳥越俊太郎だったので、これは面白いと思い、応募して市民記者になりました。事実面白いです。誰でも応募できますが、簡単な自己推薦文の提出を求められ、文章能力が審査されます。市民の目線で考えるニュース紙と言っていいでしょう。 2008年9月に新しいスタイルのインターネット・エンゲージメント・メディア:インターネット・エンゲージメントメディア紙「OhmyLife」へ模様替えになりました。引き続き記事を書きたいと思っていましたが、経済状況の悪化を理由に2009年4月に廃刊になりました。市民によるネットニュース紙として期待されていただけに残念です。そこで投稿記事は「Windows Live」に保存・転載しました。
私たちの旅物語と国際交流