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激動の97年9月

9/4
Toad's Place へ行った。今夜はあの伝説のセックス・ピストルズジョン・ライドンというビッグネーム。前々から前売りを買って待ちかねたこの日。カメラも持って準備万端!
明かりが消えていてこれじゃやってないみたいだと言いつつ近づくと、、
"Sorry, we are closed tonight"の張り紙がっ!
Nooooooo! That's impossible! That can't happen!
会場前にたむろしている数人は2Fのボックス・オフィスに事情を聞きに行く相談中。事前にラジオで中止を聞いたという人も。なんてこった。これで最後の Toad's Place ライブのはずが。かすかな予感は近所のレコード屋の店員の誰もがジョン・ライドンはおろかセックス・ピストルズも知らなかった時にあったと言うべきか。アメリカで無名?チケットが売れなかった?きまぐれな人?

9/8
帰国10日前のこの期におよんで歯医者に通い始めた。痛み始めたら既に進行していると言われるのが虫歯。我慢できなくなった今や相当根深い。治療途中で帰国は確実。英語が億劫でも医者には早めに行きましょう。
アメリカの歯医者はどんな風か。を普段なら長々書くがそんな余裕ない。と言いつつちょっとだけ。アメリカは歯科技術先進国。現在の状態を詳しく説明してくれる(インフォームド・コンセンサスちうんですか)。質問に丁寧に答えてくれる。治療中常に進行状況、気分はどうか等話しかけ続ける(返事出来ないって)。レントゲン写真を治療の段階毎に撮ってチェックする。見たこともない器具(多分新しい)が続々。総じてとてもよい。ただし費用は高いです。

最近のカレンダーは真っ黒で今日は他にレンタル家具のピックアップ。予定の2時~4時に2時間遅れて業者が来たのは6時。その日に来ただけましと言えるのがアメリカ生活。もう1件。中古車屋へを売り歩いたが売れなかった。その辺で見かける「売りたし」車のように"Sale"札を付けて走ってみるか。

9/9
家具がなくなって家がすっかり寂しい雰囲気に。「車売ります」の新聞広告を依頼。「家電売りたし」ちらしを大学の掲示板と家の前と日本食材店に。こうして段々とアメリカのわたしのおうちはなくなっていくんだなあ。

9/10
朝電話で起こされた。昨日まで最大の心配はのこと。大金(我々にとっては)でもあり、売れなかったらと夜も眠れなかったが蓋を開けてびっくり。新聞に出したアドが大人気で電話続々。朝10時前で売約済みに。格安が勝因?それでも中古車ディーラーが提示した金額の4割増だった。
"For Sale"の家電もビラを貼った途端に希望者が。ああ、これで肩の荷がどっと軽い。

アメリカで物品の個人売買は盛ん。Tag Sale(家の前に物を並べて売る)や新聞広告を利用する。中間業者が入らない分双方にお得。信頼出来る相手とは限らないので当然代金や物品の受渡しに不安はあるが、アメリカでこの敷居が低いのは個人と店・会社に対する信頼に差が少ないためと思う。日本で会社等「団体」の信頼は個人と桁違い。利益もリスクも個人が受ける習慣がない。このアメリカの"個人の自立"を当初「寄りどころなくいつ奈落へ転落してのたれ死ぬかわからない不安」として感じたものだが、今や日本人の団体依存ぶりが気持ち悪い。

アメリカ生活情報--For Sale 編: 車のような高額品を売る場合、その場で引き渡さず手付けをもらうのがおすすめ。代金全額受取る前にパーソナル・チェックを換金して相手口座の確認(個人用小切手は銀行が発券する訳ではないので偽造が簡単)が出来ると安心。もっとおすすめは銀行発券の小切手で受取ること。こちらは小切手口座がなくても換金出来る。今回買い手から教わりました。今日は勉強になったなあ。


ここで一時終了の辞を書いたんでした。名文(???)だから残しておこう

一年間あめりか日記をご愛読いただきありがとうございました。帰国に際しひとまず終了とさせていただきます。
この一年は例年に比べとても長い一年でした。日記ネタになるような「事件」や驚きは、生活に慣れると日常にまぎれて当たり前のことになっていきます。そうした点であめりか日記にとって一年間の滞在は期間として頃合いだったと言えるでしょう。生活の上では、経験が蓄積され余裕が出てこれからというところで帰国の印象ですが。
私にとって日記を書くことは、辛い事件を笑い話に、過ぎていく日々の出来事を記憶に、伝聞を考察に変えてくれる楽しい経験でした。

帰路までの日記の残りは帰国後に追加する予定です。「あめりか日記完全版」をお楽しみに!近々またお会いしましょう。



そしてまたつづく

9/11
近ごろ湿気でキノコがすごい。カモ池の木の根には巨大なめタケがびっしり。うちの庭のはおいしそうなシイタケ風。イギリスでは芝刈りと並んで庭のキノコ取りが一仕事と聞いた。雨量が違うからなあ。ウワギ小屋出身の日本人はどこに行っても慣れない庭の手入れに苦労するものらしい。

大家さん Greg は超ナイス・ガイ。家電の残りを全部買い取ってくれるって。と思ったら、たまたま例に挙げたもの「全部」が欲しかっただけらしい。何にしろいい人だった。第一印象無愛想で怖いと思ってごめんなさい。子煩悩(事情は聞けないが別居の子ども達が時々遊びに来る)で大メジャー企業に勤めるワーカホリックで(余暇を重視するアメリカ人の中でも一部のエリートの働きぶりは日本人働きバチ以上にすごいのだ)、インテリにありがちなちょっとシャイで、しかしガンズのファンで若気の至りか入れ墨をしている彼だった。

9/12
遂に引越し当日。事前にパッキング出来たのは半分。10時に始まり二人の業者がみるみる詰めて、3時半に家はカラっぽ。今回は日本を出る時より早く準備した分楽だった。前夜寝られて。

アメリカ生活情報--引越し編: なんてことは商社の海外駐在員の奥様にでも教えてもらいたい。しかし日本からアメリカに来るより帰る方が断然。なぜか。
1.行き先が日本だから気が楽(これが大きいのだ) 2.日本はアメリカ程食料品、薬品等の入国検査が厳しくないので日本→米国の際面倒な成分リストが不要
逆に大変な面はほとんどの荷物を自力で詰めなければならないこと(業者から予めパッキングしておくように言われ、詰めてもらう場合も日本→米国より詰め方が荒い)。
日本→米国の際は手出し無用。業者が入念に詰めてくれる。おそらく破損の際の保障が問題になるため。どちらの引越しの場合も、一番重要なのは家中全ての持ち物を航空便荷物、船便荷物、残すもの、廃棄するものにはっきり分別しておくこと。これがあいまいだと後で泣きを見るハメに。

9/14
"Miss America"を見た。アメリカんちで見る最後のTVがこれとは。セミ・ファイナリストにアジア系が一人。他は皆白人?こういう場では人種を揃えたがるアメリカなのだが。それにしても彼女らがハタチや23歳?どう見ても27や32。これじゃ私が子どもに見えるのも当然か。「大人っぽい」ことがこのコンテストの評価基準なら話は別だが。
そういえば昨日、日本料理屋"Mako of Japan"のマコさんに日本に帰ると話したら
「卒業?」
と言われてしまった。そういう年じゃないっての。滞米歴長そうなこの人は見る目もアメリカン。この国では年齢を訊ねない習慣なのでお互い誤解があるのだが、だからといって問題ないのはあらゆる面で個人差が大きいためと思う。

夏の終わりのジジ鳥("ジジ"と鳴くのでそう呼んでいる鳥か虫)の声も終わりすっかり秋の気配。振り返れば暖冬、冷夏で予想に反して楽な一年だった。気候に関しては。

9/15
Susan Goes Shopping
今日TVと机一つを引き取りに来たスーザンは予想外にグレートな shopper で驚いた。二つの机のうち高い方が売れ残ったので、気に入ればそっちを同じ値段で、何なら両方もって行けばと後者は冗談で言ったら本当に二つ買っていった。合わせると解体しても彼女が乗ってきた巨大バン一台分超。その後も意欲は衰えず、地下のガラクタ(雪かきシャベル、手動芝刈り、ビーチパラソル等)や家を空ける直前まで使って置いていくつもりのベッド替わりクッション、電気スタンド等も我々出発後取りに来ることに。大店ざらえ在庫一掃。そんなに買ってどうする?帰ってだんなさんに叱られないか心配。しかしこれで一気に予想を上回る完売。
今回最も引き合いが多かったのは25インチTV+VCRコンボ。次点マイクロウェイヴ(電子レンジ)。最初に連絡をくれた人に譲るのが礼儀のようです。

アメリカ生活情報--帰国前セール編: ポイントは売り値を安めに設定すること。待つ時間がないのと、直前まで使うためには買い手に引取日などをこちらの都合に合わせてもらうため。目安は買い値の1/3と言われています。これで儲けるより労力を節約する方が忙しいこの時期は大事。帰国前にバンク・アカウントを閉める場合は、小切手でなく現金で支払ってもらう旨を事前に伝えること(個人用小切手は銀行口座を持っていないと換金出来ない)。
セールのチラシは日本食材店の掲示板に貼らせてもらうと問い合わせ電話が日本語で気楽。ただし平日のレスは期待出来ないかも(多くの日本人は休日に買いだめに行くのだ)。
掲示を見て買う時の極意:迷わず速攻

9/16
日中は家の掃除、銀行、電話局電力会社等への問い合わせ等々引越し関係処理で時間に追われ、Fairfield の我が家と別れを惜しむ間もなく宿泊先のマンハッタンのホテルに着いて夜7時過ぎ。タクシーの運ちゃんは超ヘビー級と化したスーツケースで車のライトを割り、やむなくチップをはずんだ。

家のセキュリティー・デポジットについて
通常賃貸契約時に2ヶ月分支払った日本でいうところの「敷金」は全額返してくれた。家賃不払い時に充当されるべきものなので当然といえば当然。でも日本で返してもらったためしがないので得した気がした。コネチカット州律ではこれを使って財テクする義務が家主にあるので利息が足されて返るはずだが、途中で大家になったグレッグは契約書を全然読んでないらしい。家に付いてたエアコンとか売っちゃってもバレなかったかも。
これを返してもらわないかわり、契約期限が切れる最後の2ヶ月分家賃を払わないで出る人も多いと聞く。
ひとこと英会話:ところでこれは日本語英語とかけ離れた音の英語の一つ。"deposit"の米語発音に近いカタカナは「ディパーズィー」。

最後のゴミ。収集はもう一回来てくれるように業者に依頼。しかしバケツに入りきらないので市の収集所(フェアフィールドでは要市民証)に捨てに行くことに。ついでに前夜まで使った枕、タオルケット等を障害者寄付に出して喜ばれた。

あめりかぐるめ最終回?すし膳
この期に及んで寿司なのは外食に出掛ける余力もなくホテルの隣がここだったから。値段は「初花」位。指向も同じ傾向と思うが、こちらの方が明確にスシ・キュイジン風。ネタの処理に工夫が凝らされていて盛り付けが何とも素敵。量産品ではなく「わたしのための一皿」という気分にさせてくれる。まぐろは一昨日の「Mako」のが絶品だったので見(味?)劣りした。シンプルにネタを楽しみたい人はここより「寿司田」向き?ニューヨーク旅行中にカノジョを連れてくるにはいいかも。

ホテルは全米展開のモーテル・チェーン Quality Hotel & Suites で、マンハッタンでこの値段では考えられない便利なロケーションと広い部屋(その名の通り suite で二部屋続き)。シェラトン、マリオット等名の通ったホテルが軒並み満室で(ニューヨークのホテルは9月が繁忙期)取れなかったのが幸いした。

Comedy Central Channel で韓国系アメリカ人コメディアン Margaret Cho(ファーストネーム記憶不確か。韓国名"Moran"は連呼していたので確か)のショーを見た。日本の漫才風トーク。皮のツナギにケバい化粧で純韓国風顔立ちのおねえちゃん。1993年にコメディーの賞を取った人気者らしい。主なネタはマイノリティーものでケナす内容。しかし観客の半分程度を占めるアジア系もその他の残りも大爆笑。中でも人気は韓国出身の移民一世とおぼしき母親の「韓国的」で保守的な姿を面白おかしく話す「お母さんネタ」なのだが、ここでカリカチュアされた母親の姿は嘲笑の対象ではない。人種を問わず誰もが「母親像」として、また自分にもある保守的な一部として共感出来る像なのだ。お腹を抱えて笑い、後で考えさせられる印象深いショーだった。「ぶりっこ」日本人ネタもありました。

9/17
帰国前夜。ロックフェラー・センターのレストランに入ろうとしたらガードマンに呼び止められて服装でハネられた。外で「彼はレイシスト(差別主義者)だ」、「アメリカがこういう snobish な国だとは知らなかった」等叫んでいたら、黒人男性につけられて恐かった。こういう会話は日本語にしましょう。しかし高級レストランでもカジュアルな服装を許すアメリカでは稀な経験。

ミュージカル"Bring in 'Da Noise, Bring in 'Da Funk"を見た。It was magnificent! Great! Fabulous! Outrageous!(この手の表現が豊富な英語だが日本語では「すごい」か「素晴らしい」になってしまい貧弱。もちろん語全体を見れば多様で繊細な表現が可能な日本語と思うが)
歌よりタップを中心にした作品なのだが、歌を聞くとどうしてもタップの音を小さく感じてしまう。ミュージカル初体験の夫はほぼ一人で歌部分を担うおばさんの歌唱力に唖然。いやあ、実際すっご人だった。タップ史を軸に「アメリカ黒人史」劇になっているこのミュージカル。日本でもやればいいのに。黒人を見る目が変わると思う。
日用品を楽器のように叩く場面は「Stomp」似。しかしタップ、歌と並んで柱になる程ドラムは本格的。斜め前の席のおばさんはこのドラムにのみ異常興奮。周囲をシンとさせていた。これでデビューして「天才少年」と騒がれた(何か賞取った気もする)男の子(名前失念。手元に資料がなくて)が代役で今夜は主役を演じたらしいのだが、うーん、ごめんなさい。どの人が誰かさっぱりわからんかった。

ところで「黒人」をアメリカでは「アフリカン・アメリカン」と呼びます。黒人が自らを「ブラック」と呼ぶのは普通だけれど、我々異人種はやめた方が無難かも。「ニグロ」は×。他に「インディアン」は「インド人」だから(というだけでなく差別用語らしい)当然×。「ネイティヴ・アメリカン」と呼びましょう。

9/17
バンク・アカウント
いよいよ帰国。一週間以上前から小切手やATMカード使用を控えたが、結局アメリカで銀行口座解約手続きを済ませることは出来なかった。振り出した小切手のうちまだ換金されていないものがあったため。預金残高千ドル以上で手数料不要の小切手口座から、月々手数料を支払う口座に種別を変更。残高の大半を日本の外貨口座に送金。使用済小切手が全て口座に反映した時点で銀行に一筆送り、日本からリモートで解約することに。帰国する朝までこんなことやってるのって普通?

アメリカ生活情報--帰国時清算編: 帰国時に銀行口座をどうするかは悩むところ。日本と同様ほとんどの公共料金、クレジットカードの支払いは翌月払い。請求書を受け取り小切手を送付。しかしその「翌月」アメリカにいないし口座解約後小切手は使えないので何か対策を講じる必要がある。
某大手旅行代理店の海外生活ガイドによると「帰国後の支払いは、金額欄だけ空欄にしたサイン済み小切手を信頼出来る人に預けておき、請求書をそちらに転送して処理してもらう」だと。そんなの無茶だ。知らない間に不渡り小切手を乱発されて犯罪者になってたらどうする?預かる方も嫌だ。この出版元には抗議せねば。

で、どうしたか。以下我々の場合。
会社によって対応はまちまちなのでまず問い合わせる。 クレジットカード等利用料がわかっているものはマネーオーダー(為替)を郵便局(銀行より手数料が安い)で買って送付。電話、電気等使用終了後まで料金がわからないものは日本へ請求書を送ってもらうことに。海外に送れないと言われたものは請求書送付先を大学にして、およその金額を現金で置いてきて余ったらお茶代に寄付。
他の人々の話を聞いたらやっぱり色々苦労していた。商社の駐在員などは対応マニュアル持ってそう。
わりと詳しく書いたけど、経験ないと読んでもイメージわかないかも。

9/17-18
空港までは白タクで。乗る時安いようなこと言ったが、イエロー・キャブと同じじゃないか。値切れば値切れたと思うがペルー出身の彼の移民暮らしに同情してしまった。それも彼のテか。
機中で日付変更線を越す。J××はいかーん!A××にすればよかった。これならアメリカの航空会社の方がずっとサービスいいぞー。

さて、懐かしい故国日本に帰って来てみると、、、

逆カルチャー・ショック

日本はなんだか湿っぽい


暑いぞ!亜熱帯を実感。
飛行機の中で:通路ですれ違う時脇によけて待っててあげても無言。空港で:バゲッジ・クレームで巨大スーツケースで人を押しのけてあまつさえそれが他人に当たっても無言。宅配申し込みで:列に割り込んで無言。店の入り口で:次の人が来たのでドアを開けて待っていたが無言。道で:か弱い女性の私が重い荷物を運んでいるのに男性が無視。日本人は無礼な人たちだぁ!
なんか私、、、ひとと服が違う?変?なんか私、、、太ってる?大女?知らなかったー、てっきり骨細できゃしゃで小柄とばかり。
密度が高くて人を避けられない。車や自転車が間近を通って怖い。
There are so many smokers. I hate them!アメリカはよかった。公共の場はデフォルト禁煙だもの。
人々が子供に見える。容姿のみならず振る舞いや話し方も幼い気が。
久々に「和式」を使用した。存在を忘れていたので驚いた。立とうとしたら軽いぎっくり腰になった。年寄りに危ないという話は本当だ。


やっぱ安全そうだなあ。くつろぐ。
コンビニで:なんてきらびやかな空間なの!ブリリアントでおいしそうな食べ物がいっぱい。紅茶プリン、コーヒー・ゼリーなどアメリカでは100年後も出現しなさそうなデザートに目が眩む。そしてこのキュートで斬新な具のおにぎりたち。食べてまたカンゲキ。ああ日本人に生まれて幸せ。
ホームセンター、デパートで:つっぱり棚、スライドラック等超便利グッズがいっぱい。使う人の身になって考えた冷蔵庫のポケット、野菜が真ん中、引き出し式冷凍室。日本人たら工夫の天才!再び日本の家に住んでみて理由がわかった。狭いから要るのだ。必要は発明の母。

しかしまあ総じて逆カルチャーショックという程深刻なものはありませんでした。忘れてたことを思い出しただけで。一年は短いということ。

おわり


「あめりか日記」終了の辞
さて、これで本当におしまいです。
この読みづらい素人の駄文に一年間お付き合くださり本当にありがとうございました。

日本に帰って早一ヶ月。引越荷物に埋もれてはいるものの、私は以前と同じような場所に住み、以前と同じように平和な毎日を送っています。
あれ程現実感を持って私に迫り、日々克服しなければ生きていけない切実な課題を眼前に与え続けたアメリカ生活だったはずが、今となっては夢のよう。私は本当にアメリカにいたのでしょうか?アメリカという国は本当に今も、あの海の向こうに存在するのでしょうか?
私のアメリカ生活は、再び日本での生活が始まると同時に過去のものとなってしまいました。まさに「一炊(一睡?)の夢」。

今だから言いましょう。私はアメリカで一年間辛かった
もともと望んで行ったわけじゃなし、アメリカ生活に夢も憧れもない。嫌々行って楽しいはずがない。
家は僻地だし、駅は遠いし電車は少ないし。来ても遅れるし戻るし駅は飛ばすし。都会はおっかないし恐い人たちでいっぱいだし。役所は無愛想だし時間かかるし間違うし信用出来ないし。言葉はわからないしバカにされるし。隣人にはいじめられるし日本人は仲間に入れてくれないし。

それでも行ってよかったと心から思うのは、日本にいたら一生理解する機会がなかったかもしれない数多くのことを学んだからです。社会人である以上「男も女も愛敬」だということ。見知らぬ人にも友人にも同じ礼節を尽くすこと。常に表現することで愛情を伝えること。正しいこと、あるべき姿を「言っていればいつかはそうなる」と信じて前向きに発言しつづけること。楽天的であること。

外見や行動の受け止められかたに敏感なアメリカ。人種差別発言に敏感なアメリカ。誰に対してもどんな場合でも「フェア」であることが重要なアメリカ。
安全で、「一億総中流」で、同じ民族、同じ常識、同じ価値観を前提とする日本にいると鈍感になってしまう「個人」を尊重するために重要なたくさんのこと。学んでも実感できなかったことをアメリカは気付かせてくれました。
副賞は語学力の向上。「アメリカに住めば英語が話せるようになる」は幻想にすぎませんが、生活次第で成果は出るようです。

長くなってしまいました。書きたいことは尽きませんが、ここらで筆を置き(キーボードを叩き止め)ましょう。またお会い出来る日を楽しみに(なんかネタないかなー)。See ye!